2011年03月28日375号 横内君ファミリーと

27日、日曜日のお昼前、
「ヒロコさんおめでとうございます!」という電話が多摩市在住の横内さんから入りました。
横内さんは古くからのお客さまで、ヒロコが生まれた時から知っているのです。
…なんていうとなんだかよそっぽい表現になってしまいます。
1979年、私がケーキ屋KENちゃんの頃、
赤坂溜池に洋菓子と喫茶レストランをオープンした時の学生アルバイトだったのです。
パティシエのエノちゃんも、その時の仲間で、
横内さんというより横内クンがしっくりくるので、これ以降は横内クンにします(^_^;)

その横内クンも51歳で3人の息子がいて
長男のタカ君はW大を卒業しインドネシア人のお嬢さんと結婚したばかりだそうで
彼の仕事の事やなんやかやと話がはずんでいきました。

そのうち電話でもなんだから久々に合おうよ…という事になって、
午後4時に多摩市の横内邸に急遽お邪魔する事になったのです。
ご自宅に直接お邪魔するのは10年ぶりぐらいで息子さんたちが大きくなっているには驚きですが
横内クンも昔から大きかったのですが、よりボリュームがついて大きくなっていて
今でも食べ盛りの3人の息子を差し置いて家で一番食べるというのです(^_^;)

アルバイト時代も食事付きだったのですが、ものすごい大食いで有名でした。
ご飯はランチプレートに一皿と決められいていましたが、
量は好きなだけ自分で盛ることが出来たのです。
それが皿の端から綺麗に富士山のように高々と盛られいて、
カレーライスの時には、山のてっぺんを噴火口のように大きくえぐり、
そこにカレーを注ぎ皿からカレーがこぼれないように、それでも薄っすらと
山の、いやライスの裾野までカレーがかかった芸術的テンコ盛りは今でも忘れられません(^_^;)

いつもお金が無く(^_^;)
岡山の実家に里帰りする時は私が東名の川崎インターまで連れていき
そこからトラックをヒッチハイクして…
アメリカ旅行したいと決めたからは、家賃を節約するやめ下宿を出てお店の更衣室に泊まりこみ
朝から晩まで働いてパスポート受け取りの葉書が届くためにお店の更衣室に借りた
マンションに横内の表札を出してめでたくパスポートをゲットしアメリカへ。
横内クンから送られてくる絵葉書には“腹が減った”というものばかりで、
わざと下痢をさせて、食欲を無くしてる…とか悲惨なもの(^_^;)
成田に無事着いて帰国した時は直行でお店にきてタラフク食べたのには皆で大笑い(^_^;)

なにしろ印象深い学生アルバイトでした。

長男のタカ君や三男のジュン君と若い人がいると、どうもいつも以上に
ハイテンションになって、いろいろと熱をもって話してしまい、
YUKIがいたら横からしゃべり過ぎと足をけられていたかも知れません(^_^;)
アッというまに時間が経過して、近くにネパール人がやっているカレー屋さんに行こう…
という事になりました。
そこで次男のショウ君と合流し6人で食事。     
奥様の実家が釜石でご家族は無事だったそうですが、親戚や知人は被災されたおられたようで
それ以上聞くことも、なんだかこちらがつらくなって聞く事が出来ませんでした。

でも、こうして横内クンの子供たちが、あの頃の横内クン以上の年齢になって
こうして、いつまでも楽しくお付き合い出来るのも、
横内クンの愛すべき人柄と、この仕事をやっているおかげと、
改めて感謝した楽しい一日でした。

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