2011年09月05日 第398号 ザ・ロンゲスト・ウィーク

“母の葬儀” とひとり娘の “ヒロコの結婚披露宴” が同じ週に行われるという私にとってはとても とても長い一週間になってしまいました。

ヒロコは今年の4月にランスと婚姻届を出し、その時に二人っきりで式らしい事もやっており 披露宴ですが、ま~私の気分としたら結婚式のようなものです(^_^;)

前編 【母の葬儀】 8月29日(月)~9月1日(木)

●29日(月) この日は私とユキと宮崎の義母と3人で、成田発午前10時45分の飛行機で ヒロコの結婚披露宴に参加するめアメリカに行く予定になっていたのですが、 母の突然の死で、私は当然残る事になって成田空国には見送りに。

突然の出来事と徹夜明けで、見送られる方も見送る方も最小限の口数です。 ① ②

私は成田空港から私の妹の中尾由美子宅に向って葬儀屋との打ち合わせ。

(由美子が実質的に母の面倒を任せていて私は中尾家には頭が上がりません^_^;) 葬儀は、まずは戒名も坊さんもいらない家族葬で母らしい明るい葬式で行く事に。

母の二人の妹、美智子叔母・京子叔母が駆けつけてご焼香。 ① 中尾家の次女・マキと安田コウジ君の医師夫婦がカケルとワタルの息子をつれて。 母はコウジ君にはとてもとてもお世話になっているのです。

初めは母の遺体を怖がっていたカケルとワタルも両親の普段とまったく変らない母との接して方を

見たのをきっかけに、この葬儀を明るく盛り上げてくれました。 ① ② ③ ④ ⑤

●8月30日(火)

私のもう一人の妹・淳子がひたちなか市から息子のナオヤ君とやってきました。 ① ②

母が毛糸で作っていた人形のハッピーちゃんで母を囲みました。 ① ちなみにハッピーちゃんの命名はヒロコが着けたようです。 中尾家の長女ユリが弾く沖縄の三線には、いつも大きく反応し手拍子をしていた母、

これにあわせて踊ったり、みんなで母を囲んで記念撮影をして大盛り上がり。 そんな時に、母の遺体を葬儀への移動するために葬儀屋さんが。 なんだかヘンな宗教だと思われるのもナンダからと慌ててハピーちゃんを片付けて

皆で神妙な顔をして母を送り出す事に(^_^;) ①

●8月31日(水)

映画【おくりびと】で納棺師という職業も風習も始めて知った私ですが、 葬儀屋さんがとても薦めるのでやってみる事に(^_^;) 映画でモックンがやったほどの本格的なものではありませんでしたが、 みんなで母を綺麗な身支度(みじたく)をさせて、 なかなか感動的でアット・ホームで良かったと思いました。

写真はロイターのカメランマン、ユリ撮影によるものです…① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ 家族葬で戒名もお坊さんもいらないという今回の私たちのような葬儀が増えていく中で

葬儀屋としての起死回生を図ったのでしょうが(^_^;)

ロスにいて今回の葬儀には出席できずヒロコの結婚披露宴には参加してくれる

中尾家の長男シュン君のフィアンセ(婚姻済)で東京海上のライバル会社に勤務する

ナオコちゃんも最初から最後まで参加してくれました。 明日の葬儀会場に母を安置させて、みんなで登戸のイタリアレストランで食事をしました。 ① ② ③ なぜかこの期間いつもより多くケータイに仕事の電話が入ったような気がします(^_^;)

●9月1日(木) いよいい葬儀当日! 前の晩は母の思い出の写真を公開しようと明け方5時過ぎまで編集をしていたのに ちょっと仮眠して寝過ごしそうになって家を慌てて飛び出してしまい、 持参したパソコンに最終セットし忘れて愕然。 母が亡くなって泣いているのではありません(^_^;) ① 私の妹・淳子の夫で日立の原発で今や超多忙な技術者・松平ミノル君も前夜遅く来てくれて 由美子の葬儀から葬儀の内容を聞いて驚いた様子(^_^;) 家族葬という事でしたが、どこかで母の死を知った人たちが駆けつけて頂き ① ② ③ ④ 早速、由美子が『東京音頭』や『瀬戸の花嫁』(これは母がヒロコのためにという事で由美子が選曲)

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2011年08月29日 第397号 次週は『ザ・ロンゲスト・ウィーク』

●26日(金) ヒロコのアメリカでの結婚披露宴に参加するため宮崎から義母(ユキの母)がやってきました。 飛行機が到着する午後4時過ぎ、羽田空港は大変な豪雨でしたが無事到着。 その足で、神田のアカラックスの坂本さんのオフィスに寄りました。 月曜日の朝には成田空港を出発して9月8日までの11日間の久々のアメリカ旅行。 その間にも週間KENやブログのアップ、もちろん仕事上でもパソコンは必携なのですが、

いよいよ愛用の軽くて便利なレッツノートでは耐えられず、 1年前に購入した大きくて重くて使い難いダイナブックを持っていかねばなりません。 そのパソコンを何でも詳しい坂本さんにカストマイズして頂かなくてはなりません。

羽田から神田のアカラックスまでなら一般道を通っても20キロ足らずですが豪雨にための大渋滞で 2時間ほどかかってアカラックスに到着したのですが、翌日の新聞を見てビックリ! アカッラクスに寄らずそのまま我が家に向っていたらこんな状態になっていたかも知れませんでした(^_^;)

アカラックスでは坂本さんが早々にパソコンを手当てして頂き、 その後、我われの出発を祝って楽しいひと時を過ごさせて頂きました。 ② ③

●27日(土) 出発2日前の慌しい時なのですが、 この日は以前からエノちゃんと約束していた東大和でのボランティアの日(^_^;) アートプラントというイベントで゛焼うどん゛を作ってアーティストやスタッフに提供するのだそうです。 でも、私は例によって仕事はあまりせずに写真ばかり撮っていましたが 市長になったヤスオ(尾崎)さんもやってきて、なかなか感動的で楽しいイベントでした。 ① ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦

東大和から夜帰宅して遅い夕食を終わった頃、 「ヒロコからこんなメールが来てたんだ!」とユキが大きな声を出しました。 一週間ほど前ヒロコがユキとのチャットで、 「ウエディング・ケーキの上に乗せる私とランスのお菓子の人形を榎本さん(エノちゃん)に 作ってもらえないかな~」なんて事を言っていたようで、ユキが私にその事を伝えました。 私はその時に、「具体的な写真や要望がなければ、もう時間も無いしムリだよ」と言っていたのですが、 そのスグあとのヒロコは写真や具体的なイメージも送っていたのです。 それは私のメールにも来ていたのですが、ヒロコからのメール通知は全て英語でくるため ジャンクメールと思って私はいつも削除してしまうのです(^_^;) ユキもそれを見落としていて私にヒッシで「エノちゃんに作って頂けないかしら?」と迫ります。 でも、それを受け取りのは明日しかありません。 私と違ってボランティアの準備や後片付け、 それに本職を休んだ分の仕込みや菓子作りもやらなければならいエノちゃんを知っているだけに 私としてもかなりキツイお願いです電話だけは入れてみることにしました。 そして、やっぱり…「明日の夜までで、まかせてくれるならやってみるよ」 と快諾してくれました。

●28日(日) 宮崎の義母がアメリカにお土産に持っていく゛扇子゛を浅草まで買いにいきたいという事で出かけました。① ② ついでにスカイツリーの近くまでも行ってみました。

旅行カバンなども出発前日になって、なんやかやと買い物をしました。

そしてエノちゃんから「出来たからいつでも取りにきて」との電話があったので、

昨日に続いて東大和のエノちゃんのところの行こうと思ったらユキも一緒に行くというのです。

「今晩は徹夜で準備するから大丈夫!エノちゃんにお礼もあるし」 ということで…。 エノちゃんの作品は私の想像を超えるものでした! ① ② ここで紹介したいのですが、それは後日に回したいと思います。(^_^;) そして…午後10時すぎ、 「おばあちゃんが…」 姪っ子のユリから電話が入りました!

介護施設にいる母をユミコ(私の妹)が昼間に見舞った時は食欲もあって普通だったのに 心臓が停止したというのです。

★★ という事で、ここからは次週号になるわけですが、現状だけお知らせしておきます。 ユキと義母(母と同じ89歳)も大変なショックでしたが予定通りアメリカに行ってもらいました。 母の葬儀はごく身内だけで9月1日に行い火葬します。 私は翌日の2日にアメリカに向かいます、そうすれば3日の披露宴には間に合います。 来週は【母の葬儀】【娘の結婚式?】という私にとっての『ザ・ロンゲスト・ウィーク』です(^_^;)

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2011年08月22日 第396号 何かと慌しくなってきた

何かと慌しくなってきました… 9月3日のヒロコのアメリカでの結婚披露宴が近づいてきたのです(^_^;)

当人たちはすでにアメリカで結婚生活をしていて、二人でいろいろ準備をしているようで こちらとしたら、ただ飛行機にのってアメリカのアラバマ州に行けばよいだけの話で のんびりしていたら出発は8月29日午前10時成田発の飛行機なので 気が付いたら、あと一週間しかないのです(^_^;)

土曜日には生保のご契約で豊橋のお客様宅にお伺いしました。 お客様のご要望が8月の20日以降という事だったので、 「9月の初めは娘の結婚披露宴がアメリカであるので、8月20日か21日なら…」と申したところ お客様は「だったら何かとお忙しいだろうから旅行から帰ってこられてからでも」と 言って頂いたのですが、私としたら何も“慌しく”は無いという事で、8月20日に決めて頂いたのです。

しかし、それから何かとバタバタしてしまい…まっコレもいつもの事なのですが(^_^;) この日の訪問時間の確認が取れないというドジをやってしまったのです。 おまけにお客様から娘の結婚祝いのプレゼントを頂くというナンとも頭が下がりぱなしで お客様宅を早々に後にして帰路についたのです。

気が付けば、いつもは途中で寄り道したり写真を撮ったりするのが何もしておらず、 (ご家族での写真は撮らせて頂きましたが) 雨の東海道を少し走って、浜名湖の弁天島で写真を撮って ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ 慌しく帰りました。

基本的にはヒマな保険代理店ですが… 8月29日から9月8日まで11日、休むとなると不備があってはなりません。 これまでも、もっと長い旅行もいくつかやっていて、それなりのノウハウはあるのですが いつ何があるのか判らないのが保険の仕事でもあります。 メールやインターネットやスカイプはどこにいても繋がるし、留守番電話も一日数回はチェックし 緊急の場合は国際電話で連絡する事もよくあります。 でも、こんな事をしながら、海外旅行が出来るのも保険代理店のメリットと お客様に感謝しながら甘えさせて頂だいているのです(^_^;)

2011年05月02日 第380号 今は宮崎にいます!

今、宮崎にいます! 毎週月曜日未明にアップする週間KENが書けずに遅れてしまいました。(^_^;)

先週号では28日か29日にクルマで宮崎往復の旅に出る予定と書きましたが 結局我が家を出発たのは30日(土)の朝でした。

のんびり3泊ぐらいして宮崎入りをしようと思っていたのが 我が家から調度1000キロぐらい行った山口市のビジネスホテルで一泊。 次の5月1日は山口市から唐津・有明海・八女を経由し600キロ走って宮崎の定宿に午前0時に到着、 とりあえずブログだけはアップし午前3時に就寝。 2日は午前中、銀行や郵便局に行って午後は義母の家でなんやかやと… ようするに週間KENを書く時間が無かったのです。(^_^;) (なんせクルマを運転するのはも私だけですから)

5月8日頃に我が家に帰宅する予定でしたが、これも6日に早められました。

ヒロコがランスを連れて11日に一時帰国するのでなるべく早く帰っておきたいというのです。

すなわち当初の予定は4月28日に出発して5月8日に帰ってくるという10泊11日の ゆったりした旅の予定が4日短縮され、とてもハードな旅になりそうです(^_^;) (なんせクルマを運転するのはも私だけですから)

本来なら今年は高速道路が平日でも、どこまで行っても1000円になる予定が

これまでの休日1000円も無くなってしまうので、

このような恒例公私混同の旅の総決算と思っていたら、こんな事に(^_^;)

9月3日にはアメリカでヒロコとランスの結婚披露宴があるようです。

少しでもお金も節約しておかなければなりませんし…悠長なことばかり言っておれません(^_^;)

…というわけで、あわただしい日々が続くようです。

4月30日我が家を出て5月2日未明、宮崎に到着するまでの2日間ダイジェストです。

 

★30日、午前6時11分出発と言いたいところですが… これから20分ほどYUKIを待って6時30分に我が家を出発、 大震災の自粛モードで人出は少ないと言ってもゴールデンウィークで渋滞。

朝食は富士山がよく見える富士川サービスエリアでいつものヘルシーな朝食。 ① ② ③

豊田から新東名に入って、昼食は土山サービスエリアで、いつものヘルシーな昼食。 ①

中国自動車道の、どこかのサービスエリアから、今晩泊まる安いビジネスホテルを検索し 山口市のホテルを予約。 雨が激しく降っていて夜も遅くなりそうなので、山口インターの手前のサービスエリアで この日、3度目のいつものヘルシーな晩飯を…と思っていたら閉店。

結局、ホテルの近くのセブンイレブンでお弁当とビールを買って寝ました。①

★1日、朝はビジネスホテルのビュッフェ式朝食でヘルシーな朝食。 ホテルの窓から駐車場が見えるのですが、 あたりまえの光景も、なぜか津波で流されクルマに見えてきます(^_^;)

ホテルから10分ほどで中原中也記念館があるので寄ってみました。

なかなか良かったです。 ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨

1月にも伺って佐賀県唐津のお客様に、今回もアポなしで訪問したのですが 療養中の主人が一週間前に亡くなったばかりという事で、びっくりしました。

有明海を見た事の無いのでちょっと行って見よういう事になりましたが どこも人はおらずとても寂れていていました(^_^;) ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨ ⑩ ただ麦畑はとても雄大で綺麗でした。① ② ③ ④ ⑤

もうココから宮崎に向かわなければと、

カーナビをセットした高速の乗り口が約40キロ先の【八女インター】という案内。 八女には大学時代の友人の木下さんがレストランをやっているので この日は昼ぬ抜きで走っているので、そこで夕食をという事に。 ① ② ③ ④

ヘルシーな豆腐ステーキは、あまりヘルシーでもなさそうだったけど美味しく食べて(^_^;) 宮崎の定宿、シーガイアのコッテージに午前0時に到着! ブログはアップしたのですが週間KENはアップできずに寝てしまった…

ハードでヘルシーな1600キロの2日間でした(^_^;)

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2010年04月19日326号 ヒロコのお祝い

ヒロコの”お祝い”を坂本さんのアカラックスの方々でして頂きました。 何のお祝い?…結婚ならいいのですがブーです。(^_^;) ヒロコのアメリカの大学院での留学校が決まってそのお祝いというわけです。

何でそんな事までアクチュアリーの坂本さんの会社で祝って頂けるかという事は 1年ほど前の週間KENをご覧頂ければと思います。

ようするに坂本さんはヒロコの数学の先生で、そのおかげで大学院留学の為の学力を クリアすることが出来たのです。 本来ならコチラがご招待して御礼を言わなければならないのですが ひさしぶりに皆で楽しく外食をしようというありがたいお計らいです(^_^;)

日時と会場はヒロコの方でサッサと指定したようで ほんとうに遠慮を知らない図々しいムスメいや我が家系を恥じるばかりで御座いますm(_ _)m

てなわけで、4月14日(水)午後6時から ヒロコお気に入りの肉団子が美味しい中華の【白蘭】で開催!という事になったのですが、 本人が決めた時間なのに仕事の都合で少々遅れ… 本人が決めたお店なのに場所が良く判らないと… 結局、坂本さんが神田駅まで迎えにいってもらう事になって 定刻より20分ほど遅れて乾杯をする事が出来ました(^_^;)

良く私も聞かれるのですが、 ヒロコはどんな仕事をしいて、今度はどんな勉強をしにアメリカに留学するのか?という事です。 私もよく判らないのですが(^_^;)【映像編集】というのがヒロコの仕事のようです。 今ではハリウッド映画の編集でも使われる編集ソフト【ファイナル・カット・プロ】を使って 主に外資系企業のプロモーション・ビデオやドキュメントなどの映像に携わっているようです。

2008年1月から母校のテンプル大学日本校で講師として週三回の【映像編集】の講師も引き受けることになり ヒロコ自身も勉強意欲が沸いたようで、 その頃からアメリカの大学院でもう少し専門的な勉強したいという思いがつのったようです。 とは言っても先立つお金はありませんし、オヤはまったく頼りになりませんので(^_^;) ま~それなりにガンバッタようです。 これが留学が決まった時のヒロコのブログです。 因みにサカモッチとは坂本さんのことです(^_^;)

ま~オヤの方は… これで口実をつけてレッド・ソックスの松坂を見て、そのついでに西海岸でイチローや松井を見て なんてノーテンキに喜んでおります(^_^;)

ひさびさに美味しいビールと肉団子をはじめ多くの料理をたらふく食べ 家族のように親しくさせて頂だいているアカラックスのスタッフと楽しいひとときを (もちろん坂本さんのオゴリで)過ごさせて頂きました。 ① ② ③ ④ ⑤

そうそう私は現在ブログで【生命保険の原価】という崇高なテーマに挑んでいます。 「それゃ~原価じゃないだろう!」というモノが最近マスコミやネット上で マコトシヤカに乱用され私はとても違和感を感じているからです。 とは言っても保険屋の私が”原価”とは何かまでエラソーな事が書けるわけでもなく、 保険数理のプロであるアクチャリーの坂本さんに出て頂かなくては オサマリがつかなくなりそうなので、その依頼もしちゃいました(^_^;) ただアクチュアリーの話はいつも難解ですので、 まず私が判るかの不安はありますが(^_^;)

てなことで父娘ともども坂本さんにはオンブにダッコ状態でありまして… 「ありがとう!」としか、言葉が御座いませんm(_ _)m

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2009年11月16日304号 ディズニーランド

先週の10(火)11日(水)とディズニーランドに行ってきました(^_^;)

もちろん浦安にある東京ディズニーランドです。 我が家からクルマで50キロほどで一泊する必要はないのですが どうせ行くのなら充分に楽しもうということで、舞浜のホテル・オークラに1泊する事になりました。 …と言ってもソノ費用は私の母が持つそうです。 …と言っても母は要介護5の認知症でディズニーランドどころではありません。 母の面倒を見ている私の妹(長女)のユミコが母の年金から費用を捻出して楽しもうという企画です。 参加したのは他に茨城在住の妹(次女)のジュンコ、そしてもちろんYUKIとヒロコの総勢5名です。 スポンサーの母はその間、介護施設でゆっくり静養いただきます(^_^;)

そもそも、この企画は歴史があって母が元気な頃から母と妹2人で何度か楽しんでいたようで 私も1度だけ参加したことがあります。 ようするに”角倉家”は根っからのディズニーファンだったのです。

ソノ先頭には私が立っていたのかもしれません。 幼いの頃に見たバンビやピノキオや白雪姫の感激は今でも鮮明に残っています。 小学生の頃、ミッキーやドナルドの短編アニメの美しさと動きに目を輝かしたものです。 私が12歳の頃から10年間(1958年~1986年)日本テレビでプロレス中継と交互に放映していた 【ディズニーランド】は家族で楽しみに見たものです。 番組冒頭にウォルト・ディズニー本人が登場し 1955年オープンしたばかりの【冒険の国】【おとぎの国】【未来の国】から成り立つディズニーランドを紹介し、 ティンカーベルが舞い降り妖精の粉が降り掛け 「今回は○○の国からお送りします!」…というのに胸躍らされたものです。

7歳年下と10歳年下の二人の妹へのクリスマス・プレゼントはディズニーの絵本や 今でいうディズニー・グッズ。 ディズニーの映画に連れていった事も何度もあります。 そして「新婚旅行はディズニー・ランドに行く」と10代から決めていて(^_^;) 1981年YUKIとの新婚旅行はもちろんカリフォルニアのディズニー・ランドでした。 ① ② ③ 1984年、ヒロコが2歳の時にロス・オリンピック観戦とでディズニーランドへ。 ① ② 1988年大晦日はディズニー・ランドでカウント・ダウン1989年元旦を迎え… ① ② 帰国したら昭和から平成になっていました(^_^;)

もちろんヒロコにもディズニーの絵本全集を買い揃え、 その中からヒロコが選んだ絵本を就寝前に読み聞かせるのが私の日課でした。

1983年には東京ディズニーランドが誕生していたのですが ”アメリカにあるからディズニーランド”というコダワリがあったのですが… それも時間の問題でした(^_^;)

てなわけで… ヒロコはもちろん、かなりのオバサンである私の妹二人がディズニーファンであるのも、 責任の一画は私にある奇妙な5人の団体が成立しているのです(^_^;)

とは言っても私とYUKIがディズニーランドに行くのは十数年ぶりです。 どうせ行くなら、まだ行ったことがないディズニー・シーと思ったのですが、 ヒロコは友だちと、妹も二人で…昨年はそれぞれ1泊旅行で楽しんでいるのです。 昔は私がリードしていた”ディズニーの世界”も時代が変り、すっかりオノボリサン状態です(^_^;)

それにしても… どんどんパワーアップし拡大していくディズニーランドいやディズニーリゾートには圧倒されます。 全国の遊園地やテーマパークが衰退していく中でココだけが”ひとり勝ち”というのが良く判ります。

もう駐車場に入った瞬間から駐車場のお兄ちゃんの動作も顔もディズニーの世界です(^_^;) クルマから降りるファミリーの子どもはシンデレラの衣装、親はミッキーやグフィーの耳をつけて 足早にゲートに向かいます。 もちろん園内に入ればキャラクター(ぬいぐるみ)は勿論、アトラクションの案内役・店員・清掃係などなど すべてのスタッフが笑顔をたやさずお客をサポートするのはディズニーランドの特徴だと昔から思っていましたが… それが不自然でなく皆同じようなのが怖い気もします(^_^;)

しかし、これによって客も完全にディズニーの世界に没頭し催眠商法のようにディズニーグッヅが飛ぶように売れ それが子どもにも引き継がれ、りピートが繰り返されていくのです。

今は飯山(長野県)の里山での稲作に安らぎと憧れを感じるようになってしまった(^_^;)私には… 広大な敷地すべてが人工的に作られ完璧なまでにシステム化・マニュアル化された空間に 違和感を感じてはしまう年齢になってしまったのかもしれません。

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