2011年04月04日376号 今年の桜

四谷から赤坂見付の外堀沿いの土手は東京の花見の名所です。 1年前の4月4日はハートコンサートのボランティア仲間と恒例の食事会があって ニューオータニで食事をして、その帰りに花見で賑わう土手沿いに四谷まであるきました。① ② そして今年は3日(日)同じ外堀の土手を今年は四谷から赤坂までYUKIと一緒に歩きました。 桜もイマイチですが、花見の賑わいもイマイチで、一ヶ所だけ上智の学生なのか集まっていましたが あとは寂しいかぎりでした(^_^;)

桜もまだ咲き始めたばかりで、とても肌寒い事もありますが… 大震災から日も浅く、原発事故の不安を抱え、 石原都知事の花見自粛発言などもあって、花見の気分になれないという事なのでしょう。

実はこの日は、毎年恒例の食事会だと思って昼食抜きでYUKIと四谷まで出かけたのですが いつもの実行委員会で、私には手違いの連絡漏れ(^_^;) その実行委員会も出席者はいつもの半分以下(YUKIは役員ではない)の5名。 美味しい料理とワインのつもりがコーヒーだけになって…震災の話で終始しました。

この写真で私の後ろにいる男性、誰だかお分かりになりますか? 実行委員の若きホープの佐藤雄太君のお父さんですが 今回の原発事故での放水活動の隊長さんです。 我々のコンサートも昨年のうどんの会にも参加し、ここでも大変活躍して頂だいているのです。① ② ③ ④ もちろん雄太君も父親譲りの熱血漢で震災のボランティア活動に積極的な公認会計士です。

今年の暮のハートコンサートには被災地の音楽生を招いて…という案がありましたが、 私はその前にまず我々が被災地に音大の学生を連れて現地での演奏キャラバンをするのは どうかという案を出したました。 ピアノや大きな楽器は持っていけませんが、工夫をして、現地のボランティアとの情報のやりとりをして ノウハウを身に付けていけば積極的な若いアーチストも出てくるものと期待もできます。 そして暮のハートコンサートには、この活動に関わったアーチストが活動の思いや そこから得たものを語って演奏をしてもらうという企画です。 これによって我々も学生達との血の通ったコミニティを生まれていくかもしれません。 クラシック・ボランティア・ハートコンサートが本物のボランティアとして信頼され 今後もやっていけるかの正念場になるように私は思っているのです。 この日たまたま書く予定のブログの書きかけ原稿を持っていたので、その思いも伝えました(^_^;) (これがそのブログです)

四谷から桜の土手を通って、ニューオータニのある紀尾井町で ① ② ③ ④ 3月で閉館し取り壊される赤坂プリンスですが3ヶ月間は震災の被災者の受け入れ施設になります。

2009年03月30日271号 今年も「桜?とフランス料理」

今年もハートコンサートの仲間たちとの「桜とフランス料理」に3人で参加しました。 新年の役員会の時に3月29日か4月5日かのどちらにしようということになったのですが 4月5日では桜が散ってしまっているだろう、という事で3月29日に決まりました。 一週間ほど前から桜の蕾も膨らんで、中には開花したのもチラホラあって29日は満開と 楽しみにしていたのですが、ここの来て寒い日が続きパッいきません(^_^;)

昨年は雨が強く降っていて肌寒く花見には最悪の日でしたが桜は満開でした。 今年は天気は晴天ですが桜はイマイチです(^_^;) Y’UKIはハートコンサートの役員ではありませんが、もう皆さまとは顔見知りですし 後からひとりだけ来るのもナンですので家族3人で役員会に出席しました。

また昨年のハートコンサートの直前にノブさんからの「ミッション」を受けてライオンズクラブの 集まりに勧誘に出かけて唯一(^_^;)ハートコンサートに出席頂だいたタナカさんと 写真家のシミズさんのお二人が来られていました。 お二人が花見と会食があるという事で来られのに、 その前に役員会があるとは知らなかったと笑いながらボヤかれていました。 でもタナカさんはこの会にとても賛同頂だいて強力なメンバーになって頂けそうです。

役員会は会則の改定を廻り、思いのほか予想外にもりあがってしまい少々時間をオバー。 定例役員会の会場である麹町から散歩がてら  ① ② 靖国神社の桜を見ながら 九段下のホテル・グランドパレスまで行って、 その最上階にあるクラウン・レストランでお食事というコースです。

しかし靖国神社に到着した時は調度午後6時で閉門をしたところでした。 参道にも花見の人たちがチラホラいましたが、まだまだ3分咲きの桜と肌寒さに静かな風景です(^_^;)

グランド・パレスは金大中が誘拐されたことでも有名なホテルですが、中に入るのは初めてです。 したがって24階のレストランも初めてですが、落ち着いた雰囲気で料理もソコソコに美味しく 楽しいひと時を過ごさせて頂きました。  ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧

写真もいつものようにたくさん撮りましたが、 よく見てみると”桜”はほとんど写っていませんでした(^_^;) 昨年に引き続き、この会の花見は桜には縁がないようでが 花よりダンゴのほろ酔い気分で3人揃って電車に乗って帰宅しました。

2008年03月31日219号 桜とフランス料理

久々に都心で花見が出来ると楽しみにしていた日曜日(30日)でしたが… 結局、雨に降られてYUKIとさきほど電車で帰宅したところです。

この日は午後3時からボランティアでやっている年末恒例のハート・コンサートの 打ち合わせがありました。 これまでの打ち合わせはコンサート会場でもあるホテル・ニューオータニと決まっていたのですが 役員の一人でもあるナカガワさんがホテル・ニューオータニからもほど近い麹町にオフィスを持っていて 前回からそこでする事になったのです。 そこで次回の日時を3月30日と決めた時に、ちょうど桜が咲く頃だから 終ったら近くでお花見をして、そのあとに食事でもしよう!と決まったのです。.

お花見にはお酒がつきものですから、今回はクルマをおいて電車で出かけたのですが とても肌寒く、今にも雨が降りそうな天気でした。(^_^;) ヒロコとうるめさんは最初から、それぞれ予定があって花見や食事は不参加という事でしたが 打ち合わせが終了して気が付けば雨は本降りで、花見をするような状況ではないのです。

ヒロコと入れ替えにYUKIが後から来る事になっているのですが… 花見の後の食事を予約している東條会館のアルゴに直接来るように電話しました。 ナカガワさんのオフィスで傘を借りて、立ち話をしたり、時間をつぶしてもまだまだ時間があり 結局いくとこもなく早めに東條会館に向かい、9回のフレンチ・レストラン・アルゴから 桜を見たり、雑談をして予約時間の6時30分にYUKIもやってきました。

なんせ、このボランティアの中心メンバーはライオンズ・クラブと 女性経営者の世界的ボランティア団体のソロプチミストの方々という 私のような貧乏人とちょっと違うリッチな方達なのです(^_^;) したがって花見の後の食事といっても、ちょっと違うのです(^_^;)

ヒロコやうるめクンは何かと口実をつけて難を逃れたようですが… ヒロコが参加しないのならYUKIが参加するという 我が家の涙ぐましく美しい文化を守もられているのです(^_^;)

12000円のコース料理は イカ墨のせんべい?から始まり、3色のたこ焼き風豆腐?、グレープ・フルーツのうなぎ巻?、 不思議なカップに入って冷たいコーン・スープ?、白身魚(あいなめ)の○風?、 伊予柑のシャーベット、鴨のフォアグラ・ソテイ、桜風味のデザート、他 そうそうパンはとっても美味しかった(^_^;) 会話もそれなりに弾み レストランからの皇居を見下ろす桜や夜景も素晴らしく それなりに一応はリッチな気分になって雨の中、YUKIと電車で帰宅しました。

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2006年04月10日116号 桜と火事

毎年、桜の花が満開になる頃…「さくらギャラリー」という小さな会場で個展が開かれます。 元は学校の先生で今は長野にアトリエを持って活躍されている ”羽田龍史さん”と”はたじゅんこさん”ご夫妻の個展です。

羽田さんご夫妻との関係は、書き出すと止まらなくなる習性が私にはありますので(^_^;) 別の機会に書こうと思います。

今年の個展は3月29日(水)から4月3日(月)までで 今年はYUKIやヒロコの都合がつかず、最終日に私だけが行くことが出来ました。 午後2時ごろクルマを近くの路上に停めて「さくらギャラリー」に向かいました。

作品を見ながら10分ほど経過した時です。 消防車と思われるサイレンの音が聞こえて、 ギャラリー内にも微かですが、焦げ臭い匂いが漂ってきました。

外に出て見ると桜が霞むように煙が立ちこめて、消防車がけたたましいサイレンを鳴らしながら 私のクルマを路上駐車させている道路の反対側から次々にやってきます。 私は慌ててクルマに戻りました。

あんのじょう私のクルマが邪魔だと消防士がワメイテいます。 わたしはクルマをバックさせて立ち去ろうとしたのですが… その道路の反対側が火事現場で、そこにも消防車が何台も止まって消化活動が行われているのです。 すなわち、私のクルマは前方も後方も消防車で挟まれて身動きが取れなくなってしまったのです。

こうなれば火事が鎮火して消防車が立ち去るまで待つしかありません。 だからと云ってクルマからあまり離れる事も出来ません。 花見をしたり…火事の様子を見たり… 桜ギャラリーのトイレを借りたり…クルマの中で読書をしたり… 時間を過ごすしかありません。

周辺をウロチョロしていると消防士や警官から 「ここから立ち去ってください!」と言われます。 私はそのたびに… 「私も早く立ち去りたいのですけど、何時まで待てばいいのでしょうか?」と聞き返します。 それに、しっかり返事出来る消防士や警官はひとりもいません。 消防士に聞くと「警官に聞いてくれ!」 警官に聞くと「消防士に聞いてくれ!」…と言うだけです。

消防車も32台(ニュースで知ったのですが)も停車したままです。 「こんなに消防車が集まっちゃって他で火事があったらどうするの?」 少々、皮肉とイヤミをこめて私が聞いても、 年配の消防士は「このような火事は目黒消防署でも1年に一回あるかないかの大火事ですから!」と 興奮した口調で言うだけで答えになっていません。

私と同じように仕事中に閉じ込められた会社員風の男性は、かなり怒り焦っていました。 私は開き直って、最後まで見届けるのも面白いと思って車内で本を読んでいると その男性がクルマのドアを叩いて私に何か知らせようとしています。 ここから抜け出せる道を見つけたと言うのです。

私道の狭い道の通行止が2ヶ所あるのだが、その杭が抜けるので そこを通過して総合病院の裏側に出て、そこにもクルマが入れないように遮断されているけど それも取り外せるようなので入ることが出来る、 総合病院の敷地内に入る事が出来たら、一般道に抜け出せるとはずだと言うのです。 彼は消防士や警官の「よく判らないが、まだ数時間はかかりそう…」と言う曖昧な言葉に 憤慨して自分で必死になって抜け道を見つけたのでしょう。 彼のお陰で火事場拘束から4時間で解放されましたが、 じっと待っていたら何時まで待たされる事になったのでしょうか?

災害が発生したら、まずそこから一般人を退避さすのが基本ではないでしょうか? そのような抜け道があったに関わらず 何十人もの(地元の)警官や消防士が何時間も現場に滞在しながら、 たしかな情報は何ひとつ伝わってこなかったのです。

大火事といっても火元の廃屋から隣接する数軒に類焼しただけでこの騒ぎです。 慎重に消化活動をする事は大切だと思いますが32台の消防車が直接的な消防活動をするでもなく 数時間も道路を閉鎖しなければならない理由が素人の私にはわかりません。

この程度の災害で、このありさまでは、ほんとうに大災害があったらどうなるのでしょうか?

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