2011年12月12日 第412号  エノちゃん倶楽部

東大和市(東京都)のパティシエ、エノちゃんから 12月4日の日曜日の夜だけはどんな事があっても開けておいて欲しいと強く言われていました(^_^;)

そんな日に限って色々と用事が入るものです。(^_^;) この日の午前中には相模原での大豆の会の有志で、 先年も好評だった大根漬けをするというのでユキと参加、① ② 秋晴れの宮が瀬湖も楽しんで帰宅。① ② ユキは年末恒例のホテル・ニューオータニでのハートコンサートで出される食事の試食会に 役員である私の変わりに参加してもらう事にして、① ② 私はいつもクルマで行く東大和に電車に乗って向かいました。

会場は東大和の駅近くにある南街公民館という所で、午後6時にそこの日本間が予約されています。 ここに集まったのは東大和市市長の尾崎さん。 東大和商工会の重鎮で81歳の武藤さん。 東大和市議会議員の床鍋さん。 元東大和市議会議員の長瀬さん。 障害児施設の元理事長の小川さん。 裁判所の書記をしている芽門さん。 大手総合電機メーカーを定年になった侭田さん。 東大和で放射線量を計るボランティアをしている伊藤さん。 地元で趣味として農業をしている倉富さんと滝田さん それに自然農法を推進し東大和の農業の第一人者の内野さんも参加予定だったのですが 都合により不参加になりました。

ようするに私を除いて東大和市の錚々たるメンバーがエノちゃんの呼びかけで一同に集まったのです。 “このような集まり”をやったらどうか?…と提案したのは私だったのです。 でも…何をするのか?というと誰もよく判りません(^_^;)  当事者であるエノちゃんも、そして私も…

“このような集まり”とは… 年齢や性別に関係なく誰もが気軽に集まって食べたり飲んだりしながらコミニティーが深まるようなゆるい会の事。 このような会を定期的に行っていけば自然発生的に東大和についての知識も高まり エノちゃんのライフワークともなった東大和の町おこしに繋がっていくと私は思ったからです。

11月7日、エノちゃんのボランティア活動に理解を示している 侭田さん・床鍋さん・長瀬さんと私がエノちゃんの店で集まった時に、私がそのような話をしたら ① ② 行動力のある床鍋さんと長瀬さんが、すぐに場所と日時を決めてくれたのです。 そしてエノちゃんが声掛けして集まったのが今回のメンバーというわけです。

私が想定していた”年齢や性別に関係なく誰でも気軽に…”というイメージとは少々違うようですが、 考えてみたら、ここに集まったメンバーは 私もエノちゃんとの付き合いの中で以前から知っている人たちばかり。 市長の尾崎さんも、今年の地方選挙で市長になる前は“やすおさん”と言って私も親しくさせて頂いていたのです。

それぞれの自己紹介の時、私は 「エノちゃんとは長い付き合いになりますが、なんだか良く判らないまま今日も川崎からやってきました…」 と言ったところ誰もが笑いながら頷いているのが伝わってきました。 今回の集まりの仕掛け人でもある私ですから「なんだか判らない…」というのは適切では無いかも知れませんが 「なんだか判らないまま」参加している事はたしかなのです(^_^;)

でも「なんだか判らない…」のに、 日曜日の夜にこれだけのメンバーが集まるというのは「ソレナリにエノちゃんはスゴイな~」と思ったのです。 そして、この日も「なんだか判らない…」けど皆楽しく団らんして終わりました。(^_^;)

① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨ ⑩ ⑪ ⑫ ⑬ ⑭ ⑮

数日後、またエノちゃんから電話がありました。 商工会の重鎮、81歳の武藤さんが先日のメンバーを自宅に招待したいと言われているというのです。 一昨年金婚式のお祝いをして昨年愛妻を亡くされ一人暮らしの武藤さんですが そう言って戴けるのは、この上もない光栄のような気がして、 一週間後の11日(日)、今度はユキも一緒に行く事にしました(^_^;)

この日は、もちろん前回よりは少ないメンバーでしたが 武藤さん手作りのカニ玉や青椒肉絲料を堪能して ① ② ③ ④ ⑤ 前回よりも数倍もゴージャスな「なんだか判らない集会」を楽しく終える事が出来ました(^_^;)

① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧

この「なんだか判らない集会」をどうにか継続して、いろいろな人が参加出来るようにしていけば […]

2011年11月07日 第407号 春菜ちゃんの結婚式

春菜ちゃんは、週間KENでもおなじみの東大和市(東京都)のパティシエ・エノちゃんの長女です。 エノちゃんとは30年以上の付き合いで彼の結婚式にも行きましたので春菜ちゃんは子どもの頃から知っていますが

その春菜ちゃんの結婚式・結婚披露宴が11月5日(土)に青山フェアリーハウスという結婚式場で行われました。

渋谷・青山界隈は昔から馴染みの街で、また今はネットで知らべれば、どんなところでも簡単に行けるので 当日まで会場の場所を詳しく確認していなかったのですが、場所を確認してビックリ!

私が小学校入学から十数年住んでいた所から100メートルも離れていないところだったのです。(^_^;) ① 私が住んでいたところの住所は現在は渋谷区渋谷1丁目ですが、式場は渋谷区神宮前5丁目だったので

ここまで近いとは思ってもみなかったのです。 私が住んでいたところは式場から通りを挟んでハスムカエ!今は【ヒコ・みづのジュエリーカレッジ第四校舎】になっていました(^_^;)

先週は私が誕生した広島・上下、その旅の途中に幼稚園時代を過ごした京都・永観堂にもちょっと寄って、 今週は最も思い出深い渋谷と…私のルーツを辿る旅を楽しませて頂いています(^_^;)

またまた前置きが長くなりましたが、春菜ちゃんの結婚式です。 新婦の父の友人という事で参加していますが、私を招待してくれたのはエノちゃんでなく春菜ちゃんです。

春菜ちゃんからこんなメールを頂いたのです。

>11月5日(土)の私の結婚式で、カメラマンをしていただけませんか? >カメラマンといっても、別にプロの方もいるので、 >角倉さんなりの写真をぜひ是非お願いしたいです!!!(うまいので★)

頼まれなくても、人が集まれば昔からパチパチと写真を撮るのが趣味ですし、 まして親友エノちゃんのお嬢さんの結婚式ですから二つ返事で喜んで出席させて頂くことにしました。

新郎の達也君とは職場結婚! ふたりが勤務していたのは渋谷のセルリアンタワーにあるIT企業で新郎新婦の友人は共通でしかも若いひとばかり。 よく見れば両家の親族を除けば私だけが゛年配者゛のようなのです(^_^;) もちろん私は形式ばった、誰の結婚披露宴なのか判らないようなものより、このような式のほうが大好きなので とてもリラックスして、とても楽しく過ごさせて頂きましたが、 私のミッションである写真撮影は、私の実力を充分に発揮しないまま終わってしまいました(^_^;)

その “言い訳” は二つあります。

まず式場の正式カメラマン?がビデオをも含めて3人!、 黒い衣装で大きなカメラを持って60人ほどの会場を移動しながら、しかも被写体に接近して撮影するのですから、 私のようなものが小さなデジカメをもってウロチョロしていたら

ヘンなオジサンが酔っ払って近づいてきたとしか思って頂けてないような気がしてしまうのです(^_^;)

そして、もうひとつ! 出席者のほとんどがパチパチと写真を撮りまくるという状況です。(^_^;) この傾向はケータイの普及で以前から感じてはいましたが、今回は若者ばかりでしかもIT関連の企業での社内結婚で、 ほとんどがスマートファンや私が持っているような小さく高性能のデジカメを使いこなしているのです(^_^;) ① ② ③

てなわけで、ケータイも持った事が無いという超アナログ人間のエノちゃんの左隣で ① ② ③ ④ 私は新婦の父の姿や、右隣に座っている春菜ちゃんの妹の明菜ちゃんとカレシの敦史君のツーショットの写真を中心に? ① ② ③ ④

 

結局は1000枚近く撮影し450枚ぐらいに絞ってグーグルのPicasaにアップしておきました。 こうしておけば誰もが好きな写真を選んでダウンロードをすれば私が撮影したのと同じ画素数でコピー出来るのです。 二台のデジカメでビデオ撮影も1時間ほどしています。 写真を撮りながらの撮影ですからキッチリとは撮れていませんが臨場感には溢れています(^_^;) ① ② ③

妹の明菜ちゃんとカレシの敦史君から「私たちの時も撮影をお願いします」と嬉しいお願いがありました。 それまでに、いろいろとリベンジ対策を考えておきたいと思っています。(^_^;)

新郎・新婦とはゆっくりお話する時間もありませんでしたけど、 とても素敵なカップルで、とても素敵な披露宴で、エノちゃんも感無量のようでビデオにはしっかり納めています(^_^;) 春菜ちゃん、そしてエノちゃん、こころよりオメデトウ! ① ② そして、お疲れさま。

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2011年08月29日 第397号 次週は『ザ・ロンゲスト・ウィーク』

●26日(金) ヒロコのアメリカでの結婚披露宴に参加するため宮崎から義母(ユキの母)がやってきました。 飛行機が到着する午後4時過ぎ、羽田空港は大変な豪雨でしたが無事到着。 その足で、神田のアカラックスの坂本さんのオフィスに寄りました。 月曜日の朝には成田空港を出発して9月8日までの11日間の久々のアメリカ旅行。 その間にも週間KENやブログのアップ、もちろん仕事上でもパソコンは必携なのですが、

いよいよ愛用の軽くて便利なレッツノートでは耐えられず、 1年前に購入した大きくて重くて使い難いダイナブックを持っていかねばなりません。 そのパソコンを何でも詳しい坂本さんにカストマイズして頂かなくてはなりません。

羽田から神田のアカラックスまでなら一般道を通っても20キロ足らずですが豪雨にための大渋滞で 2時間ほどかかってアカラックスに到着したのですが、翌日の新聞を見てビックリ! アカッラクスに寄らずそのまま我が家に向っていたらこんな状態になっていたかも知れませんでした(^_^;)

アカラックスでは坂本さんが早々にパソコンを手当てして頂き、 その後、我われの出発を祝って楽しいひと時を過ごさせて頂きました。 ② ③

●27日(土) 出発2日前の慌しい時なのですが、 この日は以前からエノちゃんと約束していた東大和でのボランティアの日(^_^;) アートプラントというイベントで゛焼うどん゛を作ってアーティストやスタッフに提供するのだそうです。 でも、私は例によって仕事はあまりせずに写真ばかり撮っていましたが 市長になったヤスオ(尾崎)さんもやってきて、なかなか感動的で楽しいイベントでした。 ① ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦

東大和から夜帰宅して遅い夕食を終わった頃、 「ヒロコからこんなメールが来てたんだ!」とユキが大きな声を出しました。 一週間ほど前ヒロコがユキとのチャットで、 「ウエディング・ケーキの上に乗せる私とランスのお菓子の人形を榎本さん(エノちゃん)に 作ってもらえないかな~」なんて事を言っていたようで、ユキが私にその事を伝えました。 私はその時に、「具体的な写真や要望がなければ、もう時間も無いしムリだよ」と言っていたのですが、 そのスグあとのヒロコは写真や具体的なイメージも送っていたのです。 それは私のメールにも来ていたのですが、ヒロコからのメール通知は全て英語でくるため ジャンクメールと思って私はいつも削除してしまうのです(^_^;) ユキもそれを見落としていて私にヒッシで「エノちゃんに作って頂けないかしら?」と迫ります。 でも、それを受け取りのは明日しかありません。 私と違ってボランティアの準備や後片付け、 それに本職を休んだ分の仕込みや菓子作りもやらなければならいエノちゃんを知っているだけに 私としてもかなりキツイお願いです電話だけは入れてみることにしました。 そして、やっぱり…「明日の夜までで、まかせてくれるならやってみるよ」 と快諾してくれました。

●28日(日) 宮崎の義母がアメリカにお土産に持っていく゛扇子゛を浅草まで買いにいきたいという事で出かけました。① ② ついでにスカイツリーの近くまでも行ってみました。

旅行カバンなども出発前日になって、なんやかやと買い物をしました。

そしてエノちゃんから「出来たからいつでも取りにきて」との電話があったので、

昨日に続いて東大和のエノちゃんのところの行こうと思ったらユキも一緒に行くというのです。

「今晩は徹夜で準備するから大丈夫!エノちゃんにお礼もあるし」 ということで…。 エノちゃんの作品は私の想像を超えるものでした! ① ② ここで紹介したいのですが、それは後日に回したいと思います。(^_^;) そして…午後10時すぎ、 「おばあちゃんが…」 姪っ子のユリから電話が入りました!

介護施設にいる母をユミコ(私の妹)が昼間に見舞った時は食欲もあって普通だったのに 心臓が停止したというのです。

★★ という事で、ここからは次週号になるわけですが、現状だけお知らせしておきます。 ユキと義母(母と同じ89歳)も大変なショックでしたが予定通りアメリカに行ってもらいました。 母の葬儀はごく身内だけで9月1日に行い火葬します。 私は翌日の2日にアメリカに向かいます、そうすれば3日の披露宴には間に合います。 来週は【母の葬儀】【娘の結婚式?】という私にとっての『ザ・ロンゲスト・ウィーク』です(^_^;)

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2011年05月23日 第383号 この日の二つのイベント

先週はランス週間

先々週は宮崎ロング・ドライブ…と目いっぱいの週が続きましたが

今週は静かな一週間でした(^_^;)

でも21日の土曜日は 午後3時頃までは東大和のエノちゃん 午後6時からは、“ほぼ水”のモモさんが恵比寿から下町の本所(墨田区)に引越しして そのお披露目をかねたオープニングがありました。 で、どちらを今週の週間KENのテーマに…と考えたのですが

週間KEN的にはどちらも今回は外したくないと悩んでしまい、その両方を少しずつ紹介する事にしました(^_^;)

●エノちゃんと尾崎市長 東大和のパティシエ・エノちゃんは地元の児童養護施設れんげ学園にケーキを作って届けています。 その日に誕生日を迎える子どもたちのバスデーケーキです。 もちろん料金は頂だいての商売ではありますが、 バスデーケーキのデザインは全て子どもたちのリクエストに応えた、すべてオーダーメイド!

とてもテマヒマをかけたデコレーション・ケーキなのです。 ① ② ③ ④ ⑤

そして、この日は“れんげ学園”の年に1度の恒例ガーデン・パーティーという事で エノちゃんと一緒に、行ってみる事にしました。 ① ② ③ ④ 私もヒロコが保育園時代の6年間と小学校低学年の3学童保育時代の3年間は

役員をしたりしてほとんどのイベントに参加していましたので、

このような雰囲気はとても懐かしく、楽しんでしまいました。

 

そこで思わぬ人に出会わす事も出来ました。

先月の市町村選挙で東大和市の市長に当選した“やすおさん”が この日のイベントの来賓として挨拶にやってきたのです(^_^;) 私も、これまで5・6回は合っていてるエノちゃんの友人で、とてもおっとりとした好人物です。① ② 実は“やすおさん”は4年前の市長選挙では僅か200票差で破れて これまでの市長に4期16年も行政を任せる事になっていたのです。 で、今回の市長選にも立候補するとは聞いていましたが、

特別な選挙運動をやっているようには見せず、いつも淡々とした風情で

エノちゃんに「今回もムリだと思うよ…」と私は言っていたのですが

今回は2000表の差をつけて現市長を破って市長になったようです(^_^;)

なにしろエノちゃんの熱い思いは、どこに行ってもハイテンション! 来賓で来た“やすおさん”を掴まえていつまでも、おしゃべり(^_^;) ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ 私がしばらく彼らをほって小一時間ほどイベント見物して戻ってくると “やすおさん”は私に向って「エノちゃんとふったりきにさせないで」と笑いながら告げて ① 皆と挨拶して忙しく去っていきました(^_^;) ① ●モモさんの墨田区本所オフィスのオープニング モモさんも不思議な人です(^_^;) インターネット関連の会社をやっている事はなんとなく判っていますが 具体的に何をやっているかはよく判りません。 ま~私の実感からするとほとんど仕事をやっているようには思えませんが 恵比寿のオフィスで、ほぼ水曜日にお酒を持って集まろうよ!というとてもゆるい会を やっていて、そのコンセプトがとても気にいって、時々参加させて頂だいているのです。

特に最近は、私のここの“第二のふるさと”飯山(長野県)をテーマにしたイベントが多く 今回もオフィス移転のオープニングも 飯山の地酒で私も大好きな北光正宗と ① ② これも今やお馴染みにさせて頂だいている才女!サカイ優佳子さんの 飯山の食材を駆使した、彼女ならではの料理が堪能出来るというわけで、参加しないわけにはいきません(^_^;) 今回も年齢、職業を超越したいろいろな人が集まって なにがなんだか判らないけど、とても楽しく、① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨ そしてサカイ優佳子さんの見事な料理裁きと呑みっぷりと、その美味しさを堪能しました。 ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧  そして帰国中のヒロコも仕事先のお台場から10時過ぎに駆け込みで到着、 ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ とても充実した1日でありました(^_^;)

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2011年03月14日373号 地震の次の日

12日土曜日は何かと忙しい日になってしまいました。

ず~と前からこの日はエノちゃん企画のセミナー5回目で 今や懐かしい自然農法の東大和の農園の実習がありその記録係になっていたのです。 そして夜は7時から、ヒロコの学童時代のお友達で父親の故山本修さんの一周忌のミサが教会であり 出席する事にしていたのです。

ところが24日から中米ベリーズにJICAシニアボランティアで出発する 友人・永森の歓送会が突然この日の午後3時に決まったのです。 本来なら永森の歓送会はキャンセルすれば良いのですが… 実は山本未亡人の文子さんも偶然なのですが、同じ24日にJICAシニアボランティアで アフリカのカメルーンに出発する事になっていて 文子さんにも永森と同じようにブログを書く事を私は強く薦めていて今週も ご自宅に訪問する事にもなっていたので、ミサの方はYUKIが代表で行ってもらう事にしたのです。

東大和、特に農場に行くにはクルマがベストなのですが、 午後3時からは横浜での永森の送別会で当然アルコールも入るので電車で行く事に決めていました。 前日には東日本巨大地震があって、その事はブログで書いていますが(^_^;) 南武線は午前7時から通常に動いているというニュースがあったので、途中でゆっくり朝食を取る時間も 考慮して我が家を7時30分頃に出たのです。

ところが南武線の登戸駅のアナウンスは 「昨日の地震のため運転を見あわております、運転開始は8時となっていますが 詳細な時間は不明でしばらくお待ちください…」 とホームに流れるのですが、 8時を過ぎても同じアナウンスが流れるだけで駅員の姿は一人も見えず、 どのような状況で、後どのくらい待たされるかも判らず寒いホームにジッと待たされ続けられるのです。

結局9時近くに電車が来て、それも各駅停車で踏み切りごとに停車して 立川駅についたのは10時を大きく回って、その時点でづでに遅刻です(^_^;)

立川駅で帰りは横浜まで行かねばならないので、今日のような日は何が一番早く行けるか 駅の案内で聞くと、「南武線が一番早いでしょう」 と今来たコースを登戸を経由し武蔵小杉で 東横線に乗り換え行けというのです(^_^;) こんな事なら最初からクルマで我が家を往復し、クルマを置いて横浜に行けばよかったのです。

けっきょく農場には大きく遅刻したのですが、地震の影響もあって参加者も少なく セミナーはほとんど終盤で、なんとなく終わってしまいました(^_^;) ① ② ③ ④ ⑤ 懐かしいメンバーとチョト団欒し、3時の横浜に間に合わすため農園を後に。 ① ② ③

歩きながら、香港の小倉に電話、奥さんのキエちゃんは津波の被害が大きい福島県相馬市が実家。 1974年の夏、永森と私は相馬で大変お世話になっているので、心配をしていたのでが無事を確認!

モノレールで立川に戻り、こわごわ南武線のホームに(^_^;)

すべて各駅停車だけどスムーズに運行され、思ったよりも断然早く横浜に到着。 この送別会も地震の影響で3名が欠席、 その代わりというわけでもないのですが1年先輩の岡広さんが出席。 どうして我々同期の集まりを知ったのかと思ったら、永森の3月5日このブログを見て(^_^;)

私はこの古谷が作った永森歓送会の案内状をそのまま載せて何の意味があるのか?!と 思っていたのですが案内の行っていない先輩の岡広さんが見つけられたのです。 この会の模様は今見たら永森が写真入りでブログに書いているたので、そちらを参考に(^_^;)

2011年02月07日368号 エノちゃん企画セミナー

4日(金)東大和のパティシエ・エノちゃんが企画したセミナーに行ってきました。 3年前が最初で、その時は私はパネリストの一人として参加したのですが 今回はビデオ撮影とオブザーバーとしての参加で、全6回のプログラムでこの日は2回目です。

今年のプログラムのテーマは【自然農法でおいしい健康野菜をゲットしよう!】 私が一昨年の初めから約2ヶ月ほど、YUKIと毎週土曜日、10回通ったところで… 意見のすれ違いから突然止めてしまった東大和での自然農法ですが(^_^;) それを少しでも多くの人に知ってもらい地域の触れ合いのきっかけにしていきたいという エノちゃんの一途な思いです。

あれから2年、私と意見が衝突した副会長のO氏はすでに脱会、 自然農法の第一人者で会長の内野さんと話す機会もあって… あれから、相模原での大豆作るを毎年やるようになったので自然農法には戻れないが、 エノちゃんの友人として東大和の自然農法と関わらせてもらうことになったのです。

最初の2回は都立農業高校副校長の斉藤義弘先生。 園芸関連の本の監修や、朝日新聞の文化欄にプランターでの野菜作りを連載されたり、 いろいろと活躍されている先生です。 初日は定員30人のところ満席で、私の座るところが無く、講師の先生の直ぐ横に椅子を用意してもらい そこから、超アップで迫力の映像を撮らせて頂きました。

会場からの質問も次々に飛び出して、まずは大成功のスタートです。 大した宣伝もせずに何でこれだけ集まったのか?不思議に思っていたのですが、 セミナーが終わって、多くの人たちがエノちゃんと親しそうに挨拶して帰るのです。 ① ② ③ ようするに、ほとんどがエノちゃんが集めたというわけで、その情熱にはアタマが下がります。

第2回目は人数が減るかと思っていましたが、やっぱり満席! 斎藤先生の2回セミナーは大成功のうちに終了しました。

エノちゃんの店に戻ると、セミナーを見終えた4名の人たちがすでに来店していました。 そこで、またエノちゃんの熱弁が始まります(^_^;) ① ② ③ エノちゃんの思いはあくまで東大和のコミニティが構築され、 人と人のつながりの中で街が元気になって、そして自分のお店も維持していける事。 野菜作りは、そのための手段であって目的ではないのです。 もちろん農業の面白さや、大切さを充分に理解してで、 エノちゃんも野菜作りの楽しさにどっぷりつかっているのです、私同様(^_^;)

次回から2回は自然農法の内野さんのセミナー。 そして農場での実習があって 最後がエノちゃんの司会での座談会で、この時には私も少し発言しようと思っています(^_^;)

追伸  先週から週間KENのアップがスムーズにいかず…今日(6日)日曜日にも関わらず アカラックスの坂本さんのオフィスにお邪魔して、ホームページ・ソフトを使わずに どのパソコンからもアップ出来る方法を伝授頂き、どうにかアップする事が出来ました。 ここに謹んで御礼申し上げますm(_ _)m

2010年12月20日361号 4日間の独身生活

「いつもお二人ご一緒で仲がよろしいですね」… よく、そのようなお褒めの言葉?を頂きます。(^_^;)

ま~特別に仲がよくてしょうがないというほどではありませんが、もちろん仲が悪いわけでもなく… ま~二人で一人前という事。 それに、二人だとコストも少なくて済むというのも最近の大きな要因でもあります。(^_^;)

「お金が無いので結婚が出来ない」なんて今の若い人たちは言っているよですが 一人で暮らすより二人で暮らした方が基本的には安くつくのです。

そして幸か?不幸か?といえば…不幸なことになるのですが 不景気でとても仕事が減ったものですから、 仕事も生活も公私混同でやれば、分けてやるよりコストが押さえられるというものです(^_^;)

週末の高速道路1000円を利用しYUKIと二人で遠方でのお客様との契約と旅行を楽しむといったパターンで、 『低成長・高齢化社会の理想的生き方』なんて理屈をつけて楽しむしかないのです。

しかし先日、続けて交通違反で掴ってしまいYUKIの怒りは大変なものでした。

最初の違反は、私が一人で出かけた客先で20分ほど置いていたクルマで駐車違反になったのです。 2回目は、その一週間後、渋滞する大阪市街、 その日は一睡もしないで高速を飛ばしホテルに早めのチェックインをするために向かっていたのですが、 大渋滞で助手席のYUKIも居眠りをしていて、私もほんのちょっとウツラウツラしてしまい 前方に止まっていた大きなトラックがゆっくり動いたのにつられて行ってクルマを停止した時に 運転席の窓ガラスを誰かが叩くにです。 見ると自転車に乗って警察官で、私が”信号無視”をしたというのです(^_^;)

もう、この時のYUKIの怒りは一生忘れられほど強烈なもので… 暮れにお客様に配布するカレンダーも、お金が無いから首都圏はすべて自分で配れというのです(^_^;)

13日(月)から16日(水)までYUKIは宮崎に行く事になっていて、 ヒロコも米国留学中ですから、私としては歴史的独身生活というわけですが その間に少しでも多くのカレンダーを配るというミッションが課せられています(^_^;)

初日は羽田発の朝1番のフライトで朝の6時前に我が家を出てYUKIさまをお見送り。 その日は雨が降る中、多摩市・八王子市・立川市・東大和市のエノちゃんのとこによって 国分寺市、国立市、府中市、調布市、稲城市と回って、我が家についたのは午前0時。 それから自分の食事を用意して、メールをチェックして、お風呂に入って午前3時過ぎに就寝。

2日目は午前10時に比較的近くのお客様のところに行く事になっていたのですが いつも、どんなに夜更かししても7時前に目がさめるのに、 なぜがグッスリ眠ってしまい9時30分に目が覚めてあわてて出発。 この日も天気が悪くカレンダー配りは止めて、我が家でデスクワーク。 これもYUKIがいないと何かと捗らず、あっというまに1日が終り、ただあせるばかり(^_^;)

3日目は快晴!、朝から気合を入れてカレンダー配り! この日は川崎市を中心に、しらみつぶしにと言っても、 引越で住所が変り新しいマンション群などに変ってしまうとカーナビには載っておらず、 自慢の【iPad】はYUKIが宮崎に持っていっていてグーグルマップでの検索も出来ません。 クルマから長時間離れると駐車違反が怖いのでパーキングに入れたり… あちこち探しまわっている内にクルマを置いた場所が判らなくなったり、大変な思いで万歩計は約2万歩。 その日に配ったカレンダーは20本…郵送すると1本210円で計4200円。 私の丸1日の労働と駐車場代、ガソリン代を計算したら(^_^;) …でも、何人かのお客様とは直接ご挨拶が出来たわけで、それはもちろんお金に換算出来ません。

4日目は午後からTN社の支社で業務連絡会があるので丸の内へ。 「あれ今日はお一人ですか?」…合う人、合おう人に言われましたが、 午後8時にYUKIは羽田に到着するので迎いに行かなければなりません(^_^;)

途中、品川区、大田区でカレンダーを配りながらと思ったのですが渋滞で捗らず YUKIさまは無事到着! 私の歴史的独身生活は瞬時に終了してしまいました(^_^;)

2010年11月22日357号 エノちゃんとの一日

20(土)午前7時30分、私はひとり秋晴れの朝の日差しに輝く落ち葉を踏みしめながら バス停まで歩き、登戸から総武線で立川まで、 そこから多摩都市モノレールで終点の上北台で下車しました。

そして駅前のマクドナルドで【iPad】をチエックしながら、ゆっくりと朝食。 芋窪街道を走るモノレールの下に広がる野村さんの畑を見ながら 少し歩いたところにエノちゃんのお店『お菓子の文化村・茶屋エポック』があります。

この日は午前10時から 近くの公民館でエノちゃんが講師で行う『マジパン教室』のカメラマン(^_^;) 午後5時からはエノちゃんの要請で、 私とYUKIも昨年の2月7日から4月11日まで毎週土曜日10回参加し ちょっとした意見の相違で不本意ながら辞める事になった 野菜作りのリーダー内野さんとの”飲み会?”が用意されていたのです(^_^;)

というわけでクルマを置いての”歩き”ですが、秋のハイキング日和といった風情です。 内野さんとの”飲み会?”をするなら私も懇意にしていた野菜作りのメンバーやYUKIも交えて ザックバランにホンネで楽しく!…とエノちゃんに言ったのですが、 サシでの飲み会?という事でYUKIはお留守番になったという次第です(^_^;)

午前9時30分、エノちゃんのお店に着くと、 348号でチョットだけ紹介したオタクでヒッキー系の飯島クンが早くも手伝っていました。 私を見るなり、「角倉さんですよね!社長さんの…」と1度しかあっていないのに良く覚えていてくれました。 私も「飯島君だよね、でも社長というは名刺だけで自宅でアノ奥様に使われているのだから…」 と念を押しておきました(^_^;)  前回合った時の写真

今回のマジパン教室は親子(又は祖母と孫)を対象にしたもので4組9名が参加しました。 子どもたちは誰もが真剣で没頭し これまでの大人を対象にしたのと違ってスケジュール通りにはいかないが面白ところです(^_^;) ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨ ⑩ ⑪ ⑫ ⑬ ⑭ エノちゃんと記念写真もそれぞれ撮って ① ② ③ ④ 子どもたちも大満足の模様でした。 ① ② ③ これは東大和市の商工会がエノちゃんに依頼し定期的にやっているものですが、 農業でも何でも、出来る限り子どもを巻きこんでやっていく事が面白いし重要だと思いました。 飯島クンもワケが判らず立ちっ放しで疲れたよいですが、 この後お弁当屋さんの面接があるようで「頑張って!」と声援が飛びましたが 私は「頑張るな!」と言ってしまいました(^_^;) ① ②

エノちゃんのお店に戻って昼食でも食べに行こうか、と思っていたら 「あ~疲れた!もうイヤになちゃうわ、ここでケーキ食べるから…」と これも348号の最後で紹介の、9月にうどんやを開店させた小川さんがやってきました。 エノちゃんとの会話を聞いていると 小川さんが理事長をしていた障害児施設が破綻したようで、 そのトバッチリでえ裁判にも巻き込まれ大変な事になっていたらしいのです。 一本気で人情深く障害児からも慕われる小川さんは裁判においても 「小川さんは大丈夫ですから任せて下さい」と弁護士からも信頼されているようです。 せっかく機動に乗り出してうどん屋ですが、そこは行き場の失った障害時の作業場として提供するそうです。 せっかくオープンしたお店を閉店するのもったいないと、小川ファンのお客様や家主の声も大きく 午後5時から8時までの3時間だけやる事にしたそうです。

乳がんの手術をして1年もたっていないのに、 常に前向きでホンネで体当たりする小川さんの話しを時間を忘れ聞いているうちに 内野さんとの待ち合わせの時間が近づいてきました。 ① ② ③

場所はモノレール上北台の駅のそばにある、お好み焼きの【道頓堀】 出かける時にエノちゃんが「3万円あれば大丈夫かな?」と私に聞きます。 今日の勘定はエノちゃんが持とうと思っているようで お酒をまったく飲まないエノちゃんにはまったく検討がつかないようです(^_^;)

私が普段からエノちゃんと話している事を内野さんと腹を割って率直に伝えて欲しい… というのが今回の私のミッションのようです。

私が言いたいのは… […]

2010年09月20日348号 エノちゃんの近況

1年ほど前でに、この週間KENのコラムもけっこう溜まってきたので10のジャンル別に分けてみました。 その中に【東大和のエノちゃん】というジャンルがあるのですが昨年は6回登場しているのに 気がついたら今年はまだ一度も取り上げていなかったようです。

もちろんエノちゃんと疎遠になったわけではありません。 ちょこちょこ東大和に言ってはエノちゃんのお店でエノちゃんの熱い思いを聞いていたのです。 私が昨年の初めYUKIと二人で参加し10回の参加で辞める事になった『野菜作り』も 私が思って通り一般の人が集まらず内部分裂もあったりして大変なようです(^_^;)

まだまだ地元の古くからいる人たちは、そこまでの考えはなく歯がゆくてしょうがないようです。 地域の活性化は『よそ者・わか者・ばか者』がすると言われているようです。 地元の古くからの人たちには期待せず、エノちゃんのような”よそ者”や 東大和に住居を構え定年を向かえた団塊世代や、わか者… そして私のようなバカ者も必要だとエノちゃんは言い!(^_^;) エノちゃんは東大和の活性化の思いは、ますます加熱しているのですが…

でも私が出来ることは限られています。 エノちゃんの活動をサポートし、 そんな中でもエノちゃんのお店がソコソコでも維持出来るようサポートする事です。

もう少し具体的に言うと… エノちゃんの活動や思いを”見える化”して少しでも多くの人に伝えられる環境を作る事。 もう少し具体的に言うと… まず、エノちゃんのブログ(お店のホームページにもリンク出来る)と、 エノちゃんのお店に『iPad』を置いて、いろいろな情報を詰め込み、 お客様や地域の人とのコミニケーション・ツールとして活用するという事です。

しかし、困った事にパソコンやネット関係に強いヒロコは米国に行ってしまい、 私のアタマの中にイメージが出来上がっていても、それを形にするのは大変です。

それにもうひとつ大きな課題があります、 エノちゃんのブログやホームページを更新しアップする事を このような作業にまったく不慣れで、本業の菓子作りもしなければならないエノちゃんに変って やってくれる人が必要だという事です。

これにはエノちゃんの方から候補が上りました。 近所に住むパソコンいじりがオタクのヒッキー系の青年がいるというのです。

16日(金)早速、彼と面談するためYUKIと一緒にエノちゃんの店に行きました。 イイジマ君という青年で現在は無職で一応、安定した雇用先を求めて就職活動中という 前回の週間KENでも触れた、今の日本を象徴するような状況にいるようです(^_^;)

さっそくブログについて話をしたのですが、 オタク過ぎて「ブログは見たことも無い」と言われてしまい、即戦力にはなりそうもありません(^_^;) でも、このような青年こそ、なんらかの形で活躍してもらい、 人の輪を広げるきっかけになるのではと思いました。  ① ② ③ ④

この後、エノちゃんと、YUKIと3人で… 昨年11月にヤーコン料理の講師をされた小川さんが  ① ② ③ ④ ”うどん屋”をオープンしたというのでお邪魔することにしました。 小川さんは地元の障害児施設の理事長をされていたのですが、 どうしても地元のうどんを使ったお店を出したいとその時も語っておられ、それが実現したようです。 お店は東大和市のすぐ隣の武蔵村山市になりますが、エノちゃんのお店からクルマで10分ぐらいです。 この日はプレ・オープンの特別営業でしたが、 通常営業は正午から午後6時まで、土日祭日は休みとすっきりしたもの(^_^;) 自宅のすぐ側にあった物件で、何軒もの店が長続きせず閉店し、居抜きで破格の家賃だけで借りられるというので それだったらマイペースでもやっていけると決めたようです。 今年乳がんの手術をした68歳の小川さんですが、ますます元気! 一人でうどん屋といういうのも大変だとは思いますが 「やりたいことはすべて楽しんでやる!」というモットーで また新しい価値観の面白いお店がオープンしたことを嬉しく思い、心から応援したくなりました。 ① ② ③ ④ ⑤ 店名『はなみづき』 電話080-1984-7025(ケータイです^_^;) 住所 武蔵村山市学園3-59-2 コロコロセンター2F

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2009年06月01日280号 とこや一休

溜池の交差点から赤坂方面に少し歩くと永田町法曹ビルという建物があります。 ここの1階で今は居酒屋の【庄や】とカレーの【CoCo壱番館】になっているところに 今から30年ほど前【MEDOR】という洋菓子&レストランがありました。

このお店の開店から閉店までの話しは、書き出すと終らないので今回はしません。 因みに先週も登場したエノちゃんはココでパティシエとして働いていました。 今でも大変、懇意させて頂だいている弁護士の菅原先生との縁は 弁護士事務所が集まったこのビルが取り持ってくれたといえます。

このビルの地下一階に『とこや一休』という 今でも営業を続けているお店があります。 もちろん床屋さんです(^_^;) 私はこの床屋に行くようになってから約30年… 今でもこの床屋さん以外で散発した事は一度もありません。 床屋というのは恐ろしいところで、よその床屋で浮気しようものなら直ぐにバレてしまうのです(^_^;) ま~そんな脅迫?もあって、このお店とは長い腐れ縁イヤ長いお付き合いになって 散髪してもらうほどの髪も無くなってきた今は マスターと数ヶ月に一度、世間話をするのが楽しみで出かけるのです。

現在は奥様と二人でマイペースやっている『とこや一休』も 30年前はマスターの他に理髪師が2名いてけっこう繁盛していました。 私も【MEDOR】がオープンした当初はゆっくり休む時間も無く 時間が出来ると緊急避難場所として洗髪を兼ねて一休で文字通り”ひとやすみ”していました。 でも、やがて一休にいくのが2ヶ月に1回になり、 それが今では3ヶ月に一回すなわち年4回のペースが固定されてしまいましたが ここでは時間が止まっていて、30年前の話でもつい最近の話しになってしまいます(^_^;)

当時は無かった地下鉄銀座線の【溜池山王駅】が出来たものの …いや、それによって地下道が出来て人の流れがすっかり変ってしまい 新規のお客様はほとんど来なくなってしまいました(^_^;)

お客様の多くは私のように昔からの常連ばかりで 近くにあった東芝EMIの名プロデューサーだったXさんなど 私の店でも馴染みだった人達がわざわざ遠くからやってくる高齢者ばかりで 私なんて若いほうです。

デジカメで写真を撮ると最初は何の事か判らなかったマスターも ① ② ③ あらためてカメラを向けるというとムチャクチャに照れて顔を隠すのです(^_^;) ① ② ③ こんな可愛いところがあったとは30年来の付き合いで初めてしりました。

少し以前の話になりますが… このビルの有料駐車場にクルマを入れると管理人が行く先を訊ねるのですが、 私が「地下の床屋に行く」というと、不思議そうな顔をして管理人は 「あの床屋さんは何か特別なことをやっているのですか?」とまた聞くのです。 私の方が驚いて「なんで?普通の床屋だけど、どうして」と訊ねかえしたら 「いやーけっこう多くの人が床屋に行くといってクルマを預けるのでね… わざわざクルマでココまでやってきて高い駐車料金を払ってまで行く床屋ってスゴイですよね」 と関心しているのです(^_^;)

少し前までは必ず予約して行っていたスゴイ床屋も、 最近では近くからケータイで「今行って大丈夫?」と訊ねて大丈夫じゃなかった事はまったくなく スゴイ床屋から、ちょっとだけスゴイ床屋になってしまいましが 私にとっては、とても居心地の良い床屋であることには間違いありません。

ビルの裏側の首相官邸や旧ヒルトン・ホテル(当時)に通じる道は すっかっり景色が変ってしまいましたが、 まったく景色の変らない「とこや一休」はいつまでも元気で続いて欲しいと願っています。① ② ③

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