2011年06月13日 第386号 カケル君とワタル君

5歳のカケル君と2歳のワタル君は兄弟で、私の姪マキの子どもです。 この二人の子どもを訳あって2日間、私とYUKIで面倒を見る事になりました(^_^;) とは言っても二人だけで見るのではなく、 兄弟のおばあちゃん、でマキの母親で、私の妹であるユミコと一緒という事で YUKIも安心して引き受けたしだいです。 私は昔から小さな子どもと遊ぶの好きで、けっこう慣れてはいるのですが、YUKIは戸惑いと緊張があったようです。

天気が良ければ公園で思いっきり遊ぼうと思っていたのですが、あいにくの天気。 ① ② ③ 子どもたちのリクエストもあって東急・宮崎台の電車とバスの博物館へ。 私はもちろん初めてですが “彼ら” はもう何度かここに来ており、 園内に入った時からテンションが上がり、駆け足でお気に入りの乗り物をめざします。 とは言っても遊園地ではなく博物館ですから、乗り物が動くわけではないのですが

本物の電車やバスや飛行機で色々な仕掛けがしてあって、たのしく模擬運転が楽しめるのです。 ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨ ⑩ ⑪

お昼は宮崎台駅前のケンタッキーで、① ② カケル君はカーネル・サンダースの人形がなぜかとても怖がっていました(^_^;)

昼食後もエネルギーは全開!これではユミコ一人で二人の孫を見るのは大変な事がわかりました。

宮崎台の駅前には私の友人でお客様のケーキ屋さんショコラベアがあるので そこでケーキを購入。 ① ② ③ クルマに乗るなりカケ・ワタ兄弟はバタンキュー、 でも家につくと、元気になってケーキを食べて、それから部屋で野球をやゲームをやって 私もYUKIもクタクタになりました。

2日目も雨。 昨日の野球やゲームがオモシロかったのか?二人は家で遊びたいというのです。① ② 野球といっても柔らかいボールとバットで打つだけですかカケル君のバッティングは大したもので、

ボールを拾いにいくだけで私は疲れてしまいました。 写真を撮る余裕もありませんでした(^_^;)

そして極めつけはチャンバラごっこ、① ② ③ ④ ⑤  そして動画です(^_^;) もう二人は汗だくになって紙の刀がグニャグニャになるまでかかってくるのです(^_^;)

弟のワタル君がドアに手をはさんで泣いてしまい、  そのまま寝てしまい。

お兄ちゃんのカケル君も食事が終わったら、そのまま寝てしまいました(^_^;)

そうそう何で、二人を見る事になったのか? 実はこの日、母親のマキがこれまで住んでいた “福島” から、 日立市の引越しをしなければならないため、子どもだけを2日間預かる事になったのです。

実はマキは妻であり二児の母なのに、これまで福島医大の大学生で今年卒業したばかりだったのです。 そして母校の福島医大でインターンをすることになっていて 夫のコウジ君も東大病院の勤務医だったのですが少しでも福島に近いところという事で 日立市総合病院に春から勤務する事になっていたのです。 ところが、あの大震災と原発事故です! 原発事故の数日後、父親のコウジ君が取った行動にはビックリでした。 東京の駒込の自宅から、なんと自転車でまる1日、300キロ近い道のりを走り続け 妻子のいる福島市に到着、そこから休む間もなく(仕事があるので)マキのクルマに妻子を乗せて

運転して東京までつれて帰ったのです。 コウジ君もマキも国境無き医師団を目指すような熱血漢ですが 小さな子どもには少しでも良い環境に置いておきたいという親心があったのでしょう。 けっきょくマキは子どもたちのためにも福島医大のインターンは今年は見送って 日立市で結婚して初めて専業主婦に専念できるという事になったわけです。 “福島” の幼稚園から、先日まで2ヶ月ほど駒込の幼稚園に行っていたカケ君・ワタ君。 『福島から避難してきたお友達』という事でみんなに暖かく迎えられ、 ここに来る前日にはみんなに暖かく見送られて、おばあちゃんのお家に来たようです。(^_^;) なにはともあれ、とりあえずはメデタシメデタシというところでしょうか。

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2009年12月28日310号 年末2大行事も終わって…

何末恒例の2大行事も終わって、あと僅かで新年になりますが… まだ年賀状はまったく出来上がっておらず、これからです(^_^;) それにしても1年が経過するのは早いものです。

年末恒例行事のひとつは、ホーム・クリスマス会です… といっても主催は妹のナカオ家で、我が家はケーキを持ってただオヨバレにいくだけです(^_^;) 私や妹が子どもの頃からクリスマスはけっこう盛大にやっていたのです。 クリスチャンでもないのに(^_^;) その伝統を妹とその亭主、そしてその娘たちも引き継いでくれているのです。

この日のメンバーは 妹のユミコにその亭主ススム君、 その長女でロイター通信のカメラマンをやっているユリ、 次女のマキは二児の母にして医大の5年生で、その亭主で勤務医のコウジ君。 そして長男のカリフォルニアの大学院で環境汚染を研究中のシュンと フィアンセで大手損保(TN社のライバル)に勤務するナオコちゃん。① ナカオ家とは古い付きあいで私も懇意にしているカワイさん。 それに28日からまたしばらく介護施設に行く私の母と、 我が家の3人 …総勢14名! シュンとナオコちゃんはシュンの大学時代のOB会で中座しましたが… 今年も大いに盛り上がりました(^_^;) ① ② ③ ④ ⑤ ⑥

●●● 次の年末恒例行事は先週号でも紹介したクラシック・ハートコンサートです。 結局、身内以外で有料参加してくれたのは先週号でも書いた 今回で連続3回になるマルさん一人だけでした(^_^;) あとはYUKIと私、それにホームページ担当の”うるめ”さんと ① ②  ビデオ撮影担当のヒロコとその助手としてヒロコの生徒でもあるキャメロン君が 私のテーブルにした。

演奏はマリンバとピアノ… ① ② ③ ④ それにテノールとバリトンの声楽デュオです。 ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ 両方とも若々しさと繊細な技術も感じられとても楽しく聞くことが出来ました。① ② 余興としてプロのピアノを披露したことから、この会でもファンが増え 恒例となった田島敦子さんの演奏は、今年も素晴らしいものでした。 ① ② ③ ④ 会長ノブさんの友人のウメザワ弁護士のバイオリン演奏の飛び入りも中々でした(^_^;) ① ② 毎年、最後に全員で合唱する”第九”… ① ② ③ そして今年は誰も知っている”ふるさと”の大合唱で終ったのも感動的でした。 ① ②

いつも料理がイマイチでしたが(^_^;) 今回はホテル・ニューオータニの総料理長が挨拶し、 同じ予算でしたがコレまでよりはグッとグレードアップしていました。 ① ② ③ ④

大御所の熊切さんの挨拶も ① ② 私も大変お世話になっている妹尾社長の挨拶も… ① ② 今年はいつも以上に感激でした! マルさんの友情には頭が下がります。

今回、初参加のキャメロンはとても真面目な生徒で、力持ちで、 日本が大好きで、とても好感がもてるガイジンでした! ① ② ③ ④ ⑤

皆さまホントにありがとうございました! 良いお年を!そして来年もよろしくお願い申し上げます。

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2009年11月16日304号 ディズニーランド

先週の10(火)11日(水)とディズニーランドに行ってきました(^_^;)

もちろん浦安にある東京ディズニーランドです。 我が家からクルマで50キロほどで一泊する必要はないのですが どうせ行くのなら充分に楽しもうということで、舞浜のホテル・オークラに1泊する事になりました。 …と言ってもソノ費用は私の母が持つそうです。 …と言っても母は要介護5の認知症でディズニーランドどころではありません。 母の面倒を見ている私の妹(長女)のユミコが母の年金から費用を捻出して楽しもうという企画です。 参加したのは他に茨城在住の妹(次女)のジュンコ、そしてもちろんYUKIとヒロコの総勢5名です。 スポンサーの母はその間、介護施設でゆっくり静養いただきます(^_^;)

そもそも、この企画は歴史があって母が元気な頃から母と妹2人で何度か楽しんでいたようで 私も1度だけ参加したことがあります。 ようするに”角倉家”は根っからのディズニーファンだったのです。

ソノ先頭には私が立っていたのかもしれません。 幼いの頃に見たバンビやピノキオや白雪姫の感激は今でも鮮明に残っています。 小学生の頃、ミッキーやドナルドの短編アニメの美しさと動きに目を輝かしたものです。 私が12歳の頃から10年間(1958年~1986年)日本テレビでプロレス中継と交互に放映していた 【ディズニーランド】は家族で楽しみに見たものです。 番組冒頭にウォルト・ディズニー本人が登場し 1955年オープンしたばかりの【冒険の国】【おとぎの国】【未来の国】から成り立つディズニーランドを紹介し、 ティンカーベルが舞い降り妖精の粉が降り掛け 「今回は○○の国からお送りします!」…というのに胸躍らされたものです。

7歳年下と10歳年下の二人の妹へのクリスマス・プレゼントはディズニーの絵本や 今でいうディズニー・グッズ。 ディズニーの映画に連れていった事も何度もあります。 そして「新婚旅行はディズニー・ランドに行く」と10代から決めていて(^_^;) 1981年YUKIとの新婚旅行はもちろんカリフォルニアのディズニー・ランドでした。 ① ② ③ 1984年、ヒロコが2歳の時にロス・オリンピック観戦とでディズニーランドへ。 ① ② 1988年大晦日はディズニー・ランドでカウント・ダウン1989年元旦を迎え… ① ② 帰国したら昭和から平成になっていました(^_^;)

もちろんヒロコにもディズニーの絵本全集を買い揃え、 その中からヒロコが選んだ絵本を就寝前に読み聞かせるのが私の日課でした。

1983年には東京ディズニーランドが誕生していたのですが ”アメリカにあるからディズニーランド”というコダワリがあったのですが… それも時間の問題でした(^_^;)

てなわけで… ヒロコはもちろん、かなりのオバサンである私の妹二人がディズニーファンであるのも、 責任の一画は私にある奇妙な5人の団体が成立しているのです(^_^;)

とは言っても私とYUKIがディズニーランドに行くのは十数年ぶりです。 どうせ行くなら、まだ行ったことがないディズニー・シーと思ったのですが、 ヒロコは友だちと、妹も二人で…昨年はそれぞれ1泊旅行で楽しんでいるのです。 昔は私がリードしていた”ディズニーの世界”も時代が変り、すっかりオノボリサン状態です(^_^;)

それにしても… どんどんパワーアップし拡大していくディズニーランドいやディズニーリゾートには圧倒されます。 全国の遊園地やテーマパークが衰退していく中でココだけが”ひとり勝ち”というのが良く判ります。

もう駐車場に入った瞬間から駐車場のお兄ちゃんの動作も顔もディズニーの世界です(^_^;) クルマから降りるファミリーの子どもはシンデレラの衣装、親はミッキーやグフィーの耳をつけて 足早にゲートに向かいます。 もちろん園内に入ればキャラクター(ぬいぐるみ)は勿論、アトラクションの案内役・店員・清掃係などなど すべてのスタッフが笑顔をたやさずお客をサポートするのはディズニーランドの特徴だと昔から思っていましたが… それが不自然でなく皆同じようなのが怖い気もします(^_^;)

しかし、これによって客も完全にディズニーの世界に没頭し催眠商法のようにディズニーグッヅが飛ぶように売れ それが子どもにも引き継がれ、りピートが繰り返されていくのです。

今は飯山(長野県)の里山での稲作に安らぎと憧れを感じるようになってしまった(^_^;)私には… 広大な敷地すべてが人工的に作られ完璧なまでにシステム化・マニュアル化された空間に 違和感を感じてはしまう年齢になってしまったのかもしれません。

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2009年07月26日288号 宮崎の義母上京ハイライト

YUKIの母が久々にやってきました。 前回上京したのが4年前でヒロコが大学の卒業式に参加するためでした。 今回の目的は日本舞踊の藤間流師範をやっている義母が、 その家元である藤間勘右衛門(四代目・尾上松録)の会が国立劇場で開催され それに参加するためです。 22日(水)~26日(日)までの義母との行動をハイライトします。 22日(水)羽田に到着! 87歳で昨年は転んで骨折し入院するなど肉体的衰えはあるものの一人で その変り手荷物はナシで颯爽とやってきました。 口と頭はまだまだしっかりしていているようです。(^_^) (デジカメの液晶が壊れていて急遽YUKIのケータイで撮影)

23日(木) 私の母を見舞いに介護施設(青葉の丘)に! 義母と母は同じ大正11年(1922年)の3月生まれで87歳。 母は要介護5の認知症と失明、義母にはかなり差を付けられましたが(^_^;) 通じ合うものはあるようです。 ① ② ③

夕刻、バースデイ・ケーキを持って今日が誕生日のサカモッチのアカラックスに 義母も一緒に行くことになりました。 ① みんなでハッピーバスデー♪を歌って 坂本さんがマスクをとって思いっきりのローソクを吹き消しました。 義母には最初はなんだか判らないで来たアカラックスでしたが楽しかったようです。

24日(金) 前日の介護施設にいる母の見舞いにも一緒だった私の妹のユミコの中尾宅に訪問しました。 宮崎土産のお菓子が宅急便でこの日に届いたからです。 1987年、ヒロコが5歳の時に我が家の3人と祖母で当時ダラスにいた中尾家に 10日近く滞在し義母も親しくしているからです。 今は我が家の近くの中野島(川崎市多摩区)のマンションに住んでいて、 そこをリフォームしたの興味のひとつでした(^_^;) ① ②

25日(土) ヒロコの母校であり、今はそこで講師業もしている 米テンプル大学の日本校(港区麻布)で この日、義母と一緒に行動予定のヒロコをピックアップ。 ちょっと中を覗いてみたいという義母の要望で、私も4年ぶりに校内へ… ヒロコが担当する生徒もちょうど来ていて父兄参観(^_^;)をちょっとさせてもらいました。① ② ③

歌謡曲に合わせ踊りの振り付けを創作するのも、 地方での踊りの師匠の収入源のようですが、義母はけっこう好きなようです(^_^;) その義母が「アメリカ橋をどうしても見たい!」と言いました。 曲を聴いてのイメージだけで振り付けをしたのだが、ホンモノを見たいようで 恵比寿駅の山の手線上にかかる現物を見に行きました。 ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ 因みに『アメリカ橋』は1979年の”狩人”の曲を私は連想したのですが 義母が振り付けをしたのは1998年の”山川豊”の曲で、お互い片方の曲は知りませんでした(^_^;)

もうひとつ義母が行きたいといったのが『アカサカ・サカス』でした。 私は良く知りませんでしたが宮崎のテレビで良く見るので興味があるというのです。 TBSのあったところが大きく変っているのはクルマでいつも見て知っていたのですが ここまで変っているとは知りませんでした(^_^;) ① ② ③ ④

そして、義母のメイン・イベントの国立劇場に! ヒロコの友人のクラウディアンナも大変興味があるという事でやってきました。 国立劇場を埋め尽くしたのは全国の藤間流の人たちで着物姿も多く独特の雰囲気で 私は途中で寝てしまったところもありますが、クラウディアンナはとても勘当し 義母にいろいろ質問していました(^_^;) ① ② ③ ④

26日(日) 昨年好評だったうどん作りが今年もありました。 義母はお疲れじゃないかと思いつつ 「一緒にうどん作りに行きますか」といういうと「行く!」というのです(^_^;) というわけで一族郎党4名でうどん作りに参加して […]

2008年12月15日256号 陽一郎にいちゃん

いつも陽一郎にいちゃんと呼んで、私が小学生の頃から親しくしてきた叔父がいます。 何で叔父なのに”兄ちゃん”かというと 私の母より10歳年下の長男で、甥っ子の私とは14歳しか違わず 叔父さんというには忍びなかったので(^_^;) いつも陽一郎にいちゃんと呼んでいたのです。

とは言っても小学生の私から見たら14歳年上は立派な大人である事はたしかです。 でも一応長男で(^_^;)7歳下と10歳下の妹がいる私にとっては 独身である時期には我が家に同居して寝食を共にした叔父とは 一緒に映画を見にいったり、男同士の楽しい思い出がたくさんあるのです。

英語が得意でカナダ航空に就職し、そこで職場結婚し子ども4人をもうけて 定年後は栃木県の黒磯に引越して、今は持病の療養生活を送っおられるます。

11月の終わりごろ、私の妹のユミコから 「12月11日に陽一郎叔父ちゃん(妹は叔父ちゃんと正確び呼びます)のお見舞いに 行こうと思っているのだけど空いてる?」と電話があったのです。 カレンダーを見ると12月はギッシリとスケジュールが詰まっているのですが 11日だけはポッカリ空いていたので、YUKIと一緒に参加する事にしました。

私の妹のユミコと2人の叔母(叔父の妹のミチコ叔母とキョウコ叔母)の3名は新幹線で、 私とYUKIはいつものようにクルマで東北自動車道で那須塩原駅前にある レストランに向かいました。

叔父は思ったより元気そうで、すぐに話しが盛りあがります。 ココに母がいたら4人の姉弟が揃うことになるのですが、 母は痴呆と失明で介護5の最高ランク(^_^;)ユミコの家と施設で交互に看てもらっている状況です。 でも母はとても元気で陽気な人で昔からの口癖だった「ワルイのはアタマとカオだけ!」を 地でいって身体そのものはまったく健康なようなのです(^_^;)

叔父はそんな10歳上の姉(私の母)を、とても大切に思いやって母のいるユミコ宅に電話をして ボケていても昔の話になると鮮明に覚えている母と、 昔話やその頃の唄を二人で合唱したりで… 横で聞いているユミコも感激するぐらい母も生き生きとしてくるのです。

叔父はそんな母と一番あいたかったようですが、母をココまで連れてくることも出来ず、 また叔父が母のところまで来れる健康状態でもないようです。 そんな叔父のためにユミコの長女でロイター通信のカメラマンをやっている ユリコが撮影製作した写真集をプレゼントをしました。 自分の身体も大変なのに、母のことを心から心配し、 母のことを話すと目頭を熱くして涙ぐむ叔父をみていると、  ① ② ③ 叔父の優しさにこちらまで涙が溢れます。

レストランでの歓談のあと ① ② ③ 叔父は点滴を受けるために国際医療福祉大学病院に行かねばならないので 皆でそこのティー・ルームでお茶を飲むことにしました。 ① ② そこでも大いにハナシが盛り上がり 叔父夫人のヨシコさんとも本当に久しぶりで、 楽しいひと時を過ごすことが出来、ここまっでやってきた甲斐があったと心からおもいました。

翌日の12日はアカラックスの今年最後のセミナーで 今回はライフネット生命の副社長をやっている野上さんが「5分に1回笑わせる!」と豪語する 二次会・三次会も含めて楽しみにしていたものです。 そろそろYUKIと出かけようと思った矢先、アカラックスの下川さんから電話がありました。 「昨日はお越しになると思っていたのですが、どうなされたのですか?」 「??」私は何のことだか判らなかったのですが、1日間違えてようです(^_^;) 「そんなことだと思って電話を差し上げてよかったですね、お出かけする前で…」

我が家のカレンダーにはアカラックス・セミナーの日にちが判ると真っ先に 書き込むようにしているのですが、その時点で間違えたようです。 でも間違っていたからこそ叔父とも久々に会えたわけだし… アカラックスや野上さんには大変失礼致しましたがm(_ _)m 楽天的な私はハッピーにそれで良かったと捉えています(^_^)

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2008年01月28日210号 母のこと

この週間KENにあまり登場することがなかった 私の母について書きたいと思います。

なにも隠していたわけではないのですが、書くチャンスがなっかたのです。 現在85歳で健在ですが… 4年半ほど前の夏の暑い日、突然目が見えなくなってしまいました。 それまでに痴呆が始まっていて、私の妹の家に同居していたのですが 昼間で明るいのに「暗くて何も見えないから電気をつけて」というのです。 結局、原因がよく判らないまま、その日から全盲になったのです。

でも幸い…と言おうか痴呆があるため”何かが見えている”ようで 自分が全盲になった事を認識しないでいるのです。 時々「暗くて見えない」というぐらいで本人はいたって陽気なのです。(^_^;)

まーこの”陽気さ”は角倉家の伝統のようで”救い”ではありますが…。 全盲になってから4年半、その前から入れると7年近く、 妹のユミコのマンションに母を預けぱなしにしている長男の私としては、ちょっと肩身が狭いのです。 ま~妹のユミコも角倉家の伝統を次いで陽気な方で、私としてもツイツイ頼ってしまうのです。

私より7歳下の妹ですがヒロコはそのユミコおばちゃんのことを ず~と私のお姉さんだと思っていたほど、私が云うのもなんですがシッカリしているのです。 あまりにもシッカリしていて「私なんかイモウト・コントロールで動いている」なんて冗談を言うほどです(^_^;) でも妹にも夫がいます、その夫すなわち義弟もとても陽気でとても良い人ですが、 全盲で痴呆の母と7年間も同居して貰っているのは…私としては大いに肩身が狭いのです。 2歳年下で大手商社に勤める義弟も今年60歳になります。

母はとても全盲で痴呆で要介護5の認定を受けていますが、 とても元気で陽気で食欲もあって、まだまだ長生きしそうです。

そこで26日の土曜日、私の家からクルマで15分ほどの介護施設にしばらく 母を預ける事にしたのです。 ユミコの次女が2人目の子供の出産を控えて、しばらく福島に行かなければならない事もあって 近くの介護施設なら私やYUKIも定期的に母を看に行くことが出来るからです。

母は痴呆もありますが、あるていどの状況判断も出来るようで油断はなりません。 でも陽気で楽天的に解釈する習性は変らないのが救いです。 ユミコの家の近くの介護施設でのシュート・ステイでも誰からも親しまれたようです。

当日、私とYUKIと妹のユミコそして土曜日で休日仕だったユミコの長女ユリコの4人が 付き添って、横浜市青葉区の介護施設に向かいました。

クルマの中でも、施設の手続き中も母は私たちをおおいに笑わせてくれます。 極めつけは、母にちょっと面接?をしたヘルパーとの会話です。

ヘルパー「角倉さん、お歳はお幾つですか?」 母    「……まー失礼ね、女性に歳を聞くなんて、あなたはお幾つなの?」 ヘルパー「エッ私の歳ですか、37歳です!」 母    「あら、それなら私の方が年上ね」

もう全員爆笑で終りました。(^_^;)

食事もなかなか豪華で、美味しそうに食べたようです。 ロイターに勤務しカメラマンでもあるユリコは大好きなおばあちゃんを撮り続けています。

これからはチョクチョク、私も母を看に行かねばなりませんが… それもまた楽しみでもあります。