特別増刊号 香港・マカオ・珠海の旅6日間 11月22日(木)第03日目 マカオ→珠海→マカオ→香港

11月22日第3日目  マカオ→珠海→マカオ→香港

朝6時のモーニング・コールです。 前の晩はパソコンと向いあってベッドに入ったのが午前3時30分 またもや、ほとんど寝ていません(^_^;)

今日はマカオから中国本土の珠海に渡って、それからマカオを観光し 香港に戻るというスケジュールのです。

すなわちこの日は【マカオ】→【珠海】→【マカオ】→【香港】というコースを とるわけですが、昔はともかく今はすべて中国なのだから 行き来は楽になったのだろうというと思っていました。

ところがびっくり!この日、パスポートに押されたスタンプです! まだ次ページにも2箇所押されています。 それにここを通過する度に出入国カードも書かなければなりませんし それに、なにしろ人が多くて時間がかかるのです(^_^;)

夏に憧れのスペインに行った時はミラノ経由の便で行ったため イタリアの入国スタンプが押されただけでスペインは同じEU圏内であるため、 何も押されておらず、少々がっかりしたのですが、 今回はそのまったく全く逆というわけです。

この日は「イミグレーション・ツアー」と覚悟を決めれば それはそれで中国を感じる貴重な一日となります(^_^;)

さて…ホテルのビュッフェで朝食を済ませ、マイクロバスで 少し行ったところに中国との国境があります。 陸地を使って渡る事も出来るのですが、船を使うコースが空いて いているとの事で、行きは船コースで国境?を越え中国本土へ。

孫文が生まれた珠海市の中山にある孫文記念館は見ごたえがありました。 ①②③④⑤⑥ ⑦ マカオに戻り、ポルトガル料理の昼食! ①③④ そしてマカオ観光! ①②③④⑤⑥⑦ 我々より2年先輩のイシイ、ヤマシタ、キムラ3先輩。 余談ですが…YUKIとMrs.オグラとMrs.キムラは偶然にもS24年の4月&5月生まれでした。

香港に戻ってホテルで一息つく暇もなく 今回のツアーで食通のオグラがもっとも豪華な食事と自慢するレストランへ。 ここで、やはり香港在住で活躍する同期のノムラも参加! 美味しい食事と、美味しい老酒、それに久々のノムラをかこんで 多いに盛り上がりました。①②③④⑤⑥ この日の料理の数々です。①②③④⑤⑥ マンゴ・プリンはこのお店が発祥だそうです。

その後、ヒロコは、まえもってインターネットで調べておいた 香港のサルサ・クラブへどうしても行きたいという事で そこまでの行き方をオグラに聞いていたのですが、 結局、オグラ夫妻とタクシーで一緒になって連れていってもらったそうです(^_^;)

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2007年10月08日194号 今年もロス・バンバン

今年もキューバのサルサ・バンドのロス・バンバンを見に行くことが出来ました。

実は今年は同じ時期の8月、同じ会場の木場のライブ・ハウスで ベネゼイラのオスカー・デ・レオンのライブがあり、それを3人で見に行きました。 これはこれで大満足でしたので、今年はロス・バン・バンは来日しないものと諦めていました。 ところが月末の何かとバタバタとしている時にヒロコが興奮して 「ロス・バンバンのライブが2日にあるけど、もちろん行くでしょ!」というのです。 もちろん行きたい気持ちはあるのですが突然言われても、私もいちおうは仕事をしていますので(^_^;) スケジュールというものもあります。 ヒロコは我が家で最もスケジュール帳がビッシリ詰まっている人なのです。 でもサルサ命(さるさいのち)の人ですからサルサとなれば、すべてが超越されるのです。 私もサルサもロス・バン・バンも好きですがヒロコほどではありません。 で…私とYUKIが口をモゴモゴさせていたのですが翌日にはヒロコは嬉しそうに3枚のチケットを 買っていました。

2日当日、ライブの前に訪問しなければならないところもあり朝からバタバタしていると、 そういう時に限って、もっとバタバタに拍車がかかる事態が発生し、飛び出すように 私とYUKIはクルマで我が家を出る事になりました。

考えてみたら、渋谷でのライブと聞いていましたが、どこの会場かは知りません。 だいたい、このようなライブの会場は私のようなオジサンには馴染みの無いところが多いのです。 チケットを見るとやっぱり馴染みの無さそうな【SHIBUYA O-EAST】と書かれています(^_^;) こうなれば渋谷育ちの私ですがカーナビに頼るしかありません。

カーナビは私が予想したとおり道玄坂から懐かしい百軒店に入って行きます。 狭い坂道を左にまがってすぐ道なりに右にまがると、 私が幼少の頃から大学時代までよく通った映画街がありました、 左側にテアトル・ハイツ、右側にテアトル渋谷、そして突き当たりにテアトルSSで、 どれもこれも皆、思い出深い映画館であり映画街でしたが その姿は見事なぐらいキレイに消えて殺風景な小さなビルが並んでいるだけです。

この突き当たりのテアトルSSを左右に入ると幼い私でも”ちょっと違う”と思うような所でした。 いわゆる花街というところで、お茶屋さんと温泉旅館、今でいうラブ・ホテルが立ちならんいたのです。 そこに目的地の【SHIBUYA O-EAST】があったのです。 ラブ・ホテルはたくさんあるものの何とも不思議な新しい空間が出来上がったいるのです。

会場は木場のSTUDIO COASTよりこじんまりしている代わりに座るところがありません(^_^;) 前日の睡眠不足と朝からのバタバタで、しかもバタバタと知らぬ会場にたどり着いた疲れもあって これからずーと立って見るのは辛いもので「まいったなー」という気持ちでした。

やがてヒロコも仕事からかけつけ、いつものワン・ドリンク500円のチケットでビールを一杯だけ飲んで、 演奏が始まったらもうノリノリで元気一杯、とてもとてもエンジョイしました! やっぱりラテンは血が騒がずにはいれないのです(^_^;)

ロス・バン・バンのライブも無事終了! すぐ近くのパーキング代は30分500円で4000円も取られて YUKIは少々ご機嫌ナナメでしたが、ライブ代は今年もヒロコのおごりで エキサイトなキューバン・ナイトを過ごすことが出来ました。

☆ロス・バンバンのお楽しみ下さい! ☆オスカー・デ・レオンをお楽しみ下さい!

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特別増刊号 スペインの旅 6月29日 第5日目 【『セビリア』にもう一泊】

フラメンコから帰った私は 撮った写真をパソコンに取り込むという作業を ベッドの上でしながら、そのまま寝てしまいました。

夜中の3時過ぎに目を覚ました時は部屋はまっくらで YUKIもヒロコもスヤスヤとベッドの中で眠っています。 私は、帰った時のままのカッコウでベッドの上で パソコンを開けたままで、死んだように横たわって 身体は冷房で冷えきっていました。

午前2時(日本時間で午前9時)に電話をしようと思っていたのも 出来ませんでした。

この日はセビリアでもう一泊することにしました。 やらなければ、ならない事が溜まってきたのと、 ここらで少し体力を整えることも必要だからです。 こう言った事が出来るのは、きままな旅のメリットです。(^_^;)

YUKIとヒロコは近くのショッピング・センターに買い物に行きました。 パンをはじめ食料 をいろいろと買ってきてホテルの部屋で朝食です。 我が家の旅ではよくあるパターンで、私はけっこう気に入っています。

テレビではクレヨンしんちゃんが声やトーンはソックリなのに スペイン語を話しているのは笑えます。 忍者はっとり君も同じです。

午後3時、部屋の掃除もあるという事でセビリアの街に…。 ①②③④⑤

セビリアのアルカサル(宮殿)は見ごたえがありました。 ①②③④⑤⑥

何しろ日差しは強く、とても暑いので(湿度がないので日陰は涼しい) 喉が渇わくので、何と言ってもビールは泣けるほど美味しいです。 サングリアも旨い! ついでにパエージャも食べちゃいました(^_^;)

ヒロコが見たいところをただついていくという事にしたのすが この炎天下の中、歩かされること、歩かされること… どこに行くかも判らないまま、ついていくのも疲れるものです。

また、狭い通路を抜けると、ものすごい広さとスケールの スペイン広場が現れたのには、ドギモを抜かれました。

3時に出て、約5時間、炎天下のセビリアを歩き回って 帰りにスーパーで水を購入、重い思いでホテルに着いて その一本(1.5リッター)をイッキに飲んで、また全員寝てしまいました。

はたと、目を覚ましたのが午前0時を回っていたのですが、 食事に行こうと、またぐるぐる探しまわるのも疲れそうなので 【バーガー・キング】に… スペインまできてファスト・フードもなんだかと思いましたが あたりはずれはないので、こんな時は便利です。

そしてまた、ここで終らないのが、我が家の旅です。、

川辺でフェスティバルが開かれて、深夜までやっているようなのです。 ヒロコの大好物のキューバのお酒(ラム酒)のハバナ・クラブが あるのです、そしてサルサも! ヒロコもゴキゲンでした(^_^)

そして、夜のセビリアは午前1時を回っても、一向にに眠る気配はなく、 休養のために取った、この日も、午後3時以降は何時もより ハードな1日になってしまいました。

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2007年04月23日170号 サルサ・ナイト

我が家がサルサ・ファミリーである事は知る人は知っています。 もちろん、知らない人は知らないので、その方が誤解がなくてよいと思います。

YUKIは基本的にサルサは習っていませんがサルサ関係のイベントには家族で参加します。 私は習っていますが、かなりイイカゲンです。 私の先生はクリスチーナというラテン的?ドイツ人でもうけっこう古い付き合いになります。 最近は年2回、クリスチーナが日本にいる時にレッスンするだけで何年たっても上達しません。 そうそう、今月初めにはクリスチーナの絵の個展が銀座であってYUKIと出かけました。 まークリスチーナはサルサの先生というか友達のような存在です。

ヒロコはクリスチーナのサルサでは満足できず 数年前からサルサの本場、キューバ人のジョエルから本格的なサルサを習っています。 そうそうジョエルは昨年暮れ恒例クラシック・コンサートでヒロコの撮影助手を勤めくれた とてもキノイイ男です。

とてもキノイイ男ですが、サルサのレッスンとなると厳しいようです。 そのジョエル教室のパフォーマンスが今日(22日)日暮里のサルサ・クラブ・サルーでおこなわれました。

前日の土曜日、最終レッスンが夜遅くまでやられたようですが、 私が今まで見たことがないほどヒロコが落ち込んで帰宅してきました。 ジョエルにかなり厳しい事を言われたようなので しゃべる言葉も微かに震え今にも泣きそうなフゼイです。 何があったかは判りませんが… 怖いもの知らずで、ハナッパシラが強いヒロコにはとても良いクスリです(^_^;) どこで立ち直るかミモノと楽しみにしていたのですが…

朝はいつもの日曜日よりも早く、それもとても元気に明るく起きてきたのです。 多分、あまり眠れかったのだろうとけど、気持ちをレバー・チェンジして… 早くも立ち直ってしまって、私の楽しみは早くも打ち切られました(^_^;)

ヒロコから数時間遅れてYUKIと会場に向いました。 会場に行ってビックリしたのですが、知った顔がたくさんいるのです。 ヒロコのパフォーマンスではありません。 ヒロコがサルサを習っているジョエル教室のパフォーマンスで、その中の一人に過ぎないのです。

でも次から次に、やってくるのはヒロコの知人で、その挨拶に忙しいようです。 中には、ヒロコが小学校の低学年の時の同級生で同じマンションに住んでいた ヨウコちゃんが、とても大きくなって(あたりまえですが)やってきました。 学生時代に一人でキューバに長期間行ったこともあるそうで 今はIBMでバリバリのキャリア・ウーマンをやっているようです。

ヒロコの職場からはCBS放送の日本からのレポーターも勤める ルーシーがお嬢さんをつれて、やってきてくれました。 大学時代のサルサ・クラブの仲間もやって来ました。 ユウイチは今をときめく六本木ヒルズの最上階ゴールドマン・サックスで働いているそうです。 横浜市役所に就職したリサは、アフリカン・ダンスに傾倒し、 休みをとってはアフリカに行っているようです(^_^;)

まだまだココでは紹介しきれないほどのヒロコの知人がやってきて、 ヒロコのパフォーマンスでもないので、こちらが恥ずかしくなるような気分です。 でも、よ~く考えてみれば、ヒロコのパフォーマンスでもないのに両親がそろって出席して お客様に挨拶して回っている方がヘンかも知れません(^_^;)

なにはともあれ、美味しいキューバのお酒と  楽しい雰囲気の中… パフォーマンスが始まり、 ジョエルとヒロコのダンスも中々のノリで会場も大いに盛り上がり まずは大成功という感じで無事終了しました。

まー専門的に見れば”課題”も残ったようですが… あのノリのヨサ!調子のヨサ!はダレから引き継いだのか?と、 ふと考えてしまいました(^_^;)

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2007年01月01日154号 大晦日に明日は無い!

あけましておめでとうございます!

新年があけてホヤホヤのアップをしたところで… これでやっと、やっと…毎年のことですが、なんとか正月を迎えることが出来した。

”正月”はすごいものです! 日本人がここまで一丸となる事は他にあるでしょうか? ”クリスマス”や”七夕”は気がつかないで生活する人もいるでしょうが… ”正月”に気づかない人は、ほとんどいないのではないでしょうか。 正月嫌いで”大掃除”も”年賀状”も”おせち料理”も縁のない宇宙人のYUKIでさえ 「正月が嫌い!」というくらい正月を意識しているのです。(^_^;)

『明日出来るコトは、明日しよう』というのが私のモットーなのですが 大晦日には明日は無いのです!あるのは”新年のみ”なのです!

毎年のことですが、カレンダー配りが、私の年末行事のかなりの部分を占めているのです。 今回は例年の反省もこめて、千葉・埼玉方面は郵送にすることにしたのですが… そうなると余裕が出て『明日出来るコトは、明日しよう』と先延ばしをして けっきょく年末ギリギリのパニック状態は例年通りになってしまいました。

28日は朝の7時までカレンダーを配り、バタバタしているうちにお昼になり この日は恒例のハート・コンサートの日、ボランティアとして2時30分までにニュー・オータニに 行くことになっており、けっきょく一睡もせずに会場へ。 この日のビデオ撮影をまかされたヒロコとその助手?ジョエルもやってきて、なんやかやと慌しく時間がすぎ 6時からのコンサートも大成功(^_^) そうそうジョエルはヒロコのサルサのキューバ人先生ですが NHKでの放送製作もするセミプロで”助手”とは気の毒なのですが(^_^;)

また、この日はアカラックスの忘年会とブツかって、とうぜん一次会の居酒屋には行けません アカラックスのオフィスでの二次会飲には家族で顔を出すと約束しています。

ニューオータニのコンサートはいつものようにクルマで出かけるたお酒は飲めません。 しかし今年は免許を取ったヒロコがいます。 ”ヒロコはお酒を飲まないで帰りのクルマを運転する”という交渉が成立… 神田のアカラックス・オフィスを経由して帰宅するというコースで、 私はコンサート会場でもアカラックスでも遠慮なくお酒を飲むことが出来るというわけです。

コンサートは盛り上がりアンコールや、恒例第九の大合唱で、時間がオーバー。 アカラックスの連中だって6時から飲んでいるのですから何時までも待ってもらえません。 撮影用機材の片付けはヒロコとジョエルにまかせて一足先にアカラックスに行く事にしました。 こんな時はタクシーで行くべきだと思うのですがYUKIはもったいないからとJRの四谷駅まで 寒空の中コート無しで急ぎました。

アカラックスでは、もう全員デキアガッていましたが… 私を温かく待っていてくれました、やっぱりこの仲間の顔を見なければ1年も終わりません(^_^)

ヒロコとジョエルはコンサート・スタッフの若林夫妻やノブさんたちと、 これも恒例のコーヒーとケーキのティーラウンジ歓談のあと、機材を会社に返して 神田に向ったのが11時過ぎ… さすがのアカラックス・オフィスも解散となり、神田駅周辺でヒロコのクルマがやってきた時は ヒロコも馴れない運転で師走の都心を行ったり来たりしてメロメロ、

でももっと気の毒んなのがジョエル…ボランティアの撮影助手でこき使われ、 助手席に誰かいないと、まだ運転に不安があるというヒロコに最後までつき合わされ、 ヒロコの荒っぽい運転にもドギモを抜かれたようで(^_^;)、 家まで送るというヒロコの誘いも必死で断わり、神田駅へフラフラと消えて行きました。

ヒロコの運転で我が家についたのは1時過ぎ… 週3日のブログ用に貯めた原稿もソコををついていて、けっきょく寝たのが明け方。 29日は午前中に幸手(埼玉県)の法人に集金にいくことになっていて、往復200㌔のドライブ? そして夜から朝にかけてのカレンダー配りと…寝るヒマがありません。

大晦日は朝10時に溜池(赤坂)の床屋に予約してあります。 予約というより、床屋のマスターが勝手に「スミさん、大晦日は10時だよ!」と決めているのです。 そうでもしないと、忙しくて来ないかもしれないと思われているようですが、 それがまた、私の忙しさに拍車をかけているのです。(^_^;)

我が家の年賀状作りも大イベントなのです。 これも、大晦日になるまで1通も出来ていません、この作業もあります。

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2006年08月07日133号  今年も”キューバの夜”

昨年、キューバのサルサ・バンド【ロス・バンバン】のライブに感動した事を書きました。 早いものであれから1年、また同じ会場でのライブに家族3人で… 今年はヒロコがクルマを運転して晴海のライブ・ハウスへと向かいました。 ドイツでの運転いらいのヒロコにとっては長距離(毎朝駅までの往路は運転)ドライブですが そこそこ安定してきたようです。

キューバ・ファンで…サルサ・ファンで…ラム酒ファンで…ロス・バンバン・ファンで ついでに、サカモッチ・ファンで…おじゃる丸ファン…のヒロコからの両親への”ご招待”です(^_^) ヒロコはこの日を来るのを、指折り数えていました。 ところが、その数日前からキューバのカストロ議長の様態を危惧するニュースが流れていたので 「カストロが死んじゃったら公演は中止になるかもネ」…なんて、私が言ったものだから ヒロコは気が気でなかったようです。

ロス・バンバンのライブは午後7時からという事ですが… 会場には6時頃に入りました、昨年はライブ・ハウス初体験で戸惑いがありましたが 今回はもう馴れたもので、ドゥリンク・チケットをビールに代えて、 まだ空いているフロアで軽く踊ったり、前座バンドの演奏やサルサのパフォーマンスを楽しみました。

私は今から数える事、約40年前、拓殖大学、ラテン・アメリカ研究会に4年間席をおき ラテン文化やラテン音楽には造詣が深い(つもり)のです。 その研究会でもロス・バカブンドスというバンドを持っていましたが… その頃のレベルから見たら、もう雲泥の差です。 (その頃でもロス・バカブンドスは他のバンドと雲泥の差がつけられていましたが^_^;)

前座バンドのレベルもまちまちです。 日本人にしておくのがモッタイナイ?と思うほどの力量のあるアーティストもいれば なんでお前が!…と舞台からひきづり下ろしたくなるよいうなアーティストまでさまざまです。 そんなアーティストに限って盛り上がらない会場を、ムリヤリ盛り上げようとするので…悲しくなります。

その、ヒドイ前座が終わって… ロス・バンバンのライブですから、もう大変な盛り上がりで、一機にヒートアップです! (これは巧妙に仕組まれた”演出”だったのかもしれませんネ^_^;) 抜群の歌唱力とパワフルな演奏に、昨年は衝撃を受けてただただ圧倒されましたが 今回のライブもそれを裏切られる事はありませんでした。 そして今回、私がとても感動して見守っていたのが、舞台後方での高齢?の演奏者たちです。 舞台で目立つ事は無いものの、そのリズム感…曲にあわせ軽くステップする姿が カッコいいというか!セクシーというか!…けっして日本人には真似の出来ない味があるのです。

そして、私は一つ課題を自分に与えました。 私のサルサ・レッスンといえばクリスチーナですが(^_^;) 彼女のレッスンは、それはそれで楽しいのですが、ハード過ぎて最近では、ご無沙汰状態です。 でも、軽いステップでもサルサはかっこよく踊れるのです。 YUKIはサルサを習っていませんが、YUKIと二人でさりげなく軽くサルサが踊れたら、 このようなライブに来ても、より楽しいしカッコウいい!何て想像しちゃったのです。 多分、想像どうりにはならないでしょいうが YUKIも賛成してくれたので、来年!?に向けてチャレンジしようと思っています。

帰りのクルマの中で、ヒロコが 「カストロが死んじゃったらロス・バンバン…どうなるのかな?来年は来れないかもね」 と、心配そうに言いました。 YUKIは、それに大きくうなずき 「そうね、カストロがいなくなったらキューバのアメリカ化が進んで、ロス・バンバンのような 根っからのキューバ音楽は一機に衰退するかもね」と言いました。

私はそれに対しては反対の考えです。 やがてキューバも今のような共産主義体制は崩壊し、 アメリカがなんやかやと介入してくる事は間違いないでしょう。 そして、今のような、どこまでもノドカなキューバの風景は変わってくるかもしれません。 でも、昨年も書きましたがロス・バンバンが超過密スケジュールで世界中の公演を マシーンのようにこなしている事をしって、とても気の毒に思ってしまいました。 多分、彼らのギャラは僅かなものでキューバの外貨獲得に貢献しているのでしょう。

このような事は、体制の変化できっと変わってくるでしょう。 それによって、アーティスト達は自由に活動を初め今のようなバンド編成が […]

2006年04月24日118号  クリスティーナ

ひさしぶりにサルサを踊りました。 もっと正確に言うと、ひさしぶりにクリスティーナのサルサ・レッスンに行きました。

【サルサ】と【クリスティーナ】の事は2年ほど前の週間KENで書きました。 クリスティーナにサルサの世界に拉致された私ですが、実はこの1年ほどのがれていたのです(^_^;) 決してサルサがイヤだとか、クリスティーナがイヤだとか、そう言うものではないのです。 サルサ音楽を聞くと血が騒ぐし、クリスティーナと話をしたり食事をするのは実に楽しいのです。

問題はサルサ・レッスンにあるのです。 最初から最後まで、音楽をかけっ放しで…「ハイ!モットワラッテ!モットココロカラ! ソノ”腰”ハチョットヘン!モットコウ!ハイ!UNO!DOS!TRES!…」 こんな調子で一時間半ぶっ続けでやるのです。

それでも西新宿住友ビルでのレッスンの時は生徒も多く、 疲れたら途中で休んだり、後方で適当に手を抜いたり出来たのです。 ある事情で教室が高円寺(杉並区)に移って生徒が激変してしまいました。 ヒロコと私は気の毒に思って、それからもマジメに通ったのですが… 生徒はヒロコと私だけと言う時もシバシバでした。 こうなると、途中で休んだり手を抜いたり出来ません。 クリスチーナはとてもパワフルなオーラを発散する人で、 ついついそのパワーにノセられてガンバってしまうのです。 クリスティーナからエネルギーを貰うつもりが、よく考えたら 彼女にエネルギーを吸い取られているのかもしれません。

クリスティーナがしばらく日本を離れたのと、ヒロコが就職して忙しくなった事もあり ここ1年ほどご無沙汰する事が出来たのです。(^_^;)

それがどうして、またクリスティーナのサルサ教室に行く事になったか、というと… ドイツの国営放送が日本にまでやって来て、クリスチーナのドキュメントを撮っていて サルサ教室の撮影があるので盛り上げて欲しいというのです。 ようするにエキストラみたいなものです(^_^;)

教室は懐かしい住友ビルです。 エキストラなんか必要がないくらいたくさんの生徒さんがいます。 圧倒的多数の女性の中に初老の紳士がひとり心細そうにたたずんでいました。 彼は私を見つけて仲間がいると思ったのか、ホッとしたように話しかけてきました。 「今日はじめて来たのですが女性ばかりですね、それに、あの外人の先生にはビックリしました、 いきなり抱きつかれてまして…そういうのって馴れてませんから」 私は「ソレはすぐ馴れます」と言うしかありません。

レッスンが始まりました。 相変らず、パワーいっぱい、オーラいっぱいのクリスティーナです! テレビ・カメラが入っているので、それが彼女をさらにパワーアップさせます! 私は一曲目からこりゃたまらん…と思いつつ、ステップを踏みます。 1年以上のブランクがあるので(ブランクがなくても)かなりイイカゲンなステップですが ”表情”だけは映画シャル・ウィ・ダンスの竹中直人ばりにクリスティーナに熱い?視線を送ります。 サルサはヨレヨレ、体力もヨレヨレ、それでも恥ずかしげも無く踊る私を見て、 初心者の生徒達も安心したのか、けっこう盛り上がって… 予想通りのノン・ストップ一時間半の”死”のレッスンは終わりました。

最後にクリスティーナがスピーチをはじまりました。 感情の起伏の激しいクリスティーナはいっぱい涙を浮かべています… スピーチが終わった時に、クリスチーナのハグに馴れれているヒロコがまず彼女に抱きつくました… 続いて、クリスチーナのハグに馴れている私も、その上から抱きつきました。 そして、いつもサルサ・レッスンを見ているだけのYUKIも走ってきて、三人でクリスチーナに抱きつきました! その時!テレビ・カメラは目の前まで迫っていました。

このシーンはテレビ番組で感動的?!シーンとしてドイツ全土に流されることでしょう(^_^;) まーエキストラとしての大役?は果たせたようですが、言葉も出ないほど疲れました。 この日、初めて参加した老紳士はレッスンが終わったと同時に私に尋ねました。 「もう帰っていいのでしょうか?とても疲れました」 これが老紳士にとって最初で最後のレッスンになるのでしょう、多分。

土曜日には六本木のドイツ・レストランでクリスチーナの絵の展示会が開かれまれした。 これがドイツのテレビ・クルーの最後の仕事になるようです。 […]

2005年08月15日082号 キューバ音楽

ほんとうに何年ぶりかのライブ・コンサートに行ってきました。 キューバのロス・バンバンというサルサバンドです。 ヒロコのサルサのパフォーマンスでもロス・バンバンの曲は数多く取り入れていて 私もYUKIも曲だけは、とても馴染んでいたのです。

会場は新木場に最近出来た(カーナビに入っていない)STUDIO COASTという なかなか洒落た劇場というかライブハウスです。 お客様も、いかにもサルサ風?という女性多数に、サルサ風男性?もチラホラ 気分は盛り上がります。(^_^) 入り口でチケットを渡すと、別に500円徴収され大きなバーカウンターで好みのカクテル類などを 作ってもらい会場に入るとビックリです! そこはコンサートホールというよりディスコといった感じの大きなフロアーで、 前座バンドにあわせて、多くの人がサルサを踊っているのです。

ヒロコも友人と先に来ていてもう踊っているのでしょうが、 広くてぎっしりつまった会場では、どこのいるかも判りません。 少しぐらい踊るならともかく、最初から最後まで、こんなところでYUKIと二人で 立ちっぱなしでは身体が持ちそうにもありません。 ステージの反対側を見ると、その高いところに椅子席のスペースが 少々あるのを発見!、そこに一目散です、ナサケナイ(^_^;)

ロス・バンバンはやっぱり凄いです! まず音が違います、ひとつひとつの楽器がパワフルでクリアーでリズミカルで… 前座の国内サルサバンドも上手になったものだと感心していたのですが 音が出た瞬間にレベルの違いが炸裂!します。

次にボーカルが違います、5人のボーカリスト(歌わない時は楽器演奏)の 歌唱力はもちろん声にそれぞれ個性があり、なんでこんなに凄いのが こんなにいるの?という感じです。 高い位置からステージをみていると、バンドの一人一人の動きや 個性がよく見えて、とても面白ものです。 私はメンバーの名前は誰ひとり知りませんし、私の知ってる曲は数曲しか 演奏されませんでしたが、とても感動的なライブを見る事が出来ました。

エネルギッシュなステージに会場は盛り上がりに盛り上がって最後は アンコールの大合唱になりましたが、演奏は定刻でピタリと終了しました。 少々がっかりしましたが、我が家に帰って彼らのスケジュールをネットで見て納得です。 今、彼らは3ヶ月の海外ツアー中で2日前にはジュネーブ(スイス)でコンサートを したとばかりだというのです。

共産主義のキューバから外貨獲得の使命?でやってきて、このハードスケジュールを ノルマのようにこなす彼らにアンコールを求めるのは気の毒なような気がします。

キューバの老ミュージシャンをドキュメントした名画ブエナ ・ビスタ・ソシアル・クラブの イブライムがこの数日前に78歳で急死したニュースはショックでした。 ヨーロッパツアーから帰った3日に様態がわるくなり入院して6日に亡くなったというのです。 ヒロコが大好きだったピアノのルーベンも、キューバ旅行に行ってツーショットが撮れたと 大喜びした大御所コンパイ・セグンドも…そしてイブライ ムも今はいません。 世界的に脚光を浴びることが彼等にとって、ほんとうに幸せだったのか考えてしまいます。

でも、キューバの音楽が素晴らしい事は、間違いありません。 ヒロコも久々に我が家に帰り、興奮はさめやらず午前3時頃までライブの話で盛り上がりました。

2004年11月29日045号 ヒロコの英語劇

先週は私がケボ劇団のスター?であったことを書きました。 そして実は!大学時代にはスペイン語の語劇で主役もやっていたのです。 オジャンタイという芝居でオジャンタイの役を演じたのですが 私が主役をやるようじゃ、もう”おじゃんたい”と言われました。

それから40年近くが経過して、蛙の子は蛙です… ヒロコの英語劇を二夜連続で赤坂区民ホールにYUKIと見に行きました。 ビデオ撮りの使命をヒロコから授かっていて、二夜連続といっても同じ芝居だったのですが 演劇を見る目は、そこらへんの親とはチョットは違う、いや違うつもりであります。

ヒロコもまもなくテンプル大学を卒業するようですが、実にエネルギッシュに大学生活を エンジョイしてきたようです。 サルサ倶楽部を立ち上げ、自ら振り付けをしての公演は何度も見てきましたが その情熱は大変なもので、親バカかもしれませんが中々なものだと思っています。 授業はもちろんバイトもやりながらで、それだけでも充分だと思うのですが、 コーラス倶楽部にも参加しているかとおもったら、文化祭では教師のボサノバの ギター演奏に合わせて、それらしい雰囲気で唄っているのには呆れました。 そして演劇です、実は昨年、初めて出演して味をしめたようです。 『乞食と役者は一度やったらやめられない』と言われますが、それは私も実感です。 それにしても、今年は3つの芝居に出演し、そのうち2つが二人芝居ですから セリフの量だけでも大変なものです。

サルサ公演の時のヒロコの集客力には驚かされるのですが、 英語劇を字幕ナシで見るのには、かなりの英語力が必要でサルサのようにはいかず、 会場は閑散としたものでしたが…親とはエライものです! 私とYUKIはイベント皆勤賞?でテンプル大学でもかなりの”顔”なのです。

英語劇は、みんなが笑ったら私もつられて笑うという情けない観劇ですが それでもヒロコの演技には気になるところが山ほど見えてしまいます。 けっしてヘタな芝居ではないのです。 それどころか本人は得意満面でノリノリでパワフルで ”サルサ”を踊っているように楽しく演じているのです。 でも、私にはそれがどうにも鼻についてしかたがありませんでした。

初日の公演を終え、満足感にしたっているヒロコに、その事を告げると かなりのショックで疲れがドッとでて落ちこんで寝てしまいました。 そして2日目の演技はかなり良くなっていました。

ヒロコが保育園時代の学芸会… とてもシャイで大人しかったヒロコの声はまったく聞こえませんでした。 会場の友達から「ヒロコちゃん聞こえないヨ!」というヤジが飛んだビデオが残っています。 それが、何でこうなちゃたのかね…とYUKIと笑ってしまいました。

2004年5月3日015号 サルサ

この頃はヒロコは大学も決らずストレスも溜まっていたようです。 そして…何を思い立ったのか「サルサを習う!」と急に言い出したのです。

『サルサ』が最近流行りのラテンのダンスぐらいの認識は私にもありましたが、 私は「なんでサルサなの?」 とヒロコに聞きました。 「ストレス発散で楽しく踊れれば何でもいいんだけど、ラテンは血が騒ぐから…」 という事で新宿住友ビルの朝日カルチャーセンタ-の『サルサ教室』が レッスン料も安く、先生も外人だから決めたと言うのです。

「ラテンは血が騒ぐ!」…この言葉を娘のヒロコから聞いた時は、私の血も騒ぎました。 何を隠そう…私は!………… 拓殖大学ラテン・アメリカ研究会に4年間在籍していたのです!! そんな事を言っても…ヒロコも・ユキも・(誰も)「なんのこっちゃ?」とバカにするのです。 「じゃーそこで何をしたの?」と聞かれてしまうと「何をしたんだろう?」と素直に思ってしまうのは 少々情けないのですが…なにしろ楽しい青春時代を過ごしたのです。 そして、そのラテン・アメリカ的人生観が幸いしたのか?災いしたのか? 今でも貧しいながら楽しい人生を送っているのです。

サルサ教室に通いだしたヒロコは、我が家でもサルサの曲で練習をします。 それを聞いて私の血が騒ぎ、私はヒロコから少しだけサルサを教わる事になったのです。 ところが…厳しいのです!怖いのです!これが親に対する態度なの?と思うぐらいスパルタなのです! 血が騒ぐのと、リズム感とはどうも比例しないようなのです。 その練習風景をユキは涙を流して笑い転げながら見るのを日課にしているのです。

ある日、ヒロコは私を『サルサ教室』に連れていくと言い出したのです。 私は「お金が無い!」と言えばヒロコは「私のバイト代から払う!」と言い… 「着ていくモノが無い!」と言えば、ユニクロに連れていかれ… 「踊るとハラが出ててズボンが落ちる!」と言えば、サスペンダーを買わされ… ついに『サルサ教室』に行くハメになってしまったのです。

サルサの先生はクリスティーナという ドイツ人でフランス語とスペイン語とフラメンコとサルサを教えてながら絵画の個展を開く ニューヨークの名門ジュリーアード音楽院出身の美女で才女でパワフルでハッピーな… 納豆と焼き魚が大好きなヘンな外人です。 そのクリスティーナに私はナゼか気に入られてしまい…サルサの世界に拉致されるのです。