2006年12月04日150号 3丁目の夕日

金曜日、テレビで『ALWAYS 3丁目の夕日』をやっと見ました。
”やっと”というのは私の代理店仲間で同世代のS氏が、この映画が封切られた時に
我々夫婦に向って「是非この映画を、ご夫婦で見られる事を薦めます!」と
強く要請?されたのですが、はたせないでいたからです。

だいたいYUKIは日本映画というものにまったく興味を示さない、というより
日本映画の存在すら知らないではないかと思うほどの”宇宙人”です。
だから、その時も「ひとりで映画館でご覧になられては」と冷たくあしらわれ、
やっと先日、私ひとりでテレビを”ご覧に”になっちゃたしだいです。

映画は昭和33年の東京を舞台に二人の少年をじくにくりひろげられる人情ドラマです。
私はこの時代…渋谷区立渋谷小学校(今は都心過ぎて廃校)の6年生で時代的にピッタリとリンクするのです。
駄菓子屋で「クダサイナ!」と店主を呼び出す掛け声や、
水につけると”スカ”しか出ない5円クジなどリアルによみがえり笑ってしまいます。
映画の冒頭にラジオから流れる『おーい中村君』も草野球仲間に中村クンがいて
みんなで節をつけて「お~い中村君♪」と読んでいましたが、コレッてイジメだったのでしょうか(^_^;)
草野球は日が暮れてボールが見えなくなるまでやっていましたから
夕焼けを見ると、その頃が思い出されます。

我が家にテレビがキタときも、電気洗濯機がキタときも、電気冷蔵庫がキタときも…
そうそう映画でもあったように、それまで暗くてジメっとしていた氷の冷蔵庫から電気冷蔵庫に
かわった時、冷蔵庫の中がまぶしいくらいの電光で総天然色のアメリカ映画のようだと
感激した事を思い出しました。

映画の中で町工場の鈴木モーターズにテレビがキタ日、その主(あるじ)は
テレビを見にきた近所の人達に向って感無量に「戦争が終わって13年…」
と言って声をつまらせるシーンがあります。

そうだったのです、戦争が終わって、たった13年目の話です。
しかし、とうぜんの事かもしれませんが私にはまったく戦争の実感はありませんでした。
父親をはじめ大人達は、集まると戦争の話をし私も聞かされたものですが
昔話を聞いているようで「大人はどうして戦争の時の話ばかりするのだろう」と
不思議に思っていたぐらいでした。
でも今の私には13年前なんてツイ最近のようなものです。
実際いま48年前の昭和33年を懐かしんでいるのですから(^_^;)

フラフープも、オート三輪のミゼットも、力道山も、都電も、出てくるものスベテが懐かしいのですが…
”ひとつ”いや”全体として”私にはしっくりこないものがあります。
それはあまりにもレトロな新横浜のラーメン博物館のような画調です(^_^;)

映画としたら、そこまでデフォルメした方が味が出せるのでしょうが
私の幼い目からは、大村昆のテレビCMで売り出されたオート三輪のミゼットも、よく乗っていた都電も…
電気冷蔵庫のようにすべてが新鮮に輝いて見えていたのです。

東京タワーがあの位置で見えるのはどこだろう?
六本木か三田か麻布十番かいろいろ考えても、どこも合致しないようです。
”六子”が東北本線で正月の帰省をするラストシーン。
車窓から東京タワーが見えるわけがない!
帰省列車がそんなに空いているわけがない!と心で文句をいいながらも、
目頭を熱くして最後まで見てしまいました(^_^;)

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