2011年07月18日 第391号 熱い人・暑い畑

★    7月11日(月) 飯山の最終日は私の一言から?飯山で農業を始める事になってしまった(^_^;) 笠木さんの農場を訪ねるのが私たちの飯山行きの目的のひとつにもなりました。 前回は稲作も初めたという事で驚いたのですが、 今回は新たに山の上(長嶺スポーツ公園の近く)に広い農場を借りてそこを見せてくれたのです。 笠木さんの人柄や働き振りが評判になって農場を貸してくれる人が次々に現われるのでしょうが

それを楽しく引きうけて、夢を語る笠木さんの゛熱さ゛には感動します!

私たちも少しはお手伝いは出来ないものかと…

これも少し離れた信濃平の平原に借りている農地でのにんにくの収穫をやる事に…

たいした量ではなかったのに、もう汗びっしょりでヘトヘトに ① ② ③ ④ ⑤ クルマに乗ると外気の温度計は38度!

お昼に食べた富倉そばの冷たい天ぷら蕎麦で私は生き返りました(^_^;) ① ②

やっとインターネットの接続をしたというので笠木さんの自宅でfacebookのアカウントを作って 会うたびにたくましくなっていく笠木さんの家を後にして帰路につきました。① ② ③

★7月12日(火) 私の65回目の誕生日で(^_^;)飯山から帰宅した翌日

飯山の゛森の家゛のアイドルだったゆかりさんのささやかな歓送会を新宿でおこなわれました。 長い黒髪もばっさりと切って 、facebookはもとよりブログもスタート ゆかりさんが森の家を退職してまで念願だった旅に出る熱い思いが伝わってきます! 17日から1年間、世界の一人旅に出発しました。 ① ② ③ ④ ⑤ ⑥

 

★    7月16日(土) 今年度の大豆作りは6月の種まきから始まっているのですが今回の草取りから 3年目の私とユキの相模原での大豆作りがスタートしました。 昨年・今年と最初の種まきには参加出来ずタブン来年もダメだと思っています。 調度その時期にユキの宮崎での日本舞踊の会があって来年もチャレンジ予定だからです(^_^;) とは言っても…この大豆作りは年が明けての味噌作りまでの長丁場で… しかも一回一回がとてもハード、それもこの草取りが最もハードなのです(^_^;) そしてこの日も゛節電の夏゛を逆らうような゛猛暑゛!! それを充分な覚悟をしての参加なのに、やっぱり暑い!

① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨ ⑩ ⑪ 大きな麦茶のタンクもすぐに空になり ① ② 軽い熱中症になる人も出て、 朝の9時からの草取りは汗と乾燥した土で泥だらけになって午後4時に終了。 私の農業に対する熱い思いも、この暑さには負けそうで専業農家にはなれそうもありません(^_^;)

ちょうどこの日、大豆畑のある宮ヶ瀬湖周辺がテレビ東京の【アド街ック天国】で紹介され 我われの活動の拠点になっている【鳥居原ふれあいの館】はベスト30位中29位に入っていました(^_^;) 首都圏でありながらこの長閑さには魅かれるものがあります。

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2011年03月21日374号 ヒロコの婚約発表

日本列島は大変な事になっている3月14日(月)の正午… YUKIのパソコンに、現在アメリカに留学中のヒロコから突然【スカイプ】が入りました。 パソコンにはヒロコの顔が映し出されます。 「今、そっちはどう?」… 「今度は原発がおかしなことになってきたようでバタバタしているよ」…と私が答えると 「なんだか大変な時だけどランスがKENとYUKIに話をしたいって言ってるの」というのです。

まずは、以下をクリックして私が撮影したこのyoutubuご覧下さい。(^_^;)

ランスと昨年のクリスマスに【スカイプ】を通して「メリークリスマス!」と ほんの少し挨拶をしたのが始めてで今回で2回目で直接あった事はありません。 でもヒロコのブログやフェイスブックは良く見ているので ま~こんな事もあり得ると覚悟をイヤ想像をしていました(^_^;)

ランスはヒロコの友達ジュンコの友人で、日本には東大の研究員として4年ほど住んでいたようです。 ヒロコとは友達の集まりで2・3回合ったぐらいで、それほど親したしくはなかったようですが ランスが帰国してから、ランスの方から頻繁にメールが来るようになったようです。

ヒロコがボストン大学の留学が決まると、アラバマで仕事をしているランスは ボストンが実家という事もあって、ボストン空港に迎えに行くと喜んでくれたのですが けっきょくヒロコの予定していた便に乗れずにランスとは合う事が出来ませんでした。

でも、ここからヒロコのブログに新しい展開が見られます(^_^;) ボストンの実家のランスのパパ、ケビンさんが、さかんに 「りんご園のある我が家に遊びにいらっしゃい!」と声をかけ ヒロコも遠慮せず、何度も訪ねるようになり、そこにいるジャックスという大きな犬とも仲良くなるのです。 そしてケビンさんがヒロコのブログやフェイスブックにやたら登場するようになるのです。

ヒロコがボストンで初めてランスに会うのは10月の終わり… この時、ヒロコの友達で私たちとも親しいヒーちゃんがボストンに遊びに来ていて 取り込み中で、ランスの貴重な休日が思うように行かなかったようで、 なぜかパパのケビンの方が不機嫌になってしまい、笑ってしまいました(^_^;) そして11月のサンクスギビング・デイとクリスマスの休日には ランスのボストンの実家に招待され、ランスの妹家族や ケビンさんとは離婚したランスのママや、ケビンさんの親戚などいろいろな人に紹介され、 年が明けると、ランスとラスベガスに行ったり…アラバマに行ったり… もう完全に恋人同士という雰囲気で、今回にいたったというわけです(^_^;)

まだヒロコの留学は8月までありますし、 その後、具体的にどうするかもヒロコやランスも決めていないようですが 宮崎の88歳の義母は、これでアメリカに行けるとハリキッテいます(^_^;) 二人とも世界のどこにいても生活出来そうですし、 仲良く好きなように生きれば良いと思っています。

ありがたい事に今の時代は、どんな遠くに離れていても… 毎日のようにリアルな情報が入り、テーブルの真ん中に【iPad】を置けばスカイプで 3人が食卓を囲んで雑談をするように、タダでいつまでも話す事が出来るのです。 そして、その気になれば格安チケットで世界中の国にす自由に行ける時代です。

これで苦手の英語が【iPad】や【iPhone】でカバーしてくれるようになれば完璧なのですが… どうなる事でしょう(^_^;)

2010年09月20日348号 エノちゃんの近況

1年ほど前でに、この週間KENのコラムもけっこう溜まってきたので10のジャンル別に分けてみました。 その中に【東大和のエノちゃん】というジャンルがあるのですが昨年は6回登場しているのに 気がついたら今年はまだ一度も取り上げていなかったようです。

もちろんエノちゃんと疎遠になったわけではありません。 ちょこちょこ東大和に言ってはエノちゃんのお店でエノちゃんの熱い思いを聞いていたのです。 私が昨年の初めYUKIと二人で参加し10回の参加で辞める事になった『野菜作り』も 私が思って通り一般の人が集まらず内部分裂もあったりして大変なようです(^_^;)

まだまだ地元の古くからいる人たちは、そこまでの考えはなく歯がゆくてしょうがないようです。 地域の活性化は『よそ者・わか者・ばか者』がすると言われているようです。 地元の古くからの人たちには期待せず、エノちゃんのような”よそ者”や 東大和に住居を構え定年を向かえた団塊世代や、わか者… そして私のようなバカ者も必要だとエノちゃんは言い!(^_^;) エノちゃんは東大和の活性化の思いは、ますます加熱しているのですが…

でも私が出来ることは限られています。 エノちゃんの活動をサポートし、 そんな中でもエノちゃんのお店がソコソコでも維持出来るようサポートする事です。

もう少し具体的に言うと… エノちゃんの活動や思いを”見える化”して少しでも多くの人に伝えられる環境を作る事。 もう少し具体的に言うと… まず、エノちゃんのブログ(お店のホームページにもリンク出来る)と、 エノちゃんのお店に『iPad』を置いて、いろいろな情報を詰め込み、 お客様や地域の人とのコミニケーション・ツールとして活用するという事です。

しかし、困った事にパソコンやネット関係に強いヒロコは米国に行ってしまい、 私のアタマの中にイメージが出来上がっていても、それを形にするのは大変です。

それにもうひとつ大きな課題があります、 エノちゃんのブログやホームページを更新しアップする事を このような作業にまったく不慣れで、本業の菓子作りもしなければならないエノちゃんに変って やってくれる人が必要だという事です。

これにはエノちゃんの方から候補が上りました。 近所に住むパソコンいじりがオタクのヒッキー系の青年がいるというのです。

16日(金)早速、彼と面談するためYUKIと一緒にエノちゃんの店に行きました。 イイジマ君という青年で現在は無職で一応、安定した雇用先を求めて就職活動中という 前回の週間KENでも触れた、今の日本を象徴するような状況にいるようです(^_^;)

さっそくブログについて話をしたのですが、 オタク過ぎて「ブログは見たことも無い」と言われてしまい、即戦力にはなりそうもありません(^_^;) でも、このような青年こそ、なんらかの形で活躍してもらい、 人の輪を広げるきっかけになるのではと思いました。  ① ② ③ ④

この後、エノちゃんと、YUKIと3人で… 昨年11月にヤーコン料理の講師をされた小川さんが  ① ② ③ ④ ”うどん屋”をオープンしたというのでお邪魔することにしました。 小川さんは地元の障害児施設の理事長をされていたのですが、 どうしても地元のうどんを使ったお店を出したいとその時も語っておられ、それが実現したようです。 お店は東大和市のすぐ隣の武蔵村山市になりますが、エノちゃんのお店からクルマで10分ぐらいです。 この日はプレ・オープンの特別営業でしたが、 通常営業は正午から午後6時まで、土日祭日は休みとすっきりしたもの(^_^;) 自宅のすぐ側にあった物件で、何軒もの店が長続きせず閉店し、居抜きで破格の家賃だけで借りられるというので それだったらマイペースでもやっていけると決めたようです。 今年乳がんの手術をした68歳の小川さんですが、ますます元気! 一人でうどん屋といういうのも大変だとは思いますが 「やりたいことはすべて楽しんでやる!」というモットーで また新しい価値観の面白いお店がオープンしたことを嬉しく思い、心から応援したくなりました。 ① ② ③ ④ ⑤ 店名『はなみづき』 電話080-1984-7025(ケータイです^_^;) 住所 武蔵村山市学園3-59-2 コロコロセンター2F

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2010年04月19日326号 ヒロコのお祝い

ヒロコの”お祝い”を坂本さんのアカラックスの方々でして頂きました。 何のお祝い?…結婚ならいいのですがブーです。(^_^;) ヒロコのアメリカの大学院での留学校が決まってそのお祝いというわけです。

何でそんな事までアクチュアリーの坂本さんの会社で祝って頂けるかという事は 1年ほど前の週間KENをご覧頂ければと思います。

ようするに坂本さんはヒロコの数学の先生で、そのおかげで大学院留学の為の学力を クリアすることが出来たのです。 本来ならコチラがご招待して御礼を言わなければならないのですが ひさしぶりに皆で楽しく外食をしようというありがたいお計らいです(^_^;)

日時と会場はヒロコの方でサッサと指定したようで ほんとうに遠慮を知らない図々しいムスメいや我が家系を恥じるばかりで御座いますm(_ _)m

てなわけで、4月14日(水)午後6時から ヒロコお気に入りの肉団子が美味しい中華の【白蘭】で開催!という事になったのですが、 本人が決めた時間なのに仕事の都合で少々遅れ… 本人が決めたお店なのに場所が良く判らないと… 結局、坂本さんが神田駅まで迎えにいってもらう事になって 定刻より20分ほど遅れて乾杯をする事が出来ました(^_^;)

良く私も聞かれるのですが、 ヒロコはどんな仕事をしいて、今度はどんな勉強をしにアメリカに留学するのか?という事です。 私もよく判らないのですが(^_^;)【映像編集】というのがヒロコの仕事のようです。 今ではハリウッド映画の編集でも使われる編集ソフト【ファイナル・カット・プロ】を使って 主に外資系企業のプロモーション・ビデオやドキュメントなどの映像に携わっているようです。

2008年1月から母校のテンプル大学日本校で講師として週三回の【映像編集】の講師も引き受けることになり ヒロコ自身も勉強意欲が沸いたようで、 その頃からアメリカの大学院でもう少し専門的な勉強したいという思いがつのったようです。 とは言っても先立つお金はありませんし、オヤはまったく頼りになりませんので(^_^;) ま~それなりにガンバッタようです。 これが留学が決まった時のヒロコのブログです。 因みにサカモッチとは坂本さんのことです(^_^;)

ま~オヤの方は… これで口実をつけてレッド・ソックスの松坂を見て、そのついでに西海岸でイチローや松井を見て なんてノーテンキに喜んでおります(^_^;)

ひさびさに美味しいビールと肉団子をはじめ多くの料理をたらふく食べ 家族のように親しくさせて頂だいているアカラックスのスタッフと楽しいひとときを (もちろん坂本さんのオゴリで)過ごさせて頂きました。 ① ② ③ ④ ⑤

そうそう私は現在ブログで【生命保険の原価】という崇高なテーマに挑んでいます。 「それゃ~原価じゃないだろう!」というモノが最近マスコミやネット上で マコトシヤカに乱用され私はとても違和感を感じているからです。 とは言っても保険屋の私が”原価”とは何かまでエラソーな事が書けるわけでもなく、 保険数理のプロであるアクチャリーの坂本さんに出て頂かなくては オサマリがつかなくなりそうなので、その依頼もしちゃいました(^_^;) ただアクチュアリーの話はいつも難解ですので、 まず私が判るかの不安はありますが(^_^;)

てなことで父娘ともども坂本さんにはオンブにダッコ状態でありまして… 「ありがとう!」としか、言葉が御座いませんm(_ _)m

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2010年03月22日322号 Sr.永森たちと中華街

ラテ研ネタが二週続きます(^_^;)

20日土曜日、横浜の中華街で 約3ヶ月に渡る南米ぶらり一人旅から帰国した永森の帰国報告会を開催しました。

ま~帰国報告会と言っても中華街でやるくらいですから そんな難しい報告会をするのわけがありません(^_^;) 永森帰国を大義名分に仲間同士が集まって楽しく飲み食いしようという程度のものです。 実は昨年も永森が2年のJICAでのホンジュラス滞在を終えて帰国した時も 我々同期の集まりとラテ研主催での報告会の二本立てで、今回もその一回目です。

たしかに永森のホンジュラス滞在も南米ぶらり一人旅も、とても興味深い旅ではありますが、 我々の諸先輩や後輩達の多くは、もっともっとエキサイティングでダイナミックなラテンアメリカでの 生活や旅をされた方は数え切れないほどいる事もたしかです。 永森自身も「私だけが、こんなに報告会をさせて頂だいて…」と恐縮しきりです。

ただ永森が他の人たちと、ひとつ違っていたのはホンジュラスも南米一人旅も 毎日毎日ブログに写真と文章を載せて書き続けていたという事です。

これだけ見せ付けられれば…ま~見る見ないは自由ですけど(^_^;) 実際にはどんな旅だったのか?生の声でも聞いてみたくなるというものです。 てなわけで永森のブログの仕掛け人である私の功績も少なくないのですエッヘン!

さて、この日集まったのは総勢12名(内3名我が家)中華の丸テーブルにはピッタリの人員です。 前号で紹介した田中は、午後7時からマンションの臨時役員会が決まって参加が厳しい という事だったのを開催時間を午後3時に繰上げ無事参加。

アルゼンチンやチリでの現地で活躍されている先輩たちの話はとても興味深いものでした。 ブログには載っていない面白い話も、いくつかありました。 ① ② ③ ④ 約3ヶ月の旅で、使ったお金は往復の航空運賃を含めて全部で60万円だったそうです。 1ヶ月20万円です、日本で生活していても飲んだり食べたりは乗り物にのったり生活費は係ります。

永森は卒業と同時に旅行代理店に勤務し世界を歴訪、 定年後はホンジュラスの観光庁に2年間ボランティアとして働くなど…旅行業一筋の旅行のプロです。 しかし、これまでの仕事は目的地に安全に確実に到着させるのが仕事の多くだったともいえます。 今回の旅は、風の吹くまま気の向くまま、時間やスケジュールに縛られずの旅で これまで旅行のプロである永森が経験した事の無い旅だっとのです。 そうなればコストは激減するのです。 (我が家の場合はほとんどこのような旅ですが^_^;)

ただ、今回のような旅は永森だから出来たという側面もあるのです。 スペイン語が日常的にしゃべれるという事、 そして何より旅そのものの基本知識が豊富にあるという事です。

ようするにSr.永森が一緒なら誰でもこのような中南米の超格安の旅が楽しめるという事です。 彼の第二の人生のライフワークがボンヤリと浮かんできたように私は思っているのですが(^_^;)

会場となった横浜中華街・大新園はお嬢さんが拓大の卒業生でOB達もよく使う中華料理店。 美味しくてボリュームタップリの料理が次々に出てきて、ビールも老酒もたくさん飲んで 予算オーバーと思っていたら一人3900円、大大満足でありました(^_^;) ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨ ⑩ ⑪

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2010年03月01日319号 Sr.ナガモリと浦和先生

Sr.ナガモリが3ヶ月近い南米ぶらり一人旅から帰国しました。

昨年11月末お客様とファミレスで打ち合わせ中、 私のケータイが鳴って【通知不可】との文字が出ました。 電話に出ると永森の声で、いきなり「ブログの写真が小さくなない!」と慌てた口調です。 私は「今どこにいるの?」と聞くと、彼は「ブエノスアイレス」と。 Sr.ナガモリのホンジュラス滞在に続く第二弾!南米ぶらり一人旅の始まりです。(^_^;)

その模様は彼のブログに 11月23日から2月18日まで一日も欠かさず大量の写真とともにブログがアップされていくわけですが Sr.ナガモリのブログの仕掛け人&管理人である私は”ヘルプデスク”として忙しくなるのですが、 12月12日私が胆嚢炎の手術をする直前に電話があった時は事情を話し待ってもらいました(^_^;)

行くときも突然ですが、帰ってくるのも突然です。 もうソロソロ帰国の頃では、と思ってはいたのですが 2月19日味噌作りの2日目の帰りのクルマの中で私のケータイが鳴ったので YUKIに出て貰うとYUKIは明るい声で 「あら!おかえりなさい!ブログ楽しく拝見してました!クルマを運転中で折り返し電話させます。」 もちろんソレだけでSr.ナガモリが帰国したと判ったのですが 今朝見た彼のブログは2月15日までで「アルゼンチン最後の夜」と書かれてはいましたが これで帰国するとは書いていないのです。 (彼のブログは毎日書かれていますが何日分か纏めてアップする傾向がありますが)

ようするに行きも、帰りも、いきなり電話で知らされたわけですが(^_^;) ソレこそがSr.ナガモリらしい旅なのかも知れません。 電話の内容は 「アルゼンチンの中務先輩から浦和先生に言付かったお土産を届けようと思って先生に 電話したら”Dr.KEN”も一緒に来れば、と御指名があったので…」というのです。

浦和先生は拓大ラテンアメリカ研究会の6年先輩で 我々の学生時代にスペイン語の教員として赴任され、その後に設立される外国学部の学部長として… スペイン語学科の教授として活躍され2年前に退官されたのです。 我々にとっても懐かしい先生ですが浦和先生にとっても 初めての生徒で、私のような劣等生でも、よく覚えて下さっているのようです(^_^;)

それと浦和先生が毎日楽しみにされていたナガモリのブログの管理人が私である事もご存知で… ついでに私のブログ【ゆったりECOな保険ライフ】もご覧頂いているようで 今回の名誉あるご指名を頂いたようなのです。(^_^;)

21日(日曜日)この日は年末恒例のハートコンサートの定例会があったのですが それはヒロコに代表して貰って(^_^;) 浦和先生のご自宅の最寄り駅でもある待ち合わせ場所のJR高尾駅に向かいました。

先生は煙草の吸い過ぎが祟って肺気腫を患われ、2年前にお会いした時は大変そうに見えましたが とてもお元気そうで ① ② 歩く時は酸素ボンベをバギーのように引きずってですが、その足取りも軽く(^_^;) お店での談話中はそんな気配をまったく感じないほど楽しくお話をする事が出来ました。 ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨ ⑩ ⑪ ⑫

Sr.ナガモリとは大学1年生の頃から親しく、彼がスペイン語に強くのめり込んでいく過程を良く知っています。 私ときたら勉強もせず、ただラテン的気質だけで気楽に生きるところをは今と変らず(^_^;) 私が買ったトリオ・ロス・パンチョスの何枚ものLPについている歌詞を 彼は全部書き写し暗記し歌っていました。 映画館に弁当を持参し、スペイン映画【汚れなき悪戯】を何度も見るに付き合いましたが 私は何度目からは寝ていました(^_^;) まだ第二外国語としてスペイン語がある時代で、また日常生活の中でスペイン語を耳にする事など ほとんど出来ない時代でした。

でも、私たちの先輩である浦和先生をはじめとする多くの諸先輩はスペイン語を駆使して 多くの国々で活躍されているのです。 そして何より素晴らしいと思うのは、商社や大企業や外交の上から目線でなく… その国を愛し日本を愛し現地に溶け込んで、学生時代からの熱き思いを純粋に貫き通していることです。 ほんとうの意味でのインターナショナルな人たちではないでしょうか?

それは簡単には表現出来ない”ラテン・アメリカの風土や気質”があるのかも知れません。 何はともあれ21世紀は”ラテン的生き方”です!(^_^;)

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2008年02月18日213号 親友のブログを完成!

親友の永森のブログが完成しました! 題して【セニョール・ナガモリの中米ホンジュラス便り】です。 プロデュースしたのは私で、もちろんヒロコの力を借りました。

最初は【永森克己のホンジュラス便り】というブログのタイトルにしていたのですが 永森がホンジュラスがどこにあるか知らない人が多いので 中米という文字を入れてくれとの要求がありました。

タイトルの前に永森克己の名前と本人の写真もしっかり出す… というのは私の初めからのポリシーで、 本人は初めは少々抵抗があったようですが納得させました。 私はインターネットやブログは出来る限り”顔”を見せて発言し、 コメント欄もオープンにして”双方向性”を保つことが必要だと思っています。 それによって信頼も得られ 有意義で面白いブログが出来上がっていくというものです。

まして若い女の子ならともかく還暦を過ぎたオヤジが”顔”を出したからと言って 何を心配するのでしょう(^_^;) 永森の写真は先週の『セニュール・ナガモリを囲む会』での2次回で さり気なく私のデジカメで10枚ほど連続撮影し、その中から1枚を選びました。 永森克己のフルネームと写真が入った試作中のブログを眺めていたのですが… 何だかちょっと硬い感じがします。 写真もソフトな感じの微笑んでいるものを選らんだのですが、 まー本人が、どちらかと言えば私と違って”堅物”なところはあるで、 (私が柔らか過ぎるのかもしれませんが^_^;) もう少し遊びの部分が欲しいような気がしたのです。

その時に閃いたのが ”セニョール・ナガモリ”です!(^_^;) 自分から絶対タイトルの前に永森克己の本名を入れるから…と言っておいて何ですが、 これは中々ナイスです。 ちょっと怪しげな感じもしないではないですが、 永森の写真とプロフィール(私が書きました)もしかり掲載されているし ちょうど良いノリで、コレで行こうと勝手に決めてしまいました。

一応、永森に確認の電話をいれると… ホンジュラスの観光庁では年配者として敬意を込めて ”ドン・ナガモリ”と呼ばれているようですが、”ドン・ガバチョ”か ○○のドンとか、金丸みたいだし…と 少々本人はテレていましたがOKを取ることが出来ました。

ブログのデザインはヒロコに任せたのですが ホンジュラスの国旗を取り入れて、キレイなものを作ってくれました。

そして13日(水) 永森の横浜の自宅にパソコンを持っての2度目の訪問です。 永森にブログの書き方や写真の取り込み方、 など具体的にレクチャーしなければならないからです。

そして15日(金) 記念すべきブログ第一号が永森から配信されました! と言っても見たのは多分、私ひとりでしょう。 まだ誰にもブログのアドレスすら知らせていないのですから(^_^;) テストを兼ねたスタートで、私も自宅でパソコンをあけて訂正を加えたり、コメントを書いたり、 我ながらイヤ永森ながらの好スタートです。

16日(土)17日(日)と… 少しづつ書き出したようで、YUKIもけっこう楽しみに読んでいるようです。 まだ、ラテン・アメリカ研究会の仲間にはブログ開設の案内を出していないようですが 私がココで紹介したら何人かは見てくれるでしょうし、 徐々に反応も出てくることでしょう。

18日(月) 永森は約1ヶ月の健康診断の為の一時帰国を終え来年3月までの ホンジュラスでのボランテァ活動に戻ります。 […]

2008年02月04日211号 ブログのススメ

私は会う人、会う人に「ブログを書こう!」…と言っています(^_^;)

私のブログ『ゆったりECOな保険ライフ』の中でも今書いているテーマは 保険募集人として長くやっていこうと思うなら、ちゃんと自分の名前や顔が判るようにして 自分の考えや”こだわり”をネット上で公開していこう… すなわち「ブログを書こう!」…と言っているのです。

なぜ?そんなことを云うか、と言えば… お金もかけずに誰でも簡単に出来て、とても有意義だからです。

どのように有意義かといえば…これはもうたくさんあります。(^_^;) ①多くの方とブログを通して友人やお客さまになって頂ける。 ②ブログを定期的に書く事によって、自分の専門性を高めることが出来る。 ③自分自身のアーカイブスとして資料や記録が蓄積されていく。 まだまだありますが、あまりムズカシクなるとナンですので ①の例としてごく最近にあったお話をしたいと思います。

発端は今から1年半ほど前、Oさんという方から私にメールが入りました。 保険の相談かな?と思って読んで見ると、保険ではなく”意外な相談”でした。 それはヒロコが高校時代を過ごしたフィリピンのバギオにあるブレント高校についての相談でした。 ネットの検索で【バギオ ブレント高校】と検索したら、 この週間KEN第13号『ブレント高校』が出てきたようで、 私から親としてのナマの情報を知りたかったようです。

ヒロコがフィリピンのバギオに留学したのが1997年から3年間。 私が週間KENにバギオの事を書いたのは2004年4月。 Oさんからメールを頂だいたのは2006年10月頃だったと思います。 その時は私の意見も述べた上で、ヒロコのホーム・ページをリンクして ヒロコ自身にも詳しい情報を提供するようにバトン・タッチをしておきました。 それから1年半ほど経った先日、0さんから私とヒロコ宛にメールが入りました。 ブログやホームページの良いところは、こちらが忘れた古い記録でも 必要と思う人は、じっくりとマイ・ペースで利用することが出来ることです。

あれから2回バギオに行って下調べをしてきたのだが、子供本人も気に入っており 是非、留学させたいとの気持ちが強くなったので、ヒロコに力になって頂けないか… 出来れば費用を出すからヒロコに一緒に行ってもらえないかというものです。

その前に一度、直接お会いしなければ、ということで0さんがお住まいの 春日部市(埼玉県)まで、家族3人で出かけることにしました。 春日部市は毎月YUKIと一緒に出かけている法人のお得意様の幸手市の手前で 軽い気持ちで出かけたのですが、Oさんはヒロコだけが訪問するかと思っていたようで 家族3人が遠方から押し掛けてきてビックリされるやら恐縮されるやらで、 こちらが恐縮してしまいました。(^_^;) ネットが取り持つ縁は”保険”以外でも、いろいろあって実に楽しい限りです。

そんな中で私の大学時代の親友のナガモリが中米のホンジュラスから一時帰国。 彼は昨年3月から2年間のJICAのシニア・ボランティアで、 彼の夢だったラテン・アメリカでホンジュラスの観光局に勤務しながら一人暮らしをして いるわけですが、私は「絶対にブログを書け!」と言っていたのです。 しかしバタバタとホンジュラスに行ってしまい、 ブログなんて縁のない定年男が海外の馴れない生活に追われ、 「何を書いたら?」…というのですが そのような事を、そのまま書くだけでもブログに書は面白いのです(^_^;) でも、もったいない事に1年が経過し健康診断の為の一時帰国で残り1年になったのです。

旅行代理店として定年まで働き、自分の夢を叶えるため中米でホンジュラスの観光局で 日本人にもっとホンジュラスを知ってもらおうというボランティアをやっていて ブログを書かない手はないと、ナガモリの家に押し掛け、私が力説してやっと 彼もやっとその気になったようです。(^_^;)

バギオについて一回だけ書いたのに、このような縁が生まれるのです。 ホンジュラスで検索してナガモリのブログに辿りつく人は、 これから書いたとしても、そこそこはあるはずです。 また帰国してからも書き続けることです。 そこから彼のこれからの人生において有意義な出会いが必ずあるはずです。

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2008年01月15日208号 【週間KEN】も【ブログ】も208号

【週間KEN】を毎週月曜日のペースを崩さずリチギに書き続けている事は先週ふれました。 その【週間KEN】が今回で208号になったのですが… 私が週3回、月・水・金と書いているブログ【ゆったりECOな保険ライフ】も 偶然にも、この月曜の号で208号になったのです。

「それで、どうした?」と聞かれたら、タダそれだけの事なのですが(^_^;) 【週間KEN】の第1号が2004年1月26日 【ブログ】の第1号が2006年9月26日と2年8ヶ月後にスタートしたのですが 1年と3ヶ月半ぐらいで追いつかれ、これからは【ブログ】が【週間KEN】を、どんどんと切り離していく事でしょう。

「それで、どうした?」と聞かれたら、タダそれだけの事なのですが(^_^;) 【週間KEN】は基本的にプライベートな話題を書いていきますのでネタが尽きることがありません。 どうしてもネタが無い時には時事ネタや映画や本の感想を書く事だって出来ます。 それより残念なのは同じ週に面白い出来事が重なった場合などに、どれかを捨てなければならない時です。 よーするにプライベートな事に関して週1回書く事は何でも無いのですが… 【ブログ】のテーマは”保険”に限定され、しかも週3回も書かなければならないのです。

「それで、どうした?」と聞かれたら、タダそれだけの事でなのですが…(^_^;) 週3回のペースだって私が勝手に決めたので、それを週1回にするなり月に1回にするなり ナンなら止めてしまっても、文句を言われるスジアイはないのです。(ヒラキなおってどうする) それだったら、プライベートな事を書くのは最初からブログにして、 保険関連のコラムは【週間KEN】のようにホームページの中で週1回書くようにしたら 良かったのかも知れませんが、4年前にブログは無かったのです。

「それで、どうした?」と聞かれたら、タダそれだけの事でなのですが…(^_^;) 【ブログ】の方も創刊以来、なかなか好評で今ではブログ・ランキング(保険分野)の ベスト10には常時ランキングされ、固定ファンも少しづつ増えてきて 私なりには手ごたえを感じてきて、ブログの性格上からも、 またランキングをあるていど維持するためにも週3回のペースは崩したくないのです。

「それで、どうした?」と聞かれたら、タダそれだけの事なのですが(^_^;) 【ブログ】もこの【週間KEN】同様に、私のライフ・ワークとして出来る限り書き続けて行きたいと 思っているのですが、ただただ週3回一方的に書き続けるのは大変なのです。 そこで時々は【ブログ】の方もご覧頂き、コメント欄に何でもよいからご意見なぞ頂ければ嬉しいのです。 そうしたら、そのご意見をネタにブログを書く事が出来るからです。 保険に関する”お題拝借”する事が出来れば、もう毎日でも書けるのです。(^_^;) なんせ、メールでの保険相談は日常的にやり続けているのですから。

208回もブログを書いて、しかもメール保険相談でも書き続けていると 自分からテーマを決めて、いろいろと書いているうちに、これは以前に書いたのでは?と ペンいやキーボードが止まってしまうことがよくあるのです。 その点、質問やコメントに関する意見なら、少々ダブってもOKです。 YUKIが呆れるほど、しゃべり出したら止まらない私ですが… 一旦、書き出すと、やはり止まらなくなる傾向もあるようです。 【週間KEN】も【ブログ】も208号は通過点で、これからも書き続けて行きたいと思っています。

「それで、どうした?」と聞かれたら、タダそれだけの事なのですが(^_^;)

2007年08月20日187号 インターネットな日々

17日の金曜日にはブログ【損害保険業界ノススメ】のOFF会にYUKIと参加してきました。 昨年暮れに第一回、今回は第3回目のOFF会ですが…私とYUKIは皆勤賞です(^_^;)

インターネットはバーチャルなものと思われがちですが、 私はとてもリアルなものとしてビジネスにも結びつけています。 ネットを通して知り合った…というかネットが無ければ知り合えなかっただろう 世代を超えた多くの人達と仲良くなる事も出来ました。

ブログの管理人は”ある大手の損害保険会社”の社員です。 私も”ある大手の損害保険会社”の代理店ですが(^_^;)…会社は違います。 でも、保険会社に限らず、我が国の大手金融機関の現役社員がブログを書く!というのは、 とても度胸がいるようで、めずらしいのです。 たてまえだらけの保険業界に、こんな若い社員がいる事が嬉しくて ただそれだけで…OFF会には欠かさず参加しているのです。

OFF会が楽しいのは、たとえ初対面でもブログやコメントを通して、その人の人となりを 知っていることです。 この日も、第一部の意見交換会で隣に座っていた女性に「はじめまして!」と挨拶すると… 「スペイン旅行記、楽しく読ませて頂きました」と言われてしまいました。 彼女のブログは私も読んだ事があり一瞬で親しくなってしまいます。(^_^) 第二部の交流会も大いに盛り上がりアッというまに終ってしまいました。

ここで知り合って【182号】で紹介した”うるめクン”ももちろん参加していました。 その”うるめクン”にYUKIは何やら話したあと、私にいいに来ました。 「日曜日の”コンサートのホームページ”の打ち合わせ”うるめさん”は参加してもいいって、 言われてるけど、どうなさります?」 もちろん断る理由など、ありません(^_^;)

日曜日、池袋のサンシャイン・ビルのプリンス・ホテルのラウンジで午後3時からの打ち合わせです。 横浜の上大岡から池袋までリチギな”うるめクン”は時間どうり来ていました。 このボランテァ仲間は優雅な人達の集まりで、まずは食べ放題のデザート・バイキングです(^_^)

私がうるめクンの実力を紹介すると、がぜん打ち合わせは盛り上がり 是非、次回の9月2日のニュー・オータニの打ち合わせにも来て欲しい! ボランティアのメンバーにまでなって欲しいとの要望まで出て来て、 ちょっと可哀そうになってきましたが、助かります。

ついでに…とういうより渡りに船というタイミングで、 ロコハウスのホーム・ページを”うるめクン”に見てもらおうという事になって その打ち合わせをすることになりました。

保険会社を退社までして保険代理店のポータル・サイトを立ち上げた”うるめクン”は 以前から私のホーム・ページには注目していたというのです。

保険の事が判って、チャレンジ精神があって、Webのプロである ”うるめクン”が我がホームページの知恵袋になってもらうことは願ってもないことです。

インターネットでの新しい保険営業を模索する二人にとっては理想的パートナーと言えるのです(^_^;)

てなコトで… お腹いっぱいになったサンシャインをクルマでアトにして、 どこか駐車場があるファミレスで気分を変えてジックリと、 と探しているうちに結局”うるめクン”の自宅近くの上大岡の『サイゼリア』で ヒロコと3人で打ち合わせ。 一番ホッとしていたのが、ロコハウスとコンサートの2つのホームページのプレッシャーから ほんの少し開放されたヒロコだったかもしれません。