2010年08月16日343号 ヒロコ送別会の日々

アメリカの大学院留学が今月末と迫って、ヒロコは送別会でも忙しくなったてきたようです。 何か口実をつけて飲み会を企画したりするのが好きな娘ですので、 たった1年間の留学ですが、なんだかオオゲサなことになっているようです。(^_^;) てなことを他人事のように言っていますが ヒロコの両親…すなわち私とYUKIまでが出席するから、ますますオオゲサになるのかも知れません。 でも誘われるとなんでも喜んで参加するが我がファミリーの慣わしですから(^_^;)

8月11日(水)はヒロコの会社(バージンアース)での送別会でした。 …といってもヒロコは2年半ほど前から母校のテンプル大学日本校で映像編集の講師を週3回やるようになって 正社員ではないのですが社長のリチャードを開いてくれたようです。

そもそもヒロコがバージンアースに入社したのはテンプル大学の恩師であるロンがリチャードの友人だった事が はじまりで、ヒロコの母校での講師依頼もリチャードは気持ちよく了承してもらい… 今度のボストン留学中の住居も リチャードの従弟ファミリーの豪邸?の一部屋を提供して頂ける、という心も身体も大きい社長さんなのです(^_^;)

会場はバージンアースの青山スタジオ、 通信衛星を使って世界中の配信できる設備を持ったスタジオですが、この模様は世界に配信されず(^_^;) そのかわりヒロコの同僚で結婚してイスラエルに行ってしまったカオリさんと スカイプで繫がって大いに盛り上がりました。 ① ② ③ ④

ヒロコの会社でのこのようなパーティーに参加するのは初めてですが、 毎年9月に恒例になって今年はヒロコの留学があるので7月に行った多摩川河川敷での バーベキュー大会に参加頂だいている人たちも多くいるので  ① ② ③ ④ 私たちも大変楽しく過ごすことが出来ました。 ① ② ③ ④ ⑤

8月14日(土)はヒロコが大学の時にインターン・シップで勤務したことがある 『JAPAN TODAY』というネット配信をしていた会社で親しくしていたマミーゴさん(マミさん)宅に 招待されたのです。 マミーゴさんの結婚式の司会は、ご主人ショーちゃんの友人とヒロコの二人でやる事になっていたのが ショーちゃんの友人がお酒を飲みすぎ途中でダウン、ヒロコが最後までやりとげとても感謝されたとか(^_^;) ショーちゃんは料理もサーフィンもプロ級で、バーベキューには最初の頃から参加して頂だいて、 ヒロコが選ぶベスト・ハズバンドのベスト・スリーに入るナイス・ガイです。 サーフィンが目的でのオーストラリアのワーキングホリデーでアメリカ映画のエキストラをした話や 新婚旅行でのマダガスカルの話など興味深いものでした。

少し遅れて、マミーゴの高校時代の同級生で同じ職場に勤務していた時に… インターン・シップのヒロコをとても鍛え上げて頂いた”女傑!”のサチエさんがやってきました。(^_^;) ゴジラ松井の大ファンで単身ニューヨークに乗り込んで何のコネも使わず松井選手の 単独インタビューに成功したり、豪快なエピソードにつきず、オヤジの居酒屋ネタの本なども出しているのに なぜか?お酒は飲めない人なのです(^_^;)

サチエさんには今年のバーベキューでは最初から最後までモクモクとバーベキュー係りとして 大いに戦力になって頂きました(^_^;)

マミーゴの家は我が家からクルマでいけば15分ほどのところなのですが、 我が家は”呑んべい3羽鴉”ですからクルマで行くことは出来ません。

そうなるとバスで向ヶ丘遊園まで行って、一駅小田急線で登戸まで行って、 南部線に乗り替え一駅先の中野島で降りて…そこから徒歩でと、けっこうややこしいのです(^_^;) だったらバスを途中で降り健康のため歩く、という事にしましたのですが 思ったよりたいしたこともなく、ビールはグイグイと進み ショーちゃんの料理はとても美味しく食べることが出来ました。 ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ 帰りはタクシーが直ぐに拾えて,すぐに我が家に到着しました。 ① ② ③ ④ ⑤ 

ちなみにサチエさんは草加(埼玉県)にお住まいで、ちょっと大変かも知れませんが、 なんせサチエさんですから大丈夫でしょう、酔ってませんし(^_^;)

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2010年04月19日326号 ヒロコのお祝い

ヒロコの”お祝い”を坂本さんのアカラックスの方々でして頂きました。 何のお祝い?…結婚ならいいのですがブーです。(^_^;) ヒロコのアメリカの大学院での留学校が決まってそのお祝いというわけです。

何でそんな事までアクチュアリーの坂本さんの会社で祝って頂けるかという事は 1年ほど前の週間KENをご覧頂ければと思います。

ようするに坂本さんはヒロコの数学の先生で、そのおかげで大学院留学の為の学力を クリアすることが出来たのです。 本来ならコチラがご招待して御礼を言わなければならないのですが ひさしぶりに皆で楽しく外食をしようというありがたいお計らいです(^_^;)

日時と会場はヒロコの方でサッサと指定したようで ほんとうに遠慮を知らない図々しいムスメいや我が家系を恥じるばかりで御座いますm(_ _)m

てなわけで、4月14日(水)午後6時から ヒロコお気に入りの肉団子が美味しい中華の【白蘭】で開催!という事になったのですが、 本人が決めた時間なのに仕事の都合で少々遅れ… 本人が決めたお店なのに場所が良く判らないと… 結局、坂本さんが神田駅まで迎えにいってもらう事になって 定刻より20分ほど遅れて乾杯をする事が出来ました(^_^;)

良く私も聞かれるのですが、 ヒロコはどんな仕事をしいて、今度はどんな勉強をしにアメリカに留学するのか?という事です。 私もよく判らないのですが(^_^;)【映像編集】というのがヒロコの仕事のようです。 今ではハリウッド映画の編集でも使われる編集ソフト【ファイナル・カット・プロ】を使って 主に外資系企業のプロモーション・ビデオやドキュメントなどの映像に携わっているようです。

2008年1月から母校のテンプル大学日本校で講師として週三回の【映像編集】の講師も引き受けることになり ヒロコ自身も勉強意欲が沸いたようで、 その頃からアメリカの大学院でもう少し専門的な勉強したいという思いがつのったようです。 とは言っても先立つお金はありませんし、オヤはまったく頼りになりませんので(^_^;) ま~それなりにガンバッタようです。 これが留学が決まった時のヒロコのブログです。 因みにサカモッチとは坂本さんのことです(^_^;)

ま~オヤの方は… これで口実をつけてレッド・ソックスの松坂を見て、そのついでに西海岸でイチローや松井を見て なんてノーテンキに喜んでおります(^_^;)

ひさびさに美味しいビールと肉団子をはじめ多くの料理をたらふく食べ 家族のように親しくさせて頂だいているアカラックスのスタッフと楽しいひとときを (もちろん坂本さんのオゴリで)過ごさせて頂きました。 ① ② ③ ④ ⑤

そうそう私は現在ブログで【生命保険の原価】という崇高なテーマに挑んでいます。 「それゃ~原価じゃないだろう!」というモノが最近マスコミやネット上で マコトシヤカに乱用され私はとても違和感を感じているからです。 とは言っても保険屋の私が”原価”とは何かまでエラソーな事が書けるわけでもなく、 保険数理のプロであるアクチャリーの坂本さんに出て頂かなくては オサマリがつかなくなりそうなので、その依頼もしちゃいました(^_^;) ただアクチュアリーの話はいつも難解ですので、 まず私が判るかの不安はありますが(^_^;)

てなことで父娘ともども坂本さんにはオンブにダッコ状態でありまして… 「ありがとう!」としか、言葉が御座いませんm(_ _)m

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2005年06月13日073号 それでは、行ってまいります!

ハワイ行きが決まった時、この【73号】はホノルルから送ろうと決めていました。

このコラムは毎週月曜日発行となっていますが、 通常は日曜日の夜に原稿を書いて、就寝前(月曜日未明)にネットに流す… というパターンで連載しています。 今回のハワイ行きは日曜日(12日)の夜、成田を発つ便ですが ホノルルには時差の関係で同じ日曜日の朝に到着し、 その日の夜にコンベンションがあります。 すなわち現地時間で考えれば、何時ものように日曜日の夜に原稿を書いて ホットなハワイ情報を【週間KEN】でお伝え出来るという算段でした。

ところが先月11日にホームページの閉鎖騒動が勃発。 ハワイ出発までにはHPを再開するとの思いでやって来ましたが、 結局HPが再開したのがハワイ出発日の前日未明! このことを何も報告しないで、いきなり、♪浮かれてハワイ♪から… では、ケジメがつきません。

まずは、この場で、皆様にご心配をおかけしましたが、丸一ヶ月で あらためてホームページを再開する事が出来ました。 これは、ひとえに私を支えて下さった多くの皆様のお蔭と心から感謝しています。 詳しくはココをご覧頂ければと思います。

この件については、このような短い報告とリンクでお知らせ出きますが、 もう一つ、我が家にとって大きなイベントが土曜日(11日)にありました。

ヒロコの大学(米国のテンプル大学日本校)の卒業式です。 ヒロコが卒業生を代表してスピーチをするというのです。 そのために宮崎からおばあちゃん(YUKIの母)も上京し、 ヒロコもYUKIも着物も着せてもらってと大騒ぎの一日です。 こんな一大事!?を【週間KEN】に書かずに、いきなりハワイ号では 今度は留守番役で”出たがり屋”のヒロコからクレームが来そうです。(^_^;)

さて、卒業式は思ったより遥かに盛大で厳かで感動でした。 会場は先週の学長との食事会と同じ、都ホテル(港区白金)の大会場。 完全にアメリカ風卒業式で、フィラデルフィア本校の学長は勿論 在日アメリカ大使も迎えての一大セレモニーです。

特別に成績優秀という事でもないヒロコが卒業生代表に選ばれたのは 4年間の大学生活を100%エンジョイしたからではないでしょうか? サルサクラブを創設し、あらゆるイベントに積極的に係わり、 ほとんどの教授や講師、そして学長とまで仲良くなって、 アルバイトはもちろん結局、就職までその関係できめちゃたようなのです。 よーするに、先生や生徒の間でも認知度の高い生徒だったのです。

そんなヒロコのイベントがあるごとに私もビデオを持って参加していたのですから、 けっこう私も有名(親バカとして)になっていたのです。 実は私は…ヒロコを保育園時代から撮り続けて来たのです。(^_^;)

ヒロコが大きな壇上にあがりました、何時ものように落ち着いて ユーモアに満ちたスピーチが会場を沸かせますが… 英語ですので少し理解出来ないところもあります。 しかし、ちょっと真を置いて ビデオを撮っている私に向かって感謝の言葉を言っているようなのです。 少し目を潤ませ、声が震えています、コッチもたまったものではありません… あとで私の撮ったビデオを見たら、画面が揺れていました(^_^;)

その後の立食パーティーでヒロコは誰からも声をかけられ、 その模様をビデオで撮る私をヒロコは「My father」と紹介してくれるのですが、 誰からも…「以前から知っているヨ」とのお答を頂きました。

宮崎のおばあちゃんも「小さい時には大変なハニカミヤだったヒロコが…」と とても感動されたようです。

てなわけで【73号】はハワイからではなく、我が家から送りました。 【74号】を書く時は我が家に戻ってきてからです。 そうすると画期的企画?ハワイ発【週間KEN】は無いというのも寂しいので… 臨時増刊号としてでも、出せたらと思っています。

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2005年06月06日072号 KENは眠らない

アッというまの一週間です! そして後一週間でハワイです! それまでに何とか、私のホームページも再開させたいと思っています。 寝る暇もないせわしさです(^_^;)

ヒロコは「KENは眠らない」と言います。 ヒロコが寝る時も、起きた時も、私がパソコンの前にいるからですが… 「野口英世は眠らない」という本をもじっているのです。 この本の著者である山本厚子さんとメキシコ大使公邸で ヒロコと一緒に逢いする事が出来ました。 何でこの本と出合って?何でメキシコ大使公邸なのか? それを書きだすと、またもや長くなりそうなのでやめます。 普段は(日本語の)本をあまり読まないヒロコが一気に読んだくらいです。 面白い本なのでお勧めです!

また日曜日にはヒロコが今春卒業したテンプル大学の卒業生から 選ばれた生徒の家族を、お食事にご招待いただけるという、 ありがたいお誘いに、家族3人大学近くの都ホテルに出かけました。 我々のテーブルは学長の隣でしたが、 なごやかに楽しく美味しい食事をご馳走になりました。 ヒロコはなかなかのスピーチ上手で会場を沸かせていましたが… しゃべりだしたら止まらないのは誰か?の血のようです(^_^) この土曜日(11日)には同じホテルで卒業式があり、 今度はアメリカ大使の前で卒業生を代表してスピーチが出来るとはしゃいでいます。

以上は私にとってマー骨休めのような話しです。 問題は「KENは眠らない」いや「KENは眠れない」のです。 何と言ってもホームページ閉鎖での対応が、なんやかやと時間が取られます。 【保険選びネット】の掲示板もレスが200を越えて、私がなぜか犯罪人のような 意見も飛び出してきて、穏やかではありません。 ネット上での誹謗中傷には馴れている私ですが、 今回はロコハウスの看板を背負っての騒動ですから 私のお客様に不安な気持ちを少しでも与えたら申し訳ないとの思いがあります。

どんなに遅くともハワイに行くまでにはホームページを再開するつもりですが 保険会社からの具体的な改定箇所を指摘した山ほどの書類が 私の手元に届いたのが金曜日の夕方でした。

今回の騒動で私の励みになっているのは坂本さんの存在です。 たまたま、坂本さんのセミナー直前に”事件”が起きてしまったという因縁で お気の毒に…私が巻き込んじゃったようですが(^_^;) こんな時に、これほど頼りになる人は他にいるもんではありません。

国内生保のアクチュアリー、外資生保の立上げから常務取締役、 再保険会社の立上げから撤退を代表として遂行、日本アクチュアリー会の重鎮、 現在はアカラックスという会社を経営し保険会社や共済のコンサルタントから大学の講師、 ついでに?アカラクシアという売れない(余計でした)保険代理店まで経営しているのです。

おそらく、今この日本国に於いて現存する、 ”生命保険に最も詳しい人”ではないかと私は推察しているほどの”お方”です。 そんな坂本さんですから、通常なら数十万円いや場合によっては数百万円の コンサルタント料を取る”そう?”ですが… 今回の私どもの件に関してはハワイ土産のマカダミアナッツのチョコレートと 引き換えという、特別レートにてお引受け頂いたのです。

金曜日の夜、YUKIと坂本さんの神田のオフィスに相談に伺いましたが… 何時ものように?お酒を頂きながら、保険談義に花を咲かせ、 ラーメンをご馳走になって楽しく帰りました。

今、その書類の山に一人埋もれて…今夜も眠れそうもありません。

2004年11月29日045号 ヒロコの英語劇

先週は私がケボ劇団のスター?であったことを書きました。 そして実は!大学時代にはスペイン語の語劇で主役もやっていたのです。 オジャンタイという芝居でオジャンタイの役を演じたのですが 私が主役をやるようじゃ、もう”おじゃんたい”と言われました。

それから40年近くが経過して、蛙の子は蛙です… ヒロコの英語劇を二夜連続で赤坂区民ホールにYUKIと見に行きました。 ビデオ撮りの使命をヒロコから授かっていて、二夜連続といっても同じ芝居だったのですが 演劇を見る目は、そこらへんの親とはチョットは違う、いや違うつもりであります。

ヒロコもまもなくテンプル大学を卒業するようですが、実にエネルギッシュに大学生活を エンジョイしてきたようです。 サルサ倶楽部を立ち上げ、自ら振り付けをしての公演は何度も見てきましたが その情熱は大変なもので、親バカかもしれませんが中々なものだと思っています。 授業はもちろんバイトもやりながらで、それだけでも充分だと思うのですが、 コーラス倶楽部にも参加しているかとおもったら、文化祭では教師のボサノバの ギター演奏に合わせて、それらしい雰囲気で唄っているのには呆れました。 そして演劇です、実は昨年、初めて出演して味をしめたようです。 『乞食と役者は一度やったらやめられない』と言われますが、それは私も実感です。 それにしても、今年は3つの芝居に出演し、そのうち2つが二人芝居ですから セリフの量だけでも大変なものです。

サルサ公演の時のヒロコの集客力には驚かされるのですが、 英語劇を字幕ナシで見るのには、かなりの英語力が必要でサルサのようにはいかず、 会場は閑散としたものでしたが…親とはエライものです! 私とYUKIはイベント皆勤賞?でテンプル大学でもかなりの”顔”なのです。

英語劇は、みんなが笑ったら私もつられて笑うという情けない観劇ですが それでもヒロコの演技には気になるところが山ほど見えてしまいます。 けっしてヘタな芝居ではないのです。 それどころか本人は得意満面でノリノリでパワフルで ”サルサ”を踊っているように楽しく演じているのです。 でも、私にはそれがどうにも鼻についてしかたがありませんでした。

初日の公演を終え、満足感にしたっているヒロコに、その事を告げると かなりのショックで疲れがドッとでて落ちこんで寝てしまいました。 そして2日目の演技はかなり良くなっていました。

ヒロコが保育園時代の学芸会… とてもシャイで大人しかったヒロコの声はまったく聞こえませんでした。 会場の友達から「ヒロコちゃん聞こえないヨ!」というヤジが飛んだビデオが残っています。 それが、何でこうなちゃたのかね…とYUKIと笑ってしまいました。

2004年5月17日017号 ケチケチ大作戦

ヒロコは一瞬、目がテンになったあと叫びました、「ヒドーイ」。 目には涙をためています。 その晩また家族会議です。 「我が家がビンボーだという事は知ってるだろうけど、それ以上にビンボーなのだ!」 私ははっきりと胸を張っていうコトではないので…小さな声で言いました。 まーそれからのコッチの話は〔009号・新聞配達〕での内容と、さほど変わっていません。 しかしヒロコは違います、あの頃は中学に入学したばかりの子供でしたが、今は おとなです。 「100万円のうち半分は使ったというなら許すけど、黙って全部つかっちゃとはヒドすぎる!」 そしてヒロコは続けました… 「私は絶対にローマに行く!その為には最低で80万円が必要だ、私はこれからアルバイトで50万円 稼ぐから30万円を用意しろ!」と親をキョウハク?するのです。 ここは黙ったてヒロコに従うしかありません。

さて大変です、10月・11月・12月の3ヶ月で30万円を用意しなければなりません。 やっと少しずつ借金を返すのに四苦八苦している時に、これ以上の借金は出来ません。 だからと云って、あの頃のように新聞配達をする気力も体力もありません。 そこで思いついたのが、お金を使わないと云う事です… 毎月10万円で3ヶ月で30万円がゲットできます!

さー大変です、「ケチケチ大作戦」の始まりです。 まず私が外に出ればお金がかかります…出ない事です。 そこで、まず以前から念願だったホームページ作りにしばらく専念する事にしました。 でも、家にいれば家で食べます、そこで家の中にある食材を食べつくす事から始めました。 …けっこうあるものです。 冷蔵庫には古い冷凍食品・肉・野菜、タッパーに入ったままで忘れさられた佃煮や梅干。 何時買ったのか定かでないインスタント食材・乾物類・缶詰も棚の奥から出てきます。 封を切って放置されたスパゲティだって、湿気た味付け海苔だって… コワゴワ食べると、けっこうイケマス、北朝鮮の事を考えたら大変なご馳走です! 何十年も飾ってあった高級ブランデーもついでに飲んじゃいました。 けっこう快感です、やってみると面白いですよ。(薦めてドーする) 食器棚の引き出しの底にへばりついた【永谷園のお茶漬けのもと】を見つけた感激なんて! フツウの生活を じゃあ味わえない喜びだって体験できるのです。 でも3人いれば1ヶ月で食いつくしてします、 それに私だって年末にかけても、家に閉じこもりぱなしといは行けません。 でも、ありがたい事です…親しいお客様のところに訪問して「最近どう?」なんてきかれちゃうと、 ツイ調子ににって『ケチケチ大作戦』をしゃべってしまうのです。 そしたら…とっても同情され(あきれられ)、ご馳走になったり、お土産までもらっちゃ ったり。 (保険を頂いたうえのハナシですヨ、感涙です!)

そんな皆様の暖かいご支援と、ノー天気な性格に支えられ? 涙の30万円!をヒロコに与え… じゃなかった、ほんの一部を返して、 1月11日からヒロコはローマに旅立っていきました。

2004年5月10日016号 テンプル大学

サルサとアルバイトと大学探しに明け暮れているヒロコが或る日… 「テンプル大学って知ってる?」と私にたずねました。 「あー知ってるよ、とっても良い大学だと思うよ…」 私は即座に答えました。 「エッどうして?」

話はそこから7年ほど前にさかのぼります。 場所は麻布十番(東京)のスターバックス・カフェです。 オーストラリア旅行から帰ったばかりの私は(その頃我が家も少しはリッチだったのですが…) 友人のWとお茶を飲みながら、土産話に花を咲かせていました。 席を立とうとした時、隣のテーブルにいた金髪のとても可憐な若い女性が、微笑めかけています。 「私ハ、オーストラリア人デス…今ノ話ハトテモオモシロカッタ、日本語ノ勉強ニモナッタ、アリガトウ」 ととても素直に嬉しそうに話し掛けてきたのです。 なんで東京にいるのか?と聞くと…近くのテンプル大学の学生だというのです。

若い女性に、しかも金髪の美女から話し掛けられたオジサン二人はすっかり舞い上がってしまい… 友人のWはおもむろに名刺なんか出しちゃって… 「この近くの麻布に住む者だけど、息子の英語の家庭教師を是非やってもらいたい!」 なんて頼んでいるのです。

その時の彼女のチャーミングな微笑みとテンプル大学の名前は…はる風にような爽やかさで しっかりと私の頭に残っていたのです。 したがって「テンプル大学って?」と聞かれ反射的に「良い大学」と答えたのですが… 「それじゃー答えになっていない!」とヒロコとYUKIに言われてしまい… また3人で麻布にあるテンプル大学の説明会に行く事になりました。

小さな予備校のような校舎ですが、本校は米国フィラデルフィアの州立大学で東京以外にロンドンとローマにも分校があります。

単位は本校・分校どこで取ろうと、行き来も自由に出来るという事です。 今は経済的理由(ずーとこの理由ばかりで情けないのですがトホホ)で厳しいが、 自力で稼いでも海外の大学に留学したというヒロコのニーズには合っていたようです。 そして1月(2001年)からテンプル大学の学生になったのです。

大学に入学するや『サルサ・クラブ』を立ち上げ… 授業は少人数でとっても楽しいらしく…シンヤとかロンとかナグワとかヒロコの口から飛び出すので 友達がかと思ったら教授のようです。(まー私もKENと呼ばれているのですけど…) クラブ活動・授業・そしてアルバイトは多義を極め…ヒロコの手帳は私の手帳なんぞ及びもつかないほど スケジュールがびっしり書き込まれているのです。

本校にいくのが目的だったヒロコ ですが…9.11のテロがあったり、教授からは日本校にいた方が 勉強になると言われ、留学の事は口に出さなくなりました。 そして私もYUKIもすっかり「ヒロコは留学はしない」と思うようになったのです。

ところが昨年9月、ヒロコは突然「1月から1学期間ローマ校に行く!」と言い出したのです。 お金は今まで3年間ほどのアルバイトで100万円ほどYUKIに預けてるから、それで行くというのです。 でも…YUKIは「ナイ」と答えました。