2006年11月6日146号 年末恒例コンサートの話

私の古くから友人の渡辺氏は クラシック音楽を志す若者に少しでも発表の場を提供し、それを楽しむ会として、 毎年12月にホテル・ニューオータニでコンサートと食事の会を開催しています。 そして私も微力ながらですが、そのお手伝いをしているのです。

今回で13回年目になるのですが…始めた頃は ”金持ちの道楽”とぐらいしか私は思っていませんでした。 渡辺氏はゴルフはプロ級で月のほとんどがゴルフ三昧のビル・オーナー で 都内のライオンズ・クラブ会長時代に、そのメンバーを中心に集めて始めたのが最初でした。

その頃の私は毎朝3時に起きて”新聞配達”をやっていた時代で それどころではありませんでした。

でも今の渡辺氏はご多分に漏れず(^_^;) ビルも会社もたくさん持っていたゴルフ会員券も全て処分して 一会社員として、真面目に働いているのです。

普通なら、そうなった時点で止めてしまうと思うのですが… 渡辺氏のエライところは、それをずっと今でも続けているというところです。 そして、ボランティアとして彼を支えようという有志も現れて、 年末のイベントとして定着したというわけです。

そんな中で知り合ったのが若林夫妻です。 いつも仲良くご夫妻一緒で…いつも家族セット?の我が家と自然に懇意となり 若林夫妻のライフ・スタイルや、氏のパソコン、Cグラフィック、オーデイオ等の博識には ヒロコもイチモクもニモクもおく人物なのです。

その若林氏がこの数年、コンサートの模様をビデオに収めてDVDを製作したりしていたのですが、 先月の”打ち合わせ会”の時、それを私に引き継いで貰えないかと言われたのです。 私もこれまでコンサートそのものは若林さんにまかせて、 会場の雰囲気などは撮影していたのですが、 何ごとも本格派の若林氏の撮影を継ぐなんて、どれだけ大変かは 私も良く解っているだけに簡単には引きうけられません。

そこで、ヒロコにその話をしたところ、引き受けてくれたのです。 そして今日(5日)、二回目の打ち合わせ会はヒロコも参加という事で一緒に出かけたのです。 若林夫妻が作ったコンサートのパンフレットには私の名前をバッチリ入っていました。(^_^;)

渡辺氏はヒロコにコンサートのホームページ作成の話まで持ち上がり 突然の事で少々戸惑っていたようですが、引き受けたようです。

打ち合わせが終わると、いつも若林夫妻とホテルのカフェテリアでコーヒーとケーキを 食べながら雑談するのが楽しみなのです。 その事はウチでも良く話していたので、ヒロコもそれを楽しみに参加したフシもあるのですが 今回は食事付きで、若林ご夫妻から、おごって頂き親子で満足をいたしました(^_^)

★★★ ちなみにコンサートは12月28日(木曜日) 午後5時から ホテル・ニューオータニ おり鶴麗の間で 4名の若手アーティストによるピアノ演奏・ソプラノ等です。 会費は10000円(奨学金2000円)…フランス料理コース 学生以下は7000円 最後に恒例になった参加者全員での【第九】の合唱も楽しいですヨ!

一人でも多くの方に参加して頂きたく思っています! 詳しいことは私にご連絡頂ければと思います。

2006年10月16日143号 郷土のそば処 紺屋

土曜日(14日) バスと電車を乗り継いで片道5時間近くをかけてそばを食べに行きました。 場所は奥秩父・大滝鶉平の山里… お蕎麦屋さんの屋号は【郷土のそば処・紺屋】  経営者は私の大学時代のクラブ(拓大・ラテンアメリカ研究会)の2年後輩の黒澤クン。

集まったメンバーは私を含め同期が3名、先輩3名、 後輩でOB会事務局を自分の経営する旅行代理店に置いてくれているNクンの計7名です。

OB会の有志が、このお店に数回集まっているのは知っていたのですが 私は今回はじめての参加です。 このお店にはYUKIも興味を持っていたので、いつものようにクルマで行こうと思ったのですが 「クルマじゃ呑めないじゃないです!、電車で来てくださいよ」と幹事役のNさんから言われました。 たしかに、そこまで行って蕎麦だけ食べて帰るのもナサケナイ(^_^;)と納得したのですが… その為には、我が家を6時30分ごろに出なければ、お昼までには到着しそうもないのです。 と…いう事で朝に弱いYUKIは今回はリタイヤという事になりました。

私が電車を使わないのは、駅まではバスになるからです。 ヒロコが免許を取ったので、私が駅まで運転して帰りはヒロコが運転して帰ってくれれば助かるのですが 前日の金曜日は5時頃起床しての早朝出勤し、帰りは午前様… 土曜日に叩き起すのも少々可愛そうな気がしてバスでいくことにしたのです。

ヒロコが帰宅した前日の深夜… YUKIが「お金はもってますの?」と私に聞きます。 財布に1万円以上は持った事のない?私は 「5000円くらいあるけど、これじゃ足りないよ」と… 「じゃー今7000円ありますから」とYUKIは私に渡します。 それを聞いていたヒロコは「それじゃー足りるわけないじゃないのハイ!」と… ナント!私に1万円を渡すのであります!!

私にとって、いや我が家にとって歴史的瞬間でありました。 それは、情けないような、うれしいやら…(^_^;) はじめて電車で席をゆずられたような(まだゆずられた事はありませんが) とても複雑な心境でありました。

翌朝、その一万円札を握り締め、一人バスと電車に乗り継いで… ”はじめてのお買い物”にいく子供のように我が家を後にして”奥秩父”へと向ったのであります。

【郷土のそば処 紺屋】は思った以上に、のどかで、ワイルドです。 公道から狭い山道を少し歩いたところに古い民家がそのまま残っているようで 大きな看板もなく、こんなところで蕎麦屋をやっている事を知らなければ 誰もきがつかずに、通りすぎてしまうようなお店です。

営業時間は11時半から15時半までの4時間。 営業日は金・土・日(祝日)のみ。 蕎麦は手打ちのため限定売り切り。(後は予約のみ) 広いお店に黒澤クン一人のため、お客様のセルフサービス。 敷地内を含め前面禁煙。(喫煙コーナー有り) 注文に時間がかかると断わっての… とても、とても、ものすごい、スローフード、スローライフの世界です。

それでも、この日は気の毒に?お客様が何組か入ってきて 彼はテンテコマエで我々とゆっくり話すヒマがなかったのは残念でした。 このような状況で可愛そうなのは最も後輩になるNクンです、 セルフサービスの店内を黒澤クンのいる厨房と囲炉裏を囲んで車座になって 呑んだくれてる我々の間を行ったり来たり… 会社にもどれば旅行会社の社長さんなのに、ちょと気の毒な思いをしながらも 特上の旨い蕎麦と酒に、時間を忘れて楽しいひとときを過ごしてました。

行きは池袋経由、帰りは八王子経由で… ヒロコはサルサのレッスンに行っていて、期待していたクルマでの迎えはナシ。 JR南武線の登戸駅から徒歩で向ヶ丘遊園駅(小田急線)ましで行ってバスで8時過ぎに帰宅。 10時頃にヒロコから我が家に電話があって、 すっかり酔いのさめた私はヒロコを迎いに向ヶ丘遊園駅に… 結局この日も”お出迎いパターン”が逆転することもなくいつものように終わりました。

幸いな事にヒロコから貰った?1万円札はそのまま財布に残っています。 […]

2006年09月11日138号  短い日曜日

私は日曜日でも朝の7時過ぎには起きてしまいます。

トシのセイと言われそうですが、けっこう昔から早起きの方です。 夜は2時近くまでパソコンに向かいメールを書いたりで平均睡眠時間は5時間ぐらいです。 でも睡眠にも体力がいるようで、体力の衰えとともに睡眠時間は短くなるという説もあるようです。

若くて体力のあるヒロコは日曜日ともなると昼過ぎまで起きてきません。 体力があるとも思えないYUKIもよく眠るほうです。 ヒロコが起きてこないと、あんしんして昼ちかくまで寝ています。 朝7時から起きている私が朝食にありつけるのは昼過ぎです。 すなわち朝食抜きで、昼食になるわけです。 しかし起きたばかりのYUKIとヒロコは朝の気分で、昼食は朝食らしいトースト・メニューです。

ヒロコの貴重な休日は必然的に短くなります。 今日は、ヒロコの会社まで荷物を運ぶのと、私の背広をオーダーする予定です。

荷物は… 先週のバーベキュー会のためにヒロコの会社のボス、リチャードから借りた道具類です。 背広は… 宮崎の母(YUKIの実母)が私の還暦のお祝いとして送金があったのです。 いつもみすぼらしい背広を着ている私をみかねて、 ちょっとマシな背広を作りなさいと、いう意味もあるようです(^_^;) 義母は、そのままだとYUKIが生活費に回す恐れがあるので ヒロコには”監視する任務”が与えられたようなのです。

朝食をイヤ昼食を食べ終え、ヒロコの運転で、新宿にあるヒロコの会社に向かいました。 会社の近くの駐車場に荷物を降ろし会社までYUKIと3人で運ぼうとした時です、 ヒロコが…「会社のカギを忘れた!」というのです。 結局リチャードの家まで荷物を運ぶことになりました。 (リチャード個人の荷物なのですから、初めからそうすればと私は思いました^_^;)

次は背広です。 どうも私はこの手の買い物が苦手です。 サイズを測られるとYUKIとヒロコが、決まって私をワライモノにするからです。 今回も黙って、それに耐えながら、 生地やデザインの選択はヒロコにまかせ、無事オーダーを済ませました。

これだけで日曜日の陽は沈んでいます。 ヒロコのソニーのパソコンを我が家の近くのPCデポに修理に出し クルマをPCデポの駐車場に置いたまま、タイ・カレーの店【イムイェム】 に向かいます。

日曜日は休みだった【イムイェム】が、先月から日曜日も営業するようになったのです。 なぜかというと、お店の売り上げが激減してしまったのです。 原因は6月からの違法駐車取締りの改正です。 お店の前の東名高速に向う広い道路も、その対象になってしまい、 短時間駐車でもキップを切られようになってしまったからです。

ウイーク・デイのランチ・タイムが最も影響が大きく 8月は盆休みを除いて無休で、9月からは定休日を月曜日に変えてのです。 順調に売り上げを伸ばしてきたのに、経営者のテラさんは頭を抱えてしまったのです。 そこで、少しでも売り上げに貢献できたらと8月からはチョクチョクと 美味しいタイ・カレーとデザートを食べに通っているのです。

みなさまも是非、クルマをPCデポの駐車場の置いて 美味しいテラさんのタイ・カレーを食べに来てください!!

てな、わけでヒロコにとっては短い日曜日は終わったようです。 今は9.11午前1時、ヒロコは月曜日からの激務?に備えて早くも寝息をたてています。

私は毎日が日曜日…イヤそれはあくまでYUKIの口癖です。 定年のない私は月・月・火・水・木・金・金の過酷な人生を 最期まで歩んで行かなければならない宿命にあるのです…なんちゃって(^_^;)

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2006年09月02日137号  バーベキューな一日

9月2日土曜日、快晴!絶好の行楽日和です。

YUKIと私はヒロコに頼まれて、大きなクーラー・ボックスとラジカセを多摩川の河川敷に 12時半までに届けなければなりません。 しかし河川敷の大駐車場は早くも満車で、公道から敷地内に入る事も出来ず、 片側一車線の狭い公道は大型トラックも多く、クルマを停車さすことすら困難です。 しかたなく、そのまま直進するしかありません。

左側は多摩川のノドカな景色ですが、右側の対向車線は大渋滞が延々と続きます。 早くUターンしなければ…こころはあせるばかりです。 この調子では、とうてい約束の12時半に荷物を届けることは出来そうにもありません。

60人参加予定のヒロコ主催の恒例のバーベキュー会は1時頃から始める事になっているのです。

昨年とても頼りになったセミプロ?のトニーが、今年はドタキャン、 その代わりとして急遽、ヒロコの会社のボス!リチャードが助っ人として参加してくれるよです。

われわれが遅れる事を伝えるため、ヒロコのケータイに連絡を入れてビックリです! まだ、リチャードと食材や機材の買い物中だというのです。 クーラーボックスやラジカセが少々遅れても、大した問題ではありませんが、これは大問題です(^_^;)

われわれのクルマはどうにか河川敷内には入る事が出来ましたが、 出るクルマはほとんどなく大駐車場に入るにはかなりの時間がかかりそうです。

かなりの膠着状態に多くのクルマがイラダッテいるようです。

後方のクルマが駐車場内のクルマと入れ替するとの条件で交渉をしたようです。 その事を伝えに年配の駐車場係りは申し訳なさそうな顔をしながら 最前列で待機中の私のクルマに近づいてきました。

つぎに、直ぐ後方のクルマの野球ユニホーム姿の男性が駐車場係りと交渉しています。 そして、年配の駐車場係は、また申し訳なさそうに顔をしながら私のクルマにやってきました… 「申し訳ございません!後ろのクルマの方は今、少年野球の責任者だそうで、 その人が行かなければ試合が開始出来ないそうで…」と平身低頭です。

こんな調子では私のクルマはともかく 肝心のヒロコとリチャードのクルマが会場に到着するのは何時になりか判りません。 今の状況をヒロコのケータイに伝えると… 「もうすぐつくから!」と言うのです。 「何言ってんだよ!ココに入るのも、入ってからも、大変なんだから!」と私が言った、その時です、 一台のクルマが、駐車待ちで一列に並んだわれわれのクルマの横を颯爽と駆け抜て行きます。 私はそのクルマをニラメつけると…何と! 助手席でケータイを持ったヒロコが嬉しそうに私に向って手を振っているのです。

目の前の駐車場の入り口でなにやら運転席のリチャードが駐車場係りと話しているようです。 そのクルマは駐車場へと入っていっていってしまったのです。

そして、またまた、年配の駐車場係は申し訳なさそうに顔をしながら私のクルマにやってくるのです… こんどはコチラから逃げ出したい、とても恥ずかしい心境です。(^_^;)

てなことで…無事?食材と機材は河川敷に運ばれ、定刻より少しだけ遅れて バーベキュー大会は始まりました。

参加者はヒロコがメールでかたっぱしから呼びかけた人達で 学生時代の友人から、サルサの仲間、職場関連、そしてクライアント、友人のママからお坊さんまで ジャンルを問わず、国籍を問わず、年齢を問わず、とてもバラエティにとんだメンバーです。 前回とても楽しかったと友人を連れてくる人も多く、アッとうまに60人が集まったようです。

スタートはどうなるかと思ったパーティでしたが、今回もそれぞれのユニークな参加者の 豊かな個性に支えられて、最後の花火まで盛り上がって、なんとか無事に終了することが出来たようです。

マイペースでモクモクとビールを飲みながら、モクモクとゴミひろいをして ”ヘンなオバサン”と思われたYUKIもけっこうゴキゲンで楽しかったようです。

ボスのリチャードもヒロコの交友関係の広さにはビックリしたようですが… この調子のヨサは誰ゆずりなのか?…考えてしまう一日でも、ありました(^_^;)

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2006年08月21日135号  ヨコハマにて

今、ヨコハマのホテルから書いています。

今まで、仙台にて…北海道にて…沖縄にて…松山にて…などなど 地方のホテルから週間KENを送信してきましたけど、今回はすぐ近くの横浜です。

今までは、共済組合とか…国民宿舎とか…ビジネスホテルとかでしたが 今回は、横浜の由緒正しき歴史を誇るホテル・ニュー・グランドです。

結婚式とか、同窓会とか、パティーがあったわけでもありません。 今日の夕刻にホテルにチェックインしてイタリア・レストランで食事をして 明日、チェックアウトしてヒロコはそこから出勤、私とYUKIは我が家に帰るだけです。 食事と宿泊の招待券があたったわけではありません。 そんな運はワールドカップのペア・チケットで使い果たしました。 言うまでもありませんが、お金が有り余っているわけではありません(^_^;)

実はこのホテル・ニュー・グランドにロコハウスのお客様が4人もいらっしゃるのです。 それを紹介して頂いたのはイタリアン・レストランに勤務されているNさん。 Nさんはもう超がつくほどの保険マニアでDr.KENのファンでもある、とてもありがたいお客様。 そして、この半年ぐらいで職場の仲間を3人も紹介して頂いたのです。

でもNさんを初め4名の契約はすべて、ご自宅に伺ってで彼らの職場には一度も行く事がなかった為 「近いうちにイタリア料理を食べにいくから…」が口癖のようになっていたのです。 でも、何と言っても格式ある名門ホテルのイタリアン・レストランで予約制、 ファミレスの『フラカッソ』みたいに気楽に行くわけにはいかないのです。 ローマに4ヶ月ほど短期留学していたヒロコは、「本格的イタリア料理なら私も是非いきたい!」 などと言い出して、じゃー私の誕生日に行こう何て言っていたのが急遽W杯ツアーのビッグ・イベント があったりして、のびのびになっていたのです。

イタリア料理を食べに行ってワインも飲めないのでは楽しくないから電車で行くか? それともヒロコが運転するか?(ノンベイのヒロコは拒絶)などと、議論の結果、だったら ホテルに宿泊すれば良いでなないかと… お金もないのに胆略的打算に落ち着くのが我が家のならわしです。

そこで、またYUKIの腕のみせどころ ネット上で得意のホテルの格安プランを検索 今日20日のホテル・ニュー・グランドをゲットしたのです。

20日にイタリアン・レストランの予約を入れると、さっそくNさんから電話が入ってきました。 私はその日は宿泊をすると伝えたらNさんは 「前もって教えてくれたら割引をしたのに…」と残念そうに言ってくれました。 「でもネットでけっこう安く手にいれたみたいだから…」との私の言葉に 「それなら、そっちの方が安いかもしれない」と言われてしまいました(^_^;)

20日は、ちょうどNさんは休日という事で合えませんでしたが… サービスは契約者の一人、Kさんにやって頂きました。 ネットで格安で手に入れた部屋はグレード・アップをしてもらい ワイン一本とケーキ(一応私の誕生日という事で^_^;)のサービスがあり いたれり、つくせりのサービスで恐縮するばかりです。

ワインをしたたかに飲んで、すぐ前の山下公園を散歩して 今、ホテルの部屋からとびきりの横浜の夜景を見ながらほろ酔い気分で書いています。 Nさん、Hさん、Tさん、そして今日サービスをして頂いたKさん、 ほんとうにありがとうございました!

本日のハイライト・シーン ①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩

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2006年08月07日133号  今年も”キューバの夜”

昨年、キューバのサルサ・バンド【ロス・バンバン】のライブに感動した事を書きました。 早いものであれから1年、また同じ会場でのライブに家族3人で… 今年はヒロコがクルマを運転して晴海のライブ・ハウスへと向かいました。 ドイツでの運転いらいのヒロコにとっては長距離(毎朝駅までの往路は運転)ドライブですが そこそこ安定してきたようです。

キューバ・ファンで…サルサ・ファンで…ラム酒ファンで…ロス・バンバン・ファンで ついでに、サカモッチ・ファンで…おじゃる丸ファン…のヒロコからの両親への”ご招待”です(^_^) ヒロコはこの日を来るのを、指折り数えていました。 ところが、その数日前からキューバのカストロ議長の様態を危惧するニュースが流れていたので 「カストロが死んじゃったら公演は中止になるかもネ」…なんて、私が言ったものだから ヒロコは気が気でなかったようです。

ロス・バンバンのライブは午後7時からという事ですが… 会場には6時頃に入りました、昨年はライブ・ハウス初体験で戸惑いがありましたが 今回はもう馴れたもので、ドゥリンク・チケットをビールに代えて、 まだ空いているフロアで軽く踊ったり、前座バンドの演奏やサルサのパフォーマンスを楽しみました。

私は今から数える事、約40年前、拓殖大学、ラテン・アメリカ研究会に4年間席をおき ラテン文化やラテン音楽には造詣が深い(つもり)のです。 その研究会でもロス・バカブンドスというバンドを持っていましたが… その頃のレベルから見たら、もう雲泥の差です。 (その頃でもロス・バカブンドスは他のバンドと雲泥の差がつけられていましたが^_^;)

前座バンドのレベルもまちまちです。 日本人にしておくのがモッタイナイ?と思うほどの力量のあるアーティストもいれば なんでお前が!…と舞台からひきづり下ろしたくなるよいうなアーティストまでさまざまです。 そんなアーティストに限って盛り上がらない会場を、ムリヤリ盛り上げようとするので…悲しくなります。

その、ヒドイ前座が終わって… ロス・バンバンのライブですから、もう大変な盛り上がりで、一機にヒートアップです! (これは巧妙に仕組まれた”演出”だったのかもしれませんネ^_^;) 抜群の歌唱力とパワフルな演奏に、昨年は衝撃を受けてただただ圧倒されましたが 今回のライブもそれを裏切られる事はありませんでした。 そして今回、私がとても感動して見守っていたのが、舞台後方での高齢?の演奏者たちです。 舞台で目立つ事は無いものの、そのリズム感…曲にあわせ軽くステップする姿が カッコいいというか!セクシーというか!…けっして日本人には真似の出来ない味があるのです。

そして、私は一つ課題を自分に与えました。 私のサルサ・レッスンといえばクリスチーナですが(^_^;) 彼女のレッスンは、それはそれで楽しいのですが、ハード過ぎて最近では、ご無沙汰状態です。 でも、軽いステップでもサルサはかっこよく踊れるのです。 YUKIはサルサを習っていませんが、YUKIと二人でさりげなく軽くサルサが踊れたら、 このようなライブに来ても、より楽しいしカッコウいい!何て想像しちゃったのです。 多分、想像どうりにはならないでしょいうが YUKIも賛成してくれたので、来年!?に向けてチャレンジしようと思っています。

帰りのクルマの中で、ヒロコが 「カストロが死んじゃったらロス・バンバン…どうなるのかな?来年は来れないかもね」 と、心配そうに言いました。 YUKIは、それに大きくうなずき 「そうね、カストロがいなくなったらキューバのアメリカ化が進んで、ロス・バンバンのような 根っからのキューバ音楽は一機に衰退するかもね」と言いました。

私はそれに対しては反対の考えです。 やがてキューバも今のような共産主義体制は崩壊し、 アメリカがなんやかやと介入してくる事は間違いないでしょう。 そして、今のような、どこまでもノドカなキューバの風景は変わってくるかもしれません。 でも、昨年も書きましたがロス・バンバンが超過密スケジュールで世界中の公演を マシーンのようにこなしている事をしって、とても気の毒に思ってしまいました。 多分、彼らのギャラは僅かなものでキューバの外貨獲得に貢献しているのでしょう。

このような事は、体制の変化できっと変わってくるでしょう。 それによって、アーティスト達は自由に活動を初め今のようなバンド編成が […]

2006年07月17日130号  新60代

ツイに7月12日で60歳になってしまいました(^_^;)

”60歳”というと私は’60年代の初めにヒットした【悲しき60歳】という曲を思い出してしまいます。 あの時代は曲名のアタマに”悲しき”とつけるのがはやりで 【悲しき16歳】【悲しき雨音】【悲しき街角】【悲しき少年兵】などなど、数え切れないほどのが ヒット曲が生まれています。 その頃まさに16歳だった私ですが【悲しき16歳】より【悲しき60歳】がお気に入りでした。 前都知事の青島幸男がトルコの曲に歌詞をつけたもので、その内容は… トルコのムスターファという貧乏な青年が恋した彼女は奴隷の身… 青年は彼女のために一生懸命頑張って大金持ちになるのですが、 気がつけば…60歳になっていた、とういう悲しい?コミック・ソングです。 10歳下の私の妹が幼稚園生で♪ヤ・ムスターファー・ヤ・ムスターファ♪と 舌足らずに歌っていたのが昨日のように思い出しますが、その妹も50歳になり、 私も気がつけば…60歳になってしまいました。

そして最近は、私の還暦が話題になると反射的におどけて ♪ヤ・ムスターファー・ヤ・ムスターファ♪を口ずさむため YUKIもヒロコも、すっかりこの曲を覚えてしまいました。 (YUKIは同世代でも宇宙人ですから当然この曲を知りません、新鮮なようです)

この曲がヒットした頃、私から見た60歳は大変な高齢者のイメージでしたし 社会的にも立派な?高齢者の時代だったようです。 したがって今の私の”60歳”と、【悲しき60歳】での”60歳”とは…実は 私の頭の中でまったく一致しないのです。 そう!何が言いたいか?というと…『まだまだ若い!』という事です(^_^)

幸か?不幸か?…私には定年がありません。(^_^;) YUKIからは「死ぬまで働け!」と終身刑が命じられています。 先日、還暦のお祝いを兼ねて…という大義名分でドイツ旅行をしましたが およそ”還暦祝い”とは思えない(予想通りの)ハードな旅でした。

そしてYUKIからこんな事を言われました。 「ホームページやネット上で還暦だ!還暦だ!と書かれるものだから メールでの保険相談が最近、減ったような気がするのですが…」と。

たしかにホームページへのアクセス数は好調ですが、 ひと時のようにメール相談の返事を書くため、 寝るヒマも無いという事はなく、すやすや寝てる私を見て… 家計への危機感を募らせているのです(^_^;)

メールでの相談者は30歳前半が多く、保険期間が長い生命保険の場合 自分達の契約を最後までフォローして貰えないと思われてしまうようです。 だから…できるだけ若い代理店や募集人から加入した方が良い、と思われる事があるのですが そんな時、私こう答えます。

「たしかに長期間のフォローを考えれば、少しでも若い担当者がいいでしょう、 しかし彼らが10年後、20年後にどの位、保険の仕事をやっているでしょうか? 10年後に関しては、若い担当者より、私の方がかなりの確立でフォロー出来ると思いますヨ」と…。

私が20年前に保険の仕事を始めた同期は10年で大多数が消えて、今では数%しか残っていません。 代理店として生き残るのは大変なのです(^_^)、 ココまで来たら、多くのお客様という財産を持っているのです。 金銭的財産はまったく無い私ですから、それを大切にしていくしかありません(^_^;)したがって… 何らかの形で、お客様のフォロー体制を作っていくと明言します。

最近…【保険の世界がよく見えるようになってきた】と感じるのです。 もちろん、私の錯覚か?ウヌボレ?はたまたガンコになったのか? さだかではありませんが、自分ではそう確信しているのです(^_^;) それは保険の仕事を20年経験した、というより人生を60年経験したからだと思うのです。

ケーキ屋KENちゃんから40歳で保険屋KENちゃんになった私です。 私より若くて保険業務に詳しくキャリアの長い専門家はヤマほどいるでしょう。 でも、フンベツのつく年齢から保険業界に入った私は 常に客観的な視点で保険に接して、いろいろな事を感じてきました。

保険、特に生命保険にかせられた社会的責任は大きくなっていきます。 少子高齢化、自己責任の時代に向けて自分の事は自分で手当てしなければならないからです。 […]

2006年06月26日127号  旅の最終日・機内にて

今、フランクフルトから上海への飛行機の中で書いています。 これをアップするのは上海空港からだと思います。 なにせエア・チャイナの安いチケットでの帰国ですので上海で一旦荷物受け取って の乗り換えで4時間以上滞在しなければなりません。

16日(金)に成田をたって26日(月)の19:15分に成田につく正味10日間の旅も もう少しで終ります。

思ったよりハードな、イヤ…思った通りの、いつものYUKIとの旅行のように 結局は我が家の伝統的?なハードでエネルギッシュんで刺激的な旅に なってしまいました。

日本を10日間も離れているのに 私のHPのヒット数はいつもより2割ほどアップしているようです。 これは【週間KEN・臨時増刊号ドイツ旅行版】が好評?のおかげです。 こうなるとコチラも力が入ります。(^_^)

思ったよりハードになったのは この記事を旅行中のクルマや列車の中で書いていこうと思ったいたのに そんな余裕などまったくなく、それが出来たのは”今の機内”が始めてです。 結局ホテルで深夜か早朝に 写真のアップと一緒にやらなければならなかったのです。

持参したノートPCとインターネットの接続も ホテルによってマチマチで、これもヒロコがいたからどうにか 10日間、毎日送信出来たのですが、時間とお金も少々かかったようようです。

ネットで気軽に報告と思っていたのですが 私の旅行中の平均睡眠時間は5時間を切ってしまいました。

でも、とても良い経験をしました。 ノートパソコンで多くの写真を載せて毎日、旅の実中継をし ホテルの予約をし、ネット情報もキャッチし メールのチェックと、仕事も少々?しながら 今までにない、ユニークな海外旅行をする事が出来たのです。

まだインターネットのインフラの遅れや パソコン機能の問題や、 それに私自身の知識不足と…いろいろありますが それらは、時間の経過とともに解決していくと思います。

これが私の還暦を祝う旅なんて… およそ思えませんが(^_^;)

『地球の歩き方』じゃなくてロコハウス版『地球の走り方』を シリーズ化したいね…なんてYUKIと笑いながら話していたところです。

P.S. 上海の空港でアップしようと思っていたのですが、やっぱり、うまくいかず… 結局、26日午後11時に我が家に着いてから、送る事になりました。

特別増刊号 ドイツの旅10日間 – 6月25日 最終日  【フランクフルト・上海経由で帰国】

いよいよ旅の最終日 フランクフトの朝がやってきました。

波乱の昨日は、フランクフルトの夜で我ら3人は精も根も尽き果てて 晩飯も食べず、シャワーも浴びず、倒れるように寝てしまいました。

ホテル・ロシアの窓から見る景色は、なんだか捕虜収容所のようですが 3人で90ユーロで、今回の旅行の中でも最も安く 冷蔵庫があって、冷たい水がとても美味しく、朝食もソコソコで 住めば都?で悪くはありません。 チェックアウトも12時までで 結局いつものネット関連や最終の旅ジタクでホテルを出たのは、その時間です。

フランクフルト空港発の午後19時のフライトまでは時間があります。 昨日は夜のフランクフルトでしたが、今日は昼のフランクフルトを探索です。 ヒロコは2年ほど前にフランクフルトは歩いていて、案内をしてくれるのですが 結構、方向音痴なところがあって、アチコッチ余分に歩かせてくれます。

旅ではほとんど買い物をしない私達ですが、最終日なので若干のお土産は 買っておこうという事で、ヒロコが知っている穴場のスーパーを案内してくれたのですが ココをはじめ、大きなお店や百貨店は日曜日でどこも休みです。 結局、駅のキヨスクのようなところと、私の嫌いな免税店で少々の買い物です。

フランクフルト写真ハイライト集 ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨ ⑩

フランクフルト航空には列車で早め到着 レンタカーを借りたハーツのカウンターに、 結局、カーナビは保険の対象外で、後で10万円ほどの請求が来るという事で まーこれは覚悟していた事でしかたありません。

駅や空港で時間があるのは、我が家ではめずらしい事です。 空港のカフェでたっぷり寛ぎ… フランクフルトを19時に出て上海の現地時間で10時間30分のフライトです。 機内で週間KENやこのコラムの原稿を書いてビールを飲んで一眠りです。

上海空港は曇っているのに蒸し暑く32度もあります。 ここで4時間以上の時間がありますが、飛行機の乗り換えがあります。 一旦荷物を受け取って、しかも出国手続きをして、その後にまた入国手続きを しなければなりません。 単なる乗換えなので、もっと簡単にやってくれるのかと思っていたのですが 同じ荷物を入国と出国で検査させられたり、何枚も書類を書かされたり やたら並ばされて、それだけで3時間はかかってしまいました。

上海空港でパソコンをネット接続して…と思っていたのですが カードは使えず現地通貨の元は持っていなかったのと、時間が足りないので、ネットはあきらめ… 日本円でもOKという、呼び込みをしている喫茶店のお姉さんの呼び込みに 誘われて、そこで一休みすることにしました。

メニューの種類が少なく、アイスコーヒーとマンゴのアイスクリームが同じ値段だったので マンゴアイスクリームを3つ頼みました。 すると、お店のお姉さんが、その場で電卓を叩いて3人で2900円をヨコセというのです。 高過ぎるとYUKIは出よと言ったのですが、疲れてもいて場所代だと思うことにしました。 でも、もってこられたマンゴ・アイスを見てビックリです、 これなら、この値段でも文句は言えませんが、アイスクリームは溶けていて美味しくありません。 ナタデココも生温く、なんだかお腹を壊しそうな不思議な食べ物でした。 お茶のペットボトルも砂糖が入っていてヒロコも私も飲めませんでした。

上海からは小型の旅客機で3時間弱で成田に到着。 お~いお茶濃い味を!、そして近所の【夢庵】で和食を!

16日の朝5時に我が家を出て、26日の午後11時に我が家に到着。。 長いよーで短かった… 苦しいようで楽しかった… 質素なようで豪華だった… もうこんな旅はこりごりのような、また今度も是非やってみたと思う…

そしてワールドカップの楽しさを肌で感じる事が出来た […]

特別増刊号 ドイツの旅10日間 – 6月24日 第9日目 【Gothaの悲劇?フランクフルトの夜】

Gothaの朝は優雅に明けました。 今までのどこのホテルより、おしゃれで清清しく、また朝食も豪華でゆったりと 朝の恒例になったインターネットもビュッフェで寛ぎながら いつまでもやっていたい雰囲気です。 YUKIはビュッフェに備え付けのシャンパンなぞ朝から飲みながらご機嫌です。 これで、今までのホテルより安いくいらだから、驚きです。 少しでも長くいたいホテルでした。

チェックアウトをすませ インターネットの残りをロビーで済ませ… 私が荷物をクルマの所に持っていった時、 事件はおきたのです!! 正確には事件は既におきていて、ソレを発見したのです。

クルマの助手席側の窓ガラスが割られ カーナビが盗まれていたのです!

警察を呼んで、ホテルのフロントで2時間ばかり時間を過ごします。 ハーツはクルマが動かせるなら、近くの営業所に持ってこいと言いますが 車内はガラスだらけで、まどガラスも無いクルマで、不案内な道のりを カーナビなしで、行く来にはなりません。

けっきょく、クルマをホテルの駐車場に置いて 我々は、もうレンタカーを使わず列車で行動する事にしました。 予定は大きく変わります…といっても、気まま旅ですので大した予定はありません。

カーナビが保険の対象外である事を、現地で借りる時に言われた気がするのですが クヨクヨ考えていても、どうしようもありません。 何があるか判らない、だから人生も旅も面白く刺激的で楽しいのです。 プラス思考でいくしかないのです。

まずはホテルから大きな荷物を引きずって駅まで行かなければなりません。 (YUKIはタクシーがとても嫌いな人なのです^_^;) 電車で、ほんとうは昨日の宿泊予定だった【アイゼナッハ】まで行って そこから特急に乗り換え、明日最終日の飛行機が出る、フランクフルトに 戻る事にしました。

ところが電車が遅れて、【アイゼナッハ】に着いた時には特急が出たあとでした。 だったら、次の特急までアイゼナッハ観光をしようという… どこまでもメゲナイ、旅行魂です(^_^;) 荷物をロッカーに預けようとしたら鍵が抜けなくなったり どうもこの日は波乱の日でもあります。

アイゼナッハ観光、列車 写真ハイライト集 ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨ ⑩ ⑪

16日の夜に飛行機で到着したフランクフルトは、翌朝からレンタカーを 借りてニュルンブルグに向ったため、ほとんど見ていません。

YUKIは最終日の明日は、早朝に出かければライン下りが出来るのでは!? と最後の最後まで執念を燃やしますが…飛行機に乗り遅れたら それこそ一大事で、ムリをせずフランクフトをエンジョイする事です。

フランクフルトの宿は『ホテル・ロシア』という 今朝のホテルとは、うってかわった何とも怪しげなホテル(本当に怪しいそう) 列車の旅になったので、駅から100m?の安い宿と YUKIがネットで探しだしたホテルで、なんだか歌舞伎町的な 雰囲気が漂っていて、宿泊客もロシア人やアラブ人家族が多く泊まっています。

フランクフルトの街はW杯まっさかりの土曜日の夜という事もあってお祭り騒ぎです。 ドイツ国旗を旗めかし、クラックションを鳴らしたクルマも数多く、大変な騒音です。

どこか必ず、ファン・フェスタ会場があるはずで、街に出る事にしました。 川の真ん中に大スクリーンを備えつけた会場はもう大変な人ゴミと喚声です。 試合はアルゼンチンとメキシコでしたが、ほとんどが試合はそおっちのけで 喚声をあげたり踊ったりで、何が何だか判らない状態です。

ヒロコもサルサを舞台?に上がって踊りだし、大いにフランクフトの夜を堪能しました。 午前1時過ぎ、まだまだ街は眠らないようですが… […]