2010年03月22日322号 Sr.永森たちと中華街

ラテ研ネタが二週続きます(^_^;)

20日土曜日、横浜の中華街で 約3ヶ月に渡る南米ぶらり一人旅から帰国した永森の帰国報告会を開催しました。

ま~帰国報告会と言っても中華街でやるくらいですから そんな難しい報告会をするのわけがありません(^_^;) 永森帰国を大義名分に仲間同士が集まって楽しく飲み食いしようという程度のものです。 実は昨年も永森が2年のJICAでのホンジュラス滞在を終えて帰国した時も 我々同期の集まりとラテ研主催での報告会の二本立てで、今回もその一回目です。

たしかに永森のホンジュラス滞在も南米ぶらり一人旅も、とても興味深い旅ではありますが、 我々の諸先輩や後輩達の多くは、もっともっとエキサイティングでダイナミックなラテンアメリカでの 生活や旅をされた方は数え切れないほどいる事もたしかです。 永森自身も「私だけが、こんなに報告会をさせて頂だいて…」と恐縮しきりです。

ただ永森が他の人たちと、ひとつ違っていたのはホンジュラスも南米一人旅も 毎日毎日ブログに写真と文章を載せて書き続けていたという事です。

これだけ見せ付けられれば…ま~見る見ないは自由ですけど(^_^;) 実際にはどんな旅だったのか?生の声でも聞いてみたくなるというものです。 てなわけで永森のブログの仕掛け人である私の功績も少なくないのですエッヘン!

さて、この日集まったのは総勢12名(内3名我が家)中華の丸テーブルにはピッタリの人員です。 前号で紹介した田中は、午後7時からマンションの臨時役員会が決まって参加が厳しい という事だったのを開催時間を午後3時に繰上げ無事参加。

アルゼンチンやチリでの現地で活躍されている先輩たちの話はとても興味深いものでした。 ブログには載っていない面白い話も、いくつかありました。 ① ② ③ ④ 約3ヶ月の旅で、使ったお金は往復の航空運賃を含めて全部で60万円だったそうです。 1ヶ月20万円です、日本で生活していても飲んだり食べたりは乗り物にのったり生活費は係ります。

永森は卒業と同時に旅行代理店に勤務し世界を歴訪、 定年後はホンジュラスの観光庁に2年間ボランティアとして働くなど…旅行業一筋の旅行のプロです。 しかし、これまでの仕事は目的地に安全に確実に到着させるのが仕事の多くだったともいえます。 今回の旅は、風の吹くまま気の向くまま、時間やスケジュールに縛られずの旅で これまで旅行のプロである永森が経験した事の無い旅だっとのです。 そうなればコストは激減するのです。 (我が家の場合はほとんどこのような旅ですが^_^;)

ただ、今回のような旅は永森だから出来たという側面もあるのです。 スペイン語が日常的にしゃべれるという事、 そして何より旅そのものの基本知識が豊富にあるという事です。

ようするにSr.永森が一緒なら誰でもこのような中南米の超格安の旅が楽しめるという事です。 彼の第二の人生のライフワークがボンヤリと浮かんできたように私は思っているのですが(^_^;)

会場となった横浜中華街・大新園はお嬢さんが拓大の卒業生でOB達もよく使う中華料理店。 美味しくてボリュームタップリの料理が次々に出てきて、ビールも老酒もたくさん飲んで 予算オーバーと思っていたら一人3900円、大大満足でありました(^_^;) ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨ ⑩ ⑪

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2009年10月05日298号 ラテ研の同期会&60周年

週刊KENでもすっかりお馴染みになってしまった(^_^;) 我が母校・拓殖大学のラテン・アメリカ研究会ですが 10月3日(土曜日)ラテ研創立60周年を向かえ全国・海外から 多くの仲間を向かえて盛大なパーティーが池袋のホテルで午後18時よりもようされました。

ラテ研のOB会総会は2年に1度。 それ以外にもいろいろな企画は行われて、この週刊KENでも触れていますが なんせ60周年イベントというわけで!(50周年は有りませんでしたが^_^;) とてもキアイが入っているのです(^_^;) というわけで我われ拓大67期卒業の仲間も福岡や金沢からやってきます。 その一週間ほどまえ、福岡の木下さん(旧姓寺田)から電話がありました。 「せっかくだからOB会の前に67期だけでも集まらない! 角倉君みんなに声かけてみてよ!」…私はふたつ返事で引受ました。

67期の32名(1名死亡・7名不明)で連絡がつく24名全員に電話で猛烈アテンドです。(^_^;) 「夕刻よりのOB会は出なくていいから同期会だけでも来い!」 …という私の強引な誘いに8名が同意、と言っても急なハナシで迷う友人を 一応参加者にみなして「○○も四国からやってくるんだから○○も来なくちゃ!」 てなぐわいで芋ずる式に行くかと思ったのですが(^_^;) 最終的には、どうしても都合がつかなとドタキャンも入って4名が追加参加で 総勢14名の同期が集まる事が出来ました! ① ②

会場は池袋東口駅前にある”貸しスペース”夕刻からはホテルの飲食が控えているし、 時間も2時~5時までで三々五々でゆったり持ち寄りで…という事にしました。 卒業いらい会っていない者も何人もいます。 卒業から何年経過したのか数えたら1969年卒業で丁度40年と気付いてビックリです。 これも何かの宿命だったのかもしれません。 YUKIはもちろんヒロコも参加してもらい大いに助かりました。

その模様を書き出すと、もう書ききれないので ヒロコが撮影・編集した5分弱の”Youtube”と 例によって私が撮影した写真をご覧下さい! ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨ ⑩ ⑪ ⑫ ⑬ ⑭ ⑮ ⑯ ⑰ ⑱ ⑲ ⑳ A B C D E  F G H I J K L M N O P Q R S T U V W X 追加 ① ② ③

そして、この日のメイン・イベントであるラテ研60周年記念祝賀会です。 67期は群を抜いての参加です! おなじみ瀬戸口会長(59期)の挨拶。 事務局の波形君(75期)には皆で感謝。 ラテ研ではなく、今は廃部になった移研(移住研究会)の桐井(同期)夫妻。 乾杯の音頭は先日80歳になられた大野先輩(50期)です。 ①

そして海外から チリから岸野先輩(59期) コロンビアから金野先輩(61期) パナマから工藤君(72期) フランスから加藤君(73期) アルゼンチンからの中務先輩(61期)のスピーチは圧巻でした! 次男の中務君(101期)はラテ研が廃部の危機にあるところを父親の強いミッションをうけて アルゼンチンから拓大に留学し見事、ラテ研を復活させた好青年です。 その中務君が伊予田さん(104期)との婚約を発表し会場は大いに盛り上がりました(^_^) そして香港から我らが同期、親友の小倉夫妻です。

YUKIもラテ研の香港旅行をはじめモロモロに夫婦同伴で出かけているので けっこう楽しくエンジョイをしてくれたようです。 ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧

私は大西君(70期)をまったく覚えていなかったのですが 私が阪急ブレーブスの熱烈ファンだったことを覚えていてくれて感激でした(^_^;)

なにが何でもと撮影した全員集合の写真です、私はどこにいるでしょう(^_^) 左側アップ  右側アップ

もちろん写真はたくさん撮影しました。 ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨ ⑩ ⑪ ⑫ ⑬ ⑭ ⑮ ⑯ ⑰ ⑱ ⑲ ⑳ 阿達撮影 ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨

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2009年07月05日285号 Sr.ナガモリ帰国報告会

大学時代からの親友、 永森がホンジュラスのシニア・ボランティアから帰国して3ヶ月。 その報告会が我がラテン・アメリカ研究会が馴染みにしている恵比寿のサムさんのお店で行われました。 メキシコ料理店でホンジュラスの報告会というのもチョットナンですが 同じラテン・アメリカ、しかも同じ中米ですから雰囲気は充分です。

集まったのは、もちろん拓大・ラテン・アメリカ研究会のOBたち18名、ま~いつものメンバーです。(^_^;) 私と同期は永森・阿達・中井の4名ですが、中井はOBの集まりにはン十年ぶりの出席で、 先日の永森を囲む横浜での同期の集まりに(八王子在住の)中井に私が声をかけなかったのを 恨まれてしまいましたが、ま~我われ世代は時間的余裕だけは出てきたということでしょう(^_^;)

永森のホンジュラス観光庁での2年間の仕事や生活(JICAシニア・ボランテァ)が 約1時間30分に渡って熱く語られました。 ① ② ③ ④ 永森は私と違って感情を内に秘め熱い思いをモクモクと実行するタイプなのです(^_^;) したがって報告会も2年間のホンジュラスでの活動を時系列に淡々と語られていきます。 私は彼のブログ【Sr.ナガモリのホンジュラス便り】のプロデューサーでもあるので、 後半1年間のブログは毎日チェックしてきましたが、ブログも毎日毎日キッチリと報告されています。 1時間半の報告会で2年間の日々をキッチッリと報告するのも大変だろうなと思うのですが たんたんと時間が過ぎていきます。(^_^;) でも永森の熱い思いや、ホンジュラスがいかに楽しっかたかは、私には… いや報告会を聞く仲間は、ラテンアメリカに何らかの係わりや興味を抱いてている仲間ですから 誰もが静かに永森の話を聞き入っていました。 ブログ・プロデューサーの私としたら細かい内容はブログに任せて頂き、 報告はザッと30分ぐらいで済ませ 後はブログで書けなかった裏話や質問形式にすればと思ったのですが(^_^;) でも…永森らしいキッチリとした内容の詰まった報告会で、 これはこれで貴重な資料としてビデオに収めさせて頂きました。

二次回は同じ会場で…というか ここはもともとメキシコ料理店で、開店前の夕刻の数時間を使わせてもらったわけで これからが本番いや(^_^;)…これからも楽しいひとときです。 ① ②

一般のお客様も入ってサムさんのお店のオープンです。 なんと言ってもココで飲むテキーラが旨い! サウザ・ゴールドはストーレートでグイグイいけてしまいます(^_^;) 阿達の自家農園から持ってきたキュウリもmuy bien! そこで店主サムさんの歌とギーターで懐かしいメキシコ音楽が演奏されれば もう店内は大もりあがりです! ① ② ③

このあと恵比寿駅前で気勢を上げて! (通りがかりのヒトが撮影) そのまま近くの居酒屋に流れたのは、香港でもご一緒した石井先輩・木村先輩に桜庭先輩 それに同期の永森と中井。 ① ② ③ ④ またそこで大いに飲んで大いに盛り上がったのですが 何をしゃっべたかほとんど覚えていません(^_^;) (永森が撮影)

P.S. おりしも今、ホンジュラスはクーデター騒動のまっただ中です。 永森がブログでどのような事を書くのか私はとても興味があったのですが、 報道されている新聞記事をタンタンと集めそのまま掲載し続けています。 「おいおいもっと自分の意見や見解を書いてくれよ」…と思ったのですが、 毎日毎日、新聞記事をそっくり掲載するのも、後々の資料にもなるという… 永森らしい堅実なスタイルのようです(^_^;)

21世紀はラテン的生き方で!…というのが私の考えで セニョール・ナガモリを、そのシンボルにというのが私の構想ですが、 ラテン的なノリには少々欠けるのがプロデューサーの悩みです(^_^;)

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2008年05月19日226号 山陰・九州・四国の旅

調度一週間前の12日未明に例によってクルマで出発! そして先ほど…19日2:30AM無事帰ってきました。 この旅の走行距離は思ったより少なく、3188キロでした(^_^;)

何の旅かというと、ちょっと複雑です。 北海道・九州・沖縄以外は全国どこえでもYUKIとクルマで出かけました。 YUKIの故郷の宮崎にもクルマで行こうという考えは以前からありました。 どうせ行くのなら道中を楽しみながら行こうという考えもありました。 そう言えばヒロコも2年前に運転免許を取ってすぐにドイツのアウトバーンを 走ったり、昨年はスペインで長時間運転したけれど 国内ではほとんど運転していない事に気がつきました。 そこで、ヒロコも参加して交代で運転していけば 私も楽だし経済的という事で満場一致?で決まったのです。

★12日(月曜日)…我が家→鳥取→島根泊 何しろ我が家が旅をする時はギリギリまでバタバタするです。 出発予定は21時頃だったのが1時過ぎ、それから郵便局にいったり… 朝8時には中国自動車道の『作用』を出て給油。 9時【鳥取市内】へ 朝食は2年前にMさん夫妻にご馳走になった【漁港そば】の海鮮食堂に行ったのですが 開店前準備中で結局、いつものガストへ(^_^;) 日本海を背にして立っている碑に近づくと北島三郎のド演歌が! それにしても日本海は美しい! そしてMさんと2年ぶりの対面をする事が出来ました(^_^;)

【白兎海岸】を経由して  ①  島根県【松江市】へ。 松江の町を探索し、そばを食べて、小泉八雲の記念館や 松江城の天守閣まで昇ったり、美しい景色を堪能しました。 そして最初の宿は島根県大田市の外れにある YUKIがネットで探し出した公営宿舎を改良したという格安の宿、 ところが、とても素敵なレストランになっていて ワインもボトルでとってご満悦 部屋に戻ると死んだように寝てしまったようです(^_^;)

★13日(火曜日)…島根→山口→福岡泊 公営宿舎がシャレたバリ風リゾートに変身した宿を後にして、  ① 世界遺産の登録された【石見銀山跡】に この日は早く出発して半日はここで過ごすつもりが 私もヒロコも仕事の電話ラッシュで結局で最低3時間は必要という ”銀山跡”のコースは割愛して街並を探索。 ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ 保険の事故報告が同時に2件も入って、それをFAXするためコンビニへ。 そして【津和野】へ。 ① ② ③ ④ ⑤ 次は当然【萩】ですが、日没ギリギリで吉田松陰の生誕の地。 松蔭になった気分で「日本の夜明けは近い!」との一枚ですが日没でした(^_^;) そして次の宿泊地の福岡へ。

★14日(水曜日)…福岡→宮崎泊 普段はけっこうヒマなのに、なぜか忙しく またホテルのチェック・アウトは遅くなるばかりです。 この日は今回の旅の目的地の宮崎に入ります。 途中の霧島サービスSの地鶏の焼き鳥はとても美味でした。 今年86歳の義母(YUKIの母)は相変らずとても元気で パソコンの操作方法も熱心にメモをとっていました。 我が家で使わなくなったDVDレコーダーの設置。 宮崎の宿はシーガイアにあるコンドミニアムで格安(^_^;)義母は見物に。

★15日(木曜日)…宮崎泊 ひさびさに、ゆったりとした朝を向かえてビュッフェでくつろぐ。 そしてヒロコの運転するクルマで […]

2008年02月25日214号 追悼・町田孝雄

町田孝雄が亡くなりました。 61歳でした。 私と同年齢、彼もまた拓殖大学ラテン・アメリカ研究会の仲間でした。

週間KENを書き出して丸4年、拓殖大学ラテン・アメリカ研究会はココ数週に限らず 何度か題材にしてきましたが、町田が登場するのは初めてです。

私はありがたい事に保険代理店という仕事をしていますので 昔の仕事仲間や同級生から親戚まで多くの知人と会うチャンスがあります。 同業者の中には絶対に知人や親戚はお客様にしない! なんてポリシーを持っている人も少なくないのですが私には良く判りません。

扱っている保険商品が悪い物だったり、押し売りをするならともかく 向こうから入ってくれるというものを断る理由は無いと思うのです。 懇意な保険屋が居る事はマイナスでは無いはずです(^_^;)

てな事もあってナンやカヤと私はロコハウスの契約者に限らず、 いろいろな昔の仲間の消息に関しては必然的に情報通になってしまうのです。

町田の健康状態が悪い事は 11月に香港ツアーに参加した時も、 2週間前の「セニョール・ナガモリを囲む会」でも私から報告していました。 私以外の仲間はもう10年は町田と会っていませんでした。 でも、町田はこの【週間KEN】や私との直接な会話を通して 仲間の消息はあるていど掴んでいたのです。

町田は拓大卒業後、中堅の商社の辣腕営業マンとして活躍していたのですが 45歳の時に心筋梗塞で倒れ、しばらく生死の境をさ迷い命は取り留めたものの ニトログリセリンをひと時も離せない身障者になってしまったのです。 会社もこれまでの貢献もあってしばらくは面倒を見たようですが数年で解雇され、 マンションも売り払い都営住宅で妻と2人の子供を抱え苦しい生活を強いられました。

10年ほど前に仲間が会ったというOB会は、マサにその頃の町田で 私も十数年ぶりの対面だったのですが、 サンタクロースのようにマッ白く大きく伸びた髪とヒゲが皆にインパクトを与え それにしては元気100倍で明るい町田が誰の目にも残っていたのです。

多くの仲間がそれから町田に会うことは無かったのですが… 私はそれから町田との交友は続き、 特に最後の1年ほどは頻繁に会う事になるのです。

身障者となって生活苦の中にある町田でしたが… 元気100倍で明るい町田は亡くなる数ヶ月前まで変りませんでした。

実が昨年の春頃に町田からこんな電話がありました。 「いやーまいちゃったよ、いつもの病院で検査したらガンがみつかちゃってサ、 肺がんがステージ4でリンパが3で、骨が○で、ていうんだよ、 ボクは糖尿病もやってるから、三大疾病の三冠王だよ、ワハハハ…」と 豪快に笑いながら私に言うのです。

町田と頻繁に会うようになったのは彼の病気とはまったく関係なく 長男が運転する車の事故を廻って相手の保険会社とトラブルになっていて その相談に乗っていたからです。

9月の初めや10月の終りの一時退院をした時に 打ち合わせする町田の家の近くのガストでの写真ですが、 「オイお前、ホントにがんなのかよ?」と、 こちらから疑いの質問をしたくなるほど、いつもと変らぬ元気よさなのです。

その時に彼が言った言葉が今でも印象に残っています。 「オレは15年前、心筋梗塞で倒れて蘇生してからは、おまけの人生だと思って いつ死んでも悔いのないように生きているのさ、だからガンと宣言されても 何とも思ってないんだ、食欲もあるし普通なんだよね」…と、

そして「南米のイグアスの瀧だけは1度見ておきたいと思っているんだけどネ」 と言ったいたのが、それからず~と気になっていて今でも頭から離れないのです。

今月になってから容態が急変し、町田からの最後の電話となったのも 大した用件でも無いのに自分のケータイから苦しそうにしゃべろうとするので こちらから電話を切るようにしたぐらいです。

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2008年02月11日212号 セニョール・ナガモリ

10日の日曜日『セニョール・ナガモリを囲む会』に YUKIとヒロコの3人で出かけました。

『セニョール・ナガモリ』と言ってもラテン系の人ではありません(^_^;) ラテン系の人ではありませんが… またまた今回も登場させて頂きました、拓殖大学ラテン・アメリカ研究会で私と同期の人です。 昨年11月の香港も拓殖大学ラテン・アメリカ研究会OB会での旅行でした。

拓殖大学ラテンアメリカ研究会がどんな研究会だったかは いつか詳しく書きます…なんて以前に言ったまま今だ詳しく書かないままですが この週間KENには良く登場させて頂だいています。

なぜ?よく登場するのかといえば 大学を卒業して40年近くなるのですが、みんな仲が良く家族ぐるみの付き合いが続いているからです。

拓殖大学は1900年創設以来、海外雄飛が伝統の大学で 校歌の「人種の色と地の境我が立つ前に差別なし」は私も大好きな歌詞です。 一流大学出身の多くは海外で活躍するといっても、 数年間の限られた期間滞在しいわば空中戦のような海外活動をするのに対して 拓大は現地で生活し自ら生計をたて、そこで家族をつくったりする者も少なくないのです。

そういった伝統の中で色々な国々や地域のクラブがあって その中のひとつとして『ラテン・アメリカ研究会』があったというわけです。 今は拓大に外国学部が出来てスペイン語学科がありますが、 当時は第二外国語としてのスペイン語しかなかったのですが、 スペイン語の習得もクラブの目的のひとつでした。 私が大学三年生の時にはスペイン語の語劇祭で『オジャンタイ』という芝居の 主役をやり『角倉がやったらオジャンタイ』なんて冷やかされたものです。

まー私のスペイン語の実力は昨年の我が家でのスペイン旅行で、すっかり化けの皮が剥げてしまい ますます肩身の狭い家庭生活を送っている私ですが(^_^;) ナガモリは私とは正反対のスペイン語の虫のような奴で 『ラテン・アメリカ研究会』の生温いスペイン語では物足りず、 自分で『スペイン語愛好会』を作ったほどの勉強家だったのです。

卒業後、旅行代理店の仕事の付くのですが、スペイン語を専門的に使うこともなく 一昨年11月に定年を迎えたのですが、 どうしてもスペイン語を生かした活動をしたいとの思いから 昨年3月からJICAのシニア海外ボランティアとして中米ホンジュラスの観光庁に2年間の 勤務についたのですが、1年経過の健康診断のため約一ヶ月の一時帰国中なのです。

この事は前回の週間KENで、ナガモリのブログを作るという話で少々触れましたが… せっかくナガモリが帰国中というのなら、同期の仲間が集まろうという事で ナビオス横浜で昼食を食べることにしたというわけです。

どうしてセニョール・ナガモリを囲む会になったのかは幹事に聞きそびれましたが 同期の仲間というのは、普段はいつもヨビステで呼んでいますから メールを書く時などでも名前に”様”をつけるのはなんだか抵抗があり… だからと言って”ヨビステ”で書くのも、どうかな…と、けっこう悩むのです。 したっがて、セニョール・ナガモリはピッタリのように思えたのですが ロビーでお客様が「セニョール・ナガモリって何かしら?」って注目を浴びていました(^_^;)

今回集まったのはナガモリを含めて7人の同期生とその妻で14名とプラスヒロコの15名! 食事は本格的なコース料理で堪能 食後はベイ・ブリッジが一望出きるラウンジへ          スナップ1  スナップ2 ヒロコは途中で所要のために中座しましたが みんな大いに話が弾んで アッというまに時間が経過してしまいました。 ナガモリのブログ用の写真も密かに撮ったのですが気に言ってくれるか、 今週中にまたナガモリに会ってブログの伝授をしなければなりません。

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2005年07月18日078号 ビーバ 59歳!

7月12日、私の59回目の誕生日は 世田谷にあるメキシコ料理店【posada del sol】に行きました。

ヒロコのサルサ・クラブ(テンプル大学)のイベントの時には お世話になっていたアルマンドさんのお店で メキシコ通(拓殖大学ラテン・アメリカ研究会4年間在籍!?)の 私の誕生日の度に行こう行こうと言っていたのですが、やっと今年は実現したのです。

なぜ?今まで実現しなかったかと言えば… YUKIがサイフの紐をしっかり閉めていたからです。 なぜ?今年は実現したかと言えば… 今年就職したヒロコが招待してくれると言ったからです。

こうなったら、もうYUKIもワタシもゲンキンなもので こんな歴史的出来事を先送りなぞできないと、スケジュールを急遽調整して 誕生日当日の夜、仕事帰りのヒロコとはお店で待ち合わせという事で 私はクルマをおいてYUKIと電車で向かいました。 なんせワタシはタップリと呑ませて頂こうと思っているのですから(^_^)

下高井戸駅から歩いて数分、 洋菓子店ノリエットの2階にある【posada del sol】はすぐにわかりました。 「アルマンドがヒマで嘆いていた」とヒロコが言っていたとおり、 店内に一組のファミリー客がいるだけで、 一番奥のリザーブ・テーブルが寂しそうに我々の到着をまっていました。

ヒロコから仕事で少々遅れるとの連絡がケータイに入りました。 初対面のアルマンドはヒロコが来てから歓待しようと思っているのか? 人見知りをしているのか?気遣っているのか? 店はヒマなのに、どこかに引きこもってオーダーも取りにきません。

私のイメージでは店に入るや「OH!ヒロコのパパとママ!マッテマシタ!」と 陽気にハグぐらいしてくるかと思ったのですが…(^_^;) 静かな店内でYUKIと二人で向き合ったまま、いつ来るかわからないヒロコの到着を ジッと待っているのはツライものがあります。 もうこうなったら呑むしかありません!アルマンドに生ビールと とりあえずはチョリッソ(豚肉)のタコスを注文し二人で乾杯です。 旨い!生ビールとタコスがこんなにマッチするとは!生ビールは直ぐに空になり 2杯お替り、ビールばかり飲んでいたら、このあとのメイン・ディッシュが入らなくなってしまいます。 でも…本日誕生日でメイン・ゲストの私が、 本日のホスト役のヒロコに遠慮することはありません、ガンガン飲んで待つしかありません!

ビールはここまでにして、メキシコといえばテキーラ・ベースのカクテル【マルガリータ】です。 これがまた”つぼ八”で出てくるようなナサケナイ?ものではなく、本場物の迫力です。 これもお替りして、かなり気持ちよく?なったところでやっとヒロコの登場です。 仕事が忙しいことはケッコウ!大いに稼いで!本日はご馳走様!…ともう 私はすっかりハッピーになっていました。 (YUKIに言わせると私は基本的に常にハッピーでおめでたいとの事ですが)

お腹がぺこぺこというヒロコがメキシコ料理を何点か矢継ぎ早に注文して ひと段落したところで、アルマンダが奥のBARコーナーで、 とっておきのテキーラでも飲まないか?と私達を誘いました。

正直テキーラのストレートには抵抗があったのですが、 さすがアルマンダ自慢のテキーラは違います、 もうこんなの飲みだしたら”アル中”になってしまうのでは と思うほどグイグイの飲めて旨いのです。(^_^;)

アルマンドもココでは実に楽しくラテン気質まるだしで時間を忘れて 終電車ギリギリになるまで楽しい時間を過ごしました。 「あんなアルマンドは初めて見たし、今まで聞いたことがない話ばかりで とても楽しかった」とヒロコの感想です。 […]