2007年01月22日157号 一日店員のボランティア

先週は”ケーキ屋KENちゃん”として不二家の危機管理について書きましたが…
不二家はもう”ダメ”かもしれませんね(^_^;)
まー”ペコちゃんブランド”は根強い人気がありますから
どこかに吸収合併されるという形になるのではないでしょうか?

なぜ”ダメ”かと言うと…品質管理がひどすぎるのは論外としても
すべてにおいて時代遅れだという事です。
ケーキ屋の世界も大きく変わって来たということです。

【シャトレーゼ】という大手のケーキ屋がありますが、
ここの工場の立ち上げに協力した私の友人のパティシエが、徹底した品質・衛星管理と
ケーキ職人を必要としない生産性にあきれてしまい、
自分はパティシエとして職人として生きる事を決意したと語っていました。
因みに私がケーキ屋KENちゃんの頃は”パティシエ”など言う言葉もありませんでした。
二極化の中で古い体質の不二家の存在そのものが厳しいのです。

さてさて…前置きが長くなりましたが、
そんな二極化の中で生き残るため
東大和市(東京都)の洋菓子店・茶屋エポックの
地元に根ざした経営戦略を私が協力していることは週間KENでも紹介してきました。

その茶屋エポックがイトーヨーカ堂東大和店の【東大和・美味しさ新発見】という催事に出店中で
20日(土曜日)には私も1日店員としてボランティア活動?をしてまいりました。

私の友人のエノちゃんが経営するお菓子の文化村・茶屋エポックの看板商品は
東大和市を縦断する芋窪街道から私が名づけたスーイートポテト【銘菓・芋窪街道】
それを地元農家とのサツマイモを使っての【COLLABORATION】の写真商品の写真
私が企画撮影してきたものです。

今回はそれがイトーヨーカ堂の目に留まり5日間の催事出店となったようですが
茶屋エポックはエノちゃん夫婦でやっている小さなケーキ屋ですから掛け持ちは大変です。
サツマイモをCOLLABORATIONで作っている野村農園の野村さんが同じ売り場で”焼き芋”も売る
という事で、どうにか乗りきろうというようですが野村さんも大変なようです(^_^;)
そこで私が…昔の名前(ケーキ屋KENちゃん)で出ることになったというしだいです。

売り場に立つ以上は頑張ってたくさん売ってやろう!と意気ごんだ私ですが…
エノちゃんは私に言いました「あんまり売らないでね、製造が間に合わないから」
野村さんも私に言いました「焼き芋も、もうこれで売り切れだから大丈夫」と。

まるで商売気がありません(^_^;)…というか、ほんとうに間に合わないようです。
【銘菓・芋窪街道】は売ってしまったら、エノちゃんが作らなければならないのです。
だったら、ある程度作っておけばと思うのですが品質にこだわる職人エノちゃんは、それがイヤなようです。
野村さんが焼き芋として売っているサツマイモは自慢の品種で味に自身があるものの数に限りがあり
催事の日数分で割り振っているようなのです。

エノちゃんは数時間、自分の店に戻って100個の焼きたての【芋窪街道】を持ってきました。
一個126円ですから12,600円分です(^_^;)…ほんとうにご苦労さんという気持ちです。
催事は試食をどんどん出して人を集めて勢いが出ればアツと売れるのですが
アツという間の売れてしまえばこまっちゃうので試食用に焼いた芋窪街道も、
どんな味か興味のあるお客様用に大切にとっておきました。

そばを通るお客様の声には耳を澄ますと「芋窪街道…」という言葉がよく聞こえてきます。
やはり地元の名前に反応して、興味は示してもらえるようです。
ここで買った焼き芋がとても美味しくてまた買いにきたのに「売り切れとはナニゴトか!」と
怒ったお客様もいましたが、いろいろ会話をする中でとても納得して頂きました。
エノちゃんも、いろいろなお客様と会話を楽しんでいました。
隣のコーヒー豆売り場からのコーヒーの差し入れも、とてもウレシくなりました。

夜遅くこんなメールはエノちゃんから届きました。
  今日はどうもありがとうございました(*⌒―⌒*)
また遊びに来てください♪
*榎本 寿明*

パソコンもメールも苦手なエノちゃん自身が私にメールするわけがありません。
エノちゃんの長女・春奈ちゃんに書かせて事は歴然としていますが、
エノちゃん宛てに私も返事をしておきました。
   榎本 寿明?? 様 /(o^。^o)/
いやいやどういたしまして
ひさびさにケーキ屋KENちゃんで
楽しく過ごさせて頂きました,,*”( ^▼^)*,,
                    角倉健一朗

2007年01月15日156号 不二家の危機管理

その昔の”ケーキ屋KENちゃん”として…
また現在の”保険屋KENちゃん”として…
今週は”不二家の危機管理”について書かせていただきます。

私が”ケーキ屋KENちゃん”になるずっとずっと昔…
すなわち”3丁目の夕日”時代の私が幼少のころ、ケーキといえば不二家でした。

クリスマスには不二家のケーキを私や妹達は毎年楽しみにしていましたが、
ある年、銀座で飲んで酔って帰った父が買ってきたクリスマス・ケーキが
箱に中でひっくり返っていて、みんなで箱についたクリームを舐めたのを
とてもなつかしく思い出します。

しかし、大学を卒業し”フランセ”に入社した頃には
不二家はケーキ屋というより大手菓子メーカーという認識で、
ケーキ屋やレストランとしてはあまり良いイメージを持たなくなっていきました。
したがってジツは今回の”事件”も、それほどの驚いてはいません(^_^:)

11日(木)日経新聞の朝刊の記事で今回のニュースを始めて知りました。
何度か繰り返し読んだのですが、どうにも不思議な内容です。
脅迫されてイヤイヤ発表したというように思てしまうのは私だけでしょうか。

記事を要約すると…
昨年の11月に消費期限が1日過ぎた牛乳を使ってシュークリームを2000個作って
販売したという記事です。
出荷前の細菌検査でも問題が無く【社内規定に違反する行為】で
調べたのは【社内の諸問題を改善するためのプロジェクト・チーム】だというのです。
被害者も出ておらず、調べたのも内部で、こらだけの話なら法的な問題は無いのです。

不二家の記者会見で腹立たしく思ったのは…
責任を「昔からの古い考えを持った者で…」と製造担当者におしつけた事です。
日本生命も保険金不払いの責任を担当者一人に押し付けましたが…
このような事で担当者が私腹を肥やしているならともかく、そうでなければ
それを見過ごしてきた会社に責任がある事は歴然としています。

どうして”期限切れ”の牛乳が、そんなに出て来るのでしょうか?
牛乳は普通、製造されて7日間、工場に入荷されてからも5日ぐらいあるのものです。
小さなケーキ屋でも牛乳や生クリームは毎日オーダーするもので5日以上も放置される事は
考えづらいことです。
不二家は牛乳をふんだんに使ったキャンディー『ミルキー』が代表商品ですから
大量の牛乳を使用しているはずです。

シュークリームは鮮度が命の食べ物で作り貯めも出来ませんから、
常に新鮮な牛乳を優先するシステムぐらい簡単につくれるはずです。

私は不二家に良いイメージが無いと言ったのは
たまに利用する不二家レストランやチェーン店を見るかぎり”味”も”サービス”も”清潔感”
イマイチで外から見ただけでも危惧を感じるからです。
『社内規定』や『社内の諸問題を解決するプロジェクト・チーム』をこの事件をきっかけに作るなら
ともかく、そんなものが存在しながら、何でこんな事になったのか?
そこに問題の根源があるのではないでしょうか。

ネット時代の危機管理の原則は
何と言っても”情報開示”です…例え不祥事があっても素早く開示して謝罪することです。
それを隠したり責任を転嫁したりすると、キズはますます大きくなり命取りにもなりかねないのです。

複雑怪奇な保険業界ならともかく(^_^;)
単純なはずの菓子業界が難しくなってはいけません。
ペコちゃんポコちゃん ガンバレ!

2007年01月08日155号 正月もアッというまに…

早いもので、正月もアッというまに終わったようです。

”終わったようです”というのは毎年のことですが…
正月の準備などまったくせずに、したがって正月らしい”生活”はまったくなく
何時ものように仕事兼用のリビングの大きな雑然としたテーブルでYUKIと向き合って
まーそこにヒロコも加わるわけですが…
テレビもほとんど見ずにボーとしているうちに正月が終わったようなのです。

でもこれが、
オソロシイコトニ我が家の”文化”にさえなりつつあるのです。

元旦はゆっくり昼過ぎに起床。
この日はヒロコの誕生日でもあるのです。
元旦の誕生日というのは,よっぽど意識していないと、ツイ忘れがちになるのです。
ところが本人のヒロコはしっかり意識していますから、忘れたらコワイのです(^_^;)
てなことで、元旦にささやかな誕生セレモニーなぞ、やるものですから
ますます我が家の正月は正月らしくなくなっていくのです。

2日の日は全国高校サッカーの試合を見に北区の西が丘サッカー場に行きました。
昨年、偶然にもワールド・カップを見に行くことになった我がファミリーですが
その前にサッカーの試合を生で見たのは
1984年のロスアンゼルスのオリンピックでヒロコが2歳の時です。
ヒロコはもちろん覚えてもいませんが、私もYUKIも、たしかサッカーの試合をナイターで見た
という記憶だけで、どことどこの国の試合だったかも覚えていません。

でも日本で始めてサッカーを見るというプアな状況も
リッチな気分になってしまうのが我が家の”めでたさ”なのです(^_^)

さて、なぜ全国高校サッカーか?というと
私の大学時代の友人・川村君の長男で我が家にも来たことのある洋一郎クンが
平塚ベルマーレのユースから山形県の羽黒高校に入学し、2年生ながら主力選手として出場しているのです。
弟の慎二郎クンもリトル・リーグから野球をやっていて、やはり羽黒高校の1年生で野球部。
兄弟別々のスポーツで名門羽黒高校に地元以外からやってくるケースはめずらしいようですが
川村君はリトル・リーグの審判をしたりして、川村夫妻は二人の子供が幼い時から
野球やサッカーの活動に積極的にかかわってきたのです。

試合の結果ですが、肝心な洋一郎クンは31日の第一試合で肩を脱臼して結局出番はナシ
試合は0対2で敗退してしまいました。
泣きながら応援席に挨拶するメンバーを洋一郎クンは肩をたたいて励ましていました。
洋一郎クンはまだ2年生、来年もあるという余裕でしょうか(^_^)
川村夫妻の生き甲斐はまだまだ続きそうですが、我々も便乗して応援していこうと思っています。

近所の神社に散歩がてら初詣をしたり
ヒロコは年末コンサートのビデオ編集をしたり、スパゲティを作ったり
私は読書三昧…と暮れの忙しさがウソのようにのんびりと過ごしました。

そうそう思いがけない初仕事もチョッピリとする事が出来ました。
私はお客様から生命保険の相談があった時は、出来る限りのプレゼンテーションをしますが
それに対して反応が無い場合は、こちらからシツコク深追いすることが出来ない性格でして
かなりお客様を逃がしているかもしれません(^_^;)
でも、こちらが忘れた頃に、お客様の方から「かなり時間が空いてしまったが加入したい!」
という連絡が年に数回あって、それはとてもとてもウレシイのです。
それが5日にあったのです、2年も前にアプローチしたお客様です。

のんびりした正月休みで、なかなかエンジンがかからないナマケモノの私ですが…
出しは好調のようです(^_^)

2007年01月01日154号 大晦日に明日は無い!

あけましておめでとうございます!

新年があけてホヤホヤのアップをしたところで…
これでやっと、やっと…毎年のことですが、なんとか正月を迎えることが出来した。

”正月”はすごいものです!
日本人がここまで一丸となる事は他にあるでしょうか?
”クリスマス”や”七夕”は気がつかないで生活する人もいるでしょうが…
”正月”に気づかない人は、ほとんどいないのではないでしょうか。
正月嫌いで”大掃除”も”年賀状”も”おせち料理”も縁のない宇宙人のYUKIでさえ
「正月が嫌い!」というくらい正月を意識しているのです。(^_^;)

『明日出来るコトは、明日しよう』というのが私のモットーなのですが
大晦日には明日は無いのです!あるのは”新年のみ”なのです!

毎年のことですが、カレンダー配りが、私の年末行事のかなりの部分を占めているのです。
今回は例年の反省もこめて、千葉・埼玉方面は郵送にすることにしたのですが…
そうなると余裕が出て『明日出来るコトは、明日しよう』と先延ばしをして
けっきょく年末ギリギリのパニック状態は例年通りになってしまいました。

28日は朝の7時までカレンダーを配り、バタバタしているうちにお昼になり
この日は恒例のハート・コンサートの日、ボランティアとして2時30分までにニュー・オータニに
行くことになっており、けっきょく一睡もせずに会場へ。
この日のビデオ撮影をまかされたヒロコとその助手?ジョエルもやってきて、なんやかやと慌しく時間がすぎ
6時からのコンサートも大成功(^_^)
そうそうジョエルはヒロコのサルサのキューバ人先生ですが
NHKでの放送製作もするセミプロで”助手”とは気の毒なのですが(^_^;)

また、この日はアカラックスの忘年会とブツかって、とうぜん一次会の居酒屋には行けません
アカラックスのオフィスでの二次会飲には家族で顔を出すと約束しています。

ニューオータニのコンサートはいつものようにクルマで出かけるたお酒は飲めません。
しかし今年は免許を取ったヒロコがいます。
”ヒロコはお酒を飲まないで帰りのクルマを運転する”という交渉が成立…
神田のアカラックス・オフィスを経由して帰宅するというコースで、
私はコンサート会場でもアカラックスでも遠慮なくお酒を飲むことが出来るというわけです。

コンサートは盛り上がりアンコールや、恒例第九の大合唱で、時間がオーバー。
アカラックスの連中だって6時から飲んでいるのですから何時までも待ってもらえません。
撮影用機材の片付けはヒロコとジョエルにまかせて一足先にアカラックスに行く事にしました。
こんな時はタクシーで行くべきだと思うのですがYUKIはもったいないからとJRの四谷駅まで
寒空の中コート無しで急ぎました。

アカラックスでは、もう全員デキアガッていましたが
私を温かく待っていてくれました、やっぱりこの仲間の顔を見なければ1年も終わりません(^_^)

ヒロコとジョエルはコンサート・スタッフの若林夫妻やノブさんたちと、
これも恒例のコーヒーとケーキのティーラウンジ歓談のあと、機材を会社に返して
神田に向ったのが11時過ぎ…
さすがのアカラックス・オフィスも解散となり、神田駅周辺でヒロコのクルマがやってきた時は
ヒロコも馴れない運転で師走の都心を行ったり来たりしてメロメロ、

でももっと気の毒んなのがジョエル…ボランティアの撮影助手でこき使われ、
助手席に誰かいないと、まだ運転に不安があるというヒロコに最後までつき合わされ、
ヒロコの荒っぽい運転にもドギモを抜かれたようで(^_^;)、
家まで送るというヒロコの誘いも必死で断わり、神田駅へフラフラと消えて行きました。

ヒロコの運転で我が家についたのは1時過ぎ…
週3日のブログ用に貯めた原稿もソコををついていて、けっきょく寝たのが明け方。
29日は午前中に幸手(埼玉県)の法人に集金にいくことになっていて、往復200㌔のドライブ?
そして夜から朝にかけてのカレンダー配りと…寝るヒマがありません。

大晦日は朝10時に溜池(赤坂)の床屋に予約してあります。
予約というより、床屋のマスターが勝手に「スミさん、大晦日は10時だよ!」と決めているのです。
そうでもしないと、忙しくて来ないかもしれないと思われているようですが、
それがまた、私の忙しさに拍車をかけているのです。(^_^;)

我が家の年賀状作りも大イベントなのです。
これも、大晦日になるまで1通も出来ていません、この作業もあります。

そして、これが我が家の大晦日の最もの楽しみ!!ゼン君宅の訪問です。(^_^)
我が家でおせち料理をたべれることが出来る唯一の日が大晦日で、ゼン君宅なのです。
ゼン君のママがすい臓がんの手術をしたので今年はどうかなと思ったのですが
ゼン君のパパがテーブルいっぱいの、おせち料理を作って待っていてくださいました。
昼食もまともに取っていない私とヒロコは遠慮も忘れパクパクとむさぼるように食べました。
ゼン君のガールフレンドとも始めて逢いましたが、とてもキュートなお嬢さんでゼン君を見直しました(^_^)

その後は、横浜の中華街にクルマで向い、カウントダウンをして新年を向えました!

てなわけで、この週間KENとブログを書き上げて、元旦の朝が明けようとしています。
そうそう、忘れていけません、今日元旦はヒロコの誕生日なのです。

こんなファミリーですが(^_^;)…今年もよろしくお願いいたします。

2006年12月25日153号 W夫妻との忘年会

毎週月曜日発行の週間KENの次号は1月1日ですから
今年の週間KENはこれが最後になる事にいま気づいてアセッています。
アセッたところで、どうにもならないのですが、本当に1年がたつのは早いものです。

まだ28日には、年末恒例のクラシック・コンサートがあります。
この日、アカラックス・セミナーでの保険仲間の忘年会とドッキングしてしまい、その幹事に
この写真を添付して不参加のメールを送ったのですが、その幹事からこんな返事がありました。
「エッ!角倉さんが出演されるのですか?」
まっ・まさかです(^_^:)…私は単なる裏方のお手伝いでしかありません。

その裏方仲間?の若林夫妻が忘年会をやると言われるので、私達家族3人も参加しました。
場所は若林さんの地元・池袋の【田舎家】というお店です。
どのようなメンバーが集まるかは詳しく聞いていなかったのですが、あとは私の古くから友人で
28日のコンサートの発起人の渡辺ノブさんとその仕事仲間ら3人で計9人でした。
単純に言ってしまえば若林・渡辺・角倉の忘年会ということになったわけですが
若林さんもノブさんもお酒は飲まないヒトなのです。
じゃー何のタメの忘年会となるのですが…忘年会に理屈は要りません。
楽しく、美味しい食事が出来れば、それでハッピーですし、
まして我が家の3人は、けっしてお酒が飲めない方ではありませんから、なおさらハッピーです(^_^;)

食べるものには、というより何でもコダワリがあって詳しい若林さんがお勧めのお店だけあって
付け出しから刺身、鍋、ふぐの唐揚、そして…のっぺ汁元祖!わっぱ飯と最後まで感激の連続です。

若林さんとノブさんはライオンズクラブの代表?同士の付き合いから始まったようですが、
そのライオンズクラブに若林さんを推薦したのが【田舎家】の主人という事で、
このお店とも長いお付き合いのようです。

私はライオンズクラブなどと言う高級クラブ?にはエンもユカリも無い貧乏経営者ですが(^_^;)
ノブさんの関連で若林夫妻とは時々お逢いすることがあり、おのずと親しくお話するようになったのです。

忘年会の席で私は「若林さんって、ライオンズ・クラブ的じゃないよね」と言ったら
ノブさんが「そりゃー失礼だよ」と言いました、私は誉めてるのですが…(^_^;)

若林さんは会社の経営者ですが、芸術家的な自由人としての雰囲気が滲みでている人なのです。
また常に、どこに行くにも奥様とご一緒で(そこのところはウチと似ていますが^_^;)
とても仲むつまじいご夫妻(ココはちょっと違いますが^_^;)なのです。

ヒロコも何度か若林さんとご一緒する機会があり、ホームページやCG・ビデオ・オーディオなどの
造詣の深さにビックリし尊敬しているのです。
でも、それは専門ではありません、何でも徹底してやらなければ気がすまない性格のようで
どれもプロ並みになっちゃうようです。
専門はビルなどの”防災管理”で、その知識や技術においても彼の右に出る人はそれほどいないようです。

でも若林さんは自分の会社を縮小し、生活のサイクルを大きく変えて…
週3日働いて、あとはボランティアや好きなことをして暮らすというのです。
今までだって、充分好きなことをしてきたように見受けられるのにウラヤマシイ限りです。

若林さんが以前こんなことを言ってくれました。
”私(角倉)が保険契約の大小とはまったく関係なく全国どこでも出かけることをモットーに、
またそれを楽しみに仕事をしている”
という事にとても感銘をうけたと…。

それと今回の行動が直接つながっているかどうかは解りませんが
仕事や生活や、もろもろの考え方に波長があうことはたしかです。

たらふく美味しい料理を食べ、大いに飲んで…
結局、ココの会計は若林さんのオゴリという事に”またまた”なってしまいました。
”またまた”というのはニュー・オータニで打ち合わせの後、打ち合わせ?でケーキを食べたり
食事をする時も、奢って頂いているからです(^_^;)
ロコハウスのお客様でも、今度こそはと思ったのですが…恐縮の限りでありますm(_ _)m

2006年12月18日152号 KENとYUKIのタレント業?

『日本の珍しい自動販売機の撮影をして欲しい…』
ヒロコが勤める映像製作会社にアメリカのテレビ局から依頼があったようです。
我が家からクルマで10分ほど行ったところの養鶏所の近くに
タマゴとお米の自動販売機がそれぞれ並んでおかれており、我が家ではその話で盛り上がりました。

この仕事を担当したヒロコの同僚のクラウディアンナは「是非、それを撮影したい!」
という事になって、朝の8時にカメラマンやスタッフをつれてやってくるというのです。
なぜ、そんなに早いのかというと、この日は秋葉原の”おでん”の自動販売機とか
首都高速のサービスエリアにある”たこ焼き”や”フライド・ポテト”の自動販売機とかを
撮影をするスケジュールになっていて、ココからスタートをするというのです。

ヒロコはこの仕事に直接かかわっていないのですが、この場所を紹介した手前もあって
我が家3人も早朝クルマで”現場”に向いました。
我々より少し遅れてクラウディアンナのスタッフ達もやってきて撮影開始です。
ところがタマゴの自動販売機が全て”売り切れ”になっていて養鶏所に問い合わせたところ
お歳暮需要にタマゴの生産が追いつかず、しばらくタマゴの自動販売は休止しているというのです。

しかたがないのでお米の自動販売機の撮影に入ったのですが、
クラウディアンナが私にいきなり2000円を渡して、その自動販売機でお米を買ってくれというのです。

それもただ買うのではありません、ズラッと並んだ色々なお米の自動販売機の右側から歩いて来て
どのお米を買うか、しばらく迷ったあげく一番右側にある、一番安いお米を2000円入れて
お釣りを取ってお米を取り出すところまでを撮影するというのです。

そんなハナシは、まったく聞いていません(^_^:)
まったくの野次馬気分で顔も洗わずジャンパーをハオッただけの気ままなカッコウです。
初老のオヤジが早朝に自動販売機で米袋を買うのにドレス・アップの必要ないとは思いますが
いくら私だってココロの準備というものがあります。
それなにクラウディアンナは何のためらいもなく、まるでつれてきたタレントに話すように
私に注文をつけるのです。

いよいよ撮影開始です。
自動販売機の前はバス通りになっていています。
通勤ラッシュのバスやクルマが撮影現場の前で渋滞し、
そこからの興味深くのぞき込まれているようで、どうにも落ち着きません。
でも、こうなると覚悟を決めてやるきゃありません。

自分で言うのもなんですが
”その気”にはなりやすく、ノセラレやすいタイプなので、結局お米を自動精米機にかけるところまで
それも何度も取り直して1時間近い熱演をしてしまいました。

そしてYUKIまでも…自動販売機から温かい缶入りポタージュ・スープを取り出
それを飲むという撮影をさせられました。
YUKIはそもそも自動販売機で飲み物を買うという行為をした事の無い人ですから
”どうなるか”私もヒロコもとても緊張してみまることになりました。
YUKIは左利きで缶のフタを右手で回して開けるのがギコチなく笑ってしまいましたが
落ち着いた演技?でクラウディアンナからも誉められていました。

自動販売機から買った1750円の5キロのお米を二人のギャラ?として頂きました。
撮影の為、精米機に何度も入れられて米粒がとても小さくなっていて
我が家では、これからしばらく不思議なご飯を食べることになりそうです(^_^;)

2006年12月11日151号 芸術の師走?

「そういえば吉岡さんの個展いつまでだったっけ?」
私は昼食をとりながら、ふと思い出してYUKIに聞きました。
「エッちょっとまって…たいへん!今日の4時までですよ!」とYUKIは叫びます。

二人はあわてて、横浜の高島屋で行なわれている画家の吉岡耕二さんの個展会場に 向いました。

毎年、渋谷の東急文化村で開催される吉岡さんの個展に行くのが我が家の恒例に
なっていたのですが、今年は我が家のW杯ドイツ旅行とぶつかって行けませんでした。
ところが12月に横浜高島屋でも個展を開催されるというので、楽しみにしていたのですが
ヒロコの予定がつかないまま、われわれもすっかり忘れていたのです。

吉岡さんの油絵を20年ほど見続けていますが、もうすっかり彼の色彩の世界のトリコになっています。
絵の具を何層も重ねて浮き出される吉岡カラーともいえる”青”の深さには、
時間を忘れて絵の前にたたずんでしまいます。

新しいオフィスの白い大きな壁に吉岡さんの大きな油絵を飾る!
これが私の夢ですが、新しいオフィスも吉岡さんの油絵も、いまだ実現はしていません。
ま~ヒロコも大の吉岡ファンですから、いつかは実現すると事でしょう。(^_^;)

もうひとつ毎年、行なわれているコンサートが今年ははじめて12月(9日)にありました。
昨年も週間KENで紹介したナオキ君のママのマリンバのコンサートです。

ナオキ君も…我が家が大晦日恒例でお邪魔するゼン君チのゼン君も…ヒロコの保育園の同級生です。
そのゼン君のママは、この週間KENの愛読者?で私のHPの掲示板にもコメントをいれてくれる
明るく元気な人ですが、9月にすい臓がんの手術をされたという事でとても心配をしていました。
でも、元気にコンサートに来られていて、ほんとうに嬉しくなりました。
もともとが少し太めだったので(^_^;)14㌔のダイエットに成功?
本人が”たかの友梨”で100万円使ったと言いふらすと誰もが信じてしまうそうです。(^_^)

コンサートの休憩時間、ワインのサービスがあり、そのテーブルの美女から声をかけられ
よく見るとナオキ君の奥様のヒロミさんでした。
ヒロミさんはヒロコより1学年下ですが2児の母で、私は保険の関係で何度かお逢いしているのですが
ヒロコもYUKIも保育園時代の友達もママ達もみんな初対面だったので盛り上がりました(^_^)

そうそうコンサートはもう何時もの事ですが”さすがプロ”と思わせる素晴らしいものであったことは
言うまでもありません。

そして日曜日(10日)これは28日の私がボランティアでお手伝いしている
ホテル・ニューオータニでのクラシック・コンサートの最終打ち合わせにヒロコと出かけました。

普段は芸術とは縁の薄いワタシでありますが…
なぜか12月のさなかに”芸術の秋”ならぬ”芸術の師走”をエンジョイさせて頂いています(^_^:)

2006年12月04日150号 3丁目の夕日

金曜日、テレビで『ALWAYS 3丁目の夕日』をやっと見ました。
”やっと”というのは私の代理店仲間で同世代のS氏が、この映画が封切られた時に
我々夫婦に向って「是非この映画を、ご夫婦で見られる事を薦めます!」と
強く要請?されたのですが、はたせないでいたからです。

だいたいYUKIは日本映画というものにまったく興味を示さない、というより
日本映画の存在すら知らないではないかと思うほどの”宇宙人”です。
だから、その時も「ひとりで映画館でご覧になられては」と冷たくあしらわれ、
やっと先日、私ひとりでテレビを”ご覧に”になっちゃたしだいです。

映画は昭和33年の東京を舞台に二人の少年をじくにくりひろげられる人情ドラマです。
私はこの時代…渋谷区立渋谷小学校(今は都心過ぎて廃校)の6年生で時代的にピッタリとリンクするのです。
駄菓子屋で「クダサイナ!」と店主を呼び出す掛け声や、
水につけると”スカ”しか出ない5円クジなどリアルによみがえり笑ってしまいます。
映画の冒頭にラジオから流れる『おーい中村君』も草野球仲間に中村クンがいて
みんなで節をつけて「お~い中村君♪」と読んでいましたが、コレッてイジメだったのでしょうか(^_^;)
草野球は日が暮れてボールが見えなくなるまでやっていましたから
夕焼けを見ると、その頃が思い出されます。

我が家にテレビがキタときも、電気洗濯機がキタときも、電気冷蔵庫がキタときも…
そうそう映画でもあったように、それまで暗くてジメっとしていた氷の冷蔵庫から電気冷蔵庫に
かわった時、冷蔵庫の中がまぶしいくらいの電光で総天然色のアメリカ映画のようだと
感激した事を思い出しました。

映画の中で町工場の鈴木モーターズにテレビがキタ日、その主(あるじ)は
テレビを見にきた近所の人達に向って感無量に「戦争が終わって13年…」
と言って声をつまらせるシーンがあります。

そうだったのです、戦争が終わって、たった13年目の話です。
しかし、とうぜんの事かもしれませんが私にはまったく戦争の実感はありませんでした。
父親をはじめ大人達は、集まると戦争の話をし私も聞かされたものですが
昔話を聞いているようで「大人はどうして戦争の時の話ばかりするのだろう」と
不思議に思っていたぐらいでした。
でも今の私には13年前なんてツイ最近のようなものです。
実際いま48年前の昭和33年を懐かしんでいるのですから(^_^;)

フラフープも、オート三輪のミゼットも、力道山も、都電も、出てくるものスベテが懐かしいのですが…
”ひとつ”いや”全体として”私にはしっくりこないものがあります。
それはあまりにもレトロな新横浜のラーメン博物館のような画調です(^_^;)

映画としたら、そこまでデフォルメした方が味が出せるのでしょうが
私の幼い目からは、大村昆のテレビCMで売り出されたオート三輪のミゼットも、よく乗っていた都電も…
電気冷蔵庫のようにすべてが新鮮に輝いて見えていたのです。

東京タワーがあの位置で見えるのはどこだろう?
六本木か三田か麻布十番かいろいろ考えても、どこも合致しないようです。
”六子”が東北本線で正月の帰省をするラストシーン。
車窓から東京タワーが見えるわけがない!
帰省列車がそんなに空いているわけがない!と心で文句をいいながらも、
目頭を熱くして最後まで見てしまいました(^_^;)

2006年11月27日149号 クラプトン~そして神戸

また、ヒロコのおごりでライブに行きました。
実は先月もヒロコに誘われたのですが私は遠慮?しました。
私の好みのジャンルで無いのと、いつもの事ですが、立ったままでの今風ライブだからです。
知らないアーティストの知らない曲に、ピョンピョンしながら2時間近く立ったまま見るのは
ちょっとツライいや、モッタイナイので、YUKIと二人で行ってもらいました。
YUKIは楽しかったとイチオウは言ってましたが、疲れた様子でした(^_^;)

でも今回は違います、なんてたってエリック・クラプトンです!武道館です!
武道館がライブに良いとは思いませんが、座って見れそうです。
クラプトンだったら立ったままでピョンピョンしてもいいのですが…
クラプトンだから、やっぱり武道館になってしまうのでしょう(^_^;)
席は2階の後から2番目、すなわち最も奥から2番目で9,450円、さすがクラプトンです!
武道館には大型スクリーンもなく、顔の表情は見えそうもありません。

でも、ライブが始まった瞬間、
マギレもないクラプトンのギターの音色に鳥肌がたち
つづいて彼のしゃがれ声が流れた時には目頭が熱くなってきます。
こうなってくると顔などよく見えなくても、クラプトンと一体化して
アツという真に2時間のライブは終わってしまいました。

ライブが終わって3人で外食をして我が家に着いたは午後11時過ぎ。
実は翌朝10時に神戸で生命保険のアポイントがあります。
なんやかやと準備をしているうちに時間が経過して
午前2時過ぎに我が家を出てクルマで神戸に向かいました。

関西方面のドライブは馴れたもので、まず浜名湖サービスエリアまで約250㌔を
ノンストップで2時間で到着して、そこで休憩、
途中仮眠をしても8時間あれば十分のパターンです。

ところが私が100㌔をちょとオーバーしただけでもYUKIはスピードを出すなと
やたらウルサイのです。
どうも今年2月のスピード違反以来とても神経質になってしまったようです。
深夜の東名でも工事や渋滞でゆっくり走るところもあるので、走れるところでは
ある程度のスピードで走らなければ、とうてい食事休憩や仮眠をしながら
8時間で570㌔のドライブは厳しいのです。

また大きい声では言えませんが(^_^;)
ある程度のスピードで大型トラックなどを次々抜きながら車線を変えてドライブするから
眠くもならないのです。
100㌔の制限時速で車線も変えず、追い越しもせずに、ジッと運転してると睡魔が襲ってきます。
普段なら浜名湖についてる2時間を過ぎた日本平で、どうしても睡魔に勝てず仮眠をし
気がつけば5時30分、神戸までは休まずに行くしかありません。

神戸のお客様は実は2回目のご契約で気心もしれていて楽しく簡単に終了。
この地域はなぜかお客様や知り合いが多くて、
カレンダーを持ってのご挨拶まわりを数件、夕方にホテルにチエック・インして
ちょっと横になっていたら2時間ほど眠ってしまいました。

このホテルは今や神戸の定宿になった六甲アイランドにあるホテル・プラザ・神戸です。
なかなかの高級ホテルですが一泊二人で税込8600円。
パソコンを手放せない私には光ファイバーでのインターネット接続無料は魅力です。
また自動製氷機から自由に氷が持って来れるのも、ホテルの部屋でお酒を楽しむのがモットーの
私には欠かせない条件です。
ホテルのラウンジで神戸の夜景を見ながらの
食事も生ビール付きで1800円とお手頃で、なかなか良いものです(^_^;)

翌朝はゆっくりビュフェ・バイキングでたらふく食べて
12時にチエック・アウト
摂津市の法人のご契約者を訪問し、京都の大原三千院から滋賀県に抜けて
坂本(大津市)を経由して、いつものように深夜に無事、我が家に帰還しました。

2006年11月20日148号 イジメ報道

今回のイジメ報道の発端がどんな事件だったかよく判りませんが
どのチャンネルも同じイジメ事件を大きく取り上げているのを見て、私はヒロコに言いました。
「こんな報道をしていたら、きっと連鎖が始まっていく…」と。
そして、私の予想は的中したようです。

私は預言者ではありません、過去に何度もこのような現象を見てきただけです。
マスコミはこの手のテーマが大好きなようです。
もっと報道すべきニュースがいくらでもあるのに、特集まで組まれます。
番組が取材がしやすく低予算で視聴率が稼げるのかもしれません。

イジメによる自殺者の写真や学校までが映し出され、友達や先生の悲痛な
インタビューまで報道されます。
今イジメられているこども達はこのような番組を見て、
「私が自殺をしたら大きく報道され、イジメたり、それを見過してきた者たちに復讐が出来る」
と思ってもしまうかもしれないのです。

「学校は何をしていた!」「校長は!教師は!何をしていた!」と責められ
それに、頭を下げる映像が映し出され、自殺する校長まで出てきます。
マスコミは「誰が悪い」と犯人探しをする始末ですが
これも”イジメ”のように私には見えてしまいます。

イジメは絶対にあってはならない、許されない事かもしれませんが…
この世からイジメを無くすことが出来るでしょうか?
それより『古今東西、イジメはあって当然』と考えて、
その時の対処法を考えた方が合理的ではないでしょうか?

イジメがは”閉鎖された所”…例えば軍隊とか刑務所とかで起きやすいと言われています。
それが中学校で起きているという事は、学校も軍隊や刑務所のように閉鎖された場所
という事になるわけですが、実際にそうだとは私には思えません。
休もうと思ったら休めるでしょうし、転校だって自由だし、中学生ならどんなに長くても
3年辛抱すれば卒業してしまいます。
自殺を考えるまで悩んでいる事を親に真剣に伝えたら、展開だって変わるはずです。

そんな事もせず、イジメに耐え切らず自殺してしまうのは
ひとことで言ってしまえば【想像力の欠如】ではないでしょうか?
「自殺したら自分をイジメた者の復讐になるだろう」というのも想像力かもしれませんが
そのような小さく狭い想像力でなく、もっともっと大きな想像力です。

大きな想像力と夢や希望があれば、イジメにあったとしても乗り越えていけるはずです。

【想像力の欠如】はこども達だけの問題でないようです。
イジメ報道そのものに【想像力の欠如】を私は感じてしまいます。

損保の保険金未払問題は身近な事件ですが…
私がこの週間KENでも何度か書いてきましたが、保険会社に私が「なぜ?」「どうして?」と
聞き続けても、いつも返ってくる言葉は「そうなっています」「そういう決まりです」という
回答ばかりで、何の想像力も働かせない結果だと私は思っています。

こども達もおとな達も、あまりにも狭い世界にとらわれいる人が多いようです。
もっと大きな想像力を持って、たくましく生き抜こうではありませんか(^_^;)

私なんか昔からイジメられっ子で…
保険のネット上では、よってたかって袋だ叩きにあっても…
YUKIに毎日?イジメられても…
ハッピーに暮らしているのですから。(^_^)