2010年10月11日351号 ラテ研総会

この週間KENでもすっかりお馴染みになってしまった拓大ラテンアメリカ研究会OB会の 2年に1度のO総会が10日(土)にありました。

2年前も、さらにその2年前も、この模様は書いていて、 ちょっと読み直してみたら、毎年同じような事をやっていて笑ってしまいましたが、 ”総会”なんていうものは、よっぽどの緊急議題でも無い限りそんなものでしょう。

そうは言っても役員をやっている方々は、それなりに大変でアタマが下がります。 2年に1度の総会ではこの”役員改選”があるのが、どうにも気が重いのですが… 司会役の瀬戸口会長の「会長へ立候補される方は挙手して下さい」との言場に、長い沈黙が続き 結局2年前と同じく現役員全員更新という事で、ココは大きな拍手で無事!終了しました。 ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧

今回の総会では、これまでに無いプログラムがありました。 「楽しきかな第二の人生」というテーマで木村先輩と同期の永森の30分づつの講演がありました。 木村先輩は2年前の総会のブログでも触れましたが、茨城県笠間市で農地を借りて野菜作りをやっていて その模様をユーモアを交え、とても興味深く聞くことが出来ました。 特に奥様とのエピソードは3年前にラテ研の香港旅行で、ご一緒しているだけに、笑ってしまいました。 そしてSr.ナガモリこと永森はもちろんラテンアメリカへの熱き思い! 彼の思いや考えは人一倍知っていると思っている私ですが、 永森らしい静かで坦々とした語り口の中から、その強い思いが滲みでていて 「第二の人生というより今こそ第一の人生だと思っている」という言場に心を打たれてしまいました(^_^;) ①

そうそう出席予定には入っていなかった上内先輩が途中から静かに入ってきて 私と永森はビックリして思わず顔をあわせました。 ほんとうは3年先輩なのですが卒業したのは一緒で我々同期とは麻雀をしたり、 スキーに行って麻雀したり(^_^;)とても親しくした先輩なのです。 ① ② ③ 3年留年したのはスペインに出稼ぎに行っていたからで、本当はとても優秀な人なのです(^_^;) もう少しお話が出来たらと思ったのですが永森の講演を聞いたら帰られてしまいました。

そして立食パーティですが、その前に恒例の記念写真。 こして、いつものように楽しい団欒 ① ② ③ ④ ⑤ ⑥

絞めはやっぱり拓大の応援歌や一連のパフォーマンスがあって、 ① ②  そして動画も 〆はこれまたいつもの阿達の押忍三唱(^_^) ① ②

この日は現役の学生、ラテ研の女性会長!茨城さんら4名も参加。 111期生との名札ですが、チナミに私は67期ですから44年後輩(^_^;) 今は部員は9名で頑張っているようですが、 このような拓大パフォーマンスはやるどころか見たこともないようで カルチャーショックを受けたようです。(^_^;) ① ② ③

そうそう、一時廃部になっていたラテ研を復活するためにアルゼンチン在住の中務先輩から派遣され 見事そのミッションを達成したご子息の中務義則君(101期)が、同じラテ研後輩の105期智子さんと この春に結婚し総会に夫婦で参加!  ① ② 若い世代の頼もしいカップル誕生でラテ研の未来は確固なものとなってきました。

ここでの立食が終ると、またまたお決まりの二次回というか三次会というか(^_^;) ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ 私の【iPad】に2年前の総会の写真を入れていったのですが、 私の前に座っていた阿達と塚本(68期)が2年前と同じ服を着ているという事で大笑い! まー季節も同じですし、おおいにありえる事ですがね(^_^;) ① ② ③

同じパターンの繰り返しの2年に1度の総会ですが こうして書いて見るとまだまだハナシは尽きないようで、何はともあれ楽しい一日でありました(^_^;)

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2010年07月19日339号 小学の友&大学の友

小学校時代の友人、丸さんからこんなメールが届きました。

大兄の大学同窓、セニョール・ナガモリのブログ、長い間楽しみに読んできましたが、 最近全く更新されなくなり、心配しております。 お元気なら当然ご覧になったとは思いますが、 「闇の列車、光の旅」というメキシコ・アメリカ映画がシャンテで公開中です。 ホンジュラスからメキシコを経由、アメリカに入国する話で、今日見てきました。 ぜひ、ナガモリ氏の感想を聞きたく、とりあえず大兄にメールした次第。お元気だといいのですが。 それはそうと、近々暑気払いで、安酒でも。 丸谷嘉彦 拝

  セニョール・ナガモリとは私の大学時代の友人で 彼が旅行会社定年後、JICAのシニア・ボランティアで中米ホンジュラスに… そこからブログを書くことを私が薦め、帰国後も今年の4月30日までは書き続けてきたのですが 「また中南米を旅行するまでは書くことが無くなった」と 私の反対を押し切って突然、断筆してしっまたのです(^_^;)

丸さんとは、5年前の約50年ぶりの対面以来、年末恒例のホテル・ニューオータニでボランティアでの クラシック・コンサートに参加してくれたり何かと懇意にさせてもらったいるのです。 大阪M放送でウルトラマンやドラマのプロデューサーをやっていた丸さん、 定年後は映画三昧、週に5本ぐらいを映画館で鑑賞し、その感想をメールで知人に送ってくるのです。 「だったらブログにすれば良いじゃないか?」…といったのですが、 この世界に長くいたので、何かとさしさわりがあるようです(^_^;) 因みに、映画祭の審査員のようなものをやっていて映画はダダでみれるようです。 私は映画そのものの批評より、それにまつわる色々な話が同じ時代を生きた友人だけに とても興味ぶかく楽しみによませてもらっているのです。

このメールがあった数日後の16日(金)、3人で合うことのしました。 時間は午後4時半、待ち合わせ場所は新宿の紀伊国屋書店の前という事にしました。 時間は少々早いのですが丸さんが翌日早朝からゴルフに行くということで、 場所は3人が共通で判りやすいのではないかということで紀伊国屋書店という事にしたのです。 その事をナガモリに伝えると「新宿の紀伊国屋書店ってタイムズスクエアの?」などとと わけのわからない事をいうのです。 「新宿の紀伊国屋と言えば新宿の紀伊国屋やだろう!」と私は言えばナガモリは 「ボクもそう思ってたのだけど以前に人との待ち合わせで勘違があった」…というのです。 われら世代は紀伊国屋はなつかしく書店はもちろん紀伊国屋ホールでの芝居や 大島渚の映画で青年(横尾忠則)が紀伊国屋で本を万引きし社長の田辺茂一本人も登場する 「新宿泥棒日記」などとても懐かしく思い出されるのです。 その後、私がフランセの銀座店にいる頃は、 毎日のように夜の銀座を飲み歩く田辺社長の姿をみかけたものです(^_^;)

まだ日も高い!…というか梅雨明け宣言をしたような真夏の日差しが眩しい午後4時30分、 紀伊国屋書店に3人は集合! ナガモリと丸さんは初対面ですが丸さんはナガモリのブログを見ているのですぐに認知(^_^;) 場所は新宿、飲み屋はいくらでもありそうですが、 紀伊国屋ビルの地下に【珈穂音】(かぽね)という何だか懐かしい雰囲気を漂わす 酒場のような食堂のような小さなお店にはいって、まずはビールで乾杯!

映画の話、ホンジュラスの話、 丸さんは高校時代に船で米国(オレゴン州)に留学した時にホンジュラスの友人とメキシコまで旅した話。 丸さんが始めて英語を習ったのが私の父だった事や ナガモリが旅行業一筋の人生を歩む最初のきっかっけが私の父であった事など…はなしはつきず、 懐かしい場所で、懐かしい仲間と、懐かしい話で…そして新しい出会もあって 楽しいひとときを過ごすことが出来ました。 ① ②

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2010年03月01日319号 Sr.ナガモリと浦和先生

Sr.ナガモリが3ヶ月近い南米ぶらり一人旅から帰国しました。

昨年11月末お客様とファミレスで打ち合わせ中、 私のケータイが鳴って【通知不可】との文字が出ました。 電話に出ると永森の声で、いきなり「ブログの写真が小さくなない!」と慌てた口調です。 私は「今どこにいるの?」と聞くと、彼は「ブエノスアイレス」と。 Sr.ナガモリのホンジュラス滞在に続く第二弾!南米ぶらり一人旅の始まりです。(^_^;)

その模様は彼のブログに 11月23日から2月18日まで一日も欠かさず大量の写真とともにブログがアップされていくわけですが Sr.ナガモリのブログの仕掛け人&管理人である私は”ヘルプデスク”として忙しくなるのですが、 12月12日私が胆嚢炎の手術をする直前に電話があった時は事情を話し待ってもらいました(^_^;)

行くときも突然ですが、帰ってくるのも突然です。 もうソロソロ帰国の頃では、と思ってはいたのですが 2月19日味噌作りの2日目の帰りのクルマの中で私のケータイが鳴ったので YUKIに出て貰うとYUKIは明るい声で 「あら!おかえりなさい!ブログ楽しく拝見してました!クルマを運転中で折り返し電話させます。」 もちろんソレだけでSr.ナガモリが帰国したと判ったのですが 今朝見た彼のブログは2月15日までで「アルゼンチン最後の夜」と書かれてはいましたが これで帰国するとは書いていないのです。 (彼のブログは毎日書かれていますが何日分か纏めてアップする傾向がありますが)

ようするに行きも、帰りも、いきなり電話で知らされたわけですが(^_^;) ソレこそがSr.ナガモリらしい旅なのかも知れません。 電話の内容は 「アルゼンチンの中務先輩から浦和先生に言付かったお土産を届けようと思って先生に 電話したら”Dr.KEN”も一緒に来れば、と御指名があったので…」というのです。

浦和先生は拓大ラテンアメリカ研究会の6年先輩で 我々の学生時代にスペイン語の教員として赴任され、その後に設立される外国学部の学部長として… スペイン語学科の教授として活躍され2年前に退官されたのです。 我々にとっても懐かしい先生ですが浦和先生にとっても 初めての生徒で、私のような劣等生でも、よく覚えて下さっているのようです(^_^;)

それと浦和先生が毎日楽しみにされていたナガモリのブログの管理人が私である事もご存知で… ついでに私のブログ【ゆったりECOな保険ライフ】もご覧頂いているようで 今回の名誉あるご指名を頂いたようなのです。(^_^;)

21日(日曜日)この日は年末恒例のハートコンサートの定例会があったのですが それはヒロコに代表して貰って(^_^;) 浦和先生のご自宅の最寄り駅でもある待ち合わせ場所のJR高尾駅に向かいました。

先生は煙草の吸い過ぎが祟って肺気腫を患われ、2年前にお会いした時は大変そうに見えましたが とてもお元気そうで ① ② 歩く時は酸素ボンベをバギーのように引きずってですが、その足取りも軽く(^_^;) お店での談話中はそんな気配をまったく感じないほど楽しくお話をする事が出来ました。 ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨ ⑩ ⑪ ⑫

Sr.ナガモリとは大学1年生の頃から親しく、彼がスペイン語に強くのめり込んでいく過程を良く知っています。 私ときたら勉強もせず、ただラテン的気質だけで気楽に生きるところをは今と変らず(^_^;) 私が買ったトリオ・ロス・パンチョスの何枚ものLPについている歌詞を 彼は全部書き写し暗記し歌っていました。 映画館に弁当を持参し、スペイン映画【汚れなき悪戯】を何度も見るに付き合いましたが 私は何度目からは寝ていました(^_^;) まだ第二外国語としてスペイン語がある時代で、また日常生活の中でスペイン語を耳にする事など ほとんど出来ない時代でした。

でも、私たちの先輩である浦和先生をはじめとする多くの諸先輩はスペイン語を駆使して 多くの国々で活躍されているのです。 そして何より素晴らしいと思うのは、商社や大企業や外交の上から目線でなく… その国を愛し日本を愛し現地に溶け込んで、学生時代からの熱き思いを純粋に貫き通していることです。 ほんとうの意味でのインターナショナルな人たちではないでしょうか?

それは簡単には表現出来ない”ラテン・アメリカの風土や気質”があるのかも知れません。 何はともあれ21世紀は”ラテン的生き方”です!(^_^;)

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2009年11月02日302号 奥秩父で蕎麦2009

今年もラテ研恒例、奥秩父での蕎麦ツアーに行ってまいりました。 私はこれで3回目。 YUKIとヒロコは昨年に続き2回目。 そして今年は宮崎からの義母も参加です。

これまでは電車やバスを乗り継いで4時間以上かけて行っていたのですが どうせ紅葉の美しい奥秩父まで行くのなら、近くにの温泉でも一泊して… という事になり今回は我が家からクルマでいく事になりました。

クルマで行くのも、一泊するのも、良いのですが… 問題は蕎麦パーティーの会場【そば処・紺屋】と宿泊場所が離れていることです。 クルマで行くのだから問題が無いように思われるかもしれませんが クルマで行くから問題なのです、みんなお酒を飲むからです(^_^;) …ということで黒沢君のお勧めで【お泊処・神庭】に宿泊する事にして そこにクルマを置いて宿のクルマで送り迎えしてもらう事にしたのです。 これでお酒の問題も アタマもクチも元気だがアシが少々弱ってきた87歳の義母の問題もクリアです。(^_^;) ① ② ③ ④ ⑤

昨年より参加者は少ないですが…初参加は 香港の小倉夫人のキエちゃん(長女カナちゃんの出産のため滞在中) ホンジュラスから帰国したSr.ナガモリこと同期の永森。 チリ在住で深田祐介の小説『炎熱商人』のモデルにもなった豪傑、岸野先輩。 昨年はエルサルバドル人の奥さんと次男と3人で参加した新井君は 今年は長男も加わってファミリー全員で。 在職中のほとんどが海外勤務、定年後も永森同様中米のボランティアで、 最近やっとおちついてきた岡広先輩の奥様。 それに50歳をすぎサラリーマンから突如、あこがれだった漁師になって転職し 遠洋漁業に従事していた、我らが同期のラテ研会長だった田中。 ラテ研ならではのユニークな新たな参加者が加わりました。

今年は天気も温度も快適で、とてものどかな雰囲気の中で 楽しく美味しく過ごすことが出来て義母も大満足のようでした。 ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦

初参加の永森は 初参加の新井ジュニア(長男)にスペイン語のジョーク集を見せながら スペイン語で大いに盛り上がっていました、さすがSr.ナガモリです(^_^;)

小倉夫人のキエちゃんは、ドコへ行っても存在感100%で初参加とは誰も思いません。 ① ② ③ ④

昨年の蕎麦パーティーでもコマメに働いて我が家でも有名になった岡広先輩。 初参加の奥様に私が「家でもあんな風なのですか?」…と訊ねたところ 「ぜ~んぜ~ん」と以外な回答、岡広先輩にそのことを質問したら 「黒沢がひとりでテンテコマイしているんだぞ!」…と言われて最敬礼をしてしまいました(^_^;)

ヒロコが「イヤーダ!」と大きな声で…さわいでいます(^_^;) ヒロコがいくつぐらいに見えるか?という事になって「アラフォー?」と言われたようです。 ま~27歳なのにアラフォーと言われムクレル気持ちは判らないでもないですが、 もう少し恥じらいや遠慮があっても良いと…私が云うのもヘンですが、親としては思うのです。(^_^;) 初対面であろうと誰に対しても動じないあのふてぶてしいヨッパライ女をみたら アラフォーと思われてもイタシカタないでしょう。 ① ② ③ 香港旅行以来ヒロコとも親しくなった木村先輩は、今は茨城で野菜作りもやっていて ヒロコが「ボーイフレンドが出来たら一緒に遊びに行く!」と言ったら、 「ムリはしないように!」…と冷静に言われ…またオオムクレ(^_^;) ① ② ③

あっという間に時間は経過していきました。 ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨ ⑩ ⑪ ⑫ ⑬ ⑭ ⑮ ⑯

今回、古谷夫妻もクルマで来て我われと宿は違ったのですが一泊。 みんながバスで帰ったあと、宿のクルマが迎にくるまで店主の黒沢君と雑談… いつも一人でテンテコマの黒沢君… ① ② ③ ④ ⑤ 落ち着いて話すことが出来ないので貴重な時間です。 ① ② ③ ④

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2009年07月05日285号 Sr.ナガモリ帰国報告会

大学時代からの親友、 永森がホンジュラスのシニア・ボランティアから帰国して3ヶ月。 その報告会が我がラテン・アメリカ研究会が馴染みにしている恵比寿のサムさんのお店で行われました。 メキシコ料理店でホンジュラスの報告会というのもチョットナンですが 同じラテン・アメリカ、しかも同じ中米ですから雰囲気は充分です。

集まったのは、もちろん拓大・ラテン・アメリカ研究会のOBたち18名、ま~いつものメンバーです。(^_^;) 私と同期は永森・阿達・中井の4名ですが、中井はOBの集まりにはン十年ぶりの出席で、 先日の永森を囲む横浜での同期の集まりに(八王子在住の)中井に私が声をかけなかったのを 恨まれてしまいましたが、ま~我われ世代は時間的余裕だけは出てきたということでしょう(^_^;)

永森のホンジュラス観光庁での2年間の仕事や生活(JICAシニア・ボランテァ)が 約1時間30分に渡って熱く語られました。 ① ② ③ ④ 永森は私と違って感情を内に秘め熱い思いをモクモクと実行するタイプなのです(^_^;) したがって報告会も2年間のホンジュラスでの活動を時系列に淡々と語られていきます。 私は彼のブログ【Sr.ナガモリのホンジュラス便り】のプロデューサーでもあるので、 後半1年間のブログは毎日チェックしてきましたが、ブログも毎日毎日キッチリと報告されています。 1時間半の報告会で2年間の日々をキッチッリと報告するのも大変だろうなと思うのですが たんたんと時間が過ぎていきます。(^_^;) でも永森の熱い思いや、ホンジュラスがいかに楽しっかたかは、私には… いや報告会を聞く仲間は、ラテンアメリカに何らかの係わりや興味を抱いてている仲間ですから 誰もが静かに永森の話を聞き入っていました。 ブログ・プロデューサーの私としたら細かい内容はブログに任せて頂き、 報告はザッと30分ぐらいで済ませ 後はブログで書けなかった裏話や質問形式にすればと思ったのですが(^_^;) でも…永森らしいキッチリとした内容の詰まった報告会で、 これはこれで貴重な資料としてビデオに収めさせて頂きました。

二次回は同じ会場で…というか ここはもともとメキシコ料理店で、開店前の夕刻の数時間を使わせてもらったわけで これからが本番いや(^_^;)…これからも楽しいひとときです。 ① ②

一般のお客様も入ってサムさんのお店のオープンです。 なんと言ってもココで飲むテキーラが旨い! サウザ・ゴールドはストーレートでグイグイいけてしまいます(^_^;) 阿達の自家農園から持ってきたキュウリもmuy bien! そこで店主サムさんの歌とギーターで懐かしいメキシコ音楽が演奏されれば もう店内は大もりあがりです! ① ② ③

このあと恵比寿駅前で気勢を上げて! (通りがかりのヒトが撮影) そのまま近くの居酒屋に流れたのは、香港でもご一緒した石井先輩・木村先輩に桜庭先輩 それに同期の永森と中井。 ① ② ③ ④ またそこで大いに飲んで大いに盛り上がったのですが 何をしゃっべたかほとんど覚えていません(^_^;) (永森が撮影)

P.S. おりしも今、ホンジュラスはクーデター騒動のまっただ中です。 永森がブログでどのような事を書くのか私はとても興味があったのですが、 報道されている新聞記事をタンタンと集めそのまま掲載し続けています。 「おいおいもっと自分の意見や見解を書いてくれよ」…と思ったのですが、 毎日毎日、新聞記事をそっくり掲載するのも、後々の資料にもなるという… 永森らしい堅実なスタイルのようです(^_^;)

21世紀はラテン的生き方で!…というのが私の考えで セニョール・ナガモリを、そのシンボルにというのが私の構想ですが、 ラテン的なノリには少々欠けるのがプロデューサーの悩みです(^_^;)

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2008年02月18日213号 親友のブログを完成!

親友の永森のブログが完成しました! 題して【セニョール・ナガモリの中米ホンジュラス便り】です。 プロデュースしたのは私で、もちろんヒロコの力を借りました。

最初は【永森克己のホンジュラス便り】というブログのタイトルにしていたのですが 永森がホンジュラスがどこにあるか知らない人が多いので 中米という文字を入れてくれとの要求がありました。

タイトルの前に永森克己の名前と本人の写真もしっかり出す… というのは私の初めからのポリシーで、 本人は初めは少々抵抗があったようですが納得させました。 私はインターネットやブログは出来る限り”顔”を見せて発言し、 コメント欄もオープンにして”双方向性”を保つことが必要だと思っています。 それによって信頼も得られ 有意義で面白いブログが出来上がっていくというものです。

まして若い女の子ならともかく還暦を過ぎたオヤジが”顔”を出したからと言って 何を心配するのでしょう(^_^;) 永森の写真は先週の『セニュール・ナガモリを囲む会』での2次回で さり気なく私のデジカメで10枚ほど連続撮影し、その中から1枚を選びました。 永森克己のフルネームと写真が入った試作中のブログを眺めていたのですが… 何だかちょっと硬い感じがします。 写真もソフトな感じの微笑んでいるものを選らんだのですが、 まー本人が、どちらかと言えば私と違って”堅物”なところはあるで、 (私が柔らか過ぎるのかもしれませんが^_^;) もう少し遊びの部分が欲しいような気がしたのです。

その時に閃いたのが ”セニョール・ナガモリ”です!(^_^;) 自分から絶対タイトルの前に永森克己の本名を入れるから…と言っておいて何ですが、 これは中々ナイスです。 ちょっと怪しげな感じもしないではないですが、 永森の写真とプロフィール(私が書きました)もしかり掲載されているし ちょうど良いノリで、コレで行こうと勝手に決めてしまいました。

一応、永森に確認の電話をいれると… ホンジュラスの観光庁では年配者として敬意を込めて ”ドン・ナガモリ”と呼ばれているようですが、”ドン・ガバチョ”か ○○のドンとか、金丸みたいだし…と 少々本人はテレていましたがOKを取ることが出来ました。

ブログのデザインはヒロコに任せたのですが ホンジュラスの国旗を取り入れて、キレイなものを作ってくれました。

そして13日(水) 永森の横浜の自宅にパソコンを持っての2度目の訪問です。 永森にブログの書き方や写真の取り込み方、 など具体的にレクチャーしなければならないからです。

そして15日(金) 記念すべきブログ第一号が永森から配信されました! と言っても見たのは多分、私ひとりでしょう。 まだ誰にもブログのアドレスすら知らせていないのですから(^_^;) テストを兼ねたスタートで、私も自宅でパソコンをあけて訂正を加えたり、コメントを書いたり、 我ながらイヤ永森ながらの好スタートです。

16日(土)17日(日)と… 少しづつ書き出したようで、YUKIもけっこう楽しみに読んでいるようです。 まだ、ラテン・アメリカ研究会の仲間にはブログ開設の案内を出していないようですが 私がココで紹介したら何人かは見てくれるでしょうし、 徐々に反応も出てくることでしょう。

18日(月) 永森は約1ヶ月の健康診断の為の一時帰国を終え来年3月までの ホンジュラスでのボランテァ活動に戻ります。 […]

2008年02月11日212号 セニョール・ナガモリ

10日の日曜日『セニョール・ナガモリを囲む会』に YUKIとヒロコの3人で出かけました。

『セニョール・ナガモリ』と言ってもラテン系の人ではありません(^_^;) ラテン系の人ではありませんが… またまた今回も登場させて頂きました、拓殖大学ラテン・アメリカ研究会で私と同期の人です。 昨年11月の香港も拓殖大学ラテン・アメリカ研究会OB会での旅行でした。

拓殖大学ラテンアメリカ研究会がどんな研究会だったかは いつか詳しく書きます…なんて以前に言ったまま今だ詳しく書かないままですが この週間KENには良く登場させて頂だいています。

なぜ?よく登場するのかといえば 大学を卒業して40年近くなるのですが、みんな仲が良く家族ぐるみの付き合いが続いているからです。

拓殖大学は1900年創設以来、海外雄飛が伝統の大学で 校歌の「人種の色と地の境我が立つ前に差別なし」は私も大好きな歌詞です。 一流大学出身の多くは海外で活躍するといっても、 数年間の限られた期間滞在しいわば空中戦のような海外活動をするのに対して 拓大は現地で生活し自ら生計をたて、そこで家族をつくったりする者も少なくないのです。

そういった伝統の中で色々な国々や地域のクラブがあって その中のひとつとして『ラテン・アメリカ研究会』があったというわけです。 今は拓大に外国学部が出来てスペイン語学科がありますが、 当時は第二外国語としてのスペイン語しかなかったのですが、 スペイン語の習得もクラブの目的のひとつでした。 私が大学三年生の時にはスペイン語の語劇祭で『オジャンタイ』という芝居の 主役をやり『角倉がやったらオジャンタイ』なんて冷やかされたものです。

まー私のスペイン語の実力は昨年の我が家でのスペイン旅行で、すっかり化けの皮が剥げてしまい ますます肩身の狭い家庭生活を送っている私ですが(^_^;) ナガモリは私とは正反対のスペイン語の虫のような奴で 『ラテン・アメリカ研究会』の生温いスペイン語では物足りず、 自分で『スペイン語愛好会』を作ったほどの勉強家だったのです。

卒業後、旅行代理店の仕事の付くのですが、スペイン語を専門的に使うこともなく 一昨年11月に定年を迎えたのですが、 どうしてもスペイン語を生かした活動をしたいとの思いから 昨年3月からJICAのシニア海外ボランティアとして中米ホンジュラスの観光庁に2年間の 勤務についたのですが、1年経過の健康診断のため約一ヶ月の一時帰国中なのです。

この事は前回の週間KENで、ナガモリのブログを作るという話で少々触れましたが… せっかくナガモリが帰国中というのなら、同期の仲間が集まろうという事で ナビオス横浜で昼食を食べることにしたというわけです。

どうしてセニョール・ナガモリを囲む会になったのかは幹事に聞きそびれましたが 同期の仲間というのは、普段はいつもヨビステで呼んでいますから メールを書く時などでも名前に”様”をつけるのはなんだか抵抗があり… だからと言って”ヨビステ”で書くのも、どうかな…と、けっこう悩むのです。 したっがて、セニョール・ナガモリはピッタリのように思えたのですが ロビーでお客様が「セニョール・ナガモリって何かしら?」って注目を浴びていました(^_^;)

今回集まったのはナガモリを含めて7人の同期生とその妻で14名とプラスヒロコの15名! 食事は本格的なコース料理で堪能 食後はベイ・ブリッジが一望出きるラウンジへ          スナップ1  スナップ2 ヒロコは途中で所要のために中座しましたが みんな大いに話が弾んで アッというまに時間が経過してしまいました。 ナガモリのブログ用の写真も密かに撮ったのですが気に言ってくれるか、 今週中にまたナガモリに会ってブログの伝授をしなければなりません。

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