2011年09月18日 第400号 京都での三日間

怒涛のような日々でしたが(^_^;)

それもひと段落と言いたいところですがユキの時差ボケは重症で 午前3時には目が覚めて、その分、ヘンな時間に居眠りをする日々がまだ続いています。

その勢いも有効利用して16日金曜日の未明から我が家をクルマで出て

17日(土)・18日(日)の今回も公私混同の京都の旅をしてきました(^_^;)

●9月16日(金) 我が家→摂津市(大阪)→京都

1000円の高速利用が廃止され自粛ぎみの昨今ですが、少しでも高速料金を節約するため 午前6時前に高速道路に入るために我が家を午前5時30分に出てクルマは西に… 最初の休憩場所は最近お気に入りになっら『富士川サービスエリア』の朝定食、

レストランから見える富士山の絶景はイマイチだったが、それなりにグー。 ① ②

まずは最初の目的地、摂津市のお米屋さん、① ②

関西に行くときにはほとんど寄る事にしていていいいちごいるお得意様。

東京海上が生命保険をスタートさせて時に第一号の法人契約を頂いたところで 社長であり契約者である吉川さんも75歳でとてもお元気、 この保険は今解約すると払った保険料の6割ほど戻るが、90歳まで生きている契約は終了し解約金もナシ(^_^;)

その事をお知らせして、後はいつものように団欒。

お土産にお米を貰ってしまいました(^_^;)

 

京都の宿はちょっと奮発して京都駅前の京都・新都ホテル。 もちろんユキが格安プランを探してで、ポイント加算もあるという事で、こういうとこに宿泊する時は 早めにチェックインしてゆっくりチェックアウトするのが我が家の慣わしです。(^_^;) 窓から見える京都駅に行きかう新幹線を見ているだけでも面白い。① ②

午後6時30分、京都駅の近くで開催される【震災復興チャリティ座談会&全国オフin京都】のイベント会場に。

10年ほど前に元祖FPの小野瑛子さんのWebで大いに議論を交わしていた時期に親しくなった ゛カンサイテイオー゛こと太田さんが小野瑛子さんをゲストにイベントを開催するという Facebookでの「ご招待状」を頂だいたので、出来る限り参加したいと思っていたのです。 ようするにFP(フィナンシャル・プランナー)の集まりでありまして 私は゛単なる保険屋゛である事が売りで、FPで無い事に誇りを持っている゛へそ曲がり゛で

「FPが日本を滅ぼす」なんてブログも書いているのです(^_^;)

でもあった元祖FPの小野瑛子さんは尊敬し今でもとても親しくさせて頂いていていますし、 今回も多く素敵なFPの人たちと一次会・ニ次回と楽しく過ごさせて頂きFacebookのお友達が増えました。

※当日の写真はピカサのwebアルバムでもアップしておきました。

 

●9月17日(土) 京都

昨日は例によってほとんど徹夜での京都入りと、ニ次回での痛飲で朝がゆっくりと熟睡。

10時までの朝食ビュッフェにすべりこんで、ここでゆっくりと食事とコーヒー。

ホテルでのこの時間が私の大好きなひと時(^_^;) ① ② ③ 12時までのチェックアウトで、それでも余裕… チェックアウトで駐車場は午後1時まで無料で使えると聞いて、「だったら何所へ行こうか?」と俄然忙しくなり(^_^;)

【iPad】で近くの観光名所を探して梅小路公園を探索、 ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧

その美しさにしたっていたらアッというまに時間が経過し急いで駐車場に戻って ギリギリ1時に無料でクルマを出す事に成功したのです(^_^;)

 

そして昨晩、さんから誘われた平安神宮の近くの゛みやこめっせ゛で開催されている

【FP FAIR 2011】に(^_^;)…天気は怪しい雰囲気に ① ② FPでもないしFPにも興味が無いのですがeikoさんから誘われたので、それはそれで楽しいかもと行くことにしたのです。

ところが eikoさんは急がしそうで姿が見えなくなり、私たちもする事がなくテーブルで時間を過ごし ① ②

そろそろ引き上げようかと eikoさんのケイタイに電話すると 「もう見終わった!だったら向かいのカフェテラスにいるから…」

だったら「早く言ってよ!」という気持を抑えて(^_^;) eikoさんの古くからの仲間でFP界では3人エイコと恐れられた?(^_^;)

二人のエイコさんたちとの楽しく懐かしい談義をしているうちに早くも夕時なっていました(^_^;) ① ② ③

 

雨の降る中、知恩院あたりから ① ② ③ ④ ⑤

八坂神社と少し京都の名所を味わって ① ② ③ ④

[…]

2008年02月25日214号 追悼・町田孝雄

町田孝雄が亡くなりました。 61歳でした。 私と同年齢、彼もまた拓殖大学ラテン・アメリカ研究会の仲間でした。

週間KENを書き出して丸4年、拓殖大学ラテン・アメリカ研究会はココ数週に限らず 何度か題材にしてきましたが、町田が登場するのは初めてです。

私はありがたい事に保険代理店という仕事をしていますので 昔の仕事仲間や同級生から親戚まで多くの知人と会うチャンスがあります。 同業者の中には絶対に知人や親戚はお客様にしない! なんてポリシーを持っている人も少なくないのですが私には良く判りません。

扱っている保険商品が悪い物だったり、押し売りをするならともかく 向こうから入ってくれるというものを断る理由は無いと思うのです。 懇意な保険屋が居る事はマイナスでは無いはずです(^_^;)

てな事もあってナンやカヤと私はロコハウスの契約者に限らず、 いろいろな昔の仲間の消息に関しては必然的に情報通になってしまうのです。

町田の健康状態が悪い事は 11月に香港ツアーに参加した時も、 2週間前の「セニョール・ナガモリを囲む会」でも私から報告していました。 私以外の仲間はもう10年は町田と会っていませんでした。 でも、町田はこの【週間KEN】や私との直接な会話を通して 仲間の消息はあるていど掴んでいたのです。

町田は拓大卒業後、中堅の商社の辣腕営業マンとして活躍していたのですが 45歳の時に心筋梗塞で倒れ、しばらく生死の境をさ迷い命は取り留めたものの ニトログリセリンをひと時も離せない身障者になってしまったのです。 会社もこれまでの貢献もあってしばらくは面倒を見たようですが数年で解雇され、 マンションも売り払い都営住宅で妻と2人の子供を抱え苦しい生活を強いられました。

10年ほど前に仲間が会ったというOB会は、マサにその頃の町田で 私も十数年ぶりの対面だったのですが、 サンタクロースのようにマッ白く大きく伸びた髪とヒゲが皆にインパクトを与え それにしては元気100倍で明るい町田が誰の目にも残っていたのです。

多くの仲間がそれから町田に会うことは無かったのですが… 私はそれから町田との交友は続き、 特に最後の1年ほどは頻繁に会う事になるのです。

身障者となって生活苦の中にある町田でしたが… 元気100倍で明るい町田は亡くなる数ヶ月前まで変りませんでした。

実が昨年の春頃に町田からこんな電話がありました。 「いやーまいちゃったよ、いつもの病院で検査したらガンがみつかちゃってサ、 肺がんがステージ4でリンパが3で、骨が○で、ていうんだよ、 ボクは糖尿病もやってるから、三大疾病の三冠王だよ、ワハハハ…」と 豪快に笑いながら私に言うのです。

町田と頻繁に会うようになったのは彼の病気とはまったく関係なく 長男が運転する車の事故を廻って相手の保険会社とトラブルになっていて その相談に乗っていたからです。

9月の初めや10月の終りの一時退院をした時に 打ち合わせする町田の家の近くのガストでの写真ですが、 「オイお前、ホントにがんなのかよ?」と、 こちらから疑いの質問をしたくなるほど、いつもと変らぬ元気よさなのです。

その時に彼が言った言葉が今でも印象に残っています。 「オレは15年前、心筋梗塞で倒れて蘇生してからは、おまけの人生だと思って いつ死んでも悔いのないように生きているのさ、だからガンと宣言されても 何とも思ってないんだ、食欲もあるし普通なんだよね」…と、

そして「南米のイグアスの瀧だけは1度見ておきたいと思っているんだけどネ」 と言ったいたのが、それからず~と気になっていて今でも頭から離れないのです。

今月になってから容態が急変し、町田からの最後の電話となったのも 大した用件でも無いのに自分のケータイから苦しそうにしゃべろうとするので こちらから電話を切るようにしたぐらいです。

[…]

2007年06月18日178号 わたしはしあわせ者(^_^)

ちょうど1年前の今日。6月18日は 私はドイツのニュルンブルグで日本対クロアチアのワールドカップを観戦した日でした。 この時の我が家のドイツ・ツアーは週間KEN臨時増刊号として毎日報告させて頂いたら 普段の3倍近いアクセスがありました。 そして今でも私のホームページの人気コンテンツとして多くのアクセスがあるのです。

まー、逆に言えば保険屋のホームページなんてモノは 保険のことを、いくらホンネで判りやすく親しみを持って(^_^) 書いてもそれほど読まれない…という悲しい運命にあるのかもしれません。

しかし、アクセス数が増え、親しんで頂ける方が一人でも増え 「保険の事でも相談してみよう!」なんて方が現れたら そのようなコンテンツも決してムダではないと言うこになるわけです。

なんだか、前置きが長くなりましたが… まーそのようなヘリクツをつけて今年は6月25日から7月6日まで 昨年のドイツ旅行に引き続き、今回はスペインを旅してみようと思っているのです。

あ~あロコハウスさんも儲かるようになっちゃてケッコウなご身分で… なんてイヤミのひとつぐらい言われそうな気配も感じますが(^_^;) 決してそんなに儲かって、楽な生活なぞしているわけではないのです。 ただ、このホームページを立ち上げた頃のドンゾコ状態から比べればかなり楽になった事はたしかです。

その要因の一つが、ヒロコが社会人になって出費がなくなり逆に収入が入るようになった事。 そして、もうひとつ大きな要因が、このホームページやブログの開設で、ネットでの保険相談が 全国規模で広がり収入安定に繋がったことです。

ただし、ココがとても大切なところですが… ネットでの保険相談は大変地味な仕事で決して大儲けなど出来るものではありません。 それどころか、保険仲間から、 「そんな利益の薄い保険をテマヒマかけて、契約には遠くまで出かけて、やって行けるの?」 とよく聞かれるほどなのです。

それを私はライフ・ワークとしてやって行こうと思っているのは… 決して大儲けは出来きなないけど、マイペースでやっていける堅実な仕事だという事です。

そして、何よりも大きな要因はやってて”楽しい”という事です。(^_^)

ネットでの契約者を訪問するYUKIとの国内の旅行はあくまでビジネスです(^_^) 2年前のハワイでのコンベンションも仕事関連ですから、ある程度は経費として落とせます。

しかし昨年のワールド・カップ・ツアーは経費では落とす、なんて考えてもいませんでした。 でも、それがネットで保険相談をしている保険代理店のホームページのアクセス数に貢献するなら 旅費の一部ぐらいは広告宣伝費に計上してもバチはあたらないのではないか! これは毎年のシリーズ化にして次回はスペインに行こう!などと ドイツ旅行を終えた我が家で大いに盛り上がったのです。 (すぐに盛り上がるのが我が家の習性でして^_^;)…

でも、ココまで来るには、やはり紆余曲折もありました。 実は今年の2月に、この週間KENでも少し触れましたが、大学時代のOB会がアルゼンチンであって 私の参加したかい気持ちをYUKIは感じ取って、行くことを薦めてくれました。

でもアルゼンチンはあまりにも遠く(だから行きたいのですが) したがって旅費も高く、そのわりには日にち短く、 家族でのスペイン旅行計画を犠牲にして、私だけアルゼンチンにいくという事は出来なかったのです。 そのぶんスペイン旅行には執念が湧いたというわけですが(^_^;)

今回の旅行も、延べ12日と決して短いものではありませんが ビンボー旅行をしようと思ったらもっともっと日にちが欲しいぐらいです。

私がこのような旅行をシリーズ化しようとした要因の一つにインターネットがあります。 結婚当初の数年間は年に2度のペースで海外旅行をしていた頃がありましたが やはり代理店を長期間休業して海外に行くという事は支障も少なくありませんでした。

しかし、2年前のハワイ、そして昨年のドイツとパソコン一台持って、海外に行って感じたのは ほとんど日本にいる時と変わらずに仕事が出来るという事です。 もちろん、ロコハウスに入ってくる留守番電話は定期的に聞きますが、これも携帯で聞き 携帯から簡単にかける事が出来て、時差以外はほとんど問題なく、しかも安いコストで済むのです。

旅行中も毎日、紀行文を書き上げてネット上にアップし パソコンを使っての保険相談や仕事の連絡は通常通りこなしながら、旅をするわけですから […]

2007年02月26日162号 F君の定年

私の学生時代の同級生がぞくぞくと定年を迎えました。 大学時代の同級生は、けっこう年上がいたりして、何年も前に定年になった者もいますが 飛び級制度の無い我が国の学校システムにおいては、 この3月末をもって私の同級生は全員60歳を超えてしまうのです。

その中の一人で2月に定年を向えたF君の家にYUKIと訪ねました。 F君は学生時代から、とても几帳面で真面目な性格で”信用金庫”に就職を決めたときも みんな彼にピッタリだと思いました。 そして、みんなの予想通り?に”その信用金庫”を定年まで勤め上げました。 しかし就職した時の信用金庫と、定年になった時の信用金の名前は違っていました。 数年ほど前に吸収合併されてしまったのです。

それでも几帳面で真面目なF君は家族のためにも歯を食いしばって頑張ったようです。 その長男は東大を卒業しJRに就職し、昨年6月プラハで結婚式をしたようです。 ちょうどその時期に、我がファミリーもW杯のドイツ旅行でプラハに行っており奥様との話は盛り上がったのですが F君は長男の結婚式には出席しなかったのです。 社内の”イジメ?”で休暇も取れず、あと8ヶ月の我慢とあきらめたようです。

次男も早大の院生で自立をしたようで、F君は二人の息子をリッパに育てあげ、 無事定年を迎え肩の荷もすっかりとれ、少し太ってとても穏やかな表情になっていました。 会社に嘱託として残るという選択肢もあったようですが… もう2度と同じような仕事はしたくないというのがF君の思いのようです。

テーブル上に外資系生命保険会社の代理店募集の案内資料が置いてありました。 F君に訊ねると、 「どこから情報を得てくるのかしれないけど、金融機関の定年退職者を対象に代理店募集をして、 主に外貨建の一時払の個人年金保険を販売さそうとしているみたいだね」…と言いました。 本人は、こんな商品をあたまから信用しておらず、まったくその気も無いとのことでした。

団塊の世代の退職金が大きなマーケットとして狙われているようです。 豪華なパンフレットには素晴らしい?内容が書かれているようですが 金融の”プロ”でもあったF君は何度も読んでも結局よく判らなかったようです。 生命保険の”プロ”でもある私も見たのですが、よく判りませんでした。(^_^;)

代理店勧誘の担当者は電話で「そんな難しい勉強や知識は必要ないですから…」と言ったそうです。 ようするに、金融機関を長年勤め上げた者の”顔”で同世代の退職金マネーを狙おうというのでしょう。

どうも保険会社というのは、私のように、お客様本位をタテにヘリクツを言う代理店(募集人)より、 保険会社の勧める主力商品を黙ってもくもくと売ってくれる… ようするに『売る機械』を求めているように思えることがよくあります。

そのようなにして売ろうという”商品”とはどのようなものでしょうか? 詳しい内容までは判りませんが、収益性が高く それを売ったF君も、保険会社も潤う商品であることは間違いないでしょう。

それは保険を販売しそれを生業(なりわい)としている私のような代理店も同様かもしれませんが 細く長く地道にやっている代理店はお客様を裏切ったらオシマイだという事です。 すなわち『売る機械』ではやっていけないという事です。

私が”この手の商品”を扱うとしたら、徹底的に商品分析をし、メリット、デメリットを充分に説明し お客様の自己責任を確認した上で加入して頂くことになるでしょう。 しかし、私がそこまで説明したなら多分、多くの契約は貰えないように思います。

なぜなら私は保険屋で”投資”についてはプロではないからです。 これらの商品の多くが、リスクを契約者に押し付けているのです。 契約者の多くも”投資”のプロではないはずです、もし投資のプロならこんな商品に手を出さないでしょう。 ”投資”のプロは、この商品を開発した保険会社にいるかもしれません。 その保険会社がリスクを取らないで、契約者にリスクを取ってもらう商品をつくったのです。

保険会社まかせにして、リスクだけ取らされるなら、自分で納得した投資をしたほうがマシと 私自身が思ってしまうのですから売れるわけありません(^_^;)

今、世間では、格差がどうした!弱者切捨てがどうした!とか言っていますが… 日本経済を支えているのは,そのような弱者たちではないでしょうか?

宝くじ・競輪・競馬でささやか夢を追い、高いタバコ代で財政に寄与し 高いローンでの買い物をし、消費者金融を潤わし… 安物買いの銭失いをするのも、投資の犠牲者という役目を担わされるのも…決まって弱者です。 すなわち、この国の経済が成り立つためには、何時までも愚かな弱者が必要だという […]

2006年10月09日142号 ブログのランキングは?!

ブログをスタートさせてまだ2週間ほどですが… 保険関連のブログ・ランキングで早くもベスト10に入ってしまいました。

このランキングは私のブログから【人気blogランキングへ】というところをクリックすると そのランキングが表示されたサイトに行くわけですが この時、私のブログに1票が投じられという仕組です。

今ここで【人気blogランキングへ】をクリックされた方もおられるかもしれませんが、 それは残念ながらカウントされません。 私の”ブログ”からのクリックに限られ、 ひとつのパソコンから1日・一回分がカウントされるのです。

すなわち、いくら多くの人達が見ていても そのような”仕掛け”を作ったうえで、しかも読まれた方にクリックしてもらわなければ ランキングはまったく上がらないのです。

実はこのブログ・ランキングに登録し”仕掛け”を作ってから、まだ10日ほどです。 それも、ただ私が書いたコメントの下に【人気blogランキングへ】というのを、入れただけです。

私はブログを立ち上げるにあたって、いくつかの保険関連のブログを参考に見ましたが すると、ランキングにこだわって、「クリックを!」「クリックを!」ばかりが目だって 肝心の内容が薄いのがけっこうあって苦笑してしまいました。。

とは、いえ上位に行けば必然的に注目度は増すわけですから… しっかりした内容で、地道に書き続けることで「目標は年内のベスト10入り!」なんて のんびりと考えていたのです。

ところが見る見る、ランキングを上げてきて 今、2006年10月9日午前1時現在 第10位にいます。 登録から11日です。 どのような方がご覧になって、そしてクリックして頂いているのか判りません。

このランキングは…最初だけ興味が持たれたに過ぎず 線香花火のようにパッと光って直ぐに消えていってしまうのか それとも…。

ナマケ者の私を戒めるいみでも 私はココに、今のランキングを書きしるし、 より充実した内容の深いブログにしていきたいと思っているのです。

保険関連のブログですから、保険のことしか書いていませんが… これから自己責任の時代、保険(特に生命保険)はとても重要なファクターになってきます。

保険屋20年、人生60年、いくつかの修羅場も潜り抜けてきたDr.KEN… すなわち私のブログは、そんじょそこらのレベルを超えて 保険本来のあるべき姿にせまっていきます!

週3回、月・水・金で、文章は短く、奥の深い内容で、連載していきます。 そして、お読み頂いたら【人気blogランキングへ】のクリックもお忘れなく(^_^)

2006年02月27日110号 危機管理

私の仕事は保険屋です。 かっこうよく言うとリスク・コンサルタントです。 保険はリスクに遭った時の経済的な負担を補うものですが、 ほんとうに大切なのは”事故”に直面した時の対応の仕方なのです。

最近のニュースを見ていて、そのマズさが目につきます。 東横インの社長の最初の記者会見も「真面目に誠意を持って対処していたら、マスコミも面白がって 取り上げなかったでしょうし、あそこまでのダメッジはなかったと思います。」 雪印乳業は社長の「私も寝てない!」とのひと言が命取りになったと言われているのです。

22日(水)…とても危機管理の無い、ある生命保険会社の部長さんとお逢いしました。 場所はその保険会社に加入されているお客様のご自宅です。

昨年の11月の始め、お得意様のご自宅に海外旅行保険の事で訪問した時のことです。 妹さんのHさんが見えていて生命保険の話になりました。 ある生命保険会社の新型保険に転換したばかりで設計書まで持っておられたのです。 58歳のご主人の保険で簡単に言ってしまえば前の契約を転換(解約)することで 200万円の転換資金を10年間の保障で使い切ってしまおうというものです。 10年経過すれば保障も資産価値もほとんどなくなってしまうのです。

Hさんはそんな保険とは理解しておらず、要望にもまったく応えていないとショックを受けられました。 契約からそれほど経過していないし、外交員が保険料の立替までしていたという事ですから 「強く言ったら元に戻せますよ」とアドバイスしておきました。

11月15日、外交員と営業所長が保険会社の解答が出たのでHさん宅に来るというので、 私もアドバイザーとして立ち合わせてもらいました。 私が居ることに二人はビックリしたようですが、私を無視?してHさんに説明しました。 「会社に契約の取消し申請したのですが却下されました、したがって今のご契約をこのようにして…」

私はそこで口を挟みました。 「会社で却下されたと言われましたが、それはどこの誰が却下したのか担当者を教えてください、 今ココで電話して確認させて頂きますから」 所長の顔つきがかすかに変わりました。 「もう一度、社に戻って再度申請を出します」と言って慌てて帰ってしまいました。 二人が帰ったあと私は言いました。 「ちょっと甘く見られてようですね、今度こそ早急に戻すでしょう」と。

しかし12月に入っても何の連絡もなく、Hさんが催促しても 「まだ本社からの返事が来ないので…」の一点張りだというのです。 そして年が明けても進展がありません。

問題の多い契約ですから契約は白紙に戻せると思っていましたが、あまりにも対応が遅いので、 Hさんから外交員のケータイを聞いて直接状況を聞いてみることにしました。 外交員のことを考えて私は、なるべく内密にして早く処理させてやろうと思っていたのです。 事が明るみに出たら末端の外交員に責任の全てが押し付けられるのを数多く見てきたからです。

Hさんは転換する前、加入していた保険の保障内容を大きく減額したいと思っていました。 それが転換で消滅し、新しい保険に切り替わったわのです。 問題は… 保険契約を白紙に戻したら新しい契約は消滅しその分の保険料は返されるのですが 引き換えに古い契約が復活し、その分の保険料は転換時から遡って支払うことになります。 それは困るから減額したいと思っても、古い契約が復活するまで手がつけられません。 そのことを外交員に告げると… 「減額の話はHさんから聞いています、その事も含めて申請を出しているので時間がかかっているのです。」 そして…「元の契約の減額は転換の時点でした事になりますので、転換取消しが長引いたからといって Hさんの負担が増える事は決してありません」と断言するのです。

保険契約の減額を口頭だけでやれるはあまり信じられませんが… そこまで断言するなら様子を見る事にしました。

2月16日(木)Hさんから電話がありました。 保険会社から来た葉書に1ヵ月分だけ返還すると書いてあるので 外交員にその意味を聞いたのだけどサッパリわからなというのです。 その葉書をFAXしてもらい外交員に電話をしました。 このヤリトリは書き出すと複雑で長くなるのでカットします(^_^;)

ようするに進展も誠意も一切見られない事がハッキリしたので… […]

2004年6月28日023号 お前は保険屋に向いてない!

北海道に住んでいる大学時代の親友Kから、車で外出中の私のケータイに電話が入りました。 「今、品川のPホテルにいるんだけど、時間があったら来いよ!」というのです。 夫人に付き合わされての急遽の上京で、夫人も大学時代の友人に逢いに行っており Kはホテルに取り残されて時間を持て余しているようなのです。

Kとの出会いは、入学したての1年の時ですから40年近くも前です… 空手の推薦入学で北海道から出てきたばかりのバンカラを絵に書いたような風体でした。 そのKが私に「俺がおごるから、しるこ屋に付き合ってくれ!」と言ったのが始まりです。 キャンパスがある茗荷谷(文京区)には跡見や御茶ノ水といった女子大もあり、 駅前のお店は拓大生用と女子大生用とテリトリーがはっきり分かれていたのです。 もちろん『しるこ屋』は女子大のテリトリーです…そこへ一緒に乗り込んでくれ、というのです。 女子大生の冷ややかな視線を浴びながら、しるこを3杯たいらげたKの姿が懐かしく思い出されます。

そのKがまた「俺がおごるから、夕食に付き合ってくれ!」というのです。 品川Pは食べ放題のビュフェ・レストランが有名です。 ウェエーターはプラス1800円で飲み放題だというのですが、車で来てる手前飲むわけにいきません。 Kとは学生時代どれだけ酒を飲んで議論を交わしたか判らないほどの仲です。 久しぶりに会って話は弾むのですが、何か?足りません。 「ホテルに泊まれヨ」とKは言いだしました…「そんな金あるわけないだろ、厳しい生活をしてるんだから」 と言うとKはいきなり3万円を渡し、コレで明日チェックアウトしろと言うのです。 そんなにいらない、そっちで一緒にチェックアウトしてくれと、と私が言うとKは 「バカ!お前は俺の親友だぞ、 俺の嫁さんがどう思うか考えろ!」というのです。 「でも3万はいらない」という私に「競馬ですったと思えば安いもんだ!」と 彼の言葉に納得?する事にしました。 Kから私のコワイYUKIに電話を入れてもらい、晴れて!メニューを飲み方だいに切り替えたのであります。

二人が酩酊していった時にKは突然私に言いました。 「お前に保険屋は向いていない!」 「いや最近は保険屋が天職と思えるようになってきた」と言うわたしに… 「お前が何と言おうと絶対に保険屋に向いてない !」と頑固なのです。 その理由を聞くと「じゃー儲かってるのか?」と痛いところを突いてくるのです。 「まだ新聞配達をやっているのか?」と10年ほど前の話も持ち出してくるのです。 「そんなに儲からないけど、インターネットを使ってボクの営業スタイルも確立してきたし… もう昔の保険屋の時代は終ったんだよ」 「何がインターネットだ、何がボクのスタイルだ、お前は才能があるんだから…」かなりの 悪酔いです。

ビュフェがクローズに近づいてきた頃に、帰ってきた夫人にKは聞きました。 「角倉は保険屋に向いてると思うか?」 夫人はきっぱりと答えました「ぜんぜん向いてないわよ、どうしたの?」

保険屋に向いてない私が喰えるようになれば、この国の保険(特に生命保険)も大きく変わるんだけど… 心の中でボヤキながらも、ひさびさの楽しい痛飲でありました。

翌朝のホテルロビーのカウンターでK夫妻と並んで堂々?とチェックアウトを済ませ 1万円数千円が私のヘソクリとなったわけですが…。 ここまで書いて「ヤバイ!」と思いました、K夫人がコレをよんだら! でも、たしか二人共インターネット には興味が無いと言ってたから、多分大丈夫でしょう。 で・でもYUKIは!! ああ~私のヘソクリが…