2010年08月01日341号 ヒロコの編集作品試写会

8月1日(日)
ヒロコが編集した『Sayonara Speed Tribes』という
アメリカ人のジェイミーという青年が25歳の時に来日して暴走族を7年間撮り続けた作品で
JR川口駅(埼玉県)近くのメデァセブンという会場で行われました。

ヒロコとジェイミーが知りあったのは今年の4月。
ヒロコが編集した映像を見たジェイミーがヒロコに
「自分の作品の編集を是非やって欲しい!ボランティアで!」…と懇願されたそうです(^_^;)
ほんとうはジェイミー自身が編集もやるつもりでいたようですが、
7年間も撮り溜めたビデオ画像から1時間20分ほどの作品にまとめるのは、
ひとつひとつの映像に思いがありすぎて絞りこむことが出来ないようです。

そんなジェイミーですからヒロコに編集を任せるといっても
やはりいろいろな要望や思いがたくさんあって、
だったら第三者の意見を聞こうということもあって、今回の試写会となったわけです。
したがって作品は一応完成はしたものの最終版ではなく…
厳密にいうと試写会というよりラフ・カットのプレビューというもので
それを見て頂き、少しでも多くの方から意見をお聞きし最終的な作品を完成して
ロバート・レッド・フォードが主催する若手映画人の登竜門【サンダンス映画祭】に挑戦しようというのです。

さて会場には30名ほどの人たちが集まりました。
私の友人で前々号でも書いた映像にはウルサイ丸さん。
サカモッチの還暦パーティで今回の試写会の話をしたら是非参加したい
と言ってくれた暴走族にはウルサイ白根さん
ベトナムの戦場カメランからスタートし、フィリピンのアキノ氏の空港での暗殺画像を撮った、
辣腕カメラマンでカメラワークにはウルサイ大串さん。
それにヒロコの小学校の同級生ミツヨちゃん
サルサ仲間のアケミさんなども…来てくれました。

さて作品を見てからの感想ですが…
まずは、それぞれまずはアンケート用紙に記入し、  
そおのあとは質疑応答ですが丸さんと白根さんが質問をしました。  
基本的には私も含め厳しい評価です。
編集のカット・カットやノリは良いのですが構成が複雑で
イマイチ乗り切れないのです。
ジェイミーはヒロコの編集そのものには一切注文をつけないよいうですが…
それ以外は製作者・監督として、どうしても譲れないものがたくさんあるようです。

私の総合評価は10点満点で7点です。
その事はもちろん居酒屋での2次回でジェイミーに直接伝えました。
   

今月8月30日、ヒロコはその編集の世界をもっと深めるため、
ボストン大学の大学院に1年間の留学に行きますが、
インターネットとデジタル映像技術の発展で、
どこに居ようと、これまでと変りなく編集を完成させていくことが出来るようです。
今回の編集はヒロコにとっても、とても勉強になっているようです。

2010年07月26日340号 サカモッチの還暦祝!

7月23日はサカモッチことアカラックスの坂本嘉輝さんの60回目の誕生日でありまして、
その”還暦祝い”をアカラックスの事務所で華々しく開催されました(^_^;)

いつも坂本さんにはお世話になりっぱなしの我が家は、
この日ばかりは「返しの意味も込めてササヤカナ 一席を設けて…」などと提案したのですが
シャイな坂本さんから丁重なお断りがあって、
シャイな坂本さんらしく、この日は少しでも目立つように【本日の主役】という名札をつけて
いつものアカラックス事務所で、いつものメンバーが集まって、
いつものように誰が主役だか判らなくなるほど、大いに盛り上がってしまったのです(^_^;)

アカラックスからの還暦祝い開催のご案内メールには

◎ 場所はいつものように、当事務所
◎ 時間はいつものように、5時前後
◎会費なし・プレゼントなし・お返しなし
ただし、お酒・食べ物の持込みは自由
食べ物は当日食べられる範囲で
お酒は飲みきれなくても大丈夫

ということでバースデーケーキいや”還暦ケーキ”は私どもで用意することにしました。
いつものショコラ・ベアの大熊君にお任せでの注文ですが
ケーキに入れる名前を”坂本嘉輝さん”にするか、”坂本さん”にするか、それとも”サカモッチ”にするか…
少し悩みましたが、けっきょく我が家でしか通用しない”サカモッチ”を親しみを込めて入れることにしました(^_^;)

この猛暑の中、大きなデコレーション・ケーキを電車で持っていくのもツライので
この日は午後3時に霞ヶ関の経済産業省にアポイントがあったので、
その前にクルマでケーキをアカラックスに届けておいて、午後3時のアポが終ったらクルマで家に一旦帰って
電車でアカラックスの神田までいくことにしたのです。

…という事で私とYUKIがアカラックスの事務所に到着したのは午後6時、
ボチボチ始まっているだろとドアを開けると、すでに宴たけなわ、もう全員出来上がっての盛りあがりです
金曜日の夜というのにおヒマ…いやいや坂本さんのために万難を廃して来られているようです。(^_^:)

ヒロコも少し遅れて到着、
プレゼントなし、ということだったのですが、
先月、宮崎のホテルの部屋に置いてあった木片が4つのパズルにすっかりハマってしまい
「これサカモッチだったら出来るかも?」
「アカラックスの事務所に置いとけば面白いかも?」
…と思ってヒロコが買っておいたのを 渡すことにしたようです。
さて数学の達人、サカモッチは4つの木片を見事組合すことが出来たのか?(^_^;)

ま~いつもこのようにサカモッチを困らせる我が家ではありますが…
ほんとうにこのようなワケノワカラヌお騒がせの保険代理店を筆頭に
こうして眺めてみると、なんらかの形で保険業界に縁のある人たちではあるものの
ジャンルはいろいろで共通するのは私も含め”ヘン”なひとたちばかりのように見えます。
      

このような”おバ○”で個性的な仲間をゆる~い関係で大切にする坂本さんこそが
閉塞性が漂うこの保険業界を洗濯する坂本”龍馬”なのかも知れません、ひょっとしたら(^_^;)

2010年07月19日339号 小学の友&大学の友

小学校時代の友人、丸さんからこんなメールが届きました。

大兄の大学同窓、セニョール・ナガモリのブログ、長い間楽しみに読んできましたが、
最近全く更新されなくなり、心配しております。
お元気なら当然ご覧になったとは思いますが、
「闇の列車、光の旅」というメキシコ・アメリカ映画がシャンテで公開中です。
ホンジュラスからメキシコを経由、アメリカに入国する話で、今日見てきました。
ぜひ、ナガモリ氏の感想を聞きたく、とりあえず大兄にメールした次第。お元気だといいのですが。
それはそうと、近々暑気払いで、安酒でも。
丸谷嘉彦 拝

 
セニョール・ナガモリとは私の大学時代の友人で
彼が旅行会社定年後、JICAのシニア・ボランティアで中米ホンジュラスに…
そこからブログを書くことを私が薦め、帰国後も今年の4月30日までは書き続けてきたのですが
「また中南米を旅行するまでは書くことが無くなった」と
私の反対を押し切って突然、断筆してしっまたのです(^_^;)

丸さんとは、5年前の約50年ぶりの対面以来、年末恒例のホテル・ニューオータニでボランティアでの
クラシック・コンサートに参加してくれたり何かと懇意にさせてもらったいるのです。
大阪M放送でウルトラマンやドラマのプロデューサーをやっていた丸さん、
定年後は映画三昧、週に5本ぐらいを映画館で鑑賞し、その感想をメールで知人に送ってくるのです。
「だったらブログにすれば良いじゃないか?」…といったのですが、
この世界に長くいたので、何かとさしさわりがあるようです(^_^;)
因みに、映画祭の審査員のようなものをやっていて映画はダダでみれるようです。
私は映画そのものの批評より、それにまつわる色々な話が同じ時代を生きた友人だけに
とても興味ぶかく楽しみによませてもらっているのです。

このメールがあった数日後の16日(金)、3人で合うことのしました。
時間は午後4時半、待ち合わせ場所は新宿の紀伊国屋書店の前という事にしました。
時間は少々早いのですが丸さんが翌日早朝からゴルフに行くということで、
場所は3人が共通で判りやすいのではないかということで紀伊国屋書店という事にしたのです。
その事をナガモリに伝えると「新宿の紀伊国屋書店ってタイムズスクエアの?」などとと
わけのわからない事をいうのです。
「新宿の紀伊国屋と言えば新宿の紀伊国屋やだろう!」と私は言えばナガモリは
「ボクもそう思ってたのだけど以前に人との待ち合わせで勘違があった」…というのです。
われら世代は紀伊国屋はなつかしく書店はもちろん紀伊国屋ホールでの芝居や
大島渚の映画で青年(横尾忠則)が紀伊国屋で本を万引きし社長の田辺茂一本人も登場する
「新宿泥棒日記」などとても懐かしく思い出されるのです。
その後、私がフランセの銀座店にいる頃は、
毎日のように夜の銀座を飲み歩く田辺社長の姿をみかけたものです(^_^;)

まだ日も高い!…というか梅雨明け宣言をしたような真夏の日差しが眩しい午後4時30分、
紀伊国屋書店に3人は集合!
ナガモリと丸さんは初対面ですが丸さんはナガモリのブログを見ているのですぐに認知(^_^;)
場所は新宿、飲み屋はいくらでもありそうですが、
紀伊国屋ビルの地下に【珈穂音】(かぽね)という何だか懐かしい雰囲気を漂わす
酒場のような食堂のような小さなお店にはいって、まずはビールで乾杯!

映画の話、ホンジュラスの話、
丸さんは高校時代に船で米国(オレゴン州)に留学した時にホンジュラスの友人とメキシコまで旅した話。
丸さんが始めて英語を習ったのが私の父だった事や
ナガモリが旅行業一筋の人生を歩む最初のきっかっけが私の父であった事など…はなしはつきず、
懐かしい場所で、懐かしい仲間と、懐かしい話で…そして新しい出会もあって
楽しいひとときを過ごすことが出来ました。  

2010年07月12日338号 蛍の宿(飯山にて)

飯山での田植えから1ヶ月半
これも恒例の”草取り&蛍鑑賞”の日がやってきました。

稲作といえば”田植え”と”稲刈り”がメジャーですが、
その間にやらなければならない”草取り”は地味ではありますが
無農薬での稲作ではとても重要な仕事といえます。

この飯山での稲作の会の名称は「蛍の宿を守る会」
農薬などはいっさい使わない田んぼで”蛍の宿を守ろう”というのが、
この会の本来の趣旨ですから、”田植え”や”稲刈り”より
この蛍鑑賞が、ほんとうに蛍の宿は守られているのか?を確認する
重要なイベントともいえるのです(^_^;)

そんなわけで”草取り”は今年も粛々と行われ、
それなりに水まみれ、ドロまみれ、ヘトヘトになり、
   

そして小山会長のお嬢さんサッちゃんの大好評ドーナッツは
今回はちょっと趣向を変えてのブルーベリーとバナナの2種類のマフィンでしたが、これも大好評!
  
そうそう今回はサッちゃんのご主人清野さんのお父さんも初参加
いろいろとご一緒できて親しくさせて頂きました。

草取りの後は湯滝温泉の露天風呂
その後のイッパイがこれまた楽しみなのですが、
今回は”森の家”の庭地でのバーベキューということで、
我が家としては2週連続のバーベキューという事ですが、これもとても楽しいひとときでした。
     

そして!本日のメイン・イベント!我らの田んぼでの蛍鑑賞会です。
今年は蛍が、今のところポチポチと出だしたということで、
あまり期待はしないほうがよいという雰囲気です。

これまでのホタル鑑賞は温泉で汗を流し、宴会場からマイクロバスでホタルの田んぼに
行ったのですが、今回は”森の家”でのバーベキューですから
いつもの農作業に行くルートで、歩いて行かなければなりません。

しかし、昼間と違い漆黒の闇。
グループを3つに分けて、
先頭と最後尾に懐中電灯を持ったスタッフが足元を照らしながらの進行ですが、
その途中でホタルがほのかな光がスーと横切るの見つけると歓声が上ります。
せせらぎの中に2・3個の灯りが見えてきます。
ほんとうにポチポチという感じですが、目をこらすとアチコチに小さな灯りが見えて
闇の中のアチコチから歓声があがります。

カエルの合唱が聞こえると思ったら我らの田んぼです。
畦道を歩いていくと、カエルの合唱がひときわ大きくなり響きます。
すると田んぼの上をスースーと数匹のホタルが飛んだと思うと
田んぼの中にホタルの光りのかたまりが見えてくるではありませんか。
クリスマスのイルミネーションのような華やかな光りではありません。
漆黒の闇だからこそ、ほのかな灯りでもこれほどまでに見えるのかも知れません。
でも、ほんとうにたくさんのホタルが、我らの田んぼ「蛍の宿」を文字どうり宿にしているようで感動です。
漆黒の闇だと思っていたら誰かが「わー星がきれいだ!」と叫びました。
これまで雲で覆われていた空に星が輝いています!
そしてホタルも!カエルの合唱も!最高潮のハーモニーを奏でるのです。

気が付けばツデジカメで写真を撮りまくる私ですが…
ここで使える写真は1枚もありませんでした(^_^;)
写真を撮っていないわけではありません、このホタル鑑賞会も3回目、
今回はどうにか1枚ぐらいはと思い、いろいろ工夫はしたので少しは写っていても
淡いほのかな灯りのかたまりや、満天の星空や、カエルの合唱や、…
それらがなければほんとうの感動は見えてきません。
ほんとうに”美しいもの”や”大切なもの”は”写すことは出来ないから価値があるのでしょう。

感動のホタル鑑賞のあと、森の家のロビーで、いつもの仲間たちと夜おそくまで談笑に花が咲きました。
最後まで残ったのは、清野夫妻・ハギワラさん・ヒロコと森の家のスタッフで宿直の林さんと私。
また東京OFF会を8月に開催しよう!と大いにもり上ったのです!
       

2010年07月05日337号 バーベキュー2010

毎年恒例になっているヒロコ主催のバーベキュー大会
7月4日(日曜日)に開催されました。

いつもは9月に開催しているのですが、
ヒロコが8月の終りから1年間、ボストン大学の大学院に留学するため
今年は特別に2ヶ月前倒しになったわけですが、
梅雨のまっただ中で、それでなくても雨女のヒロコですから当日の朝まで心配でした。
でも天気予報は、今回は運良く外れてくれて日差しが照っての
絶好のバーベキュー日よりといった感じで、
ヒロコのケータイには当日になっての参加連絡もいくつか入ってきます。

会場はいつもの二子多摩川の河川敷。
午前中から場所取りを頼んでいるジェニファーから
「とても混んでいて駐車場にも入れないかも」との予想外の連絡で慌てましたが
ギリギリ滑り込み、たしかにものすごい混みようです。

河川敷は誰もがケータイやスマートフォンを持った若者ばかり、
これは私の想像ですが
朝から天気が良いのでツイッターで連絡を取り合い急遽、多摩川でバーベキューという事になって
それぞれが材料を持ち合って集結したのではないか?なんて思ってしまいました。

今回は例年と比べればほんの少し控えめですが…
初参加として私の妹夫婦と次女の医学生マキとその子どものカケル君とワタル君の三代で
それと入れ違いに長女のユリも参加
先日の飯山・東京オフ会でのチカアトさんも初参加、
もちろんセイノ夫妻は今年もドーナツと自家製お味噌とキューリも持参、
姪っ子のユリとも意気投合し、来週我が家でいく飯山に仕事の都合がつけば一緒にいく予定です(^_^;)

今回は子どもをつれての参加も多く、 
ますます年代も、ジャンルも、国籍も…超越した
”ゆるい会”に拍車がかって嬉しくなってきます。
”世が世なら”のコノエさんも今回は奥様となんとまだゼロ歳の次男が初参加
その赤ん坊とは思えない逞しいツラガマエいやゴソンガンには、明るい日本の未来を感じます(^_^)

週間KENを楽しみに見ているという、マイちゃんの友だちのカナヤマさんとは
嬉しくなってツーショットを撮らせて頂きました(^_^;)
ヒロコの小学校の同級生ナカジマさん
いきなりヒロコから「誰でしょう?」といきなり聞かれも、28歳になっているのですから(^_^;)

もちろん、それ以外におなじみのメンバーがいろいろな人たちをつれてきて、
ここには書ききれません。
後はいつものように写真で、その日の楽しさが伝わればと思います。
そして来年はヒロコが帰国後、いつものように9月に開催予定です。
この週間KENを見て、少しでも「参加したい」と思われたら是非・是非、おいで下さい。
ますます”ゆるくて楽しい会”になればと思っておりますので(^_^;)
                   

2010年06月28日336号 標準体重キープ(^_^;

早いもので今年も半分が過ぎようとしています。
今年の初めにこんな事も書きましたが体重はしっかりキープしています。
昨年の8月15日からダイエットを始めて12月に胆嚢炎の手術で退院して
75キロから14キロの減量を達成!
血糖値も、ヘモグロビンA1Cも、悪玉コレステロールもすべて平常値になったわけで、
少しは通常の食生活に戻しても、と思うのですがYUKIの”愛のムチ”は緩める事はありません(^_^;)

とは言っても、
外食も飲み会も、その時は気にしないで食べたり飲んだり楽しく過ごすようにしています。
以前は無意識にムシャムシャ食べていたものも、
久しぶりにジックリ味わって食べるととても感激ものです。
毎日体重を測っていますから、
そんな日が2日も続くと体重がすぐ2・3キロは増えています。
それではまずいと、摂生モードに切り替えると直ぐに戻ります。

毎日、体重・体脂肪・血圧・歩数…などを計り
食べたものは全てデジカメで写真をとって専用のブログに記録しています。
これはけっこう意思の弱い私にも効果があると自分でも思っています。
それプラス【恐怖の調教師YUKI】がいつも側にいるわけですから(^_^;)

1年以上も合っていない人と再開すると誰もが驚くようですが…2つのタイプに分かれます。
ひとつは、合うなり「ダイエットされました、いやーうらやましい!」と明るく反応するタイプ。
もうひとつは、何も言わずにいるので、私の方から「痩せたでしょ」というと、
「お身体は大丈夫すか?」と心配そうに反応するタイプ。

しかし、最近ちょっとヘンな現象に気がつきました。
今年になって2回目にあう人。
すなわち体重が変っていないのに「また痩せられました?」と
こんどは誰もが心配そうに聞いてくるのです。

どうも、私が考えるところですが…
薄着になったため、痩せたことがより鮮明になったからのような気がします。

考えてみたら背広も今年になってほとんど着ていません。
特に夏物はブカブカが目立って、われながらミジメに見えてしまいます。
それほど背広を着る事も無いのですが1着は必要と
新百合丘のサティで3年ぶりにイージー・オーダーの背広を作ってもらいに行きました。
3年前のデーターも残っていたのですが、もちろんまったく使いものになりません(^_^;)

3年前はたしか4万円ぐらいの背広でしたが…
なんと2着で39、900円というのがあり、そっちにしてもらいました。
寸法を細かく測ってもらい、手続きをし終わって、いつごろ完成ですか?と訊ねると1ヶ月後だというのです。
その理由は「中国で縫製を致しますので…」という事で納得してしまいました。
でも中国では今、工場ストがアチコチで行われているようで夏中に出来上がるか心配です(^_^;)

2010年06月21日335号 YUKIとヒロコの日舞披露!

6月20日(日曜日)
宮崎市日本舞踏協会・第36回【夏のおどり】が開催されました。
もちろん開催地は口蹄疫感染の真っ只中の宮崎です(^_^;)

YUKIはこの日にそなえ一週間前に宮崎入りしてYUKIの母から特訓を受けています(^_^;)
私とヒロコは金曜日の一番の飛行機で宮崎入り。
YUKIの母親、ヒロコの祖母は宮崎で藤間流の踊りを教える88歳の師範。
その娘と孫といっても実際に素人同然なのに、
【地元の踊りの会】に二人が出場すると聞いた時は、さすがの私も「大丈夫かな?」と思いました。
ま~本人たちが恥ずかしい思いをするのは勝手ですが
宮崎で長く踊りの世界にいる義母が恥をかくような事になったら申し訳ないという気持ちですが
そんな事も義母は充分に判っての”3人の暴挙”と私もハラをくくって当日を向かえたわけです(^_^;)

この日はあいにくの大雨、
それでなくとも口蹄疫騒動で自粛ムードいっぱいの宮崎で
どれだけの人が会場に来て頂けるかと思ったのですが大きなホールにはお客様でいっぱいです。

全36の演目でヒロコは6番目、YUKIは15番目に回ってきます。

ヒロコの演目は【春雨】、保育園の頃のおばあちゃんから教わった最初で最後の振り付けでした。
それをフィリピンでの高校時代、何かパフォーマンスしなければならない時に踊ったと聞いて
私とYUKIであきれ返ったことがありました。
今回もコレに近いものですが、フィリピンの高校生相手のパフォーマンスとは違います。
それなりにおばあちゃんから指導は受けたものの、この踊りの会の参加者とは
絶対的な練習量とキャリアが無いのは歴然です。
しかし人前に立って話したり、サルサは大学時代にクラブを立ち上げたりで…
そういった意味での”クソ度胸”と”でたがりや”の性格に期待するしかありません。
そして予想通り、ミスもなくリズムに乗って難なくコナシしてしまったのです。
     

15番目のYUKIはご存知【黒田節】です。
ヒロコとよく話すのですが、YUKIにはイヤな性格があって(^_^;)
いつもギリギリまで出来ないような顔をして、こっそりラストスパートをかけてクリアするのです。
今回もヒロコの方はそれほど心配していなかったのですが、
この踊りの会の創設メンバーで宮崎の日本舞踊の世界では少しは名を知れたお嬢様?
それでも若ければ愛嬌で済むかもしれませんが61歳のお嬢様では
愛嬌でカバー出来ないと誰もが思うと思うのです(^_^;)
でもやっぱり見せてくれました。
まったく見違えるほど堂々と、メリハリをきかせて踊り切って大きな拍手がありました。
やっぱりイヤな性格のヤツですが、やっぱりYUKIはYUKIでした(^_^;)
   

藤間友紫社中(義母の社中)の演目は後2つ。

昨年、藤間流の師範に合格した藤間友佐葵さんと中学2年生の舞巳子ちゃんの「千代の寿」
舞巳子ちゃんの存在は、まったくこの日まで知らなかったので、その踊りを見た時には
”鳥肌”がたってしまいました、動きが落ち着いてとても優雅な舞に!
   

そして藤間友紫社中、最後の出番が、高校2年生の貴弘くん、
それを義母の藤間友紫とYUKIの妹、藤間友崇が脇を固める坂本冬実の「アジアの海賊」(^_^;)
これに会場から喝采が出るほどの大うけで、私は思わず最後に涙が出てしまいました。
動画   

その涙は、そのパフォーマンスが素晴らしかったというだけでなく、
88歳の義母の絶える事のない燃えるようなエネルギーと、その心意気です。
普段は歩く事も大変な義母が、YUKIの黒田節ではバックで槍を持って舞いYUKIの踊りをカバーし
「アジアの海賊」での激しい動きには、義母を知る多くの人を驚かせました。
そして義母以外の多くの社中の演目は、
歌謡曲に合わせ同じような年代の同じようなレベルの数名のお弟子さん達が
同じような舞をするのが主流で、それはそれで面白いのですが、
なんだかカラオケ大会の延長といった感じがしないでもありません。
しかし地方都市で踊りの師匠として食べていくにはコレも欠かせないようです。

でも”我が社中”はとても変った出演者でした(^_^;)
最初の2名は私だってフザケルナと思った者たちでしたが
義母の心意気を見事に受け止めて踊りきりました。
そして中学生や高校生の出場者は他には誰もいません、
そして、そのレベルが抜群に高いという事です。
貴弘くんは中学生の時に、
どうしても義母から日舞を習いたいと一人で自転車でやってきたという逸話をもつ
将来有望な若者です。
常に日本舞踊の基本を大切にして最初の3つは古典的な演目、
そして最後は義母が2年前に骨折して入院している時にラジオで聞いて閃いたという
坂本冬実の「アジアの海賊」とその振り付け、
そのユニークさと華麗さを毎年楽しみにするお客様もいるようです(^_^:)

何はともあれ88歳の義母は常にエネルギッシュに仕事をコナシ!
         
よくしゃべり、よく食べ、 
そして大きな感動を頂くことが出来ました。
いつまでも、このちょうしでお元気で!で心からそう思った宮崎の滞在でした。 

2010年06月14日334号 飯山・東京OFF会

飯山での稲作は今年で3年目!
そこに集まる人たちとも親しくなって、それも飯山に行く楽しみになりました。

その東京でのOFF会は今回で3回目、
ヒロコは最初から参加していたようですが私は初めての参加です。
…というか私の印象では首都圏在住の呑ンベイの若い女性が数名集で気勢をあげているという印象で
私のようなオジサンが出る幕では無いと思っていたのです(^_^;)

呑んべいの女性とは、
元飯山市長で我々の稲作の会「蛍の宿を守る会」の会長小山さんのお嬢様のサチコさん。
東大卒でJICA職員で才色兼備の美女モリカワさん、
この人は飯山での宴会スナップを見ると、どのショットを見ても美味しそうにお酒をのでいるのです(^_^;)
そして我が家のお嬢様”ヒロコ”が設立メンバーのようです(^_^;)

そしてサチコさんのご主人、清野さん。
とてもやさしい熊のぬいぐるみのような感じのハズバンドで(^_^;)
昨年のヒロコのバーベキューにはご夫妻で来て頂きました
飯山での農作業のおやつにサチコさん手作りのドーナッツを食べるのもこの会の楽しみ。
先日の田植えではサチコさんは仕事で来れず清野さんがひとりで持参されました。

そうそう先日、我が家がよく行く多摩プラザSCの食品売り場にサチコさんが
仕事で来ているというヒロコの情報で行ってきました。
お父さまでの小山会長の本職は信州味噌株式会社の社長、
サチコさんは東京を拠点に営業の仕事をしていてお店にたつこともよくあるようです。

さてさてOFF会です(^_^;)
それに今回は私たちが初めて田植えを経験した2年前の懇親会で同じテーブルで
それいらい親しくなったタカハシさん。
チカートというお名前で、自己紹介があるたびに日系の方かなとおもっていたら
レッキトシタ日本人で大笑いしてしまった親跡(ちかあと)さん。

会場は有楽町、JRが上を走る建物の韓国料理屋さんと聞いていたのですが、
イメージとは大きく違って、とてもシャレた【コパン・コパン】というお店。
料理とお酒が飲み放題で4600円ととてもリーズナブル、しかも美味しい!
     
なんといってもビールの大きなデカンタがジョッキを注文するようにオーダーされ
韓国のお酒マッコリも牛乳のようにスイスイ飲まれ(^_^;)
そうぜい7名で、とても楽しく堪能した、ひとときを過ごすことが出来ました。
           

モリカワさんは9月からアフリカに3年間赴任するそうです。
事業仕分でJICAの偉い人がファーストクラスで行く事が問題になりましたが
「いつもエコノミークラスです」とはっきり言われてしまいました(^_^;)
ヒロコも8月終り頃からボストンに留学するわけで、
主力メンバーがしばらく欠けるようですが、
このOFF会、末永く続くと楽しいですね。

そうそうYUKIが居ないのを不思議に思った方もいるかも知れませんね(^_^;)
この日の早朝、YUKIは羽田から宮崎に行ったのです。
20日、来週の日曜日!いよいよYUKIとヒロコの日本舞踊を披露する日が迫ってのです。
YUKIはその特訓のために一週間早く宮崎入り。
私とヒロコは今週の土曜日に宮崎に行って、もちろんその模様は週間KENに掲載予定。

それまで私はYUKIから開放されてフリーというわけなのですが…(^_^;)

2010年06月07日333号 ほぼすい

6月2日(水) ”ほぼすい”に行ってきました!

午後8時過ぎ、私とYUKIは仕事帰りのヒロコと新宿駅の山手線ホームで待ち合わせして
恵比寿で下車、10分ぐらい歩いた閑静な住宅街に入ったところに”ほぼすい”の会場がありました。
ヒロコのアイフォーンの「コンパス」が無ければかなり迷いそうな場所です。

もともとはガレージだった所を事務所に改造し、その事務所にキッチンも作ってしまい、
”ほぼ水曜日”には事務所を開放し、誰でもいいからお酒を持ち寄って、皆んなで楽しく過ごそう!
…という、とても”ゆるい会”なのです(^_^;)
この会を主催し、その事務所のオーナーでもあるMOMOさん
あのアニーの誕生会で知り合った人なのです。
YUKIがとても上機嫌で酔っ払っていて(^_^;)私に「ほらMOMOさんよ!MOMOさん!」と
私に思い出せ!と言わんばかりに嬉しそうに紹介するのですが、
まったく初対面の私とMOMOさんは苦笑いをするだけでした。
その後YUKIに「MOMOさんって誰よ」と小さな声で聞きなおしたのですが、
混乱したようで何も答えてくれないのです。

後日、ヒロコから”ほぼすい”のMOMOさんという事を聞いて
HPを見てみると2日水曜日の”ほぼすい”のテーマは
『口蹄疫対策ってどうなんてんの?安全ならいただきましょう、宮崎ビーフ』というもの、
何だか不気味なものも感じますが、宮崎生まれのYUKIとヒロコは乗り気です。
私も今回はもちろんクルマを置いて宮崎の焼酎【大河の一滴】を持って参戦いや参加することにしたのです。

早速出てきたビーフ!私が「この宮崎牛どこから手に入れたのですか?」と恐々と訊ねると、
「あっ楽天から」とあっさり答えられ拍子抜けするやらホッとするやら(^_^;)
思った通り、いやそれ以上にとても”ゆるい会”でとても気にいってしまいました。

MOMOさんの2匹の愛犬は、宮崎牛のカレーに目をウルウルさせて見つめるのですが
しっかり躾けはされていて、とても可愛いワンちゃんで、風神雷神風のイラストには笑ってしまいました。
           
帰りにアメリカ橋の近くにある、
これもアニーの誕生会でドンペリをプレゼントした北川さんのお店に寄って見ることにしました。

その入り口がある1階の別のお店で、
偶然にも、昨年のヒロコ主催のバーベキュー大会に二人のお子さんをつれて参加して頂だいた、
近衛忠大さんが事務所の社長と打ち合わせしているところに出会わせました。
近衛さんの叔父さんは細川元総理で宮中の歌会始にも毎年参加される”世が世なら”という方ですが
とてもキサクな方なのです(^_^;)

2階に上るとBar「Cam」、北川さんは東大で空手をやってIBMからライブドアをへて
ベンチャー企業を経営しながら、トムちゃんの映画「カクテル」に魅せられてBARもオープン
スキューバーダイビングのコーチもやっているという…とってもヘンなナイスガイ(^_^;)
私は学生時代からカクテルといえばテキーラ・ベースのマルガリータ!
それが、これまで飲んだ事もないほどのまろやかな美味しさに思わずお替り!
   
帰路は酔いが回ってほとんどオボロゲで、今回やっとYUKIとヒロコに仕返しをする事が出来ました(^_^;)

2010年05月31日332号 飯山の2日間

5月29日(土)午前9時42分、我が家から266キロ、
上信越自動車道『豊田飯山インター』少し手前の写真です。
私が運転するクルマの後部座席には毛布に包まったヒロコ
そして助手席にいるYUKIも
クルマに乗車した瞬間からグッスリ眠っています。
運転している私は昨晩から一睡もしていません(^_^;)

この日、飯山で3年目の田植えに行く日です。
遅くても6時には我が家を出発して運転はヒロコと交代しながら、
朝食を途中でゆっくりとって余裕をもっていこうという予定なっていたのです。

前日金曜日、先週の『アニーの誕生会』に続いて『アニーの送別会』がありました。
アニーのカンボジアでのボランティア出発を翌日に控えての送別会です。
どうせなら先週『誕生会&送別会』をやってしまえばいいのにと思うのですが(^_^;)

我が家も翌日は早朝から飯山に行くのでヒロコのピックアップも兼ねて
先週同様YUKIとクルマで麻布のアニーのマンションに午後10頃に伺いました。

今回もクルマですから私はお酒は飲めませんがYUKIは遠慮がちにワインで乾杯…
でも気が付けば先週同様だんだん御機嫌になって会場もヒートアップ。
気が付けば時計は午前2時!
私は路上のパーキングに置きっぱなしのクルマも気になるので、、
YUKIにキリのよいところで切り上げるよう伝言しクルマで待つ事にしました。
姿を見えないことにシビレを効かせた私はYUKIのケータイに…
それから20分ほどたって千鳥足で出てきたのはYUKIひとり(^_^;)
「ヒロコはどうした?」とYUKIに聞いても「……」何も答えません。
ヒロコのケータイに電話しようと思ったら、なぜがYUKIがヒロコのケータイを持っています(^_^;)
マンション・エントランスのドア・フォーンを何度呼び出しても騒然としているのか反応ナシ。
15分ほど鳴らし続けてやっと中へ、そこからヒロコを出すのにサラに数十分。
泥酔した二人をクルマに乗せ我が家についたのは午前4時近く。
ヒロコを起こすにもビクともせずしばらくクルマに放置。
YUKIも我が家につくなりベットに倒れこむ。
午前5時!私はヒロコをクルマから降ろし、YUKIを起こすも、
結局我が家を出たのは午前7時前。
もちろん二人はクルマに乗った瞬間から、また熟睡状態…

午前10時過ぎに、いつもの「森の家」に到着、
でも二人は11時の集合まで少し時間があると二つしか無いベッドを占領しまた寝てしまうのです。

ようするにYUKIとヒロコは午前3時(麻布)から翌日午前11時までほぼ熟睡、
私は一睡もせず、睡魔と闘いながら2人を”飯山”まで引っ張ってきたのです(^_^;)

あ~あ~怒りで興奮のあまり!序文の書き過ぎで、
表題の飯山での2日間の盛りだくさんのイベントはダイジェストになってしまいました(^_^;)
5月29日(土)
●田植えの前
       
●田植え
               
●親睦会
         

5月30日(日)
●アスパラ狩り(山の家ツアー)
      

高橋まゆみ人形館(山の家ツアー)
GWにオープンしたばかりで、作品もアーチストもまったく知らずに見学。
とても飯山らしい人形で、どれを見ても微笑ましく心なごむ作品でした。
    

●紙スキ(山の家ツアー)
        

●そば処・沢田(山の家ツアー)
まるで個人のご自宅(豪邸)という感じ…というより、ご自宅そのものです(^_^;)
ここのオバアちゃんが元気で気が向いた時に予約で作ってもらるそうですが、
とても繊細で、とても美味しく、ただただ皆感激しました!
いつも飯山の米作りには参加される東大農学部の学部長・生源寺教授と。
         

★カサギさんの畑…
これは少し解説します(^_^;)
あのカサギさんが今年3月から畑を借て、軽トラも購入して
いよいよ個人で農業をスタートしたというので早速、現場を見に行きました。
まず苗木を310本植えたというブルーベリーの畑です。
土地はほとんど無料で借りられたよいうですが雑草取りから大変でやっと植え終えたそうです。
実がつくのは順調にいって3年後、木は冬の大雪を防御するためのものだそうです。
    
野菜畑は自宅の近くに5つに分散されていますが、これもタダで借りられてそうで
地元の人たちも、真面目で勤勉なカサギさんを応援してくれているようです。
      
活き活きとして飯山の農業に溶け込んでいくカサギさんを合うことも
飯山にいく楽しみになってきました。