2011年05月09日 第381号 宮崎から無事帰宅

予定通り6日(金)の夜、厳密に言うと7日(土)午前0時10分に無事帰宅しました(^_^;)

先週号では30日(土)1日(日)を紹介しましたので

今回は帰宅するまでの2日~6日までの5日間を紹介します。

…とは言っても2日・3日・4日はYUKIの踊りの稽古がメインで
私は横でビデオを録ったりしてモッパラ見ているだけであります(^_^;)
昨年はヒロコとYUKIが初出演でしたが、今年はヒロコが参加出来ず
義母からYUKIに「健一朗さんは参加してもらえないだろうか?」という
熱いラブコールがあったようです(^_^;)
これに私はマンザラでも無い返事をYUKIにしておいたのですが…
私がこれ以上仕事をしなくなったら困ると思ったのか?
何の返事もなく今年はYUKIのみの参加で収まったようです。

★2日(月)、宮崎での定宿のひとつとなったシーガイアの中にあるコテージ・ヒムカでの朝。  
昨晩は深夜のチェックインでブログのアップが精一杯、
先週号の週間KENは実はこの日に書いて1日送れでアップ。
義母の家で昼からYUKIの踊りの稽古、それにしても、    
来年は90歳という義母、ますます元気になっていくようで恐れ入る(^_^;)

★3日(火)、もちろん、この日もYUKIの日本舞踊の稽古。
昨年は【黒田武士】だったが今年は【露の尾花】という粋な踊りで
正直言って、なんでこんな難しい踊りを選ぶのか?…1月に来た時は思っていたが
けっこう形になっていきている(^_^;)
この日の夕食は前回も美味しくて感動した【うなぎのかねしん】に行く事になっていて、
クルマで繰り出したのだが、なんと火曜日は定休日(^_^;)
急遽、これも私のお気に入り、宮崎漁業連合会が経営の【ぎょれん丸】で食事。

    

★4日(水)、義母の家に行くまえに地元農家の直売所で宮崎の名物でもある『切干大根』を大量購入。
私はこれを水で戻し浅漬けの素を少し入れるだけで食べるのが大好物で
マルエツで買う半分以下で購入でき、しかも美味しく種類も豊富(^_^;)   
この日で今回のYUKIの稽古は終わりで後は6月19日の本番前に。
なざか?宮崎の最後の日はピザーラのピザと決まっていて、   
宮崎を後にして、この日の宿は約400キロ先の北九州市のビジネスホテルへ。

★5日(木)、このビジネスホテルも3回目、
二人で8400円で食事もついて部屋もまーまー(^_^;)
ここから本州に入って今回の旅の最終宿、三重県の津市まで約750キロを走る事に。
天気もよくドライブも快適で早く目的地につくのでは、と思っていたが   
関西に入ったとこらから渋滞で結局、チィックインは午後9時。
カーナビにも出てこない新しい大きなホテルで値段も北九州のホテルと同じで
大浴場までついていてサービス満点でとてもリーズナブル。             `ROKU
でも高速の割引も無くなってしまうと、このようなホテルがやっていけるか心配にもなります(^_^;)

★6日(金)、これで最終日!
日本全国行っている私ですが、なぜか三重県には縁がなかったので、
今回は伊勢神宮やその周辺を観光して帰ろうという事になったのです。

伊勢神宮のハイライト写真です。
まずは伊勢神宮外宮から…
       

伊勢神宮内宮
           

有名なおかげ横丁です。
           
もちろん赤福も買いました。

    

次に有名な二見が浦の夫婦岩にも行きました。
     

そしてパールロードをドライブして

         

志摩スペイン村のホテルによって
      
川崎の我が家に午前0時10分に無事到着したしだいです(^_^;)

そして今週は11日(水)にヒロコが夫・ランスをつれて一時帰国、
また次回の週間KENも盛りだくさんであわただしくなりそいうです(^_^;)

2011年05月02日 第380号 今は宮崎にいます!

今、宮崎にいます!
毎週月曜日未明にアップする週間KENが書けずに遅れてしまいました。(^_^;)

先週号では28日か29日にクルマで宮崎往復の旅に出る予定と書きましたが
結局我が家を出発たのは30日(土)の朝でした。

のんびり3泊ぐらいして宮崎入りをしようと思っていたのが
我が家から調度1000キロぐらい行った山口市のビジネスホテルで一泊。
次の5月1日は山口市から唐津・有明海・八女を経由し600キロ走って宮崎の定宿に午前0時に到着、
とりあえずブログだけはアップし午前3時に就寝。
2日は午前中、銀行や郵便局に行って午後は義母の家でなんやかやと…
ようするに週間KENを書く時間が無かったのです。(^_^;)
(なんせクルマを運転するのはも私だけですから)

5月8日頃に我が家に帰宅する予定でしたが、これも6日に早められました。

ヒロコがランスを連れて11日に一時帰国するのでなるべく早く帰っておきたいというのです。

すなわち当初の予定は4月28日に出発して5月8日に帰ってくるという10泊11日の
ゆったりした旅の予定が4日短縮され、とてもハードな旅になりそうです(^_^;)
(なんせクルマを運転するのはも私だけですから)

本来なら今年は高速道路が平日でも、どこまで行っても1000円になる予定が

これまでの休日1000円も無くなってしまうので、

このような恒例公私混同の旅の総決算と思っていたら、こんな事に(^_^;)

9月3日にはアメリカでヒロコとランスの結婚披露宴があるようです。

少しでもお金も節約しておかなければなりませんし…悠長なことばかり言っておれません(^_^;)

…というわけで、あわただしい日々が続くようです。

4月30日我が家を出て5月2日未明、宮崎に到着するまでの2日間ダイジェストです。

 

★30日、午前6時11分出発と言いたいところですが
これから20分ほどYUKIを待って6時30分に我が家を出発、
大震災の自粛モードで人出は少ないと言ってもゴールデンウィークで渋滞。

朝食は富士山がよく見える富士川サービスエリアでいつものヘルシーな朝食。   

豊田から新東名に入って、昼食は土山サービスエリアで、いつものヘルシーな昼食。 

中国自動車道の、どこかのサービスエリアから、今晩泊まる安いビジネスホテルを検索
山口市のホテルを予約。
雨が激しく降っていて夜も遅くなりそうなので、山口インターの手前のサービスエリアで
この日、3度目のいつものヘルシーな晩飯を…と思っていたら閉店。

結局、ホテルの近くのセブンイレブンでお弁当とビールを買って寝ました。

★1日、朝はビジネスホテルのビュッフェ式朝食でヘルシーな朝食
ホテルの窓から駐車場が見えるのですが、
あたりまえの光景も、なぜか津波で流されクルマに見えてきます(^_^;)

ホテルから10分ほどで中原中也記念館があるので寄ってみました。

なかなか良かったです。         

1月にも伺って佐賀県唐津のお客様に、今回もアポなしで訪問したのですが
療養中の主人が一週間前に亡くなったばかりという事で、びっくりしました。

有明海を見た事の無いのでちょっと行って見よういう事になりましたが
どこも人はおらずとても寂れていていました(^_^;)          
ただ麦畑はとても雄大で綺麗でした。    

もうココから宮崎に向かわなければと、

カーナビをセットした高速の乗り口が約40キロ先の【八女インター】という案内。
八女には大学時代の友人の木下さんがレストランをやっているので
この日は昼ぬ抜きで走っているので、そこで夕食をという事に。    

ヘルシーな豆腐ステーキは、あまりヘルシーでもなさそうだったけど美味しく食べて(^_^;)
宮崎の定宿、シーガイアのコッテージに午前0時に到着!
ブログはアップしたのですが週間KENはアップできずに寝てしまった…

ハードでヘルシーな1600キロの2日間でした(^_^;)

2011年04月25日 第379号 瓦礫の山?

今、私は瓦礫の山の中にいます。
震災の被災地ではありません、我が家の部屋です(^_^;)

YUKIは21日(木)~25日(月)から宮崎に行っています。
6月19日の宮崎での踊りの会にYUKIが今年も出場する事になっていて

その稽古をするためです。

昨年はヒロコも踊りに参加したので、ゴールデンウイークに3人でクルマで宮崎を往復して
その途中時間をとって旅を楽しんだので、今年も二人でそのような旅をする予定でいました。

でも、それだけだと稽古が足りなくなると思ってYUKIが先に特訓にでかけたのです。
したがって私が後から一人でクルマで宮崎に向かえばいいのですが、なんせ宮崎です(^_^;)

さすが私でも宮崎まで、いくら休日1000円と言ってもストレートで行く自信はありません。
スケジュールを決めず途中の状況に会わせケンカしながら行くからオモシロのであって
一人でクルマで行く意味がなくなります、

だからと言って私が飛行機で宮崎だけを往復する意味もありません。

というわけで…YUKIは25日に一旦飛行機で我が家に戻って
それから28日か29日に、今度はクルマで昨年同様、そして今年2度目の宮崎往復の
旅をするという事になっているのです。(^_^;)

…とま~マエオキがとても長くなってしまいましたが(^_^;)
ようするに、YUKIが25日に帰ってきて、
その2・3日後にクルマで宮崎往復の旅に出て、ゴールデンウイークの終わる
5月8日頃に帰ってこようと思っているのですが、
5月11日にランスがヒロコと一緒にやってくるのです(^_^;)

近くに住んでいる私の妹でさえ、もう10年以上我が家には決してこささず
もっぱら妹宅に私たちがおじゃまするパターンなのです。

しかし今回は、そうはいきません。

今回、ランスは3泊4日でやってくるのは初対面の私たちに会うためで
こちらで都内のホテルを取ってヒロコと一緒にいてもらおうとは思っていますが、
一度も我が家にはこないでホテルだけというのは不自然です。
なんてったってヒロコの亭主で、ヒロコの部屋は当然の事ではありますが

狭い我が家の中にあるのです(^_^;)

なんせ年末の大掃除すらやったことのない我が家です。
ただ、YUKIの名誉のためにヒトコト言っておきますが
YUKIは掃除や洗濯は良くするヒトではあるのです。
ただし、片付けたり整頓したりはほとんどしないので、
その隙間に掃除機をこまめにあててチリや埃はとても気にするのです。

今回も出かける前に、乱雑に色々なものが山済みされたテーブルを前に
「勝手に片付けないで下さいね、判らなくなってしまいますから…」
なんて言ってから出かけてしまったのです。

瓦礫の山を見てただただ呆然としている内に…YUKIが早くも帰っきます(^_^;)

2011年04月18日 第378号 ヒロコが電撃結婚!

4月15日金曜日…
一ヶ月前の3月14日に婚約したばかりのランスと
アメリカのアラバマで早くも婚姻届を出して結婚しちゃいました(^_^;)

昨年の8月30日ヒロコが出発した時の週間KEN私のブログです。
この時には、こんな事になるとは想像もしていませんでしたが、
29歳の一人娘を持つ64歳の父親と致しましては、ま~これで一安心喜ばしい事ではあります(^_^;)

どうしてこんなに早く、正式な結婚式もあげず、我々両親も参加せずに、

留学中のアメリカで婚姻届を出したのかという事ですが…
それは、留学ビザでアメリカに行っているヒロコが、これから日米間を行き来するには
なるべく早く婚姻届を出しておく事だと、弁護士からアドバイスを受けたからのようです。

ま~それにプロポーズをしたランスにしてみれば…
留学からヒロコが一旦帰国して…それからナンヤカヤというより、
少しでも早く既成事実を作っておかなければと、思ったのかも知れません。(^_^;)
そして私もその方が良いと思っています(^_^;)

5月11日にヒロコとランスはやってきます。
ランスは15日には帰国してしまうので、ほんとうの挨拶だけという感じですが

ヒロコは30日にまた米国に戻ります。

ボストン大学での留学期間は8月の初めまで、
ほんとうは9月にランスと戻って一緒に1ヶ月ほど滞在して、
その時に、多摩川の恒例バーベキュー大会で結婚パーティーをなんて考えてたようですが
とりあえずはこのような形になって、逆に我々が9月にアメリカに行く事になるかも知れません。
ま~こうなってしまえば、後はランス夫妻に任せるしかありません…
というか最初から任せっぱなしでこちららはタダ呆然としているうちに
結婚しちゃったという感じでありますが(^_^;)

16日(土)午前7時20分、現時時間で15日(金)午後17時20分、スカイプが繋がりました。
婚姻届を出したばかりの二人がパソコン画面に登場しました。

まずはヒロコとランスのスカイプによる結婚報告です。
そして私とYUKIと4人並んでの記念写真です(^_^;)

なにはともあれ、おめでとう!

当日のアラバマからの写真です。
        

2011年04月11日 第377号 『いいやマイマイ』

4月8日はYUKIの誕生日ですが、…それはおいといて(^_^;)
浅草橋のアルザス料理店に一緒に出かけました。

“ほぼすい”のMOMOさんと、
昨年の12月の“ほぼすい”で親しくなったフードコンサルタントのサカイ優佳子さんの
二人で立ち上げた【てヲとるmenu】プロジェクトで…
飲食店が【てヲとるmenu】を開発して、その売り上げの半分を被災地に寄付するというもの。
ようするに、みんなで食卓を囲み語り合い食べる事で被災地に少しだけでも貢献しよう!
…というMOMOさんらしい“ゆるい”ボランティア活動のようです(^_^;)

アルザス料理店ジョンティでの【てヲとるmenu】は『いいやマイマイ・600円』
…その売り上げの半分が被災地に寄付されるわけです。
まず、その被災地はどこかというと長野県の栄村です。
今回の大震災では、ほとんど報道されていない小さな村ですが…
JR飯山線の線路崩壊のこんな画像を新聞やニュースでご覧になった方はおられると思います。

そう!栄村は我らが飯山のすぐ隣にある村なのです。(^_^;)
そして今回の【てヲとるmenu】の『いいやマイマイ』は…
震災の一ヶ月ほど前に、飯山市を訪れたこのお店のオーナー富田さんが、
飯山の風景と人に魅せられれて作った創作料理。
ベースになっているのは『フライシュナク』“肉のかたつむり”という名称のアルザス料理。
それを野沢菜や米粉など飯山の食材を使って
“いいやま”とかたつむりの別名“マイマイ”をかけあわせてのネームングで
お店の新メニューにしようとしていた矢先にこの大震災があって
今回の【てヲとるmenu】となったという事のようです。 

ま~いつもの事ですが、なんだか良く判らなくても、なんだか楽しそうだなと直感すると、
どこでもいちゃう私とYUKIでありますが、
この日集まった人たちも、だいたいそのような感じでした(^_^;)

ドイツとフランスに挟まれたアルザス地方は現在はフランスの地域圏のひとつですが
第二次世界大戦でドイツが敗れるまではドイツに、またその前はフランスにと翻弄された歴史があります。
そして、飯山もその昔!…“甲斐の武田”と“越後の上杉”のはざまで翻弄された共通点があるという…
この会の発起人サカイ優佳子さんの挨拶は、かなりのコジツケでもありますがオオウケでした(^_^;)

今回は町田に在住で栄村で米造りをするというミュージシャンの木村さんから村の状況報告。
木村さんの棚田は地震で崩れてしまい、しばらくは米造りは出来そうです。  

今回は“ほぼすい”と違って優佳子さんのお友だちが多数参加。
なんせ彼女は東大法学部を卒業して外資系投資会社に勤務して
子供のアレルギーをきっかけにフードコンサルタントに転進したという才女(^_^;)
したがってお友だちも、それなりにユニークな方たちで楽しく歓談する事が出来ました。

       

このような集まりをしたからと言って、栄村に寄付される金額はごく僅かでしょうし、
私たちもソレ以上のお金を出す余裕もありません。(^_^;)
でもコジツケでも良いから、このような会が全国アチコチで開かれたとしたら
僅かなお金でも、このような気持のあるお店や被災地に少しでも還元され、

また少しでも知名度が高められるだけでも決してマイナスになる事はないはずです。

肩肘の張らない、このような“ゆるい活動”を長く続ける事も大切になってくるのではないでしょうか。

2011年04月04日376号 今年の桜

四谷から赤坂見付の外堀沿いの土手は東京の花見の名所です。
1年前の4月4日はハートコンサートのボランティア仲間と恒例の食事会があって
ニューオータニで食事をして、その帰りに花見で賑わう土手沿いに四谷まであるきました。 
そして今年は3日(日)同じ外堀の土手を今年は四谷から赤坂までYUKIと一緒に歩きました。
桜もイマイチですが、花見の賑わいもイマイチで、一ヶ所だけ上智の学生なのか集まっていましたが
あとは寂しいかぎりでした(^_^;)

桜もまだ咲き始めたばかりで、とても肌寒い事もありますが…
大震災から日も浅く、原発事故の不安を抱え、
石原都知事の花見自粛発言などもあって、花見の気分になれないという事なのでしょう。

実はこの日は、毎年恒例の食事会だと思って昼食抜きでYUKIと四谷まで出かけたのですが
いつもの実行委員会で、私には手違いの連絡漏れ(^_^;)
その実行委員会も出席者はいつもの半分以下(YUKIは役員ではない)の5名。
美味しい料理とワインのつもりがコーヒーだけになって…震災の話で終始しました。

この写真で私の後ろにいる男性、誰だかお分かりになりますか
実行委員の若きホープの佐藤雄太君のお父さんですが
今回の原発事故での放水活動の隊長さんです。
我々のコンサートも昨年のうどんの会にも参加し、ここでも大変活躍して頂だいているのです。   
もちろん雄太君も父親譲りの熱血漢で震災のボランティア活動に積極的な公認会計士です。

今年の暮のハートコンサートには被災地の音楽生を招いて…という案がありましたが、
私はその前にまず我々が被災地に音大の学生を連れて現地での演奏キャラバンをするのは
どうかという案を出したました。
ピアノや大きな楽器は持っていけませんが、工夫をして、現地のボランティアとの情報のやりとりをして
ノウハウを身に付けていけば積極的な若いアーチストも出てくるものと期待もできます。
そして暮のハートコンサートには、この活動に関わったアーチストが活動の思いや
そこから得たものを語って演奏をしてもらうという企画です。
これによって我々も学生達との血の通ったコミニティを生まれていくかもしれません。
クラシック・ボランティア・ハートコンサートが本物のボランティアとして信頼され
今後もやっていけるかの正念場になるように私は思っているのです。
この日たまたま書く予定のブログの書きかけ原稿を持っていたので、その思いも伝えました(^_^;)
(これがそのブログです)

四谷から桜の土手を通って、ニューオータニのある紀尾井町で    
3月で閉館し取り壊される赤坂プリンスですが3ヶ月間は震災の被災者の受け入れ施設になります。

2011年03月28日375号 横内君ファミリーと

27日、日曜日のお昼前、
「ヒロコさんおめでとうございます!」という電話が多摩市在住の横内さんから入りました。
横内さんは古くからのお客さまで、ヒロコが生まれた時から知っているのです。
…なんていうとなんだかよそっぽい表現になってしまいます。
1979年、私がケーキ屋KENちゃんの頃、
赤坂溜池に洋菓子と喫茶レストランをオープンした時の学生アルバイトだったのです。
パティシエのエノちゃんも、その時の仲間で、
横内さんというより横内クンがしっくりくるので、これ以降は横内クンにします(^_^;)

その横内クンも51歳で3人の息子がいて
長男のタカ君はW大を卒業しインドネシア人のお嬢さんと結婚したばかりだそうで
彼の仕事の事やなんやかやと話がはずんでいきました。

そのうち電話でもなんだから久々に合おうよ…という事になって、
午後4時に多摩市の横内邸に急遽お邪魔する事になったのです。
ご自宅に直接お邪魔するのは10年ぶりぐらいで息子さんたちが大きくなっているには驚きですが
横内クンも昔から大きかったのですが、よりボリュームがついて大きくなっていて
今でも食べ盛りの3人の息子を差し置いて家で一番食べるというのです(^_^;)

アルバイト時代も食事付きだったのですが、ものすごい大食いで有名でした。
ご飯はランチプレートに一皿と決められいていましたが、
量は好きなだけ自分で盛ることが出来たのです。
それが皿の端から綺麗に富士山のように高々と盛られいて、
カレーライスの時には、山のてっぺんを噴火口のように大きくえぐり、
そこにカレーを注ぎ皿からカレーがこぼれないように、それでも薄っすらと
山の、いやライスの裾野までカレーがかかった芸術的テンコ盛りは今でも忘れられません(^_^;)

いつもお金が無く(^_^;)
岡山の実家に里帰りする時は私が東名の川崎インターまで連れていき
そこからトラックをヒッチハイクして…
アメリカ旅行したいと決めたからは、家賃を節約するやめ下宿を出てお店の更衣室に泊まりこみ
朝から晩まで働いてパスポート受け取りの葉書が届くためにお店の更衣室に借りた
マンションに横内の表札を出してめでたくパスポートをゲットしアメリカへ。
横内クンから送られてくる絵葉書には“腹が減った”というものばかりで、
わざと下痢をさせて、食欲を無くしてる…とか悲惨なもの(^_^;)
成田に無事着いて帰国した時は直行でお店にきてタラフク食べたのには皆で大笑い(^_^;)

なにしろ印象深い学生アルバイトでした。

長男のタカ君や三男のジュン君と若い人がいると、どうもいつも以上に
ハイテンションになって、いろいろと熱をもって話してしまい、
YUKIがいたら横からしゃべり過ぎと足をけられていたかも知れません(^_^;)
アッというまに時間が経過して、近くにネパール人がやっているカレー屋さんに行こう…
という事になりました。
そこで次男のショウ君と合流し6人で食事。     
奥様の実家が釜石でご家族は無事だったそうですが、親戚や知人は被災されたおられたようで
それ以上聞くことも、なんだかこちらがつらくなって聞く事が出来ませんでした。

でも、こうして横内クンの子供たちが、あの頃の横内クン以上の年齢になって
こうして、いつまでも楽しくお付き合い出来るのも、
横内クンの愛すべき人柄と、この仕事をやっているおかげと、
改めて感謝した楽しい一日でした。

2011年03月21日374号 ヒロコの婚約発表

日本列島は大変な事になっている3月14日(月)の正午…
YUKIのパソコンに、現在アメリカに留学中のヒロコから突然【スカイプ】が入りました。
パソコンにはヒロコの顔が映し出されます。
「今、そっちはどう?」…
「今度は原発がおかしなことになってきたようでバタバタしているよ」…と私が答えると
「なんだか大変な時だけどランスがKENとYUKIに話をしたいって言ってるの」というのです。

まずは、以下をクリックして私が撮影したこのyoutubuご覧下さい。(^_^;)

ランスと昨年のクリスマスに【スカイプ】を通して「メリークリスマス!」と
ほんの少し挨拶をしたのが始めてで今回で2回目で直接あった事はありません。
でもヒロコのブログフェイスブックは良く見ているので
ま~こんな事もあり得ると覚悟をイヤ想像をしていました(^_^;)

ランスはヒロコの友達ジュンコの友人で、日本には東大の研究員として4年ほど住んでいたようです。
ヒロコとは友達の集まりで2・3回合ったぐらいで、それほど親したしくはなかったようですが
ランスが帰国してから、ランスの方から頻繁にメールが来るようになったようです。

ヒロコがボストン大学の留学が決まると、アラバマで仕事をしているランスは
ボストンが実家という事もあって、ボストン空港に迎えに行くと喜んでくれたのですが
けっきょくヒロコの予定していた便に乗れずにランスとは合う事が出来ませんでした。

でも、ここからヒロコのブログに新しい展開が見られます(^_^;)
ボストンの実家のランスのパパ、ケビンさんが、さかんに
「りんご園のある我が家に遊びにいらっしゃい!」と声をかけ
ヒロコも遠慮せず、何度も訪ねるようになり、そこにいるジャックスという大きな犬とも仲良くなるのです。
そしてケビンさんがヒロコのブログやフェイスブックにやたら登場するようになるのです。

ヒロコがボストンで初めてランスに会うのは10月の終わり…
この時、ヒロコの友達で私たちとも親しいヒーちゃんがボストンに遊びに来ていて
取り込み中で、ランスの貴重な休日が思うように行かなかったようで、
なぜかパパのケビンの方が不機嫌になってしまい、笑ってしまいました(^_^;)
そして11月のサンクスギビング・デイとクリスマスの休日には
ランスのボストンの実家に招待され、ランスの妹家族や
ケビンさんとは離婚したランスのママや、ケビンさんの親戚などいろいろな人に紹介され、
年が明けると、ランスとラスベガスに行ったり…アラバマに行ったり…
もう完全に恋人同士という雰囲気で、今回にいたったというわけです(^_^;)

まだヒロコの留学は8月までありますし、
その後、具体的にどうするかもヒロコやランスも決めていないようですが
宮崎の88歳の義母は、これでアメリカに行けるとハリキッテいます(^_^;)
二人とも世界のどこにいても生活出来そうですし、
仲良く好きなように生きれば良いと思っています。

ありがたい事に今の時代は、どんな遠くに離れていても…
毎日のようにリアルな情報が入り、テーブルの真ん中に【iPad】を置けばスカイプで
3人が食卓を囲んで雑談をするように、タダでいつまでも話す事が出来るのです。
そして、その気になれば格安チケットで世界中の国にす自由に行ける時代です。

これで苦手の英語が【iPad】や【iPhone】でカバーしてくれるようになれば完璧なのですが…
どうなる事でしょう(^_^;)

2011年03月14日373号 地震の次の日

12日土曜日は何かと忙しい日になってしまいました。

ず~と前からこの日はエノちゃん企画のセミナー5回目で
今や懐かしい自然農法の東大和の農園の実習がありその記録係になっていたのです。
そして夜は7時から、ヒロコの学童時代のお友達で父親の故山本修さんの一周忌のミサが教会であり
出席する事にしていたのです。

ところが24日から中米ベリーズにJICAシニアボランティアで出発する
友人・永森の歓送会が突然この日の午後3時に決まったのです。
本来なら永森の歓送会はキャンセルすれば良いのですが…
実は山本未亡人の文子さんも偶然なのですが、同じ24日にJICAシニアボランティアで
アフリカのカメルーンに出発する事になっていて
文子さんにも永森と同じようにブログを書く事を私は強く薦めていて今週も
ご自宅に訪問する事にもなっていたので、ミサの方はYUKIが代表で行ってもらう事にしたのです。

東大和、特に農場に行くにはクルマがベストなのですが、
午後3時からは横浜での永森の送別会で当然アルコールも入るので電車で行く事に決めていました。
前日には東日本巨大地震があって、その事はブログで書いていますが(^_^;)
南武線は午前7時から通常に動いているというニュースがあったので、途中でゆっくり朝食を取る時間も
考慮して我が家を7時30分頃に出たのです。

ところが南武線の登戸駅のアナウンスは
「昨日の地震のため運転を見あわております、運転開始は8時となっていますが
詳細な時間は不明でしばらくお待ちください…」 とホームに流れるのですが、
8時を過ぎても同じアナウンスが流れるだけで駅員の姿は一人も見えず、
どのような状況で、後どのくらい待たされるかも判らず寒いホームにジッと待たされ続けられるのです。

結局9時近くに電車が来て、それも各駅停車で踏み切りごとに停車して
立川駅についたのは10時を大きく回って、その時点でづでに遅刻です(^_^;)

立川駅で帰りは横浜まで行かねばならないので、今日のような日は何が一番早く行けるか
駅の案内で聞くと、「南武線が一番早いでしょう」 と今来たコースを登戸を経由し武蔵小杉で
東横線に乗り換え行けというのです(^_^;)
こんな事なら最初からクルマで我が家を往復し、クルマを置いて横浜に行けばよかったのです。

けっきょく農場には大きく遅刻したのですが、地震の影響もあって参加者も少なく
セミナーはほとんど終盤で、なんとなく終わってしまいました(^_^;)     
懐かしいメンバーとチョト団欒し、3時の横浜に間に合わすため農園を後に。 ①  

歩きながら、香港の小倉に電話、奥さんのキエちゃんは津波の被害が大きい福島県相馬市が実家。
1974年の夏、永森と私は相馬で大変お世話になっているので、心配をしていたのでが無事を確認!

モノレールで立川に戻り、こわごわ南武線のホームに(^_^;)

すべて各駅停車だけどスムーズに運行され、思ったよりも断然早く横浜に到着。
この送別会も地震の影響で3名が欠席、
その代わりというわけでもないのですが1年先輩の岡広さんが出席
どうして我々同期の集まりを知ったのかと思ったら、永森の3月5日このブログを見て(^_^;)

私はこの古谷が作った永森歓送会の案内状をそのまま載せて何の意味があるのか?!と
思っていたのですが案内の行っていない先輩の岡広さんが見つけられたのです。
この会の模様は今見たら永森が写真入りでブログに書いているたので、そちらを参考に(^_^;)

2011年03月07日372号 母の近況…その5

【母の近況…その4】を書いたのは1年半ほど前の291号で
しばらく書いていませんでしたが、今もどうにか生きています(^_^;)

実はこれまで年に2・3回定期的にお世話になっていたを決めた介護施設が、
ある時を境に何かと理由をつけて断られるようになってしまったのです。

この週間KENで介護施設での母の写真入を偶然見つけた看護士から
「お母様だけ写っている写真は許すけどそれ以外の老人が写ってにいる写真は
すべて削除して欲しい!」と注意してきたのです。
私はそれに対して…
「ご老人のご家族からの要請ならすぐに削除するが、どうしてそこまで閉鎖的になるのか?
もっともっと介護をオープンにする事の方が重要で、あなたも誇りを持ってやれないさい!」

…若い介護士に逆に説教をしてしまったのです。(^_^;)

それからしばらくして、こんどは理事と名乗る初対面の男性との面談を要請され、
また同じような話になりました(^_^;)
この週間KENの、しかもこの介護施設で母を撮った写真の一部にお年寄りが写っていて、
それによって、ご家族に損害や迷惑をかける確立がどのくらいあるというのでしょうか。

家族を施設に預けている事を極力知られたくないという家族が多いと聞いています。
したがって、それなりの神経を使いながら、
基本はオープンという私のポリシーを曲げる気持はなく
理事に対しても、介護士の時と同様
「介護にプライドを持って明るくオープンにやりましょうよ!」…
と励ましたつもりだったのですが…それがダメだったようです(^_^;)

さてさて前置きが長くなってしまいましたが…母の近況です(^_^;)
これまでは私の妹の由美子宅をベースにして
これまでの介護施設にいる時は私たちが洗濯物や諸々の面倒を見るという事でしたが、
今は由美子宅から歩いて数分のところにある介護施設に入っています。

由美子の次女、すなわち私の姪は医学生で2児の母で夫も勤務医(^_^;)
その面倒も時々は見なければならないので、このような形になったのです。

2日(水)、茨城のひたちなか市にいる私の2番目の妹・淳子が、ひさびさに来るというので、
妹二人と私とYUKIの4人で母のいる介護施設に行きました。
淳子は1年数ヶ月ぶり、私は12月のクリスマス会いらいですが…
クルマでいけば20分ほどなのに特別な用事が無ければ、
どうしても遠ざかってしまい反省です(^_^;)。

施設に入る時には玄関で手を消毒して大きなマスクをつける事が義務付けられます。  
私は介護施設に行った時は顔を合わせたお年寄りには必ず「こんにちは!」と明るく挨拶すると
だれもが、それを受け止めて向うから色々と話しかけて頂くことも多々あります。
しかし大きなマスクで顔を覆い4人の見知らぬ者には誰も視線さえ合わせようともしません。(^_^;)
この日も大きなホールでは車椅子に座った大勢の老人が無表情で黙ってテレビを見つめています。
そしてテレビの横にあるソファーで目の見えない母はいつものように座ったまま寝ています。
少ないスタッフで多くの老人を見るには、これが楽なのかも知れませんが…
とてもヘンな雰囲気です。

介護施設の空気を変えるのは、一筋縄ではいかないのです(^_^;)

車椅子を借りて母のベッドルームで、ひさしぶりに兄妹+YUKIの4人そろっての団欒ですが、  
母は起きているのか寝ているのか今一しっかりしません(^_^;) 
それでも陽気な歌を合唱すると笑顔がこぼれます。 
もう話すこともほとんどしなくなりましたが、
笑顔は絶やさず楽天的なところは一生変らず終えていくのでしょう…
でも、まだまだ内臓は元気なようで長生きするかも知れません(^_^;)