2007年06月04日176号 千の風になって

ゼン君のママが亡くなりました、58歳でした。 ゼン君はヒロコと保育園を6年間過ごしたクラス・メイト?ですが… 幼かった本人たちより、親同士の方がクラス・メイトのようになっているのです。

ゼン君のママは【週間KEN】の創刊以来の愛読者で毎週月曜日を楽しみにして頂だき 会うとココでの話題をテーマに盛り上がったものです。

ちょうど1年前、【週間KEN】でワールドカップのドイツに行くとはしゃいでいたら、 さっそくゼン君のママからメールを頂き、彼女も5月の連休を利用してブダペスト・ウィーン・チェコを 旅行してきたばかりとのことで、ドイツの道路事情も教えてもらいました。 そして『クロアチア戦しっかっり応援願います!』とはっぱをかけられました(^_^;)

そのブダベストで撮ったという彼女の写真がひまわりの花に 囲まれ飾られています。

ゼン君のママは、ひまわりの花のように…明るくて、包容力のあるパワフルな人でした。 ゼン君のパパもとてもユニークで個性的な人ですが喪主の挨拶でこう語りました。 「H子はとても聡明でスケールの大きい人で、私や息子達はその手のひらに乗っていました…」

昨年の9月に自動車保険の事で彼女と電話で話していて、 その話しの中で「ちょっと留守にしていたので…」と言うので、 私はまた旅行でも行ったのかと訊ねると、とてもあかるく 「すい臓がんで入院してたの」と答えたのです。

我が家は毎年大晦日にゼン君宅を訪問するのが恒例なのは週間KENでも触れました。 ゼン君のパパが作ったおせち料理を食べに行くのです(^_^;) 昨年の大晦日にお会いしたのが、結局最後になってしまいました。 こんなに早く…とは思いませんでした、 いや、気にはなっていても、なんだか様子を伺うのも怖かったのもたしかです。 太陽のように明るくて元気な彼女の弱った姿を見るのも…。

でも、お通夜も、その次の日の葬儀も…とても彼女らしい素晴らしいものでした。 仏式でもキリスト式でもない宗教色を一切排除して祭壇に花を添えるだけ。 流れる音楽は彼女が好きだったという美空ひばりや井上陽水。 ひばりの陽気な『東京キッド』の曲が流れる中、私は献花のために祭壇に向いました。 ひまわりに囲まれた明るく微笑む彼女の写真は今にも、おどけながら歌い出しそう…もうたまりません。

お通夜にはびっくりするほど多くの人達が次から次にやってきて献花の列は絶えません。 そして誰もがみんな涙をためていて、彼女の人徳がひしひしと伝わってきます。

翌日、お通夜に行けなかったヒロコと3人で葬儀にも出席しました。 昨夜に引き続き、同じ保育園仲間のダイ君とダイ君のママも来ていました。 ダイ君のパパはイラクで殺害された報道カメラマン橋田信介さんです。 ママもそれ以来テレビでも知られるようになりました。 とてもおとなしくて優しいダイ君はIT関係の仕事をしていたのですが やっぱり父親の意思を継ぐと決心して、先月からテレビ局で働いているそうです。 この数年間だけでも保育園仲間に思いもかけない事が襲ってくものだと語り合いました。

葬儀の最後に、彼女の棺をかこんで、みんなで『千の風になって』を歌いました。 学校の先生をやっているゼン君のパパの声も… 役者を目指していたゼン君の声も… 北大の学生でコーラスをやっているゼン君の弟のエイ君の声も… ひとりひとりの声が鮮明に聞こえてきます。 そして、みんな大きな声で歌いだし、涙をいっぱい溜めながらの大合唱です。 橋田信介さんの殺害がテレビで報道された時、毅然とた態度で涙ひとつ見せなかった ダイ君のママも、涙を流して歌っています。

亡くなった人が、残された人達に語りかけるこの歌は 死生観も宗教観も、ひっくり返すような素晴らしく衝撃的な歌です。 宗教色の無い葬儀で、そして何より…ゼン君のママにピッタリのこの歌が 「泣かないで下さい♪」なんて語りかけられたら、よけい泣けてきます。

ゼン君のママ、やすらかにお休み下さい… イヤそうではないのですね。

眠ってなんかいないのですね。 千の風となって、あの大きな空を吹きわたっているのですね。

よりパワーアップして!(^_^)

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2007年05月21日174号 アカラックスのお引越し

坂本さんの会社、アカラックスが引越ししました。

一ヶ月ほど前に、YUKIと”空也のもなか”を持って神田に あるアカラックスの事務所に行きました。 いつもの事ですが何か用事があるとかという事はなく、ただブラっといくのです。 ブラっと行くと、たいてい誰か訪問者がいたり、またいなかったりもするのですが、 なんだかワキアイアイの雰囲気になって、訪問者が持ってきたお酒や、置いていったお酒を飲んで もっとワキアイアイの雰囲気になってしまうのです。(^_^)

この日は別の訪問者はいませんでしたが、YUKIの誕生日をちょっと過ぎていたのですが、 お祝いにワインで乾杯しようという事になって、またワキアイアイになってしまいました。

ココにやってくる時、アカラックスの事務所がある、 古式ゆかしいビルの、古式ゆかしいエレベターのボタンを私は押してながら 「アカラックスがここから引越ししちゃったら寂しいよね」…などと話していたのです。

ところが、ワキアイアイとしゃっべているうちに、総務担当の新越部長が 「実はまだ誰にも話していないのですが、この事務所が引越しすることになったのです」 …というのです(^_^;) 「エー!そんな事があったら寂しいねって話してたばかりで残念だなー、 で、どこに引越しするのですか?」 新越部長が「ここから、それほど離れていませんからご案内しますよ」… という事で見にいくことになりました。

新越部長はエレベータを使わず階段を下りていきます。 とても健康的な人だなと思いながらついていくと2階にある広い部屋をあけて 「ジャジャーン、ここです!」…と嬉しそうに見せてくれました。 私もYUKIもとても嬉しくなりました(^_^) 今までより50%ほど広くなり、ちょうど正面玄関の真上にあたり、この古式ゆかしいビルの メインのオフィスといってよいようなリッチなポジションです。

まだ、その部屋は移転を決めたばかりで内装はこれからという状態で、 ゴールデン・ウイーク明けには引越しを完了していると、いうことでした。

アカラックスも一時はどうなるか…と、私が勝手に思っていただけですが(^_^;) どうにか立ち直ったようでよかったな…と、勝手に思いました。(^_^;)

これで今まではチョットでも多くの人が集まってワキアイアイとやってしまうと、 事務所が大変な状態になっていたのが、余裕をもってワキアイアイと出来そうです。

そして先日、5階から2階の広いオフィスに移った新装アカラックスにYUKIと訪問したのです。 何か気の聞いたお祝いをとは思ったのですが、けっきょくいつものように宮崎の焼酎と、 それだけなら、あまりにもいつもの通りなので、お客様から頂だいトルコのお酒を持っていきました。 そのお酒はアルコール度が高くて凄そうなので酒豪のヒロコもYUKIも手を付けづに 放置されていたのですが、あそこに持っていけば誰かが酔った勢いで飲んじゃうだろと思ったからです。

新しいオフィスのドアを開けると、そこにはいつもワキアイアイとお酒を飲む丸テーブルが 余裕をもって応接室?の真ん中にドカっと置かれていました。 そこでは坂本さんと訪問者が仕事の打ち合わせ中といった感じでした。 オフィスと酒場イヤシツレイ応接室が 分断され職場環境もアップしたようです。

我々もいつものことですが…大きな丸テーブルに座り、一応自己紹介をさせて頂き だんだん、これもいつものことですがワキアイアイの雰囲気になっていきました。

私が持ってきたトルコのお酒を見た新越部長が 「エッ!どうしてこのお酒がココにあるの?」というのです。 何も私がココから盗んだわけではないので理由を聞くと、 つい先日、このお酒を誰かが持ってきて、とても美味しいと盛り上がったばかりだというのです。

そこに、また新しく訪問者が一人やってきて、2人の訪問者も、そして私たちも まだ飲んだ事がないという事でさっそく,そのトルコのお酒を開けて飲むことになり、 いつものようにワキアイアイとした気分はドンドンもりあがっていきました。 初対面のお一人は、坂本さんがコンサルティングをしている新設保険会社の準備会社顧問Tさん。 もう一人は六本木ミッド・タウンにオフィスがあるアメリカの再保険会社のHさんです。 ここに来たらもう誰だろうと保険談義に花が咲いてしまうのです(^_^)

そこに、ヒロコも会社の帰りにやってきました、まー私が帰りのクルマを運転さすために 呼んだのですが、サカモッチ(坂本さんのこと)のファンで、アカラックスの新オフィスにも […]

2007年05月07日172号 オグラ夫妻を囲んで

大学時代の親友で、もう20年近く香港に在住しているオグラ夫妻を囲んで 久しぶりに仲間が集まろうという事になりました。

もともと我々が大学を卒業した年から、毎年1回、最初はガールフレンドを連れてきたり のハイキングだったのが、結婚して子供が生まれる者も出てきてからは 家族ぐるみでの一泊旅行となって、しばらく続いていたのです。

ヒロコも小さい時から「オグラのおじちゃん・おばちゃん」が大好きで… 1年ほど前に初めての海外出張が香港だった時には、いろいろお世話になったようです。 (平成3年には私のミニコミ誌にこんな記事も書いています) そのオグラ夫妻を囲んで集まろうというのですから、 我が家で最もスケジュールが過密なヒロコも最優先で参加すると楽しみにしていたのです。

日時は5月4日の6時頃と決まっていたのですが… 会場をドコにするのか、私が顔が広そうだという事で”幹事”になってしまいました。 候補の店が2件あったのですがゴールデン・ウイークの真っ只中でどちらも休業との事で、 結局ヒロコにネットで条件に適した店をえらんでもらいました。

当日、我が家を早めに出たのですが… 早くもオグラ夫妻とアダチが予約してある個室のテーブルに座っていました。 「アルゼンチン組は早くも、ご到着ですか」…私は笑いながら挨拶しました。 実はこの3人は2月に大学OB会の集まりでアルゼンチンに行っているのです。 そのアルゼンチン行きを香港にいるオグラが”決意”したのは 実は私のこの【週間KEN】の記事を読んで、迷っていたのが背中を押されたというのです。 書いた本人は結局行けなかったのですが…(^_^;)

やがてタナカ夫妻・アオキ夫妻そしてフルヤとやってきて… 驚いたことに、クラブのマドンナ的存在だったミドリが卒業以来38年! フルヤが急遽声をかけたようで、幹事の私も知らないサプライズで盛り上がります。

もちろん奥方連中とは初対面ですが… ミセス・オグラのキエちゃんは、もうムチャクチャ明るくて楽しい人でして(^_^;) 「ネーネー、ウチのオグラとスミクラ君がミドリさんに惚れちゃって頑張ってたら 先輩のKさんに持ってかれちゃったんだって、ほんとバカみたねハッハッハッ!」 隣にYUKIが座っているのに、なんてことを…(^_^;)

こうなったら私も負けていません! 「僕が銀座のフランセの店長をやっている時に、オグラが同じ職場にいたキエちゃんを”僕に” 紹介してくれて、何時デートに誘おうか?なんて思ってたんだけど、 その後もやたらと二人で店に来るのよ…ちょっと変だなとおもってたら 『結婚する事なりました』だって、オレは何だったのかってさすがの僕も考えたよね~」

「そうそうタナカの奥さんがこのチャーミングなアキコさん! あの無骨なタナカが美女をつれて僕の店に来たのでビックリしたんだけど 「今日、お見合いをして、二人きりになったんだけど場が持てないからオマエのとこに来た」 って言うのよ、ホスト・クラブじゃないんだけどね、 でもアキコさんは『こんな友達がいるなら』って気持ちになったんだから、感謝してもらわなければ! …ナニ恨んでるって(^_^;)」

少し遅れてアオキの長女のリカちゃんがやってきました。 リカちゃんは僕らの子供世代では年長組でオグラの長男のマサタカ君などと アオキの実家で初節句を祝った写真( 昭和50年頃)が残っています。 そのリカちゃんも今や3児の母! この我々の集まりには小さい時からズーと参加し楽しかった思い出がたくさんあるようです。 そうそうミドリは卒業する時にはK先輩と結婚していて妊娠中でした。 卒業から38年経過しているのですから、とうぜんの事ですが、それなりの年齢のお嬢さんが いるわけで、時代の流れを感じずにはおれません(^_^;)

酸いも甘いも知り尽くし、気心の知れた仲間とこうして食べたり呑んだりするのは 本当にこころの底から楽しい気持ちになれるものです。 幹事として選んだお店も、 値段も雰囲気もリースナブルでヒロコが「今度は使おう!」などと言っています。

余った予算でお茶でも飲もうという事になったのですが… アオキ・ファミリーはココでお別れ…リカちゃんの子供3人をアオキのお母さん […]

2007年04月23日170号 サルサ・ナイト

我が家がサルサ・ファミリーである事は知る人は知っています。 もちろん、知らない人は知らないので、その方が誤解がなくてよいと思います。

YUKIは基本的にサルサは習っていませんがサルサ関係のイベントには家族で参加します。 私は習っていますが、かなりイイカゲンです。 私の先生はクリスチーナというラテン的?ドイツ人でもうけっこう古い付き合いになります。 最近は年2回、クリスチーナが日本にいる時にレッスンするだけで何年たっても上達しません。 そうそう、今月初めにはクリスチーナの絵の個展が銀座であってYUKIと出かけました。 まークリスチーナはサルサの先生というか友達のような存在です。

ヒロコはクリスチーナのサルサでは満足できず 数年前からサルサの本場、キューバ人のジョエルから本格的なサルサを習っています。 そうそうジョエルは昨年暮れ恒例クラシック・コンサートでヒロコの撮影助手を勤めくれた とてもキノイイ男です。

とてもキノイイ男ですが、サルサのレッスンとなると厳しいようです。 そのジョエル教室のパフォーマンスが今日(22日)日暮里のサルサ・クラブ・サルーでおこなわれました。

前日の土曜日、最終レッスンが夜遅くまでやられたようですが、 私が今まで見たことがないほどヒロコが落ち込んで帰宅してきました。 ジョエルにかなり厳しい事を言われたようなので しゃべる言葉も微かに震え今にも泣きそうなフゼイです。 何があったかは判りませんが… 怖いもの知らずで、ハナッパシラが強いヒロコにはとても良いクスリです(^_^;) どこで立ち直るかミモノと楽しみにしていたのですが…

朝はいつもの日曜日よりも早く、それもとても元気に明るく起きてきたのです。 多分、あまり眠れかったのだろうとけど、気持ちをレバー・チェンジして… 早くも立ち直ってしまって、私の楽しみは早くも打ち切られました(^_^;)

ヒロコから数時間遅れてYUKIと会場に向いました。 会場に行ってビックリしたのですが、知った顔がたくさんいるのです。 ヒロコのパフォーマンスではありません。 ヒロコがサルサを習っているジョエル教室のパフォーマンスで、その中の一人に過ぎないのです。

でも次から次に、やってくるのはヒロコの知人で、その挨拶に忙しいようです。 中には、ヒロコが小学校の低学年の時の同級生で同じマンションに住んでいた ヨウコちゃんが、とても大きくなって(あたりまえですが)やってきました。 学生時代に一人でキューバに長期間行ったこともあるそうで 今はIBMでバリバリのキャリア・ウーマンをやっているようです。

ヒロコの職場からはCBS放送の日本からのレポーターも勤める ルーシーがお嬢さんをつれて、やってきてくれました。 大学時代のサルサ・クラブの仲間もやって来ました。 ユウイチは今をときめく六本木ヒルズの最上階ゴールドマン・サックスで働いているそうです。 横浜市役所に就職したリサは、アフリカン・ダンスに傾倒し、 休みをとってはアフリカに行っているようです(^_^;)

まだまだココでは紹介しきれないほどのヒロコの知人がやってきて、 ヒロコのパフォーマンスでもないので、こちらが恥ずかしくなるような気分です。 でも、よ~く考えてみれば、ヒロコのパフォーマンスでもないのに両親がそろって出席して お客様に挨拶して回っている方がヘンかも知れません(^_^;)

なにはともあれ、美味しいキューバのお酒と  楽しい雰囲気の中… パフォーマンスが始まり、 ジョエルとヒロコのダンスも中々のノリで会場も大いに盛り上がり まずは大成功という感じで無事終了しました。

まー専門的に見れば”課題”も残ったようですが… あのノリのヨサ!調子のヨサ!はダレから引き継いだのか?と、 ふと考えてしまいました(^_^;)

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2007年02月05日159号 私は我が家の何なのさ?

先週は生活のリズムを狂わされた一週間でした。 誰に狂わされたか?というとヒロコとYUKIにです。

ヒロコは外資系の小さな映像製作会社に勤めており… 152号では、アメリカのテレビ番組で日本のめずらしい自動販売機の撮影依頼があり、 それに私とYUKIが出るハメになったことは書きましたが 今度はハリウッド映画の東京ロケの模様を撮影するという依頼があったようです。

これには私もYUKIもお呼びはかかっていません(あたりまえですが) 東京ロケは銀座・渋谷・秋葉原そしてレインボーブリッジと一週間、 それもすべて深夜に行なわれるというのです。 まーヒロコも一人前?の大人ですし、そのような仕事なら仕事で ホテルを取るなりタクシーで帰るなり考えているものと私は思っていました。

しかし初日は、明け方に銀座ロケが終わり”始発”で帰ってきました。 帰ってきました…と言っても帰って来たのは小田急線の向ヶ丘遊園の駅までで、 そこからバスはまだ始発前のため、私は電話で起されて暗い早朝、駅まで迎えに行かされました。 ちょうど一週間前の月曜日未明です。

月曜発行のこの【週間KEN】は月・水・金発行のブログもありますから 毎週月曜日は、午前2時頃に書き上げて就寝するのがパターンになっています。 それでも7時30分には起きるのですが…5時はちょっとです(^_^;)

でも、クルマのテレビから”朝ズバ”の”みのもんた”が映し出されると 「みのさんに負けす、がんばらなくちゃ」とヘンにはげまされてしまいます。

駅からタクシーで帰宅する手もあるのですが、 ヒロコが就寝のする時も、起床した時も、私は起きているものですから 私はズーっと寝ないでいると思っているのでしょうか(^_^;)

次の日、そろそろ寝ようと思った午前1時すぎです… YUKIのケータイにヒロコからメールが入ったようで、YUKIは何だか返事を書いて送信しました。

私   「ヒロコがなんだって?」 YUKI 「撮影が早く終わったので、今から会社に一旦戻るって…」 私   「それで…」 YUKI 「KENが会社に迎いに行けばいいのねってメールしたところよ」 私   「…」

会社は都心にあるわけですから深夜とはいえ往復2時間近くは見なければなりません。 行くの私ですから、いちおう「どうする?」とぐらい聞いてくれてもいいようですが 黙ってスゴスゴ出かけました。 こうなってしまうと当然のことのように、次の日も同じパターンです(^_^;)

まだ問題があります。 そんなことがあっても私は遅くても8時前には起床します。 しかし、ヒロコはともかくYUKIまでもがナカナカ起きてこないのです。 けっきょく私は朝食は抜きで、みんなで昼ごはんを食べる事になるのです。 (休日もこのパターンで馴れていますが^_^;) それに晩ご飯です。 ヒロコがいないとYUKIは食事を作る気力が無くなるようで マルエツの半額弁当がメインになるのです。

そのヒロコも、やっと全てのスケジュールが終了し日曜日の夕刻に帰宅、 この日は深夜から16時間ほどのロケで、先ほどまで死んだように寝て ひさびさに3人そろって夕食のお鍋を食べたのは午後11時です。 よーするに我が家はヒロコ中心に回っているのです。

ちなみにハリウッド映画の題名は「Jumper」 主演は「スターウォーズ」のヘイデン・クリステンセン ハリウッドからは40名ほどのスタッフが来日 時空を超えてタイム・スリップするSFモノので公開は来年春とのこと 一作目が当たればシリーズ化も考えているようです。

ヒロコが現場で親しくなったスタッフの名前をネットで検索したら、 誰もがハリウッドの第一線で活躍するプロばかりで感激していました。 まーヒロコにとっては刺激的で充実した一週間だったようです(^_^)

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2007年01月08日155号 正月もアッというまに…

早いもので、正月もアッというまに終わったようです。

”終わったようです”というのは毎年のことですが… 正月の準備などまったくせずに、したがって正月らしい”生活”はまったくなく 何時ものように仕事兼用のリビングの大きな雑然としたテーブルでYUKIと向き合って まーそこにヒロコも加わるわけですが… テレビもほとんど見ずにボーとしているうちに正月が終わったようなのです。

でもこれが、 オソロシイコトニ我が家の”文化”にさえなりつつあるのです。

元旦はゆっくり昼過ぎに起床。 この日はヒロコの誕生日でもあるのです。 元旦の誕生日というのは,よっぽど意識していないと、ツイ忘れがちになるのです。 ところが本人のヒロコはしっかり意識していますから、忘れたらコワイのです(^_^;) てなことで、元旦にささやかな誕生セレモニーなぞ、やるものですから ますます我が家の正月は正月らしくなくなっていくのです。

2日の日は全国高校サッカーの試合を見に北区の西が丘サッカー場に行きました。 昨年、偶然にもワールド・カップを見に行くことになった我がファミリーですが その前にサッカーの試合を生で見たのは 1984年のロスアンゼルスのオリンピックでヒロコが2歳の時です。 ヒロコはもちろん覚えてもいませんが、私もYUKIも、たしかサッカーの試合をナイターで見た という記憶だけで、どことどこの国の試合だったかも覚えていません。

でも日本で始めてサッカーを見るというプアな状況も リッチな気分になってしまうのが我が家の”めでたさ”なのです(^_^)

さて、なぜ全国高校サッカーか?というと 私の大学時代の友人・川村君の長男で我が家にも来たことのある洋一郎クンが 平塚ベルマーレのユースから山形県の羽黒高校に入学し、2年生ながら主力選手として出場しているのです。 弟の慎二郎クンもリトル・リーグから野球をやっていて、やはり羽黒高校の1年生で野球部。 兄弟別々のスポーツで名門羽黒高校に地元以外からやってくるケースはめずらしいようですが 川村君はリトル・リーグの審判をしたりして、川村夫妻は二人の子供が幼い時から 野球やサッカーの活動に積極的にかかわってきたのです。

試合の結果ですが、肝心な洋一郎クンは31日の第一試合で肩を脱臼して結局出番はナシ 試合は0対2で敗退してしまいました。 泣きながら応援席に挨拶するメンバーを洋一郎クンは肩をたたいて励ましていました。 洋一郎クンはまだ2年生、来年もあるという余裕でしょうか(^_^) 川村夫妻の生き甲斐はまだまだ続きそうですが、我々も便乗して応援していこうと思っています。

近所の神社に散歩がてら初詣をしたり ヒロコは年末コンサートのビデオ編集をしたり、スパゲティを作ったり 私は読書三昧…と暮れの忙しさがウソのようにのんびりと過ごしました。

そうそう思いがけない初仕事もチョッピリとする事が出来ました。 私はお客様から生命保険の相談があった時は、出来る限りのプレゼンテーションをしますが それに対して反応が無い場合は、こちらからシツコク深追いすることが出来ない性格でして かなりお客様を逃がしているかもしれません(^_^;) でも、こちらが忘れた頃に、お客様の方から「かなり時間が空いてしまったが加入したい!」 という連絡が年に数回あって、それはとてもとてもウレシイのです。 それが5日にあったのです、2年も前にアプローチしたお客様です。

のんびりした正月休みで、なかなかエンジンがかからないナマケモノの私ですが… 出しは好調のようです(^_^)

2007年01月01日154号 大晦日に明日は無い!

あけましておめでとうございます!

新年があけてホヤホヤのアップをしたところで… これでやっと、やっと…毎年のことですが、なんとか正月を迎えることが出来した。

”正月”はすごいものです! 日本人がここまで一丸となる事は他にあるでしょうか? ”クリスマス”や”七夕”は気がつかないで生活する人もいるでしょうが… ”正月”に気づかない人は、ほとんどいないのではないでしょうか。 正月嫌いで”大掃除”も”年賀状”も”おせち料理”も縁のない宇宙人のYUKIでさえ 「正月が嫌い!」というくらい正月を意識しているのです。(^_^;)

『明日出来るコトは、明日しよう』というのが私のモットーなのですが 大晦日には明日は無いのです!あるのは”新年のみ”なのです!

毎年のことですが、カレンダー配りが、私の年末行事のかなりの部分を占めているのです。 今回は例年の反省もこめて、千葉・埼玉方面は郵送にすることにしたのですが… そうなると余裕が出て『明日出来るコトは、明日しよう』と先延ばしをして けっきょく年末ギリギリのパニック状態は例年通りになってしまいました。

28日は朝の7時までカレンダーを配り、バタバタしているうちにお昼になり この日は恒例のハート・コンサートの日、ボランティアとして2時30分までにニュー・オータニに 行くことになっており、けっきょく一睡もせずに会場へ。 この日のビデオ撮影をまかされたヒロコとその助手?ジョエルもやってきて、なんやかやと慌しく時間がすぎ 6時からのコンサートも大成功(^_^) そうそうジョエルはヒロコのサルサのキューバ人先生ですが NHKでの放送製作もするセミプロで”助手”とは気の毒なのですが(^_^;)

また、この日はアカラックスの忘年会とブツかって、とうぜん一次会の居酒屋には行けません アカラックスのオフィスでの二次会飲には家族で顔を出すと約束しています。

ニューオータニのコンサートはいつものようにクルマで出かけるたお酒は飲めません。 しかし今年は免許を取ったヒロコがいます。 ”ヒロコはお酒を飲まないで帰りのクルマを運転する”という交渉が成立… 神田のアカラックス・オフィスを経由して帰宅するというコースで、 私はコンサート会場でもアカラックスでも遠慮なくお酒を飲むことが出来るというわけです。

コンサートは盛り上がりアンコールや、恒例第九の大合唱で、時間がオーバー。 アカラックスの連中だって6時から飲んでいるのですから何時までも待ってもらえません。 撮影用機材の片付けはヒロコとジョエルにまかせて一足先にアカラックスに行く事にしました。 こんな時はタクシーで行くべきだと思うのですがYUKIはもったいないからとJRの四谷駅まで 寒空の中コート無しで急ぎました。

アカラックスでは、もう全員デキアガッていましたが… 私を温かく待っていてくれました、やっぱりこの仲間の顔を見なければ1年も終わりません(^_^)

ヒロコとジョエルはコンサート・スタッフの若林夫妻やノブさんたちと、 これも恒例のコーヒーとケーキのティーラウンジ歓談のあと、機材を会社に返して 神田に向ったのが11時過ぎ… さすがのアカラックス・オフィスも解散となり、神田駅周辺でヒロコのクルマがやってきた時は ヒロコも馴れない運転で師走の都心を行ったり来たりしてメロメロ、

でももっと気の毒んなのがジョエル…ボランティアの撮影助手でこき使われ、 助手席に誰かいないと、まだ運転に不安があるというヒロコに最後までつき合わされ、 ヒロコの荒っぽい運転にもドギモを抜かれたようで(^_^;)、 家まで送るというヒロコの誘いも必死で断わり、神田駅へフラフラと消えて行きました。

ヒロコの運転で我が家についたのは1時過ぎ… 週3日のブログ用に貯めた原稿もソコををついていて、けっきょく寝たのが明け方。 29日は午前中に幸手(埼玉県)の法人に集金にいくことになっていて、往復200㌔のドライブ? そして夜から朝にかけてのカレンダー配りと…寝るヒマがありません。

大晦日は朝10時に溜池(赤坂)の床屋に予約してあります。 予約というより、床屋のマスターが勝手に「スミさん、大晦日は10時だよ!」と決めているのです。 そうでもしないと、忙しくて来ないかもしれないと思われているようですが、 それがまた、私の忙しさに拍車をかけているのです。(^_^;)

我が家の年賀状作りも大イベントなのです。 これも、大晦日になるまで1通も出来ていません、この作業もあります。

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2006年12月25日153号 W夫妻との忘年会

毎週月曜日発行の週間KENの次号は1月1日ですから 今年の週間KENはこれが最後になる事にいま気づいてアセッています。 アセッたところで、どうにもならないのですが、本当に1年がたつのは早いものです。

まだ28日には、年末恒例のクラシック・コンサートがあります。 この日、アカラックス・セミナーでの保険仲間の忘年会とドッキングしてしまい、その幹事に この写真を添付して不参加のメールを送ったのですが、その幹事からこんな返事がありました。 「エッ!角倉さんが出演されるのですか?」 まっ・まさかです(^_^:)…私は単なる裏方のお手伝いでしかありません。

その裏方仲間?の若林夫妻が忘年会をやると言われるので、私達家族3人も参加しました。 場所は若林さんの地元・池袋の【田舎家】というお店です。 どのようなメンバーが集まるかは詳しく聞いていなかったのですが、あとは私の古くから友人で 28日のコンサートの発起人の渡辺ノブさんとその仕事仲間ら3人で計9人でした。 単純に言ってしまえば若林・渡辺・角倉の忘年会ということになったわけですが 若林さんもノブさんもお酒は飲まないヒトなのです。 じゃー何のタメの忘年会となるのですが…忘年会に理屈は要りません。 楽しく、美味しい食事が出来れば、それでハッピーですし、 まして我が家の3人は、けっしてお酒が飲めない方ではありませんから、なおさらハッピーです(^_^;)

食べるものには、というより何でもコダワリがあって詳しい若林さんがお勧めのお店だけあって 付け出しから刺身、鍋、ふぐの唐揚、そして…のっぺ汁、元祖!わっぱ飯と最後まで感激の連続です。

若林さんとノブさんはライオンズクラブの代表?同士の付き合いから始まったようですが、 そのライオンズクラブに若林さんを推薦したのが【田舎家】の主人という事で、 このお店とも長いお付き合いのようです。

私はライオンズクラブなどと言う高級クラブ?にはエンもユカリも無い貧乏経営者ですが(^_^;) ノブさんの関連で若林夫妻とは時々お逢いすることがあり、おのずと親しくお話するようになったのです。

忘年会の席で私は「若林さんって、ライオンズ・クラブ的じゃないよね」と言ったら ノブさんが「そりゃー失礼だよ」と言いました、私は誉めてるのですが…(^_^;)

若林さんは会社の経営者ですが、芸術家的な自由人としての雰囲気が滲みでている人なのです。 また常に、どこに行くにも奥様とご一緒で(そこのところはウチと似ていますが^_^;) とても仲むつまじいご夫妻(ココはちょっと違いますが^_^;)なのです。

ヒロコも何度か若林さんとご一緒する機会があり、ホームページやCG・ビデオ・オーディオなどの 造詣の深さにビックリし尊敬しているのです。 でも、それは専門ではありません、何でも徹底してやらなければ気がすまない性格のようで どれもプロ並みになっちゃうようです。 専門はビルなどの”防災管理”で、その知識や技術においても彼の右に出る人はそれほどいないようです。

でも若林さんは自分の会社を縮小し、生活のサイクルを大きく変えて… 週3日働いて、あとはボランティアや好きなことをして暮らすというのです。 今までだって、充分好きなことをしてきたように見受けられるのにウラヤマシイ限りです。

若林さんが以前こんなことを言ってくれました。 ”私(角倉)が保険契約の大小とはまったく関係なく全国どこでも出かけることをモットーに、 またそれを楽しみに仕事をしている” という事にとても感銘をうけたと…。

それと今回の行動が直接つながっているかどうかは解りませんが 仕事や生活や、もろもろの考え方に波長があうことはたしかです。

たらふく美味しい料理を食べ、大いに飲んで… 結局、ココの会計は若林さんのオゴリという事に”またまた”なってしまいました。 ”またまた”というのはニュー・オータニで打ち合わせの後、打ち合わせ?でケーキを食べたり 食事をする時も、奢って頂いているからです(^_^;) ロコハウスのお客様でも、今度こそはと思ったのですが…恐縮の限りでありますm(_ _)m

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2006年12月18日152号 KENとYUKIのタレント業?

『日本の珍しい自動販売機の撮影をして欲しい…』 ヒロコが勤める映像製作会社にアメリカのテレビ局から依頼があったようです。 我が家からクルマで10分ほど行ったところの養鶏所の近くに タマゴとお米の自動販売機がそれぞれ並んでおかれており、我が家ではその話で盛り上がりました。

この仕事を担当したヒロコの同僚のクラウディアンナは「是非、それを撮影したい!」 という事になって、朝の8時にカメラマンやスタッフをつれてやってくるというのです。 なぜ、そんなに早いのかというと、この日は秋葉原の”おでん”の自動販売機とか 首都高速のサービスエリアにある”たこ焼き”や”フライド・ポテト”の自動販売機とかを 撮影をするスケジュールになっていて、ココからスタートをするというのです。

ヒロコはこの仕事に直接かかわっていないのですが、この場所を紹介した手前もあって 我が家3人も早朝クルマで”現場”に向いました。 我々より少し遅れてクラウディアンナのスタッフ達もやってきて撮影開始です。 ところがタマゴの自動販売機が全て”売り切れ”になっていて養鶏所に問い合わせたところ お歳暮需要にタマゴの生産が追いつかず、しばらくタマゴの自動販売は休止しているというのです。

しかたがないのでお米の自動販売機の撮影に入ったのですが、 クラウディアンナが私にいきなり2000円を渡して、その自動販売機でお米を買ってくれというのです。

それもただ買うのではありません、ズラッと並んだ色々なお米の自動販売機の右側から歩いて来て どのお米を買うか、しばらく迷ったあげく一番右側にある、一番安いお米を2000円入れて お釣りを取ってお米を取り出すところまでを撮影するというのです。

そんなハナシは、まったく聞いていません(^_^:) まったくの野次馬気分で顔も洗わずジャンパーをハオッただけの気ままなカッコウです。 初老のオヤジが早朝に自動販売機で米袋を買うのにドレス・アップの必要ないとは思いますが いくら私だってココロの準備というものがあります。 それなにクラウディアンナは何のためらいもなく、まるでつれてきたタレントに話すように 私に注文をつけるのです。

いよいよ撮影開始です。 自動販売機の前はバス通りになっていています。 通勤ラッシュのバスやクルマが撮影現場の前で渋滞し、 そこからの興味深くのぞき込まれているようで、どうにも落ち着きません。 でも、こうなると覚悟を決めてやるきゃありません。

自分で言うのもなんですが ”その気”にはなりやすく、ノセラレやすいタイプなので、結局お米を自動精米機にかけるところまで それも何度も取り直して1時間近い熱演をしてしまいました。

そしてYUKIまでも…自動販売機から温かい缶入りポタージュ・スープを取り出し それを飲むという撮影をさせられました。 YUKIはそもそも自動販売機で飲み物を買うという行為をした事の無い人ですから ”どうなるか”私もヒロコもとても緊張してみまることになりました。 YUKIは左利きで缶のフタを右手で回して開けるのがギコチなく笑ってしまいましたが 落ち着いた演技?でクラウディアンナからも誉められていました。

自動販売機から買った1750円の5キロのお米を二人のギャラ?として頂きました。 撮影の為、精米機に何度も入れられて米粒がとても小さくなっていて 我が家では、これからしばらく不思議なご飯を食べることになりそうです(^_^;)

2006年12月11日151号 芸術の師走?

「そういえば吉岡さんの個展いつまでだったっけ?」 私は昼食をとりながら、ふと思い出してYUKIに聞きました。 「エッちょっとまって…たいへん!今日の4時までですよ!」とYUKIは叫びます。

二人はあわてて、横浜の高島屋で行なわれている画家の吉岡耕二さんの個展会場に 向いました。

毎年、渋谷の東急文化村で開催される吉岡さんの個展に行くのが我が家の恒例に なっていたのですが、今年は我が家のW杯ドイツ旅行とぶつかって行けませんでした。 ところが12月に横浜高島屋でも個展を開催されるというので、楽しみにしていたのですが ヒロコの予定がつかないまま、われわれもすっかり忘れていたのです。

吉岡さんの油絵を20年ほど見続けていますが、もうすっかり彼の色彩の世界のトリコになっています。 絵の具を何層も重ねて浮き出される吉岡カラーともいえる”青”の深さには、 時間を忘れて絵の前にたたずんでしまいます。

新しいオフィスの白い大きな壁に吉岡さんの大きな油絵を飾る! これが私の夢ですが、新しいオフィスも吉岡さんの油絵も、いまだ実現はしていません。 ま~ヒロコも大の吉岡ファンですから、いつかは実現すると事でしょう。(^_^;)

もうひとつ毎年、行なわれているコンサートが今年ははじめて12月(9日)にありました。 昨年も週間KENで紹介したナオキ君のママのマリンバのコンサートです。

ナオキ君も…我が家が大晦日恒例でお邪魔するゼン君チのゼン君も…ヒロコの保育園の同級生です。 そのゼン君のママは、この週間KENの愛読者?で私のHPの掲示板にもコメントをいれてくれる 明るく元気な人ですが、9月にすい臓がんの手術をされたという事でとても心配をしていました。 でも、元気にコンサートに来られていて、ほんとうに嬉しくなりました。 もともとが少し太めだったので(^_^;)14㌔のダイエットに成功? 本人が”たかの友梨”で100万円使ったと言いふらすと誰もが信じてしまうそうです。(^_^)

コンサートの休憩時間、ワインのサービスがあり、そのテーブルの美女から声をかけられ よく見るとナオキ君の奥様のヒロミさんでした。 ヒロミさんはヒロコより1学年下ですが2児の母で、私は保険の関係で何度かお逢いしているのですが ヒロコもYUKIも保育園時代の友達もママ達もみんな初対面だったので盛り上がりました(^_^)

そうそうコンサートはもう何時もの事ですが”さすがプロ”と思わせる素晴らしいものであったことは 言うまでもありません。

そして日曜日(10日)これは28日の私がボランティアでお手伝いしている ホテル・ニューオータニでのクラシック・コンサートの最終打ち合わせにヒロコと出かけました。

普段は芸術とは縁の薄いワタシでありますが… なぜか12月のさなかに”芸術の秋”ならぬ”芸術の師走”をエンジョイさせて頂いています(^_^:)