2009年08月17日291号 母の近況 その4

昨年1月3月今年2月に続いて…母の近況、第四弾!です。
第四弾と言っても、母は要介護5の認知症と全盲のままで相変らずです。
このような状況の87歳の母が回復する事はまずないので”相変らず”という事は良いことです。(^_^;)

母は昔から「悪いのは顔と頭だけ!」と冗談をいうぐらい健康自慢の人でしたので
今でも医者がビックリするほどアタマ以外は悪いところが無いようです。(^_^;)
6年前の8月に突然電気のスイッチが切られたように全盲になり、
自分から自由に動くことも出来ませんので、すべてに介護が必要な状況です。

私が『母の近況』を書くのは”介護施設・青葉の丘”にいる時です。
基本的には父が亡くなって痴呆が顕在化してきた8年半ほど前から妹の家で見て貰っているのですが、
”介護施設”に母がいる時ぐらいは(^_^;)長男である私が母を任されていているのです。
したがってこの期間はおのずと母との接点も増え週刊KENのテーマになりやすいというしだいです。

普段は妹家族のところに預けておいて…
「介護施設にいる期間は長男である私が任されている」なんて偉そうな事を言ったところで
私は母を介護施設に任せているだけです。(^_^;)
唯一と言って良い仕事は母の洗濯物を週に2・3回回収し、家で洗濯をし持って行くことですが、
これはYUKIが全て手洗いをしているのです(^_^;)
では私は何をしているのか?…というと
洗濯物の交換がてらYUKIと定期的に母の御機嫌伺いに出かけているだけなのです(^_^;)
    

今回は6月から3ヶ月ほどのステイですが
私もこの介護施設に慣れてきてYUKIから
「KENもいつからでもココに入れるわね」と言われるようになりました(^_^;)
初めは異様に感じていた周囲の認知症老人達の個性も見えてきて
簡単な会話や挨拶もするようになってきたのです。

認知症になるほど個性がムキ出しになるようです(^_^;)

土曜日(15日)の夕刻に私とYUKIで施設に行った時です。
母の姿が見えないのでよく探すと、めずらしくテレビの前のソファーに座っていました。
ソファの後ろ側にいる老人が母の頭を手で叩いて
「ここは私の座っている場所だからどけ!」と言っているようです。
もちろん母の意志でソコに座ることはありませんし、どけ!と言われても自分では動けません。
叩かれても、怒鳴られても、自分からは声を荒げる事はせず穏やかにしているのです。
ヘルパーさんに車椅子に移動してもらい空いてるテーブルを探しての母とのひと時ですが…
どうもココでのご老人たちは縄張り意識が強くて、3人で楽しく話しているとまた
「ここは私のテーブルだ!」と言った表情でどからともなくやってくるのですが…
そんな事を繰り返していくなかで私たちもコミニケーションを上手く取っていくのです。

妹に私に「母は判っているところは凄く判っていてドキッとする事がよくある」と言いますが
私もソレを感じる事はよくあります。
今回もテーブルを移して3人だけになると、さきほどのトラブルでの冗談を言ったりで…
大物ぶりを見せ付けてもらいました(^_^;)   

先日、母の妹(すなわち私の叔母)が見舞いに来た時も
もりあがりました(^_^;)     

2009年08月10日290号 ドクターは84歳

昨年6月から毎月欠かさず出席しているセミナーがあります。
アカラックスのセミナーではありません、
あそこのセミナーは欠かさず参加しようと思っているのですが主催者がキママで毎月開催しないのです。(^_^;)
でも、このセミナーに参加するようになったのは
アカラックスのオフィスでFPの内藤さんにお会いしたのがキッカケでしたが
ココまで熱心に参加するようになるとは自分でも思っていませんでした。

なんせ【日本の医療制度を守る市民の会】です(^_^;)
医療制度の大切さは判りますが、
守るべき制度は山ほどあり、すべてがお金が掛かるハナシで
何が何でも医療制度だけを守り抜いて欲しいとまでは個人的には思っていないのです。

でも主催者である内藤さんと早川さんという美女が魅力的なことことと(^_^;)
講師によって見方がガラッと変り「なかなか大変な世界なんだなー」と思いながら
岡目八目で毎月聞いていく内にけっこう興味深くなっていくものです。
それに何といってもセミナーの後の居酒屋での二次回は普段は敷居が高い偉いドクターや専門家の方たちと
身近に接することが出来き楽しいものです。

8月8日(土)
この日はいつもの定例セミナーでなく【特別企画第3弾!】というもので
いつもはウイークデイの午後6時30分からですが土曜日の2時から
休憩時間にビールとソーセージのサービス付きという企画です。
私は昨年6月の第4回から先月の第15回まで欠かさず参加していますが
昨年の8月の【特別企画第1弾】だけ欠席しています。
映画【Sicko】を見る企画で、すで にその映画は見ていたからです

ハナシが中断しますがココで私が参加した全セミナーを写真付きで紹介します。

2008年 6月17日 第 4回  
2008年 7月01日 第 5回  
2008年 8月02日 特別企画第1弾 欠席
2008年 9月17日 第 6回  
2008年10月15日 第 7回  
2008年11月18日 第 8回  
2008年12月13日 特別企画第2弾   
2009年 1月20日 第 9回  
2009年 2月26日 第10回  
2009年 3月24日 第11回  
2009年 4月24日 第12回  
2009年 5月23日 第13回  
2009年 6月23日 第14回  
2009年 7月24日 第15回  

今回はビール&ソーセージ付きにつられてYUKIも久々の参加でしたが…
内容は過去2回の映画鑑賞と違って、定例セミナーと変らない内容の濃いものでした
講師の岡嶋道夫先生は85歳!
定年後に専門の法医学とは関係ないドイツの医療事情について自ら翻訳し
しかもホームページを全て自分で作成し大変なボリュームで公開されておられるのです。
セミナーの後の二次回ではそんなハナシでも盛り上がりました(^_^;)
ほんとうにまだまだ熱い情熱を失わない、とてもチャーミングな先生で
私もYUKIも大ファンになってしまいました(^_^)       


★同セミナーの関連記事★
週刊KEN  ②  ブログ  

2009年08月03日289号 童謡コンサートの感動

私は昔から野球観戦に始まって、
あらゆるスポーツ観戦や音楽・芝居鑑賞や絵画や美術品を見に行くのが好きでした。
どんなジャンルでも、またレベルの優劣には関係なく
目の前で実物を見るのが何より面白いからです。

この趣味は保険代理店という仕事をしいると拍車が掛かっていきます(^_^;)
親しくしているお客様の仕事や趣味などの関連でイベントがけっこうあるからです。
もちろん、全てのイベントに参加する事は出来ませんが時間が許す限り
知識の無いジャンルのものでも積極的に参加するようにしているのです。
(そんな事でも無いと生涯触れるチャンスがないかもしれないからです)
私が楽しめて、お客様にも喜んで貰えるのですから、こんな良い事はありません(^_^)

6月の初め、いつも多摩市のガストで保険の更改手続きをするコイデさんから
彼女も古くからやっているという『多摩童謡友の会』8月31日開催のコンサート・チケット
奥様とご一緒にということで2枚頂きました。

このようなイベントは必ずカレンダーに書き込んで他のスケジュールをいれないようにするのですが…
よく見ると月末の金曜日! それも午後2時からとかなり厳しい時間なのです。
前日まで宮崎の義母が滞在していてYUKIの仕事も溜まっているようです。
「どうしよう!」と思ったところに、ちょうどコイデさんから電話が入り参加の確認です(^_^;)
ちょっと厳しい事を伝えると、とても落胆されてるようで、今さら行けないとは断言出来ず
なんとか努力すると言ってしまいました(^_^;)

当日3時までに三菱東京UFJ銀行での入金と、三井住友銀行に行かねばならないという
ことでしたが、コンサートが開催される京王線聖跡桜ケ丘のホールの目の前に2つの銀行が
あることがわかり、私が先に行ってYUKIは銀行が終わってから行くことにしました。

それでも私が会場に入場したのは開演から30分ほど経過していましたが
すでにホールは満席で通路に座って見るほどの大盛況で驚きました。

調度、コイデさんたちのコーラスの最初のステージが終ったところでしたが
小さな手回しのオルゴールのゆっくりした単純な旋律をマイクから流し
その曲に合わせてやがて会場が大合唱になっていくは感動ものでした。

また別のオルゴールでの曲名を会場の小さな子どもが元気よくこたえ
ステージに上がって会場と一体になっての歌と踊りの振りで盛り上がります

童謡「シャボン玉」は作詞の野口雨情が生後7日で亡くなった長女を思って書いた詞とは知りませんでした。
短かいこの詞を伴奏なしの美しいコーラスで聞くと涙が出てきました。

第一部が終わって後ろを振り向くとYUKIも来ていました。
最前列にも席が増設され第二部からは座る事が出来ました。

コイデさんの姿は直ぐに見つける事が出来ました、とても生き生きとして楽しそうです。   
男性コーラスのサブちゃんと呼ばれているリーダー格の男性は今年89歳で元気いっぱいです
アツというまにフィナーレでコイデさんもやっと客席の私を見つけてくれました(^_^;)
最後は地元(東京都多摩地区)の名曲「夕焼け小焼け」の会場とステージが手をつないでの
大合唱で、その感動的シーンをデジカメの動画機能で撮影していたのですが
私もムリヤリ両手をつながされ撮影を中断せざるを得ません(^_^;)

年齢や世代を超えて、これほど一体となれるコンサートが他にあるのか?
と思わせるほど私もYUKIも楽しむ事が出来ました。
青学時代コーラスをやっていた(らしい)YUKIも大いに歌ったようで、隣の関係者?から誘われ
ステージを終えたコイデさんから私は高齢化進む男性コーラスの補強?に誘われ…
感動を胸に急いで会場を後にしました。(^_^;)

2009年07月26日288号 宮崎の義母上京ハイライト

YUKIの母が久々にやってきました。
前回上京したのが4年前でヒロコが大学の卒業式に参加するためでした。
今回の目的は日本舞踊の藤間流師範をやっている義母が、
その家元である藤間勘右衛門(四代目・尾上松録)の会が国立劇場で開催され
それに参加するためです。
22日(水)~26日(日)までの義母との行動をハイライトします。
22日(水)羽田に到着!
87歳で昨年は転んで骨折し入院するなど肉体的衰えはあるものの一人で
その変り手荷物はナシで颯爽とやってきました。
口と頭はまだまだしっかりしていているようです。(^_^)
(デジカメの液晶が壊れていて急遽YUKIのケータイで撮影

23日(木)
私の母を見舞いに介護施設(青葉の丘)に!
義母と母は同じ大正11年(1922年)の3月生まれで87歳。
母は要介護5の認知症と失明、義母にはかなり差を付けられましたが(^_^;)
通じ合うものはあるようです。   

夕刻、バースデイ・ケーキを持って今日が誕生日のサカモッチのアカラックス
義母も一緒に行くことになりました。 
みんなでハッピーバスデー♪を歌って
坂本さんがマスクをとって思いっきりのローソクを吹き消しました
義母には最初はなんだか判らないで来たアカラックスでしたが楽しかったようです。

24日(金)
前日の介護施設にいる母の見舞いにも一緒だった私の妹のユミコの中尾宅に訪問しました。
宮崎土産のお菓子が宅急便でこの日に届いたからです。
1987年、ヒロコが5歳の時に我が家の3人と祖母で当時ダラスにいた中尾家に
10日近く滞在し義母も親しくしているからです。
今は我が家の近くの中野島(川崎市多摩区)のマンションに住んでいて、
そこをリフォームしたの興味のひとつでした(^_^;)  

25日(土)
ヒロコの母校であり、今はそこで講師業もしている
米テンプル大学の日本校(港区麻布)
この日、義母と一緒に行動予定のヒロコをピックアップ。
ちょっと中を覗いてみたいという義母の要望で、私も4年ぶりに校内へ
ヒロコが担当する生徒もちょうど来ていて父兄参観(^_^;)をちょっとさせてもらいました。  

歌謡曲に合わせ踊りの振り付けを創作するのも、
地方での踊りの師匠の収入源のようですが、義母はけっこう好きなようです(^_^;)
その義母が「アメリカ橋をどうしても見たい!」と言いました。
曲を聴いてのイメージだけで振り付けをしたのだが、ホンモノを見たいようで
恵比寿駅の山の手線上にかかる現物を見に行きました。        
因みに『アメリカ橋』は1979年の”狩人”の曲を私は連想したのですが
義母が振り付けをしたのは1998年の”山川豊”の曲で、お互い片方の曲は知りませんでした(^_^;)

もうひとつ義母が行きたいといったのが『アカサカ・サカス』でした。
私は良く知りませんでしたが宮崎のテレビで良く見るので興味があるというのです。
TBSのあったところが大きく変っているのはクルマでいつも見て知っていたのですが
ここまで変っているとは知りませんでした(^_^;)    

そして、義母のメイン・イベントの国立劇場に!
ヒロコの友人のクラウディアンナも大変興味があるという事でやってきました。
国立劇場を埋め尽くしたのは全国の藤間流の人たちで着物姿も多く独特の雰囲気で
私は途中で寝てしまったところもありますが、クラウディアンナはとても勘当し
義母にいろいろ質問していました(^_^;)    

26日(日)
昨年好評だったうどん作りが今年もありました。
義母はお疲れじゃないかと思いつつ
「一緒にうどん作りに行きますか」といういうと「行く!」というのです(^_^;)
というわけで一族郎党4名でうどん作りに参加して
美味しい”うどん”を食べてきました。        

2009年07月19日287号 どろんこKEN

これは畑の草取りをしてどろだらけになった私の写真ですが
撮影したのは7月18日土曜日です。
その一週間前にまったく同じカッコウで飯山で草取りをしたので
二週連続という事になりますが場所は違います。

我が家からクルマで50キロほどの神奈川県相模原市津久井町…宮ヶ瀬湖の付近です。
実は先月の6月20日にココに来て2回目の参加です。
【つくい在来大豆の栽培と味噌加工】という農業体験でYUKIが見つけたのです(^_^;)
エノちゃんのいる東大和での野菜つくりをワケあって辞めてしまったので
そのかわりとなるものを探していて、
獲った大豆で味噌まで作れるというのも面白そうなので決めたのです。

先月の第一回は3枚の畑に種まきをしました。
それから一ヶ月足らずで葉は生い茂り   
雑草の草取りがこの日の作業だったのです。 ⑤

朝9時集合という事で我が家を7時に出たのですが
東名高速の川崎インターに入った瞬間から思いもかけず大渋滞クルマが動きません
この日から夏休みなのと、週末高速道路どこまで行っても1000円の影響なのでしょうが
このままでは定刻はおろか、いつ到着するかわかりません。
次のインターの横浜青葉まで7.6キロに1時間近くかかってしまい、
そこから一般道におりて30分ぐらい遅刻して到着、最初から一般道を使っていたら
余裕をもって到着していた事になります(^_^;)
余談ですが高速道路の週末割引が始まって、遠くへ遠くへと足が伸びるため
この地域の観光客はメッキリ減ったようです。

さて、先週の飯山に続いての草取りです。
草取りというのは正直言って面白くてたまらないというものではありません(^_^;)
どちらかというとツライものです。
季節的にも暑い時にやるもので、慣れない者にとっては重労働でもあります。
でも飯山での稲作にしても、津久井町での大豆作りにしても、
我われが農作業をやるのはホンの数%で後は現地の人が細かく見守って頂だいているわけで
種を植えて収穫するだけで、「これはオレが作った!」などと偉そうな事は言えません。
草取りをチョットしたぐらいでも言えませんが(^_^;)

でもどうして私はこうもドロンコになるのでしょうか?
昨年の初めての田植えの時も
今年の田植えの補修作業でも
そして今回の草取りも
ま~私は子どもの頃から遊ぶとドロだらけになって母に叱られたものですが
63歳にもなってまだ直らないのは我ながら問題だと思います。
YUKIに言わせれば「デブのせい!」のヒトコトで断罪されますが(^_^;)
あながち否定もできません。

田んぼでも無い畑の草取りでこれだけドロだらけになったのは私だけのようですが、
狭いスペースで中腰になって草取りを長時間続けるのにはあまりにも辛く能率も上がりません。
高さがそこそこある草が生い茂っている状況においては
両膝と両腕を土につけて頭を低くして歩腹前進するような気持ちで
雑草をムシっていくと、かなり楽にまたスムーズに行くことを発見したのです。
しかし、そんな事をしてまで草取りをする大人は私だけだったようです(^_^;)

問題!.大豆の葉と雑草…どれが大豆の葉でしょうか?(正解は右上の丸みのある葉です)

2009年07月12日286号 平成21年7月12日は

昭和21年7月12日に産まれた私は
平成21年7月12日で私は63歳になりました。
昭和は63年で終わって平成21年だからそうなるのかな?と
算数の弱い私はボンヤリと考えますがよくわかりません(^_^;)
でもこの生年月日と63歳まで歩んできた者にとっては
平成21年7月12日はなんだか判らないけど感動があります。

でもついこの間、還暦になったと思っていたら、もう3年も経ってしまって
後一回り12年したら後期高齢者というわけで悔いの無い人生を送るしかありません(^_^;)

…というわけで今年も飯山(長野県)での稲作を!
そして田んぼの草取りと、その田んぼに舞うホタルを鑑賞に出かけました。

誕生日の前日、11日早朝我が家を出て午前10時30分飯山の森の家に到着
農作業スタイルに着替えて集合場所へ!
今回、ここで会うのが楽しみだったのはカサギさんです。  
カサギさんは4月30日にこの飯山での残雪のブナ原生林探索にYUKIと参加した4名中の一人で
名古屋から飯山に初めて来たというカサギさんに、ここでの稲作作りにも参加するよう薦めていたのです。
それから1ヶ月半後の6月15日の田植えの日、カサギさんに合うとなんとアレからこの飯山に
数回も訪れていているよいうのです。
そして、この稲作メンバーになったのはもとより、名古屋からココに引越計画中で
まったく農業をやった事が無いのに、ココで本格的に農業を学ぶというのです。(^_^;)
それから1ヶ月経過したカサギさんに、お会いする度に逞しくなってとても楽しそうです

集合場所にいつもの仲間が集まり    
まずはいつもの大ケヤキの下で腹ごしらえ、 
そしてわが田んぼで草取り開始!
田んぼに一歩、足を入れた瞬間にズブズブと長靴の上まで来てしまい
YUKIも もはだしでチャレンジ!
YUKIは足の親指を少し切るというアクシデントもありましたが、
やはりこれだけの人数が集まると、楽しくアッというまに作業が終了するものです。  

そして夕刻、まずいつものように湯滝温泉で一風呂あびて、
ホタル鑑賞の時は昨年同様に湯滝温泉の宴会場で美味しい料理とお酒飲んで(^_^;)
    
そこからバスで私たちの田んぼに向かいホタル鑑賞に!  
今年は昨年より気温が若干低いせいかホタルのピークがまだのようでしたが…
それでもそれでも感動的でまた来年を期待が楽しみです。
森の家で2次会も大いに盛り上がりあがり夜は更けていきました。
      

そして翌日12日、私の誕生日は…
4月30日に残雪のブナ林にチャレンジした時と同じインストラクター佐藤さんのガイドで夏にチャレンジ
前回はカサギさんなど男3人にYUKIが紅一点でしたが、
今回は女性5名に男性は私一人、やっぱり誕生日です(^_^;)
前回は見る事が出来なかった樹齢400年を越える森太郎・森姫に…      
雨が降っても森の中では雨脚をほとんど感じず、     
すれ違う人たちとの歓談も楽しいものです。
飲むことが出来るほどのキレイなせせらぎで昼食タイム。
佐藤さんは、この森にも原生するクロモジで作ったマイハシと愛妻弁当、
沢の水で我われのためにコーヒーまで入れてもらい、ほんとうにグッドガイです(^_^;)
何時間いても心地よい素晴らしい空間です。     
前回来た時は雪の下にあったとはおよそ思えない、
ジャングルのような道のりと光景でしたが、 
全員無事帰還(^_^;)  
みんなで記念撮影をして解散しました。  
ココでのメンバーと回を重ねる度に親しくなっていくのも嬉しいことです。

帰路によったあじさい寺にも感激!       

YUKIが飯山のタウン誌で見て是非行きたいと言っていたお蕎麦屋さん。
こんな所に、そんなお店があるの?と心配するような所でやっと発見!
ところが「もうおしまい!」と遠くから叫ばれたものの、「いい、いらっしゃい!」と言われ
店内に、とてもとても庶民的で、おそばはバツグンにおいしくて
イラスト通りのおばちゃん最高の面白くて…(^_^;)
ちょうど1年前にNHKの家族で乾杯に鶴瓶が来たそうで、
しばらくは大変繁盛したもののもうコリゴリのようです(^_^;)

そこから一路我が家へ
と、まーとても充実した誕生日を過ごさせて頂きました。

2009年07月05日285号 Sr.ナガモリ帰国報告会

大学時代からの親友、
永森がホンジュラスのシニア・ボランティアから帰国して3ヶ月。
その報告会が我がラテン・アメリカ研究会が馴染みにしている恵比寿のサムさんのお店で行われました。
メキシコ料理店でホンジュラスの報告会というのもチョットナンですが
同じラテン・アメリカ、しかも同じ中米ですから雰囲気は充分です。

集まったのは、もちろん拓大・ラテン・アメリカ研究会のOBたち18名、ま~いつものメンバーです。(^_^;)
私と同期は永森・阿達・中井の4名ですが、中井はOBの集まりにはン十年ぶりの出席で、
先日の永森を囲む横浜での同期の集まりに(八王子在住の)中井に私が声をかけなかったのを
恨まれてしまいましたが、ま~我われ世代は時間的余裕だけは出てきたということでしょう(^_^;)

永森のホンジュラス観光庁での2年間の仕事や生活(JICAシニア・ボランテァ)が
約1時間30分に渡って熱く語られました。    
永森は私と違って感情を内に秘め熱い思いをモクモクと実行するタイプなのです(^_^;)
したがって報告会も2年間のホンジュラスでの活動を時系列に淡々と語られていきます。
私は彼のブログ【Sr.ナガモリのホンジュラス便り】のプロデューサーでもあるので、
後半1年間のブログは毎日チェックしてきましたが、ブログも毎日毎日キッチリと報告されています。
1時間半の報告会で2年間の日々をキッチッリと報告するのも大変だろうなと思うのですが
たんたんと時間が過ぎていきます。(^_^;)
でも永森の熱い思いや、ホンジュラスがいかに楽しっかたかは、私には…
いや報告会を聞く仲間は、ラテンアメリカに何らかの係わりや興味を抱いてている仲間ですから
誰もが静かに永森の話を聞き入っていました。
ブログ・プロデューサーの私としたら細かい内容はブログに任せて頂き、
報告はザッと30分ぐらいで済ませ
後はブログで書けなかった裏話や質問形式にすればと思ったのですが(^_^;)
でも…永森らしいキッチリとした内容の詰まった報告会で、
これはこれで貴重な資料としてビデオに収めさせて頂きました。

二次回は同じ会場で…というか
ここはもともとメキシコ料理店で、開店前の夕刻の数時間を使わせてもらったわけで
これからが本番いや(^_^;)…これからも楽しいひとときです。  

一般のお客様も入ってサムさんのお店のオープンです。
なんと言ってもココで飲むテキーラが旨い
サウザ・ゴールドはストーレートでグイグイいけてしまいます(^_^;)
阿達の自家農園から持ってきたキュウリもmuy bien!
そこで店主サムさんの歌とギーターで懐かしいメキシコ音楽が演奏されれば
もう店内は大もりあがりです!   

このあと恵比寿駅前で気勢を上げて! (通りがかりのヒトが撮影)
そのまま近くの居酒屋に流れたのは、香港でもご一緒した石井先輩・木村先輩に桜庭先輩
それに同期の永森と中井。    
またそこで大いに飲んで大いに盛り上がったのですが
何をしゃっべたかほとんど覚えていません(^_^;) (永森が撮影)

P.S.
おりしも今、ホンジュラスはクーデター騒動のまっただ中です。
永森がブログでどのような事を書くのか私はとても興味があったのですが、
報道されている新聞記事をタンタンと集めそのまま掲載し続けています。
「おいおいもっと自分の意見や見解を書いてくれよ」…と思ったのですが、
毎日毎日、新聞記事をそっくり掲載するのも、後々の資料にもなるという…
永森らしい堅実なスタイルのようです(^_^;)

21世紀はラテン的生き方で!…というのが私の考えで
セニョール・ナガモリを、そのシンボルにというのが私の構想ですが、
ラテン的なノリには少々欠けるのがプロデューサーの悩みです(^_^;)

2009年06月29日284号 サカモッチの退院

サカモッチことアカラックスの坂本さんが退院しました。

退院しました…といきなり書いても入院した事を伝えていなければ何の事だか判らないと思います。
でも、入院した事を書くと心配する人もいるでしょうから退院してから書く事に決めていたのです。

もちろん坂本さんと親しい方はトックにしっているでしょうし、
知らない人にとってはどうでもいいことです。
しかし坂本さんは週刊KENのセミ・レギュラーであり、週刊KENの創刊いらいの愛読者ですから
彼の入院は触れないわけにはいきません(^_^;)

ことの始まりは5月29日(金)です。
YUKIと丸の内のTN社の支社に行ったついでに神田のアカラックスに顔を出すのはいつものパターンです。
夕刻ともなると誰かが来ていて酒盛りをやっている可能性が高いからです。
あんのじょう常連の白根さんが来ていましたが坂本さんの姿が見えません。
しばらくして坂本さんが戻ってきたのですが、
いつもの焼酎を飲むこともなく、なんとなく元気がありません。

「今日病院に行ったらハラダシ病じゃないかと言われてね」…
坂本さんが急にお腹を出してベリー・ダンスを踊りだしたとかいう病気ではなく(^_^;)
『原田氏病』という病気だそうです。
昨日アカラックスのトイレの白いタイルの一部が真っ黒に見えて左目が変だと気付き
翌日のこの日、近所の眼科医にで診てもらったら
順天堂大学病院で精密検査をするようにと言われたというのです。
眼科医で撮った左目のカラー写真で自慢そうに?(^_^;)見せて頂きました。
それから、いつもの石井さんも何も知らずやってきたわけですが、
ま~命には関係ない病気のようで
いつものようには盛り上がりませんでしたが、少々だけ盛り上がってこの日は終りまた。   

順天堂での検査の結果、3日(水)から入院でステロイド投入の治療です。

10日(水)ヒロコの都合もついたのでYUKIと3人で
御茶ノ水の順天堂大学病院にお見舞いにいく事にしました。
ここでもまた石井さんと偶然はちあわせしたこともあってか
アカラックスにいる時と同じような雰囲気で坂本さんも入院患者といった雰囲気はありません。
ただ、ステロイドを多用に投与しているため免疫力が低下しているので、
我われ来訪者と合う時はマスクをしなければならないようです。

病室(個室)の窓の鉄格子がなんとなく留置所のような雰囲気がありますが
高層ビルの大病院、飛び降り自殺をふせぐ意味もあるようです。
と…やっかんでもても
スタバーも入っているホテルのような都内の一流病院で個室とはさすが坂本さん(^_^;)

冷蔵庫もパソコンもあって神田からは徒歩圏内。
アカラックスの新越さんや下川さんが定期的にやってきて
石井さんや我われのような野次馬やお見舞いの人が頻繁に出入りして
アカラックスの臨時オフィスと思えば安いものかもしれません。
そんなことより、こうでもしなければマワリに迷惑です(^_^;)

でも毎日、一日中個室にいると時間はたっぷりあるようで…
そのために持ち込んだのが、なんとも坂本さんらしい本です(^_^;)  
また1日3回チョイス出来る食事も楽しみのようで入院生活をエンジョイしているようで
サカモッチ・ファンの我が家も一安心というところです。   

21日(日)退院。

26日(金)TN社の支社に行った帰り道、アカラックスへ
時間は午後7時ちょっと前、今までなら酒盛りに調度良い時間ですが
退院翌日からの勤務で一週間経過した金曜日、いなければいないでいいし
いてもスグにオイトマしようという気持ちです。
おそるおそるドアをソッと開けると、いつもの大きな丸テーブルにいつもの坂本さんが…。(^_^;)

一応マスクはしているようですが、まったく普段と変らず
こちらもいつものの調子で長居をしそうになりましたが、しばらくは8時閉店ということで…
平常営業へと始動しはじめたアカラックスを確認にし、帰路につきました。   

2009年06月22日283号 ひさびさに銀座で映画

ひさびさに銀座で映画をみました。
映画館で映画を見ること事態、2年前の『Sicko』以来ですが…
銀座で映画を見たの最後がいつだったかは昔すぎて思いだせません。(^_^;)

銀座と私の係わりについても以前に触れましたが、この界隈で 映画も数え切れないほど見てきました。
でも大きな映画館は日比谷や東銀座にあって、
銀座にあるの大きな映画館は京橋よりの『テアトル東京』ぐらいでした。
銀座の映画館という私のイメージは、並木通りにあった邦画の【並木座】や
和光の裏通りにあった『銀座文化』でした。

私が保険代理店を始めた頃、銀座和光と背中合わせで『ギャルリー・ル・コワン』という小さな画廊があり
バブルの全盛期にはサザビーズやクリスティーズといった世界的オークションで落札した絵画の
海上保険の契約を頂だいていました。
その画廊のハス向いに新しいシアターがオープンし、
それが『銀座文化』を建て替えた新しい映画館と知って時代の流れを感じたものですが、
それからすでに20年以上は経過したわけです(^_^;)

今回映画を見に行ったのは、その懐かしい『銀座文化』の跡地に建った『銀座シネスイッチ』というわけですが…
よく考えてみたら銀座で映画を見るのは30年ぶり以上という事になります。(^_^;)

6月19日金曜日。
YUKIが見たと言っていたフランス映画の『ベルサイユの子』です。
この映画館は金曜日は女性半額デイという事でヒロコも待ち合わせで行く事になりました。
考えてみたら私は何時でも映画は1000円で鑑賞出来る年齢(60歳以上)なので(YUKIも4月から)
いつでも良かったのですが…
この日が最終日の最終回でレディース・デイという事で女性 客でいっぱいです(^_^;)

たいした予備知識も興味もなくYUKI主導でいった映画でしたが
映画は大きなスクリーンの暗い映画館でじっくりと観るのとの思いはあるのです。

つまらない映画やドラマはだいたい最初の数分で判定がつくものです。
くどくどした説明や言い回し、テンポのない作品は最後まで同じです。

この映画はくどくどした説明どころか、何のまえぶれも説明もなく登場人物が出てきますが
少ないカットのアップ映像と、少ないセリフだけでもぐんぐんとスクリーンに引き込まれていきます。

若い母親ニーナと5歳の息子エンゾ。
ニーナは職につけづエンゾとの放浪の果て
ベルサイユ宮殿のはずれの小屋でホームレスとして生活するダミアンに出会い
一夜を共にしたニーナはエンゾを残し姿を消します。
残されたエンゾとダミアンの生活。
介護師として自立したニーナは息子エンゾに合うために向った小屋は全焼しゆくえを見失います。
ダミアンはエンゾをつれて確執のある父親と若い配偶者がいる実家に。
エンゾはダミアンの実子として申請し、エンゾはダミアンの実家で父親夫婦の元で暮らすことに。
少年に成長したエンゾと母親のニーナとの出会い…。
そこで映画は終ります。

複雑な人間関係も…ムダを一切そぎ落とし観客の想像力でだけでも充分に伝える
俳優の演技力と優れた演出力は見事なもので
あっけないと思われるラスト・シーンも見る人によっていろいろな事を考えてしまうことでしょう。
登場するすべての人が、それぞれ自立しながら優しい心根をもっていて
しかも現代社会に対する鋭いメッセージをもった秀作でした。

この映画の終了後、同じ劇場での入れ替えで、
クリント・イーストウッドの『グラン・トリノ』も最終日という事で観ようという作戦だったのです。
しかし前もって切符を買っていなかったため”立ち見”になるとの事であきらめました。
でも『ベルサイユの子』の余韻を味わうにはコレでよかったと思います。
せっかく銀座まで来たのだからという事で
ヒロコご推薦のインド・カレー屋さんに行って
しばらく映画談義に花をさかせました。    

2009年06月15日282号 長靴を履いたKEN

6月6日(土)7日(日)と飯山で今年も田植えをしてきました。
本来なら先週の【6月8日号】でお伝えすべきなのですが…
日曜日の帰宅が遅くなった場合は、
その日の模様を月曜未明(すなわち日曜日の就寝前)にアップするのは厳しいのです。

ま~簡単な日記やブログ程度の短かい文章だけなら書くことも出来ますが
私自身も一週間に1回のコラムを書く事が楽しみであることと
よせばいいのに写真をけっこうたくさん撮っていて
それを選んで画素数を落として写真をアップするのも、それなりに時間がかかるのです(^_^;)
それに週3回のブログとも日曜の夜は重なって大変なのです。
大変なのです…と言っても誰に強要されているわけでなく私が勝手に書いていることで
当然YUKIからも同情される事もありません(^_^;)

てなわけで一週間遅れで飯山での田植えの模様をお伝えしようと思うのですが…
ブログの方で3回連続で…
私が飯山に魅かれる理由
私が飯山に魅かれる理由~その2
私が飯山に魅かれる理由~その3
を書いてしまいました。

今回で5回目の訪問になる飯山ですが、とんでもないドジをしてしまいました。

いつもの事ですが前日は1時間ほどの睡眠で6日土曜日は午前5時に起床し出発の準備をしました。
雨が降る中、クルマに荷物を積んだり、ゴミを捨てにいったり
我が家とクルマの間を何度か慌しく往復したあと、出発しました。

飯山の森の家に到着し、靴を脱ごうとした時、私は思わず声を上げてしまいました!
「靴が片方違ってる!」…と(^_^;)
我が家を出る前に、寝ぼけたアタマで何度かクルマと家を往復し、
薄暗い玄関で靴を履き違えてしまったようです。
とりあえずは、田植えですから持参した長靴があればどうにかなります(^_^;)
でも、それ以外代わりの靴はありません。

田植えが終れば、夕方からバスで温泉に行って汗と汚れを落として、
それから村の集会場で、村の人たちとの交流会の宴があります。
そこでは当然、靴を脱がなくてはなりませんが、長靴のままでいくしかありません。

実は昨年、私はこの集会場での交流会で、これまた靴に係わるドジをしているのです。

宴が終るとバスで宿まで帰るのですが、最後の一人が中々バスに戻ってきません。
やがて係員がバスに乗り込んで来て、我われバスの乗員に向かってこういいました。
「みなさま、今履かれている靴をご確認下さい、ご自身の靴でしょうか?」
自分の足元を見ると、どうも自分の靴ではないようなのです(^_^;)
私は恐る恐る手を上げると、皆は大笑い、私は急いでバスを降りて集会場の入り口の下駄箱に
向かうと、私の靴はちゃんとそこに残されていました。
私は靴の持ち主に最敬礼をし、二人でバスに戻った時は大きな拍手に迎えられ
すっかり酔いが醒めてしまいました(^_^;)

そんなことがあって、また今回もとなると、私はまるでバカのように思われます。
YUKIはとっくに「まるでバカ!」と言っていますし、
こんな事をココで書いてしっまったら…やっぱりバカですね(^_^;)

なにしろ、この時点で私の少ない脳みそで考えたのは
さりげなく長靴を履いてやり過ごすということです。

ズボンの裾をおろしてしまえば長靴はそれほど目立たないものですが、
団体行動で脱いだり履いたりする時はけっこう大変ですし
下駄箱におくととても目だってしまうのです(^_^;)

定宿の森の家は宿泊のロッジとメインのターミナル・ハウスとは
パソコンの無線ランの関係上からも何度も行き来をする事になるのですが
そのたびに靴をイヤ長靴を脱いだり履いたりしなければならないのです(^_^;)

田んぼでの農作業で長靴もどろだらけになってフル活動し
朝夕は長靴をツッカケ代わりにフル活動し…
まる2日間、こんなに長靴を履いたのは当然、初めての経験でした。(^_^:)

※今回の飯山での写真集です