2010年05月17日330号 綾さんの夢

現在88歳の綾さんの今の夢はキューバに行くこと。

綾さんとのお付き合いは40年以上になりました。 私が大学を卒業し洋菓子のフランセに入社した時、課長だったのが綾さん。 3年前の週間KENにもAさんとして登場しています。

私の母親と同い年ですが気持ちは若く、とても気があう世代を超えた友人のような関係です。 そしてもうかなり以前から「キューバに行こうよ!」と誘われていながら チャンスが無いまま今日に至っているのです。

お子様がおらず60歳を過ぎてからドイツ語・スペイン語・フランス語の勉強を始め、 ヨーロッパの伝統的なお祭りの時期などに 田舎のホテルにじっくり滞在し人との触れあいを楽しむという旅をされてきたのです。

そのような旅の話を私は楽しみに聞かせてもらい 「いつか一緒に行きたいですね」との思いが積み重なり それがいつの頃からか「行くとしたキューバがいい!」と、なっていったのです。

そんな綾さんもココ3年ほどは海外旅行はしていません。 奥様が足を少し悪くされたのと、高齢者が一人での旅行は旅行会社が引き受けなくなったからです。 そうなるとマスマス綾さんは 「元気なうちにキューバに行きたい!」という気持ちがつのるようです。 そしてヒロコがキューバ好きで旅行した事もよく知っていて 「ヒロコさんの旅費は出すから連れていってもらえないかな~」…なんて事を 先月GW前に火災保険の更新に伺った時につぶやいていたのです。

ヒロコは8月の終りからボストン大学の大学院に留学予定でそんな時間も無さそうですが… 本人にそのハナシをちょっとすると、「旅費を出してくれるなら行く行く!」…ノリキです(^_^;) とは言っても6月20日に宮崎での日本舞踊の披露があり、 7月8月の真夏のキューバは88歳の綾さんでなくてもコタエソウで実現には厳しいものがあります。

15日(土)、先月の火災保険更新の書類に不備があって署名をもらうため綾さん宅にYUKIと 伺いました。 キューバのハナシはするつもりは無かったのですが、綾さんの気持ちは強く、 「みんなの旅費は出してもいいからキューバに行きたい!」と言われるのです。 いくらなんでも年金でつつましやく生活されている綾さんに3人の旅費を出してもらう事は 出来ませんが、その思いの強い事に衝撃をうけました。

そして私自身も綾さんが元気なウチに一緒にキューバに行きたい!という思いが湧いてきました。 足の悪い奥様も、我々と一緒に旅をするならとの気持ちがある事が伝わってきます。

まったく今の時点では、お金も時間も余裕も何も無い状態ですが… 「今しか出来ない事を今する!」という私のモットーがアタマをもたげてくるのです、困った事に(^_^:) ※15日(土)にお伺いした時の写真です。① ② ③ ④ ⑤

2007年10月08日194号 今年もロス・バンバン

今年もキューバのサルサ・バンドのロス・バンバンを見に行くことが出来ました。

実は今年は同じ時期の8月、同じ会場の木場のライブ・ハウスで ベネゼイラのオスカー・デ・レオンのライブがあり、それを3人で見に行きました。 これはこれで大満足でしたので、今年はロス・バン・バンは来日しないものと諦めていました。 ところが月末の何かとバタバタとしている時にヒロコが興奮して 「ロス・バンバンのライブが2日にあるけど、もちろん行くでしょ!」というのです。 もちろん行きたい気持ちはあるのですが突然言われても、私もいちおうは仕事をしていますので(^_^;) スケジュールというものもあります。 ヒロコは我が家で最もスケジュール帳がビッシリ詰まっている人なのです。 でもサルサ命(さるさいのち)の人ですからサルサとなれば、すべてが超越されるのです。 私もサルサもロス・バン・バンも好きですがヒロコほどではありません。 で…私とYUKIが口をモゴモゴさせていたのですが翌日にはヒロコは嬉しそうに3枚のチケットを 買っていました。

2日当日、ライブの前に訪問しなければならないところもあり朝からバタバタしていると、 そういう時に限って、もっとバタバタに拍車がかかる事態が発生し、飛び出すように 私とYUKIはクルマで我が家を出る事になりました。

考えてみたら、渋谷でのライブと聞いていましたが、どこの会場かは知りません。 だいたい、このようなライブの会場は私のようなオジサンには馴染みの無いところが多いのです。 チケットを見るとやっぱり馴染みの無さそうな【SHIBUYA O-EAST】と書かれています(^_^;) こうなれば渋谷育ちの私ですがカーナビに頼るしかありません。

カーナビは私が予想したとおり道玄坂から懐かしい百軒店に入って行きます。 狭い坂道を左にまがってすぐ道なりに右にまがると、 私が幼少の頃から大学時代までよく通った映画街がありました、 左側にテアトル・ハイツ、右側にテアトル渋谷、そして突き当たりにテアトルSSで、 どれもこれも皆、思い出深い映画館であり映画街でしたが その姿は見事なぐらいキレイに消えて殺風景な小さなビルが並んでいるだけです。

この突き当たりのテアトルSSを左右に入ると幼い私でも”ちょっと違う”と思うような所でした。 いわゆる花街というところで、お茶屋さんと温泉旅館、今でいうラブ・ホテルが立ちならんいたのです。 そこに目的地の【SHIBUYA O-EAST】があったのです。 ラブ・ホテルはたくさんあるものの何とも不思議な新しい空間が出来上がったいるのです。

会場は木場のSTUDIO COASTよりこじんまりしている代わりに座るところがありません(^_^;) 前日の睡眠不足と朝からのバタバタで、しかもバタバタと知らぬ会場にたどり着いた疲れもあって これからずーと立って見るのは辛いもので「まいったなー」という気持ちでした。

やがてヒロコも仕事からかけつけ、いつものワン・ドリンク500円のチケットでビールを一杯だけ飲んで、 演奏が始まったらもうノリノリで元気一杯、とてもとてもエンジョイしました! やっぱりラテンは血が騒がずにはいれないのです(^_^;)

ロス・バン・バンのライブも無事終了! すぐ近くのパーキング代は30分500円で4000円も取られて YUKIは少々ご機嫌ナナメでしたが、ライブ代は今年もヒロコのおごりで エキサイトなキューバン・ナイトを過ごすことが出来ました。

☆ロス・バンバンのお楽しみ下さい! ☆オスカー・デ・レオンをお楽しみ下さい!

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2007年04月23日170号 サルサ・ナイト

我が家がサルサ・ファミリーである事は知る人は知っています。 もちろん、知らない人は知らないので、その方が誤解がなくてよいと思います。

YUKIは基本的にサルサは習っていませんがサルサ関係のイベントには家族で参加します。 私は習っていますが、かなりイイカゲンです。 私の先生はクリスチーナというラテン的?ドイツ人でもうけっこう古い付き合いになります。 最近は年2回、クリスチーナが日本にいる時にレッスンするだけで何年たっても上達しません。 そうそう、今月初めにはクリスチーナの絵の個展が銀座であってYUKIと出かけました。 まークリスチーナはサルサの先生というか友達のような存在です。

ヒロコはクリスチーナのサルサでは満足できず 数年前からサルサの本場、キューバ人のジョエルから本格的なサルサを習っています。 そうそうジョエルは昨年暮れ恒例クラシック・コンサートでヒロコの撮影助手を勤めくれた とてもキノイイ男です。

とてもキノイイ男ですが、サルサのレッスンとなると厳しいようです。 そのジョエル教室のパフォーマンスが今日(22日)日暮里のサルサ・クラブ・サルーでおこなわれました。

前日の土曜日、最終レッスンが夜遅くまでやられたようですが、 私が今まで見たことがないほどヒロコが落ち込んで帰宅してきました。 ジョエルにかなり厳しい事を言われたようなので しゃべる言葉も微かに震え今にも泣きそうなフゼイです。 何があったかは判りませんが… 怖いもの知らずで、ハナッパシラが強いヒロコにはとても良いクスリです(^_^;) どこで立ち直るかミモノと楽しみにしていたのですが…

朝はいつもの日曜日よりも早く、それもとても元気に明るく起きてきたのです。 多分、あまり眠れかったのだろうとけど、気持ちをレバー・チェンジして… 早くも立ち直ってしまって、私の楽しみは早くも打ち切られました(^_^;)

ヒロコから数時間遅れてYUKIと会場に向いました。 会場に行ってビックリしたのですが、知った顔がたくさんいるのです。 ヒロコのパフォーマンスではありません。 ヒロコがサルサを習っているジョエル教室のパフォーマンスで、その中の一人に過ぎないのです。

でも次から次に、やってくるのはヒロコの知人で、その挨拶に忙しいようです。 中には、ヒロコが小学校の低学年の時の同級生で同じマンションに住んでいた ヨウコちゃんが、とても大きくなって(あたりまえですが)やってきました。 学生時代に一人でキューバに長期間行ったこともあるそうで 今はIBMでバリバリのキャリア・ウーマンをやっているようです。

ヒロコの職場からはCBS放送の日本からのレポーターも勤める ルーシーがお嬢さんをつれて、やってきてくれました。 大学時代のサルサ・クラブの仲間もやって来ました。 ユウイチは今をときめく六本木ヒルズの最上階ゴールドマン・サックスで働いているそうです。 横浜市役所に就職したリサは、アフリカン・ダンスに傾倒し、 休みをとってはアフリカに行っているようです(^_^;)

まだまだココでは紹介しきれないほどのヒロコの知人がやってきて、 ヒロコのパフォーマンスでもないので、こちらが恥ずかしくなるような気分です。 でも、よ~く考えてみれば、ヒロコのパフォーマンスでもないのに両親がそろって出席して お客様に挨拶して回っている方がヘンかも知れません(^_^;)

なにはともあれ、美味しいキューバのお酒と  楽しい雰囲気の中… パフォーマンスが始まり、 ジョエルとヒロコのダンスも中々のノリで会場も大いに盛り上がり まずは大成功という感じで無事終了しました。

まー専門的に見れば”課題”も残ったようですが… あのノリのヨサ!調子のヨサ!はダレから引き継いだのか?と、 ふと考えてしまいました(^_^;)

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2006年08月07日133号  今年も”キューバの夜”

昨年、キューバのサルサ・バンド【ロス・バンバン】のライブに感動した事を書きました。 早いものであれから1年、また同じ会場でのライブに家族3人で… 今年はヒロコがクルマを運転して晴海のライブ・ハウスへと向かいました。 ドイツでの運転いらいのヒロコにとっては長距離(毎朝駅までの往路は運転)ドライブですが そこそこ安定してきたようです。

キューバ・ファンで…サルサ・ファンで…ラム酒ファンで…ロス・バンバン・ファンで ついでに、サカモッチ・ファンで…おじゃる丸ファン…のヒロコからの両親への”ご招待”です(^_^) ヒロコはこの日を来るのを、指折り数えていました。 ところが、その数日前からキューバのカストロ議長の様態を危惧するニュースが流れていたので 「カストロが死んじゃったら公演は中止になるかもネ」…なんて、私が言ったものだから ヒロコは気が気でなかったようです。

ロス・バンバンのライブは午後7時からという事ですが… 会場には6時頃に入りました、昨年はライブ・ハウス初体験で戸惑いがありましたが 今回はもう馴れたもので、ドゥリンク・チケットをビールに代えて、 まだ空いているフロアで軽く踊ったり、前座バンドの演奏やサルサのパフォーマンスを楽しみました。

私は今から数える事、約40年前、拓殖大学、ラテン・アメリカ研究会に4年間席をおき ラテン文化やラテン音楽には造詣が深い(つもり)のです。 その研究会でもロス・バカブンドスというバンドを持っていましたが… その頃のレベルから見たら、もう雲泥の差です。 (その頃でもロス・バカブンドスは他のバンドと雲泥の差がつけられていましたが^_^;)

前座バンドのレベルもまちまちです。 日本人にしておくのがモッタイナイ?と思うほどの力量のあるアーティストもいれば なんでお前が!…と舞台からひきづり下ろしたくなるよいうなアーティストまでさまざまです。 そんなアーティストに限って盛り上がらない会場を、ムリヤリ盛り上げようとするので…悲しくなります。

その、ヒドイ前座が終わって… ロス・バンバンのライブですから、もう大変な盛り上がりで、一機にヒートアップです! (これは巧妙に仕組まれた”演出”だったのかもしれませんネ^_^;) 抜群の歌唱力とパワフルな演奏に、昨年は衝撃を受けてただただ圧倒されましたが 今回のライブもそれを裏切られる事はありませんでした。 そして今回、私がとても感動して見守っていたのが、舞台後方での高齢?の演奏者たちです。 舞台で目立つ事は無いものの、そのリズム感…曲にあわせ軽くステップする姿が カッコいいというか!セクシーというか!…けっして日本人には真似の出来ない味があるのです。

そして、私は一つ課題を自分に与えました。 私のサルサ・レッスンといえばクリスチーナですが(^_^;) 彼女のレッスンは、それはそれで楽しいのですが、ハード過ぎて最近では、ご無沙汰状態です。 でも、軽いステップでもサルサはかっこよく踊れるのです。 YUKIはサルサを習っていませんが、YUKIと二人でさりげなく軽くサルサが踊れたら、 このようなライブに来ても、より楽しいしカッコウいい!何て想像しちゃったのです。 多分、想像どうりにはならないでしょいうが YUKIも賛成してくれたので、来年!?に向けてチャレンジしようと思っています。

帰りのクルマの中で、ヒロコが 「カストロが死んじゃったらロス・バンバン…どうなるのかな?来年は来れないかもね」 と、心配そうに言いました。 YUKIは、それに大きくうなずき 「そうね、カストロがいなくなったらキューバのアメリカ化が進んで、ロス・バンバンのような 根っからのキューバ音楽は一機に衰退するかもね」と言いました。

私はそれに対しては反対の考えです。 やがてキューバも今のような共産主義体制は崩壊し、 アメリカがなんやかやと介入してくる事は間違いないでしょう。 そして、今のような、どこまでもノドカなキューバの風景は変わってくるかもしれません。 でも、昨年も書きましたがロス・バンバンが超過密スケジュールで世界中の公演を マシーンのようにこなしている事をしって、とても気の毒に思ってしまいました。 多分、彼らのギャラは僅かなものでキューバの外貨獲得に貢献しているのでしょう。

このような事は、体制の変化できっと変わってくるでしょう。 それによって、アーティスト達は自由に活動を初め今のようなバンド編成が […]