2011年09月26日 第401号 村上智彦医師の情熱

最近はチョットご無沙汰気味になっている月に一度の【日本の医療制度を守る市民の会】のセミナーですが、
ゲストに魅力を感じた時には極力参加するようにしています。
9月22日(木)の講演の案内が『夕張医療センター・村上智彦』となっていて
グーグルで検索 ゛画像゛をクリックすると「やっぱり彼だ!」 という事が判って、これは絶対に参加したいと思いました。
村上医師はNHKのドキュメント番組で3度も見ていて、とても感動し印象に残っていたのです。

最初に見たのは2006年5月に放映された【ある地域医療の挫折~北海道せたな町~】
1年後の2007年5月に放映された【地域医療の再生への挑戦~夕張市立総合病院の100日~】
同年10月に放映されたNHKスペシャル【地域の医療はよみがえるか~夕張からの報告~】

5年前の最初に放映されたドキュメントでは
北海道の瀬棚町でムダな医療費を減らすため住民と密着した予防医療に力を入れる村上医師が紹介され、
それが市町村合併で当選した町長と折り合いが会わず、去っていく村上医師を
多くの旧瀬棚町の人々が涙で見送っていくところで終わります。
これに胸を打たれてしまうと、その後の村上医師の動向は気になるもで…彼は闘い続けていくのです(^_^;)

それが日本の医療制度に興味を持った最初で、
内藤さんと早川さんの【日本の医療制度を守る市民の会】にも参加するようになったとも言えます。

毎回、中野サンプラザで午後6時30分から開催されるセミナーですが、

今回は混雑も予想されるので早めに会場入りすると、
堂本元千葉県知事や現千葉市長も来ていて挨拶におおわらわ(^_^;)  

講演も、想像した以上にエネルギッシュで痛快!         
私の思っていた通りの人柄。
そしてなにより村上医師の日本の医療のあり方に対する考えが
私が思う医療に限らず、すべてに通じるこれからの時代のありかたと同じ事に嬉しくなってきました。

 

簡単に言ってしまえば…

日本は世界的水準から見たら、健康に恵まれ、医療水準も高く、医師も優秀!
「もっと!もっと!」と果てしない要求を医療制度や医師に求める事が問題で、

人々が健康管理に努めて、皆が分かち合いの気持ちを持っていれば、これ以上のお金もかけずに充分にやっていける…
という真っ当な考えです。

 

でも、こんな真っ当な考えは中々受け入れられないのが゛現実゛でもあるわけですが…
身体を張って地方医療の財政を立て直し闘ってきた村上医師の言葉だから説得力があります。

講演が終わったあとも…   

いつものニ次回会場の居酒屋の入り口でも… 

そして、もちろん飲み会でも…    

村上医師の熱い熱弁が続き、
ほとんど話す事は出来ませんでしたが、

記念のツーショットいやユキとのスリー・ショットも撮らして頂きました(^_^;)

今回は若い人たちの参加も多く、もちろん彼らとも楽しく語り
Facebookで繋がりました。     
3.11以降、政治・経済の報道ににうんざり気味の私にとって…

“人間の命”と常に向き合っている医師たちの考えや生き方が興味深い日々です。

2011年09月18日 第400号 京都での三日間

怒涛のような日々でしたが(^_^;)

それもひと段落と言いたいところですがユキの時差ボケは重症で
午前3時には目が覚めて、その分、ヘンな時間に居眠りをする日々がまだ続いています。

その勢いも有効利用して16日金曜日の未明から我が家をクルマで出て

17日(土)・18日(日)の今回も公私混同の京都の旅をしてきました(^_^;)

●9月16日(金) 我が家→摂津市(大阪)→京都

1000円の高速利用が廃止され自粛ぎみの昨今ですが、少しでも高速料金を節約するため
午前6時前に高速道路に入るために我が家を午前5時30分に出てクルマは西に…
最初の休憩場所は最近お気に入りになっら『富士川サービスエリア』の朝定食

レストランから見える富士山の絶景はイマイチだったが、それなりにグー。  

まずは最初の目的地、摂津市のお米屋さん、 

関西に行くときにはほとんど寄る事にしていていいいちごいるお得意様。

東京海上が生命保険をスタートさせて時に第一号の法人契約を頂いたところで
社長であり契約者である吉川さんも75歳でとてもお元気、
この保険は今解約すると払った保険料の6割ほど戻るが、90歳まで生きている契約は終了し解約金もナシ(^_^;)

その事をお知らせして、後はいつものように団欒

お土産にお米を貰ってしまいました(^_^;)

 

京都の宿はちょっと奮発して京都駅前の京都・新都ホテル。
もちろんユキが格安プランを探してで、ポイント加算もあるという事で、こういうとこに宿泊する時は
早めにチェックインしてゆっくりチェックアウトするのが我が家の慣わしです。(^_^;)
窓から見える京都駅に行きかう新幹線を見ているだけでも面白い。 

午後6時30分、京都駅の近くで開催される【震災復興チャリティ座談会&全国オフin京都】のイベント会場に。

10年ほど前に元祖FPの小野瑛子さんのWebで大いに議論を交わしていた時期に親しくなった
゛カンサイテイオー゛こと太田さんが小野瑛子さんをゲストにイベントを開催するという
Facebookでの「ご招待状」を頂だいたので、出来る限り参加したいと思っていたのです。
ようするにFP(フィナンシャル・プランナー)の集まりでありまして
私は゛単なる保険屋゛である事が売りで、FPで無い事に誇りを持っている゛へそ曲がり゛で

「FPが日本を滅ぼす」なんてブログも書いているのです(^_^;)

でもあった元祖FPの小野瑛子さんは尊敬し今でもとても親しくさせて頂いていていますし、
今回も多く素敵なFPの人たちと一次会・ニ次回と楽しく過ごさせて頂きFacebookのお友達が増えました。

※当日の写真はピカサのwebアルバムでもアップしておきました。

 

●9月17日(土) 京都

昨日は例によってほとんど徹夜での京都入りと、ニ次回での痛飲で朝がゆっくりと熟睡。

10時までの朝食ビュッフェにすべりこんで、ここでゆっくりと食事とコーヒー。

ホテルでのこの時間が私の大好きなひと時(^_^;)   
12時までのチェックアウトで、それでも余裕…
チェックアウトで駐車場は午後1時まで無料で使えると聞いて、「だったら何所へ行こうか?」と俄然忙しくなり(^_^;)

【iPad】で近くの観光名所を探して梅小路公園を探索、        

その美しさにしたっていたらアッというまに時間が経過し急いで駐車場に戻って
ギリギリ1時に無料でクルマを出す事に成功したのです(^_^;)

 

そして昨晩、さんから誘われた平安神宮の近くの゛みやこめっせ゛で開催されている

【FP FAIR 2011】に(^_^;)…天気は怪しい雰囲気に  
FPでもないしFPにも興味が無いのですがeikoさんから誘われたので、それはそれで楽しいかもと行くことにしたのです。

ところが eikoさんは急がしそうで姿が見えなくなり、私たちもする事がなくテーブルで時間を過ごし  

そろそろ引き上げようかと eikoさんのケイタイに電話すると
「もう見終わった!だったら向かいのカフェテラスにいるから…」

だったら「早く言ってよ!」という気持を抑えて(^_^;)
eikoさんの古くからの仲間でFP界では3人エイコと恐れられた?(^_^;)

二人のエイコさんたちとの楽しく懐かしい談義をしているうちに早くも夕時なっていました(^_^;)   

 

雨の降る中、知恩院あたりから     

八坂神社と少し京都の名所を味わって    

この日の宿はビジネスホテルのハートン・ホテル

夜の三条通り付近を散歩して、   

゛おばんざい゛が食べられるシャレたお店をみつけて満足いく食事が出来ました。    

 

●     9月18日(日) 京都

この日、午前10時にお伺いする事になっているのは5年ほど前に週間KENでご紹介したヒロシさん。
今回はヒロシさんの実家で築100年近くになる建物の火災保険のご契約で。(京都にはこのような家が普通にあるのです)

ここは私が幼稚園の頃にはよく訪れた診療所があったところ、その後にも何度か訪ねた懐かしいところです。

ここをどう有効利用するか、いろいろ考えておられるようです私も楽しみです。    
それから以前から歩いて見ようと思って果たせなかった『哲学の道』を散歩する事に。
永観堂から銀閣寺まで疎水に沿った散策路で出来たのは昭和43年。
私の永観堂幼稚園時代…すなわち60年ほど前に疎水はあっても、そんなシャレた名所ではなかったのです。

          

 

私の永観堂の記憶は土埃が舞う荒涼としたものでしたが、どんなに時代が変わっても

京都には懐かしく惹かれるものがあり、また来るのが楽しみになりました。

2011年09月12日 第399号 無事完了!!

前号に引き続き帰国する8日までをダイジェストで…

●9月5日(月) ハンツビル→メンフィス(テネシー州)

ハンツビルでの宿はユキと義母が4日間滞在していた、ランス宅から歩いてでもいけそう(誰も歩かない)なところにある
ヒルトンが経営するコンドミニアム。
ここでゆっくりトーストとコーヒーでテレビを見ながら朝食を取るのが義母の楽しみのようでした。  
朝食が終わる頃ヒロコがクルマでお出迎え、ランス宅に泊まったパパのケビンと団欒。        

そしてランスのクルマに乗ってケビンをハンツビル空港に送った後、  
ハンツビルの観光名所、ロケット・センターに行ってみるが雨が激しくデジカメで1枚だけ記念の自撮り

  
ランスの職場をクルマから眺めて、ターゲット(大型スパー)にちょっとよってヒロコと婚姻届を出して時の

記念写真に写っていた白黒ツートンのゴルフ用の傘を購入(その傘を無くしてしまったようで)などして帰宅。

またしばらくのんびりと時間をすごした後、    
最終目的地であるメンフィスに向ってドライブ。

雨が激しく降っているのでクルマの中で食事が出来る『SONIC』でアメリカンスタイルの昼食を(^_^;)    

途中、竜巻被害があった場所も通過していくうちにだんだん天気が回復し、ご機嫌なドラブ日よりに。      

そしてミシシッピー川の夕日が美しいエルビス・プレスリーの町メンフィスに到着!
ホテルにチェック・インしたあと、ゆっくり歩いて夕食へ。       

食事にウルサイ義母はアメリカではステーキだったら満足するという事が判って
ランスが前もって調べていたステーキの美味しいお店に。

もちろん義母も大満足でワインもパンも美味しくて、それに円で換算すると日本では考えあれない値段です。

ランスと私が並んで座るとそれほど背が変わりません(^_^;)    

 

●9月6日(火) メンフィス(テネシー州)

ホテルで軽い朝食を済ませてメンフィスの町に…    

1940年代から続いているというビーボディホテルでのメンフィス名物   『アヒルの行進』を見物して     
そしてメンフィスと言えばエルビス!そのエルビスの邸宅をそのまま残した『グレイスランド』に
                  
明日の早朝の飛行機で帰国の途につくので、お土産を買いにウォルマートに。

昔からアメリカ土産はスパーでの菓子類と決めているのだが1ドル80円で計算すると更なる格安感!

       

このウォルマーットは黒人ばかりで見かけた白人はランスだけだった(^_^;)
夜は『ブルースの故郷』と言われる『ビールストリート』に、出来たのは1860年、黒人ミュージシャンの溜まり場になって

黒人経営のクラブやレストランが出来て、1940年代後半…BealeSteet BluseBoy  BBキングなどが現われ

R&Bの時代になって…そして1950年代半ばにエルビスが現れ「ロックンロール生誕に地」 にもなってしまうという

大変なところだったのです(^_^;)

そんなところで素晴らしい音楽と美味しいビールと食事を堪能し今回の旅の最後の夜を満喫しました。
              
そしてYouTubeでライブ演奏を(^_^;)

 

●9月7日(水) 9月8日(木)  メンフィス→シカゴ→成田空港→我が家
5時50分の飛行機で国際線乗り継ぎの場合は2時間前までに行かなければならないようなので

ホテルを午前3時過ぎにチェックアウト(^_^;)
でもメンフィス空港では結局一時間以上も待たされて、、       
普通の国内線と同じような手続きで搭乗   
シカゴ空港でも来た時のような機内預かりの荷物のピックアップもなく

義母はこんな乗り物にも乗せてもらいスムーズに帰国の路につき事が出来てしまいました。       

夜は我が家の近くのお蕎麦屋さんで(^_^;)

※ランスが撮ってくれた写真も             

 

●9月9日(金)

中尾家によって母の焼香と、お土産ばなし…     ⑤ 

義母を羽田空港まで見送って    

いろいろあった一生忘れることがないであろう濃密なひと時は無事終了いたしました。
母と同い年の義母の体力というより精神力と好奇心の強さには感動しました。

そしてそして

中尾ファミリー

ランスファミリーに心から感謝をいたします。

2011年09月05日 第398号 ザ・ロンゲスト・ウィーク

“母の葬儀” とひとり娘の “ヒロコの結婚披露宴” が同じ週に行われるという私にとってはとても
とても長い一週間になってしまいました。

ヒロコは今年の4月にランスと婚姻届を出し、その時に二人っきりで式らしい事もやっており
披露宴ですが、ま~私の気分としたら結婚式のようなものです(^_^;)

前編 【母の葬儀】 8月29日(月)~9月1日(木)

●29日(月
この日は私とユキと宮崎の義母と3人で、成田発午前10時45分の飛行機で
ヒロコの結婚披露宴に参加するめアメリカに行く予定になっていたのですが、
母の突然の死で、私は当然残る事になって成田空国には見送りに。

突然の出来事と徹夜明けで、見送られる方も見送る方も最小限の口数です。  

私は成田空港から私の妹の中尾由美子宅に向って葬儀屋との打ち合わせ

(由美子が実質的に母の面倒を任せていて私は中尾家には頭が上がりません^_^;)
葬儀は、まずは戒名も坊さんもいらない家族葬で母らしい明るい葬式で行く事に。

母の二人の妹、美智子叔母・京子叔母が駆けつけてご焼香。 
中尾家の次女・マキと安田コウジ君の医師夫婦がカケルとワタルの息子をつれて。
母はコウジ君にはとてもとてもお世話になっているのです。

初めは母の遺体を怖がっていたカケルとワタルも両親の普段とまったく変らない母との接して方を

見たのをきっかけに、この葬儀を明るく盛り上げてくれました。     

●8月30日(火)

私のもう一人の妹・淳子がひたちなか市から息子のナオヤ君とやってきました。  

母が毛糸で作っていた人形のハッピーちゃんで母を囲みました。 
ちなみにハッピーちゃんの命名はヒロコが着けたようです。
中尾家の長女ユリが弾く沖縄の三線には、いつも大きく反応し手拍子をしていた母、

これにあわせて踊ったり、みんなで母を囲んで記念撮影をして大盛り上がり。
そんな時に、母の遺体を葬儀への移動するために葬儀屋さんが。
なんだかヘンな宗教だと思われるのもナンダからと慌ててハピーちゃんを片付けて

皆で神妙な顔をして母を送り出す事に(^_^;) ①

●8月31日(水)

映画【おくりびと】で納棺師という職業も風習も始めて知った私ですが、
葬儀屋さんがとても薦めるのでやってみる事に(^_^;)
映画でモックンがやったほどの本格的なものではありませんでしたが、
みんなで母を綺麗な身支度(みじたく)をさせて、
なかなか感動的でアット・ホームで良かったと思いました。

写真はロイターのカメランマン、ユリ撮影によるものです…       
家族葬で戒名もお坊さんもいらないという今回の私たちのような葬儀が増えていく中で

葬儀屋としての起死回生を図ったのでしょうが(^_^;)

ロスにいて今回の葬儀には出席できずヒロコの結婚披露宴には参加してくれる

中尾家の長男シュン君のフィアンセ(婚姻済)で東京海上のライバル会社に勤務する

ナオコちゃんも最初から最後まで参加してくれました。
明日の葬儀会場に母を安置させて、みんなで登戸のイタリアレストランで食事をしました。   
なぜかこの期間いつもより多くケータイに仕事の電話が入ったような気がします(^_^;)

●9月1日(木
いよいい葬儀当日!
前の晩は母の思い出の写真を公開しようと明け方5時過ぎまで編集をしていたのに
ちょっと仮眠して寝過ごしそうになって家を慌てて飛び出してしまい、
持参したパソコンに最終セットし忘れて愕然。 母が亡くなって泣いているのではありません(^_^;) 
私の妹・淳子の夫で日立の原発で今や超多忙な技術者・松平ミノル君も前夜遅く来てくれて
由美子の葬儀から葬儀の内容を聞いて驚いた様子(^_^;)
家族葬という事でしたが、どこかで母の死を知った人たちが駆けつけて頂き    
早速、由美子が『東京音頭』や『瀬戸の花嫁』(これは母がヒロコのためにという事で由美子が選曲)

などの歌詞カードと振りの指導に戸惑う参列者(^_^;)    

葬儀はしめやかにイヤ、とても明るく執り行われ
            

なんとも楽しい葬儀で最初は戸惑っていた葬儀場の女性スタッフも
最後はノリノリでこの会をフォローして頂きました。

火葬も終わらせ  ロスのシュン君からもこんなメッセージが

中尾家で皆で楽しく会食をして母の葬儀はひとまず無事終了
我が家にもどってアメリカ行きの準備をしなければなりません(^_^;)

後編 【ヒロコの結婚披露宴】 9月2日(木)~9月4日(日)

●9月2日(金) 成田空港→ボストン空港→ナッシュビル(テネシー州)
この日は『ザ・ロンゲスト・ウィーク』の中で文字通りの『ザ・ロンゲスト・デイ』で一日38時間あります。
結婚披露宴の会場であるアメリカのテネシー州のナッシュビルとは時差14時間あるからです。
結局一睡もせずに朝を向えました、クルマで朝6時に家を出て

搭乗手続きを早めに済ませ朝食と金曜日アップのブログを書いておこうというものです。

飛行機は母と義母が乗った同じ便で10時45分発のシカゴ行きで12時間も乗っていなければなりません。

席は3人がけの真ん中で超満員、隣には大きな黒人が窮屈そうに座っています。

2日間ほとんど寝なくてビールとワインでも飲めばもうバタンキューで眠れると思っていたのですが

なんとほとんど眠れずシカゴについてしまいました。(^_^;)

シカゴでいったんアメリカの入国手続きをして旅行バックを受けとって
モノレールで国内線のターミナルに行って…という私にとっての芸当もなんとか無事にこなす事が出来て、

国内線にもスムーズに乗れてナッシュビル空港にも無事到着。

ユキと祖母とヒロコとランス…4人揃って出迎えてくれました。

まだ9月2日午後1時ごろです(^_^;)
ホテルにチェックインしたあと近くのレストランで4人で昼食。   

ヒロコは生後6ヶ月から保育園・学童保育と亡くなった母に接していた期間がとても長く

゛ハッピーちゃん゛に囲まれた葬儀のハナシをすると涙ぐんでいました
ここでランスのお父さんケビンとも会って意気投合、 

ケビンの部屋にも私たちのために冷やしたビールが用意されていました

7時30分からの親族での夜食会までの数時間は爆睡する事が出来ました。

そしてホテルでみんなが顔を揃えて

タクシーに乗ってランスがヒロコにプロポーズをしたというレストランに…
そのテーブルは我われが座っている大きなテーブルの後ろの窓際にある席だそうです^_^;)

参加者はランスの父親ケビンとママ(ケビンとは離婚してダラス在住)
妹のタラが二人の娘メーシーと生まれたばかりのマデリンをつれて

ランスの叔父さん(ケビンの弟)のアラン夫婦でランスを入れて8人。

日本勢はヒロコを入れて4人の12名でとてもステキなひと時を過ごす事が出来ました。     

●9月3日(土) ナッシュビル

今回の最大ビックイベント、ヒロコとランスが主催する結婚披露パーティーの日です。

細かい内容はまったく知らずの参加で私はてっきりお昼ぐらいからの開催と思いこんでいたのでが
これも昨晩と同じ夜の7時30分からと聞いてチョット拍子抜け(^_^;)

朝食は昨日昼食を取ったホテルの近くのレストランで女性陣男性陣が分かれて食事。  
これは本当は結婚式前夜に花嫁を含む女性陣と花婿を含む男性人とが別々に独身最後の羽目外し
をするという欧米にある習慣をちょっとだけ取り入れたもので、

昨晩、酔ったケビンが酔った私に「これからランスと一緒にヌード・ショーに行こう!」 と言った事が

ここで理解する事が出来ました。(^_^;)

テキサス出身のランスのママから私にテキサス州の地形がデザインされた銀製のマネークリップを頂きました。

義母が日本からのお土産にと持ってきた扇子も喜ばれていました。
昼食はランスお勧めの地ビール工場に隣接されたビールの美味しいレストランに、
ここで中尾家の末っ子でロス在住で大学の研究員をしている、いわばランスと同業者?シュン君と合流。     
(シュン君も母の葬儀にとても素敵なメッセージを送ってくれていました)

ホテルに戻ってユキとヒロコは義母に着物の着付けをしてもらい
ホテルの斜向かいにある高層ビルの20階にあるパーティ会場に歩いて向かいます。 

すでに私の従兄弟(母の妹の長男)の吉田浩司ファミリーが早くも揃って来てくれていました。

浩司君は日産自動車の技術者で3回目の海外赴任でナッシュビルから30分の町に奥様と次男のカイト君と3人で住んでいて
たまたま長男で慶応の2年生のシュウイチ君も夏休みで来ていて帰国を遅らせて参加してくれたのです。
私の甥のシュン君とは誰も初対面でしたがシュウイチ君は同じ大学の先輩・後輩、シュンと浩司君ともなにやら話しに盛り上がっていました。

吉田ファミリーは誰もが英語が堪能で、皆んなと解けこんでエンジョイして頂けたようでした。

エノちゃんに急遽作ってもらったランスとヒロコのマジパンで作った人形は本人達にもオオウケで飾られていました。
ユリからメールで中尾家のYouTubeでこんなメッセージが送られてきました。(^_^;)
★デジカメのビデオで撮影したヒロコの日舞「春雨」です。  ★みんなでダンス!

アットホームで楽しいひと時はアッという間に終わってしまいました。

          

披露宴が終わって、ランスとヒロコ、それにランスの大学時代の親友ティムさん夫婦とユキとシュンと私の7名で
ナッシュビルのダウンタウンに繰り出して夜おそくまで盛り上がりました。

     

これも動画で!

●9月4日(日) ナッシュビル→ハンツビル(アラバマ州)

日曜日の朝はゆっくり起きて、のんびり散歩がてらランスお勧めのレストランに。

アメリカのレストランはどこも文字ばかりで89歳の義母にどれが良いかと訊ねてもユキですら検討がつきません。

私はヘルシーにシーザーズ・サラダだけを注文し、義母とユキでステーキを取る事に(^_^;)

もともとビーフが好物の義母はステーキの美味しさに感激して喜んで食べて頂きました

シュンとはここでお別れし、我われもホテルをチェックアウトしてヒロコが住むハンツビル(アラバマ州)まで
先日ヒロコのために買ったばかりのクルマ(トヨタカムリ)で私が運転してドライブ。
その前にちょっとナッシュビルのミシシッピー川を見たいという義母の希望もあって探索、
89歳とは思えないガッツと好奇心にはいつも驚かされます。    

ハンツビルのランス邸にコテージ・スタイルの住宅地でホタルも飛び交う田園風でとてもステキなところ。  
ここからランスの職場なでクルマで5分、なぜかクルマでしか行けないようで、その事がランスの大きな不満のようですが
それがアメリカなのでしょう(^_^;)ランスと一緒に近くのスーパーマーケットにもちろんクルマで(^_^;)
ランスが義母には何が良いかと私に聞かれて、結局ディナーもステーキがという事になって…
ご飯と味噌汁と塩コショウの利いたステーキに義母は大感激、     
豊橋のお客様から娘のお祝いにと頂だいて持参したバームクーヘンも美味しく頂だいて
私がデジカメで撮影したビデオを見たり、とてもゆったりした時間を過ごす事が出来ました。  

………………
というわけで、ザ・ロンゲスト・ウィークを紹介しましたが
これはほんのダイジェスト、ほんとうはもっともっと書きたい事があるのですがキリがありません(^_^;)

2011年08月29日 第397号 次週は『ザ・ロンゲスト・ウィーク』

●26日(金)
ヒロコのアメリカでの結婚披露宴に参加するため宮崎から義母(ユキの母)がやってきました。
飛行機が到着する午後4時過ぎ、羽田空港は大変な豪雨でしたが無事到着。
その足で、神田のアカラックスの坂本さんのオフィスに寄りました。
月曜日の朝には成田空港を出発して9月8日までの11日間の久々のアメリカ旅行。
その間にも週間KENやブログのアップ、もちろん仕事上でもパソコンは必携なのですが、

いよいよ愛用の軽くて便利なレッツノートでは耐えられず、
1年前に購入した大きくて重くて使い難いダイナブックを持っていかねばなりません。
そのパソコンを何でも詳しい坂本さんにカストマイズして頂かなくてはなりません。

羽田から神田のアカラックスまでなら一般道を通っても20キロ足らずですが豪雨にための大渋滞で
2時間ほどかかってアカラックスに到着したのですが、翌日の新聞を見てビックリ!
アカッラクスに寄らずそのまま我が家に向っていたらこんな状態になっていたかも知れませんでした(^_^;)

アカラックスでは坂本さんが早々にパソコンを手当てして頂き
その後、我われの出発を祝って楽しいひと時を過ごさせて頂きました。  

●27日(土)
出発2日前の慌しい時なのですが、
この日は以前からエノちゃんと約束していた東大和でのボランティアの日(^_^;)
アートプラントというイベントで゛焼うどん゛を作ってアーティストやスタッフに提供するのだそうです。
でも、私は例によって仕事はあまりせずに写真ばかり撮っていましたが
市長になったヤスオ(尾崎)さんもやってきて、なかなか感動的で楽しいイベントでした。
     

東大和から夜帰宅して遅い夕食を終わった頃、
「ヒロコからこんなメールが来てたんだ!」とユキが大きな声を出しました。
一週間ほど前ヒロコがユキとのチャットで、
「ウエディング・ケーキの上に乗せる私とランスのお菓子の人形を榎本さん(エノちゃん)に
作ってもらえないかな~」なんて事を言っていたようで、ユキが私にその事を伝えました。
私はその時に、「具体的な写真や要望がなければ、もう時間も無いしムリだよ」と言っていたのですが、
そのスグあとのヒロコは写真や具体的なイメージも送っていたのです。
それは私のメールにも来ていたのですが、ヒロコからのメール通知は全て英語でくるため
ジャンクメールと思って私はいつも削除してしまうのです(^_^;)
ユキもそれを見落としていて私にヒッシで「エノちゃんに作って頂けないかしら?」と迫ります。
でも、それを受け取りのは明日しかありません。
私と違ってボランティアの準備や後片付け、
それに本職を休んだ分の仕込みや菓子作りもやらなければならいエノちゃんを知っているだけに
私としてもかなりキツイお願いです電話だけは入れてみることにしました。
そして、やっぱり…「明日の夜までで、まかせてくれるならやってみるよ」 と快諾してくれました。

●28日(日)
宮崎の義母がアメリカにお土産に持っていく゛扇子゛を浅草まで買いにいきたいという事で出かけました。 
ついでにスカイツリーの近くまでも行ってみました。

旅行カバンなども出発前日になって、なんやかやと買い物をしました。

そしてエノちゃんから「出来たからいつでも取りにきて」との電話があったので、

昨日に続いて東大和のエノちゃんのところの行こうと思ったらユキも一緒に行くというのです。

「今晩は徹夜で準備するから大丈夫!エノちゃんにお礼もあるし」 ということで…。
エノちゃんの作品は私の想像を超えるものでした!  
ここで紹介したいのですが、それは後日に回したいと思います。(^_^;)
そして…午後10時すぎ、
「おばあちゃんが…」 姪っ子のユリから電話が入りました!

介護施設にいる母をユミコ(私の妹)が昼間に見舞った時は食欲もあって普通だったのに
心臓が停止したというのです。

★★
という事で、ここからは次週号になるわけですが、現状だけお知らせしておきます。
ユキと義母(母と同じ89歳)も大変なショックでしたが予定通りアメリカに行ってもらいました。
母の葬儀はごく身内だけで9月1日に行い火葬します。
私は翌日の2日にアメリカに向かいます、そうすれば3日の披露宴には間に合います。
来週は【母の葬儀】【娘の結婚式?】という私にとっての『ザ・ロンゲスト・ウィーク』です(^_^;)

2011年08月22日 第396号 何かと慌しくなってきた

何かと慌しくなってきました…
9月3日のヒロコのアメリカでの結婚披露宴が近づいてきたのです(^_^;)

当人たちはすでにアメリカで結婚生活をしていて、二人でいろいろ準備をしているようで
こちらとしたら、ただ飛行機にのってアメリカのアラバマ州に行けばよいだけの話で
のんびりしていたら出発は8月29日午前10時成田発の飛行機なので
気が付いたら、あと一週間しかないのです(^_^;)

土曜日には生保のご契約で豊橋のお客様宅にお伺いしました。
お客様のご要望が8月の20日以降という事だったので、
「9月の初めは娘の結婚披露宴がアメリカであるので、8月20日か21日なら…」と申したところ
お客様は「だったら何かとお忙しいだろうから旅行から帰ってこられてからでも」と
言って頂いたのですが、私としたら何も“慌しく”は無いという事で、8月20日に決めて頂いたのです。

しかし、それから何かとバタバタしてしまい…まっコレもいつもの事なのですが(^_^;)
この日の訪問時間の確認が取れないというドジをやってしまったのです。
おまけにお客様から娘の結婚祝いのプレゼントを頂くというナンとも頭が下がりぱなしで
お客様宅を早々に後にして帰路についたのです。

気が付けば、いつもは途中で寄り道したり写真を撮ったりするのが何もしておらず、
(ご家族での写真は撮らせて頂きましたが)
雨の東海道を少し走って、浜名湖の弁天島で写真を撮って      
慌しく帰りました。

基本的にはヒマな保険代理店ですが…
8月29日から9月8日まで11日、休むとなると不備があってはなりません。
これまでも、もっと長い旅行もいくつかやっていて、それなりのノウハウはあるのですが
いつ何があるのか判らないのが保険の仕事でもあります。
メールやインターネットやスカイプはどこにいても繋がるし、留守番電話も一日数回はチェックし
緊急の場合は国際電話で連絡する事もよくあります。
でも、こんな事をしながら、海外旅行が出来るのも保険代理店のメリットと
お客様に感謝しながら甘えさせて頂だいているのです(^_^;)

2011年08月15日 第395号 歯が抜けた(^_^;)

歯が抜けたのは何年ぶりでしょうか?
歯医者で虫歯を抜いた事はあるが、歯医者にもいかず自然に抜けたのは
よくは覚えていませんが乳歯が最後に抜けたかなりの昔の記憶です(^_^;)

実はこの歯、2年ちょっと前に食事中に箸をオモイッキリ強く噛んでしまい、
とても痛い思いをしたのだが、その時いらい少しづつグラグラしていったのです。

グラグラするだけならまだ良いのですが、グラグラするにしたがって歯が伸びてくるのです。
まるでドラキュラの牙ように(^_^;)
伸びてくるだけなら良いのですが、しゃべりずらいし、食べにくいのです。
ユキから見ると、それでも良くしゃべるし良く食べると思っているのでしょうが(^_^;)

昨年の暮れ、恒例のハートコンサートでスピーチをしなければならず、
滑舌も悪くなっているので、歯医者で抜いてもらおうと思っていたのですが
年末のバタバタで結局はそのままになりました。

それから8ヶ月もかかってやっとハレて抜けたのです、というか自分で引っこ抜いたのです(^_^;)

今月の終わりにはヒロコの結婚披露宴のためアメリカ(アラバマ州)に行く事になっています。
それまでには抜けるだろうと思っていたのですが、かなりグラグラになっているのに抜けそうで抜けないのです(^_^;)

私は2年ほど前から食生活を180度変え、日本食中心で朝はパン一切れ、昼と夜は玄米です。
日本食はほとんど前歯を使わず固い玄米食も美味しく味わえますが、
パンは柔らかい食パンでも前歯で噛み切らなければならず苦戦するのです。

…というわけで、お風呂の中でグラグラしている歯を触っていいるうちに、
歯の両脇を指で挟める事が出来たので「エイッ!」と引っ張ったら抜けてくれたのです(^_^;)

抜けたらドラキュラの牙も消えて人相も滑舌も元に戻るかと思っていたのですが…
前歯の抜けた間抜け面と、歯が抜けた事で更に滑舌が悪くなったようでトホホの心境です。
ま~歳相応と言われてしまえばソレまでですが(^_^;)

それにしても見苦しい写真をお見せして失礼いたしましたm(_ _)m

2011年08月08日 第394号 夏のハートコンサート

6日(土) 毎年12月も暮の押し迫った時に開催する【クラシック・ボランティア・ハートコンサート】の
特別バージョンが西東京市の公会堂で行われました。
もちろん今回もボランティアですが、年末恒例のボランティアは演奏して頂く若手の音楽家を
ささやかでも応援しようというボランティア活動ですが、
今回は出演して頂く音楽家も全てノーギャラのボランティアでのコンサートです。

今回のコンサートのタイトルは【ともにがんばろうハートコンサート】
そう、今回の大震災で我われに何か出来る事はないのか?…という事で企画したイベントです。
この会の会長ノブさんが仕事でも関係のある西東京市にも大震災で一時避難されている方が
多くおられる事を知って被災者の方々に少しでも元気になって頂こうというものです。

…とエラソウに書いていますが今回の企画から具体的な準備や打ち合わせには
私とユキはほとんど参加しておらず、先月のうどんの会の後の役員会で役割分担が決まり
私はお弁当や飲み物の手配と写真撮影、ユキは受付と決められたのです(^_^;)
さて、コンサートですが本当に心あたたまる素晴らしいものでした。
これだけのアーティストや音楽スタッフを集めて頂だいた、
我われの仲間でありこの会の音楽プロデューサーの武蔵野音大の亀井教授と…
それに気持ちよく応じてくれた人たちに頭が下がります。

会場は満員の盛況!…と言いたいところですが実はそれほどではありませんでした。
実は今回の主賓であるはずの被災者の方たちの参加が予定より大変少なかったのです(^_^;)
詳しい事情は私は判りませんが、でもこれは仕方ないことです。
企画したのが数ヶ月前、一西東京市に一時避難されている方も少しづつ減っていきます。
その方たちに、ここまで準備したんだから出席して貰わなくは困るとは言えません。
普段からコミニケーションのある人たちだったらともかく、
私が被災者の立場でいきなりこんなイベントに招待されたら、
なんだかサラシ者にされているようでちょっと抵抗を感じるかも知れません(^_^;)

だけど、やらないよりやって方が良いと思っていますし今回もやって良かったと思いました。

来場して頂だいて方々だれもが感動され喜んで頂だいたからです。

司会の佐藤雄太クンも最後は感動で言葉を詰まらせていました

何が感動と言われれば、それは音楽の素晴らしさです!

観客の音楽家の心が繋がって一体となっているのが空気で伝わってくるのです。
クルマ椅子で痴呆の進んだご老人をクルマ椅子でつれてこられた方が、
長いコンサートをジッと気持よさそうに最後まで聴いておられたと言って頂きました。

それではコンサートのハイライトを!

第一部

●    こどもヴァイオリンアンサンブル… リハーサルYouTube
小学2年生から中学2年生の9人の演奏です。

●    丸山由里子(ヴァイオリン)丸山剛弘(チェロ)亀井美奈子(ピアノ)の三重奏
実は↑の子どもたちは丸山夫妻の教え子たち、亀井美奈子さんは亀井教授の奥様です。

●    齊藤誠二(フルート)亀井美奈子(ピアノ)

2009年武蔵野音大を主席で卒業し、指揮者として、ピアニストとしても活躍する鬼才です(^_^;) 

●    石川和夫(ピアノ)
とてもカッコいいピアノ演奏!マイクをもってしゃべると福島弁(^_^;)
今回の大震災で何か出来ないかと思っていたそうで喜んで参加して頂だいたようです。

●      二井田ひとみ(トランペット)河田夏記(ピアノ)
昨年暮のハートコンサートに出演して頂き大好評だった女性トランペッター
河田さんとの息もピッタリに今回も楽しい演奏で会場は盛り上がりました。  YouTube
第二部

合田真貴子(箏)
二十絃箏というちょっと珍しい琴を優雅に演奏し大変興味がそそられました。 YouTube

飯島幸子(ソプラノ)齊藤誠二(ピアノ)
ステージが終わって実際にお会いしたら小柄なのでビックリ、
それほど歌うときはダイナミックで魅了させらます。
フルート演奏で出演した齊藤さんのピアノ演奏はエルトン・ジョンのように楽しそうでした。  
●亀井陽二(バリトン)飯島幸子(ソプラノ)亀井美奈子(ピアノ)
我らが亀井先生ご夫妻の歌と伴奏、 飯島さんとのデュオもステキでした。 YouTube
●みなさんと一緒にうたいまよう…
出演者全員がステージにあがり【見上げてごらん夜の星を】【故郷】を歌いました。    

だれもが笑顔で…    
なんだかよくわからないけど、日本人は素晴らしいと思った一日でした。

2011年08月01日 第393号 ももさんの誕生日

30日(土) モモさんの誕生日にユキと出かけました。
モモさんとこは今年になって5回ほど行っています。
なんでそんなに行くのか?と言えば、とても気楽な集まりだからです。
今回のモモさんの誕生日も改まったものではなく
モモさんが【Happy Birthday to ME!】というイベントをFacebookに立ち上げ
「自分の誕生日なので本所ひとノまを開放します。誕生日だからちょっとワガママを言わせてもらうと、
準備やあとの片付けてとか面倒なので……」
と、ようするに食べるものとグラスや箸は自分で持ってきて、
備え付けの食器を使うなら自分で洗って欲しいというものです。

今回も月末で、ちょっと厳しいかなと思っっていたのですが、

どうにか行けそうなので急きょ、ユキはおにぎりと玉子焼きとサラダ、
それに、いつものショコラベアでバスデーケーキを注文し
墨田区の本所ひとノまに。
因み【本所ひとノま】とはモモさんの今年、恵比寿から引越しした墨田区の自宅件オフィスですが
大きなカウンターキッチンやステキな食器も揃っていて
『アートと食をテーマにしたコミュニティスペース』としてモモさんが提供しています。

そこでモモさんが商売をして儲けようというのでもないようです。
そこから何か新しい人との繋がりやクリエイティブなものが生まれいけば
新しいビジネスチャンスがあるかもしれない…という程度のものかどうかは知りませんが

私はそんなものだと思って、ただただ楽しく参加させて頂だいているのです(^_^;)

そして、これも不思議な縁ですが…
私が住みたいとも思っている飯山(長野県)にモモさんと、その強力なサポーターのサカイさんが
飯山に急接近して、つい先日はココでの有志が飯山に一泊ツアーに行ったのです。
私たちも参加したかったのですが今回は゛うどんの会゛があって断念。
10月にはバスをチャーターし2泊3日という事で是非参加する予定です。

飯山での稲作もモモさんのひとノまも共通するのは、そこに集まる人の魅力です。
誰もがフラットで自由で個性的でイキイキとしていることです。

今回も新しい人たちとの出会いがありました。
●小さい時から歌舞伎が大好きで歌舞伎文字の勘亭流のプロ!シズさん
●ロスに7年住んで大変な事があって帰国、今は緑化活動をメインにいろいろやっていて
この日はカウンターに入ってお店の人がいるような気分にして頂いたタカヒロクン。(^_^;)
マキさんはほのぼのしたお嬢様という雰囲気だけど、そのキャリアを聞いてびっくり
なんと前職は米名門投資会社GS、退職後インドを3ヶ月旅をして、食に関す本を出版したりして…

この会の超強力メンバー、料理の達人サカイさんと似たような流れ(^_^;)
大震災で被災地の人たちが、甘い菓子パンやレトルト食品しか食べていない事に問題を感じ
被災地に飛びこんでのボランティア活動を続けられているとのことm(_ _)m
●1メートル92の長身のタカノリクンはフリーのプログラマーでモバイルのソフトを
作っているとの事で、私の【iPad】の専用ソフトを作る時には彼に相談しようと思いました(^_^)
●ここでは何度か顔は見ているのだが、もの静かで話すチャンスが無かった
センダクンは生物資源の学者さんでした(^_^;)
●大手広告代理店部長の竹田さんとも、とても楽しくお話をする事が出来ました。
マユミさんとはじっくりお話する事が出来ませんでしたが頂いた名刺には゛晴れ女゛と書いてあり
ユニークな震災ボランティアをやられているようです。
●ミュージシャンのレイシクンはすでにユキのFacebookの友だちですが
今回私も友だにさせて頂きました(^_^;)

 

まだまだ書き出したらキリがありません。
もちろんココに来られるほとんどの方がFaceBookをやっていてお友だちになりました。
持参したバースデイケーキは長時間、暑い中をバスや電車に乗って両国駅から本所まで
歩いたりして、少々?崩れいましたが、美味しく食べて頂けてなによりでした。  

モモさんの愛犬・カイトサーブもココの無くてはならない個性的メンバーです。

我が家から少々距離はありますが、飯山もそうですが通っている内に距離感は薄れるもので
また何かあれば、いや何もなくても行ってみたくなるトコロです(^_^;)

そうそう…モモさんお誕生日おめでとうございました。    

2011年07月25日 第392号 うどん作り2011

★    24日(日) ハートコンサートの『うどん作り』も今年で4回目になって恒例行事になりました。
2008年 2009年で昨年2010年もあったのですが週間KENで掲載しませんでした。

なぜ掲載しなかったといえば昨年は同じ週にサカモッチことアカラックスの坂本嘉輝さんの
誕生祝いイヤ還暦祝いがあってそちらを優先したからです。
今年も坂本さんの誕生日はあったのですが
゛還暦゛ではなかったのでささやかですた(^_^;) 
…という事で今年は『うどん作り』を優先したしだいです。

そうそう今週は震災いらいご無沙汰していた【日本の医療制度を守る会】のセミナーに行きました。
この会で知り合った人柄の素晴らしい尊敬する景山さん・洞ノ口さんの両医師が講師だったからです。
もちろんお話も、二次会もとても楽しく過ごすことが出来ました。  

さて本題のうどん作りです。
ちょうど2週間前には飯山で゛そば作り゛にチャレンジしたばかりですが
こちらは4年目、それ以前にもノブさんの゛うどん作り゛には数回参加していています。
ほんとうはベテランの域に達していなければならないのでしょうが
写真を撮ったり、買い物に行ったり、ビールを飲んだり、うどん食べたり、
しっかりうどん作りをやった覚えがありません(^_^;)
           
昨年このうどん作りに参加した公認会計士の佐藤雄太君
ハートコンサートの役員になって活躍してくれて、とても助かっているのです。
その雄太君は震災の気仙沼にボランティア活動に何度か行っているのですが
その仲間の天野君も昨年のうどんの会に引き続き参加してくれました。
そこで早速、天野君に「佐藤雄太君を助ける意味で!ハートコンサートの役員に是非!」
…という事でお願いしたら引き受けてくれました(^_^)

 

そしてもう一人、うどんの会にもハートコンサートにもいつも参加して頂だいている
役員の若林さんの友人の佐藤さんも役員になって頂けるという事で
とても頼もしい仲間が増えました。
佐藤さんが二人になったので雄太君と゛トモさん゛と呼ぶ事になりました(^_^;)

集合写真      

8月6日にハートコンサート主催で
【被災者支援のボランティアコンサート】
を開催します。
今回の大震災で首都圏に避難されている人達が音楽を通して少しでも元気を取り戻して
いただければという思いでのコンサートです。
出演して頂けるアーチストはもちろん、裏方もすべてボランティアで

もちろん我われもボランティアですが
こんな会だからこそ天野君も佐藤のトモさんも役員になって頂けたのでしょう。

そうそう先日゛医療の会゛でお会いした洞ノ口先生も福島原発20キロ圏内の飯館村に
応援に行かれているそうです。

うどんの会の終わった後、恒例の役員会議が行われましたが
いつも以上に盛り上がって充実した1日でありました。     

 

★   8月6日のコンサートに参加されたいという方がいらしたらお早めにご一報下さい。

もちろん無料です。