2010年01月04日311号 静かな正月

皆さま!あけましておめでとうございます!
今年もよろしくお願い申し上げます!

早いもので今年も4日になってしまいましたが(^_^;)
家族3人のんびりと過ごさせて頂だきました。

大晦日は毎年恒例でゼン君の家(ウチ)でおせち料理をご馳走になり
ゼン君のパパとついつい話しこんでしまいました。  

当初予定していたカウント・ダウンの”港みらい”は間に合いそうもなくなって
東京タワーならどうにか間に合うのではと首都高で芝公園方面に…それでも
東京タワーの下にも、まして芝・増上寺のカ風船上げカウント・ダウンにもまにあわず
最近、出来た東京タワーが見渡せる広場に!
ココでぎりぎり新年を!そしてヒロコの誕生日を!迎えることが出来ました! 動画

元旦はすぐ近くの菅生神社に初詣でに   
例年にも無いほどの長蛇の列には驚いてしまったのか…
壊れかけていてダマシダマシ使っていた愛用のデジカメがココで壊れてしまいました(^_^;)

そしてヒロコの28回目の誕生日をササヤカニお祝いしました。   

2日は八百屋の、じゃなくて天丼屋のマイケルと昨年と同じ近くのファミレスで積もる話を(^_^;)
もちろん、話すのはもっぱらマイケルで私はただ黙って微笑みながら聞くだけです。    
この1年いろいる苦労はあったようですが、
客商売の先輩の私とすれば、どれも想定の範囲で…それよりも
マイケルの一途で前向きな情熱には心を打たれてしまいます。
昨年は6月にちょっとだけお店に寄っただけで、  
約束の天丼を食べにいく事は出来ませんでした。
今年は試食に行こうと思っているのですが、YUKIは天丼は半分バージョンでとキツイお達しです(^_^;)

近くのPCデポで待望の新しいデジカメを購入しました!
3代目のキャノンIXYです
1台目のIXYはまだ健在です。
元旦に壊れたIXYは07年の秋に香港旅行の前に購入したもので2年ちょっとの使用ですが
写真の枚数にすれば一日平均20枚、イベントで多い時には1000枚近くとって2万枚は
撮っているでしょう。
なんせカロリー・コントロール以来は3食の献立はすべて
食べた時間も記録するため、食べ終った食器も撮影、もちろん間食も、飲み物も(^_^;)
それは、秘密のブログに記録しているのです(^_^;)
この酷使にたえ3回ほどキャノンに直接持参し修理をしているのですが修理代は1万円。

こんど故障したら新しいのをと思っていたのです。
まだ発売されてそれほど経っていないのに、どんどん値下げされ、発売当初4万円近かったのが
24,500円で購入ですることが出来ました。
大きさは小ぶりになったのにグレードはかなりのアップ!
デジカメは何枚撮ってもお金が掛らないのが大きな魅力。
私のように写真が趣味の人間には安いオモチャだと思うのですが(^_^;)

3日は暮れからまた介護施設でお世話になっている母のところに…  
新しいデジカメは、これまで以上のワイドでジドリ(自撮り)もバッチリ鮮明!

2009年12月28日310号 年末2大行事も終わって…

何末恒例の2大行事も終わって、あと僅かで新年になりますが…
まだ年賀状はまったく出来上がっておらず、これからです(^_^;)
それにしても1年が経過するのは早いものです。

年末恒例行事のひとつは、ホーム・クリスマス会です…
といっても主催は妹のナカオ家で、我が家はケーキを持ってただオヨバレにいくだけです(^_^;)
私や妹が子どもの頃からクリスマスはけっこう盛大にやっていたのです。
クリスチャンでもないのに(^_^;)
その伝統を妹とその亭主、そしてその娘たちも引き継いでくれているのです。

この日のメンバーは
妹のユミコにその亭主ススム君
その長女でロイター通信のカメラマンをやっているユリ
次女のマキは二児の母にして医大の5年生で、その亭主で勤務医のコウジ君
そして長男のカリフォルニアの大学院で環境汚染を研究中のシュンと
フィアンセで大手損保(TN社のライバル)に勤務するナオコちゃん。
ナカオ家とは古い付きあいで私も懇意にしているカワイさん
それに28日からまたしばらく介護施設に行く私のと、
我が家の3人 …総勢14名!
シュンとナオコちゃんはシュンの大学時代のOB会で中座しましたが
今年も大いに盛り上がりました(^_^;)
     

●●●
次の年末恒例行事は先週号でも紹介したクラシック・ハートコンサートです。
結局、身内以外で有料参加してくれたのは先週号でも書いた
今回で連続3回になるマルさん一人だけでした(^_^;)
あとはYUKIと私、それにホームページ担当の”うるめ”さんと  ② 
ビデオ撮影担当のヒロコとその助手としてヒロコの生徒でもあるキャメロン君が
私のテーブルにした。

演奏はマリンバとピアノ…    
それにテノールとバリトンの声楽デュオです。      
両方とも若々しさと繊細な技術も感じられとても楽しく聞くことが出来ました。 
余興としてプロのピアノを披露したことから、この会でもファンが増え
恒例となった田島敦子さんの演奏は、今年も素晴らしいものでした。    
会長ノブさんの友人のウメザワ弁護士のバイオリン演奏の飛び入りも中々でした(^_^;)  
毎年、最後に全員で合唱する”第九”…   
そして今年は誰も知っている”ふるさと”の大合唱で終ったのも感動的でした。  

いつも料理がイマイチでしたが(^_^;)
今回はホテル・ニューオータニの総料理長が挨拶し、
同じ予算でしたがコレまでよりはグッとグレードアップしていました。    

大御所の熊切さんの挨拶も  
私も大変お世話になっている妹尾社長の挨拶も…  
今年はいつも以上に感激でした!
マルさんの友情には頭が下がります。

今回、初参加のキャメロンはとても真面目な生徒で、力持ちで、
日本が大好きで、とても好感がもてるガイジンでした!     

皆さまホントにありがとうございました!
良いお年を!そして来年もよろしくお願い申し上げます。

2009年12月21日309号 今年は12月27日です(^_^;)

16日に退院をしたら山ほど仕事が押し寄せるかと思っていたのですが…
拍子抜けするぐらい何もありません(^_^;)
もちろん私の入院中はYUKIがシッカリとカバーしてくれたこともあります。
それにしても静かな年末で、ありがたいような困ったような…
これが従業員を雇用して事務所でも借りていたら
いたたまれず病院に逆戻りしたかもしれません(^_^;)

世の中がいくら不景気でも、後10日ほどで今年は終りますので…
カレンダー配りや年賀状の作成や
年内にやっておかなければならない事が数多くあって
入院10日分を取り返すためには、そうはノンビリとはしておれません。

そして今日(20日)は年末恒例になった
2009年度ハート・コンサート(12月27日午後6時開演・ホテル・ニューオータニ)
一週間前の最終役員会が麹町の中原さんの事務所で行われました。
      

2ヶ月に1度ぐらいのペースで行われる役員会ですが、
これまでの2回は所用と偶然にも重なって久々の出席です。
途中クルマが混んでいて15分ぐらい送れての出席でしたが
着席するなり、「今年は何名ぐらい参加して頂かますか?」と一番聞かれたく無い質問をされてしまいました(^_^;)
実はまだ誰も決まっていないのです。
ただ一人、渋谷小学校時代の同級生で過去2回参加してくれているマルさんが参加してくれるものと
勝手に信じて、今のところYUKIと後1名の2名は確実と言ってしまいました(^_^;)

それでも昨年より3名は少ないので、ちょっとシラーとした雰囲気が流れましたが
「もちろん、これからも当たってみます」と、ココは低姿勢になってやり過ごすしかありません(^_^;)
ココの役員は私以外はライオンズ・クラブやソロプチニストのハイソな方々で
平均でも十名ほどはお仲間をつれてくるようですが、
私のようなシガナイ保険代理店ではそうはいきません。
役員を引き受けて時も「集客に関しては期待はしないでくれ!」という条件でなったのですが…
若い音楽家に僅かながらでも奨学金を渡そうというボランティア・コンサートを維持するためには
そうもいってられないようです。

私としてはヒロコ(当日のビデオ撮影と編集)と
うるめ君(ホームページ担当)の若い二人を巻き込んだ功績は大きいと思っているのですが
それなりに苦労はあるものです。

…と愚痴をこぼしている場合ではありません(^_^;)
コンサートは後、一週間です!
声楽や演奏を堪能し、みんなで第九を合唱し
いつも食事がイマイチだったのが今年はけっこうグレードアップ!
年末の慌しい時期ではありますが、
きっとご満足頂けるものと確信いたしております。

是非、これを見てご参加頂ける方がおりましたらとても嬉しく思います(^_^;)

そうそう、マルさんに電話で確認したところOKしてくれ、
それより私の身体を心配してくれ感謝です。
●これまでのハートコンサート関連記事

2009年12月14日308号 ただいま入院中!(^_^;)

私のブログをご覧の方はすでにご存じかもかれませんが…  
7日(月曜日)に近所の聖マリアンナ医大病院に緊急入院して
12日(土曜日)に手術を無事終えることが出来、 
順調にいけば今週中は退院が出来そうです。

病名は急性胆嚢(たんのう)炎…命に係わるような深刻な病気ではなく
つまった石ととも胆嚢は手術できれいさっぱり摘出されました。
胆嚢とは胆汁をためておくところですが、
その胆汁とは脂肪分の多い食事をした時に消化を助けるエキスのようなものです。
しかし私は再び高血糖のメタボにならないためYUKIの厳しいカロリー・コントロール下で
生涯を送る運命ですので、なくても良いエキスのようでもあります(^_^;)

そうそう、YUKIの鬼の調教師によって10キロの減量を果して65キロを維持しようと
言っていた矢先の入院でした。
入院から点滴のみでこの間に口にしたのは手術前に飲まされた下剤のみという寂しさです。
手術の翌日の今日(13日)の夕食ぐらいはと思っていたのですが今日もお預けのようです(^_^;)
…そのおかげでさらに体重はさらに4キロは減っているようです。

入院が急遽決まった時もそれほど焦りもなかったのは
あるていどの事ならパソコンがあればどうにかなると思ったからです。
病室からはPHSでネット接続していたのですが入院3日目で急につながらなくなってしまったのです。
そもそも病棟にネット接続のサービスが無いことに不満でしたが、
大きな大学病院のこと、どこかに無線ランかケーブルぐらいあると思うのですが
誰に聞いても「無い!」の一点張りです。
こうなったら、とりあえずはメールの返事とブログのアップ分だけでも
病院から徒歩15分の我が家から送受信するしかありません。

こっそり抜け出すことは可能ですが…問題は点滴です。
パジャマ姿にガウンをまとい激ヤセし無精ひげで点滴を引きずっている私の姿を見られたら
「末期がんでは!」なんてウワサが近所中に拡がるかもしれません(^_^;)
しかし、病院に申請を出したらあっさり外出許可が貰え点滴をはずして堂々里帰りを果しました

ネットが繫がらないのは困ったものでしたが…
12日はネットどころかパソコンもいじれない手術の日で、
パソコンをYUKIとヒロコに預け、手術が終った13日にはパソコンも無事修復され戻ってきました。  

そうそう手術の直前にケータイが鳴りました。
普通なら出ている状況では無いのですが発信元が【通知不可能】
これが出るのは海外からで、今かかってくるのは南米を放浪中?のSr.ナガモリからの緊急電話です。
私は彼のブログのプロデューサー兼管理人で、また何らかのトラブルがあったようです。
彼はあわてて「パソコンがウィルスにやられてダメになった!」…というのです。

ネットに通じるとこならどのパソコンでも、自分のブログを開けて日本語入力が出来なくても
スペイン語でも英語でもローマ字でもとりあえずは入れて写真もアップできるはず…などと手短に話し
「コッチも今から手術だから!」と両者は慌しく電話を切りました(^_^;)

手術が終わって私のパソコンも直って、Sr.ナガモリのブログを見るとチャンとアップされています。
メール・チエックをすると『アップロード出来ました』とのタイトルで
文面は「いつも大騒ぎして申し訳ない」…と
いやパソコンは誰でもいつでも大騒ぎするもののようです(^_^;)

この間たいへんだったはYUKIはもちろんですが…
藤間流の重要な所用で上京していたの宮崎の義母です。
そのサポートを私がする事が出来ず、とても不自由をかけさせてしまいました。

ソレをヒロコがカバーしてくれたのですが
ヒロコは、インドネシアの財務省の人たちの映像編集の講義をするという
大きな仕事の最中で多忙のピーク!
疲れていたのか昨日は帰宅途中のクルマでバイクと接触するという事故を起こしたそうで
YUKIに事故報告者を作ってもらいました。

そうそう無事退院したら我が家の風呂につかるのが楽しみですが…
その風呂釜が壊れて、銭湯に行っているとか。

「こなくてイイよ!」…と言っていたサカモッチことアカラックスの坂本さんが
突然やってきました。   
こんど出版する新書版にDr.KENの紹介をしている個所があるので
その了解を得るのもあってという口実ですが、坂本さんにはいつも頭が下がります。

なにかと慌しい年の瀬ですが、私はもう数日は病院にいさせて頂きます。(^_^;)

2009年12月07日307号 大豆作り

飯山(長野県)で米作りと、もうひとつ大豆作りもやっている事は、
7月20日の週刊KENで紹介しましたが…
刈り取りも終り、地元での収穫祭のイベントにも参加しました。

たのまれたわけではありませんが、
我われが種をまき、草取りをし、収穫した事が人目で判るこのようなディスプレーを作りました。
一枚目 二枚目 三枚目 四枚目 です。
けっこう(内輪では)好評で欲しいという人が続出でした(^_^;)

米と大豆が自給出来れば日本人とすれば充分に生きていけるわけですが
そこまで思いつめて始めたわけではありません。
しかし食の安全を意識する上では有意義であることと
健康のためにもとの思いでガンバっているのですあります(^_^;)

1ヶ月に1回ぐらいの参加で、同じ神奈川県ですが…
ここでの作業はけっこう本格的で気合が入っているのです。
朝の9時に集合ですぐに作業開始、大豆畑は6個所に散らばっていて
最初の頃はもう終わったと思えば次から次に畑を変えて同じ作業の連続で
農作業は早くても午後4時頃までは続きビッチリ働かされます(^_^;)

しかし、この大豆作りに参加している人たちは、何年も続けている人たちが多く
大豆作りを楽しむというより、大豆の収穫を楽しみに目的意識が明確化していて
やる気が違うのです(^_^;)

2月には味噌作りが始まるわけですが…
誰もが「絶対に美味しい!」と口を揃えるのです。
私たちは例によってネットでみつけ訳もわからず参加しているので(^_^;)
会員登録はYUKIだけで味噌はソノ分しかもらえないのですが、
それで充分と思っていたのです。
しかし話を聞いて見ると、味噌があまりにも美味しく、人に上げたりもすると
直ぐに無くなってしまうというのです。
本当は3年ぐらい寝かすと美味しいというのに
誰ももそこまで寝かす余裕などなく食べちゃうそうです(^_^;)

この日は女性部隊は収穫祭での大豆・納豆・豆腐の販売。
今年2月に仕込んだ味噌はキュウリにつけて試食には出されましたが
食品衛生法?の関係か何だかしりませんが売る事はできないようです。
もちろん売るほどはありませんが(^_^;)
         

私も食べて見ましたが確かに美味しいです(^_^)v

男性は前回、脱粒した大豆を機械にかけて大・中・小に選粒する作業。
単純なようですが一袋30キロする大豆を40袋ほど上げ下げするのはけっこう重労働です。
それと今回も脱粒作業があったのですが機械トラブルがあったりしてタイヘンです。
でも私以外の人たちはベテランばかりで冷静に対処します。

作業終了後は一同が集まって   
この日のご褒美をたくさん貰って(^_^)
2月の味噌の寒仕込までお休みです。

2009年11月30日306号 3300Kmクルマの旅

ブログの方で先に少し書いたのですが…
21日(土)からの3連休を利用して25日(水)まで、びっちり4泊5日の…
久々にYUKIとの高齢イヤ恒例ドライブの旅をしてきました。

今回の目的は大きく分けて3つありました。
ひとつはネットでの保険相談で細部の手続きほぼ完了しているのですが
”必ずお会いする”という基本姿勢で「下関」(山口県)に伺うこと。
二つ目が私が子どもの頃かた大変親しくしている「神戸」のお客様の
お母様が8月に亡くなられて年内にはご焼香だけでもと思っていたこと。
そしてYUKIの故郷の「宮崎」に近々行かなければと思っていたのです。
「神戸」「下関」「宮崎」というバラバラの3ヶ所を年内で、お金をかけず合理的に訪問するには
高速週末割引を利用してイッキに行ってしまおう!…という魂胆です。(^_^;)

その行程における【高速料金】と【宿泊代】と【ガソリン代】を1枚にまとめたものです。

てな事で…5日間のハイライト

25日(土)
連休初日、紅葉の季節、
どこまで行っての高速道路1000円で、どこまで行っても渋滞です(^_^;)
朝食の冨士SA、昼食の大津SA、夕食の福山SAの3回以外はひたすら11000キロを走り続けて
無事、最初の宿泊地、北九州に到着しました。

26日(日)
この日はYUKIの故郷の宮崎への日帰りツアー!
同じ九州でもココから宮崎は片道350キロ往復で700キロもあるのです。
10時にホテルを出て午後2時に到着4時間ほどの滞在で用を済ませ…
帰路の高速にラテ研の同期、木下さんのお店がある「八女」で高速を降りて軽い夕食をとって(^_^;)
北九州のホテルに連泊。

27日(月)祭日
25日約1100キロ、26日約800キロと物凄くクルマは走っているのですが、
それに反比例して私の”万歩計”は2000歩にも及びません。(^_^;)
これではいけないと、ホテルの窓から見える海の方に散歩をしてきました。    

ホテルをチェックアウトして関門橋を渡って     
下関のお客様にお会いしたあと
天気は好天!ドライブを楽しみながら、しまなみハイウエーから  ①   
松山(愛媛)へ寄ろうと思っていたのですが
すぐに暗くなって時間も押して、この日は神戸泊を決めていたので一路徳島方面へ。
徳島には、これもラテ研の同期で夕方になると行きつけの寿司屋から私のケータイに暇潰しの
電話を入れる日切(ヒギリ)という
呉服屋とビジネスホテルを経営する道楽息子イヤ道楽ジジイ(^_^;)がいるのです。
そいつにちょっとだけ表敬訪問をして寿司をご馳走になり
鳴門海峡を渡って3泊目の宿泊地神戸の定宿「ホテル・プラザ神戸」に

28日(火)
朝はまた独りでホテルの周辺の六甲アイランドを万歩計を持って散歩。
      
この日はまったくのウィークデイで高速割引がありません(^_^;)
今回の旅の3つの目的のひとつである昔から大変お世話になっている浅野さま宅に。
また神戸宝塚のお得意様や知り合いに突然訪問をしました。

29日(水)
最終日ですが、ケチケチ旅行の達人YUKIがまともに関西から我が家まで正規の高速料金で
帰ることなど許してくれるわけがありません。(^_^;)
高速の深夜割引…すなわち我が家のある【東名川崎IC】を午前0時過ぎに出れば半額に
なるのでサッサと帰るわけにはいかないのです。
まずは生保法人契約の第一号、摂津市の「山豊」さんにご挨拶。
それから京都の嵐山で紅葉を堪能して、
               
それでも時間があるので、これまたラテ研の同期、中前に40年ぶりの再会
お嬢さんの”中前由紀”さんは港区の区議会議員で活躍しているそうで
”仲間ゆきえ”と”え”の位置が違うと覚えて頂けるようです(^_^;)

てな具合で、いつものようにイヤいつも以上にエネルギッシュに
ココでもまだまだ書ききれないほどの充実した旅をしてまいりました。
帰路は東名川崎を0時過ぎキッチリに出ようと思ったのですが…
途中で睡魔が遅い仮眠をしたので午前2時過ぎに帰宅。
ヒロコは心配したのかまだ起きていました。(^_^;)

2009年11月23日305号 ヤーコンを食べる

ヤーコンを食べたことはありますか?

じつは以前に土から掘り起こしてばかりのヤーコンを頂だいたことがあるのですが…
どういう風にして食べたら良いか、考えているうちに腐らせてしまいました(^_^;)

先日、そのヤーコンの料理講習があるからYUKIと一緒に是非参加して欲しいとの依頼があったので
東大和の公民館まで出かけました。
そう!東大和といえばパティシエのエノちゃんです(^_^;)
実はその数か月ほど前からエノちゃんは「こらからはヤーコンだ!」とやたらにチカラが入っているのです。
エノちゃんが作ったというヤーコン茶も試飲しましたが、
特別に美味しいとは思えません(^_^;)

どうもエノちゃんは例によってヤーコンで地域の活性化を考えているようなのですが…
東大和とヤーコンの接点があるわけでなく、そもそもヤーコンを食べた事が無いので
まずはどんなものか食べてみながら、考えてみようと思いました。

場所は東大和市の中央公民館
少し遅れていったらヤーコンの調理教室がグループに分かれて始まったばかりで
YUKIはヤーコンのサラダを作るグループに入って、
私は例によって写真撮影と雑用係りで調理の様子を記録に残しておくことにしました。

撮影しながらヤーコンの生のカケラをヒトクチつまんでみました!
生まれて初めてのヤーコン試食です(^_^;)
とてもサクサクしてほんのり甘くクセも臭いもなく歯ざわりは硬い梨のような感触で
ビックリするほど美味しいものではありませんが、決して不味いものではありません(^_^;)

出来上がった料理は、YUKIが担当したサラダかき揚げすいとん牛肉巻漬物きな粉団子
どれも手際よく出来てしまいました。
        

そして全員でヤーコン料理の昼食会です!
火を通して加熱した、かき揚げ・すいとん、牛肉巻のヤーコンもサクサク感はそのままで
抵抗なく触感を楽しめる食材です。
YUKIの厳しいカロリー・コントロール下にある私ですが
ヤーコンの牛肉巻は一口、かき揚げも半分と制限されましたが、
それ以外はお咎めなしで久々に満足いく昼食を楽しむ事が出来ました。
         

そうそうエノちゃんがデザートに作ったという
【ヤーコン・パイ】はプロならではの味と技術に喝采でした。
ヤーコンとパイのサクサク感の絶妙な調和に狙いがあったようですが…
カロリー制限中の私としては、バターをたっぷり使ったパイはカロリー満点で(^_^;)
YUKIは半分しか食べさせてくれませんでした。
せっかくヘルシーなヤーコンを使用するなら
私としては低カロリーなヘルシー・ヤーコン・ケーキを作って貰えれば
少々高くても需要があると確信したのですが(^_^;)

そうそう干しヤーコンも出てきて
なにはともあれヤーコン料理教室と楽しい昼食会は無事終了しました。

でもエノちゃんの熱い思いである”東大和の活性化”と”ヤーコン”がどう結びつくのか
と言ったハナシは出ませんでした。
エノちゃんが私、「NPO法人・創造エンジンの小林さんという若者が来るからホームページだけでも見ておいて」
と言われていたのですが、そのような時間はありませんでした。

帰りにエノちゃんの店によってみると
今回講師をつとめた小川さん(障害児施設の理事長)が先客で…
しばらくすると今年の初め東大和で一緒に野菜作りをやった足場さんが
それに続いて、学校の先生を定年後、自分の畑でヤーコン作りに専念する新井さんと…
彼の教え子で今は学校の先生をやりながら新井さんをサポートする横山さんが…
そして今日の料理教室ですいとん作りを率先しヤーコンにも造詣が深い和知さんが
実際のヤーコン作りをやっているご主人を連れて…
と次から次にやってきて、
文字通りのヤーコンによる活性化現象をとりあえず見ることが出来ました(^_^;)
         

2009年11月16日304号 ディズニーランド

先週の10(火)11日(水)とディズニーランドに行ってきました(^_^;)

もちろん浦安にある東京ディズニーランドです。
我が家からクルマで50キロほどで一泊する必要はないのですが
どうせ行くのなら充分に楽しもうということで、舞浜のホテル・オークラに1泊する事になりました。
…と言ってもソノ費用は私の母が持つそうです。
…と言っても母は要介護5の認知症でディズニーランドどころではありません。
母の面倒を見ている私の妹(長女)のユミコが母の年金から費用を捻出して楽しもうという企画です。
参加したのは他に茨城在住の妹(次女)のジュンコ、そしてもちろんYUKIとヒロコの総勢5名です。
スポンサーの母はその間、介護施設でゆっくり静養いただきます(^_^;)

そもそも、この企画は歴史があって母が元気な頃から母と妹2人で何度か楽しんでいたようで
私も1度だけ参加したことがあります。
ようするに”角倉家”は根っからのディズニーファンだったのです。

ソノ先頭には私が立っていたのかもしれません。
幼いの頃に見たバンビやピノキオや白雪姫の感激は今でも鮮明に残っています。
小学生の頃、ミッキーやドナルドの短編アニメの美しさと動きに目を輝かしたものです。
私が12歳の頃から10年間(1958年~1986年)日本テレビでプロレス中継と交互に放映していた
【ディズニーランド】は家族で楽しみに見たものです。
番組冒頭にウォルト・ディズニー本人が登場し
1955年オープンしたばかりの【冒険の国】【おとぎの国】【未来の国】から成り立つディズニーランドを紹介し、
ティンカーベルが舞い降り妖精の粉が降り掛け
「今回は○○の国からお送りします!」…というのに胸躍らされたものです。

7歳年下と10歳年下の二人の妹へのクリスマス・プレゼントはディズニーの絵本や
今でいうディズニー・グッズ。
ディズニーの映画に連れていった事も何度もあります。
そして「新婚旅行はディズニー・ランドに行く」と10代から決めていて(^_^;)
1981年YUKIとの新婚旅行はもちろんカリフォルニアのディズニー・ランドでした。   
1984年、ヒロコが2歳の時にロス・オリンピック観戦とでディズニーランドへ。  
1988年大晦日はディズニー・ランドでカウント・ダウン1989年元旦を迎え…  
帰国したら昭和から平成になっていました(^_^;)

もちろんヒロコにもディズニーの絵本全集を買い揃え、
その中からヒロコが選んだ絵本を就寝前に読み聞かせるのが私の日課でした。

1983年には東京ディズニーランドが誕生していたのですが
”アメリカにあるからディズニーランド”というコダワリがあったのですが…
それも時間の問題でした(^_^;)

てなわけで…
ヒロコはもちろん、かなりのオバサンである私の妹二人がディズニーファンであるのも、
責任の一画は私にある奇妙な5人の団体が成立しているのです(^_^;)

とは言っても私とYUKIがディズニーランドに行くのは十数年ぶりです。
どうせ行くなら、まだ行ったことがないディズニー・シーと思ったのですが、
ヒロコは友だちと、妹も二人で…昨年はそれぞれ1泊旅行で楽しんでいるのです。
昔は私がリードしていた”ディズニーの世界”も時代が変り、すっかりオノボリサン状態です(^_^;)

それにしても…
どんどんパワーアップし拡大していくディズニーランドいやディズニーリゾートには圧倒されます。
全国の遊園地やテーマパークが衰退していく中でココだけが”ひとり勝ち”というのが良く判ります。

もう駐車場に入った瞬間から駐車場のお兄ちゃんの動作も顔もディズニーの世界です(^_^;)
クルマから降りるファミリーの子どもはシンデレラの衣装、親はミッキーやグフィーの耳をつけて
足早にゲートに向かいます。
もちろん園内に入ればキャラクター(ぬいぐるみ)は勿論、アトラクションの案内役・店員・清掃係などなど
すべてのスタッフが笑顔をたやさずお客をサポートするのはディズニーランドの特徴だと昔から思っていましたが…
それが不自然でなく皆同じようなのが怖い気もします(^_^;)

しかし、これによって客も完全にディズニーの世界に没頭し催眠商法のようにディズニーグッヅが飛ぶように売れ
それが子どもにも引き継がれ、りピートが繰り返されていくのです。

今は飯山(長野県)の里山での稲作に安らぎと憧れを感じるようになってしまった(^_^;)私には…
広大な敷地すべてが人工的に作られ完璧なまでにシステム化・マニュアル化された空間に
違和感を感じてはしまう年齢になってしまったのかもしれません。

でも、その世界に入ってしまえばディズニーランドほど安直で楽しいところは無いかもしれません。
映画でも音楽でも、その世界に入って楽しむものですから、
ここまで完璧にその世界に入って楽しませる世界は無いのかも知れません。

なんだかんだと、とりとめもない事を書いてしまいましたが…
10日は天気も良く温暖で朝の10時から閉館まで12時間!
             

11日は朝からドシャブリ
ヒロコは母校での授業(一応講師です)のため朝食後にホテルを出て
私たちは昼までホテルのカフェテリアでのんびりすごし
デズニーシーに面したホテル・ミラコスタでゴージャスな雰囲気だけ味わいました(^_^;)
        

2009年11月09日303号 歩く

なにしろYUKIは忙しそうなのです。
こんな表現をすると「ヒトゴトで無い!」とまた叱られそうですが(^_^;)

忙しい原因のひとつは…
私の3食の食事のカロリー計算とその献立を作るのにテマヒマがかかって時間が足りなくなるのです。
私としたら心から感謝する事ではあるのですが、
この2ヶ月でかなり数値が改善され、栄養指導の先生からも
「もう少しカロリーを増やして緩和しても良い」と言われているのです、
ソコまでしなくても、と思うのですが
YUKIはその手を緩めるどころか益々厳しくなっていくのです(^_^;)

もうひとつは仕事です…
と言っても契約がバンバン取れて忙しいのではありません。
昨今の保険会社のマニュアル化・パターン化の傾向には私のブログでも異議を唱えてきましたが、
どんどんエスカレートし本当に酷いものです。
書き出すとまた怒りが沸いて止まらなくなるので控えますが
実態により形式が重要視されパターン化した作文の提出が強要され、
その提出が遅れるとペナルティが課せられのです。
私はその事にとても憤慨しているので仕事がますます遅れていくため
YUKIがソレをカバーするしてくれるので忙しいよう…イヤ忙しいのです(^_^;)

そんな忙しいYUKIを私は知っていますから
YUKIとのマルエツの買い物も、クルマで行ってしまう事が多くなり、
”けん散歩”もままなりません。
ようするに私はYUKIを気遣ってなのですが…
「まったくKENは怠けものでどうしようもない!早く死にたいならどうぞ!」などと言うのです(^_^;)

そんなわけで…
7日土曜日、床屋(一休)にはクルマを置いて行ってみる事にしたのです。
考えてみれば都心(赤坂・溜池)の床屋にクルマで行くこと事態、不自然な暮らしだったのですが
30年近くそうしてきたのですからメタボになるのも当然です(^_^;)

午前11時40分我が家を出発!
天気はとても穏やかなので小田急線の向ヶ丘遊園駅まではバスを使わず歩いていく事にしました。
いつもクルマでしか通らない道を徒歩で歩くのも楽しいものです。       
道路拡張工事が完成間近で歩きやすくなりましたが、まだ未完成の部分もあり
TV番組でも紹介された”恐怖のバス停”は健在です。  

松下電工の研究所跡17000坪の広大な敷地に750世帯のマンション群『ユーロピア』も
いつもクルマから道路越しに見るだけだったので探索。     
思った通り「なんだかな~」という感じで住みたいとは思えませんでした(^_^;)

ここからだと【向ヶ丘遊園駅】より【生田駅】の方が近いと思い、ソチらの方向に歩きましたが
行き止まりが多く、細い住宅街の道は線路からどんどん離れ上り坂になっていくので
やっぱり引き返して【向ヶ丘遊園駅】に向かう事にしました。    
なるべくクルマで行けない道をというコンセプトでしたが
線路と陸橋とアップダウンの多い道を歩くとなると、マトモにたどりつけないのです。
    

やっと小田急線【向ヶ丘遊園駅】に到着したのは家を出てピッタリ1時間!歩数7168歩!です。
クルマなら15分足らずなのに(^_^;)

小田急線で代々木上原で向い側ホームの地下鉄千代田線で国会議事堂前で下車
30年前には通いなれた道のりを地下から脱出することも出来ず歩数を稼ぎました(^_^;)
    

床屋一休に到着するとマスターの奥さんから「角倉さんどうしたの!」といきなり言われました。
いつもはビルの駐車場から颯爽?と入ってくる私が
徒歩と電車で2時間近くかけて伸びきった頭髪は風でボサボサ、
疲れきった様子でしかも”痩せさらばえて?”入ってきたのですから(^_^;)

30年も私の耳垢をとって頂だいているマスター夫人から
「耳垢がサラサラでしかも少なくなって体質が変ったみたい」といわれ
体質改善がされたのか?枯れちゃのか?少し考えましたが(^_^;)
髪をカットし整髪していくと普段の丸顔に戻って、
いつも以上に健康談義に盛り上がりました
恒例の大晦日の予約は午前10時と勝手に決められてしまいました。

帰路は迷わず地下鉄・千代田線に乗車    
小田急と連結する多摩急行に
この急行は向ヶ丘遊園駅には停車しないので、ひとつ手前に登戸駅で下車して
徒歩で向ヶ丘遊園駅のバス停へ。
その途中で1万歩を達成!!

我が家に到着したは午後4時8分、11589歩!
エキサイティングでヘルシーなECO床屋ツアーでした(^_^;)

2009年11月02日302号 奥秩父で蕎麦2009

今年もラテ研恒例、奥秩父での蕎麦ツアーに行ってまいりました。
私はこれで3回目。
YUKIとヒロコは昨年に続き2回目。
そして今年は宮崎からの義母も参加です。

これまでは電車やバスを乗り継いで4時間以上かけて行っていたのですが
どうせ紅葉の美しい奥秩父まで行くのなら、近くにの温泉でも一泊して…
という事になり今回は我が家からクルマでいく事になりました。

クルマで行くのも、一泊するのも、良いのですが…
問題は蕎麦パーティーの会場【そば処・紺屋】と宿泊場所が離れていることです。
クルマで行くのだから問題が無いように思われるかもしれませんが
クルマで行くから問題なのです、みんなお酒を飲むからです(^_^;)
…ということで黒沢君のお勧めで【お泊処・神庭】に宿泊する事にして
そこにクルマを置いて宿のクルマで送り迎えしてもらう事にしたのです。
これでお酒の問題も
アタマもクチも元気だがアシが少々弱ってきた87歳の義母の問題もクリアです。(^_^;)
    

昨年より参加者は少ないですが…初参加は
香港の小倉夫人のキエちゃん(長女カナちゃんの出産のため滞在中)
ホンジュラスから帰国したSr.ナガモリこと同期の永森
チリ在住で深田祐介の小説『炎熱商人』のモデルにもなった豪傑、岸野先輩
昨年はエルサルバドル人の奥さんと次男と3人で参加した新井君は
今年は長男も加わってファミリー全員で。
在職中のほとんどが海外勤務、定年後も永森同様中米のボランティアで、
最近やっとおちついてきた岡広先輩の奥様
それに50歳をすぎサラリーマンから突如、あこがれだった漁師になって転職し
遠洋漁業に従事していた、我らが同期のラテ研会長だった田中
ラテ研ならではのユニークな新たな参加者が加わりました。

今年は天気も温度も快適で、とてものどかな雰囲気の中で
楽しく美味しく過ごすことが出来て義母も大満足のようでした。
      

初参加の永森は
初参加の新井ジュニア(長男)にスペイン語のジョーク集を見せながら
スペイン語で大いに盛り上がっていました、さすがSr.ナガモリです(^_^;)

小倉夫人のキエちゃんは、ドコへ行っても存在感100%で初参加とは誰も思いません。
   

昨年の蕎麦パーティーでもコマメに働いて我が家でも有名になった岡広先輩。
初参加の奥様に私が「家でもあんな風なのですか?」…と訊ねたところ
「ぜ~んぜ~ん」と以外な回答、岡広先輩にそのことを質問したら
「黒沢がひとりでテンテコマイしているんだぞ!」…と言われて最敬礼をしてしまいました(^_^;)

ヒロコが「イヤーダ!」と大きな声で…さわいでいます(^_^;)
ヒロコがいくつぐらいに見えるか?という事になって「アラフォー?」と言われたようです。
ま~27歳なのにアラフォーと言われムクレル気持ちは判らないでもないですが、
もう少し恥じらいや遠慮があっても良いと…私が云うのもヘンですが、親としては思うのです。(^_^;)
初対面であろうと誰に対しても動じないあのふてぶてしいヨッパライ女をみたら
アラフォーと思われてもイタシカタないでしょう。
  
香港旅行以来ヒロコとも親しくなった木村先輩は、今は茨城で野菜作りもやっていて
ヒロコが「ボーイフレンドが出来たら一緒に遊びに行く!」と言ったら、
「ムリはしないように!」…と冷静に言われ…またオオムクレ(^_^;)   

あっという間に時間は経過していきました。
               

今回、古谷夫妻もクルマで来て我われと宿は違ったのですが一泊。
みんながバスで帰ったあと、宿のクルマが迎にくるまで店主の黒沢君と雑談…
いつも一人でテンテコマの黒沢君…     
落ち着いて話すことが出来ないので貴重な時間です。    

エルサルバ人の新井夫人と流暢なスペイン語を話す黒沢君をヒロコが目撃(^_^;)
私の2年後輩の彼はスペインに6年ほど滞在、商社で世界を股に活躍したのちに
黒沢君が生まれ育った実家を改造した蕎麦屋を開店。    

自分で作った蕎麦にコダワリ抜いて、
営業は金・土・日(祭)で11時30分~15時までの4時間だけ(^_^;)
しかもセルフ・サービスで屋外でも禁煙、売り切りゴメンの、かなりの強気の営業…
でも、最近は予約でいっぱいになったりするらしいのです。
そんなワガママで頑固な60歳を越えた黒沢君ですが…
この蕎麦の会は私も含め彼の先輩が多く、ホンとにお疲れ様でした(^_^;)

私たちを迎えに来てくれた『お泊処・神庭』のお嬢さんとも幼馴染のようで
楽しそうに自宅を改造した店内を案内していました。  

【お泊処・神庭】の料理も堪能、  
夜は10時に寝てしまったので、私は5時前に起床(^_^;)誰もいない温泉での朝風呂を満喫。
朝食も豪華でしたが、昨日1日のカロリー・オーバーを埋めるためYUKIの厳しい目が光ます。  

そして黒沢君が今なら絶対のお勧めと言ってくれた…
奥秩父・中津峡の紅葉の素晴らしいには圧倒されました(^_^;)
               

P.S ヒロコの作成したYoutube(動画)です。