2011年10月31日 第406号 上下・善昌寺

母が亡くなって2ヶ月が経過しました。 母の葬式とヒロコのアメリカでの結婚披露宴が紙一重なりその場は何とか乗り切る事が出来ましたが… 我が角倉家には゛お墓の問題゛が長男の私に大きくのし掛かっているのです。 15年前に亡くなった父の遺骨が津田山(川崎市)の霊園に預けたままになっていたからです。(^_^;)

父が亡くなった1996年は私が新聞配達をやっていた最も厳しい状況の時で、 父の戒名もとても短いもので済ましてしまいました。 私はそんな事をまったく気にする性格では無いのですが 母は親戚や世間体を、または私の立場を気にしたのか内緒で高額を払い長い戒名に変えていました(^_^;) その数年後から母の介護状況が長く続く中で゛お墓の問題゛は母が亡くなってから考えようと先延ばししてきたのです。 その母が亡くなって シッカリモノの妹の由美子から「お墓をどうするかはお兄ちゃんが決めてよ!」と決断を迫られていたのです。

そして先日の26日・27日 妹の由美子と淳子、そして私とユキとの4人は父と母の遺骨を持って、 広島県府中市上下町上下の善昌寺に行ってきました。 上下や善昌寺については7年前の週間KENでこんな事を書いています。

1月にクルマで宮崎を往復した時に、 善昌寺によって長岡住職に、はじめて我が家の事情をザックバランにお話させて頂いたのですが

母が亡くなった時には連絡もせずに簡単な家族葬で済ませてしまったので いま頃になって具体的なご相談のための電話をするのが少々気が重かったのです。 ところが、何も知らないはずの住職が電話に出られるなり「この度は、お母様がお亡くなりになられて…」 と言われるのでビックリ!しました。 よく聞いてみると住職の奥様が、この週間KENをご愛読頂いていたのです(^_^;)

もう、そうなると我が家の事情もよ~くお判り頂いているものと楽天的な私は更に楽天的な気持になってしまい、 心の迷いはイッキに晴れて善昌寺にお願いしようという気持になってしまいました。

もう一つの選択肢として迷いがあったのは… 「上下はあまりにも遠いので都心にある新しい永代供養の共同墓地がいいのではないか」という考えです。

私はクルマで宮崎も含め日本全国気軽に出かけるので上下が遠いという感覚は無いのですが、 それはあくまで私の感覚ですし、私がいつまでも今のようにクルマを乗り回せるかも判りません。

かと言って、近ければ頻繁に墓参りをするかと言えば、お恥ずかしい話ですが父の遺骨を15年間安置していた 近所の長津田霊園には気が着けば一度も参拝には行っていませんでした(^_^;) だからと言って父を蔑ろにしているわけではなく歳を重ねる事に父が身近に感じるようになっていて どうせなら、父の故郷であり角倉家ゆかりの土地であり私が誕生した上下が良いと私は思っていたのです。

だだ、まったく判らない大きな問題として残っていたのが゛お金゛がどのくらい掛かるかです(^_^;) 父の長兄が角倉家の墓地や遺産などは引き継いでいたのですが、その長兄の伯父に子どもがおらず 父の二番目の兄の長男である洋介君が墓地や遺産を引き継ぎ、善昌寺の墓地の管理や法事をやるようになりました。 洋介君がどのくらいの相続をして法事にどのくらいのお金を使っているかはまったく知りません。 ただ、角倉家の墓地の使用に関しては角倉家の問題で善昌寺には関係ないようです(^_^;) もうすっかり世代は変わって私が従兄弟の中では最も長老で洋介君は赤ん坊の時から知っていて しかも唯一の上下生まれですのですので、これくらいは言いやすい立場にいるのです(^_^;)

そんなわけでまだ父と母の゛お墓゛は建っていないのですが まずは母の戒名を善昌寺から頂いて、父と母の遺骨と位牌を善昌寺に持っていって供養をして頂き お墓が出来るまでは善昌寺に預かって頂くという事まで決めて、今回の上下行きとなったのです。

墓地そのものにお金が掛からない事が判りましたが “お墓” を建てるには多少なりともお金がかかる事は判りますが、どのくらい掛かるかは想像がつきません(^_^;) インターネットで調べると格安墓石だとか色々ありますが調べれば調べるほど判らなくなります(^_^;) こうなったら善昌寺さんから上下の石屋さんを教えて頂き、そこに直接行って直談判するのが早いと思い行ってきました。 最初に「予算は○十万しかないのだけど…」という事から切り出して正直に事情を話したところ色々と親身になってもらい 善昌寺ならすぐ側だから墓地を見させてもらいたいという事になって、 私が角倉という名前を知ってビックリさせてしまいました(^_^;) この予算だと二人の伯父の墓より小ぶりに なるという事ですが、それで充分(^_^;) 1年後の法事の時までに出来れば充分でヒマな時に作っておいて下さいという事で 上下の石屋さんとも親しくなれそうで、とても良い買い物が出来たようです。 ① ② ③ ④

さて、もうひとつ難題があります。 善昌寺へのお布施です(^_^;)まったく想像がつきませんし、いくら私でもいくら包めば良いのか直接聞く勇気もありません。 […]

2004年11月15日043号 上下町(広島県)

土日と広島県の上下(じょうげ)というところに行っていて今(15日01:30AM) クルマで我が家に着いたところです。 私が眠そうになると助手席のYUKIが私の頭をドツクだけという、いつもの 清く貧しく恐怖で楽しい?総走行距離1800キロのハードなドライブでありました。

今回は生命保険の仕事がらみでなく、まったくのプライベートのYUKIとの旅です。 実は私はこの広島の上下生まれなのです。 でも生後4ヶ月しかいませんでしたから、まったく記憶にありません。 上下は父の故郷でしたが、戦後まもなく家を処分して父の兄弟はすべて 上下を離れてしまいました。 しかし、その角倉家の蔵は上下町のシンボルとして残っているのです。

以前ヒロコと上下に来て、この建物の解説に【角倉財閥】と書かれているのを見て 嘆くやら怒るやら…「なんで、ウチの角倉家はこんな貧乏になったのか!?」と 私を責め立てるであります。 私も、その理由をしりたいぐらいですが、亡くなった父は4男だったからなのか、 頓着がなかったのか、蚊帳の外だったのか、貧乏をしながら、それなりにハッピーな生活し それなりにハッピーに亡くなり、… その長男の私も、貧乏とハッピーさだけを遺産?として引き継いだようです。

さてさて…なんで今、上下にいるかというと 伯父すなわち父の長兄の7回忌を上下の善昌寺というお寺で行なわれたのです。 私も今まで角倉家の法事で何度か尋ねていますが父の兄妹で残っているのは 私の叔母(父の妹)だけになってしまいました。

父は4男ですが、どういうわけか従兄弟の中では私が一番、長老?で すっかり世代交代した今回の法事は感慨深いものがありました。 父の兄弟達が亡くなり、私が歳を重ねていくにしたがって とても遠く感じていた上下が、だんだん身近に感じられ、なぜだかとても懐かしさが込み上げ いとおしく思うようになってきたのです。