2010年07月19日339号 小学の友&大学の友

小学校時代の友人、丸さんからこんなメールが届きました。

大兄の大学同窓、セニョール・ナガモリのブログ、長い間楽しみに読んできましたが、 最近全く更新されなくなり、心配しております。 お元気なら当然ご覧になったとは思いますが、 「闇の列車、光の旅」というメキシコ・アメリカ映画がシャンテで公開中です。 ホンジュラスからメキシコを経由、アメリカに入国する話で、今日見てきました。 ぜひ、ナガモリ氏の感想を聞きたく、とりあえず大兄にメールした次第。お元気だといいのですが。 それはそうと、近々暑気払いで、安酒でも。 丸谷嘉彦 拝

  セニョール・ナガモリとは私の大学時代の友人で 彼が旅行会社定年後、JICAのシニア・ボランティアで中米ホンジュラスに… そこからブログを書くことを私が薦め、帰国後も今年の4月30日までは書き続けてきたのですが 「また中南米を旅行するまでは書くことが無くなった」と 私の反対を押し切って突然、断筆してしっまたのです(^_^;)

丸さんとは、5年前の約50年ぶりの対面以来、年末恒例のホテル・ニューオータニでボランティアでの クラシック・コンサートに参加してくれたり何かと懇意にさせてもらったいるのです。 大阪M放送でウルトラマンやドラマのプロデューサーをやっていた丸さん、 定年後は映画三昧、週に5本ぐらいを映画館で鑑賞し、その感想をメールで知人に送ってくるのです。 「だったらブログにすれば良いじゃないか?」…といったのですが、 この世界に長くいたので、何かとさしさわりがあるようです(^_^;) 因みに、映画祭の審査員のようなものをやっていて映画はダダでみれるようです。 私は映画そのものの批評より、それにまつわる色々な話が同じ時代を生きた友人だけに とても興味ぶかく楽しみによませてもらっているのです。

このメールがあった数日後の16日(金)、3人で合うことのしました。 時間は午後4時半、待ち合わせ場所は新宿の紀伊国屋書店の前という事にしました。 時間は少々早いのですが丸さんが翌日早朝からゴルフに行くということで、 場所は3人が共通で判りやすいのではないかということで紀伊国屋書店という事にしたのです。 その事をナガモリに伝えると「新宿の紀伊国屋書店ってタイムズスクエアの?」などとと わけのわからない事をいうのです。 「新宿の紀伊国屋と言えば新宿の紀伊国屋やだろう!」と私は言えばナガモリは 「ボクもそう思ってたのだけど以前に人との待ち合わせで勘違があった」…というのです。 われら世代は紀伊国屋はなつかしく書店はもちろん紀伊国屋ホールでの芝居や 大島渚の映画で青年(横尾忠則)が紀伊国屋で本を万引きし社長の田辺茂一本人も登場する 「新宿泥棒日記」などとても懐かしく思い出されるのです。 その後、私がフランセの銀座店にいる頃は、 毎日のように夜の銀座を飲み歩く田辺社長の姿をみかけたものです(^_^;)

まだ日も高い!…というか梅雨明け宣言をしたような真夏の日差しが眩しい午後4時30分、 紀伊国屋書店に3人は集合! ナガモリと丸さんは初対面ですが丸さんはナガモリのブログを見ているのですぐに認知(^_^;) 場所は新宿、飲み屋はいくらでもありそうですが、 紀伊国屋ビルの地下に【珈穂音】(かぽね)という何だか懐かしい雰囲気を漂わす 酒場のような食堂のような小さなお店にはいって、まずはビールで乾杯!

映画の話、ホンジュラスの話、 丸さんは高校時代に船で米国(オレゴン州)に留学した時にホンジュラスの友人とメキシコまで旅した話。 丸さんが始めて英語を習ったのが私の父だった事や ナガモリが旅行業一筋の人生を歩む最初のきっかっけが私の父であった事など…はなしはつきず、 懐かしい場所で、懐かしい仲間と、懐かしい話で…そして新しい出会もあって 楽しいひとときを過ごすことが出来ました。 ① ②

[…]

2010年03月22日322号 Sr.永森たちと中華街

ラテ研ネタが二週続きます(^_^;)

20日土曜日、横浜の中華街で 約3ヶ月に渡る南米ぶらり一人旅から帰国した永森の帰国報告会を開催しました。

ま~帰国報告会と言っても中華街でやるくらいですから そんな難しい報告会をするのわけがありません(^_^;) 永森帰国を大義名分に仲間同士が集まって楽しく飲み食いしようという程度のものです。 実は昨年も永森が2年のJICAでのホンジュラス滞在を終えて帰国した時も 我々同期の集まりとラテ研主催での報告会の二本立てで、今回もその一回目です。

たしかに永森のホンジュラス滞在も南米ぶらり一人旅も、とても興味深い旅ではありますが、 我々の諸先輩や後輩達の多くは、もっともっとエキサイティングでダイナミックなラテンアメリカでの 生活や旅をされた方は数え切れないほどいる事もたしかです。 永森自身も「私だけが、こんなに報告会をさせて頂だいて…」と恐縮しきりです。

ただ永森が他の人たちと、ひとつ違っていたのはホンジュラスも南米一人旅も 毎日毎日ブログに写真と文章を載せて書き続けていたという事です。

これだけ見せ付けられれば…ま~見る見ないは自由ですけど(^_^;) 実際にはどんな旅だったのか?生の声でも聞いてみたくなるというものです。 てなわけで永森のブログの仕掛け人である私の功績も少なくないのですエッヘン!

さて、この日集まったのは総勢12名(内3名我が家)中華の丸テーブルにはピッタリの人員です。 前号で紹介した田中は、午後7時からマンションの臨時役員会が決まって参加が厳しい という事だったのを開催時間を午後3時に繰上げ無事参加。

アルゼンチンやチリでの現地で活躍されている先輩たちの話はとても興味深いものでした。 ブログには載っていない面白い話も、いくつかありました。 ① ② ③ ④ 約3ヶ月の旅で、使ったお金は往復の航空運賃を含めて全部で60万円だったそうです。 1ヶ月20万円です、日本で生活していても飲んだり食べたりは乗り物にのったり生活費は係ります。

永森は卒業と同時に旅行代理店に勤務し世界を歴訪、 定年後はホンジュラスの観光庁に2年間ボランティアとして働くなど…旅行業一筋の旅行のプロです。 しかし、これまでの仕事は目的地に安全に確実に到着させるのが仕事の多くだったともいえます。 今回の旅は、風の吹くまま気の向くまま、時間やスケジュールに縛られずの旅で これまで旅行のプロである永森が経験した事の無い旅だっとのです。 そうなればコストは激減するのです。 (我が家の場合はほとんどこのような旅ですが^_^;)

ただ、今回のような旅は永森だから出来たという側面もあるのです。 スペイン語が日常的にしゃべれるという事、 そして何より旅そのものの基本知識が豊富にあるという事です。

ようするにSr.永森が一緒なら誰でもこのような中南米の超格安の旅が楽しめるという事です。 彼の第二の人生のライフワークがボンヤリと浮かんできたように私は思っているのですが(^_^;)

会場となった横浜中華街・大新園はお嬢さんが拓大の卒業生でOB達もよく使う中華料理店。 美味しくてボリュームタップリの料理が次々に出てきて、ビールも老酒もたくさん飲んで 予算オーバーと思っていたら一人3900円、大大満足でありました(^_^;) ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨ ⑩ ⑪

[…]

2009年06月08日281号 Sr.ナガモリやグラ爺たちと…

セニョール・ナガモリが2年間のJICAシニア・ボランティアでの 中米ホンジュラスでの勤務を終えて4月に帰国しました。 彼のブログは1年前に一時帰国したさい私がムリヤリ押し付けたものですが(^_^;) 私の予想に反し…イヤ予想通りに、 毎日毎日エネルギッシュに山ほどの写真とともに送ってきました。

毎日毎日そのナガモリのブログを見ていると私もホンジュラスに住んでいるような気分になり、 12月初めナガモリ夫人のセッちゃんがにホンジュラスにやってきたブログを見た時は 私も「おー来た来た!」という感じになってしまいました。 セッちゃんは私と同じ神奈川県(横浜市)から地球の裏側のホンジュラスに行ったわけですが(^_^;)

そのブログにコメントをよく入れていたのがグラ爺です。 このハンドル・ネームを最初にみたとき直ぐに誰だかわかりました、 そして私のブログにも最近はこのハンドルネームでコメントをいれてくれる香港在住のオグラです。 オグラがグラ爺なら私はクラ爺になってしまいますが私には孫がいませんのでまだ爺さんではありません。

昨年同様のメンバーで『セニョール・ナガモリを囲む会』をもっと早く出来たのですが せっかくならオグラがこちらに居る時に合わせてという事で、 6月4日に横浜西口のイタリアン・レストランで、久々に拓大ラテンアメリカ研究会の同期が 集まる事になったのです。

集まったのはナガモリ、オグラの他にタナカ夫妻、フルヤ夫妻、アオキ夫妻にマルモノ、アダチ それにいつもの我が家3人の総勢13名。 今回は奥方の出席が少なかったものの 同期は40年以上、奥方たちとも30年ぐらいの付き合があるあいだがらです。 ま~いちおうはナガモリの帰国報告会という事でしたが、それは27日のラテ研全体の集会にまわして(^_^;) 大いに盛り上がり、アツというまに時間が過ぎてしまいました。 ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨ ⑩ ⑪

ほんとうは今回の集まりは1泊でと私は思っていたのですが、 オグラが6月の4・5.6.7はOKとなったのですが土日の6・7日は我が家は 飯山の田植えに行くことが決まっていて、我が家としては4・5しかありません。 わがグループの終身幹事フルヤと相談したのですが、 ウイークデーの急な宿泊となると参加者も限られるという事で結局この日の会食となったのです。

ま~いずれにしても、これから今以上に忙しくなる仲間は少ないようで 全国に散らばっている同期が集まる会もそろそろ具体的に企画したいものです。

そして私のブログの中でも触れた『Sr.ナガモリといくホンジュラス』を まずは手始めに我われ仲間で行く事が出来たら素晴らしいと思っているのです。

2008年02月18日213号 親友のブログを完成!

親友の永森のブログが完成しました! 題して【セニョール・ナガモリの中米ホンジュラス便り】です。 プロデュースしたのは私で、もちろんヒロコの力を借りました。

最初は【永森克己のホンジュラス便り】というブログのタイトルにしていたのですが 永森がホンジュラスがどこにあるか知らない人が多いので 中米という文字を入れてくれとの要求がありました。

タイトルの前に永森克己の名前と本人の写真もしっかり出す… というのは私の初めからのポリシーで、 本人は初めは少々抵抗があったようですが納得させました。 私はインターネットやブログは出来る限り”顔”を見せて発言し、 コメント欄もオープンにして”双方向性”を保つことが必要だと思っています。 それによって信頼も得られ 有意義で面白いブログが出来上がっていくというものです。

まして若い女の子ならともかく還暦を過ぎたオヤジが”顔”を出したからと言って 何を心配するのでしょう(^_^;) 永森の写真は先週の『セニュール・ナガモリを囲む会』での2次回で さり気なく私のデジカメで10枚ほど連続撮影し、その中から1枚を選びました。 永森克己のフルネームと写真が入った試作中のブログを眺めていたのですが… 何だかちょっと硬い感じがします。 写真もソフトな感じの微笑んでいるものを選らんだのですが、 まー本人が、どちらかと言えば私と違って”堅物”なところはあるで、 (私が柔らか過ぎるのかもしれませんが^_^;) もう少し遊びの部分が欲しいような気がしたのです。

その時に閃いたのが ”セニョール・ナガモリ”です!(^_^;) 自分から絶対タイトルの前に永森克己の本名を入れるから…と言っておいて何ですが、 これは中々ナイスです。 ちょっと怪しげな感じもしないではないですが、 永森の写真とプロフィール(私が書きました)もしかり掲載されているし ちょうど良いノリで、コレで行こうと勝手に決めてしまいました。

一応、永森に確認の電話をいれると… ホンジュラスの観光庁では年配者として敬意を込めて ”ドン・ナガモリ”と呼ばれているようですが、”ドン・ガバチョ”か ○○のドンとか、金丸みたいだし…と 少々本人はテレていましたがOKを取ることが出来ました。

ブログのデザインはヒロコに任せたのですが ホンジュラスの国旗を取り入れて、キレイなものを作ってくれました。

そして13日(水) 永森の横浜の自宅にパソコンを持っての2度目の訪問です。 永森にブログの書き方や写真の取り込み方、 など具体的にレクチャーしなければならないからです。

そして15日(金) 記念すべきブログ第一号が永森から配信されました! と言っても見たのは多分、私ひとりでしょう。 まだ誰にもブログのアドレスすら知らせていないのですから(^_^;) テストを兼ねたスタートで、私も自宅でパソコンをあけて訂正を加えたり、コメントを書いたり、 我ながらイヤ永森ながらの好スタートです。

16日(土)17日(日)と… 少しづつ書き出したようで、YUKIもけっこう楽しみに読んでいるようです。 まだ、ラテン・アメリカ研究会の仲間にはブログ開設の案内を出していないようですが 私がココで紹介したら何人かは見てくれるでしょうし、 徐々に反応も出てくることでしょう。

18日(月) 永森は約1ヶ月の健康診断の為の一時帰国を終え来年3月までの ホンジュラスでのボランテァ活動に戻ります。 […]