2011年03月14日373号 地震の次の日

12日土曜日は何かと忙しい日になってしまいました。

ず~と前からこの日はエノちゃん企画のセミナー5回目で 今や懐かしい自然農法の東大和の農園の実習がありその記録係になっていたのです。 そして夜は7時から、ヒロコの学童時代のお友達で父親の故山本修さんの一周忌のミサが教会であり 出席する事にしていたのです。

ところが24日から中米ベリーズにJICAシニアボランティアで出発する 友人・永森の歓送会が突然この日の午後3時に決まったのです。 本来なら永森の歓送会はキャンセルすれば良いのですが… 実は山本未亡人の文子さんも偶然なのですが、同じ24日にJICAシニアボランティアで アフリカのカメルーンに出発する事になっていて 文子さんにも永森と同じようにブログを書く事を私は強く薦めていて今週も ご自宅に訪問する事にもなっていたので、ミサの方はYUKIが代表で行ってもらう事にしたのです。

東大和、特に農場に行くにはクルマがベストなのですが、 午後3時からは横浜での永森の送別会で当然アルコールも入るので電車で行く事に決めていました。 前日には東日本巨大地震があって、その事はブログで書いていますが(^_^;) 南武線は午前7時から通常に動いているというニュースがあったので、途中でゆっくり朝食を取る時間も 考慮して我が家を7時30分頃に出たのです。

ところが南武線の登戸駅のアナウンスは 「昨日の地震のため運転を見あわております、運転開始は8時となっていますが 詳細な時間は不明でしばらくお待ちください…」 とホームに流れるのですが、 8時を過ぎても同じアナウンスが流れるだけで駅員の姿は一人も見えず、 どのような状況で、後どのくらい待たされるかも判らず寒いホームにジッと待たされ続けられるのです。

結局9時近くに電車が来て、それも各駅停車で踏み切りごとに停車して 立川駅についたのは10時を大きく回って、その時点でづでに遅刻です(^_^;)

立川駅で帰りは横浜まで行かねばならないので、今日のような日は何が一番早く行けるか 駅の案内で聞くと、「南武線が一番早いでしょう」 と今来たコースを登戸を経由し武蔵小杉で 東横線に乗り換え行けというのです(^_^;) こんな事なら最初からクルマで我が家を往復し、クルマを置いて横浜に行けばよかったのです。

けっきょく農場には大きく遅刻したのですが、地震の影響もあって参加者も少なく セミナーはほとんど終盤で、なんとなく終わってしまいました(^_^;) ① ② ③ ④ ⑤ 懐かしいメンバーとチョト団欒し、3時の横浜に間に合わすため農園を後に。 ① ② ③

歩きながら、香港の小倉に電話、奥さんのキエちゃんは津波の被害が大きい福島県相馬市が実家。 1974年の夏、永森と私は相馬で大変お世話になっているので、心配をしていたのでが無事を確認!

モノレールで立川に戻り、こわごわ南武線のホームに(^_^;)

すべて各駅停車だけどスムーズに運行され、思ったよりも断然早く横浜に到着。 この送別会も地震の影響で3名が欠席、 その代わりというわけでもないのですが1年先輩の岡広さんが出席。 どうして我々同期の集まりを知ったのかと思ったら、永森の3月5日このブログを見て(^_^;)

私はこの古谷が作った永森歓送会の案内状をそのまま載せて何の意味があるのか?!と 思っていたのですが案内の行っていない先輩の岡広さんが見つけられたのです。 この会の模様は今見たら永森が写真入りでブログに書いているたので、そちらを参考に(^_^;)

2008年02月11日212号 セニョール・ナガモリ

10日の日曜日『セニョール・ナガモリを囲む会』に YUKIとヒロコの3人で出かけました。

『セニョール・ナガモリ』と言ってもラテン系の人ではありません(^_^;) ラテン系の人ではありませんが… またまた今回も登場させて頂きました、拓殖大学ラテン・アメリカ研究会で私と同期の人です。 昨年11月の香港も拓殖大学ラテン・アメリカ研究会OB会での旅行でした。

拓殖大学ラテンアメリカ研究会がどんな研究会だったかは いつか詳しく書きます…なんて以前に言ったまま今だ詳しく書かないままですが この週間KENには良く登場させて頂だいています。

なぜ?よく登場するのかといえば 大学を卒業して40年近くなるのですが、みんな仲が良く家族ぐるみの付き合いが続いているからです。

拓殖大学は1900年創設以来、海外雄飛が伝統の大学で 校歌の「人種の色と地の境我が立つ前に差別なし」は私も大好きな歌詞です。 一流大学出身の多くは海外で活躍するといっても、 数年間の限られた期間滞在しいわば空中戦のような海外活動をするのに対して 拓大は現地で生活し自ら生計をたて、そこで家族をつくったりする者も少なくないのです。

そういった伝統の中で色々な国々や地域のクラブがあって その中のひとつとして『ラテン・アメリカ研究会』があったというわけです。 今は拓大に外国学部が出来てスペイン語学科がありますが、 当時は第二外国語としてのスペイン語しかなかったのですが、 スペイン語の習得もクラブの目的のひとつでした。 私が大学三年生の時にはスペイン語の語劇祭で『オジャンタイ』という芝居の 主役をやり『角倉がやったらオジャンタイ』なんて冷やかされたものです。

まー私のスペイン語の実力は昨年の我が家でのスペイン旅行で、すっかり化けの皮が剥げてしまい ますます肩身の狭い家庭生活を送っている私ですが(^_^;) ナガモリは私とは正反対のスペイン語の虫のような奴で 『ラテン・アメリカ研究会』の生温いスペイン語では物足りず、 自分で『スペイン語愛好会』を作ったほどの勉強家だったのです。

卒業後、旅行代理店の仕事の付くのですが、スペイン語を専門的に使うこともなく 一昨年11月に定年を迎えたのですが、 どうしてもスペイン語を生かした活動をしたいとの思いから 昨年3月からJICAのシニア海外ボランティアとして中米ホンジュラスの観光庁に2年間の 勤務についたのですが、1年経過の健康診断のため約一ヶ月の一時帰国中なのです。

この事は前回の週間KENで、ナガモリのブログを作るという話で少々触れましたが… せっかくナガモリが帰国中というのなら、同期の仲間が集まろうという事で ナビオス横浜で昼食を食べることにしたというわけです。

どうしてセニョール・ナガモリを囲む会になったのかは幹事に聞きそびれましたが 同期の仲間というのは、普段はいつもヨビステで呼んでいますから メールを書く時などでも名前に”様”をつけるのはなんだか抵抗があり… だからと言って”ヨビステ”で書くのも、どうかな…と、けっこう悩むのです。 したっがて、セニョール・ナガモリはピッタリのように思えたのですが ロビーでお客様が「セニョール・ナガモリって何かしら?」って注目を浴びていました(^_^;)

今回集まったのはナガモリを含めて7人の同期生とその妻で14名とプラスヒロコの15名! 食事は本格的なコース料理で堪能 食後はベイ・ブリッジが一望出きるラウンジへ          スナップ1  スナップ2 ヒロコは途中で所要のために中座しましたが みんな大いに話が弾んで アッというまに時間が経過してしまいました。 ナガモリのブログ用の写真も密かに撮ったのですが気に言ってくれるか、 今週中にまたナガモリに会ってブログの伝授をしなければなりません。

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