Sr.ナガモリが3ヶ月近い南米ぶらり一人旅から帰国しました。
昨年11月末お客様とファミレスで打ち合わせ中、 私のケータイが鳴って【通知不可】との文字が出ました。 電話に出ると永森の声で、いきなり「ブログの写真が小さくなない!」と慌てた口調です。 私は「今どこにいるの?」と聞くと、彼は「ブエノスアイレス」と。 Sr.ナガモリのホンジュラス滞在に続く第二弾!南米ぶらり一人旅の始まりです。(^_^;)
その模様は彼のブログに 11月23日から2月18日まで一日も欠かさず大量の写真とともにブログがアップされていくわけですが Sr.ナガモリのブログの仕掛け人&管理人である私は”ヘルプデスク”として忙しくなるのですが、 12月12日私が胆嚢炎の手術をする直前に電話があった時は事情を話し待ってもらいました(^_^;)
行くときも突然ですが、帰ってくるのも突然です。 もうソロソロ帰国の頃では、と思ってはいたのですが 2月19日味噌作りの2日目の帰りのクルマの中で私のケータイが鳴ったので YUKIに出て貰うとYUKIは明るい声で 「あら!おかえりなさい!ブログ楽しく拝見してました!クルマを運転中で折り返し電話させます。」 もちろんソレだけでSr.ナガモリが帰国したと判ったのですが 今朝見た彼のブログは2月15日までで「アルゼンチン最後の夜」と書かれてはいましたが これで帰国するとは書いていないのです。 (彼のブログは毎日書かれていますが何日分か纏めてアップする傾向がありますが)
ようするに行きも、帰りも、いきなり電話で知らされたわけですが(^_^;) ソレこそがSr.ナガモリらしい旅なのかも知れません。 電話の内容は 「アルゼンチンの中務先輩から浦和先生に言付かったお土産を届けようと思って先生に 電話したら”Dr.KEN”も一緒に来れば、と御指名があったので…」というのです。
浦和先生は拓大ラテンアメリカ研究会の6年先輩で 我々の学生時代にスペイン語の教員として赴任され、その後に設立される外国学部の学部長として… スペイン語学科の教授として活躍され2年前に退官されたのです。 我々にとっても懐かしい先生ですが浦和先生にとっても 初めての生徒で、私のような劣等生でも、よく覚えて下さっているのようです(^_^;)
それと浦和先生が毎日楽しみにされていたナガモリのブログの管理人が私である事もご存知で… ついでに私のブログ【ゆったりECOな保険ライフ】もご覧頂いているようで 今回の名誉あるご指名を頂いたようなのです。(^_^;)
21日(日曜日)この日は年末恒例のハートコンサートの定例会があったのですが それはヒロコに代表して貰って(^_^;) 浦和先生のご自宅の最寄り駅でもある待ち合わせ場所のJR高尾駅に向かいました。
先生は煙草の吸い過ぎが祟って肺気腫を患われ、2年前にお会いした時は大変そうに見えましたが とてもお元気そうで ① ② 歩く時は酸素ボンベをバギーのように引きずってですが、その足取りも軽く(^_^;) お店での談話中はそんな気配をまったく感じないほど楽しくお話をする事が出来ました。 ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨ ⑩ ⑪ ⑫
Sr.ナガモリとは大学1年生の頃から親しく、彼がスペイン語に強くのめり込んでいく過程を良く知っています。 私ときたら勉強もせず、ただラテン的気質だけで気楽に生きるところをは今と変らず(^_^;) 私が買ったトリオ・ロス・パンチョスの何枚ものLPについている歌詞を 彼は全部書き写し暗記し歌っていました。 映画館に弁当を持参し、スペイン映画【汚れなき悪戯】を何度も見るに付き合いましたが 私は何度目からは寝ていました(^_^;) まだ第二外国語としてスペイン語がある時代で、また日常生活の中でスペイン語を耳にする事など ほとんど出来ない時代でした。
でも、私たちの先輩である浦和先生をはじめとする多くの諸先輩はスペイン語を駆使して 多くの国々で活躍されているのです。 そして何より素晴らしいと思うのは、商社や大企業や外交の上から目線でなく… その国を愛し日本を愛し現地に溶け込んで、学生時代からの熱き思いを純粋に貫き通していることです。 ほんとうの意味でのインターナショナルな人たちではないでしょうか?
それは簡単には表現出来ない”ラテン・アメリカの風土や気質”があるのかも知れません。 何はともあれ21世紀は”ラテン的生き方”です!(^_^;)
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