2007年01月08日155号 正月もアッというまに…

早いもので、正月もアッというまに終わったようです。

”終わったようです”というのは毎年のことですが… 正月の準備などまったくせずに、したがって正月らしい”生活”はまったくなく 何時ものように仕事兼用のリビングの大きな雑然としたテーブルでYUKIと向き合って まーそこにヒロコも加わるわけですが… テレビもほとんど見ずにボーとしているうちに正月が終わったようなのです。

でもこれが、 オソロシイコトニ我が家の”文化”にさえなりつつあるのです。

元旦はゆっくり昼過ぎに起床。 この日はヒロコの誕生日でもあるのです。 元旦の誕生日というのは,よっぽど意識していないと、ツイ忘れがちになるのです。 ところが本人のヒロコはしっかり意識していますから、忘れたらコワイのです(^_^;) てなことで、元旦にささやかな誕生セレモニーなぞ、やるものですから ますます我が家の正月は正月らしくなくなっていくのです。

2日の日は全国高校サッカーの試合を見に北区の西が丘サッカー場に行きました。 昨年、偶然にもワールド・カップを見に行くことになった我がファミリーですが その前にサッカーの試合を生で見たのは 1984年のロスアンゼルスのオリンピックでヒロコが2歳の時です。 ヒロコはもちろん覚えてもいませんが、私もYUKIも、たしかサッカーの試合をナイターで見た という記憶だけで、どことどこの国の試合だったかも覚えていません。

でも日本で始めてサッカーを見るというプアな状況も リッチな気分になってしまうのが我が家の”めでたさ”なのです(^_^)

さて、なぜ全国高校サッカーか?というと 私の大学時代の友人・川村君の長男で我が家にも来たことのある洋一郎クンが 平塚ベルマーレのユースから山形県の羽黒高校に入学し、2年生ながら主力選手として出場しているのです。 弟の慎二郎クンもリトル・リーグから野球をやっていて、やはり羽黒高校の1年生で野球部。 兄弟別々のスポーツで名門羽黒高校に地元以外からやってくるケースはめずらしいようですが 川村君はリトル・リーグの審判をしたりして、川村夫妻は二人の子供が幼い時から 野球やサッカーの活動に積極的にかかわってきたのです。

試合の結果ですが、肝心な洋一郎クンは31日の第一試合で肩を脱臼して結局出番はナシ 試合は0対2で敗退してしまいました。 泣きながら応援席に挨拶するメンバーを洋一郎クンは肩をたたいて励ましていました。 洋一郎クンはまだ2年生、来年もあるという余裕でしょうか(^_^) 川村夫妻の生き甲斐はまだまだ続きそうですが、我々も便乗して応援していこうと思っています。

近所の神社に散歩がてら初詣をしたり ヒロコは年末コンサートのビデオ編集をしたり、スパゲティを作ったり 私は読書三昧…と暮れの忙しさがウソのようにのんびりと過ごしました。

そうそう思いがけない初仕事もチョッピリとする事が出来ました。 私はお客様から生命保険の相談があった時は、出来る限りのプレゼンテーションをしますが それに対して反応が無い場合は、こちらからシツコク深追いすることが出来ない性格でして かなりお客様を逃がしているかもしれません(^_^;) でも、こちらが忘れた頃に、お客様の方から「かなり時間が空いてしまったが加入したい!」 という連絡が年に数回あって、それはとてもとてもウレシイのです。 それが5日にあったのです、2年も前にアプローチしたお客様です。

のんびりした正月休みで、なかなかエンジンがかからないナマケモノの私ですが… 出しは好調のようです(^_^)

特別増刊号 ドイツの旅10日間 – 6月23日 第8日目 【ベルリン観光からGothaへ】

ドイツといえばベルリンです。 今回の旅行の主目的地のニュルンブルグとは南北でかなり離れていますが でもドイツを10日間も旅行してベルリンを外すわけにはいきません。 ヒロコも2年ほど前にローマ短期留学の帰り、ドイツの何都市かを旅したのですが ベルリンには行っておらず、今回は是非行きたいとの要望もありました。

しかし、昨日はベルリンに滞在しながら500㌔近く離れたケルンと360㌔離れた ドルトムントの列車往復をしてきたのです。 わざわざレンタカーで東京まで行って、そこから京都と名古屋の日帰りツアーを してきたようなモノでした(^_^;)

ヒロコの仕事仲間のジョンはベルリンを見るなら最低4日は必要と言ってたそうです。 その彼とも、我々の短い滞在時間と彼の仕事の都合が合致ぜず逢う事は出来ませんでした。

私達がベルリンにかける時間はあまりありません。 本当は無いわけでは無いのですが… せっかくドイツまで来たのだからベルリンに3泊はもったないという考えになるようですが… どっちがもったいないかも判りません! あまり、こんな事を難しく考えてる時間もありません! ただただ貧乏人の性(サガ)に突き動かされて旅をする運命に私はあるのです(^_^;)

我々の旅が少々?ハードになる原因に一つにインターネットがあります。 朝に集中してその作業が、どうしても朝に集中してしまうからです。 したがってチェック・アウトがいつも11時ギリギリになってしまう事が多く 予定していた一日のスケジュールが押せ押せになってしまうのです。

でも、仕事を持った者が長期の旅をする時に パソコンは本当に便利なツールである事は今回の旅で実感しています。

ザルツブルグやプラハの暑さにビックリし、昨日はこの旅で初めて寒さにビックりしましたが この日は日差しは暑くても、ちょっと木陰に入ればエアコンかと思うような 涼しさがありとても快適です。

ベルリン中央駅の近くの駐車場にクルマをおいてまた どこまで歩くのか今日もまたハードな、いや楽しい行軍?が始まります。

しばらく歩くと何かの写真で見た、サッカー・シューズの大きなオブジェがありました。 このドイツの旅10日間のサイトの表紙に使用している写真は ネットからコピーしたもので(^_^;)…どこなのか?と思っていたのですが ありました! ベルリンの象徴、ブランンブルグ門のまんに前に設置されていたのです。 もちろんベルリンの壁も見てきました。

YUKIがバブルの頃に勤めていた【ブガッティ】のショールームがありました。 本来はイタリアの歴史的クラシックカーを現代に蘇らした超スーパーカーですが まだこうして売られているのには感動するものがありました。 それにしても、ドイツという国は古いモノも、新しいモノも とても綺麗でカッコーいい…というのが実感です。 そうそう食事も、安くて、美味しくて、そして美しい!

歩きに歩いて、帰りは電車に乗って2駅目のクルマが置いたあるベルリン中央駅へ。 この時点で時計は4時チョット前、 駐車場にも戻って5時丁度にベルリンを後にします。

ベルリン観光ハイライト写真集です。 ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨ ⑩

次にカーナビをセットしたのは…330㌔ほど離れた【Gotha】と言う街 持参した『地球の歩き方』にも載っていない小さな街のようです。 ほんとうはそこから30㌔ほど離れたバッハで有名な【アイゼナッハ】に泊まりたかったのですが トリプルの部屋の予約が取れず、やむなくそこにしたのです。

カーナビをセットすると目的地まで330㌔、所要時間2時間50分と出ました。 どこから、どう行くかまったく判りませんが、今はベルリンのど真ん中にいるのです。 でも結論から言うとピッタリ午後7時前に目的地に着いたのです(^_^;)

ベルリン市内の渋滞や、道を間違えたり、工事渋滞もあったにも関わらずです。 そう!アウトバーンです!平均で170㌔くらいで走りました。 最高で200㌔ちょい前くらまでは出しました。 […]

特別増刊号 ドイツの旅10日間 – 6月22日 第7日目 【ベルリンから列車往復/ケルン&ドルトムント】

まったく気まま旅を続けていますが、この計画性の無さは無謀さにつながります。 毎日の旅は刺激的でついつい夜おそくまで活動してし 次の目的地を決める思考能力が低下して、つい衝動的に決めてしまいます。

プラハからベルリンに行こうといのが衝動的なら… ベルリンでクルマを置いて列車でブラジル戦のある【ドルトムント】行って 雰囲気だけでもたのしもう(チケットは無いので)というのも衝動的… その前に【ケルン】に 行って大聖堂も見に行こう、なんて事まで衝動的に決めてしまったのです。

ベルリンからケルンまでの距離は470㌔。、 高速列車で4時間です。 ホテルを早朝に出れば、どうにかなったのかもしれませんが

昨晩は夜11時の遅いチェックインで例によってネットがつながりません。 小さな個人経営のホテルで何も聞けず、部屋には電話もなく… 朝食時に、やったホテルの主人からネット事情を聞くしかありません。

だいたいヒロコもYUKIも、起きてるのが遅いのです… (二人に言わせれば私が年寄りのせいで朝が早いというのですが) 朝食のビュッフェでヒロコが宿の主人から聞いたパスワードで メールのチエックとこのサイトのアップも… 部屋に戻ってヒロコもYUKIもPCでお仕事?

結局、ホテルを出るのが10時過ぎで、行き方や切符の買い方を聞きながら ベルリン中央駅から特急列車に乗ったが11時近くです。 それも、列車が途中で切り離され、慌てて前の車両に乗り換えたり ほんとうにケルンに行けるのか、最後まで不安がつきまといます。

ケルンに着いたのは3時過ぎ、ホテルを慌てて出た時から感じていたのですが… 今まで暑さとうって変わって寒いのです! 現地の人をよく見ると誰もが長袖でジャケットやコートを羽織って、います。 私達3人はお揃いの半そでの、ユニホームのみ(^_^;) それでも、元気よく大きく道を間違えながケルンの名所、大聖堂に向かいます。

大聖堂まで結構な距離を歩きましたが、大聖堂はケルンの中央駅のまん前に あるあずなのです、しかし間違えて別の小さな駅で降りてしまったのです。 まーそれは、それで、本来なら気ままな旅で楽しいのですが 問題は【ドルトムンド】です。

ドルトムンドはこの日、日本対ブラジルの試合が行なわれる場所です。 チケットは持っていませんが、現地の雰囲気を味わって そのファン・フェスタでの生中継の大スクリーンで盛り上がろうという計画です。 だから3人はサムライ・ブルーのユニホーム一枚着てホテルを飛び出したのです。

でも、よ~く考えてください。 (考えなくてはならなっかたは私達ですが^_^:)

わざわざベルリンまでクルマで行って、 そこからわざわざ500㌔くらい離れたケルンの行って、そこから120㌔の ドルトムントに行ってベルリンに帰るという計画です。

ドルトムントのキック・オフは夜の9時からです。 試合終了は夜の0時頃で、ベルリンに帰るのは翌日早朝になります。

わざわざベルリンに来ているのにベルリン観光も少しはしなければなりません。 しなければならない事はありませんが…やっぱりしなければなりません(^_^;)

ベルリンではヒロコの仕事仲間のジョンが住んでいるのでヒロコは電話しましたが、 我々のスケジュールに聞いて一言…「クレージー」と言ったそうです。

結局、ケルンに一時間ちょっと、ドルトムントは一時間弱 キック・オフ直前の9時前に列車に乗ってベルリンに戻る事になりました。

徹夜で応援という選択もあったのですが、もうドルトムントはお祭り騒ぎの 大変な人ごみでファン・フェスタのスクリーン前は、私達が行ったときには既に 満員で札止め、それにあまりもの寒さで、諦めることにしたのです。

今までのクルマの旅なら、どこかで試合を見ることが出来たのに 丁度、その時間に限って列車の中という間の悪さにはガックリです。

食事も朝のビュッフェでの軽い食事で夜の9時過ぎまで 何も食べておらず、私もだんだん不機嫌になってきます。

[…]

特別増刊号 ドイツの旅10日間 – 6月18日 第3日目 【W杯・クロアチア戦の日)

いよいよクロアチア戦の日がやってきました。 昨晩は門限ギリギリのチェック・イン(安いホテルなので門限付き^_^;)で夕食は抜き! 朝から3人はサムライ・ブルーのユニホームを着て、まずはホテルの朝食ビュッフェを制覇に向かいます。

何と狭いビュッフェには、サムライ・ブルーのユニホームの日本人がほとんどです。 もう挨拶も自己紹介もなく、いきなり普通にサッカーの話で盛り上がります。 クロアチアのユニホームを着た人もいて、気持ちはハイになるばかりです。 食事のテーブルも日本人同士であれば、何の抵抗もなく相席になってしまいます。 ロスから見に来たという熱狂的なサッカー・ファンと話がはずみました。

試合開始は午後3時からですが、この日はサッカーに集中です! レンタ・カーはホテルにおいて、なにはともあれ競技場まで電車を乗り継いでいく事にしました。 ホテルを出るとき、ビュッフェで一緒だったクロアチア人とも記念撮影です。

ホテルから競技場までの道のりは結構遠く複雑ですが、 ブルーのユニホーム姿の流れについていけば、どうにかなりそうな雰囲気です(^_^;

地下鉄で一緒だった3人の若者は次回のW杯の開催地の南アフリカから来たとようです。 ニュルンブルグに着くとクロアチアのあの赤と白のユニホームが溢れています。 彼らは身体も声も態度も、すべて大きく…圧倒されます。 我々に向って「すしボール!すしボール!」と、合唱されたのには 思わず笑ってしまいましたが…笑っている場合ではありません。

地下鉄から競技場のある駅までの向う電車のホームはJR状態で、日本人でいっぱいです。 駅から競技場までも、けっこう歩きますが近づくにつれ クロアチア人が多くなっていきます。 彼らはバスやクルマを使って直接やってくる者も多いよいうです。 なにせ、直線距離だと500㌔ぐらいしか離れていないのですから。

競技場の近くはナチス・ドイツを象徴する建物と大きな池の公園になっていて どこも、かしこも、ブルーと赤白チェックのサポーターで溢れかえっています。 ライバル心と友好心とが入り乱れ、W杯ならではの楽しい雰囲気です。 日差しは暑いのですが、木陰に入れば涼しく、空気か乾燥しているのが救いです。

軽い食事を済ませて早めに競技場に入る事にしました。 チケットは2枚しかないので、YUKIとはひとまずお別れです。 実はダフ屋も出ていて、ギリギリになれば200ユーロぐらい出せば、手に入るというのです。 しかし、競技場の外にも大きなスクリーンが用意されお祭り騒ぎで… YUKIはドキドキしながら実戦を見るより、こちらでのんびり見るのも楽しいそうというのです。

競技場な入るのには荷物とボディ・チェックがひとりひとり丹念に行なわれ、 ペットボトルはすべて没収されてしまいます。 こから競技場までも、かなりの距離があり、ほんとうによく歩きます(^_^;) いよいよ、改札ゲートをくぐって競技場です。 3時のキック・オフ1時間前ですが競技場には熱気があふれ、 両国のサポーターも応援合戦がすでの始まっています。

我々の席はメイン・スタンド側で、とても見やすいなかなかの席です。 でも、ココはW杯のスポンサーで、今回我々が当選したマスター・カードが抑えている席のようで 日本の応援席というものではなく、国際的なものになっていました。

試合の経過や結果はもう皆様、ご存知のことと思いますのでココでは書くまでもないでしょう。 でも、本当に楽しく、そしてアッというまに終わってしまった感じでした。 ひさびさに興奮してスポーツを見ました、ココで飲んだビールも最高でした。

競技場を後にする時は、 ブルーと赤白のユニホームが混じりあって みんなおとなしく帰っていくところが、とても良い雰囲気でした。 ユニホームをサポーター同士が交換しているところも、たくさん見ました。

YUKIも大変、たのしく過ごしたようで、たくさんの外人?とも、お友達になれたようです。

ニュルンブルグの街には路面電車で向かいました。 ここでも、日本人とクロアチア人でごったがえして原宿状態です。 今日はクルマはホテルにおいています、したがってビールの見放題の日と決めたのです。 いやはやドイツはビールが旨いのです!

ニュルンブルグの観光もしなければなりませんし… 日が長いの本当に疲れます、イヤ助かります(^_^;) […]

2006年05月22日122号  ドイツ・モード

一応、ドイツまでの往復の航空券は確保しました。 6月16日の午前9時25分成田発のエア・チャイナで北京経由フランクフルト着です。 台北経由とか、クアランプール経由とか、香港経由とか、モスクワ経由とか パリ着だとか、アムステルダム着だとか、ミラノ着だとか なにしろヨーロッパ大陸に辿りつけば、どうにかなると、YUKIはネットで探し回った結果、 1名10万円以下の往復航空券をまずは確保したのです。

我が家のカレンダーには6月16日から帰国する26日まで太いマジックで線がひかれました。 もちろんクロアチア戦のある18日(日)には大きく○がされています。 決まっているのはフランクフルトに夜つくので、空港近くのホテルだけです。 今YUKIに確認したところ、本当の空港近くのホテルは高いし、もうどこもいっぱいだったので、 正確に表現すると…空港から少々離れた、空港近くのホテルだというのです。

それでも、長旅でドイツに着いた夜の宿が決まっているのは心強いものです。 昔よく家族で貧乏旅行をしたものですが、空港に遅く着いてから、大きな荷物を引きずりながら、 右も左もわからない海外で安宿を探すのは、けっこうキツイものがあります。

でも決まっているのは、ココまでです。 18日はニュルンブルグにいなければなりませんが、その前日または当日の宿も決まっていません。 なにしろドイツ国内でのスケジュールは白紙状態です。

あまりサッカーには詳しくなく、ましてワールド・カップを見にいくとは、つい最近まで夢にも 思っていなかった私ですから、顔と名前が一致する選手と言えば… 中田英とか、川口とか、中村とか、稲本とか、宮本…ぐらいでした。 ところが先週15日に日本代表がジーコ監督から発表される生中継を見てからは 巻だろうと、坪井だろうと、駒野だろうと…全メンバー23名の顔と名前は バッチリと私の明晰?な脳みそに叩きこまれました(^_^)

テレビも先週ぐらいからワールド・カップ関連の番組が一機に増え 気持ちはだんだん盛り上がり、ドイツ・モードになってまいりました。

去年の6月といえば、東京海上のコンベンションでYUKIとハワイに行きました。 今年も連続を狙っていたのですが、惜しくも届きませんでした。 しかし、もしハワイが決まっていたら丁度ぶつかって、どちらかを放棄しなければならなくなっていたのです。

私はYUKIに、「今年はハワイを決めなくてよかったね」と言ったら 「ハワイが決まらなかったという事は、去年より契約が少ないという事で、収入が少ないという事です、 それなのに家族で自費でドイツに行くのですから、どれだけ家計が苦しくなるかは、わかってらしゃいますよネ!」 と言われてしまいました(^_^;)

えーえーその事は充分に理解をしています。 貧乏旅行も慣れています。 しかし、もう私もそれほど若くはありません。 それに私の還暦祝いを兼ねた旅行じゃありませんか。 少しは優雅に、のんびりと、楽しい旅をしたいものだと、心のそこでは思っているですが…。