2011年10月25日 第405号 4台目のIXY(デジカメ)購入

デジカメのキャノンのIXYがこれで4台目になりました。 初代IXYは6年前、2005年6月、東京海上のホノルルでのコンベンションに行く直前に購入したもの。 このカメラでW杯のドイツ旅行やスペイン旅行などを撮影したのですが、 二代目IXYは2007年、大学時代の仲間と香港旅行に行く前にワイドのカメラが欲しく購入したもの。 三代目IXYは2010年の正月に購入。 二代目IXYのレンズのモーターがよく故障し保障期間が過ぎても1回1万円の修理を2回やっていて 次に故障した時は新しいのを購入しようと思っていたからです。 そして四代目はつい先日17,700円で購入したばかりです。 気がつくと四台目が四代目になっていましたが、このほうが私としたらシックリするようです(^_^;)

5年半で4台のデジカメというのは、日本の首相ほどでは無いですが… 「ちっとも変えすぎじゃない!」と叱られそうですが 常にデジカメを ポケットに入れて一日最低でも6枚(全食事の写真と食べ終わった写真)、 なにかイベントや旅でもすれば200枚~1000枚以上も撮影する私としたら充分に原価償却はしているのです。 それとデジタル機器の世界の目まぐるしい進化と低価格化です。

私が始めてデジカメを手にしたのは13年ほど前の1998年暮、 富士フイルムのファインピクス700で当時は、世界最小で150万画素というのが売りもので たしか7万円(定価は99,800円)ほどで購入したと思います。 最近では“画素”という数字は見かけなくなりましたが、私が今普通に撮影に使ってうるのが1200万画素ぐらいです。 それでも15万画素もあれば今でも充分に通用する写真ですが、一度も150万画素で撮影する事はありませんでした。 当時のパソコンでは画像が重すぎて処理出来なかったからです。 したがって撮影したのは今のケータイでの写真程度ですが、タダでいくらでも写真が撮れる楽しさを実感しました。 そうそう、その時にはじめてメモリーカードを見たのですけど、それが今でも残っていて2Mバイトです。 今、普通に撮影している写真1枚が2Mバイト以上ありますから使い物になりません。 今使っているメモリーカードは16Gバイトで2Mバイトの8000倍の容量(ハイビジョンのビデオ撮影も可能) しかもメモリーカードの値段は調べてみると16Gバイトの方が、当時の2Mバイトより半分以下の値段になっています。

私はユキから時々「KENはモノを大切に扱わない!」と言われる事がありますが それは誤解で(^_^;)徹底的にトコトン使ってしまう習性があるのです。 今乗っているクルマも2台目のカーナビもボロボロで壊れてしまいましたが、それは【iPad】でカバーして 本体のクルマは34万キロ、走って今は大阪にいて広島に向かいます、詳しくは次回の週間KENで(^_^;)

話をデジカメに戻します。 今回、4代目IXYですが、なぜ新しいのを購入したかというと色々な理由があります。 まず、これまで使っていた三代目IXYがオーバーホールが必要になった事、 カメラの中にゴミが入った事と、① ② 農作業などので泥だらけの中でも撮影したりしたので パネルのガラス部分が細かくキズがついて日中の明るいところでは見づらくなってしまったのです。 そんなわけで新品だったの三代目も1年10ヶ月の酷使でこんな風になってしまいました。

ま~これは修理すればまだまだ使えるわけですが、 これはこれでビデオ撮影などに特化させるとして、 新しいのが2万円もしないで購入できるからです(^_^;)

その大義名分としてはパティシエのエノちゃんのお嬢さんの結婚披露宴に招待され写真を撮る事になっているからです。 それも嬉しいのは、頼んで来たのがエノちゃんではなく、お嬢さんの春菜ちゃんが直々に私を指定してくれた事です。 式は11月5日ですが、それまでにカメラに慣れておかねばなりません(^_^;)

結婚披露宴の正式カメラマン?なら大きな一眼レフが似合うのかも知れませんが、 私は小さなデジカメの方が気にいっています。 被写体になる人たちにプレッシャーを与えず接近して何枚でも撮れるからです。

なぜキャノンのIXYを代々購入するようになったのかという 新しい機能の追加やバージョンアップの様子が手に取るように判る事と、 選べる機種が豊富にあるからです。

初代から四代目までの変遷で最も私が意識しているのは“広角レンズ”の機能です。 私は人を撮るのが好きですから、接近してしかも少しでも多くの人を撮るには広角レンズが最適です。 二代目は広角レンズを始めて?取り入れたもの。 三代目は画像をワイドにする事で更に広がり観が出せたもの。 四代目は普通サイズで三代目以上のワイド撮影が出せるようになりました。

人を撮るのが好きですが、自分も入れて大勢を撮る、景色を背景に自分を撮る…という事も多く […]

2011年10月17日 第404号 宮崎にて

13日(木)の朝の便で宮崎に来ています。 今回はクルマでなく飛行機で往復なので充分に中身の濃い宮崎滞在をしています。 13日・14日・15日・今日16日と…宮崎にいるわけですがほとんどどこもいかずに 宿として取っているビジネスホテルと義母(ユキの母)の家をただ往復しているだけです(^_^;)

「ただ往復していつだけ…」というとユキから「ソレはKENだけでしょ!」と叱られるかも知れません。 ユキは来年の宮崎での日舞の会にも出場する決意!をして、その゛特訓゛が今回の宮崎行きの目的だったのです。 だったら私がなにもついて行く事も無いのですが、 私も晴れて65歳になって当日シルバー割引が使えて格安で行ける事になって同伴する事になったのです(^_^;) 今やパソコンやケータイが通じる事で、どこにいても仕事が出来るという事ですが …゛二人ペアで一人前゛というスタイルになりつつあるかも知れません(^_^;)

てなわけで、ユキの義母による厳しい?レッスンを何時間も受けているのですが ① ② ③ ④ 私ときたらただユキと義母の稽古を見ながらパソコンの前で時間を過ごしているわけです。 でもそのパソコンもここにきてかなりガタがエスカレートして メールの受信は出来るのに返事の送信で出来ず、 お客様にもご迷惑をかけていて理想通りにいかないのがこれもまた現実なのです。(^_^;)

そんなわけで、お客様に返事も出来ないことをイイことに、 のんびりとボーとしながら数日を過ごさせて頂だいているのです。

我われの宿舎としているのは『宮崎ロイヤルホテル』 …宮崎を代表するような立派な名前ですが一人一泊3000円ほどで宿泊出来るビジネスホテルで 義母の家から2キロ半ほどのところにあり、健康の為の散歩コースとしても最適なのです。 という事で今回はクルマもなくレンタカーも借りずにホテルと義母の家を原則゛歩き゛という事にしたのです。 ① ② ③ ④ 

でも、これは私にとって大きなメリットがあります。 クルマが無いので義母の家での夕食で゛ビール゛が飲めるという事です。(^_^;) 今回はヒロコの結婚披露宴のアメリカ旅行の゛反省会゛?という大義名分で、その時のビデオ鑑賞 ① 豪華な会席料理のお弁当をとったり、ランスが日本に来た時にお土産に持ってきたバーベキュー・ソースでの焼肉パーティーや 差し入れのお刺身とおでんでの…とか連日、゛反省の日々゛を遅らせて頂きました。(^_^;) ① ② ③ ④

宮崎に来ると、どうしてもカローリー・オーバーの日々が続くため朝食は抜き。 我が家にいる時は夕食が21時過ぎで就寝するのが午前2時頃という生活なのに、 宮崎では午後6時から夕食して、ホテルに徒歩で戻っても午後9時頃、アルコールも回っているので 遅くても午前0時には寝てしまうので、起床は午前6時前(^_^;) 朝食は食べさせて頂けないので昼食までの時間が長いこと長いこと…

…とま~このような生活をしているうちに日曜日も終わり、それでも体重が増えたようです。 明日、宮崎での最後の日にレンタカーを借りて、゛綾゛の方にみんなでドライブして、 宮崎空港から帰宅の途につく予定です。

2011年09月26日 第401号 村上智彦医師の情熱

最近はチョットご無沙汰気味になっている月に一度の【日本の医療制度を守る市民の会】のセミナーですが、 ゲストに魅力を感じた時には極力参加するようにしています。 9月22日(木)の講演の案内が『夕張医療センター・村上智彦』となっていて グーグルで検索 ゛画像゛をクリックすると「やっぱり彼だ!」 という事が判って、これは絶対に参加したいと思いました。 村上医師はNHKのドキュメント番組で3度も見ていて、とても感動し印象に残っていたのです。

最初に見たのは2006年5月に放映された【ある地域医療の挫折~北海道せたな町~】 1年後の2007年5月に放映された【地域医療の再生への挑戦~夕張市立総合病院の100日~】 同年10月に放映されたNHKスペシャル【地域の医療はよみがえるか~夕張からの報告~】

5年前の最初に放映されたドキュメントでは 北海道の瀬棚町でムダな医療費を減らすため住民と密着した予防医療に力を入れる村上医師が紹介され、 それが市町村合併で当選した町長と折り合いが会わず、去っていく村上医師を 多くの旧瀬棚町の人々が涙で見送っていくところで終わります。 これに胸を打たれてしまうと、その後の村上医師の動向は気になるもで…彼は闘い続けていくのです(^_^;)

それが日本の医療制度に興味を持った最初で、 内藤さんと早川さんの【日本の医療制度を守る市民の会】にも参加するようになったとも言えます。

毎回、中野サンプラザで午後6時30分から開催されるセミナーですが、

今回は混雑も予想されるので早めに会場入りすると、 堂本元千葉県知事や現千葉市長も来ていて挨拶におおわらわ(^_^;) ① ②

講演も、想像した以上にエネルギッシュで痛快! ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨ 私の思っていた通りの人柄。 そしてなにより村上医師の日本の医療のあり方に対する考えが 私が思う医療に限らず、すべてに通じるこれからの時代のありかたと同じ事に嬉しくなってきました。

 

簡単に言ってしまえば…

日本は世界的水準から見たら、健康に恵まれ、医療水準も高く、医師も優秀! 「もっと!もっと!」と果てしない要求を医療制度や医師に求める事が問題で、

人々が健康管理に努めて、皆が分かち合いの気持ちを持っていれば、これ以上のお金もかけずに充分にやっていける… という真っ当な考えです。

 

でも、こんな真っ当な考えは中々受け入れられないのが゛現実゛でもあるわけですが… 身体を張って地方医療の財政を立て直し闘ってきた村上医師の言葉だから説得力があります。

講演が終わったあとも… ① ② ③

いつものニ次回会場の居酒屋の入り口でも…① ②

そして、もちろん飲み会でも…① ② ③ ④ ⑤

村上医師の熱い熱弁が続き、 ほとんど話す事は出来ませんでしたが、

記念のツーショットいやユキとのスリー・ショットも撮らして頂きました(^_^;)

今回は若い人たちの参加も多く、もちろん彼らとも楽しく語り Facebookで繋がりました。 ① ② ③ ④ ⑤ 3.11以降、政治・経済の報道ににうんざり気味の私にとって…

“人間の命”と常に向き合っている医師たちの考えや生き方が興味深い日々です。

[…]

2011年09月12日 第399号 無事完了!!

前号に引き続き帰国する8日までをダイジェストで…

●9月5日(月) ハンツビル→メンフィス(テネシー州)

ハンツビルでの宿はユキと義母が4日間滞在していた、ランス宅から歩いてでもいけそう(誰も歩かない)なところにある ヒルトンが経営するコンドミニアム。 ここでゆっくりトーストとコーヒーでテレビを見ながら朝食を取るのが義母の楽しみのようでした。 ① ② 朝食が終わる頃ヒロコがクルマでお出迎え、ランス宅に泊まったパパのケビンと団欒。 ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧

そしてランスのクルマに乗ってケビンをハンツビル空港に送った後、 ① ② ハンツビルの観光名所、ロケット・センターに行ってみるが雨が激しくデジカメで1枚だけ記念の自撮り。

① ② ③ ランスの職場をクルマから眺めて、ターゲット(大型スパー)にちょっとよってヒロコと婚姻届を出して時の

記念写真に写っていた白黒ツートンのゴルフ用の傘を購入(その傘を無くしてしまったようで)などして帰宅。

またしばらくのんびりと時間をすごした後、① ② ③ ④ ⑤ 最終目的地であるメンフィスに向ってドライブ。

雨が激しく降っているのでクルマの中で食事が出来る『SONIC』でアメリカンスタイルの昼食を(^_^;) ① ② ③ ④

途中、竜巻被害があった場所も通過していくうちにだんだん天気が回復し、ご機嫌なドラブ日よりに。 ① ② ③ ④ ⑤ ⑥

そしてミシシッピー川の夕日が美しいエルビス・プレスリーの町メンフィスに到着! ホテルにチェック・インしたあと、ゆっくり歩いて夕食へ。 ① ② ③  ⑤ ⑥ ⑦

食事にウルサイ義母はアメリカではステーキだったら満足するという事が判って ランスが前もって調べていたステーキの美味しいお店に。

もちろん義母も大満足でワインもパンも美味しくて、それに円で換算すると日本では考えあれない値段です。

ランスと私が並んで座るとそれほど背が変わりません(^_^;) ① ② ③ ④

 

●9月6日(火) メンフィス(テネシー州)

ホテルで軽い朝食を済ませてメンフィスの町に… ① ② ③ ④

1940年代から続いているというビーボディホテルでのメンフィス名物   『アヒルの行進』を見物して ① ② ③ ④ ⑤ そしてメンフィスと言えばエルビス!そのエルビスの邸宅をそのまま残した『グレイスランド』に ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨ ⑩ ⑪ ⑫ ⑬ ⑭ ⑮ ⑯ ⑰ ⑱ ⑲ 明日の早朝の飛行機で帰国の途につくので、お土産を買いにウォルマートに。

昔からアメリカ土産はスパーでの菓子類と決めているのだが1ドル80円で計算すると更なる格安感!

① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧

このウォルマーットは黒人ばかりで見かけた白人はランスだけだった(^_^;) 夜は『ブルースの故郷』と言われる『ビールストリート』に、出来たのは1860年、黒人ミュージシャンの溜まり場になって

黒人経営のクラブやレストランが出来て、1940年代後半…BealeSteet BluseBoy  BBキングなどが現われ

R&Bの時代になって…そして1950年代半ばにエルビスが現れ「ロックンロール生誕に地」 にもなってしまうという

大変なところだったのです(^_^;)

そんなところで素晴らしい音楽と美味しいビールと食事を堪能し今回の旅の最後の夜を満喫しました。 ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨ ⑩ ⑪ ⑫ ⑬ ⑭ ⑮ そしてYouTubeでライブ演奏を(^_^;)

 

●9月7日(水) 9月8日(木)  メンフィス→シカゴ→成田空港→我が家 5時50分の飛行機で国際線乗り継ぎの場合は2時間前までに行かなければならないようなので

ホテルを午前3時過ぎにチェックアウト(^_^;) でもメンフィス空港では結局一時間以上も待たされて、、① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ 普通の国内線と同じような手続きで搭乗 ① ② ③ シカゴ空港でも来た時のような機内預かりの荷物のピックアップもなく

義母はこんな乗り物にも乗せてもらいスムーズに帰国の路につき事が出来てしまいました。 ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦

夜は我が家の近くのお蕎麦屋さんで(^_^;)

※ランスが撮ってくれた写真も ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨ ⑩ ⑪ ⑫ ⑬

 

●9月9日(金)

中尾家によって母の焼香と、お土産ばなし… ① ② ③ ④ ⑤ 

義母を羽田空港まで見送って ① ② ③ ④

いろいろあった一生忘れることがないであろう濃密なひと時は無事終了いたしました。 母と同い年の義母の体力というより精神力と好奇心の強さには感動しました。

そしてそして

[…]

2011年09月05日 第398号 ザ・ロンゲスト・ウィーク

“母の葬儀” とひとり娘の “ヒロコの結婚披露宴” が同じ週に行われるという私にとってはとても とても長い一週間になってしまいました。

ヒロコは今年の4月にランスと婚姻届を出し、その時に二人っきりで式らしい事もやっており 披露宴ですが、ま~私の気分としたら結婚式のようなものです(^_^;)

前編 【母の葬儀】 8月29日(月)~9月1日(木)

●29日(月) この日は私とユキと宮崎の義母と3人で、成田発午前10時45分の飛行機で ヒロコの結婚披露宴に参加するめアメリカに行く予定になっていたのですが、 母の突然の死で、私は当然残る事になって成田空国には見送りに。

突然の出来事と徹夜明けで、見送られる方も見送る方も最小限の口数です。 ① ②

私は成田空港から私の妹の中尾由美子宅に向って葬儀屋との打ち合わせ。

(由美子が実質的に母の面倒を任せていて私は中尾家には頭が上がりません^_^;) 葬儀は、まずは戒名も坊さんもいらない家族葬で母らしい明るい葬式で行く事に。

母の二人の妹、美智子叔母・京子叔母が駆けつけてご焼香。 ① 中尾家の次女・マキと安田コウジ君の医師夫婦がカケルとワタルの息子をつれて。 母はコウジ君にはとてもとてもお世話になっているのです。

初めは母の遺体を怖がっていたカケルとワタルも両親の普段とまったく変らない母との接して方を

見たのをきっかけに、この葬儀を明るく盛り上げてくれました。 ① ② ③ ④ ⑤

●8月30日(火)

私のもう一人の妹・淳子がひたちなか市から息子のナオヤ君とやってきました。 ① ②

母が毛糸で作っていた人形のハッピーちゃんで母を囲みました。 ① ちなみにハッピーちゃんの命名はヒロコが着けたようです。 中尾家の長女ユリが弾く沖縄の三線には、いつも大きく反応し手拍子をしていた母、

これにあわせて踊ったり、みんなで母を囲んで記念撮影をして大盛り上がり。 そんな時に、母の遺体を葬儀への移動するために葬儀屋さんが。 なんだかヘンな宗教だと思われるのもナンダからと慌ててハピーちゃんを片付けて

皆で神妙な顔をして母を送り出す事に(^_^;) ①

●8月31日(水)

映画【おくりびと】で納棺師という職業も風習も始めて知った私ですが、 葬儀屋さんがとても薦めるのでやってみる事に(^_^;) 映画でモックンがやったほどの本格的なものではありませんでしたが、 みんなで母を綺麗な身支度(みじたく)をさせて、 なかなか感動的でアット・ホームで良かったと思いました。

写真はロイターのカメランマン、ユリ撮影によるものです…① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ 家族葬で戒名もお坊さんもいらないという今回の私たちのような葬儀が増えていく中で

葬儀屋としての起死回生を図ったのでしょうが(^_^;)

ロスにいて今回の葬儀には出席できずヒロコの結婚披露宴には参加してくれる

中尾家の長男シュン君のフィアンセ(婚姻済)で東京海上のライバル会社に勤務する

ナオコちゃんも最初から最後まで参加してくれました。 明日の葬儀会場に母を安置させて、みんなで登戸のイタリアレストランで食事をしました。 ① ② ③ なぜかこの期間いつもより多くケータイに仕事の電話が入ったような気がします(^_^;)

●9月1日(木) いよいい葬儀当日! 前の晩は母の思い出の写真を公開しようと明け方5時過ぎまで編集をしていたのに ちょっと仮眠して寝過ごしそうになって家を慌てて飛び出してしまい、 持参したパソコンに最終セットし忘れて愕然。 母が亡くなって泣いているのではありません(^_^;) ① 私の妹・淳子の夫で日立の原発で今や超多忙な技術者・松平ミノル君も前夜遅く来てくれて 由美子の葬儀から葬儀の内容を聞いて驚いた様子(^_^;) 家族葬という事でしたが、どこかで母の死を知った人たちが駆けつけて頂き ① ② ③ ④ 早速、由美子が『東京音頭』や『瀬戸の花嫁』(これは母がヒロコのためにという事で由美子が選曲)

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2011年08月29日 第397号 次週は『ザ・ロンゲスト・ウィーク』

●26日(金) ヒロコのアメリカでの結婚披露宴に参加するため宮崎から義母(ユキの母)がやってきました。 飛行機が到着する午後4時過ぎ、羽田空港は大変な豪雨でしたが無事到着。 その足で、神田のアカラックスの坂本さんのオフィスに寄りました。 月曜日の朝には成田空港を出発して9月8日までの11日間の久々のアメリカ旅行。 その間にも週間KENやブログのアップ、もちろん仕事上でもパソコンは必携なのですが、

いよいよ愛用の軽くて便利なレッツノートでは耐えられず、 1年前に購入した大きくて重くて使い難いダイナブックを持っていかねばなりません。 そのパソコンを何でも詳しい坂本さんにカストマイズして頂かなくてはなりません。

羽田から神田のアカラックスまでなら一般道を通っても20キロ足らずですが豪雨にための大渋滞で 2時間ほどかかってアカラックスに到着したのですが、翌日の新聞を見てビックリ! アカッラクスに寄らずそのまま我が家に向っていたらこんな状態になっていたかも知れませんでした(^_^;)

アカラックスでは坂本さんが早々にパソコンを手当てして頂き、 その後、我われの出発を祝って楽しいひと時を過ごさせて頂きました。 ② ③

●27日(土) 出発2日前の慌しい時なのですが、 この日は以前からエノちゃんと約束していた東大和でのボランティアの日(^_^;) アートプラントというイベントで゛焼うどん゛を作ってアーティストやスタッフに提供するのだそうです。 でも、私は例によって仕事はあまりせずに写真ばかり撮っていましたが 市長になったヤスオ(尾崎)さんもやってきて、なかなか感動的で楽しいイベントでした。 ① ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦

東大和から夜帰宅して遅い夕食を終わった頃、 「ヒロコからこんなメールが来てたんだ!」とユキが大きな声を出しました。 一週間ほど前ヒロコがユキとのチャットで、 「ウエディング・ケーキの上に乗せる私とランスのお菓子の人形を榎本さん(エノちゃん)に 作ってもらえないかな~」なんて事を言っていたようで、ユキが私にその事を伝えました。 私はその時に、「具体的な写真や要望がなければ、もう時間も無いしムリだよ」と言っていたのですが、 そのスグあとのヒロコは写真や具体的なイメージも送っていたのです。 それは私のメールにも来ていたのですが、ヒロコからのメール通知は全て英語でくるため ジャンクメールと思って私はいつも削除してしまうのです(^_^;) ユキもそれを見落としていて私にヒッシで「エノちゃんに作って頂けないかしら?」と迫ります。 でも、それを受け取りのは明日しかありません。 私と違ってボランティアの準備や後片付け、 それに本職を休んだ分の仕込みや菓子作りもやらなければならいエノちゃんを知っているだけに 私としてもかなりキツイお願いです電話だけは入れてみることにしました。 そして、やっぱり…「明日の夜までで、まかせてくれるならやってみるよ」 と快諾してくれました。

●28日(日) 宮崎の義母がアメリカにお土産に持っていく゛扇子゛を浅草まで買いにいきたいという事で出かけました。① ② ついでにスカイツリーの近くまでも行ってみました。

旅行カバンなども出発前日になって、なんやかやと買い物をしました。

そしてエノちゃんから「出来たからいつでも取りにきて」との電話があったので、

昨日に続いて東大和のエノちゃんのところの行こうと思ったらユキも一緒に行くというのです。

「今晩は徹夜で準備するから大丈夫!エノちゃんにお礼もあるし」 ということで…。 エノちゃんの作品は私の想像を超えるものでした! ① ② ここで紹介したいのですが、それは後日に回したいと思います。(^_^;) そして…午後10時すぎ、 「おばあちゃんが…」 姪っ子のユリから電話が入りました!

介護施設にいる母をユミコ(私の妹)が昼間に見舞った時は食欲もあって普通だったのに 心臓が停止したというのです。

★★ という事で、ここからは次週号になるわけですが、現状だけお知らせしておきます。 ユキと義母(母と同じ89歳)も大変なショックでしたが予定通りアメリカに行ってもらいました。 母の葬儀はごく身内だけで9月1日に行い火葬します。 私は翌日の2日にアメリカに向かいます、そうすれば3日の披露宴には間に合います。 来週は【母の葬儀】【娘の結婚式?】という私にとっての『ザ・ロンゲスト・ウィーク』です(^_^;)

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2011年08月22日 第396号 何かと慌しくなってきた

何かと慌しくなってきました… 9月3日のヒロコのアメリカでの結婚披露宴が近づいてきたのです(^_^;)

当人たちはすでにアメリカで結婚生活をしていて、二人でいろいろ準備をしているようで こちらとしたら、ただ飛行機にのってアメリカのアラバマ州に行けばよいだけの話で のんびりしていたら出発は8月29日午前10時成田発の飛行機なので 気が付いたら、あと一週間しかないのです(^_^;)

土曜日には生保のご契約で豊橋のお客様宅にお伺いしました。 お客様のご要望が8月の20日以降という事だったので、 「9月の初めは娘の結婚披露宴がアメリカであるので、8月20日か21日なら…」と申したところ お客様は「だったら何かとお忙しいだろうから旅行から帰ってこられてからでも」と 言って頂いたのですが、私としたら何も“慌しく”は無いという事で、8月20日に決めて頂いたのです。

しかし、それから何かとバタバタしてしまい…まっコレもいつもの事なのですが(^_^;) この日の訪問時間の確認が取れないというドジをやってしまったのです。 おまけにお客様から娘の結婚祝いのプレゼントを頂くというナンとも頭が下がりぱなしで お客様宅を早々に後にして帰路についたのです。

気が付けば、いつもは途中で寄り道したり写真を撮ったりするのが何もしておらず、 (ご家族での写真は撮らせて頂きましたが) 雨の東海道を少し走って、浜名湖の弁天島で写真を撮って ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ 慌しく帰りました。

基本的にはヒマな保険代理店ですが… 8月29日から9月8日まで11日、休むとなると不備があってはなりません。 これまでも、もっと長い旅行もいくつかやっていて、それなりのノウハウはあるのですが いつ何があるのか判らないのが保険の仕事でもあります。 メールやインターネットやスカイプはどこにいても繋がるし、留守番電話も一日数回はチェックし 緊急の場合は国際電話で連絡する事もよくあります。 でも、こんな事をしながら、海外旅行が出来るのも保険代理店のメリットと お客様に感謝しながら甘えさせて頂だいているのです(^_^;)

2011年08月15日 第395号 歯が抜けた(^_^;)

歯が抜けたのは何年ぶりでしょうか? 歯医者で虫歯を抜いた事はあるが、歯医者にもいかず自然に抜けたのは よくは覚えていませんが乳歯が最後に抜けたかなりの昔の記憶です(^_^;)

実はこの歯、2年ちょっと前に食事中に箸をオモイッキリ強く噛んでしまい、 とても痛い思いをしたのだが、その時いらい少しづつグラグラしていったのです。

グラグラするだけならまだ良いのですが、グラグラするにしたがって歯が伸びてくるのです。 まるでドラキュラの牙ように(^_^;) 伸びてくるだけなら良いのですが、しゃべりずらいし、食べにくいのです。 ユキから見ると、それでも良くしゃべるし良く食べると思っているのでしょうが(^_^;)

昨年の暮れ、恒例のハートコンサートでスピーチをしなければならず、 滑舌も悪くなっているので、歯医者で抜いてもらおうと思っていたのですが 年末のバタバタで結局はそのままになりました。

それから8ヶ月もかかってやっとハレて抜けたのです、というか自分で引っこ抜いたのです(^_^;)

今月の終わりにはヒロコの結婚披露宴のためアメリカ(アラバマ州)に行く事になっています。 それまでには抜けるだろうと思っていたのですが、かなりグラグラになっているのに抜けそうで抜けないのです(^_^;)

私は2年ほど前から食生活を180度変え、日本食中心で朝はパン一切れ、昼と夜は玄米です。 日本食はほとんど前歯を使わず固い玄米食も美味しく味わえますが、 パンは柔らかい食パンでも前歯で噛み切らなければならず苦戦するのです。

…というわけで、お風呂の中でグラグラしている歯を触っていいるうちに、 歯の両脇を指で挟める事が出来たので「エイッ!」と引っ張ったら抜けてくれたのです(^_^;)

抜けたらドラキュラの牙も消えて人相も滑舌も元に戻るかと思っていたのですが… 前歯の抜けた間抜け面と、歯が抜けた事で更に滑舌が悪くなったようでトホホの心境です。 ま~歳相応と言われてしまえばソレまでですが(^_^;)

それにしても見苦しい写真をお見せして失礼いたしましたm(_ _)m

2011年07月18日 第391号 熱い人・暑い畑

★    7月11日(月) 飯山の最終日は私の一言から?飯山で農業を始める事になってしまった(^_^;) 笠木さんの農場を訪ねるのが私たちの飯山行きの目的のひとつにもなりました。 前回は稲作も初めたという事で驚いたのですが、 今回は新たに山の上(長嶺スポーツ公園の近く)に広い農場を借りてそこを見せてくれたのです。 笠木さんの人柄や働き振りが評判になって農場を貸してくれる人が次々に現われるのでしょうが

それを楽しく引きうけて、夢を語る笠木さんの゛熱さ゛には感動します!

私たちも少しはお手伝いは出来ないものかと…

これも少し離れた信濃平の平原に借りている農地でのにんにくの収穫をやる事に…

たいした量ではなかったのに、もう汗びっしょりでヘトヘトに ① ② ③ ④ ⑤ クルマに乗ると外気の温度計は38度!

お昼に食べた富倉そばの冷たい天ぷら蕎麦で私は生き返りました(^_^;) ① ②

やっとインターネットの接続をしたというので笠木さんの自宅でfacebookのアカウントを作って 会うたびにたくましくなっていく笠木さんの家を後にして帰路につきました。① ② ③

★7月12日(火) 私の65回目の誕生日で(^_^;)飯山から帰宅した翌日

飯山の゛森の家゛のアイドルだったゆかりさんのささやかな歓送会を新宿でおこなわれました。 長い黒髪もばっさりと切って 、facebookはもとよりブログもスタート ゆかりさんが森の家を退職してまで念願だった旅に出る熱い思いが伝わってきます! 17日から1年間、世界の一人旅に出発しました。 ① ② ③ ④ ⑤ ⑥

 

★    7月16日(土) 今年度の大豆作りは6月の種まきから始まっているのですが今回の草取りから 3年目の私とユキの相模原での大豆作りがスタートしました。 昨年・今年と最初の種まきには参加出来ずタブン来年もダメだと思っています。 調度その時期にユキの宮崎での日本舞踊の会があって来年もチャレンジ予定だからです(^_^;) とは言っても…この大豆作りは年が明けての味噌作りまでの長丁場で… しかも一回一回がとてもハード、それもこの草取りが最もハードなのです(^_^;) そしてこの日も゛節電の夏゛を逆らうような゛猛暑゛!! それを充分な覚悟をしての参加なのに、やっぱり暑い!

① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨ ⑩ ⑪ 大きな麦茶のタンクもすぐに空になり ① ② 軽い熱中症になる人も出て、 朝の9時からの草取りは汗と乾燥した土で泥だらけになって午後4時に終了。 私の農業に対する熱い思いも、この暑さには負けそうで専業農家にはなれそうもありません(^_^;)

ちょうどこの日、大豆畑のある宮ヶ瀬湖周辺がテレビ東京の【アド街ック天国】で紹介され 我われの活動の拠点になっている【鳥居原ふれあいの館】はベスト30位中29位に入っていました(^_^;) 首都圏でありながらこの長閑さには魅かれるものがあります。

[…]

2011年07月11日 第390号 飯山にて

今、飯山から書いています。 9日(土)は恒例の草取り、10日(日)は

それと5日(火)には… 恵比寿から下町本所に引越したモモさんの ほぼ水ようびにジャンルや年齢を超えて色々な人が集まって 食べて飲んで、しかも有意義な時間をすごそうという、 ゆるくて楽しい『ほぼ水』が

ほぼ木曜日にやることになって『ほぼ木』になったのですが なんだか言いにくいのでモモさんの『もももく』になったのですが それが火曜日に開かれたという、ゆるい会です(^_^;) で…今回のテーマは「飯山二つの蔵から」 いつもはコジツケのテーマも多いのですが、今回は気合が入っていて 飯山から北光正宗の六代目若き杜氏の村松さん、水尾は社長の田中さんの二人に来て頂き

酒談義に花をさかせたのです。 ① ② ③

そして何よりビッグニュースはこの私の馴染みの会に 森の家の仲間である清野夫妻が今回の食材にと、わざわざ飯山まで出かけて 新鮮な゛根曲がり竹゛を獲ってきてくれたのです(^_^) それにもうひとつ驚いたのは森の家のアイドルだったゆかりさんも 一緒に来てくれて、もうビックリしてしまいました\(@^0^@)

…という事でまだまだ書きたい事はあるのですが、まずはお知らせまで。 ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨ ⑩

★7月9日(土) 飯山 草取り・蛍鑑賞

飯山の到着するともう景色が違います! 季節・天気・時間によって、それぞれ違う感動をあたえてくれます。① ② 草取りは人数が少なかったけれど、またこれまでにない味わいがありました。 ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨ ⑩ ⑪ ユキは田んぼで尻餅をつきました(^_^;) ① ② 湯滝温泉で草取りの汚れを落とし温泉を出ようとした時、ものスゴイ豪雨になり ① ② 森の家の庭での夕食&宴会は森の家の2階でやる事になりました。 今回は飯山の食文化を支え、いつも田んぼの前のお弁当を作って頂だいている 坪根さんの飯山の今獲れる食材だけで作った料理とお酒で舌鼓。① ② ③ ④ ⑤

 

そして雨も上がったようなので歩いてホタルを見に…

今回も漆黒の闇の中にヒューと舞うホタルの美しさと水のせせらぎ、

蛙の声を聞きながら、決して画像には納められない感動を味わいました。

そして今年も田んぼの側の古民家に住む森の家のスタッフ、 玉木君の家で一休み。① ② ③ ④ また森の家の2階で二次会、 森の家の鬼軍曹・木村さんにFacebookの指導をしたり(^_^;) 飯山の夜は深けていきました。① ② ③ ④

 

★    7月10日(日) 飯山・そばを打つ

飯山で獲れた蕎麦を打って食べる、森の家でのイベントに参加しました。 ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨ ⑩ そして、ここでもう一泊の予定でのんびりと森の家周辺を探索したり 飯山に来れば来るほど、飯山が好きになっていきます(^_^) ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨ ⑩ ⑪ ⑫ ⑬

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