2011年12月05日 第411号 全君のパパの葬儀

4年半ほど前に全君のママが亡くなって、 全君のパパも先日亡くなってしまいました、私より4歳若い61歳でした。

ヒロコと保育園で6年間一緒だった小林全君家族とのお付き合いは、まもなく30年になるのですが… 弟の永君と二人きりになってしまいました。

全君の家には毎年大晦日の夜に我が家の3人が揃ってお邪魔をするという習わしがありました。 我が家では決して作って貰えないお美味しい手作りのお節料理を大晦日にご馳走になるという習わしです。(^_^;) このお節料理を作るのは全君のパパだったため全君のママが亡くなってからも 私たち3人家族は毎年揃って、全君のパパが作るお節料理を食べに小林家にお邪魔しました。

全君のママはとても社交的で太陽のように明るい人で保育園の頃から親しくしていましたが、 全君のパパと親しくなったのは全君のママが亡くなってからです。

東京都の教員をしていた全君のパパは昔から透析治療をしていて 「ボクは身障者だからクルマはどこでも駐車出来る!」というのを自慢していました(^_^;) 今年の7月彼から来た最後のハガキになった暑中見舞いです。 私が震災いらいブログに書いている事で、真っ向から意見を異にする内容です(^_^;) 全君のパパは学生時代から左翼活動を続け、後年右翼的思想になった人で 専門は数学ですが日本古代史がライフワークで論文も書いていて時間があれば全国を飛び回っていたのです。

「ボクと議論をして負けた事が無い!」という全君のパパでしたが 私とは考え方が対立してもお互い楽しくお話が出来るので 今年の大晦日も夏に届けられた“暑中見舞い”のハガキをネタにどのような議論が出来るか 楽しみにしていたところだったのです。 でも、これまで暑中見舞なんて書かなかった彼がなんでこんな事を書いて…

なんで蓮の花のさし絵を選んだのか…などなど ハガキを見詰めながらそんな事をボーと考えていたら寂しさが込み上げてきました。

11月27日の朝、全君からとても明るい声で電話があり、その声につられてこちらも余計な事をしゃべろうとしたら 「父が亡くなりました!」の一声に、私は絶句してしまいました。 その日の夜に小林家に行くと、奥様の写真の横に安置されていました。 散らかっていた部屋は保育園時代からの友だちのマコちゃん夫婦や大ちゃんたちが急遽片づけたようです。①

私は全君に開口一番「お父さんも日出子さん(亡き奥様)のところに行けて良かったじゃない!」 と励まし意味も込めて言ったのですが、全君はすかさず「母は迷惑がっているでしょうけどね」と答えたので 「そりゃーそうだ!」と私が言って、みなで大笑いをしてしまいました。

1歳年上のしっかり者で明るい姉さん女房を亡くした全君のパパとお話をすると 必ず一回は「日出子は…」という言葉が出てきます。 病気と闘いながらの息子2人の男所帯で何かと大変だったのかも知れません。

11月30日にお通夜が自宅で行われました。 玄関を入ると靴を脱がずにそのままリビングに行くと、すべての家具が取り払われ 祭壇と献花と焼香のスペースが作られていました。 普段着のままの彼の写真は彼の心意気を感じるいい写真です。① ② ③ ④

お通夜の後、保育園の仲間だったハルカちゃんの家でお姉さんのマコ夫婦、そのお母さん、 それに全君やマコちゃんたちと小学校が同じだった三村君親子が集まって、 お通夜で持ち帰り用に頂いたお寿司とお酒を頂きながら楽しい時間を過しました。① ② ③ ④

翌12月1日、午前10時より葬儀 昨晩とうって変って朝から雨が降っていて、とても寒い日でした(^_^;) これまで明るく陽気にふるまっていた全君ですが… 喪主としてのお礼の挨拶をする時、言葉を詰まらせてしまいました。① ② ③ それには、私も目がしらが熱くなってきました。 そして「これから父を見習い誇らしく生きていきたいと思います」という言葉に 隣にいる弟の栄君も頷いているようでした。 「兄弟仲良くやれよ!」…私は通夜の日に全君の肩を叩いてそういうと 「それはムリかもしれません、頑固なのは血ですから…」なんて事を言っていました。 性格がまったく違う全君・永君兄弟ですが 天国から両親に見守られて、お互い誇りを持ちながらきっと上手くやっていく事でしょう。

① ② ③ ④ ⑤ ⑥

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2011年05月23日 第384号 ヒロコも明日は成田から

11日にランスと二人で帰国したヒロコ。

ランスは15日に一足さきに仕事もあって米国に戻りましたが、 ヒロコもまだ学生の身分で7月までは授業もあって明日(30日)に戻ります。

さて、それからどうなるか(^_^;) ボストン大学での勉強は7月で終わるわけですが、すでにランスの妻です。 ランスは今、アラバマ州のハンツビルという町(最近は竜巻で知られていますが)で働いています。 仕事は゛学者゛です、何の学者かというとヒロコも良く判らないのですが(^_^;) ナノテクでとても難しい研究をしているようで今は防衛関連の企業で1年ごとの契約で 来年の4月が更新の期日になるよです。 ランスは日本には3年半ほど東大の大学院の研究員として滞在した事があり、 日本が大好きで日本で働きたいと思っているようです。

でもヒロコの方はアメリカで働きたいと思っているようです(^_^;) ま~これはどうなるかは二人が決めることですが、 とりあえずは来年の4月までは、ランスのいるハンツビルでヒロコも働くようです。

9月3日に、ハンツビルからクルマで2時間ほど行ったナッシュビルという町で ランスとヒロコのレセプション・パーティ-、ようするに結婚披露宴をする事になっていて もちろん、それには私とYUKIも参加します(^_^;)

いづれにしてもランスもヒロコも、どこに住んでも生きていけそうですから 雇用などに縛られず二人で仲良く自由に羽ばたいて欲しいと思っています。

ランスが日本を去ってからの2週間は、 これまでの3人の生活と変ることもなく終わりそうです。 ヒロコは相変わらず色々な人とあって夜遅くまで飲んで帰って(^_^;) アルバイトの仕事もどんどん引き受けてしっかり稼いだりもしていて…(^_^;) 私はヒロコが帰ってきたらパソコンやインターネットの色々な事を聞こうと思っていたのですが それも叶わず行ってしまいそうです(^_^;)

ヒロコの在日ハイライトです。 ●私の母、ヒロコのおばあちゃんがいる介護施設に見舞いにいきました。 要介護5の認知症で目も見えなくなった母ですが、結婚祝いも貰いました(^_^;) 私の妹のユミコとその長女のユリコとも食事をしてランスの事でもりあがりました。 ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨

●ヒロコの小学校時代の友達の木村ヒロコちゃんとタエちゃんの家に挨拶に行きました。 二人はもう結婚して、それぞれ二人のベイビーが誕生して会えませんでしたが 木村夫妻とも家族ぐるみで大変親しくさせて頂だいていているのです。 ① ② ③ ④

●タイ・カレーのテラさんのお店にも2回行きました。 ① ②

●飯山、東京0FF会のキーマン清野夫妻と飯山の富倉そばが食べられる 神楽坂【まろうど】で、お別れの飲み会を致しました。 高橋さんも仕事が終わってかけつけてくれました、来月4日は飯山で田植えです(^_^;) ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨ ⑩ ⑪ ⑫ ⑬ ⑭ ⑮

●ヒロコの保育園時代の友だちナオキ君のお母さん順子さんの 恒例のマリンバ・コンサートに行きました。 保育園時代の懐かしい仲間と会えるのもこのコンサートの楽しみです。 ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨ ⑩ ⑪ ⑫ ⑬ ⑭

●コンサートが終わって明日はいよいよ帰国?渡米?のため ランスに頼まれていたカメラの本と友だちのお土産のお菓子などの買い物に多摩プラザに。 ① ② ③ ④ ⑤ 多摩プラザといえば3人で良く行っていた麻婆豆腐のお店で食事をして帰りました。 ① ② ③ ④ ⑤

今30日午前3時、まだヒロコは明日のための荷仕度をやっています、 これも、これまでのヒロコと同じですが、 ランスとのスカイプがかなりの時間を閉めるのが以前と違うところです(^_^;) ヒロコがアメリカに帰ってもロスに、ランスはアラバマで時差が2時間! 飛行機も乗り継ぎがあるので最短で6時間もかかる遠距離で当分は別れ離れのようです。

結婚披露宴の9月3日まで3ヶ月ほどですが… これもアッというまに来てしまいそうです。 明日は、いやもう今日ですが、もちろん成田までクルマで送りに行きます(^_^;)

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2008年05月12日225号 ゼン君のお芝居

ゼン君のママがちょうど1年前に亡くなった事や… ゼン君のパパの事はココでも触れてきましたが… ゼン君自身の事にはあまり触れるチャンスがありませんでした。

ゼン君はヒロコと保育園時代6年間を一緒に過ごした同期ですから… ヒロコと同い年の26歳です。 したがってゼン君は立派な社会人なのですが どうしても私やYUKIからは保育園時代のゼン君の印象が強く いつまでも【ゼン君】なのです(^_^;)

保育園時代のゼン君の印象で強く残っているのは 学芸会で『金のガチョウ』のお芝居で”金のガチョウ”を演じたことです。 ちょっと余談になりますが…私も学生時代にスペイン語劇で 『オジャンタイ』というお芝居の”オジャンタイ”を演じました。 この時は一応、主演ということでしたが題名が主役とは限らない場合があります。 『金のガチョウ』は主役はキコリで”金のガチョウ”はセリフもほとんどありません。 しかし重要な役である事は変わりません。

私がその時に撮影したビデオが残っているのですが、 主役のキコリがオノで木を倒すと突然、残った木の下から 金のガチョウ役のゼン君が「ガー!」と羽をバタつかせ立ち上がるだけなのですが、 とてもインパクトがあって、みんな大笑いをさせました。

ちなみにヒロコはこのお芝居で、金のガチョウにくっついていく村人役の一人でした。 ヒロコは小学生ぐらいまでは、今ではとても考えられないほどシャイでオトナシイ子供で ヒロコの短いセリフに「ヒロコちゃん!聞こえないよ!」という野次がビデオに入っています。

そんなヒロコも今では”コワイモノ知らず”の無法者?ですから判らないものです(^_^;) そしてゼン君は何とプロの役者を目指しているのです。

9日の金曜日YUKIと二人で 乃木坂にある小さなライブハウスに出かけました。 出演者は面接官と3人の就職希望者の計4人が面接会場で入り乱れて 人間模様をくり広げそれぞれの内面を見つめ直すという力作です。

ゼン君の役は就職希望者の一人で現在フリーターの若者。 セリフの中に亡くなった母親を回想し 「母はヒマワリのように明るい人でした、弟が生まれると…」と ゼン君そのものを表現したところがあって思わず涙が出てきました。

シナリオは劇団を主宰者のお嬢さんで、ゼン君と同じく昨年11月に母親を亡くし 呆然としていたのだが劇団運営を熱心に応援していた母親が天国からハッパをかけられ(^_^;) 3月にシナリオを書き上げ急遽、公演にこぎつけたというもの。 3日間の連続公演の初日です。

小さな舞台を囲むお客様の数は満席で60名ほど、 ドリンク付きで3000円のチケットですから、全員が有料入場者としても18万円、 3日間満席でも総売上54万円です 入り口ではゼン君と違って秀才の誉れが高くイケメンでクールな弟エイ君(^_^;)が モギリのボランティアをしていました。

ゼン君はプロの役者を目指していても今はサラリーマン。 一時は役者の道をあきらめた時もあったようですが、ゼン君の両親はともかく 私は「あきらめるな!」と勝手言ってきました(^_^;)

正直言ってゼン君がプロとして食べていくのは、とても厳しいかもしれません。 4人の出演者の中でも演技力が上手いというところまでは行っていません。 でも10年ほど前に研修生で芝居漬けになっている頃よりはかなり上達しています。 なにより意外だったのはダンスの身体の動きがとても自然で上達しているのです。 それは普段から意識していなければ出来ないことです。 ゼン君の舞台挨拶にも熱いものを感じました。

何でも良いから好きな事は、たとえそれで食えなくても、やり続ける事だと思います。 一度しかない人生なのですから。 ゼン君は歳をとってから良い味が出せる役者になるような気がします。 多分。(^_^;)

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2007年11月05日198号 ちょっとだけ違った一日

早いものでもう11月です。 毎年、大晦日までカレンダー配りの追われる、その今年のカレンダーも山と積まれました(^_^;) そして年末モードに入る最初のイベントが毎年この時期に開催される 荒瀬順子さんのマリンバ演奏会に例によって家族3人で出かけました。

いつもはどこに行くのもクルマで出かける我が家ですが この演奏会はバスと電車を乗り継いで行くことになっています。 と言っても会場のある狛江(こまえ)は我が家からクルマで行けば10キロもない距離。 なぜクルマで行かないか?といえば… コンサートの休憩時間に美味しいワインが出ること。 そしてコンサートが終ったあと、 仲間と食事やお酒を飲むことになる可能性がとても高いからです。(^_^;)

しかし今年は、そんな時に音頭を取ってシキッてくれる”全クンのママ”がいません。 毎年…同じ会場、同じ時期に 行なわれるコンサート。 客席も演奏家も、いつのまにか顔なじみになってアット・ホームな雰囲気が漂っています。 だからこそ”全クンのママ”がいないのに私はとても寂しい気持ちになってしまいます。

キューバのロス・バンバンのライブもエキサイティングで大好きですが疲れます(^_^;) だんだん年齢を重ねていくとマリンバの調べは疲れるどころか心を癒してくれます。 もう順子さんのマリンバはヒロコがゼロ歳の保育園の頃から聞いているのですから。 順子さんに初めて合った時に 「芸大の角倉一朗先生とはご親戚ですか?」と言われたのが最初でした。 私から「健」の字を一字取った親戚で、バッハの授業で順子さんの先生だったようです。 そんな縁?で、荒瀬さんは私とクラシックな?お付き合いが始まるわけですが(^_^;) 私の方は「健」の一字が多いだけでクラシックには縁もユカリもないのに 今日まで長~いお付き合いをさせて頂だいています(^_^;)

とは言っても演奏される曲はブルーノート・ジャズやラテンとレパートリーも広く アツというまに時間が過ぎていってしまいます。 そして、もう一つの楽しみが休憩時間を利用してのコーヒー&ワインのひと時。 順子さんのご主人の和順さんは元辣腕クリエーターでこの日もサウンド調整を担当、 コーヒーやワインにも造詣が深く、いつも美味しい飲み物が用意されのです。

ヒロコの保育園時代の園長先生も見えていて懐かしく挨拶したのですがヒロコは 覚えていないのには意外な気がしましたが、考えてみたら当然かもしれません。(^_^;) でもヒロコの小学校時代の友達となると卒業以来でもお互い気付くようで盛り上がっていました。

ワインの係りは今年もヒロミさん(順子さんの長男でヒロコの保育園の同級生ナオキ君の奥さん) 私がワインの3杯目のオカワリに恐縮していくと「私もバンバン飲んでますから!」と明るく 言って頂き、我が家の呑んべい3人組みは遠慮なく頂戴いたしました。

そして、ほろよい気分で聞いた第二部の素晴らしい演奏、そしてアンコール…。 今年も恒例のマリンバ・コンサートは無事終了し会場をアトにしたました。 でも何だかいつもと違います、そう…「じゃーこれから○○に行こう!」と音頭をとる 全くんのママが居ないのです。 だったら私が音頭を取ればいいのかもしれませんが、この日はヒロコも1時間ぐらいの 時間しか取れないという事で、なんとなくその場で解散してしまいました。 せっかくクルマを置いてきたのに(^_^;)

でもヒロコは1時間ぐらいの時間はあるという事で 狛江駅の近くのドトールに3人で入る事にしました。 YUKIはコヒーが大好きなヒトですが、なぜか喫茶店でコーヒーを飲むのはキライなヒトなのです。 したがって家族3人で、どこでも出かける我が家ですが、 家族3人でドトールに入る何て事は初めてで、貴重な経験をさせて頂きました(^_^;)

そして狛江駅でヒロコと別れ私とYUKIは電車とバスで家路につきました。 なんだか、とても普通な、しかしちょっと違った一日でした。

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2007年07月23日183号 頑張れ!ゼン君のパパ

176号でお伝えしたゼン君のママを偲ぶ会が 土曜日、よみうりランド駅(川崎市・多摩区)近くのイタリアン・レストランで行なわれました。 なぜ、そこなのか?というと、そこから数百メートルのところに、ゼン君や大ちゃんやヒロコが 6年間通った保育園があります、ようするに我々のフランチャイズというわけです。

その保育園ではちょうどその日のその時間に「夕涼み会」が行なわれていて 懐かしい思い出がたくさんよみがえってきました。

保育園ほど親たちにとっては懐かしいところはありません。 子どもと一緒に毎日かよい、 働いているからこそ、親たちは保育園に積極的に関わろうとするのです。 「夕涼み会」だけでも私は6回も経験したわけですが、兄弟(姉妹)がいれば、もっと長く関わる事になります。 保育園は子どもたちより、”親たちの同窓会?”がもりあがるのです。

その中核にいたゼン君のママが亡くなって 「このような場所で彼女がいないのが不思議だよね」と誰もがいうような、わきあいあいとした会食でした。 宗教色を一切なくしたお葬式も素敵でしたが 四十九日に変えてのイタリアン・レストランでの食事とはシャレています。(^_^)

ゼン君のパパは高校の先生ですが、昔から透析をしていて、 お葬式の時は、それまでの精神的疲労や腰痛も重なって体調を崩していたようですが 今はかなり健康を回復したようです。

我が家にとっても、ゼン君のパパには元気になって貰わなければならない理由があります。

それは我が家の3人が毎年、 大晦日にゼン君家(ち)に行って、おせち料理を食べさせて頂く…という行事?があり、 それを私とヒロコはとても楽しみにしているからです。 おせち料理を作るのがゼン君のママなら諦めるしかないのですが、 ゼン君のパパが腕によりをかけて作っているのですから、ノゾミは残っています。 彼が我々のテーブルに挨拶に来た時に、私は酔ったいきおいも手伝わせて確認しました。 「ねーねー、今年の大晦日もおせち料理を食べに押し掛けても大丈夫?」…と、 ゼン君のパパは 「もちろん、料理を作るのはボクの生き甲斐だし、みなさんも来て下さいよ」と 一緒のテーブルにいた仲間にも声をかけて嬉しそうに応えてくれました。 まー大晦日に、こんな事で訪問するのは我が家ぐらだと思いますが(^_^;)

ゼン君のママの闘病生活や最期の話なども淡々と話したゼン君のパパ。 かなり立ち直ってきたようで、愛用の自動二輪に加え250ccのバイクも購入しました。 その保険の手続きもあって、解散後にご自宅に伺うことになりました。

保険の手続きをして、コーヒーを入れて頂だいて雑談をしているうちに… 年金問題や参院選の話に、そして憲法問題へとうつり ついに「憲法9条はどうするか?」という核心部分へと迫っていきました。

ゼン君のパパはつねづね「日本人はちゃんとした議論が出来ない!」と嘆いています。 また「議論をして負けたことが無い!」というのです。

ゼン君のパパは昔は生え抜きの左翼運動家だったのですが、それから紆余曲折があって とても勉強し(もともと学者ですから)、また多くの若い学生や問題児と接して 「日本は軍隊を、そして核の数発ぐらい持つべきだ」という確固たる信念に至ったというのです。

でも私は、たった今もこのようなブログを書き上げています(^_^;) すなわち、意見がまっこうから分かれるのです。

でも、こうなったら「その通りですね!」とは私も言えません。 したがって、けっきょく時計を見たら午前様になるまで議論をしていました。 もちろん穏やかに 「もう、お前に喰わせる、おせち料理などナイ!」と怒らしたオシマイです(^_^;) でも、ゼン君のパパはひさびさに議論が出来て楽しかったようで 今度もまた来て欲しいと言って、外まで見送ってもらい、お土産まで頂きました(^_^)

なにしろ、ゼン君のパパには元気になって貰わなくては!

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2007年06月04日176号 千の風になって

ゼン君のママが亡くなりました、58歳でした。 ゼン君はヒロコと保育園を6年間過ごしたクラス・メイト?ですが… 幼かった本人たちより、親同士の方がクラス・メイトのようになっているのです。

ゼン君のママは【週間KEN】の創刊以来の愛読者で毎週月曜日を楽しみにして頂だき 会うとココでの話題をテーマに盛り上がったものです。

ちょうど1年前、【週間KEN】でワールドカップのドイツに行くとはしゃいでいたら、 さっそくゼン君のママからメールを頂き、彼女も5月の連休を利用してブダペスト・ウィーン・チェコを 旅行してきたばかりとのことで、ドイツの道路事情も教えてもらいました。 そして『クロアチア戦しっかっり応援願います!』とはっぱをかけられました(^_^;)

そのブダベストで撮ったという彼女の写真がひまわりの花に 囲まれ飾られています。

ゼン君のママは、ひまわりの花のように…明るくて、包容力のあるパワフルな人でした。 ゼン君のパパもとてもユニークで個性的な人ですが喪主の挨拶でこう語りました。 「H子はとても聡明でスケールの大きい人で、私や息子達はその手のひらに乗っていました…」

昨年の9月に自動車保険の事で彼女と電話で話していて、 その話しの中で「ちょっと留守にしていたので…」と言うので、 私はまた旅行でも行ったのかと訊ねると、とてもあかるく 「すい臓がんで入院してたの」と答えたのです。

我が家は毎年大晦日にゼン君宅を訪問するのが恒例なのは週間KENでも触れました。 ゼン君のパパが作ったおせち料理を食べに行くのです(^_^;) 昨年の大晦日にお会いしたのが、結局最後になってしまいました。 こんなに早く…とは思いませんでした、 いや、気にはなっていても、なんだか様子を伺うのも怖かったのもたしかです。 太陽のように明るくて元気な彼女の弱った姿を見るのも…。

でも、お通夜も、その次の日の葬儀も…とても彼女らしい素晴らしいものでした。 仏式でもキリスト式でもない宗教色を一切排除して祭壇に花を添えるだけ。 流れる音楽は彼女が好きだったという美空ひばりや井上陽水。 ひばりの陽気な『東京キッド』の曲が流れる中、私は献花のために祭壇に向いました。 ひまわりに囲まれた明るく微笑む彼女の写真は今にも、おどけながら歌い出しそう…もうたまりません。

お通夜にはびっくりするほど多くの人達が次から次にやってきて献花の列は絶えません。 そして誰もがみんな涙をためていて、彼女の人徳がひしひしと伝わってきます。

翌日、お通夜に行けなかったヒロコと3人で葬儀にも出席しました。 昨夜に引き続き、同じ保育園仲間のダイ君とダイ君のママも来ていました。 ダイ君のパパはイラクで殺害された報道カメラマン橋田信介さんです。 ママもそれ以来テレビでも知られるようになりました。 とてもおとなしくて優しいダイ君はIT関係の仕事をしていたのですが やっぱり父親の意思を継ぐと決心して、先月からテレビ局で働いているそうです。 この数年間だけでも保育園仲間に思いもかけない事が襲ってくものだと語り合いました。

葬儀の最後に、彼女の棺をかこんで、みんなで『千の風になって』を歌いました。 学校の先生をやっているゼン君のパパの声も… 役者を目指していたゼン君の声も… 北大の学生でコーラスをやっているゼン君の弟のエイ君の声も… ひとりひとりの声が鮮明に聞こえてきます。 そして、みんな大きな声で歌いだし、涙をいっぱい溜めながらの大合唱です。 橋田信介さんの殺害がテレビで報道された時、毅然とた態度で涙ひとつ見せなかった ダイ君のママも、涙を流して歌っています。

亡くなった人が、残された人達に語りかけるこの歌は 死生観も宗教観も、ひっくり返すような素晴らしく衝撃的な歌です。 宗教色の無い葬儀で、そして何より…ゼン君のママにピッタリのこの歌が 「泣かないで下さい♪」なんて語りかけられたら、よけい泣けてきます。

ゼン君のママ、やすらかにお休み下さい… イヤそうではないのですね。

眠ってなんかいないのですね。 千の風となって、あの大きな空を吹きわたっているのですね。

よりパワーアップして!(^_^)

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2005年11月07日094号 保育園の同窓会

保育園の同窓会…と言っても、私の保育園時代の同窓会ではありません。 もっとも、私の時代には保育園というものが、なかったと思います。(多分) だいたい保育園生の同期が集まって数十年後に 「さくらんぼ組のN先生にはまいったよな」なんて話はあまり出来ないのです。 本人達にはほとんど記憶がないわけですから… 懐かしいのは親同士です。

11月3日(祭)にナオキ君のママのコンサートがありました。 ナオキ君は保育園時代から目立ったやんちゃでアイドル的存在でした。 その後は、バンドを作ったり、スキーで活躍したりして 早くも二児のパパになって今ではロコハウスのお得意様です。 ナオキ君の長男は保育園時代のナオキ君と、まったくソックリで混乱します(^_^)

ナオキ君のママの演奏は、もう昔からよく聴いていますが その素晴らしさは折り紙付きで、いつも楽しみにしているのですが…もう一つの楽しみが それに集まった保育園仲間のミニ同窓会となる帰りのレストランでの食事です。 でもこれには一つ問題があります、ナオキ君のママはコンサート関係者との 打ち上げがあるため、我々のミニ同窓会には参加出来ないことです。

で、今回は私たちが、その”打ち上げ”の方に急きょ、参加させて頂いたのです。 と言っても我々同窓会組は、私たち夫婦とゼン君のママ、それに マコ(真)ちゃんと1年下のハルカ(空)ちゃん、ひとよんで【真空パック】姉妹と そのママの合計6名です。

コンサート関係者も十名足らずで、予約していた小さなイタリアン・レストラン の椅子が足りそうもありません。 そうなると、こちらとしては恐縮して遠慮がちになってしまうのですが… テーブルをぎゅうぎゅうずめにして、乾杯のビールを飲めば もう、そんな遠慮はどこかに飛んでしまい、楽しいひと時です。 (YUKIはビールを飲まなくても何時も飛んでると申しておりますが…)

少々残念だったのは、いつも彼女の演奏会で素晴らしいピアノ演奏をする北条直彦氏と 一度でもお話が出来たらと思っていたのですが、それが出来なかった事です。 なんせ、私は隙間なく一列に並べられたテーブルの一番奥にいて身動きが出来ず、 同列の遠い位置に北条氏がいるのですから(^_^;)

イタリアン・レストランでの打ち上げは終わったのですが、 食べ盛り、飲み盛り?のマコちゃん・ハルカちゃん姉妹には、ものたりなりなかったのか 生田駅前(小田急線)の『居酒屋ふう』に行こうというのです。 そしてケータイでゼン君に来るようにメッセージを入れているのです。

この日、ヒロコは友人のホームパーティーに行っており、帰宅が遅くなります。 それならこっちで合流し、タクシーで帰ればという事になったのです。 すなわちコンサートに行った6人に、ゼン君とヒロコの2人がプラスされて 8人での3次会、いや同窓会です。

この店はゼン君のお気に入りだそうで、いろいろな飲み物や肴(さかな)を 私たちに説明して、手際よく注文をしてくれます。 マコちゃんともよく飲みに来て、もうすっかりお馴染みのようです。 ゼン君が「そうそう、ダイスケも呼ぼう!」と言う事になりました。 ダイスケ君のパパは昨年5月にイラクで亡くなった橋田信介氏です。 ダイスケ君もココがお気に入りでゼン君とよく来るそうですが あいにくにも海外での社員研修中だったようです。

最後にヒロコも加わって同窓生4人と、その親4人の半々になるわけすが こうなるともう、もうイニシャチブは完全に子供側です。 それにしても、この4人はよく飲み、よく食べます。 ヒロコも昼からビール、ワイン、日本酒、そしてウオッカまで飲んだので… とケータイでは言っていたのに、この居酒屋にお気に入りのベルギービールが ある事に感激してケロッとした顔でお変わりまでするのです。

でも、今や全員社会人、でもそれぞれが個性を持って逞しく育っているようで とても楽しみです。 今回は3家族でしたが、もっともっと多くの家族が集まると、面白いと思います。

3次会には出席できなかった…ナオキ君のママ […]