2012年1月9日 第416号 てヲとる新年会

昨年、恵比寿から本所に引っ越したモモさん。 その大きなリビングルームを“本所ひとノま”と名付けて集いの場として開放! ほぼ水曜日に集まろうという“ほぼ水”も、 本所に移って木曜日になって“ほぼ木”…では覚え辛いのでモモさんの“もも木”に(^_^;) そこからいろいろなプロジェクトがたちあがっていきます。 “てヲとる飯山” “てヲとる月山” “てヲとる岩城島” “てヲとる加子母”その他にも “てヲとる #teotoru” ”てヲとる地域“ ”てヲとるFARMERS“などなど… “てヲとる忘年会“そして今回の”てヲとる新年会“となるわけですが 私をはじめ多くの人は難しい事はあまり考えず 主催者であるモモさんやサカイさんの感性に共鳴した人たちとの美味しい料理やお酒の団らんが楽しいのです。 ここまで書いてこんなWebをはじめて見つけました(^_^;)

1月7日(土) “本所ひとノま”で“てヲとる新年会”です。 昨年もここには7回ほど来ているのですが3カ月ぶりの訪問です。 いつもは午後7時頃からのオープンですがこの日は午後4時から…。 “本所ひとノま”の近くから東京スカイツリーが見えるのに感激してしまいました。 まだ明るいのでこんな看板も初登場?入るとモモさんの愛犬サーブがお出迎え。 会場にはすでに多くの人が集まって大盛況です。 ネット上ではよく拝見している鈴木さんや“てヲとる月山”の勝川さんとは初対面の挨拶(^_^;) 同年輩のご夫婦が初参加で伺ってみるとお二人とも放射線の学者さんでサカイさんのお知りあい。 Facebookはやっておられないという事で強く始める事をお薦めしておきました。

ご出身が青森の弘前という事で、青森の純米大吟醸・田酒を持参、 これがとてもフルーティでしかもキレがよくてたくさん頂いてしまいました(^_^;) 少し遅れてやってきた太田さんは“てヲとる月山”の勝川君の大学の先生とのこと、 Facebookもやっておられるという事で私よりは年配だが気持ちの若い人と思っていたのですが 我が家に帰ってFacebookリクエストを出してみると私より7歳も若い方でした(^_^;)

香川県小豆島で画廊をやっている柳生さんもこの日のために上京! ここの主力メンバー千田さんの高校の同級生だそうです。 いろいろな人と今回もお話しFacebookのお友達も増えました。 ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨ ⑩ ⑪ ⑫ ⑬ ⑭ ⑮ ⑯ 集合写真

会が終わったあと残ったメンバーでラーメンを食べに行こう!という事になりました。 実はここに来るまで一食しか食べておらず、ここでもお酒が美味しくて飲んでばかりであまり食事はとっておらず ラーメンと聞いて急に食欲が沸いてきました。 実はダイエットを始めてからこの2年半、一度もラーメン屋に行く事がなくなっていたのです。 ユキから食事は30分以上かけて食事をする事を今でも厳しく監視されているからです。 ラーメンを30分以上もかけて食べていたら伸びて…冷えて…(^_^;) でも今日なら、どうにか“お目こぼし”して貰えそうです(^_^;)

ところがモモさんお目当てのラーメン屋はナント閉店中。 結局“634”というスカイツリーの高さにあやかって最近オープンした 新潟直送の食材を売りにしたお店で なんとなく、“てヲとる”のコンセプトとも繋がるような感じのお店で入ってみる事に(^_^;)

けっきょくラーメンでなく湯豆腐とギンナンとチューハイ2杯を呑んで 家に着くなりバタンキューで寝てしまいました(^_^;) ① ② ③ ④ ⑤

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2011年10月31日 第406号 上下・善昌寺

母が亡くなって2ヶ月が経過しました。 母の葬式とヒロコのアメリカでの結婚披露宴が紙一重なりその場は何とか乗り切る事が出来ましたが… 我が角倉家には゛お墓の問題゛が長男の私に大きくのし掛かっているのです。 15年前に亡くなった父の遺骨が津田山(川崎市)の霊園に預けたままになっていたからです。(^_^;)

父が亡くなった1996年は私が新聞配達をやっていた最も厳しい状況の時で、 父の戒名もとても短いもので済ましてしまいました。 私はそんな事をまったく気にする性格では無いのですが 母は親戚や世間体を、または私の立場を気にしたのか内緒で高額を払い長い戒名に変えていました(^_^;) その数年後から母の介護状況が長く続く中で゛お墓の問題゛は母が亡くなってから考えようと先延ばししてきたのです。 その母が亡くなって シッカリモノの妹の由美子から「お墓をどうするかはお兄ちゃんが決めてよ!」と決断を迫られていたのです。

そして先日の26日・27日 妹の由美子と淳子、そして私とユキとの4人は父と母の遺骨を持って、 広島県府中市上下町上下の善昌寺に行ってきました。 上下や善昌寺については7年前の週間KENでこんな事を書いています。

1月にクルマで宮崎を往復した時に、 善昌寺によって長岡住職に、はじめて我が家の事情をザックバランにお話させて頂いたのですが

母が亡くなった時には連絡もせずに簡単な家族葬で済ませてしまったので いま頃になって具体的なご相談のための電話をするのが少々気が重かったのです。 ところが、何も知らないはずの住職が電話に出られるなり「この度は、お母様がお亡くなりになられて…」 と言われるのでビックリ!しました。 よく聞いてみると住職の奥様が、この週間KENをご愛読頂いていたのです(^_^;)

もう、そうなると我が家の事情もよ~くお判り頂いているものと楽天的な私は更に楽天的な気持になってしまい、 心の迷いはイッキに晴れて善昌寺にお願いしようという気持になってしまいました。

もう一つの選択肢として迷いがあったのは… 「上下はあまりにも遠いので都心にある新しい永代供養の共同墓地がいいのではないか」という考えです。

私はクルマで宮崎も含め日本全国気軽に出かけるので上下が遠いという感覚は無いのですが、 それはあくまで私の感覚ですし、私がいつまでも今のようにクルマを乗り回せるかも判りません。

かと言って、近ければ頻繁に墓参りをするかと言えば、お恥ずかしい話ですが父の遺骨を15年間安置していた 近所の長津田霊園には気が着けば一度も参拝には行っていませんでした(^_^;) だからと言って父を蔑ろにしているわけではなく歳を重ねる事に父が身近に感じるようになっていて どうせなら、父の故郷であり角倉家ゆかりの土地であり私が誕生した上下が良いと私は思っていたのです。

だだ、まったく判らない大きな問題として残っていたのが゛お金゛がどのくらい掛かるかです(^_^;) 父の長兄が角倉家の墓地や遺産などは引き継いでいたのですが、その長兄の伯父に子どもがおらず 父の二番目の兄の長男である洋介君が墓地や遺産を引き継ぎ、善昌寺の墓地の管理や法事をやるようになりました。 洋介君がどのくらいの相続をして法事にどのくらいのお金を使っているかはまったく知りません。 ただ、角倉家の墓地の使用に関しては角倉家の問題で善昌寺には関係ないようです(^_^;) もうすっかり世代は変わって私が従兄弟の中では最も長老で洋介君は赤ん坊の時から知っていて しかも唯一の上下生まれですのですので、これくらいは言いやすい立場にいるのです(^_^;)

そんなわけでまだ父と母の゛お墓゛は建っていないのですが まずは母の戒名を善昌寺から頂いて、父と母の遺骨と位牌を善昌寺に持っていって供養をして頂き お墓が出来るまでは善昌寺に預かって頂くという事まで決めて、今回の上下行きとなったのです。

墓地そのものにお金が掛からない事が判りましたが “お墓” を建てるには多少なりともお金がかかる事は判りますが、どのくらい掛かるかは想像がつきません(^_^;) インターネットで調べると格安墓石だとか色々ありますが調べれば調べるほど判らなくなります(^_^;) こうなったら善昌寺さんから上下の石屋さんを教えて頂き、そこに直接行って直談判するのが早いと思い行ってきました。 最初に「予算は○十万しかないのだけど…」という事から切り出して正直に事情を話したところ色々と親身になってもらい 善昌寺ならすぐ側だから墓地を見させてもらいたいという事になって、 私が角倉という名前を知ってビックリさせてしまいました(^_^;) この予算だと二人の伯父の墓より小ぶりに なるという事ですが、それで充分(^_^;) 1年後の法事の時までに出来れば充分でヒマな時に作っておいて下さいという事で 上下の石屋さんとも親しくなれそうで、とても良い買い物が出来たようです。 ① ② ③ ④

さて、もうひとつ難題があります。 善昌寺へのお布施です(^_^;)まったく想像がつきませんし、いくら私でもいくら包めば良いのか直接聞く勇気もありません。 […]

2011年10月25日 第405号 4台目のIXY(デジカメ)購入

デジカメのキャノンのIXYがこれで4台目になりました。 初代IXYは6年前、2005年6月、東京海上のホノルルでのコンベンションに行く直前に購入したもの。 このカメラでW杯のドイツ旅行やスペイン旅行などを撮影したのですが、 二代目IXYは2007年、大学時代の仲間と香港旅行に行く前にワイドのカメラが欲しく購入したもの。 三代目IXYは2010年の正月に購入。 二代目IXYのレンズのモーターがよく故障し保障期間が過ぎても1回1万円の修理を2回やっていて 次に故障した時は新しいのを購入しようと思っていたからです。 そして四代目はつい先日17,700円で購入したばかりです。 気がつくと四台目が四代目になっていましたが、このほうが私としたらシックリするようです(^_^;)

5年半で4台のデジカメというのは、日本の首相ほどでは無いですが… 「ちっとも変えすぎじゃない!」と叱られそうですが 常にデジカメを ポケットに入れて一日最低でも6枚(全食事の写真と食べ終わった写真)、 なにかイベントや旅でもすれば200枚~1000枚以上も撮影する私としたら充分に原価償却はしているのです。 それとデジタル機器の世界の目まぐるしい進化と低価格化です。

私が始めてデジカメを手にしたのは13年ほど前の1998年暮、 富士フイルムのファインピクス700で当時は、世界最小で150万画素というのが売りもので たしか7万円(定価は99,800円)ほどで購入したと思います。 最近では“画素”という数字は見かけなくなりましたが、私が今普通に撮影に使ってうるのが1200万画素ぐらいです。 それでも15万画素もあれば今でも充分に通用する写真ですが、一度も150万画素で撮影する事はありませんでした。 当時のパソコンでは画像が重すぎて処理出来なかったからです。 したがって撮影したのは今のケータイでの写真程度ですが、タダでいくらでも写真が撮れる楽しさを実感しました。 そうそう、その時にはじめてメモリーカードを見たのですけど、それが今でも残っていて2Mバイトです。 今、普通に撮影している写真1枚が2Mバイト以上ありますから使い物になりません。 今使っているメモリーカードは16Gバイトで2Mバイトの8000倍の容量(ハイビジョンのビデオ撮影も可能) しかもメモリーカードの値段は調べてみると16Gバイトの方が、当時の2Mバイトより半分以下の値段になっています。

私はユキから時々「KENはモノを大切に扱わない!」と言われる事がありますが それは誤解で(^_^;)徹底的にトコトン使ってしまう習性があるのです。 今乗っているクルマも2台目のカーナビもボロボロで壊れてしまいましたが、それは【iPad】でカバーして 本体のクルマは34万キロ、走って今は大阪にいて広島に向かいます、詳しくは次回の週間KENで(^_^;)

話をデジカメに戻します。 今回、4代目IXYですが、なぜ新しいのを購入したかというと色々な理由があります。 まず、これまで使っていた三代目IXYがオーバーホールが必要になった事、 カメラの中にゴミが入った事と、① ② 農作業などので泥だらけの中でも撮影したりしたので パネルのガラス部分が細かくキズがついて日中の明るいところでは見づらくなってしまったのです。 そんなわけで新品だったの三代目も1年10ヶ月の酷使でこんな風になってしまいました。

ま~これは修理すればまだまだ使えるわけですが、 これはこれでビデオ撮影などに特化させるとして、 新しいのが2万円もしないで購入できるからです(^_^;)

その大義名分としてはパティシエのエノちゃんのお嬢さんの結婚披露宴に招待され写真を撮る事になっているからです。 それも嬉しいのは、頼んで来たのがエノちゃんではなく、お嬢さんの春菜ちゃんが直々に私を指定してくれた事です。 式は11月5日ですが、それまでにカメラに慣れておかねばなりません(^_^;)

結婚披露宴の正式カメラマン?なら大きな一眼レフが似合うのかも知れませんが、 私は小さなデジカメの方が気にいっています。 被写体になる人たちにプレッシャーを与えず接近して何枚でも撮れるからです。

なぜキャノンのIXYを代々購入するようになったのかという 新しい機能の追加やバージョンアップの様子が手に取るように判る事と、 選べる機種が豊富にあるからです。

初代から四代目までの変遷で最も私が意識しているのは“広角レンズ”の機能です。 私は人を撮るのが好きですから、接近してしかも少しでも多くの人を撮るには広角レンズが最適です。 二代目は広角レンズを始めて?取り入れたもの。 三代目は画像をワイドにする事で更に広がり観が出せたもの。 四代目は普通サイズで三代目以上のワイド撮影が出せるようになりました。

人を撮るのが好きですが、自分も入れて大勢を撮る、景色を背景に自分を撮る…という事も多く […]

2011年10月17日 第404号 宮崎にて

13日(木)の朝の便で宮崎に来ています。 今回はクルマでなく飛行機で往復なので充分に中身の濃い宮崎滞在をしています。 13日・14日・15日・今日16日と…宮崎にいるわけですがほとんどどこもいかずに 宿として取っているビジネスホテルと義母(ユキの母)の家をただ往復しているだけです(^_^;)

「ただ往復していつだけ…」というとユキから「ソレはKENだけでしょ!」と叱られるかも知れません。 ユキは来年の宮崎での日舞の会にも出場する決意!をして、その゛特訓゛が今回の宮崎行きの目的だったのです。 だったら私がなにもついて行く事も無いのですが、 私も晴れて65歳になって当日シルバー割引が使えて格安で行ける事になって同伴する事になったのです(^_^;) 今やパソコンやケータイが通じる事で、どこにいても仕事が出来るという事ですが …゛二人ペアで一人前゛というスタイルになりつつあるかも知れません(^_^;)

てなわけで、ユキの義母による厳しい?レッスンを何時間も受けているのですが ① ② ③ ④ 私ときたらただユキと義母の稽古を見ながらパソコンの前で時間を過ごしているわけです。 でもそのパソコンもここにきてかなりガタがエスカレートして メールの受信は出来るのに返事の送信で出来ず、 お客様にもご迷惑をかけていて理想通りにいかないのがこれもまた現実なのです。(^_^;)

そんなわけで、お客様に返事も出来ないことをイイことに、 のんびりとボーとしながら数日を過ごさせて頂だいているのです。

我われの宿舎としているのは『宮崎ロイヤルホテル』 …宮崎を代表するような立派な名前ですが一人一泊3000円ほどで宿泊出来るビジネスホテルで 義母の家から2キロ半ほどのところにあり、健康の為の散歩コースとしても最適なのです。 という事で今回はクルマもなくレンタカーも借りずにホテルと義母の家を原則゛歩き゛という事にしたのです。 ① ② ③ ④ 

でも、これは私にとって大きなメリットがあります。 クルマが無いので義母の家での夕食で゛ビール゛が飲めるという事です。(^_^;) 今回はヒロコの結婚披露宴のアメリカ旅行の゛反省会゛?という大義名分で、その時のビデオ鑑賞 ① 豪華な会席料理のお弁当をとったり、ランスが日本に来た時にお土産に持ってきたバーベキュー・ソースでの焼肉パーティーや 差し入れのお刺身とおでんでの…とか連日、゛反省の日々゛を遅らせて頂きました。(^_^;) ① ② ③ ④

宮崎に来ると、どうしてもカローリー・オーバーの日々が続くため朝食は抜き。 我が家にいる時は夕食が21時過ぎで就寝するのが午前2時頃という生活なのに、 宮崎では午後6時から夕食して、ホテルに徒歩で戻っても午後9時頃、アルコールも回っているので 遅くても午前0時には寝てしまうので、起床は午前6時前(^_^;) 朝食は食べさせて頂けないので昼食までの時間が長いこと長いこと…

…とま~このような生活をしているうちに日曜日も終わり、それでも体重が増えたようです。 明日、宮崎での最後の日にレンタカーを借りて、゛綾゛の方にみんなでドライブして、 宮崎空港から帰宅の途につく予定です。

2011年10月10日 第403号 稲刈り2011

飯山(長野県)での4年目になる米作りも、この稲刈りで今年も終了という事ですが、

もうすっかり飯山に行くのが生活の一部になってきたような気分です。 春の田植え・夏の草取りと田んぼでの蛍鑑賞・秋の稲刈り…の3つが

【蛍の宿を守る会】のメイン・イベントですが今のところ私とYUKIは皆勤賞です(^_^;)

実は9日にはハートコンサートの理事会があって前回はアメリカ旅行中で参加できなかったので

今回はほんとうならソッチに参加しなければならないのですが、やっぱり飯山での稲刈りを優先させて頂きました。(^_^;) その大義名分としてですが…

今回は3連休と重なるという事もあってなのか稲刈りの参加者が例年よりかなり少ないという事。

それと私の一言?から飯山に住み着いて農業を始める事になった笠木さんの゛稲刈り゛もある事。

そして、モモさんの【本所ひとノま】の仲間の飯山ツアーも重なってどうしようかと悩んでいたのですが こちらは幸か不幸か都合で中止になってしまいました(^_^;) 8日(土)は我が家を6時30分に出たのですが3連休の初日という事もあってか渋滞にあってしまい、 休憩もナシでクルマを走らしたのですが、飯山の゛森の家゛に到着したのが集合時間を過ぎた正午をオーバー。 何時もの集合場所になる゛森の家゛の正面入口前の広場には誰もおらず、早く着替えて田んぼに行かなければと

農作業用の着替えと長靴を持って゛森の家゛のフロントに入ったらロビーに会長の小山さんがのんびりそうに

ソファーに座っていて変だなと思いながら、着替えも兼ねてトイレに向うと常連の人達とすれ違い…

聞いてみると、今回はメンバーが少ない上、遅刻が多いので集合時間を少し遅らしたとの事(^_^;)

 

いつものように大ケヤキの下でお弁当をたべて ① ② ③

稲刈り!今年はまだ青い稲穂がまだ残っていたのと、稲穂の密集度が少なく、

メンバーは少なかったのですが、農作業も早く終わってしまいましたが、天気も良く快適な稲刈りを楽しむ事が出来ました。 ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ 

 

もちろん農作業が終わればマイクロバスに乗って湯滝温泉で一風呂浴びて、 藤沢集落の公民館で地元の人達との交流会。

ここの人達ともだんだん顔なじみになってきました。

① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨

今回は飯山市長の足立さんも見えてお話を少ししたのですが

2年後に飯山に新幹線が来る事を自慢されたので 私は「飯山には新幹線など来ない方が価値があるに…」と反論したらシラケテおられました(^_^;)

もちろん宿(森の家)でのニ次回もいつものように(^_^;) ① ② ③ ④ ⑤

 

●     翌9日は笠木さんの田んぼでの稲刈りの日!

昨晩は日本酒とワインを飲みすぎて二日酔い気味でしたが爽やかな朝食で元気を回復! ① ② ③ ④

今年田植えを手伝った田んぼの稲刈りとってきり思っていたのですが、そっちの方は前日に名古屋からこられている 笠木さんのお母さんと親戚の方達総勢6名の助っ人で稲刈りを終えていました。

この日は私も知らなかった田んぼで、その3倍はあるという広さにビックリ!

 

これまで笠木さんのブルベリーの畑から始まって多くの畑を見させてもらい 今年から田んぼでの稲作も初めたと聞いてその田んぼの田植えも手伝ったわけですが、 その3倍もある田んぼにいっぱいの稲穂がたれているのを見て、更にビックリというより度肝を抜かれてしまいました。

まったく農薬を使わず、

まったくの素人から

それもたった2年で、それもたった一人で…ここまでやりとげているのです(^_^;)

私たちが行った時には、もうすでに稲刈りは始まっていました。

① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨

お昼はスキー場がある戸狩りのレストランで美味しい【焼カレー】をご馳走になりました。 ① ② ③

午後からは気合を入れて!…と気持は逸るのですが、なかなかはかどらず、けっきょくタイムオーバー(^_^‘) ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨ ⑩ ⑪ ⑫ ⑬

ほんとうにお疲れさまでした。

ここまでしか出来なくて、助っ人としてはなんとも申し訳ない気分ですが

だんだん田んぼを離れていくと…

こんなに残っているのに愕然としてしまいました(^_^;)

夜は笠木さんのお母さんと叔父さんご夫婦が宿泊されている宿で楽しく歓談させて頂き、 そのクルマでの送り迎いや、何やかやと余分なエネルギーを使わせてしまいましたが

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2011年10月03日 第402号 永田紙工所

「○月○日に○○があるのだけどKENも行かれます?」 ユキはこんな質問を私によくします。 私はその内容を一応聞くのですが多くはユキ自身もヨク分っていない場合が多いのです。(^_^;)

ようするにユキは直感で「行ってみたいな」と思っているだけなのですが、 私によっぽどの用事でも無い限りは逆らわずに一緒に行くことにしています。

ようするに二人とも良く判らない状況のまま出かけるわけですが、 不思議な事に、これまで大きな゛ハズレ゛はありません。

1日(土)に出かけた相模原の大豆作りは3年目になりますが、これも、そんなきっかけから… ① ② ③ 来週の8・9・10の飯山(長野県)での稲刈りも、何も分らず参加して丸4年が経過しました(^_^;)

そして29日(木)、ユキが「レコードのオークションがあって…行ってみます」 とまたわけの判らない誘いがあったので もちろん今回もよく判らないまま行ってみる事にしました。 場所は墨田区石原という事で、なにしろモモさんの【本所ひとノま】のスグそばだというのです。

モモさんとの付き合いもなんだか良く判らないけど、とても楽しいので付き合いが深まっています。 今回のレコード・オークションの呼びかけも、モモさんのとこで知り合った大学生のソウイチロウ君の呼びかけのようでが 我が家にはとっくにレコードプレーヤーはありませんし、どんなジャンルのレコードがあるにかも何も判らないのです(^_^;)

たしかにモモさん【本所ひとノま】のスグ近くに目的地である永田紙工所がありました。 入り口は古びた昔ながらの木の引き戸で鍵が掛かっていて中に入れません、 インターフォンで呼び出すとソウイチロウ君が出てきたので一安心、 階段を下りてこっちにやってくる音が微かに聞こえ引き戸を開けてもらうと そこは、フーテンの寅さんに出てくるタコ社長の町工場といった風情です。(^_^;) ① ②

靴を脱いで2階に上がる階段は、これも昔懐かしい学生の下宿屋という風情ですが、 そこにはソウイチロウ君と同居人の芸大の大学院生ナガツ君、現役芸大生・モリ君 それに今回レコードを持ってきたこの日の主役で年配の深川さんの3名が紹介されました。

年配と言っても私より15歳も若い深川さんですが、3人の学生と比べればグッと年配というだけで 最初から世代を超えた、フランクな付き合いが出来る空気があって、私もユキもスグに馴染んでしまいました。① ② ③ ④ ⑤

この紙工所の2階にある昔風に言うと【下宿家】ですが今風に少し改造された【シェア・ハウス】。 会場となっているのはリビング・キッチンの共有部分という事のようです。

そしてココに集まる人たちが何か面白い事が出来ないかといろいろ模索しているようなのです。 そして今回の企画も深川さんが彼らにパイオニアの大きなスピーカーを譲り、レコードもいらなくなったという事で 彼らが企画した、とても゛ゆるい゛レコード・オークションだったという事のようで ユキの直感が今回も当たって、楽しい若い人たちとの交友がこれからも深まっていきそうです。

レコードも深川さんの年齢より私の年齢に近いものが多く、とても懐かしいものばかり… なかでもプレスリーの監獄ロックやブルースエードシューズなど初期のロックンロールの入ったLPは とても欲しくなってしまいましたが、とりあえず取っておいてもらう事にしました。 それにしても、久々に聞くレコードと大きなスピーカーから聞こえる柔らかく膨らみのある音響と 微かなノイズもとても懐かしくなってきました。

ビールが足りないので近くのコンビニまで買いにいくと、なんとモモさんと鉢合わせしました。 モモさんも今年恵比寿からココに移り住み、若い学生やアーチストも、この墨田区一帯に住みはじめているようです。 庶民的な人との繋がりや、古いレコードを初め多くの古いものの中から新しい価値観を見いだしていく 人たちが増えていくようで、とても楽しみです。 これからもユキの直感に身を任せ、世代を超えて交友を深めていくことになりそうです(^_^;)

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2011年09月26日 第401号 村上智彦医師の情熱

最近はチョットご無沙汰気味になっている月に一度の【日本の医療制度を守る市民の会】のセミナーですが、 ゲストに魅力を感じた時には極力参加するようにしています。 9月22日(木)の講演の案内が『夕張医療センター・村上智彦』となっていて グーグルで検索 ゛画像゛をクリックすると「やっぱり彼だ!」 という事が判って、これは絶対に参加したいと思いました。 村上医師はNHKのドキュメント番組で3度も見ていて、とても感動し印象に残っていたのです。

最初に見たのは2006年5月に放映された【ある地域医療の挫折~北海道せたな町~】 1年後の2007年5月に放映された【地域医療の再生への挑戦~夕張市立総合病院の100日~】 同年10月に放映されたNHKスペシャル【地域の医療はよみがえるか~夕張からの報告~】

5年前の最初に放映されたドキュメントでは 北海道の瀬棚町でムダな医療費を減らすため住民と密着した予防医療に力を入れる村上医師が紹介され、 それが市町村合併で当選した町長と折り合いが会わず、去っていく村上医師を 多くの旧瀬棚町の人々が涙で見送っていくところで終わります。 これに胸を打たれてしまうと、その後の村上医師の動向は気になるもで…彼は闘い続けていくのです(^_^;)

それが日本の医療制度に興味を持った最初で、 内藤さんと早川さんの【日本の医療制度を守る市民の会】にも参加するようになったとも言えます。

毎回、中野サンプラザで午後6時30分から開催されるセミナーですが、

今回は混雑も予想されるので早めに会場入りすると、 堂本元千葉県知事や現千葉市長も来ていて挨拶におおわらわ(^_^;) ① ②

講演も、想像した以上にエネルギッシュで痛快! ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨ 私の思っていた通りの人柄。 そしてなにより村上医師の日本の医療のあり方に対する考えが 私が思う医療に限らず、すべてに通じるこれからの時代のありかたと同じ事に嬉しくなってきました。

 

簡単に言ってしまえば…

日本は世界的水準から見たら、健康に恵まれ、医療水準も高く、医師も優秀! 「もっと!もっと!」と果てしない要求を医療制度や医師に求める事が問題で、

人々が健康管理に努めて、皆が分かち合いの気持ちを持っていれば、これ以上のお金もかけずに充分にやっていける… という真っ当な考えです。

 

でも、こんな真っ当な考えは中々受け入れられないのが゛現実゛でもあるわけですが… 身体を張って地方医療の財政を立て直し闘ってきた村上医師の言葉だから説得力があります。

講演が終わったあとも… ① ② ③

いつものニ次回会場の居酒屋の入り口でも…① ②

そして、もちろん飲み会でも…① ② ③ ④ ⑤

村上医師の熱い熱弁が続き、 ほとんど話す事は出来ませんでしたが、

記念のツーショットいやユキとのスリー・ショットも撮らして頂きました(^_^;)

今回は若い人たちの参加も多く、もちろん彼らとも楽しく語り Facebookで繋がりました。 ① ② ③ ④ ⑤ 3.11以降、政治・経済の報道ににうんざり気味の私にとって…

“人間の命”と常に向き合っている医師たちの考えや生き方が興味深い日々です。

[…]

2011年09月18日 第400号 京都での三日間

怒涛のような日々でしたが(^_^;)

それもひと段落と言いたいところですがユキの時差ボケは重症で 午前3時には目が覚めて、その分、ヘンな時間に居眠りをする日々がまだ続いています。

その勢いも有効利用して16日金曜日の未明から我が家をクルマで出て

17日(土)・18日(日)の今回も公私混同の京都の旅をしてきました(^_^;)

●9月16日(金) 我が家→摂津市(大阪)→京都

1000円の高速利用が廃止され自粛ぎみの昨今ですが、少しでも高速料金を節約するため 午前6時前に高速道路に入るために我が家を午前5時30分に出てクルマは西に… 最初の休憩場所は最近お気に入りになっら『富士川サービスエリア』の朝定食、

レストランから見える富士山の絶景はイマイチだったが、それなりにグー。 ① ②

まずは最初の目的地、摂津市のお米屋さん、① ②

関西に行くときにはほとんど寄る事にしていていいいちごいるお得意様。

東京海上が生命保険をスタートさせて時に第一号の法人契約を頂いたところで 社長であり契約者である吉川さんも75歳でとてもお元気、 この保険は今解約すると払った保険料の6割ほど戻るが、90歳まで生きている契約は終了し解約金もナシ(^_^;)

その事をお知らせして、後はいつものように団欒。

お土産にお米を貰ってしまいました(^_^;)

 

京都の宿はちょっと奮発して京都駅前の京都・新都ホテル。 もちろんユキが格安プランを探してで、ポイント加算もあるという事で、こういうとこに宿泊する時は 早めにチェックインしてゆっくりチェックアウトするのが我が家の慣わしです。(^_^;) 窓から見える京都駅に行きかう新幹線を見ているだけでも面白い。① ②

午後6時30分、京都駅の近くで開催される【震災復興チャリティ座談会&全国オフin京都】のイベント会場に。

10年ほど前に元祖FPの小野瑛子さんのWebで大いに議論を交わしていた時期に親しくなった ゛カンサイテイオー゛こと太田さんが小野瑛子さんをゲストにイベントを開催するという Facebookでの「ご招待状」を頂だいたので、出来る限り参加したいと思っていたのです。 ようするにFP(フィナンシャル・プランナー)の集まりでありまして 私は゛単なる保険屋゛である事が売りで、FPで無い事に誇りを持っている゛へそ曲がり゛で

「FPが日本を滅ぼす」なんてブログも書いているのです(^_^;)

でもあった元祖FPの小野瑛子さんは尊敬し今でもとても親しくさせて頂いていていますし、 今回も多く素敵なFPの人たちと一次会・ニ次回と楽しく過ごさせて頂きFacebookのお友達が増えました。

※当日の写真はピカサのwebアルバムでもアップしておきました。

 

●9月17日(土) 京都

昨日は例によってほとんど徹夜での京都入りと、ニ次回での痛飲で朝がゆっくりと熟睡。

10時までの朝食ビュッフェにすべりこんで、ここでゆっくりと食事とコーヒー。

ホテルでのこの時間が私の大好きなひと時(^_^;) ① ② ③ 12時までのチェックアウトで、それでも余裕… チェックアウトで駐車場は午後1時まで無料で使えると聞いて、「だったら何所へ行こうか?」と俄然忙しくなり(^_^;)

【iPad】で近くの観光名所を探して梅小路公園を探索、 ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧

その美しさにしたっていたらアッというまに時間が経過し急いで駐車場に戻って ギリギリ1時に無料でクルマを出す事に成功したのです(^_^;)

 

そして昨晩、さんから誘われた平安神宮の近くの゛みやこめっせ゛で開催されている

【FP FAIR 2011】に(^_^;)…天気は怪しい雰囲気に ① ② FPでもないしFPにも興味が無いのですがeikoさんから誘われたので、それはそれで楽しいかもと行くことにしたのです。

ところが eikoさんは急がしそうで姿が見えなくなり、私たちもする事がなくテーブルで時間を過ごし ① ②

そろそろ引き上げようかと eikoさんのケイタイに電話すると 「もう見終わった!だったら向かいのカフェテラスにいるから…」

だったら「早く言ってよ!」という気持を抑えて(^_^;) eikoさんの古くからの仲間でFP界では3人エイコと恐れられた?(^_^;)

二人のエイコさんたちとの楽しく懐かしい談義をしているうちに早くも夕時なっていました(^_^;) ① ② ③

 

雨の降る中、知恩院あたりから ① ② ③ ④ ⑤

八坂神社と少し京都の名所を味わって ① ② ③ ④

[…]

2011年09月12日 第399号 無事完了!!

前号に引き続き帰国する8日までをダイジェストで…

●9月5日(月) ハンツビル→メンフィス(テネシー州)

ハンツビルでの宿はユキと義母が4日間滞在していた、ランス宅から歩いてでもいけそう(誰も歩かない)なところにある ヒルトンが経営するコンドミニアム。 ここでゆっくりトーストとコーヒーでテレビを見ながら朝食を取るのが義母の楽しみのようでした。 ① ② 朝食が終わる頃ヒロコがクルマでお出迎え、ランス宅に泊まったパパのケビンと団欒。 ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧

そしてランスのクルマに乗ってケビンをハンツビル空港に送った後、 ① ② ハンツビルの観光名所、ロケット・センターに行ってみるが雨が激しくデジカメで1枚だけ記念の自撮り。

① ② ③ ランスの職場をクルマから眺めて、ターゲット(大型スパー)にちょっとよってヒロコと婚姻届を出して時の

記念写真に写っていた白黒ツートンのゴルフ用の傘を購入(その傘を無くしてしまったようで)などして帰宅。

またしばらくのんびりと時間をすごした後、① ② ③ ④ ⑤ 最終目的地であるメンフィスに向ってドライブ。

雨が激しく降っているのでクルマの中で食事が出来る『SONIC』でアメリカンスタイルの昼食を(^_^;) ① ② ③ ④

途中、竜巻被害があった場所も通過していくうちにだんだん天気が回復し、ご機嫌なドラブ日よりに。 ① ② ③ ④ ⑤ ⑥

そしてミシシッピー川の夕日が美しいエルビス・プレスリーの町メンフィスに到着! ホテルにチェック・インしたあと、ゆっくり歩いて夕食へ。 ① ② ③  ⑤ ⑥ ⑦

食事にウルサイ義母はアメリカではステーキだったら満足するという事が判って ランスが前もって調べていたステーキの美味しいお店に。

もちろん義母も大満足でワインもパンも美味しくて、それに円で換算すると日本では考えあれない値段です。

ランスと私が並んで座るとそれほど背が変わりません(^_^;) ① ② ③ ④

 

●9月6日(火) メンフィス(テネシー州)

ホテルで軽い朝食を済ませてメンフィスの町に… ① ② ③ ④

1940年代から続いているというビーボディホテルでのメンフィス名物   『アヒルの行進』を見物して ① ② ③ ④ ⑤ そしてメンフィスと言えばエルビス!そのエルビスの邸宅をそのまま残した『グレイスランド』に ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨ ⑩ ⑪ ⑫ ⑬ ⑭ ⑮ ⑯ ⑰ ⑱ ⑲ 明日の早朝の飛行機で帰国の途につくので、お土産を買いにウォルマートに。

昔からアメリカ土産はスパーでの菓子類と決めているのだが1ドル80円で計算すると更なる格安感!

① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧

このウォルマーットは黒人ばかりで見かけた白人はランスだけだった(^_^;) 夜は『ブルースの故郷』と言われる『ビールストリート』に、出来たのは1860年、黒人ミュージシャンの溜まり場になって

黒人経営のクラブやレストランが出来て、1940年代後半…BealeSteet BluseBoy  BBキングなどが現われ

R&Bの時代になって…そして1950年代半ばにエルビスが現れ「ロックンロール生誕に地」 にもなってしまうという

大変なところだったのです(^_^;)

そんなところで素晴らしい音楽と美味しいビールと食事を堪能し今回の旅の最後の夜を満喫しました。 ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨ ⑩ ⑪ ⑫ ⑬ ⑭ ⑮ そしてYouTubeでライブ演奏を(^_^;)

 

●9月7日(水) 9月8日(木)  メンフィス→シカゴ→成田空港→我が家 5時50分の飛行機で国際線乗り継ぎの場合は2時間前までに行かなければならないようなので

ホテルを午前3時過ぎにチェックアウト(^_^;) でもメンフィス空港では結局一時間以上も待たされて、、① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ 普通の国内線と同じような手続きで搭乗 ① ② ③ シカゴ空港でも来た時のような機内預かりの荷物のピックアップもなく

義母はこんな乗り物にも乗せてもらいスムーズに帰国の路につき事が出来てしまいました。 ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦

夜は我が家の近くのお蕎麦屋さんで(^_^;)

※ランスが撮ってくれた写真も ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨ ⑩ ⑪ ⑫ ⑬

 

●9月9日(金)

中尾家によって母の焼香と、お土産ばなし… ① ② ③ ④ ⑤ 

義母を羽田空港まで見送って ① ② ③ ④

いろいろあった一生忘れることがないであろう濃密なひと時は無事終了いたしました。 母と同い年の義母の体力というより精神力と好奇心の強さには感動しました。

そしてそして

[…]

2011年09月05日 第398号 ザ・ロンゲスト・ウィーク

“母の葬儀” とひとり娘の “ヒロコの結婚披露宴” が同じ週に行われるという私にとってはとても とても長い一週間になってしまいました。

ヒロコは今年の4月にランスと婚姻届を出し、その時に二人っきりで式らしい事もやっており 披露宴ですが、ま~私の気分としたら結婚式のようなものです(^_^;)

前編 【母の葬儀】 8月29日(月)~9月1日(木)

●29日(月) この日は私とユキと宮崎の義母と3人で、成田発午前10時45分の飛行機で ヒロコの結婚披露宴に参加するめアメリカに行く予定になっていたのですが、 母の突然の死で、私は当然残る事になって成田空国には見送りに。

突然の出来事と徹夜明けで、見送られる方も見送る方も最小限の口数です。 ① ②

私は成田空港から私の妹の中尾由美子宅に向って葬儀屋との打ち合わせ。

(由美子が実質的に母の面倒を任せていて私は中尾家には頭が上がりません^_^;) 葬儀は、まずは戒名も坊さんもいらない家族葬で母らしい明るい葬式で行く事に。

母の二人の妹、美智子叔母・京子叔母が駆けつけてご焼香。 ① 中尾家の次女・マキと安田コウジ君の医師夫婦がカケルとワタルの息子をつれて。 母はコウジ君にはとてもとてもお世話になっているのです。

初めは母の遺体を怖がっていたカケルとワタルも両親の普段とまったく変らない母との接して方を

見たのをきっかけに、この葬儀を明るく盛り上げてくれました。 ① ② ③ ④ ⑤

●8月30日(火)

私のもう一人の妹・淳子がひたちなか市から息子のナオヤ君とやってきました。 ① ②

母が毛糸で作っていた人形のハッピーちゃんで母を囲みました。 ① ちなみにハッピーちゃんの命名はヒロコが着けたようです。 中尾家の長女ユリが弾く沖縄の三線には、いつも大きく反応し手拍子をしていた母、

これにあわせて踊ったり、みんなで母を囲んで記念撮影をして大盛り上がり。 そんな時に、母の遺体を葬儀への移動するために葬儀屋さんが。 なんだかヘンな宗教だと思われるのもナンダからと慌ててハピーちゃんを片付けて

皆で神妙な顔をして母を送り出す事に(^_^;) ①

●8月31日(水)

映画【おくりびと】で納棺師という職業も風習も始めて知った私ですが、 葬儀屋さんがとても薦めるのでやってみる事に(^_^;) 映画でモックンがやったほどの本格的なものではありませんでしたが、 みんなで母を綺麗な身支度(みじたく)をさせて、 なかなか感動的でアット・ホームで良かったと思いました。

写真はロイターのカメランマン、ユリ撮影によるものです…① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ 家族葬で戒名もお坊さんもいらないという今回の私たちのような葬儀が増えていく中で

葬儀屋としての起死回生を図ったのでしょうが(^_^;)

ロスにいて今回の葬儀には出席できずヒロコの結婚披露宴には参加してくれる

中尾家の長男シュン君のフィアンセ(婚姻済)で東京海上のライバル会社に勤務する

ナオコちゃんも最初から最後まで参加してくれました。 明日の葬儀会場に母を安置させて、みんなで登戸のイタリアレストランで食事をしました。 ① ② ③ なぜかこの期間いつもより多くケータイに仕事の電話が入ったような気がします(^_^;)

●9月1日(木) いよいい葬儀当日! 前の晩は母の思い出の写真を公開しようと明け方5時過ぎまで編集をしていたのに ちょっと仮眠して寝過ごしそうになって家を慌てて飛び出してしまい、 持参したパソコンに最終セットし忘れて愕然。 母が亡くなって泣いているのではありません(^_^;) ① 私の妹・淳子の夫で日立の原発で今や超多忙な技術者・松平ミノル君も前夜遅く来てくれて 由美子の葬儀から葬儀の内容を聞いて驚いた様子(^_^;) 家族葬という事でしたが、どこかで母の死を知った人たちが駆けつけて頂き ① ② ③ ④ 早速、由美子が『東京音頭』や『瀬戸の花嫁』(これは母がヒロコのためにという事で由美子が選曲)

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