2011年09月12日 第399号 無事完了!!

前号に引き続き帰国する8日までをダイジェストで…

●9月5日(月) ハンツビル→メンフィス(テネシー州)

ハンツビルでの宿はユキと義母が4日間滞在していた、ランス宅から歩いてでもいけそう(誰も歩かない)なところにある ヒルトンが経営するコンドミニアム。 ここでゆっくりトーストとコーヒーでテレビを見ながら朝食を取るのが義母の楽しみのようでした。 ① ② 朝食が終わる頃ヒロコがクルマでお出迎え、ランス宅に泊まったパパのケビンと団欒。 ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧

そしてランスのクルマに乗ってケビンをハンツビル空港に送った後、 ① ② ハンツビルの観光名所、ロケット・センターに行ってみるが雨が激しくデジカメで1枚だけ記念の自撮り。

① ② ③ ランスの職場をクルマから眺めて、ターゲット(大型スパー)にちょっとよってヒロコと婚姻届を出して時の

記念写真に写っていた白黒ツートンのゴルフ用の傘を購入(その傘を無くしてしまったようで)などして帰宅。

またしばらくのんびりと時間をすごした後、① ② ③ ④ ⑤ 最終目的地であるメンフィスに向ってドライブ。

雨が激しく降っているのでクルマの中で食事が出来る『SONIC』でアメリカンスタイルの昼食を(^_^;) ① ② ③ ④

途中、竜巻被害があった場所も通過していくうちにだんだん天気が回復し、ご機嫌なドラブ日よりに。 ① ② ③ ④ ⑤ ⑥

そしてミシシッピー川の夕日が美しいエルビス・プレスリーの町メンフィスに到着! ホテルにチェック・インしたあと、ゆっくり歩いて夕食へ。 ① ② ③  ⑤ ⑥ ⑦

食事にウルサイ義母はアメリカではステーキだったら満足するという事が判って ランスが前もって調べていたステーキの美味しいお店に。

もちろん義母も大満足でワインもパンも美味しくて、それに円で換算すると日本では考えあれない値段です。

ランスと私が並んで座るとそれほど背が変わりません(^_^;) ① ② ③ ④

 

●9月6日(火) メンフィス(テネシー州)

ホテルで軽い朝食を済ませてメンフィスの町に… ① ② ③ ④

1940年代から続いているというビーボディホテルでのメンフィス名物   『アヒルの行進』を見物して ① ② ③ ④ ⑤ そしてメンフィスと言えばエルビス!そのエルビスの邸宅をそのまま残した『グレイスランド』に ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨ ⑩ ⑪ ⑫ ⑬ ⑭ ⑮ ⑯ ⑰ ⑱ ⑲ 明日の早朝の飛行機で帰国の途につくので、お土産を買いにウォルマートに。

昔からアメリカ土産はスパーでの菓子類と決めているのだが1ドル80円で計算すると更なる格安感!

① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧

このウォルマーットは黒人ばかりで見かけた白人はランスだけだった(^_^;) 夜は『ブルースの故郷』と言われる『ビールストリート』に、出来たのは1860年、黒人ミュージシャンの溜まり場になって

黒人経営のクラブやレストランが出来て、1940年代後半…BealeSteet BluseBoy  BBキングなどが現われ

R&Bの時代になって…そして1950年代半ばにエルビスが現れ「ロックンロール生誕に地」 にもなってしまうという

大変なところだったのです(^_^;)

そんなところで素晴らしい音楽と美味しいビールと食事を堪能し今回の旅の最後の夜を満喫しました。 ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨ ⑩ ⑪ ⑫ ⑬ ⑭ ⑮ そしてYouTubeでライブ演奏を(^_^;)

 

●9月7日(水) 9月8日(木)  メンフィス→シカゴ→成田空港→我が家 5時50分の飛行機で国際線乗り継ぎの場合は2時間前までに行かなければならないようなので

ホテルを午前3時過ぎにチェックアウト(^_^;) でもメンフィス空港では結局一時間以上も待たされて、、① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ 普通の国内線と同じような手続きで搭乗 ① ② ③ シカゴ空港でも来た時のような機内預かりの荷物のピックアップもなく

義母はこんな乗り物にも乗せてもらいスムーズに帰国の路につき事が出来てしまいました。 ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦

夜は我が家の近くのお蕎麦屋さんで(^_^;)

※ランスが撮ってくれた写真も ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨ ⑩ ⑪ ⑫ ⑬

 

●9月9日(金)

中尾家によって母の焼香と、お土産ばなし… ① ② ③ ④ ⑤ 

義母を羽田空港まで見送って ① ② ③ ④

いろいろあった一生忘れることがないであろう濃密なひと時は無事終了いたしました。 母と同い年の義母の体力というより精神力と好奇心の強さには感動しました。

そしてそして

[…]

2011年09月05日 第398号 ザ・ロンゲスト・ウィーク

“母の葬儀” とひとり娘の “ヒロコの結婚披露宴” が同じ週に行われるという私にとってはとても とても長い一週間になってしまいました。

ヒロコは今年の4月にランスと婚姻届を出し、その時に二人っきりで式らしい事もやっており 披露宴ですが、ま~私の気分としたら結婚式のようなものです(^_^;)

前編 【母の葬儀】 8月29日(月)~9月1日(木)

●29日(月) この日は私とユキと宮崎の義母と3人で、成田発午前10時45分の飛行機で ヒロコの結婚披露宴に参加するめアメリカに行く予定になっていたのですが、 母の突然の死で、私は当然残る事になって成田空国には見送りに。

突然の出来事と徹夜明けで、見送られる方も見送る方も最小限の口数です。 ① ②

私は成田空港から私の妹の中尾由美子宅に向って葬儀屋との打ち合わせ。

(由美子が実質的に母の面倒を任せていて私は中尾家には頭が上がりません^_^;) 葬儀は、まずは戒名も坊さんもいらない家族葬で母らしい明るい葬式で行く事に。

母の二人の妹、美智子叔母・京子叔母が駆けつけてご焼香。 ① 中尾家の次女・マキと安田コウジ君の医師夫婦がカケルとワタルの息子をつれて。 母はコウジ君にはとてもとてもお世話になっているのです。

初めは母の遺体を怖がっていたカケルとワタルも両親の普段とまったく変らない母との接して方を

見たのをきっかけに、この葬儀を明るく盛り上げてくれました。 ① ② ③ ④ ⑤

●8月30日(火)

私のもう一人の妹・淳子がひたちなか市から息子のナオヤ君とやってきました。 ① ②

母が毛糸で作っていた人形のハッピーちゃんで母を囲みました。 ① ちなみにハッピーちゃんの命名はヒロコが着けたようです。 中尾家の長女ユリが弾く沖縄の三線には、いつも大きく反応し手拍子をしていた母、

これにあわせて踊ったり、みんなで母を囲んで記念撮影をして大盛り上がり。 そんな時に、母の遺体を葬儀への移動するために葬儀屋さんが。 なんだかヘンな宗教だと思われるのもナンダからと慌ててハピーちゃんを片付けて

皆で神妙な顔をして母を送り出す事に(^_^;) ①

●8月31日(水)

映画【おくりびと】で納棺師という職業も風習も始めて知った私ですが、 葬儀屋さんがとても薦めるのでやってみる事に(^_^;) 映画でモックンがやったほどの本格的なものではありませんでしたが、 みんなで母を綺麗な身支度(みじたく)をさせて、 なかなか感動的でアット・ホームで良かったと思いました。

写真はロイターのカメランマン、ユリ撮影によるものです…① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ 家族葬で戒名もお坊さんもいらないという今回の私たちのような葬儀が増えていく中で

葬儀屋としての起死回生を図ったのでしょうが(^_^;)

ロスにいて今回の葬儀には出席できずヒロコの結婚披露宴には参加してくれる

中尾家の長男シュン君のフィアンセ(婚姻済)で東京海上のライバル会社に勤務する

ナオコちゃんも最初から最後まで参加してくれました。 明日の葬儀会場に母を安置させて、みんなで登戸のイタリアレストランで食事をしました。 ① ② ③ なぜかこの期間いつもより多くケータイに仕事の電話が入ったような気がします(^_^;)

●9月1日(木) いよいい葬儀当日! 前の晩は母の思い出の写真を公開しようと明け方5時過ぎまで編集をしていたのに ちょっと仮眠して寝過ごしそうになって家を慌てて飛び出してしまい、 持参したパソコンに最終セットし忘れて愕然。 母が亡くなって泣いているのではありません(^_^;) ① 私の妹・淳子の夫で日立の原発で今や超多忙な技術者・松平ミノル君も前夜遅く来てくれて 由美子の葬儀から葬儀の内容を聞いて驚いた様子(^_^;) 家族葬という事でしたが、どこかで母の死を知った人たちが駆けつけて頂き ① ② ③ ④ 早速、由美子が『東京音頭』や『瀬戸の花嫁』(これは母がヒロコのためにという事で由美子が選曲)

[…]

2011年03月21日374号 ヒロコの婚約発表

日本列島は大変な事になっている3月14日(月)の正午… YUKIのパソコンに、現在アメリカに留学中のヒロコから突然【スカイプ】が入りました。 パソコンにはヒロコの顔が映し出されます。 「今、そっちはどう?」… 「今度は原発がおかしなことになってきたようでバタバタしているよ」…と私が答えると 「なんだか大変な時だけどランスがKENとYUKIに話をしたいって言ってるの」というのです。

まずは、以下をクリックして私が撮影したこのyoutubuご覧下さい。(^_^;)

ランスと昨年のクリスマスに【スカイプ】を通して「メリークリスマス!」と ほんの少し挨拶をしたのが始めてで今回で2回目で直接あった事はありません。 でもヒロコのブログやフェイスブックは良く見ているので ま~こんな事もあり得ると覚悟をイヤ想像をしていました(^_^;)

ランスはヒロコの友達ジュンコの友人で、日本には東大の研究員として4年ほど住んでいたようです。 ヒロコとは友達の集まりで2・3回合ったぐらいで、それほど親したしくはなかったようですが ランスが帰国してから、ランスの方から頻繁にメールが来るようになったようです。

ヒロコがボストン大学の留学が決まると、アラバマで仕事をしているランスは ボストンが実家という事もあって、ボストン空港に迎えに行くと喜んでくれたのですが けっきょくヒロコの予定していた便に乗れずにランスとは合う事が出来ませんでした。

でも、ここからヒロコのブログに新しい展開が見られます(^_^;) ボストンの実家のランスのパパ、ケビンさんが、さかんに 「りんご園のある我が家に遊びにいらっしゃい!」と声をかけ ヒロコも遠慮せず、何度も訪ねるようになり、そこにいるジャックスという大きな犬とも仲良くなるのです。 そしてケビンさんがヒロコのブログやフェイスブックにやたら登場するようになるのです。

ヒロコがボストンで初めてランスに会うのは10月の終わり… この時、ヒロコの友達で私たちとも親しいヒーちゃんがボストンに遊びに来ていて 取り込み中で、ランスの貴重な休日が思うように行かなかったようで、 なぜかパパのケビンの方が不機嫌になってしまい、笑ってしまいました(^_^;) そして11月のサンクスギビング・デイとクリスマスの休日には ランスのボストンの実家に招待され、ランスの妹家族や ケビンさんとは離婚したランスのママや、ケビンさんの親戚などいろいろな人に紹介され、 年が明けると、ランスとラスベガスに行ったり…アラバマに行ったり… もう完全に恋人同士という雰囲気で、今回にいたったというわけです(^_^;)

まだヒロコの留学は8月までありますし、 その後、具体的にどうするかもヒロコやランスも決めていないようですが 宮崎の88歳の義母は、これでアメリカに行けるとハリキッテいます(^_^;) 二人とも世界のどこにいても生活出来そうですし、 仲良く好きなように生きれば良いと思っています。

ありがたい事に今の時代は、どんな遠くに離れていても… 毎日のようにリアルな情報が入り、テーブルの真ん中に【iPad】を置けばスカイプで 3人が食卓を囲んで雑談をするように、タダでいつまでも話す事が出来るのです。 そして、その気になれば格安チケットで世界中の国にす自由に行ける時代です。

これで苦手の英語が【iPad】や【iPhone】でカバーしてくれるようになれば完璧なのですが… どうなる事でしょう(^_^;)