2012年4月16日 第430号 墨田で花見を2回も(^_^;)

 

隅田川といえば桜!そして来月には東京スカイ・ツリーもオープン! そんな春欄万の墨田で2回のお花見に参加してきました。

まずは4月8日(日)、JR錦糸町駅のすぐ近くにある錦糸公園での 【すみだストリートジャズフェスティバル】のお花見に!…この集団写真は私が撮影したものです(^_^;) 私やユキがココに所属しているわけではありませんが、 ココの仲間からFacebookで声を掛けられので楽しそうなで参加する事にしたのです。 天気は快晴!桜は満開!絶好の花見びよりで午後1時頃に着いた時には 「花見はコレじゃなければ!」という盛り上がりでとてもとても楽しませて頂きました!

   この日の写真集です

そして4月12日(木)、”本所ひとノま”の木曜イベント”もももく”の今回のテーマ 『鮎川の地酒を楽しむ会』をせっかくの花見シーズンという事でを隅田川に面した 言問橋の側の墨田公園で行なう事になりました。 いつもは7時からのイベントですが準備もあるので早やめに行くとモモさんが2匹の愛犬と 公園の花見としたら超ゴージャスな雰囲気の中で一人座っていました。 私たちも何かお手伝いをと思っていたのですがモモさんがココで留守番をして欲しいとの事で カイトとサーブの愛犬とユキと私で優雅に留守番をする事になりました。  

そのうち2人の呑んベイの女性のお友だちがやって来てました。 ひとりは九州に転勤になったばかりで東京出張中との事で顔を隠して”乾杯”しグイグイ呑んで みんなが揃う前に羽田空港へと行ってしまいました(^_^;)

次にやってきたのが先月『友野さんの誕生会』でお友だちになった富田さんです。 その富田さんがユキの亡くなった父親にそっくだと我が家で盛り上がっていました。 ちょうど私のiPadにヒロコが誕生した時に”おじいちゃん”との写真があったので 富田さんに見せると、たいへん感激して頂き、ユキの大学の後輩ですが 我々は「おとうさん」と呼ばせて頂く事にしました(^_^;)  

美味しいお酒と料理でゴージャスな花見を大いに満喫する事が出来ました。

   

この二つのお花見でFacebookのお友だちが新たに50人ほど増えました。 こんな所で初対面の人と名刺を交わしても、誰が誰だか判らなくなって 判ったとしても、よっぽどの事でもないと続かないものです。 墨田でお会いする人たちは誰もが”個”として生き生きとしています! そして、どんどん”顔”が見えていって興味が尽きませんに!

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ヒロコ!オメデタ!

ヒロコのお腹は妊娠で出ているのではありません(^_^;)

 

 

ホームページを今回からリニューアルしました! 2003年の秋にホームページを開設させて 翌2004年の1月からこの週刊KENをスタートしたわけですが、早いような気もしますが インターネットの進歩も目覚ましいものがあります。 2006年の9月からブログをスタートし… 昨年からはFacebookも初めて、 スマートフォンを購入したらツイッターも始めようかな、なんて思っています(^_^;)

どれもこれもと笑われるかも知れませが、このセカイは新しいものほど ハードルが低く…ほとんどお金がかからず…面白くて…パワフルと魅力的なのです。 だからと言ってホームページや週刊KENを閉鎖するつもりはありません。 私の、そしてロコハウスの情報発信のターミナル機能として充実させて行きたいと思っています。

と、ま~難しい事を書いてしまいましたが、今回のリニューアルで 週刊KENをアップするのが簡単になって、しかもお金も掛らかからなくなるという事です(^_^;) ここまで来るのに私は何もしておらず、 アカラックスの坂本さんとアメリカにいるヒロコがやってくれたのです。

そんなヒロコから27日の朝にスカイプが入りました。 私はホームページの件かとすっかり思っていたのですが隣にランスが真面目な顔をして座っています。 ちょうど1年前のスカイプによるランスとヒロコのアノ日のように(^_^;) そこでヒロコが懐妊した事を、この日のビッグニュースとして私たちに最初に伝えてくれたのです。 私の大きな声で、まだ寝室でベッドにいたユキも飛び起きて祝福しました。 予定日は11月の半ば頃という事ですが今年もエキサイティングな年になりそうです。

ユキは早速に宮崎の母に電話をしました。 昨年のアメリカでのウェデングパーティーにも参加して、19日に90歳の誕生日を迎えた ヒロコの祖母は大変な喜びようで、ますます元気になったようすです(^_^;)

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自動下書き

「…だったら小豆島に寄って行きません?」 とユキが言いました。 年明けにまた宮崎に行くことになっていて今回は持っていくものも多いので いつものクルマでの公私混同の気ままな旅を企画中?だったのです(^_^;)

これまで数え切れ無いほど関西・中国・四国・九州とクルマで往復しましたが フェリーでないと行くことが出来ない島にクルマで行ったことはありません。

「神戸から朝5:50発のフェリーがクルマと大人2人で6000円で行けるみたい、 少しは仮眠も出来るし、その日は朝から自由に動けて国民宿舎に早めにチェックインすれば…」 …といろいろインターネットで安い旅を探す名人?のユキが言いました。

“小豆島”は前回の週刊KEN【てヲとる新年会】でお会いしてFacebookのお友達にもなって頂いた 柳生陽子さんがギャラリーをやれているところで、 ユキと小豆島のことや陽子さんのFacebookから 小豆島出身のご主人の画家・柳生忠平(やぎゅうちゅうべい)さんを見つけたりして話題にしていたのです。

ぞれと昨年7月に若林さん主催でFacebook勉強会をやった時の会場が 小豆島手延麺『臼家』高田馬場店で、そこの社長・中澤さんも参加されていて その時から小豆島がなんとなく気になっていたのです(^_^;)

というわけで、いつものように、 何の準備もなくクルマのトランクに色々と詰め込んで13日の夜8時頃に我が家を出発。 午前2時頃神戸港に到着、クルマの中でも少し仮眠してフェリーに乗り込んで朝の8時40分に小豆島に下船。 ① ② ③ ④ ⑤ ⑥

まだ時間が早いのでまずは小豆島にそびえる寒霞渓に行く事にしました。 とは言っても、これもいつものように何の予備知識もなくいくわけですが その景色の素晴らしさには度肝を抜かされました(^_^;) ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦

途中で最初に寄ったお寺も凄かったですし、① ② ③ 寒霞渓の帰りに寄った“お猿の国”も楽しくて思わず時間を過ごしてしまいました。 ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ 朝食も食べていないのにすでに正午過ぎ、ユキと一緒だといつ食事にありつけるか判りません。(^_^;) 小豆島の名物というより、香川県の名物の讃岐うどんのセルフの店があったので そこに飛び込んで昼食!値段も安く、とても美味しく頂きました。

そこからグーグルマップで調べてみたら柳生さんのギャラリーは一キロほど、 ただし道が入り組んでいてクルマで行くにはとても大変なようで、 近くのドラッグストアの駐車場にクルマをおいて徒歩で行く事に。

もともと、この小豆島土庄町は“その昔”… 海賊から町を守ために迷路のように入りくんだ構造にしてあるようです。

ギャラリーの名称である【MeiPAM】のMeiは迷路から、 ① ② ちなみにPAMはPerformance & Art & Marche だそうで、興味深いコンセプトです。

陽子さんが自ら作ったという小豆島名産のオリーブの葉のお茶を頂き、 先日初めて会ったばかりの私たちの突然の訪問を歓迎して頂きました。① ② ③ ④

ギャラリーの近くのギネスに掲載されている世界一狭い海峡など ① ② ③ 近くを探索したあと ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨ 陽子さんお薦めの“農村歌舞伎の舞台”を見に行くことに… 歌舞伎は年に1度、二つの舞台で一回つづつしか公演されないようですが とてもとても感動してしまいました。 時代劇のロケーションにそのまま全部使えるぐらい、いやそれ以上に! 昔の舞台の建物や、屋外の客席がそのまま保存され、 なによりそれが今でも村民が継承しているのです。 歌舞伎の衣装小屋もそのまま残っていて300年前の衣装が 今でも使われているというのです。

越土山の舞台 ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨ ⑩ 棚田でも有名な中山の舞台 ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨ ⑩ ⑪

小豆島は醤油でも有名、老舗のマルキン醤油の記念館にも寄ってみました。 醤油ソフトクリームも感動するぐらい美味しくて、お勧めの絶品でした(^_^;) ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨ ⑩

国民宿舎・小豆島に5時前にチェックイン、 […]

2012年1月2日 第415号 年末恒例イベント2011

あけましておめでとうございます!

先週は…もう去年のはなしですが(^_^;) とても慌ただしく(毎年の事ですが)ハードスケジュールをなんとかこなし無事?新年を迎える事が出来ました。

その一週間をすべての日が、週刊KENの題材になるのですが それを全て載せると、また徹夜でもしなければなりませんし第一ご覧くださる方にご迷惑です(^_^;) という事で、今年も毎年恒例になった今年の年末3大イベントだけご紹介します。

●12月26日(月)中尾家(妹宅)でのクリスマス会 これまでは母が主役だったクリスマス会、 母亡き後ももちろん母の意志を全員が引き継いで粛々と楽しくとり行われました(^_^;) 今回は義弟のススム君が長年勤め妹と社内結婚をした商社を62歳で退社して夢みた定年生活、 “男の料理教室”にかよって腕を磨いて中尾家の玄関には『ビストロ・スー』の看板?が(^_^;) 出席者は9月のナッシュビル(米国)でのヒロコの結婚披露宴に参加してくれたロス在住の甥のシュン君。 福島医大を卒業して医師になったばかりで今は日立市で結婚以来はじめて専業主婦の姪のマキちゃんが カケル君とワタル君の二人の子供をつれて。 ロイターのカメラマンの長女ユリちゃんは仕事か遊びか確認出来ませんでしたが北海道に、 でも、我々が大豆作りをやっているという事で、こんな手作りの“枝豆君?”を クリスマス・プレゼントとして用意されていました。 ヒロコとランスもアラバマからスカイプでご挨拶! マキちゃんの亭主、コウジ君は今は日立総合病院の勤務医で今回は出席できず、 その変り、病院の忘年会用にコウジ君が企画・監督・編集・主演?したというビデオを見て 抱腹絶倒でした(^_^;) そうそうシュン君の結婚披露宴が7月にハワイで予定していて参加頂けるかの打診。 もちろんOK、ヒロコとランスは国内なのでもちろんOKのようで、今から楽しみです。 ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨ ⑩ ⑪  集合写真

●12月28日(水)アカラックス送別会or忘年会 じつは21日、いつものようにセブンイレブンでおでんとビールを買ってアカラックスに訪問しようとしたら ビル管理人が「アカラックスさんは4階に移られました」というのです。 行ってみると思ったとおり、これまでの半分以下の広さ。 なぜ“思った通り”かといえば、これまでの大きな事務所で、忙しい様子は微塵もなく(^_^;) 私の事をいつも大変かまって頂けるので心配していたのです。 だから、これで一安心というところですが、 なんと!新越さん、下川さん、沖田さんの3人は12月で全員解雇、坂本さんひとりになるというのです。 極端から極端でもう少し方法があるようにも思うのですが、私がクチをはさめるような事ではありません(^_^;) でもアカラックスが破綻したわけでもなく坂本さんは、いつものように淡々と仕事をするでしょうし 人との結びつきを大切にする坂本さんですから、忙しくなればまた協力を依頼する事でしょう。 私は超楽天的な人間で、これからの時代は雇用に縛られず、人との結びつきを大切にして 自由に好きな事をやっても生きていける時代だと思っているのです。 そして今年はその大きな節目になる年のように私は密かに思っているのです。 …とまあ難しいハナシはここまでとして アカラックスに集まるいつもの仲間でささやかな緊急忘年会兼送別会を行いました。 ① ② ③ ④ ⑤  集合写真

●12月29日(木)第18回ボランティア・クラシック・ハートコンサート2011 今年はなぜかこ役員会の日に限ってスケジュールがダブってしまったのですが 若い佐藤君や天野君がパワフルに活躍してくれました。 ヒロコが担当していたビデオ撮影も諸般の事情により今年は取りやめ(^_^;) その代わりコンサートの模様を録音して、写真で会場の模様をつなげたビデオを作ろうという事になりました。 もちろん写真撮影は私と、それに若林さんと木代君も加わってくれました。 そして今年のハートコンサートは私がこれまで持っていた違和感の壁を打ち破ってくれて 新しい可能性を示してくれたイベントになりました。 私が持っていた違和感とはライオンズクラブやソロプチニストの慈善事業という側面が大きい事でした。 そのような経緯で発足したようですが、もう時代が大きく変わりました。 今回はそのような匂いを払拭して個人個人が心から楽しんで頂け 若いスタッフが加わった事で会場も若返り アーティストと一体になった楽しいコンサートになりました。 役員は参加者を多く集める事も重要な任務なのだそうですが、私はそれにはほとんど貢献せずに […]

2011年12月26日 第414号  カレンダー配りバタバタ

気がつけば、この号が今年最後の週刊KENになってしまうようです。 実はこの記事は26日(月)の朝に書いているのですが、今週はスケジュールが目白押しで しかも今年中にやらなければならない事がヤマほどあります。 したがって次回の新年号?には書ききれないほどの記事や、載せきれないほどの写真があると思うのですが 今回は写真もなく、書くとしたらしカレンダーを配っていた事ぐらいしかありません(^_^;)

毎年の事なのですが…今年は最後にバタバタしないようにと色々と作戦を考えていたのですが 今年が最もバタバタとしてしまったようで、まだバタバタとしています。(^_^;)

カレンダーは毎年、10月の終わりに届くのですが、 今年は手違いで一次締め切り日を過ぎた翌日に注文を入れてため11月に入って届いたのがバタバタの始まりです。 何箱かのダンボールからカレンダーを取り出し、ひとつづつにロコハウスの小さなシールを張って 積んで置くだけでも結構な作業ですがそのタイミングがズレてしばらくダンボールのまま放置されました。

やっと準備をして、さー!と思ったところで愛用のパソコンが壊れてしまいました。 パソコンには、カレンダーに入れる挨拶状や、配布のためのデータが入っているのです。 これは409号でも書いたように坂本さんをはじめいろいろな方の協力でなんとか復旧いたしました。

私が今年のカレンダー配りで考えていたのは、グーグルマップを有効に使っての作戦です。 酷使?のため2台目のカーナビも何度か壊れ、そのたびに修理を出して1万円取られるのもシャクになって ここ半年ばかりは助手席にいるユキがアイフォンを使って誘導する”ユキナビ”が定着していたのです(^_^;) 私のiPadもワイファイにつなげれば大きな画面でグールマップで補完出来るので万全です。 ただ長時間、使用するとバッテリー切れをするものばかりですから クルマから充電出来るインバーターも購入しました。

これまで使っていたカーナビで不便に感じていたのは 目的地一点を目指すならとても便利が良いのですが、ある地域を近くから効率よく回ろうとした時に 全体を俯瞰して見ることが上手くいかない事です。 そもそもカーナビに前もって住所を入れておける件数も限定され、住所を打ち込む作業もけっこの時間がとられるのです。

そこで私が以前から思っていたのは グールマップになら全国どこでも無数に目的地にピンをさしておく事が出来るはずだ、という事です。 これがあればiPadからでも、自分がいる現在地とピンが刺さったところが俯瞰出来て近いところから 回っていく事が出来るわけです。

しかし、このグーグルマップにピンをさして保存しておくという単純な行為と思える事を どのようにすれば良いのか、検索をしても、人に聞いても明確な答えを得られません。 そこで坂本さんに相談したら、さすが坂本さん「こうすれば出来るようだ」と教えて頂いたのです。

さっそくやってみるとグーグルマップに面白ほどピンが刺さっていきます。 これまで別々のルートで行っていた川口と草加のお客様が1キロも離れていない事がわかったり 調子に乗って、住所禄から首都圏はもとより全国どんどん徹夜して打ち込んでいきました。

ところが…データを入れすぎて重くなったのか?まったく地図は開かなくなっていたのです(^_^;) 容量の大きな新しいパソコンでこれですから、iPadで確認すとまったく反応しません。 試しに新しいグーグルマップに、数件のピンをさしてiPadで確認してもケッコウ重いのです。 自宅には比較的強力な無線ランが飛んでいるので、 ためしにクルマからワイファイを使って開けようとしたら思ったとおり、 大変な時間がかかってしかも画面を動かすことも容易ではありません。 ようするに使い物にならないのです(^_^;)

でも、ここまでやって悔しいので、 首都圏を幾つかの地域にわけて少し軽くして、 それを印刷してピンの刺さったところに名前をいれた地図を作って、 それを見ながら一件づつ回って効率アップを図ろうという作戦です。

てなわけで、ユキの”ユキナビ”と私のiPad頼りのカレンダー配りとなったわけですが 急に両方ともインターネットが繋がらなくなって、どこにいるのかも判らなくなったり、 あげくの果てにクルマからの電源を持ってくるインバーターがオーバーヒートで壊れてしまったり… 二人は疲れはてケンカをしながらのバタバタの一週間でありました(^_^;)

2011年12月05日 第411号 全君のパパの葬儀

4年半ほど前に全君のママが亡くなって、 全君のパパも先日亡くなってしまいました、私より4歳若い61歳でした。

ヒロコと保育園で6年間一緒だった小林全君家族とのお付き合いは、まもなく30年になるのですが… 弟の永君と二人きりになってしまいました。

全君の家には毎年大晦日の夜に我が家の3人が揃ってお邪魔をするという習わしがありました。 我が家では決して作って貰えないお美味しい手作りのお節料理を大晦日にご馳走になるという習わしです。(^_^;) このお節料理を作るのは全君のパパだったため全君のママが亡くなってからも 私たち3人家族は毎年揃って、全君のパパが作るお節料理を食べに小林家にお邪魔しました。

全君のママはとても社交的で太陽のように明るい人で保育園の頃から親しくしていましたが、 全君のパパと親しくなったのは全君のママが亡くなってからです。

東京都の教員をしていた全君のパパは昔から透析治療をしていて 「ボクは身障者だからクルマはどこでも駐車出来る!」というのを自慢していました(^_^;) 今年の7月彼から来た最後のハガキになった暑中見舞いです。 私が震災いらいブログに書いている事で、真っ向から意見を異にする内容です(^_^;) 全君のパパは学生時代から左翼活動を続け、後年右翼的思想になった人で 専門は数学ですが日本古代史がライフワークで論文も書いていて時間があれば全国を飛び回っていたのです。

「ボクと議論をして負けた事が無い!」という全君のパパでしたが 私とは考え方が対立してもお互い楽しくお話が出来るので 今年の大晦日も夏に届けられた“暑中見舞い”のハガキをネタにどのような議論が出来るか 楽しみにしていたところだったのです。 でも、これまで暑中見舞なんて書かなかった彼がなんでこんな事を書いて…

なんで蓮の花のさし絵を選んだのか…などなど ハガキを見詰めながらそんな事をボーと考えていたら寂しさが込み上げてきました。

11月27日の朝、全君からとても明るい声で電話があり、その声につられてこちらも余計な事をしゃべろうとしたら 「父が亡くなりました!」の一声に、私は絶句してしまいました。 その日の夜に小林家に行くと、奥様の写真の横に安置されていました。 散らかっていた部屋は保育園時代からの友だちのマコちゃん夫婦や大ちゃんたちが急遽片づけたようです。①

私は全君に開口一番「お父さんも日出子さん(亡き奥様)のところに行けて良かったじゃない!」 と励まし意味も込めて言ったのですが、全君はすかさず「母は迷惑がっているでしょうけどね」と答えたので 「そりゃーそうだ!」と私が言って、みなで大笑いをしてしまいました。

1歳年上のしっかり者で明るい姉さん女房を亡くした全君のパパとお話をすると 必ず一回は「日出子は…」という言葉が出てきます。 病気と闘いながらの息子2人の男所帯で何かと大変だったのかも知れません。

11月30日にお通夜が自宅で行われました。 玄関を入ると靴を脱がずにそのままリビングに行くと、すべての家具が取り払われ 祭壇と献花と焼香のスペースが作られていました。 普段着のままの彼の写真は彼の心意気を感じるいい写真です。① ② ③ ④

お通夜の後、保育園の仲間だったハルカちゃんの家でお姉さんのマコ夫婦、そのお母さん、 それに全君やマコちゃんたちと小学校が同じだった三村君親子が集まって、 お通夜で持ち帰り用に頂いたお寿司とお酒を頂きながら楽しい時間を過しました。① ② ③ ④

翌12月1日、午前10時より葬儀 昨晩とうって変って朝から雨が降っていて、とても寒い日でした(^_^;) これまで明るく陽気にふるまっていた全君ですが… 喪主としてのお礼の挨拶をする時、言葉を詰まらせてしまいました。① ② ③ それには、私も目がしらが熱くなってきました。 そして「これから父を見習い誇らしく生きていきたいと思います」という言葉に 隣にいる弟の栄君も頷いているようでした。 「兄弟仲良くやれよ!」…私は通夜の日に全君の肩を叩いてそういうと 「それはムリかもしれません、頑固なのは血ですから…」なんて事を言っていました。 性格がまったく違う全君・永君兄弟ですが 天国から両親に見守られて、お互い誇りを持ちながらきっと上手くやっていく事でしょう。

① ② ③ ④ ⑤ ⑥

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2011年11月28日 第410号 津久井在来大豆

相模原での大豆作りも今年で3年目で、その収穫祭が26日(土)に行われました。 後は来年の2月に3日間かけて味噌作りをやって本年度の大豆作りの行事は終わるわけですが、 もちろん来年度も参加するつもりです。

飯山でのコメ作りと相模原での大豆・味噌作りは、 私のライフ・スタイルの中にすっかり溶け込んできたようです。

都会育ちで農業など、まったく縁もゆかりもなかった私が、 この数年でこのような事になるとは私自身も予想もしなかった事です。 なぜ?こんな事になってしまったのか? 「ソレはアンタが歳をとってきたと言うことだヨ!」…と言われたらソレまでのようですが(^_^;) 最近は若い人たちもこのような活動をする人は少なくありません。 若い人たちも興味を持っているという事は… これまでの社会や経済や食生活の在り方に、理屈ではなく本能的に対応しているのではないでしょうか。 そう!私もそのような心地よさを感じて活動しているのです(^_^;)

飯山で獲れたお米も、相模原でとれた大豆も、理屈抜きで美味しく感じるのです。 毎年恒例の26日の収穫祭では、いつものように今年収穫した大豆を煮たのを試食してもらい 地元の【津久井在来大豆】の美味しさを知ってもらい 大豆や、それから作った納豆や豆腐を販売するというイベントです。① ②

今回は地元の小学生が試食を配っての応援もありましたが ① ② ③ ④ 試食をした人たちの多くが、水で煮ただけの茹でた大豆に「美味しい!」と目を輝かし ① ② ③ ④ これまではいつも大量に売れ残っていた大豆が完売されてしまったのです。 ① ② ③ ④ その中でも3・4歳の男の子が試食の大豆に感動してくれて 「帰りに買ってかいろう!」という両親に「今買って欲しい!」と大豆の前に居座って頑張って 完売前に買ってもらえた事には、こっちが感動してしまいました。

美味しいものは子供にだって、いやピュアな子供だからこそ判るのかも知れません。

そして多くの人たちがこの素朴で美味しい自然の味に反応して、 大豆はもとより、決して安くはない200円の納豆や、150円の豆腐を買って頂きました。 そしてキュウリに付けて試食に出していた味噌も欲しいというお客様も多くいたのですが… これは食品衛生法上の規制で販売できないようなのです(^_^;) だったら、この“大豆の会”に次年度から参加したいという人まで現れました。① ②

豆の会の販売スタッフもてんやわんやの忙しさ! 今年から参加しているAさんが突然笑っているので、どうしたのか?と思ったら 大豆を購入して頂いたお客様に「ありがとうございました!」というつもりが 「お大事に!」と言ってしまったというのです。 聞いてみるとAさんは医療機関で働いていると言う事でみんなで大笑い! ① ② ③ お客様もびっくりした事でしょう(^_^;)

今年は時代が価値観が少しづつ変わっていく予感がする1年でした。 そして来年2月の味噌作りが楽しみです。

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2011年11月21日 第409号 パソコン・クライシス

パソコンがあれば!インターネットがあれば! これからの時代はお金がなくても優雅に自分らしく生きていく事が出来る… というのが私の持論ですが、 この一週間、私のパソコンが壊れた為に色々な人たちを巻き込んでドタバタの日々を過してきました。(^_^;)

この状況はブログにも2回ほど詳しく書いていますが ① ② 私の愛用のパナソニックのレッツ・ノートを私がコードを引っかけて落してしまい 液晶パネルをダメにしてしまったのです。

我が家にはパソコンが普段は使っていないのを入れると5台あります。 それに私のiPadとユキのiPhoneがあります、ヒロコがいたら10台以上になるかも知れません。 これは新しいのを買っても古いのも処分しきれずあれば便利だろうと置いてあるからです(^_^;)

今回、壊れたのはイヤ私が壊したのは、 あれば便利が良いだろうと思って残しておいた5年以上前に購入したパソコンなので 新しいパソコンは1年以上前に購入したのですが、あまり使用せず置いてあるのです。

したがって壊れたところで大した損害はないはずなのですが、 ここ半年ばかりは軽くてコンパクトで使いなれた古いパソコンを使ってしまっていて そこに最新のデータが入っていて、バックアップも取っていなかったのです(^_^;)

時は11月も、もう半ば、今年は母が亡くなったので年賀状はださず、 その代わり写真入の喪中のハガキを作ってパソコンに入れておいたばかりです。 それに最新の住所録も壊れたパソコンの中にあります。 12月・1月の満期を迎える自動車保険のご契約者に、 保険料が安くなる契約条件が揃っている場合にご案内する、自作のご案内もそのパソコンに入ったままです。 それにお客様とのメールのやり取りが壊れたパソコンに入っていて… 新しいメールのチェックもスムーズにいかず心は焦るばかりなのです(^_^;)

こんな時に頼りになるのがアカラックスの坂本さん! http://d.hatena.ne.jp/rocohouse/20111116 幸か不幸か、お仕事の方がとてもヒマそうで(^_^;) 部長の新越さんともども、とても親身になって私のパソコン・クライシスの克服に取り掛かって頂いているのです(^_^;) そうそう、先週の週刊KENが水曜日のアップになってしまいましたが、 これは月曜日 ① ② ③ ④ 火曜日① ② ③ とアカラックスに通って、どうにかアップが出来たのです。

一日休んで木曜日にはアカラックスに生命保険や金融のシステム開発をする会社 『トータルソフト』社長の下郡さんと小泉さんが、やってきて? 私の壊れたパソコンから取り出したデータを復旧出来るよう坂本さんと懸命に夜遅くまでやって頂きました。 私としてはタダ眺めているだけで、何も出来ずに、何も分からずダダ眺めているしかありません。 この方々の人件費を考えたら修理に出した方が格安かもしれませんが、もちろんボランティア けっこう楽しそうにやっていただけたのがセメテモノ慰めでした(^_^;)

① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨ ⑩

『トータルソフト』がで生命保険の代理店向けの Facebookのファンページを作ったというので、 ロコハウスにモニターになってもらえないか?という事で、 私のセンスとはチョット違うのですが、そのへんのアドバイスも頂いて…という事で出来あいの物を載せてもらいました。 それをこの週刊KENでお見せしようと思ったらリンクが外されていました(^_^;) 私が早速にいろいろ文句を言ったからかも知れませんが、 私にも興味がある事なので、いろいろアドバイスが出来ればと思っています。

今回のパソコン・クライシスでお世話になっている坂本さん、新越さん、下郡さん、小泉さんに感謝するとともに ご迷惑をおかけしているお客様にお詫び申しあげます。

そして端末が壊れても大丈夫な“クラウド”の一日でも早い普及で、 インターネットで優雅に自分らしく生きていく事を夢みる人騒がせでドジな私です。(^_^;)

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2011年11月07日 第407号 春菜ちゃんの結婚式

春菜ちゃんは、週間KENでもおなじみの東大和市(東京都)のパティシエ・エノちゃんの長女です。 エノちゃんとは30年以上の付き合いで彼の結婚式にも行きましたので春菜ちゃんは子どもの頃から知っていますが

その春菜ちゃんの結婚式・結婚披露宴が11月5日(土)に青山フェアリーハウスという結婚式場で行われました。

渋谷・青山界隈は昔から馴染みの街で、また今はネットで知らべれば、どんなところでも簡単に行けるので 当日まで会場の場所を詳しく確認していなかったのですが、場所を確認してビックリ!

私が小学校入学から十数年住んでいた所から100メートルも離れていないところだったのです。(^_^;) ① 私が住んでいたところの住所は現在は渋谷区渋谷1丁目ですが、式場は渋谷区神宮前5丁目だったので

ここまで近いとは思ってもみなかったのです。 私が住んでいたところは式場から通りを挟んでハスムカエ!今は【ヒコ・みづのジュエリーカレッジ第四校舎】になっていました(^_^;)

先週は私が誕生した広島・上下、その旅の途中に幼稚園時代を過ごした京都・永観堂にもちょっと寄って、 今週は最も思い出深い渋谷と…私のルーツを辿る旅を楽しませて頂いています(^_^;)

またまた前置きが長くなりましたが、春菜ちゃんの結婚式です。 新婦の父の友人という事で参加していますが、私を招待してくれたのはエノちゃんでなく春菜ちゃんです。

春菜ちゃんからこんなメールを頂いたのです。

>11月5日(土)の私の結婚式で、カメラマンをしていただけませんか? >カメラマンといっても、別にプロの方もいるので、 >角倉さんなりの写真をぜひ是非お願いしたいです!!!(うまいので★)

頼まれなくても、人が集まれば昔からパチパチと写真を撮るのが趣味ですし、 まして親友エノちゃんのお嬢さんの結婚式ですから二つ返事で喜んで出席させて頂くことにしました。

新郎の達也君とは職場結婚! ふたりが勤務していたのは渋谷のセルリアンタワーにあるIT企業で新郎新婦の友人は共通でしかも若いひとばかり。 よく見れば両家の親族を除けば私だけが゛年配者゛のようなのです(^_^;) もちろん私は形式ばった、誰の結婚披露宴なのか判らないようなものより、このような式のほうが大好きなので とてもリラックスして、とても楽しく過ごさせて頂きましたが、 私のミッションである写真撮影は、私の実力を充分に発揮しないまま終わってしまいました(^_^;)

その “言い訳” は二つあります。

まず式場の正式カメラマン?がビデオをも含めて3人!、 黒い衣装で大きなカメラを持って60人ほどの会場を移動しながら、しかも被写体に接近して撮影するのですから、 私のようなものが小さなデジカメをもってウロチョロしていたら

ヘンなオジサンが酔っ払って近づいてきたとしか思って頂けてないような気がしてしまうのです(^_^;)

そして、もうひとつ! 出席者のほとんどがパチパチと写真を撮りまくるという状況です。(^_^;) この傾向はケータイの普及で以前から感じてはいましたが、今回は若者ばかりでしかもIT関連の企業での社内結婚で、 ほとんどがスマートファンや私が持っているような小さく高性能のデジカメを使いこなしているのです(^_^;) ① ② ③

てなわけで、ケータイも持った事が無いという超アナログ人間のエノちゃんの左隣で ① ② ③ ④ 私は新婦の父の姿や、右隣に座っている春菜ちゃんの妹の明菜ちゃんとカレシの敦史君のツーショットの写真を中心に? ① ② ③ ④

 

結局は1000枚近く撮影し450枚ぐらいに絞ってグーグルのPicasaにアップしておきました。 こうしておけば誰もが好きな写真を選んでダウンロードをすれば私が撮影したのと同じ画素数でコピー出来るのです。 二台のデジカメでビデオ撮影も1時間ほどしています。 写真を撮りながらの撮影ですからキッチリとは撮れていませんが臨場感には溢れています(^_^;) ① ② ③

妹の明菜ちゃんとカレシの敦史君から「私たちの時も撮影をお願いします」と嬉しいお願いがありました。 それまでに、いろいろとリベンジ対策を考えておきたいと思っています。(^_^;)

新郎・新婦とはゆっくりお話する時間もありませんでしたけど、 とても素敵なカップルで、とても素敵な披露宴で、エノちゃんも感無量のようでビデオにはしっかり納めています(^_^;) 春菜ちゃん、そしてエノちゃん、こころよりオメデトウ! ① ② そして、お疲れさま。

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2011年10月31日 第406号 上下・善昌寺

母が亡くなって2ヶ月が経過しました。 母の葬式とヒロコのアメリカでの結婚披露宴が紙一重なりその場は何とか乗り切る事が出来ましたが… 我が角倉家には゛お墓の問題゛が長男の私に大きくのし掛かっているのです。 15年前に亡くなった父の遺骨が津田山(川崎市)の霊園に預けたままになっていたからです。(^_^;)

父が亡くなった1996年は私が新聞配達をやっていた最も厳しい状況の時で、 父の戒名もとても短いもので済ましてしまいました。 私はそんな事をまったく気にする性格では無いのですが 母は親戚や世間体を、または私の立場を気にしたのか内緒で高額を払い長い戒名に変えていました(^_^;) その数年後から母の介護状況が長く続く中で゛お墓の問題゛は母が亡くなってから考えようと先延ばししてきたのです。 その母が亡くなって シッカリモノの妹の由美子から「お墓をどうするかはお兄ちゃんが決めてよ!」と決断を迫られていたのです。

そして先日の26日・27日 妹の由美子と淳子、そして私とユキとの4人は父と母の遺骨を持って、 広島県府中市上下町上下の善昌寺に行ってきました。 上下や善昌寺については7年前の週間KENでこんな事を書いています。

1月にクルマで宮崎を往復した時に、 善昌寺によって長岡住職に、はじめて我が家の事情をザックバランにお話させて頂いたのですが

母が亡くなった時には連絡もせずに簡単な家族葬で済ませてしまったので いま頃になって具体的なご相談のための電話をするのが少々気が重かったのです。 ところが、何も知らないはずの住職が電話に出られるなり「この度は、お母様がお亡くなりになられて…」 と言われるのでビックリ!しました。 よく聞いてみると住職の奥様が、この週間KENをご愛読頂いていたのです(^_^;)

もう、そうなると我が家の事情もよ~くお判り頂いているものと楽天的な私は更に楽天的な気持になってしまい、 心の迷いはイッキに晴れて善昌寺にお願いしようという気持になってしまいました。

もう一つの選択肢として迷いがあったのは… 「上下はあまりにも遠いので都心にある新しい永代供養の共同墓地がいいのではないか」という考えです。

私はクルマで宮崎も含め日本全国気軽に出かけるので上下が遠いという感覚は無いのですが、 それはあくまで私の感覚ですし、私がいつまでも今のようにクルマを乗り回せるかも判りません。

かと言って、近ければ頻繁に墓参りをするかと言えば、お恥ずかしい話ですが父の遺骨を15年間安置していた 近所の長津田霊園には気が着けば一度も参拝には行っていませんでした(^_^;) だからと言って父を蔑ろにしているわけではなく歳を重ねる事に父が身近に感じるようになっていて どうせなら、父の故郷であり角倉家ゆかりの土地であり私が誕生した上下が良いと私は思っていたのです。

だだ、まったく判らない大きな問題として残っていたのが゛お金゛がどのくらい掛かるかです(^_^;) 父の長兄が角倉家の墓地や遺産などは引き継いでいたのですが、その長兄の伯父に子どもがおらず 父の二番目の兄の長男である洋介君が墓地や遺産を引き継ぎ、善昌寺の墓地の管理や法事をやるようになりました。 洋介君がどのくらいの相続をして法事にどのくらいのお金を使っているかはまったく知りません。 ただ、角倉家の墓地の使用に関しては角倉家の問題で善昌寺には関係ないようです(^_^;) もうすっかり世代は変わって私が従兄弟の中では最も長老で洋介君は赤ん坊の時から知っていて しかも唯一の上下生まれですのですので、これくらいは言いやすい立場にいるのです(^_^;)

そんなわけでまだ父と母の゛お墓゛は建っていないのですが まずは母の戒名を善昌寺から頂いて、父と母の遺骨と位牌を善昌寺に持っていって供養をして頂き お墓が出来るまでは善昌寺に預かって頂くという事まで決めて、今回の上下行きとなったのです。

墓地そのものにお金が掛からない事が判りましたが “お墓” を建てるには多少なりともお金がかかる事は判りますが、どのくらい掛かるかは想像がつきません(^_^;) インターネットで調べると格安墓石だとか色々ありますが調べれば調べるほど判らなくなります(^_^;) こうなったら善昌寺さんから上下の石屋さんを教えて頂き、そこに直接行って直談判するのが早いと思い行ってきました。 最初に「予算は○十万しかないのだけど…」という事から切り出して正直に事情を話したところ色々と親身になってもらい 善昌寺ならすぐ側だから墓地を見させてもらいたいという事になって、 私が角倉という名前を知ってビックリさせてしまいました(^_^;) この予算だと二人の伯父の墓より小ぶりに なるという事ですが、それで充分(^_^;) 1年後の法事の時までに出来れば充分でヒマな時に作っておいて下さいという事で 上下の石屋さんとも親しくなれそうで、とても良い買い物が出来たようです。 ① ② ③ ④

さて、もうひとつ難題があります。 善昌寺へのお布施です(^_^;)まったく想像がつきませんし、いくら私でもいくら包めば良いのか直接聞く勇気もありません。 […]