2010年10月11日351号 ラテ研総会

この週間KENでもすっかりお馴染みになってしまった拓大ラテンアメリカ研究会OB会の 2年に1度のO総会が10日(土)にありました。

2年前も、さらにその2年前も、この模様は書いていて、 ちょっと読み直してみたら、毎年同じような事をやっていて笑ってしまいましたが、 ”総会”なんていうものは、よっぽどの緊急議題でも無い限りそんなものでしょう。

そうは言っても役員をやっている方々は、それなりに大変でアタマが下がります。 2年に1度の総会ではこの”役員改選”があるのが、どうにも気が重いのですが… 司会役の瀬戸口会長の「会長へ立候補される方は挙手して下さい」との言場に、長い沈黙が続き 結局2年前と同じく現役員全員更新という事で、ココは大きな拍手で無事!終了しました。 ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧

今回の総会では、これまでに無いプログラムがありました。 「楽しきかな第二の人生」というテーマで木村先輩と同期の永森の30分づつの講演がありました。 木村先輩は2年前の総会のブログでも触れましたが、茨城県笠間市で農地を借りて野菜作りをやっていて その模様をユーモアを交え、とても興味深く聞くことが出来ました。 特に奥様とのエピソードは3年前にラテ研の香港旅行で、ご一緒しているだけに、笑ってしまいました。 そしてSr.ナガモリこと永森はもちろんラテンアメリカへの熱き思い! 彼の思いや考えは人一倍知っていると思っている私ですが、 永森らしい静かで坦々とした語り口の中から、その強い思いが滲みでていて 「第二の人生というより今こそ第一の人生だと思っている」という言場に心を打たれてしまいました(^_^;) ①

そうそう出席予定には入っていなかった上内先輩が途中から静かに入ってきて 私と永森はビックリして思わず顔をあわせました。 ほんとうは3年先輩なのですが卒業したのは一緒で我々同期とは麻雀をしたり、 スキーに行って麻雀したり(^_^;)とても親しくした先輩なのです。 ① ② ③ 3年留年したのはスペインに出稼ぎに行っていたからで、本当はとても優秀な人なのです(^_^;) もう少しお話が出来たらと思ったのですが永森の講演を聞いたら帰られてしまいました。

そして立食パーティですが、その前に恒例の記念写真。 こして、いつものように楽しい団欒 ① ② ③ ④ ⑤ ⑥

絞めはやっぱり拓大の応援歌や一連のパフォーマンスがあって、 ① ②  そして動画も 〆はこれまたいつもの阿達の押忍三唱(^_^) ① ②

この日は現役の学生、ラテ研の女性会長!茨城さんら4名も参加。 111期生との名札ですが、チナミに私は67期ですから44年後輩(^_^;) 今は部員は9名で頑張っているようですが、 このような拓大パフォーマンスはやるどころか見たこともないようで カルチャーショックを受けたようです。(^_^;) ① ② ③

そうそう、一時廃部になっていたラテ研を復活するためにアルゼンチン在住の中務先輩から派遣され 見事そのミッションを達成したご子息の中務義則君(101期)が、同じラテ研後輩の105期智子さんと この春に結婚し総会に夫婦で参加!  ① ② 若い世代の頼もしいカップル誕生でラテ研の未来は確固なものとなってきました。

ここでの立食が終ると、またまたお決まりの二次回というか三次会というか(^_^;) ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ 私の【iPad】に2年前の総会の写真を入れていったのですが、 私の前に座っていた阿達と塚本(68期)が2年前と同じ服を着ているという事で大笑い! まー季節も同じですし、おおいにありえる事ですがね(^_^;) ① ② ③

同じパターンの繰り返しの2年に1度の総会ですが こうして書いて見るとまだまだハナシは尽きないようで、何はともあれ楽しい一日でありました(^_^;)

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2010年03月15日321号 田中会長

大学時代の友人といえば この週間KENでもお馴染みになった拓大・ラテンアメリカ研究会の仲間たちがほとんどです。 我々が3年生の時にはラテ研の会長を務め、 また同期から中米共同市場視察団を派遣した時に団長も務めたのが田中で、 今でもリーダー的な存在です。

田中が特別に優秀だったからという事で会長や団長に選ばれたというわけではありません。 彼の人間的魅力、もっと具体的にいえば彼の質実剛健な迫力が買われ(^_^;) リーダーに選ばれたようです。

海が好きで年中真っ黒に日焼けし、 麻雀仲間と季節外れの伊豆のバンガローで徹マン大会をやった時、 麻雀をしない田中もやってきて、何をするのだろうと思ったら、 夜中の寒い海に潜って手づかみで魚を獲ってきたのには誰もが驚いたものです。

就職し社会人になって… 私はフランセの銀座店の店長をしている時 田中が珍しく…というか初めて、とてもキュートな美女を伴なって神妙な顔で店にやってきました。 「今、見合いをしてきて、その後は二人でどかに、なんて事になったのでココに来た…」 ようするに”私にこの場を持たせろ”というのです(^_^;) 私は田中のそんなところも茶化しながらも彼の魅力を語りました。 田中夫人になった明子さんは… 「こんな友人(私のこと)がいるならチョットだけ付き合ってみるか?」…と思われたそうです(^_^;)

田中が50歳になった時、営業部長の職を捨て、突然”漁師”になってしまいました。 田中の夢の職業だったのです。 職安で「漁師ななりたい!」と言ったらビックリされ 「それは職安(厚生労働省)の管轄ではなく農林水産省の管轄です」と言われたそうです。 受け入れてくれたのは茨城県の波崎漁港、単身赴任です(^_^;)

都会でのサリーマン経験しかない50歳を過ぎの中年男がなぜ? きっとシャバで悪い事をしてきたに違いない!なんて最初は見られたようです(^_^;) しかし大揺れの漁船に乗っても船酔いもせず、収穫される全ての魚の名前も知っていて 活き活きと嬉しそうに働く田中に、周りの見る目も違ってきたようです。 そんな田中が任されたのが漁船での”料理長”! 漁師にはギャンブル好きが多くて”賄いのお金”まで使い込む者が後をたたず 田中なら金を預けても大丈夫と、料理経験などほとんど無い田中に白羽の矢?があたったそうです(^_^;)

そんな田中も数年前60歳を過ぎて体力の限界も感じ漁師生活からリタイア。 田中の自宅がある港北ニュータウン(横浜市)のマンション群を訪ねたら 300世帯ほどある敷地内の駐車場管理の役員をやっていて、 彼に注意されると誰もが頭をペコペコさせ、田中にピッタリの仕事のように見えました(^_^;)

その田中が今、パートで働いているのが横浜駅前の都市銀行が入っているビルの 立体駐車場の管理人(^_^;) その職場に先週の11日に初めて訪問しました。 あいかわらず、ふてぶてしい態度でゆっくりと身体を動かして やっぱり駐車場のオヤジが似合っているのには笑ってしまいました。 ① ② ③ ④ ⑤ ⑥

そんな田中は今、夜も眠れないほど忙しいと嘆くのです。 田中が住むマンシュン群の駐車場管理の辣腕が変われ ご夫人たちの人気も高く(本人曰くですが)管理組合の会長に押されてしまったようです。 毎日マンションの住民や関係業者からメールが4・5件はコンスタントに入ってきて 慣れないパソコンでひとつひとつ返事を書いていると朝になってしまうというのです。 確かに彼が職場に持ち込んでいるパソコンのメール送信時間を見ると 確かにそうなっていますが楽しそうです。(^_^;)

クシャミをすると腰を押さえイタイイタイというので「どうした!」と聞くと 先日、自転車に乗っていてクルマに跳ねられ飛ばされ軽い打撲したばかりだというのです(^_^;) ラグビーと海で鍛えた頑丈な身体はまだまだ健在です。

田中が駐車場のクルマを出す為に席を立った時、彼がどんな本を読んでいるのか覗いてみました。 【大航海時代叢書・アズララ ギネー発見征服史】…とても難しいそうなタイトルでしたが(^_^;) よく見ると翻訳の長南実氏は我々のスペイン語の先生のひとりだった方です。 […]

2006年10月30日145号 OB会

土曜日、OB会の総会にひさしぶりに参加してきました。 何のOB会かというと、拓大のラテン・アメリカ研究会のOB会です。

そう、先々週号(142号)で奥秩父にそばを食べに行った事を書きましたが この時はOB会の有志7名が、後輩OBの作ったそばを食いに行こうというツアーで 食い意地がはってる私は気軽に参加したのですが、その時のメンバーが悪かった?のです(^_^;)。

OB会の会長と2名の副会長、それに事務局のNクンと 私を除いて6名の参加者中4名がOB会役員だったのです。 そばツアーに参加した時は2週間後に0B会の総会があることなんか、 私はすっかり忘れていたのですが、その時にNクンから参加の確認をとられ 酔った勢いで参加する約束をしてしまったのです。

OB会というのは微妙な会です。 クラス会とか同期会とかだと、懐かしい顔がほとんどで盛り上がるのですが… OB会となると、まったく面識もない大先輩や大後輩?が参加して知らない顔ばかり… なんてこともあります。 それに真面目に参加を続けていると”役員”に押されたりして抜け出さなくなるのです。 もう”ン十年”も自分の会社を事務局にして実質的なOB会の運営管理をしている Nクンには心から敬意をはらいつつも、なるべく近づかないようにしていたのですが。(^_^;)

卒業をした頃、OB会は大先輩、年寄りの集まりのような気がしました。 その方達とのお話は”歴史”を聞くようなものでした。 でも今回参加して感じたのは、まだまだ先輩の方が多い世界ですが… 懐かしさを共有できる先輩になってきたということです。 マー簡単に言ってしまえば私も歳をとったという事ですね(^_^;)

総会は… 役員選出も再任という事で全員「異議ナシ!」…でしゅくしゅくと進み無事終了。 懇親会は… なかなかの盛り上がり、シメに拓大の懐かしい歌やったら、応援歌、寮歌、などなど 止まらなくなって、会場の時間オーバーにヒヤヒヤ。 この時点で午後6時前、もちろん2次会の居酒屋へ… ヒロコが”だるまさんの社長”と呼んでいるS先輩と…大変お世話になっています。

この日のために会計報告書を徹夜で作ったNクン この居酒屋に来てもまた、水割りを作ったり、注文をとったり大忙し。 彼も50歳を超えた旅行会社のリッパな?社長さんなのですが、OB会は過酷です。(^_^;)

そのNクンの会社で来年2月に【OB会アルゼンチン旅行】を企画しているのですが メンバーがあまり集まらず、私を懸命に誘うのです。 ラテンアメリカ研究会に学生時代4年も在籍し、今だかつてラテンアメリカのどこにも行った事のない 私としては行きたい気持ちは山ほどです。 また、それがNクンの助けにもなるのなら、なおさらです。 しかし、アルゼンチンはあまりにも遠く、金銭的にも、時間的にも厳しいものがありツライところです。

なにはともあれ… 40年前の我が青春時代の思い出と 今だまだ見ぬ南米大陸への熱い思いが… ほんの少し蘇った一日は終わりました。

2006年10月16日143号 郷土のそば処 紺屋

土曜日(14日) バスと電車を乗り継いで片道5時間近くをかけてそばを食べに行きました。 場所は奥秩父・大滝鶉平の山里… お蕎麦屋さんの屋号は【郷土のそば処・紺屋】  経営者は私の大学時代のクラブ(拓大・ラテンアメリカ研究会)の2年後輩の黒澤クン。

集まったメンバーは私を含め同期が3名、先輩3名、 後輩でOB会事務局を自分の経営する旅行代理店に置いてくれているNクンの計7名です。

OB会の有志が、このお店に数回集まっているのは知っていたのですが 私は今回はじめての参加です。 このお店にはYUKIも興味を持っていたので、いつものようにクルマで行こうと思ったのですが 「クルマじゃ呑めないじゃないです!、電車で来てくださいよ」と幹事役のNさんから言われました。 たしかに、そこまで行って蕎麦だけ食べて帰るのもナサケナイ(^_^;)と納得したのですが… その為には、我が家を6時30分ごろに出なければ、お昼までには到着しそうもないのです。 と…いう事で朝に弱いYUKIは今回はリタイヤという事になりました。

私が電車を使わないのは、駅まではバスになるからです。 ヒロコが免許を取ったので、私が駅まで運転して帰りはヒロコが運転して帰ってくれれば助かるのですが 前日の金曜日は5時頃起床しての早朝出勤し、帰りは午前様… 土曜日に叩き起すのも少々可愛そうな気がしてバスでいくことにしたのです。

ヒロコが帰宅した前日の深夜… YUKIが「お金はもってますの?」と私に聞きます。 財布に1万円以上は持った事のない?私は 「5000円くらいあるけど、これじゃ足りないよ」と… 「じゃー今7000円ありますから」とYUKIは私に渡します。 それを聞いていたヒロコは「それじゃー足りるわけないじゃないのハイ!」と… ナント!私に1万円を渡すのであります!!

私にとって、いや我が家にとって歴史的瞬間でありました。 それは、情けないような、うれしいやら…(^_^;) はじめて電車で席をゆずられたような(まだゆずられた事はありませんが) とても複雑な心境でありました。

翌朝、その一万円札を握り締め、一人バスと電車に乗り継いで… ”はじめてのお買い物”にいく子供のように我が家を後にして”奥秩父”へと向ったのであります。

【郷土のそば処 紺屋】は思った以上に、のどかで、ワイルドです。 公道から狭い山道を少し歩いたところに古い民家がそのまま残っているようで 大きな看板もなく、こんなところで蕎麦屋をやっている事を知らなければ 誰もきがつかずに、通りすぎてしまうようなお店です。

営業時間は11時半から15時半までの4時間。 営業日は金・土・日(祝日)のみ。 蕎麦は手打ちのため限定売り切り。(後は予約のみ) 広いお店に黒澤クン一人のため、お客様のセルフサービス。 敷地内を含め前面禁煙。(喫煙コーナー有り) 注文に時間がかかると断わっての… とても、とても、ものすごい、スローフード、スローライフの世界です。

それでも、この日は気の毒に?お客様が何組か入ってきて 彼はテンテコマエで我々とゆっくり話すヒマがなかったのは残念でした。 このような状況で可愛そうなのは最も後輩になるNクンです、 セルフサービスの店内を黒澤クンのいる厨房と囲炉裏を囲んで車座になって 呑んだくれてる我々の間を行ったり来たり… 会社にもどれば旅行会社の社長さんなのに、ちょと気の毒な思いをしながらも 特上の旨い蕎麦と酒に、時間を忘れて楽しいひとときを過ごしてました。

行きは池袋経由、帰りは八王子経由で… ヒロコはサルサのレッスンに行っていて、期待していたクルマでの迎えはナシ。 JR南武線の登戸駅から徒歩で向ヶ丘遊園駅(小田急線)ましで行ってバスで8時過ぎに帰宅。 10時頃にヒロコから我が家に電話があって、 すっかり酔いのさめた私はヒロコを迎いに向ヶ丘遊園駅に… 結局この日も”お出迎いパターン”が逆転することもなくいつものように終わりました。

幸いな事にヒロコから貰った?1万円札はそのまま財布に残っています。 […]