2010年10月11日351号 ラテ研総会

この週間KENでもすっかりお馴染みになってしまった拓大ラテンアメリカ研究会OB会の
2年に1度のO総会が10日(土)にありました。

2年前も、さらにその2年前も、この模様は書いていて、
ちょっと読み直してみたら、毎年同じような事をやっていて笑ってしまいましたが、
”総会”なんていうものは、よっぽどの緊急議題でも無い限りそんなものでしょう。

そうは言っても役員をやっている方々は、それなりに大変でアタマが下がります。
2年に1度の総会ではこの”役員改選”があるのが、どうにも気が重いのですが…
司会役の瀬戸口会長の「会長へ立候補される方は挙手して下さい」との言場に、長い沈黙が続き
結局2年前と同じく現役員全員更新という事で、ココは大きな拍手で無事!終了しました。
       

今回の総会では、これまでに無いプログラムがありました。
「楽しきかな第二の人生」というテーマで木村先輩と同期の永森の30分づつの講演がありました。
木村先輩は2年前の総会のブログでも触れましたが、茨城県笠間市で農地を借りて野菜作りをやっていて
その模様をユーモアを交え、とても興味深く聞くことが出来ました。
特に奥様とのエピソードは3年前にラテ研の香港旅行で、ご一緒しているだけに、笑ってしまいました。
そしてSr.ナガモリこと永森はもちろんラテンアメリカへの熱き思い
彼の思いや考えは人一倍知っていると思っている私ですが、
永森らしい静かで坦々とした語り口の中から、その強い思いが滲みでていて
「第二の人生というより今こそ第一の人生だと思っている」という言場に心を打たれてしまいました(^_^;) 

そうそう出席予定には入っていなかった上内先輩が途中から静かに入ってきて
私と永森はビックリして思わず顔をあわせました。
ほんとうは3年先輩なのですが卒業したのは一緒で我々同期とは麻雀をしたり、
スキーに行って麻雀したり(^_^;)とても親しくした先輩なのです。   
3年留年したのはスペインに出稼ぎに行っていたからで、本当はとても優秀な人なのです(^_^;)
もう少しお話が出来たらと思ったのですが永森の講演を聞いたら帰られてしまいました。

そして立食パーティですが、その前に恒例の記念写真。
こして、いつものように楽しい団欒      

絞めはやっぱり拓大の応援歌や一連のパフォーマンスがあって、    そして動画も
〆はこれまたいつもの阿達の押忍三唱(^_^)  

この日は現役の学生、ラテ研の女性会長!茨城さんら4名も参加
111期生との名札ですが、チナミに私は67期ですから44年後輩(^_^;)
今は部員は9名で頑張っているようですが、
このような拓大パフォーマンスはやるどころか見たこともないようで
カルチャーショックを受けたようです。(^_^;)   

そうそう、一時廃部になっていたラテ研を復活するためにアルゼンチン在住の中務先輩から派遣され
見事そのミッションを達成したご子息の中務義則君(101期)が、同じラテ研後輩の105期智子さんと
この春に結婚し総会に夫婦で参加!   
若い世代の頼もしいカップル誕生でラテ研の未来は確固なものとなってきました。

ここでの立食が終ると、またまたお決まりの二次回というか三次会というか(^_^;)
      
私の【iPad】に2年前の総会の写真を入れていったのですが、
私の前に座っていた阿達と塚本(68期)が2年前と同じ服を着ているという事で大笑い!
まー季節も同じですし、おおいにありえる事ですがね(^_^;)   

同じパターンの繰り返しの2年に1度の総会ですが
こうして書いて見るとまだまだハナシは尽きないようで、何はともあれ楽しい一日でありました(^_^;)

2010年10月04日350号 大豆作りも継続中

昨年はじめた宮ケ瀬湖畔(相模原市)での大豆つくりのチャレンジ!
今年の2月に味噌作りをして、1年間の主な作業はYUKIと皆勤賞で終えたわけですが…
”継続はチカラ”ということで今年も再チャレンジをしています。

10月2日(土)…エラソーな事を書きましたが、実はワタシ本年度は初参加でした(^_^;)
6月の大豆の種まきは宮崎での踊りの会と重なり…
7月の草取りは飯山の稲作と重なり…
8月の草取りはめずらしく仕事のアポと重なりYUKIだけ参加(現地までのお見送りは致しましたが^_^:)…
という具合だったのです。

ここでの農作業は基本的に朝9時に集合、昼食休憩を1時間とって、
その日の決められて予定を終えるまでの作業ですから、けっこうハードです(^_^;)
でも、この日はラッキーな事に昨年度は無かった、枝豆用の大豆の刈り取りをやった後に
親睦を深めるための会費1000円のバーベキュー大会!

枝豆の刈り取りには地元の小学校3年生が先生と共に特別参加
晴天の空の下、子供たちがいるだけで和やかな雰囲気が畑に漂います。   ③ 

採り立ての枝豆は、すぐに茹でられ早速試食…
子供たちは「うまい!うまい!」を連発しながらスゴイいきおいで食べていきます(^_^;)
いくら食べても枝豆は山ほどありますが、子供の胃袋が心配になってしまうほどです。
       
お土産にも枝豆を束を貰った小学生は元気よく、帰っていきました。

もちろん私たちオトナも美味しい枝豆が後を引きますが…
この後にバーベキューがあるわけですから控え目にしなければなりません。

枝豆にバーベキューとなればビールしか無いと思うのですが…
クルマで来ている私としてはそうはいかずノンアルコールで
YUKI様はいつもの本ビール、なんという悲しいサダメなのでしょうか(^_^;)
でも、このようなビールもどきが有るだけでも幸せと思わなくてはいけないのでしょう。

焼そばを焼いたり
”花オクラ”という花を生まれて初めて見て…    
”花オクラ”を生まれて初めて食べちゃいました(^_^;)
文字通りオクラのようなツルッとした感触が噛むと出てきますがオクラでは無いそうです。
まったく味はありませんが、本来はポン酢とまぜてこのようにして食べるそうです。   

気心の知れた人たちと、また今年から参加の新しいメンバーも加わり…
楽しいひと時を過ごし、山ほどの枝豆を貰ってこの日の日程はラクチンに無事終了しました。
    

地産の農作物の直売所で、
”津久井在来大豆”の枝豆が一枝280円で売られていました。  
この日の我が家の収穫は20枝で…5600円分!
それに茹て残った枝豆もたくさん貰って、しばらく枝豆には不自由しなくてすみそうです(^_^;)

2010年09月27日349号 今年もハートコンサートに向けて

今年も年末恒例のクラシック・ハートコンサートに向けての
実行委員としてのボランティア活動が始まりました。

今年の開催日は12月26日(日)
会場はいつものホテル・ニューオータニ 『鳳凰の間』 午後6時より
声楽とトランペット演奏
という事で、詳しくはホームページに掲載予定です。

その打ち合わせから先ほど帰宅して、  
この記事を書いているところです。
このボランティア活動の模様については週間KENでも毎年色々とお伝えしていますが
私がクラシック演奏をするわけでも無く(^_^;)
なんだかエラソーに書いているかも知れませが大したことはやっていないのです(^_^;)

ただこのような活動を維持していくためには、
少しでも多くの参加者を集めることが重要なわけですが、なんせこのような御時世ですので
それがけっこうキビシイ課題なのです(^_^;)

そもそもこの会は私に友人のノブさんがライオンズ・クラブで活躍している時にその仲間や、
国際ソロプチニスト東京の麹町のメンバーが中心になって始めたもので、
彼ら、彼女ら…のハイソな方たちの交友関係だけでも成り立っていたのです。
でも今じゃノブさんも一介のサラリーマンで、それもまもなく定年(^_^;)
ライオンズ・クラブもソロプチニストも、それ自身が会員が激減し、
交友関係の付き合いや自腹を切っての招待の”道楽”で成り立つ時代ではないのです。

それでも、この会の趣旨に賛同し毎年楽しみにしている人たちも少なくないのです。
ライオンズクラブやソロプチニストとはまったく関係ない、貧乏人実行委員は私だけ(^_^;)
集客には期待してくれるなが条件で参加したのにプレッシャーは感じます、
私が少し貢献来たかなと思うのはヒロコやうるめクンという若い協力者を入れたこと。

でも、今年はヒロコはボストンに行ってしまい不在。
当日のビデオ撮影という大きなミッションがあり、
その穴埋めをどうするかはヒロコの仕事ですが…どうなることでしょうか(^_^;)

今回うれしいのは、佐藤雄太クンという公認会計士の好青年がメンバーに加わってくれたこと。
彼は、今年7月25日に、これまた恒例になった”うどんの会”に父君と参加して勧誘(^_^;)  
今年のコンサートでは司会も引き受けてくれるという頼もしい存在です。

今年で3回目になる”うどんの会”は、週間KENでは取り上げなかったのですが…
コンサートにアーティストととして参加した若い二人の声楽家がうどん作りにも参加し
本職の歌まで即興で披露してくれたり、おおいにもりあがりました。
硬直気味のわが会にあって(^_^;)
こういった動きが出てきたことは、とても喜ばしいことだと思っています。

今回の実行委員の打ち合わせには、私は少々遅刻しての参加になりましたが…
まず、私の視線に入ったのは実行委員仲間の若林さんの前に【iPad】がある事です。
「やっぱり!」…私の予想はピッタリあたりました。
彼はこのような新しいものは大好きで、しかも私と大きく違って”お金持ち”ですから
すぐに買って自慢するのです(^_^;)
でも彼がスゴイのは何でも完璧に使いこなしてしまうことです。

【iPad】を買ったはいいが、ヒロコは不在で中々使いこなせない私としては…
若林さんが【iPad】にハマってくれれば、なにかと便利になるとYUKIとも噂していたのです(^_^;)
…そして委員会終了後も
私と若林さんの【iPad】自慢、【iPad】講義がしばらく続いたのです(^_^;)    

2010年09月20日348号 エノちゃんの近況

1年ほど前でに、この週間KENのコラムもけっこう溜まってきたので10のジャンル別に分けてみました。
その中に【東大和のエノちゃん】というジャンルがあるのですが昨年は6回登場しているのに
気がついたら今年はまだ一度も取り上げていなかったようです。

もちろんエノちゃんと疎遠になったわけではありません。
ちょこちょこ東大和に言ってはエノちゃんのお店でエノちゃんの熱い思いを聞いていたのです。
私が昨年の初めYUKIと二人で参加し10回の参加で辞める事になった『野菜作り』
私が思って通り一般の人が集まらず内部分裂もあったりして大変なようです(^_^;)

まだまだ地元の古くからいる人たちは、そこまでの考えはなく歯がゆくてしょうがないようです。
地域の活性化は『よそ者・わか者・ばか者』がすると言われているようです。
地元の古くからの人たちには期待せず、エノちゃんのような”よそ者”や
東大和に住居を構え定年を向かえた団塊世代や、わか者…
そして私のようなバカ者も必要だとエノちゃんは言い!(^_^;)
エノちゃんは東大和の活性化の思いは、ますます加熱しているのですが…

でも私が出来ることは限られています。
エノちゃんの活動をサポートし、
そんな中でもエノちゃんのお店がソコソコでも維持出来るようサポートする事です。

もう少し具体的に言うと…
エノちゃんの活動や思いを”見える化”して少しでも多くの人に伝えられる環境を作る事。
もう少し具体的に言うと…
まず、エノちゃんのブログ(お店のホームページにもリンク出来る)と、
エノちゃんのお店に『iPad』を置いて、いろいろな情報を詰め込み、
お客様や地域の人とのコミニケーション・ツールとして活用するという事です。

しかし、困った事にパソコンやネット関係に強いヒロコは米国に行ってしまい、
私のアタマの中にイメージが出来上がっていても、それを形にするのは大変です。

それにもうひとつ大きな課題があります、
エノちゃんのブログやホームページを更新しアップする事を
このような作業にまったく不慣れで、本業の菓子作りもしなければならないエノちゃんに変って
やってくれる人が必要だという事です。

これにはエノちゃんの方から候補が上りました。
近所に住むパソコンいじりがオタクのヒッキー系の青年がいるというのです。

16日(金)早速、彼と面談するためYUKIと一緒にエノちゃんの店に行きました。
イイジマ君という青年で現在は無職で一応、安定した雇用先を求めて就職活動中という
前回の週間KENでも触れた、今の日本を象徴するような状況にいるようです(^_^;)

さっそくブログについて話をしたのですが、
オタク過ぎて「ブログは見たことも無い」と言われてしまい、即戦力にはなりそうもありません(^_^;)
でも、このような青年こそ、なんらかの形で活躍してもらい、
人の輪を広げるきっかけになるのではと思いました。     

この後、エノちゃんと、YUKIと3人で…
昨年11月にヤーコン料理の講師をされた小川さんが     
”うどん屋”をオープンしたというのでお邪魔することにしました。
小川さんは地元の障害児施設の理事長をされていたのですが、
どうしても地元のうどんを使ったお店を出したいとその時も語っておられ、それが実現したようです。
お店は東大和市のすぐ隣の武蔵村山市になりますが、エノちゃんのお店からクルマで10分ぐらいです。
この日はプレ・オープンの特別営業でしたが、
通常営業は正午から午後6時まで、土日祭日は休みとすっきりしたもの(^_^;)
自宅のすぐ側にあった物件で、何軒もの店が長続きせず閉店し、居抜きで破格の家賃だけで借りられるというので
それだったらマイペースでもやっていけると決めたようです。
今年乳がんの手術をした68歳の小川さんですが、ますます元気!
一人でうどん屋といういうのも大変だとは思いますが
「やりたいことはすべて楽しんでやる!」というモットーで
また新しい価値観の面白いお店がオープンしたことを嬉しく思い、心から応援したくなりました。
    

店名『はなみづき』
電話080-1984-7025
(ケータイです^_^;)
住所 武蔵村山市学園3-59-2 コロコロセンター2F

2010年09月13日347号 この国の新しい姿

政治家は次の時代を考え、政治屋は次の選挙を考える…と言われます。

たった1年ほど前に一緒にマニュフェストを作って政権を勝ち取った民主党の
菅さんと小沢さんが首相の座を争ってケンケンガクガクの論争をし火曜日には決着を見るようです。
そして二人の意見を聞いても、それどころかどの野党どのマスコミも、
結局のところは”景気回復””雇用促進””デフレ脱却””円高阻止”…
にどう立ち向かうか?という手法の問題のようです。

この問題はすでに20年ほど続けいるのに、いっこうに解決できないで
これまで、その対策や赤字補てんに使われた国の借金は900兆円と増大しているのです。
そして、また今回もなけなしの財政をどのような財源からいくら投入にするかが問題のようで、
それ自身を正面切って異を唱える政治家はいないようです。
ギャンブルで負けた分は、どうしてもギャンブルで取り替えそうという事なのでしょうか(^_^;)

どうして、”経済成長”を前提としない、雇用を前提としない…
新しい時代の生き方を提示する政治家が出て来ないのでしょうか。

昔のSF小説やマンガで未来、すなわち現在の世の中を描いたもの中に
人間の世界にロボットの召使がたくさんいて人間はあくせく働くことを止めて
誰もが王侯貴族のような生活を楽しんでいるが…といったようなものがありました。

現在、ロボットこそ居ませんが、あらゆる物が昔から比べると格段に便利な社会になり
昔みたいに人間が働かなくても充分に生活出来るようになっているハズです。

それなのに、どうして庶民は貴族のような生活が出来ないのでしょうか?
それには2つの理由があると私は思っています。
ひとつは…『ロボット化?』による利益が企業や株主や国に還元されたが庶民には還元されなかったという事。
そしてもうひとつは…
昔の貴族の生活レベル程度なら誰もが到達しているのだけど、
人間の欲望は果てしなく(またそのように仕向けられ)
常に飢餓感を持って消費を続けるマシーンにさせられいるのではないかという事です。

ようするに本当は、昔のようにムリして働かなくてもよい時代になっているということです。
実際に多くのヒキコモリや就職口が無い人たちが働かなくても、どうにか生活しているのです。(^_^;)
私はそれは自然の法則なのですから堂々と楽しむ事の方が大切だと思っているのです。
人間誰しも基本的には働くことなどしたくないのです(^_^;)
問題は就職出来ないことにウシロメタサを感じて生きることです。
本人はそこまで思っていなくて周りがそのように追い詰めていくことも問題です。

そこで働きたく無い人まで働く姿勢をだけは見せて(^_^;)
”雇用””雇用”の大合唱になり…
どの政党も国民ニーズを満たすために”雇用促進”をマニュフェストに掲げることになって…
そのためには景気回復となって(^_^;)
出口の無い閉塞感で毎年3万人の自殺者と国家財政の借金の山を作り続けているのです。

新しい産業で雇用の拡大と良く聞きますが、
新しい産業や技術が発展すれば、これまでの関連産業の雇用がそれ以上に失われます。
電気自動車も太陽光エネルギーなどによる自給が普及してしまえば、これまで自動車産業やガソリンなどの
エネルギー産業で雇用されていた人たちの職は消えていきます。
私は今【iPad】に夢中ですが(^_^;)
この5万円ほどで買えるツールがひとつあれば、
本も音楽もゲームも写真や映像も…なんでもこの1枚の薄い板に、ほとんどタダに近い値段で入ってしまいます。
これらの産業に係わってきた多くの雇用も失われていくでしょう。

でも、これは素晴らしいことです。
これまで大変なお金を使わなければ出来なかったことが、ほとんどタダで出来るわけですから(^_^;)

雇用を農業や介護や観光で創出するとの考えがあるようですが、
私はそれらのすべてに反対の理由を昨春に私のブログに書いています。
【農業】での雇用創出に反対な理由
【介護】での雇用創出に反対な理由
【観光】での雇用創出に反対な理由
【環境】での雇用創出に反対な理由
それらはとても重要な事ではあるが”雇用”という形を取ってしまうと、
結局は大変な経費が掛かって不健全なものになってしまう可能性が大きいということです。
基本はこれらを単なる労働の場と考えないボランティアや自立した小さな単位で”自営”する人たちが
ゆるやかな共同体となってグローバルに拡がっていく事が理想だと思っているのです。

ようするに、ムリして働かなくても良い時代なのですから、
これらに興味がある人が、それに積極的に従事し自分の思いを実現させ、そこそこの収入や生き甲斐を
目指せば良いだけです。
ひとりひとりが自立をしある程度の収入を得る事は…
インターネット社会でコミニティを大切にし分かち合いの精神を持っていれば可能なことで
年金や介護を国に100%依存する必要もなくなっていくはずです。

昔の王侯貴族でも手に入らなかった世界中の美味しいものが誰でも簡単に安く手に入る世の中です。
また昔なら考えられないほど体力を使わずにどこでも自由に移動や仕事が出来るようになりました。
その結果、多くの人が昔は貴族にしかいなかった肥満や生活習慣病にどんどんなっていきます。
それなのに世界中で食糧危機が叫ばれるようになって、
この国でも食糧の自給率4割以下!このままで行けば…と不安を煽ります。

しかしこの国では食糧の4割が破棄され、しかも多くの人が栄養過多で健康の心配をしているのです。
食糧破棄を止めて、食生活を地産地消でヘルシーにするだけでも日本の食糧問題は改善されるはずです。
豊かな自然に恵まれた日本は美味しい食材が全国に満ち溢れているのです。

企業の存在を否定するわけではありません…
雇用には拘らず自由にがんばって頂き、多くの税金を納めて頂ければ喜ばしいことです。

日本は
「戦争をしない」という憲法を65年間まもり続け「驚異的経済成長を成し遂げた」世界に類のない国家です。
21世紀の新しい時代に向けて「経済成長を前提としない!」と世界に発信し、新しい価値観を打ち出せば!
「クール・ジャパン!」と絶賛され、それに続く国がぞくぞく出てくるかも知れません(^_^;)

2010年09月06日346号 ヒロコはボストンへ!

30日(月)の朝、ヒロコは成田空港よりボストンに旅立ちました。

その前夜はおばあちゃん(私の母)と中尾家(私の妹一家)に出発の挨拶をして  
それからバタバタと荷作りをして、
ほとんど寝ないで早朝6時に私の運転で我が家を出て成田に向かいました。

まったくの渋滞もなく7時には成田空港に到着、 
11時5分発のワシントン行きのUAの搭乗手続き開始の9時15分までにもかなりの時間があります。

でも、我が家からちょうど100キロ先の成田空港まで何度も行っている私は
何度か大渋滞に巻き込まれて苦い経験をしているので、これでいいのです(^_^;)
ゆっくりと朝食をとって、   
ゆっくりと買い物をして、  
搭乗カウンターへ、
となりのカウンターで女性客が荷物が重量オーバーで4万円ほどの請求を受けています。
ヒロコの荷物は旅行用のバックが2個ですが、
黄色の大きなバックは私がこれまで持ったことのないほどの重量で驚いていたのです。
最初の予定ではヒロコの荷物運びも兼ねて私とYUKIも一緒に行く予定でいたのですが
先立つもの足りなくて(^_^;)
これは、かなりの重量オーバーが課せられると思っていたら、
エコノミークラスからプレミアム・エコノミーにアップグレードしてもらい
重量オーバーもなし!何とラッキーなことでしょうか(^_^;)
ヒロコが心配していたワシントン空港からボストンへの国内線のタイトな乗り継ぎも
エコノミークラスより一足早く機内から出ることが出来てスムーズにいったようです。
YUKIが料金を調べたら3倍ほども違って大ラッキーな旅立ちだったというわけです(^_^;)  

さて、ヒロコはボストンに何をしに行ったのか?…よく質問されます(^_^;)
ボストン大学の大学院生として【映像マネージメント】について
12名の院生仲間と最初の半年はボストン大学で、後半はロスでの実施と
1年をかけての中身の濃いプログラムのようです。

具体的な内容は私にはまったく判りませんが(^_^;)
これまでヒロコ自身が大学で学び、
社会に出てビデオ映像に携わる会社に就職し、
母校で【映像編集】の非常勤講師として週3日教える立場を体験し
身銭を切っての今回のチャレンジですから、きっと身につく事でしょう(^_^:)

そして何より国籍を超えた12名の専門的目的を持った人たちと
1年間一緒に学び苦楽を共にするわけですから、
これからの人生にとっても大きな財産になる仲間がますます増えていくことでしょう。
ますます…と書いたのは、
これまでもヒロコはほんとうに多くの人たちに支えられ、
それが彼女の最も大きな財産だと、
財産もなく借金しか残せそうもない親の私が思っているからです(^_^;)

ここ数年のインターネットの進化は目覚しいもので、ますます拍車がかかっていくでしょう。
ヒロコのブログは毎日アップされ、その様子は手を取るようにわかります。
住所が判れば住んでる家がグーグルのタウンビューでリアルに見えますし、
通学の風景や行き付けのレストランやスーパーだって写真で見えてしまいます。
スカイプがあればタダのテレビ電話で我が家に3人がいるのと同じような会話が出来てしまいます。
ヒロコ主催の恒例バーベキューなどを通して、私もYUKIもヒロコの多くの友人・知人を認識しているので
【Facebook】や【twitter】でのやりとりを見るのも面白いものです。

一緒に生活していると、かえって知らなかったりもするものが、
離れていた方が色々とリアルに伝わってくるというヘンな時代かもしれませんが…
この”距離感”もナカナカのもので、
これはこれで楽しんでいこうと思っています。

2010年08月30日345号 飯山からの宅急便

飯山の笠木さんから我が家に突然の宅急便が届きました。
品名は『野菜類(スイカ)』と書いてあります。
「エッまさか?」…私はちょっと胸がはずませながら早速、箱をあけることにしました。

中には、大きなスイカと小さなスイカそれにじゃがいも・茄子・ミニトマト・枝豆とギッシリ入っていました。
それに手紙が添えれていました。

角倉さん お元気ですか。
ごぶさたしています。
僕の畑で出来た野菜を送ります。
すべて無農薬・無化学肥料です。
まだその他の野菜もありますが
箱の容器の具合で入れられませんでした。
僕としてはじゃがいもはきたあかりで特においしいです。
またこちらでお合いしましょう。

笠木

手紙を読んだ私は…
「スゴイよー、コレ全部、笠木さんが作ったものだって!もちろん無農薬で!」…と
YUKIに嬉しくなって大声で伝えました。
   

一ヶ月半ほど前の7月11日、飯山の”ほたるの会”の帰りに笠木さんの畑に寄ったのですが…
ここまで立派な農作物が出来るとは正直、思ってもいませんでした(^_^;)
    

そのまた一ヶ月半ほど前の5月30日、飯山での田植えの時に、
笠木さんが初めたばかりの畑を見にいった時は、

何年も使っていなかった耕作作放棄地の畑や田んぼで…
しかも全て無農薬で…
しかも農業の経験のまったくなかった名古屋育ちの笠木さんが…
しかも、こんなひろい畑で多くの種類の作物を
しかも、たったひとりで…    

ま~今年は試行錯誤で、どれかひとつぐらい収穫があれば上出来ではないか
それよりも、くじけないで頑張ってやってほしいな、と心から思ったものでした。
笠木さんのことは週間KENでも時々ふれていますが、
昨年のゴールデンウィークにYUKIと参加した飯山での残雪のブナ林探索ツアーで
ご一緒した時に、私が飯山の良さを力説したのがキッカケで?
その2ヶ月後には飯山に移り住んだという、
もうその行動力のビックリし、羨ましくも思い、責任も感じ(^_^;)
…目が離せなくなってしまったのです。

ヒロコもボーリングのような立派なスイカに感動、重さを測ったら6キロもありました!
大きなスカイ小さなスイカも上出来です。
もちろんジャガイモも、枝豆、まる茄子も、そしてミニトマトのフルーツのような甘さにもビックリ
どれもとてもやさしい味がして家族一同で美味しく食べちゃいました。

一見たよりなさそうにう見える笠木さんですが(^_^;)
行動力があって探究心もつよく、
そしてなによりマイペースで楽しそうなのが素晴らしいところです。

我々の飯山での稲作を指導して頂だいている
無農薬不耕起栽培の第一人者でもある園原さん
笠木さんの畑の近所のおばちゃんや、地元の多くのひとからも可愛がられているようです。

10月には稲刈りで飯山に行きますが
笠木さんの畑で話を聞くのが、ますます楽しみになってきました。

2010年08月23日344号 二子多摩川の花火

8月18日(水)
アカラックスでもヒロコの送別会をやって頂きました。
4月にヒロコの留学決定のお祝いもして頂いたのに(^_^;)
ま~サカモッチ(坂本さん)には、これまでヒロコも数学(算数?)やインターネットの事でも
大変お世話になっているので会計はヒロコ持ちでと本人は申していたのですが…
結局は我が家全員またゴチソウになってしまったようですm(_ _)m

会場は4月と同じヒロコが大変お気に入りの中華料理『白蘭』
メンバーも4月と同じ、もう家族のように親しくさせて頂だいている
アカラックスの新越さん、下川さん、沖田さん、そして坂本さん。  

どこへ行っても、遠慮も緊張感もない我が家のメンバーですが(^_^;)
ここまで心が和むところはありません、しかも会社なのに(^_^;)   

8月21日(土)
二子多摩川のヒロコのバーベキュー大会に、
近所だということもあって何度か参加して頂だいている古田夫妻から
二子多摩川の花火大会のお誘いを頂きました。

私はこの日は夕刻まで用事があって花火が始まる7時頃にお邪魔すればと
思っていたのです。
しかし良く聞いてみると、
まずは午後5時30分までに古田さんのマンションに集合!そこからみんなで歩いて、
古田夫妻が前もって花火見物の為にシートを敷いて確保している場所に
皆で揃っていくという事になっているというのです。
そうしないと大混雑の花火会場ではケータイが繫がらなかったり、騒音で聞こえなかったりで
みんなと一緒に花火見物をするのは困難なようです。

したがって私の用事はキャンセル、
5時30分までに古田家に到着するようYUKIと我が家を出たのですが、
電車も二子新地駅もラッシュアワー以上の超満員!   
ほんとうはココでヒロコ達と待ち合わせの予定でしたが、
我々だけで先に行くことにしたのですが、道に迷ってしまい…   
ヒロコ達の方が先に到着!定刻を大きく過ぎて我々は到着してしまいました(^_^;)

マンションから花火会場へ  
その途中で、遅れて心配していたジェニファーと道でバッタリ、ラッキーでした。   
古田夫妻が確保しておいた広々としたシートには大感激!  
まずはビールを飲みながら花火の打ち上げをまつ事に(^_^;)   

5000円の有料席もあるそうですが…
ここでは足も大きく伸ばせて、川辺の風も心地よくまさに特等席!
これほど近くで、これほどゆったりと花火を見たのは初めての経験でした。      

花火が終れば、みんなで歩いてまた古田さん宅に戻って次はホームパーティです。    

ヒロコの大学時代の友人イッテツは両親とも日本人の立派な日本人ですが
アメリカ産まれのアメリカ育ちで中身は完全アメリカ人。
この日は初めて着物に下駄だったのでが、もう下駄だけは2度と履きたくないそうです(^_^;)

古田家の愛犬ブレスも大勢の来客、たくさんの料理に興奮気味です。
古田さんはヒロコのボストン行きを祝しての乾杯をしてくれました。  

私の隣にいたお嬢さん(樋渡真美さん)のお仕事を聞くと…
ジャズやボサノバやシャンソンを歌って、アクセサリーのデザインもやっているとの事。
私はブログでこれからの時代は「好きなこと、得意なこと、を職業に!」と主張しているのですが、
今の若い人の多くはまず”好きなことや得意なこと”が判らない…というのに愕然とした、
樋渡さんは、まさに好きなこと、得意なことにチャレンジしいて、応援したくなりました(^_^;)
彼女の歌手としのHPアクセサリー・デザイナーとしてのブログです。

時間を忘れ色々な人と楽しく、美味しく、素晴らしい時間を提供して頂いた古田夫妻に感謝です。
          全員集合

2010年08月16日343号 ヒロコ送別会の日々

アメリカの大学院留学が今月末と迫って、ヒロコは送別会でも忙しくなったてきたようです。
何か口実をつけて飲み会を企画したりするのが好きな娘ですので、
たった1年間の留学ですが、なんだかオオゲサなことになっているようです。(^_^;)
てなことを他人事のように言っていますが
ヒロコの両親…すなわち私とYUKIまでが出席するから、ますますオオゲサになるのかも知れません。
でも誘われるとなんでも喜んで参加するが我がファミリーの慣わしですから(^_^;)

8月11日(水)はヒロコの会社(バージンアース)での送別会でした。
…といってもヒロコは2年半ほど前から母校のテンプル大学日本校で映像編集の講師を週3回やるようになって
正社員ではないのですが社長のリチャードを開いてくれたようです。

そもそもヒロコがバージンアースに入社したのはテンプル大学の恩師であるロンがリチャードの友人だった事が
はじまりで、ヒロコの母校での講師依頼もリチャードは気持ちよく了承してもらい…
今度のボストン留学中の住居も
リチャードの従弟ファミリーの豪邸?の一部屋を提供して頂ける、という心も身体も大きい社長さんなのです(^_^;)

会場はバージンアースの青山スタジオ、
通信衛星を使って世界中の配信できる設備を持ったスタジオですが、この模様は世界に配信されず(^_^;)
そのかわりヒロコの同僚で結婚してイスラエルに行ってしまったカオリさんと
スカイプで繫がって大いに盛り上がりました。    

ヒロコの会社でのこのようなパーティーに参加するのは初めてですが、
毎年9月に恒例になって今年はヒロコの留学があるので7月に行った多摩川河川敷での
バーベキュー大会に参加頂だいている人たちも多くいるので     
私たちも大変楽しく過ごすことが出来ました。     

8月14日(土)はヒロコが大学の時にインターン・シップで勤務したことがある
『JAPAN TODAY』というネット配信をしていた会社で親しくしていたマミーゴさん(マミさん)宅に
招待されたのです。
マミーゴさんの結婚式の司会は、ご主人ショーちゃんの友人とヒロコの二人でやる事になっていたのが
ショーちゃんの友人がお酒を飲みすぎ途中でダウン、ヒロコが最後までやりとげとても感謝されたとか(^_^;)
ショーちゃんは料理もサーフィンもプロ級で、バーベキューには最初の頃から参加して頂だいて、
ヒロコが選ぶベスト・ハズバンドのベスト・スリーに入るナイス・ガイです。
サーフィンが目的でのオーストラリアのワーキングホリデーでアメリカ映画のエキストラをした話や
新婚旅行でのマダガスカルの話など興味深いものでした。

少し遅れて、マミーゴの高校時代の同級生で同じ職場に勤務していた時に…
インターン・シップのヒロコをとても鍛え上げて頂いた”女傑!”のサチエさんがやってきました。(^_^;)
ゴジラ松井の大ファンで単身ニューヨークに乗り込んで何のコネも使わず松井選手の
単独インタビューに成功したり、豪快なエピソードにつきず、オヤジの居酒屋ネタの本なども出しているのに
なぜか?お酒は飲めない人なのです(^_^;)

サチエさんには今年のバーベキューでは最初から最後までモクモクとバーベキュー係りとして
大いに戦力になって頂きました(^_^;)

マミーゴの家は我が家からクルマでいけば15分ほどのところなのですが、
我が家は”呑んべい3羽鴉”ですからクルマで行くことは出来ません。

そうなるとバスで向ヶ丘遊園まで行って、一駅小田急線で登戸まで行って、
南部線に乗り替え一駅先の中野島で降りて…そこから徒歩でと、けっこうややこしいのです(^_^;)
だったらバスを途中で降り健康のため歩く、という事にしましたのですが
思ったよりたいしたこともなく、ビールはグイグイと進み
ショーちゃんの料理はとても美味しく食べることが出来ました。
     
帰りはタクシーが直ぐに拾えて,すぐに我が家に到着しました。
    ⑤ 

ちなみにサチエさんは草加(埼玉県)にお住まいで、ちょっと大変かも知れませんが、
なんせサチエさんですから大丈夫でしょう、酔ってませんし(^_^;)

2010年08月08日342号 飯山OFF会 in 麻布

先月、飯山での”草取り”と”蛍鑑賞”と”酒盛り”で大いに盛り上がった、その深夜
清野夫妻とヒロコと私、そして森の家のスタッフでこの日宿直だった林クンとで
次回の東京OFF会を何時・どこでやるかで、またまた盛り上がっていました。(^_^;)

6月の東京OFF会でも、飯山の森の家のスタッフンになる前は東京にいた林クンにも
次回は是非参加してもらおうという事になって、そのうちあわせです。
ようするに林クンがいつ出てこれるかで…
彼のスケジュール表から東京に出てこれる日を軸に、こちらの予定を調整し
8月4日とまずは開催日が決定!
次に会場ですがテレビ局のディレクターの職を捨てカンボジアにボランティアに行ってしまった
ヒロコの仕事仲間”アニー”の麻布のマンションなら時間を気にせず楽しめるし…ということになりました。

8月4日・アニーのマンション(麻布)・午後7時から・飲み物持込・料理は用意・
それにアニーのマンションの使用料として1000円…と決定したのです(^_^;)

その2日前の8月2日、アニーが急遽一時帰国する事になったのですが、
アニーは「ボクも楽しみにしているから気にしないで!」…という事で当日を向かえました。

アニーのマンションでのパーティーはこれで3回目の私ですが、
過去2回はクルマでちょっと”顔を出すだけ”のつもりYUKIが上機嫌になってしまい
結局、私はシラフなまま深夜まで付き合わされることになったのです。
今回は飯山のOFF会、私も大いに楽しむつもりですからクルマを置いての参加です。
YUKIと電車で少し早めの午後6時に到着、まだ主(あるじ)のアニーとヒロコだけでしたが…

東京OFF会のリーダー清野夫人のサッチャンが料理の準備もあって参上。

アニーの友だちで料理名人でミス福島にもなった美人のマイマイさん。

OFF会の常連でお酒とタイガースが大好きなチカートさん。
誰もが初対面で楽しみにしていたチカートさんのご主人で獣医の親跡さん。 

飯山における若手東大”閥”?のキーマンでもある、ほのぼのしたプーさんですが
東京ではじめて見る姿はキリッとしたキャリアウーマンのようでサスガと見直しました(^_^;)

私の姪っ子でヒロコの従妹、アニーのカンボジヤ行きにも同行し、
ヒロコ主催の恒例のバーベキュー大会では清野夫妻とも意気投合し、
留学のため行けなくなるヒロコに変って飯山の稲作に参加するつもりでいるロイターカメラマンのユリ

私とYUKIが初参加した2年前の田植えで同じ初参加で、懇親会でも同じテーブル
それいらい親しくしている飯山をこよなく愛する自然派タカハシさん。

奥様が翻訳家、職場で一緒になったご主人は乃木坂の大手レコード会社に今も勤務中(^_^;)
で国際的なイサヤマ夫妻

サッチャンのご主人でこの会のレギュラー清野ヒロユキさんが…

そしてそして…今回のメダマ!飯山から林クンが新幹線に乗り継いでやってきました!
なんと!森の家のユニホームのままで(^_^;)     

最後に飯山・東京OFF会の創設メンバーで楚々とした美女で底なしの大酒のみ森川さん(^_^;)
全員集合で大いに大いに盛り上がったのです。

森川さんはJICA社員で9月から3年間モロッコに赴任しますが…
なんと、マイマイさんは2003年から2年間、JICAのモロッコで日本料理を教えていたのです。  

そうそうアニーも楽しく参加していたのですが…
過酷なカンボジアから帰国したばかりでお疲れぎみなのに、
YUKIからズバズバとキツイことを言ったようで部屋に閉じこもってしまいました。
コレがYUKIなのでありまして、私は慣れていますが普通はね~(^_^;)  

でもチカートさんのご主人・親跡さんはとても野球に詳しい方で
私が阪急ファンだったと知ると、その頃の選手をとてもよく知っていて、ほんとうにひさしぶりに
野球談義をすることが出来ました。 

林クンは北海道でナンバー1の陸上400メートルの選手だったそうですが…
森の家のスタッフは皆イケメンのスポーツマン、しかし残念なことに皆既婚者なのです。
私が残念がることはないのですが(^_^;)
林クンも大学時代の後輩と結婚、昨年飯山で長男が生まれて大変な子煩悩なのです。
そして飯山の若いスタッフは今ベビーブームなのです。
東京で働いていた時と比べれば飯山での収入は激減したようですが、
人間らしい生活が出来るようです。     

そういった価値観を持った多くの人たちと飯山で出会えることが出来るのも…
私が飯山にとりつかれ離れられなくなる大きな要因なのかも知れません。