2011年01月24日366号 新年会3件

21日(金)にアカラックスの新年会。 23日(日)には、午後1時から横浜で拓大ラテンアメリカ研究会同期の新年会。 午後6時から虎ノ門でハートコンサートの反省会&新年会があり もちろん3つともYUKIと参加してきました(^_^;)

●21日(金) アカラックス新年会 アカラックスの新越部長の厳しい指示に従って 坂本さんは慣れね手つきで、なにやらやっています。(^_^;) ① ② 大阪出身の新越さんが自宅から持ち込んだ、たこ焼きの用の重い鉄板と こだわりの材料を用意万端取り揃え、 たこ焼き屋と模様替えされたアカラックスは全社を挙げて新年会のゲストを向かえいれました。 ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ 栄あるゲストに選ばれたのは、石井さんと白根さんと私とYUKI… ま~なんてことはない何時もの飲み仲間です(^_^;) ① ② ③ これ以上集まったらアツアツのたこ焼きツツキながら…という今回のコンセプト無くなるわけで 適正人員という事になるようです。 なかなか充実して楽しいひと時を過ごすことができ、ちょうどテレビでアンコウが写っていて 次回はココで”あんこう鍋”をと盛り上がりました(^_^;) アカラックスの皆様ほんとうにありがとうございました!そして今年もよろしくお願い申し上げますm(_ _)m ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨ ●23日(日) 拓大ラテ研・同期の新年会 横浜駅東口スカイビル 週間KENではお馴染みのラテ険の同期の新年会です。 卒業以来42年ぶりに小室(旧姓石田)さんがOB会初参加で盛り上がりました。 徳島の日切が学生時代に好意をよせていたようで、 私に会う度に「石田さんはどうしている?」…と聞くわれわれ同期では姉御肌でチャーミングな人でした。 本人にその事を話すと「日切さんってどんな人だったけ?」(^_^;) 私の保険の契約者でもあり毎年会っている川村もOB会の参加は久々で 卒業以来という同期も多くいました。 ① ② 永森は3月に、今度は中米の小国ベリーズにJICAシニアボランティアで2年間赴任するので その研修合宿のため参加できず、別途送別会をやる予定です。 今回集まったのは11名+YUKIの総勢12名です。 ① ② ③ 現在、所在が判っている同期生は25名!うち11名が海外や首都圏以外に在住で 今年の秋ごろをメドに全員が集合出来るようなOB会をやろうというハナシになりました。 ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨ ⑩ ⑪ ⑫ ⑬ ⑭ ⑮ ⑯ ⑰  ●23日(日) ハートコンサートの新年会 虎ノ門 ラテ険の新年会が5時頃に終了、横浜からJRで新橋に出て地下鉄で虎ノ門でおりて… ぎりぎり6時の新年会に間に合いました(^_^;) 新年会と言っても、その前に年末のコンサートの反省会や会計報告があって ① ② ③ ④ それが終わって、ビールとワインとお弁当という軽い新年会です(^_^;) 東京タワーがよく見える、素晴らしいスペースで、 新しいボランティアの仲間も加わって、いつもと違った楽しいひと時をすごすことが出来ました。 ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨ ⑩

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2010年10月11日351号 ラテ研総会

この週間KENでもすっかりお馴染みになってしまった拓大ラテンアメリカ研究会OB会の 2年に1度のO総会が10日(土)にありました。

2年前も、さらにその2年前も、この模様は書いていて、 ちょっと読み直してみたら、毎年同じような事をやっていて笑ってしまいましたが、 ”総会”なんていうものは、よっぽどの緊急議題でも無い限りそんなものでしょう。

そうは言っても役員をやっている方々は、それなりに大変でアタマが下がります。 2年に1度の総会ではこの”役員改選”があるのが、どうにも気が重いのですが… 司会役の瀬戸口会長の「会長へ立候補される方は挙手して下さい」との言場に、長い沈黙が続き 結局2年前と同じく現役員全員更新という事で、ココは大きな拍手で無事!終了しました。 ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧

今回の総会では、これまでに無いプログラムがありました。 「楽しきかな第二の人生」というテーマで木村先輩と同期の永森の30分づつの講演がありました。 木村先輩は2年前の総会のブログでも触れましたが、茨城県笠間市で農地を借りて野菜作りをやっていて その模様をユーモアを交え、とても興味深く聞くことが出来ました。 特に奥様とのエピソードは3年前にラテ研の香港旅行で、ご一緒しているだけに、笑ってしまいました。 そしてSr.ナガモリこと永森はもちろんラテンアメリカへの熱き思い! 彼の思いや考えは人一倍知っていると思っている私ですが、 永森らしい静かで坦々とした語り口の中から、その強い思いが滲みでていて 「第二の人生というより今こそ第一の人生だと思っている」という言場に心を打たれてしまいました(^_^;) ①

そうそう出席予定には入っていなかった上内先輩が途中から静かに入ってきて 私と永森はビックリして思わず顔をあわせました。 ほんとうは3年先輩なのですが卒業したのは一緒で我々同期とは麻雀をしたり、 スキーに行って麻雀したり(^_^;)とても親しくした先輩なのです。 ① ② ③ 3年留年したのはスペインに出稼ぎに行っていたからで、本当はとても優秀な人なのです(^_^;) もう少しお話が出来たらと思ったのですが永森の講演を聞いたら帰られてしまいました。

そして立食パーティですが、その前に恒例の記念写真。 こして、いつものように楽しい団欒 ① ② ③ ④ ⑤ ⑥

絞めはやっぱり拓大の応援歌や一連のパフォーマンスがあって、 ① ②  そして動画も 〆はこれまたいつもの阿達の押忍三唱(^_^) ① ②

この日は現役の学生、ラテ研の女性会長!茨城さんら4名も参加。 111期生との名札ですが、チナミに私は67期ですから44年後輩(^_^;) 今は部員は9名で頑張っているようですが、 このような拓大パフォーマンスはやるどころか見たこともないようで カルチャーショックを受けたようです。(^_^;) ① ② ③

そうそう、一時廃部になっていたラテ研を復活するためにアルゼンチン在住の中務先輩から派遣され 見事そのミッションを達成したご子息の中務義則君(101期)が、同じラテ研後輩の105期智子さんと この春に結婚し総会に夫婦で参加!  ① ② 若い世代の頼もしいカップル誕生でラテ研の未来は確固なものとなってきました。

ここでの立食が終ると、またまたお決まりの二次回というか三次会というか(^_^;) ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ 私の【iPad】に2年前の総会の写真を入れていったのですが、 私の前に座っていた阿達と塚本(68期)が2年前と同じ服を着ているという事で大笑い! まー季節も同じですし、おおいにありえる事ですがね(^_^;) ① ② ③

同じパターンの繰り返しの2年に1度の総会ですが こうして書いて見るとまだまだハナシは尽きないようで、何はともあれ楽しい一日でありました(^_^;)

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2010年03月22日322号 Sr.永森たちと中華街

ラテ研ネタが二週続きます(^_^;)

20日土曜日、横浜の中華街で 約3ヶ月に渡る南米ぶらり一人旅から帰国した永森の帰国報告会を開催しました。

ま~帰国報告会と言っても中華街でやるくらいですから そんな難しい報告会をするのわけがありません(^_^;) 永森帰国を大義名分に仲間同士が集まって楽しく飲み食いしようという程度のものです。 実は昨年も永森が2年のJICAでのホンジュラス滞在を終えて帰国した時も 我々同期の集まりとラテ研主催での報告会の二本立てで、今回もその一回目です。

たしかに永森のホンジュラス滞在も南米ぶらり一人旅も、とても興味深い旅ではありますが、 我々の諸先輩や後輩達の多くは、もっともっとエキサイティングでダイナミックなラテンアメリカでの 生活や旅をされた方は数え切れないほどいる事もたしかです。 永森自身も「私だけが、こんなに報告会をさせて頂だいて…」と恐縮しきりです。

ただ永森が他の人たちと、ひとつ違っていたのはホンジュラスも南米一人旅も 毎日毎日ブログに写真と文章を載せて書き続けていたという事です。

これだけ見せ付けられれば…ま~見る見ないは自由ですけど(^_^;) 実際にはどんな旅だったのか?生の声でも聞いてみたくなるというものです。 てなわけで永森のブログの仕掛け人である私の功績も少なくないのですエッヘン!

さて、この日集まったのは総勢12名(内3名我が家)中華の丸テーブルにはピッタリの人員です。 前号で紹介した田中は、午後7時からマンションの臨時役員会が決まって参加が厳しい という事だったのを開催時間を午後3時に繰上げ無事参加。

アルゼンチンやチリでの現地で活躍されている先輩たちの話はとても興味深いものでした。 ブログには載っていない面白い話も、いくつかありました。 ① ② ③ ④ 約3ヶ月の旅で、使ったお金は往復の航空運賃を含めて全部で60万円だったそうです。 1ヶ月20万円です、日本で生活していても飲んだり食べたりは乗り物にのったり生活費は係ります。

永森は卒業と同時に旅行代理店に勤務し世界を歴訪、 定年後はホンジュラスの観光庁に2年間ボランティアとして働くなど…旅行業一筋の旅行のプロです。 しかし、これまでの仕事は目的地に安全に確実に到着させるのが仕事の多くだったともいえます。 今回の旅は、風の吹くまま気の向くまま、時間やスケジュールに縛られずの旅で これまで旅行のプロである永森が経験した事の無い旅だっとのです。 そうなればコストは激減するのです。 (我が家の場合はほとんどこのような旅ですが^_^;)

ただ、今回のような旅は永森だから出来たという側面もあるのです。 スペイン語が日常的にしゃべれるという事、 そして何より旅そのものの基本知識が豊富にあるという事です。

ようするにSr.永森が一緒なら誰でもこのような中南米の超格安の旅が楽しめるという事です。 彼の第二の人生のライフワークがボンヤリと浮かんできたように私は思っているのですが(^_^;)

会場となった横浜中華街・大新園はお嬢さんが拓大の卒業生でOB達もよく使う中華料理店。 美味しくてボリュームタップリの料理が次々に出てきて、ビールも老酒もたくさん飲んで 予算オーバーと思っていたら一人3900円、大大満足でありました(^_^;) ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨ ⑩ ⑪

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2010年03月15日321号 田中会長

大学時代の友人といえば この週間KENでもお馴染みになった拓大・ラテンアメリカ研究会の仲間たちがほとんどです。 我々が3年生の時にはラテ研の会長を務め、 また同期から中米共同市場視察団を派遣した時に団長も務めたのが田中で、 今でもリーダー的な存在です。

田中が特別に優秀だったからという事で会長や団長に選ばれたというわけではありません。 彼の人間的魅力、もっと具体的にいえば彼の質実剛健な迫力が買われ(^_^;) リーダーに選ばれたようです。

海が好きで年中真っ黒に日焼けし、 麻雀仲間と季節外れの伊豆のバンガローで徹マン大会をやった時、 麻雀をしない田中もやってきて、何をするのだろうと思ったら、 夜中の寒い海に潜って手づかみで魚を獲ってきたのには誰もが驚いたものです。

就職し社会人になって… 私はフランセの銀座店の店長をしている時 田中が珍しく…というか初めて、とてもキュートな美女を伴なって神妙な顔で店にやってきました。 「今、見合いをしてきて、その後は二人でどかに、なんて事になったのでココに来た…」 ようするに”私にこの場を持たせろ”というのです(^_^;) 私は田中のそんなところも茶化しながらも彼の魅力を語りました。 田中夫人になった明子さんは… 「こんな友人(私のこと)がいるならチョットだけ付き合ってみるか?」…と思われたそうです(^_^;)

田中が50歳になった時、営業部長の職を捨て、突然”漁師”になってしまいました。 田中の夢の職業だったのです。 職安で「漁師ななりたい!」と言ったらビックリされ 「それは職安(厚生労働省)の管轄ではなく農林水産省の管轄です」と言われたそうです。 受け入れてくれたのは茨城県の波崎漁港、単身赴任です(^_^;)

都会でのサリーマン経験しかない50歳を過ぎの中年男がなぜ? きっとシャバで悪い事をしてきたに違いない!なんて最初は見られたようです(^_^;) しかし大揺れの漁船に乗っても船酔いもせず、収穫される全ての魚の名前も知っていて 活き活きと嬉しそうに働く田中に、周りの見る目も違ってきたようです。 そんな田中が任されたのが漁船での”料理長”! 漁師にはギャンブル好きが多くて”賄いのお金”まで使い込む者が後をたたず 田中なら金を預けても大丈夫と、料理経験などほとんど無い田中に白羽の矢?があたったそうです(^_^;)

そんな田中も数年前60歳を過ぎて体力の限界も感じ漁師生活からリタイア。 田中の自宅がある港北ニュータウン(横浜市)のマンション群を訪ねたら 300世帯ほどある敷地内の駐車場管理の役員をやっていて、 彼に注意されると誰もが頭をペコペコさせ、田中にピッタリの仕事のように見えました(^_^;)

その田中が今、パートで働いているのが横浜駅前の都市銀行が入っているビルの 立体駐車場の管理人(^_^;) その職場に先週の11日に初めて訪問しました。 あいかわらず、ふてぶてしい態度でゆっくりと身体を動かして やっぱり駐車場のオヤジが似合っているのには笑ってしまいました。 ① ② ③ ④ ⑤ ⑥

そんな田中は今、夜も眠れないほど忙しいと嘆くのです。 田中が住むマンシュン群の駐車場管理の辣腕が変われ ご夫人たちの人気も高く(本人曰くですが)管理組合の会長に押されてしまったようです。 毎日マンションの住民や関係業者からメールが4・5件はコンスタントに入ってきて 慣れないパソコンでひとつひとつ返事を書いていると朝になってしまうというのです。 確かに彼が職場に持ち込んでいるパソコンのメール送信時間を見ると 確かにそうなっていますが楽しそうです。(^_^;)

クシャミをすると腰を押さえイタイイタイというので「どうした!」と聞くと 先日、自転車に乗っていてクルマに跳ねられ飛ばされ軽い打撲したばかりだというのです(^_^;) ラグビーと海で鍛えた頑丈な身体はまだまだ健在です。

田中が駐車場のクルマを出す為に席を立った時、彼がどんな本を読んでいるのか覗いてみました。 【大航海時代叢書・アズララ ギネー発見征服史】…とても難しいそうなタイトルでしたが(^_^;) よく見ると翻訳の長南実氏は我々のスペイン語の先生のひとりだった方です。 […]

2010年03月01日319号 Sr.ナガモリと浦和先生

Sr.ナガモリが3ヶ月近い南米ぶらり一人旅から帰国しました。

昨年11月末お客様とファミレスで打ち合わせ中、 私のケータイが鳴って【通知不可】との文字が出ました。 電話に出ると永森の声で、いきなり「ブログの写真が小さくなない!」と慌てた口調です。 私は「今どこにいるの?」と聞くと、彼は「ブエノスアイレス」と。 Sr.ナガモリのホンジュラス滞在に続く第二弾!南米ぶらり一人旅の始まりです。(^_^;)

その模様は彼のブログに 11月23日から2月18日まで一日も欠かさず大量の写真とともにブログがアップされていくわけですが Sr.ナガモリのブログの仕掛け人&管理人である私は”ヘルプデスク”として忙しくなるのですが、 12月12日私が胆嚢炎の手術をする直前に電話があった時は事情を話し待ってもらいました(^_^;)

行くときも突然ですが、帰ってくるのも突然です。 もうソロソロ帰国の頃では、と思ってはいたのですが 2月19日味噌作りの2日目の帰りのクルマの中で私のケータイが鳴ったので YUKIに出て貰うとYUKIは明るい声で 「あら!おかえりなさい!ブログ楽しく拝見してました!クルマを運転中で折り返し電話させます。」 もちろんソレだけでSr.ナガモリが帰国したと判ったのですが 今朝見た彼のブログは2月15日までで「アルゼンチン最後の夜」と書かれてはいましたが これで帰国するとは書いていないのです。 (彼のブログは毎日書かれていますが何日分か纏めてアップする傾向がありますが)

ようするに行きも、帰りも、いきなり電話で知らされたわけですが(^_^;) ソレこそがSr.ナガモリらしい旅なのかも知れません。 電話の内容は 「アルゼンチンの中務先輩から浦和先生に言付かったお土産を届けようと思って先生に 電話したら”Dr.KEN”も一緒に来れば、と御指名があったので…」というのです。

浦和先生は拓大ラテンアメリカ研究会の6年先輩で 我々の学生時代にスペイン語の教員として赴任され、その後に設立される外国学部の学部長として… スペイン語学科の教授として活躍され2年前に退官されたのです。 我々にとっても懐かしい先生ですが浦和先生にとっても 初めての生徒で、私のような劣等生でも、よく覚えて下さっているのようです(^_^;)

それと浦和先生が毎日楽しみにされていたナガモリのブログの管理人が私である事もご存知で… ついでに私のブログ【ゆったりECOな保険ライフ】もご覧頂いているようで 今回の名誉あるご指名を頂いたようなのです。(^_^;)

21日(日曜日)この日は年末恒例のハートコンサートの定例会があったのですが それはヒロコに代表して貰って(^_^;) 浦和先生のご自宅の最寄り駅でもある待ち合わせ場所のJR高尾駅に向かいました。

先生は煙草の吸い過ぎが祟って肺気腫を患われ、2年前にお会いした時は大変そうに見えましたが とてもお元気そうで ① ② 歩く時は酸素ボンベをバギーのように引きずってですが、その足取りも軽く(^_^;) お店での談話中はそんな気配をまったく感じないほど楽しくお話をする事が出来ました。 ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨ ⑩ ⑪ ⑫

Sr.ナガモリとは大学1年生の頃から親しく、彼がスペイン語に強くのめり込んでいく過程を良く知っています。 私ときたら勉強もせず、ただラテン的気質だけで気楽に生きるところをは今と変らず(^_^;) 私が買ったトリオ・ロス・パンチョスの何枚ものLPについている歌詞を 彼は全部書き写し暗記し歌っていました。 映画館に弁当を持参し、スペイン映画【汚れなき悪戯】を何度も見るに付き合いましたが 私は何度目からは寝ていました(^_^;) まだ第二外国語としてスペイン語がある時代で、また日常生活の中でスペイン語を耳にする事など ほとんど出来ない時代でした。

でも、私たちの先輩である浦和先生をはじめとする多くの諸先輩はスペイン語を駆使して 多くの国々で活躍されているのです。 そして何より素晴らしいと思うのは、商社や大企業や外交の上から目線でなく… その国を愛し日本を愛し現地に溶け込んで、学生時代からの熱き思いを純粋に貫き通していることです。 ほんとうの意味でのインターナショナルな人たちではないでしょうか?

それは簡単には表現出来ない”ラテン・アメリカの風土や気質”があるのかも知れません。 何はともあれ21世紀は”ラテン的生き方”です!(^_^;)

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2009年11月02日302号 奥秩父で蕎麦2009

今年もラテ研恒例、奥秩父での蕎麦ツアーに行ってまいりました。 私はこれで3回目。 YUKIとヒロコは昨年に続き2回目。 そして今年は宮崎からの義母も参加です。

これまでは電車やバスを乗り継いで4時間以上かけて行っていたのですが どうせ紅葉の美しい奥秩父まで行くのなら、近くにの温泉でも一泊して… という事になり今回は我が家からクルマでいく事になりました。

クルマで行くのも、一泊するのも、良いのですが… 問題は蕎麦パーティーの会場【そば処・紺屋】と宿泊場所が離れていることです。 クルマで行くのだから問題が無いように思われるかもしれませんが クルマで行くから問題なのです、みんなお酒を飲むからです(^_^;) …ということで黒沢君のお勧めで【お泊処・神庭】に宿泊する事にして そこにクルマを置いて宿のクルマで送り迎えしてもらう事にしたのです。 これでお酒の問題も アタマもクチも元気だがアシが少々弱ってきた87歳の義母の問題もクリアです。(^_^;) ① ② ③ ④ ⑤

昨年より参加者は少ないですが…初参加は 香港の小倉夫人のキエちゃん(長女カナちゃんの出産のため滞在中) ホンジュラスから帰国したSr.ナガモリこと同期の永森。 チリ在住で深田祐介の小説『炎熱商人』のモデルにもなった豪傑、岸野先輩。 昨年はエルサルバドル人の奥さんと次男と3人で参加した新井君は 今年は長男も加わってファミリー全員で。 在職中のほとんどが海外勤務、定年後も永森同様中米のボランティアで、 最近やっとおちついてきた岡広先輩の奥様。 それに50歳をすぎサラリーマンから突如、あこがれだった漁師になって転職し 遠洋漁業に従事していた、我らが同期のラテ研会長だった田中。 ラテ研ならではのユニークな新たな参加者が加わりました。

今年は天気も温度も快適で、とてものどかな雰囲気の中で 楽しく美味しく過ごすことが出来て義母も大満足のようでした。 ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦

初参加の永森は 初参加の新井ジュニア(長男)にスペイン語のジョーク集を見せながら スペイン語で大いに盛り上がっていました、さすがSr.ナガモリです(^_^;)

小倉夫人のキエちゃんは、ドコへ行っても存在感100%で初参加とは誰も思いません。 ① ② ③ ④

昨年の蕎麦パーティーでもコマメに働いて我が家でも有名になった岡広先輩。 初参加の奥様に私が「家でもあんな風なのですか?」…と訊ねたところ 「ぜ~んぜ~ん」と以外な回答、岡広先輩にそのことを質問したら 「黒沢がひとりでテンテコマイしているんだぞ!」…と言われて最敬礼をしてしまいました(^_^;)

ヒロコが「イヤーダ!」と大きな声で…さわいでいます(^_^;) ヒロコがいくつぐらいに見えるか?という事になって「アラフォー?」と言われたようです。 ま~27歳なのにアラフォーと言われムクレル気持ちは判らないでもないですが、 もう少し恥じらいや遠慮があっても良いと…私が云うのもヘンですが、親としては思うのです。(^_^;) 初対面であろうと誰に対しても動じないあのふてぶてしいヨッパライ女をみたら アラフォーと思われてもイタシカタないでしょう。 ① ② ③ 香港旅行以来ヒロコとも親しくなった木村先輩は、今は茨城で野菜作りもやっていて ヒロコが「ボーイフレンドが出来たら一緒に遊びに行く!」と言ったら、 「ムリはしないように!」…と冷静に言われ…またオオムクレ(^_^;) ① ② ③

あっという間に時間は経過していきました。 ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨ ⑩ ⑪ ⑫ ⑬ ⑭ ⑮ ⑯

今回、古谷夫妻もクルマで来て我われと宿は違ったのですが一泊。 みんながバスで帰ったあと、宿のクルマが迎にくるまで店主の黒沢君と雑談… いつも一人でテンテコマの黒沢君… ① ② ③ ④ ⑤ 落ち着いて話すことが出来ないので貴重な時間です。 ① ② ③ ④

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2009年10月19日300号 300号です!

週刊KENが今回で300号を迎えることになりました。 2004年1月14日に創刊して毎週月曜日の発行は1度も欠かした事はありません。

もちろんアップの時間がずれる事はあります。 基本的には日曜日の夜、月曜日の0時を過ぎた頃にアップをするのですが 前回の299号は月曜日の午前10時頃のアップとなりました。 なぜかというと、先週は飯山(長野県)に行っていてコテージからはPHSを使ったワイヤレスが使用できず、 無線ランがつながるコテージのフロントは夜の22時で閉まってしまうからです。 早めに原稿が出来ていれば22時までにアップするのですが、当日の事を書いている最中ですし 写真の枚数もハンパじゃなくて(^_^;)、とても間に合う状態ではありません。

でも…こうして振り返って見ると、創刊の頃は文章も短く写真もなくシンプルなものでした。 また具体的な出来事というより自己紹介的な要素も多く、それなりに簡潔で面白く書かれていると 私自身が今読んでも楽しめるものが多くあります(^_^;) そのような内容ですと、ある程度の書き貯めもしておけるので余裕もありました。

今では基本的にですが ソノ週にあった出来事をひとつ取り上げ紹介するというスタイルになってきました。 そのひとつの理由としては、3年ほど前から初めたブログにあります。 基本的には保険関連のブログですので日記風には出来ず、私の人生観や価値観も多く載せています。 『保険はお客様と人生観や価値観を共有する事で売れる商品』だとの思いがあるからです。 ここには週3回、月・水・金とこれも欠かさず書いています。 これはある程度は事前に書いておけるので 先週の日曜日22時前にはコテージのフロントからアップしておく事が出来たのです(^_^;)

ようするに、週刊KENはよりホットなソノ週の情報を送るというが基本になったのです。 …でもコレも困った問題がたくさん出てきます。 週刊KENの題材となる多くのイベントや出来事が週末に集中する傾向があるという事です。 先週の飯山がマサにそうですが原稿を書いて写真をアップする時間がとても厳しいのです。 週の初めだったら余裕を持って書けるのに(^_^;) それともうひとつ、題材にしたいイベントや出来事が集中しどれを題材にするか悩む週があるのに コレといって何も無い週もあるのです。 (そんな時の方が書きたい事はいろいろあるので楽ですが^_^;)

9月の最終週は土曜日のラテ研のOB会を書きましたが、 火曜日はアカラックスの久々のセミナー 金曜日はパティシエのエノちゃんが地元の商工会議所でナント講演で 写真もビデオを撮ったのですがボツとなってのでココでちょっと紹介。 なんと早朝6時30分から!主催は倫理法人会というちょっと宗教がかった団体でしたが(^_^;) エノちゃんは自分の言葉でしっかり講演をコナシ、サポーターの私が出る幕もなく無事終了しました。 ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦

アカラックスのセミナーの模様は週刊KENではボツになりましたが 保険関連でもありますのでブログの方で連載しました。 ① ② ③ ~

またまたついでですが、飯山3日目(12日・月曜日)も週刊KENで保険関連ではありませんが連載しました。 ① ② ③ ま~このようにブログとも連携し情報発信をしていきたいと思っています(^_^;)

さて今回300回を記念! これまで書いた週刊KENを、まずは10のジャンルに分けてまとめてみました。 ①旅イロイロ…これまでの国内・海外の旅行を集めました。 ②我が家モロモロ…我が家にからむ独自なコラムを集めました。 ③交友関係…友人やお客様関連のコラムを集めました(主に⑤⑥⑦以外の人々) ④私の主張…文字通りのコラムを集めました。 ⑤拓大ラテンアメリカ研究会…今も続く大学時代のクラブ仲間の記事を集めました。 ⑥アカラックス…アクチャリー坂本さんの会社アカラックスでのコラムいろいろ。 ⑦東大和のエノちゃん…パティシエのエノちゃんとの腐れ縁です(^_^;) ⑧飯山で稲作…長野県飯山での稲作にはまっています。 ⑨恒例バーベキュー…毎年9月、二子多摩川の河川敷でヒロコが仕切るビックイベントです。 ⑩年末恒例クラシック・ハートコンサート…ボランティアでヒロコも手伝ってやっているイベントです。

以上とりあえず分けてみましたが、タイトルの横に備考欄で解説をいれたり、 興味のあるジャンルをさかのぼって楽しめるようにしていこうと思っています。

まだまだ発展途上の週刊KEN、 […]

2009年10月05日298号 ラテ研の同期会&60周年

週刊KENでもすっかりお馴染みになってしまった(^_^;) 我が母校・拓殖大学のラテン・アメリカ研究会ですが 10月3日(土曜日)ラテ研創立60周年を向かえ全国・海外から 多くの仲間を向かえて盛大なパーティーが池袋のホテルで午後18時よりもようされました。

ラテ研のOB会総会は2年に1度。 それ以外にもいろいろな企画は行われて、この週刊KENでも触れていますが なんせ60周年イベントというわけで!(50周年は有りませんでしたが^_^;) とてもキアイが入っているのです(^_^;) というわけで我われ拓大67期卒業の仲間も福岡や金沢からやってきます。 その一週間ほどまえ、福岡の木下さん(旧姓寺田)から電話がありました。 「せっかくだからOB会の前に67期だけでも集まらない! 角倉君みんなに声かけてみてよ!」…私はふたつ返事で引受ました。

67期の32名(1名死亡・7名不明)で連絡がつく24名全員に電話で猛烈アテンドです。(^_^;) 「夕刻よりのOB会は出なくていいから同期会だけでも来い!」 …という私の強引な誘いに8名が同意、と言っても急なハナシで迷う友人を 一応参加者にみなして「○○も四国からやってくるんだから○○も来なくちゃ!」 てなぐわいで芋ずる式に行くかと思ったのですが(^_^;) 最終的には、どうしても都合がつかなとドタキャンも入って4名が追加参加で 総勢14名の同期が集まる事が出来ました! ① ②

会場は池袋東口駅前にある”貸しスペース”夕刻からはホテルの飲食が控えているし、 時間も2時~5時までで三々五々でゆったり持ち寄りで…という事にしました。 卒業いらい会っていない者も何人もいます。 卒業から何年経過したのか数えたら1969年卒業で丁度40年と気付いてビックリです。 これも何かの宿命だったのかもしれません。 YUKIはもちろんヒロコも参加してもらい大いに助かりました。

その模様を書き出すと、もう書ききれないので ヒロコが撮影・編集した5分弱の”Youtube”と 例によって私が撮影した写真をご覧下さい! ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨ ⑩ ⑪ ⑫ ⑬ ⑭ ⑮ ⑯ ⑰ ⑱ ⑲ ⑳ A B C D E  F G H I J K L M N O P Q R S T U V W X 追加 ① ② ③

そして、この日のメイン・イベントであるラテ研60周年記念祝賀会です。 67期は群を抜いての参加です! おなじみ瀬戸口会長(59期)の挨拶。 事務局の波形君(75期)には皆で感謝。 ラテ研ではなく、今は廃部になった移研(移住研究会)の桐井(同期)夫妻。 乾杯の音頭は先日80歳になられた大野先輩(50期)です。 ①

そして海外から チリから岸野先輩(59期) コロンビアから金野先輩(61期) パナマから工藤君(72期) フランスから加藤君(73期) アルゼンチンからの中務先輩(61期)のスピーチは圧巻でした! 次男の中務君(101期)はラテ研が廃部の危機にあるところを父親の強いミッションをうけて アルゼンチンから拓大に留学し見事、ラテ研を復活させた好青年です。 その中務君が伊予田さん(104期)との婚約を発表し会場は大いに盛り上がりました(^_^) そして香港から我らが同期、親友の小倉夫妻です。

YUKIもラテ研の香港旅行をはじめモロモロに夫婦同伴で出かけているので けっこう楽しくエンジョイをしてくれたようです。 ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧

私は大西君(70期)をまったく覚えていなかったのですが 私が阪急ブレーブスの熱烈ファンだったことを覚えていてくれて感激でした(^_^;)

なにが何でもと撮影した全員集合の写真です、私はどこにいるでしょう(^_^) 左側アップ  右側アップ

もちろん写真はたくさん撮影しました。 ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨ ⑩ ⑪ ⑫ ⑬ ⑭ ⑮ ⑯ ⑰ ⑱ ⑲ ⑳ 阿達撮影 ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨

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2007年11月19日200号 20日から香港へ

週間KENは早くも200回を迎えてしまいました(^_^) これもヒトエに皆様のおかげと思っています。 こんなバカバカしい、ひとりよがりで好き勝手に書いているコラムですが、 「毎週月曜日は楽しみにしているよ」なんてキトクな方にオダテられて 気が付けば年52回で4年近く一回も欠かさずやってくる事が出来ました。

その間、週間KEN臨時増刊号として昨年の【ドイツ・ワールドカップの旅】が大好評で、 それに味を締め今年は【スペインの旅】を掲載させて頂きました。

そして今回!200回記念として!!…というのは冗談ですが(^_^;) 【香港・マカオ・珠海の旅】も出来れば連日、現地からレポート?していきたいと思っています。 今回の旅はYUKIとヒロコの3人のメンバーは変りませんが、基本的には団体旅行です。 何の団体か?というと、 私の学生時代(拓殖大学)のクラブ(ラテン・アメリカ研究会)のOB会の旅行なのです。 OB会の団体旅行というわけですが日本から参加するのは我が家の3人を含めて総勢11名、 そして香港在住の私と同期のオグラとその奥さんのキエちゃんが現地で迎えうつという こじんまりとした、気心のしれた旅というわけです。

このような旅になぜ?ヒロコまでが…といえば、 オグラ夫妻が大好きで、それに香港も大好きなようで、 旅行代は自己負担で有給休暇を利用しての参加です(^_^;)

ところがヒロコの都合で本当は21日から25日までの4泊5日の旅が 我が家だけ1日早く20日に出発することになって5泊6日の旅になってしまったのです。 『リンキン・パーク』というアメリカの人気バンドをご存知ですか? まー私も含め多くの人達は知らないでしょうがヒロコはその大ファンのようなのです。 (大好きなものが、とても多いムスメでして^_^;) ところが彼らの東京公演がたまたま、この香港旅行とぶつかって、ガッカリしていたのですが、 ナンと!彼らが来日する前の公演が20日に香港であるという事を知って大騒ぎ?になったのです。 ヒロコの執念は大変のもので、まず香港公演のチケットを手に入れたのです。 次にもう旅行費用も全て支払っているのに出発日を変更するというのです。

実はこの旅行は今回のツアーの参加者の一人でもある後輩のナミカタ君が経営するアート・ツアーが 手配をやっていて、思ったより参加者が少なく、我が家の3人は貴重な存在で ナミカタ君まで自費参加して10名をクリアしているのです。

もう、こんなワガママは、いくら後輩と言え私のクチからは言えません。(^_^;) 「自分からナミカタ社長に電話して交渉してみろ」と私はヒロコにいいました。 ヒロコは早速電話をしたようです。 「ほんとうにソレでヒロコさんの夢がカナウのですか?」とナミカタ君に言われたそうです。 「ハイ!」…とヒロコは元気に言ったら、 「そうですか、だったら頑張ってみましょう」と要望に応えてくれたのです。

もちろん若干の追加費用はヒロコに負担させましたが… ハレて??家族3人が一日早い出発をする事になったというしだいです。 (もちろん公演はヒロコだけで私とYUKIは事態しました)

てな事で、どんな旅になるのか?わかりませんが… 今回は先輩4名、同期2名(私を入れて)後輩2名に配偶者2名(YUKIも入れて)それにヒロコ そしてオグラ夫妻の総勢13名の旅をどうレポートしていくか? 楽しみにして頂ければと思います。