2007年01月22日157号 一日店員のボランティア

先週は”ケーキ屋KENちゃん”として不二家の危機管理について書きましたが… 不二家はもう”ダメ”かもしれませんね(^_^;) まー”ペコちゃんブランド”は根強い人気がありますから どこかに吸収合併されるという形になるのではないでしょうか?

なぜ”ダメ”かと言うと…品質管理がひどすぎるのは論外としても すべてにおいて時代遅れだという事です。 ケーキ屋の世界も大きく変わって来たということです。

【シャトレーゼ】という大手のケーキ屋がありますが、 ここの工場の立ち上げに協力した私の友人のパティシエが、徹底した品質・衛星管理と ケーキ職人を必要としない生産性にあきれてしまい、 自分はパティシエとして職人として生きる事を決意したと語っていました。 因みに私がケーキ屋KENちゃんの頃は”パティシエ”など言う言葉もありませんでした。 二極化の中で古い体質の不二家の存在そのものが厳しいのです。

さてさて…前置きが長くなりましたが、 そんな二極化の中で生き残るため 東大和市(東京都)の洋菓子店・茶屋エポックの 地元に根ざした経営戦略を私が協力していることは週間KENでも紹介してきました。

その茶屋エポックがイトーヨーカ堂東大和店の【東大和・美味しさ新発見】という催事に出店中で 20日(土曜日)には私も1日店員としてボランティア活動?をしてまいりました。

私の友人のエノちゃんが経営するお菓子の文化村・茶屋エポックの看板商品は 東大和市を縦断する芋窪街道から私が名づけたスーイートポテト【銘菓・芋窪街道】 それを地元農家とのサツマイモを使っての【COLLABORATION】の写真や商品の写真も 私が企画撮影してきたものです。

今回はそれがイトーヨーカ堂の目に留まり5日間の催事出店となったようですが 茶屋エポックはエノちゃん夫婦でやっている小さなケーキ屋ですから掛け持ちは大変です。 サツマイモをCOLLABORATIONで作っている野村農園の野村さんが同じ売り場で”焼き芋”も売る という事で、どうにか乗りきろうというようですが野村さんも大変なようです(^_^;) そこで私が…昔の名前(ケーキ屋KENちゃん)で出ることになったというしだいです。

売り場に立つ以上は頑張ってたくさん売ってやろう!と意気ごんだ私ですが… エノちゃんは私に言いました「あんまり売らないでね、製造が間に合わないから」 野村さんも私に言いました「焼き芋も、もうこれで売り切れだから大丈夫」と。

まるで商売気がありません(^_^;)…というか、ほんとうに間に合わないようです。 【銘菓・芋窪街道】は売ってしまったら、エノちゃんが作らなければならないのです。 だったら、ある程度作っておけばと思うのですが品質にこだわる職人エノちゃんは、それがイヤなようです。 野村さんが焼き芋として売っているサツマイモは自慢の品種で味に自身があるものの数に限りがあり 催事の日数分で割り振っているようなのです。

エノちゃんは数時間、自分の店に戻って100個の焼きたての【芋窪街道】を持ってきました。 一個126円ですから12,600円分です(^_^;)…ほんとうにご苦労さんという気持ちです。 催事は試食をどんどん出して人を集めて勢いが出ればアツと売れるのですが アツという間の売れてしまえばこまっちゃうので試食用に焼いた芋窪街道も、 どんな味か興味のあるお客様用に大切にとっておきました。

そばを通るお客様の声には耳を澄ますと「芋窪街道…」という言葉がよく聞こえてきます。 やはり地元の名前に反応して、興味は示してもらえるようです。 ここで買った焼き芋がとても美味しくてまた買いにきたのに「売り切れとはナニゴトか!」と 怒ったお客様もいましたが、いろいろ会話をする中でとても納得して頂きました。 エノちゃんも、いろいろなお客様と会話を楽しんでいました。 隣のコーヒー豆売り場からのコーヒーの差し入れも、とてもウレシくなりました。

夜遅くこんなメールはエノちゃんから届きました。   今日はどうもありがとうございました(*⌒―⌒*) また遊びに来てください♪ *榎本 寿明*

パソコンもメールも苦手なエノちゃん自身が私にメールするわけがありません。 エノちゃんの長女・春奈ちゃんに書かせて事は歴然としていますが、 エノちゃん宛てに私も返事をしておきました。    榎本 寿明?? […]

2005年12月27日101号 声が出ない!

風邪をこじらせたようで、まともな声がでません。 一週間もすれば治ると思ったのですが、一週間たった今も 声はガラガラ、咳はゴホンゴホン、鼻はテッシュの使いすぎで真っ赤かです(^_^;) 私の悲惨な一週間です。

●19日(月曜日) 昨晩から少しカスレ声になって 「森進一です! ♪おふくろさんよ~おふくろさん」なんてふざけていたのですが 朝からほとんど声が出ないのにはあせってしまいました。 月曜の午前中はアチコチ電話をしたり、かかってくる事も多いのですが 気持ちはしゃべっていても文字通りハナシになりません。 午後は法人のお得意様に伺ったのですが、ハフハフ言う私に「こりゃひどいわ」と一同に笑われてしまい、 いつものおしゃべりもままならず、そうそうに退散です。

●20日(火曜日) 午前4時30分に起床して、クルマでは羽田空港に向かいます。 ネット保険相談の熊本市のTさん宅に伺うのが主目的ですが、それは翌日。 どうせ行くなら有意義に…と言うYUKIのポリシーで、朝一番の飛行機でまず福岡に行って、 翌日は熊本から最終便で帰ろうというエゲツナイいや合理的ないつもの旅です。 こんな状態で出発ですから、私の喉がよくなるわけがありません。 でもYUKIは喜んでいるのです「静かな旅が出来る」と…(^_^;)

福岡空港からレンタカーをかりて八女の上陽町に向かいました。 大学時代の友人木下さん(旧姓寺田さん)が経営する らんぷ亭というレストランでお昼を食べようという計画です。 ご主人を6年前に亡くされご子息の生命保険の件で2年ほど前に東京で逢った時に 近くに行くような事があったら必ず寄ってみるよと約束していたからです。 でも今日行くという連絡はしていません。 午前11時、まだお客様がいない店内に入ると「いらっしゃいませ!」と木下さんが声をかけます。 私は黙って(声も出ないので)木下さんと視線をあわせます。 「角倉クン」…木下さんはビックリしながら「なんでココまで…」とよろこんでくれました。 それから話が弾んでと言いたいところですが(^_^;)

夜はホテルにクルマを置いて、やっぱり大学時代の友人で福岡の香椎で 凡蔵という居酒屋をやっている福山クンのところに。 ここは前もって言っていたので、スタンバイをして歓迎してもらいました。 商社マンの時に上司に脱サラして居酒屋をやりたいと言ったら 「お前はボンクラか!」と言われそれを店名にして二十余年が経過。 すっかり居酒屋の大将が身につき、お店も自然とレトロな渋みがでて、 なんだか【三丁目の夕日】のような懐かしく、しみじみした気分になって、 声が出ない私は静かにグラスを傾けて…と言いたいのですが YUKIに言わせると、まーあの声でよくしゃべったと言われるほどしゃべりまくったようです。

●21日(水曜日) 熊本市のTさん宅に3時に伺うのが今回のメイン・イベントです。 この日は熊本の天気予報は午後から雪 ホテルを早めに出てレンタカーで一路八代市に向かい、用件を済ませてTさん宅に。 今回は静かにして、YUKIに説明はまかせいよう思っていたのですが 気が付けばガラガラ声でいつものようにしゃべりまくっていて、われながら呆れてしまいます。 外に出ると寒くて今にも雪が振りそうな雲行きで、早めにレンタカーを返して、 空港に到着した時は雪が降り出してきました。 登場カウンターでは最終便は欠航の可能性もある事を知らされた時は愕然としましたが 最終便もどうにか離陸!マイナス1度の熊本から夜中だというのに10度もある羽田に到着 夜風が気持ちのいいこと…でもこれぢゃ風邪はなおりそうもありません(^_^;)

●22日(木曜日) あいかわらず、まともな声が出ません。 でも朝から横浜方面の仕事と、ついでにカレンダーも配りを数件やって、一旦うちに帰ってクルマを置いて、 夜19時からの【メール・マガジンのコンサルタント平野友朗さんのセミナー】に行かなければなりません。 なぜクルマを置いてかと言うと、そのあと【飲み会】があるからです。 なんでメルマガのセミナーに行くかと言うと…ココで始めて皆様に発表しますが、いよいよ私も […]

2004年9月27日036号 銘菓 芋窪街道

昔ケーキ屋KENちゃんだった私は、今でもたくさんのケーキ屋さんを知っています。 東大和市(東京都)にある【茶屋エポック】もその一つです。 そのお店の代表的商品【銘菓・芋窪街道】は、実は私が企画・命名した商品なのです。

98年に店主の榎本氏がそれまで経営していた所沢(埼玉)のお店から現在の 住居を併用した店舗を新築し、その時の出店プロジェクトを担当したのが私だったのです。 な~んて書くとチョット大げさですが、私の趣味(YUKIに言わせると)とお客様(保険の)サービス を兼ねてボランティアでお手伝いをしたのです。

本来なら、出店前に戦略をたてて、その戦略にあった立地条件を探すのですが… 予算の問題や、併用住宅で二人のお嬢さんの学校問題や奥様の意向や、いろいろあり 場所と予算が決まったら、そこからクチを出すことにしました。

決定した建設予定地に、私は一人クルマで見に行きました。 開通したばかりの多摩モノレールの始発駅【上北台駅】から徒歩5分で少し住宅街に 入った並木道にあります。 駅前といっても、出来たばかりのモノレールと空き地と広い空しか目に入りません。 それに、もう一つ私の目に焼きついたものがありました。 それはモノレールの線路が走る広い通りに付けられた道路標示の【芋窪街道】です。 その瞬間、アイデアが閃いた私は直ぐに、榎本氏に電話を入れました。

「スイートポテトを主力商品にしよう! 商品名は『銘菓・芋窪街道』出来れば地元のさつま芋が使えるか調べて欲しい、 それにもう一つマドレーヌを形やパッケージを工夫して『モノレーヌ』って云うのもどう思う?」 私は興奮気味に熱く話すのですが、榎本氏の反応は冷淡なものです… 「あのねー、あのへんじゃ芋窪って地名みんな嫌がっていてるみたいで、それを商品名にはねー。 モノレーヌって駄洒落ですよね、ちょっと今、忙しくて手が話せないもんで。」 電話はそっけなく切られてしまいました。 しかし、私の頭には『銘菓・芋窪街道』と『モノレーヌ』のイメージがどんどん湧いてきて そのパッケージやロゴはもとより、新店舗のコンセプト、ブタのロゴマーク、開店チラシ、商品のしおりまで、 寝食を忘れ…いや食事は忘れないで仕事を忘れ…YUKIの冷たい視線を浴び… イッキに書き上げてしまったのです。

開店してから6年… 今では榎本氏は地元ではちょっとした有名人。 商店会から役所まで幅広く顔を出して町おこしに積極的です。 榎本氏も私のダジャレ・センス?を引き継ぎ、地元の狭山茶を使ったパイ菓子を開発 その商品名を上北台駅から『神来たパイ』としたのですが、イマイチ伸び悩んでいます(笑) それでも『銘菓・芋窪街道』はタウン誌はもとよりマスコミの取材も多く、定番商品として定着 したようです。

【茶屋エポック】のホームページを作ってあげる事になっているのですが… やり始めると何でもとことんハマってしまう私にYUKIの目がまた光っています。 今は形が見えない保険という商品を売っている私にとって、洋菓子は形そのものであり 顧客の反応も素早い商品で実に楽しく、私のストレス解消にもなるのです。 しかしYUKIは私にストレスなんてあるわけはないと断言するのです。