2010年03月15日321号 田中会長

大学時代の友人といえば
この週間KENでもお馴染みになった拓大・ラテンアメリカ研究会の仲間たちがほとんどです。
我々が3年生の時にはラテ研の会長を務め、
また同期から中米共同市場視察団を派遣した時に団長も務めたのが田中で、
今でもリーダー的な存在です。

田中が特別に優秀だったからという事で会長や団長に選ばれたというわけではありません。
彼の人間的魅力、もっと具体的にいえば彼の質実剛健な迫力が買われ(^_^;)
リーダーに選ばれたようです。

海が好きで年中真っ黒に日焼けし、
麻雀仲間と季節外れの伊豆のバンガローで徹マン大会をやった時、
麻雀をしない田中もやってきて、何をするのだろうと思ったら、
夜中の寒い海に潜って手づかみで魚を獲ってきたのには誰もが驚いたものです。

就職し社会人になって…
私はフランセの銀座店の店長をしている時
田中が珍しく…というか初めて、とてもキュートな美女を伴なって神妙な顔で店にやってきました。
「今、見合いをしてきて、その後は二人でどかに、なんて事になったのでココに来た…」
ようするに”私にこの場を持たせろ”というのです(^_^;)
私は田中のそんなところも茶化しながらも彼の魅力を語りました。
田中夫人になった明子さんは…
「こんな友人(私のこと)がいるならチョットだけ付き合ってみるか?」…と思われたそうです(^_^;)

田中が50歳になった時、営業部長の職を捨て、突然”漁師”になってしまいました。
田中の夢の職業だったのです。
職安で「漁師ななりたい!」と言ったらビックリされ
「それは職安(厚生労働省)の管轄ではなく農林水産省の管轄です」と言われたそうです。
受け入れてくれたのは茨城県の波崎漁港、単身赴任です(^_^;)

都会でのサリーマン経験しかない50歳を過ぎの中年男がなぜ?
きっとシャバで悪い事をしてきたに違いない!なんて最初は見られたようです(^_^;)
しかし大揺れの漁船に乗っても船酔いもせず、収穫される全ての魚の名前も知っていて
活き活きと嬉しそうに働く田中に、周りの見る目も違ってきたようです。
そんな田中が任されたのが漁船での”料理長”!
漁師にはギャンブル好きが多くて”賄いのお金”まで使い込む者が後をたたず
田中なら金を預けても大丈夫と、料理経験などほとんど無い田中に白羽の矢?があたったそうです(^_^;)

そんな田中も数年前60歳を過ぎて体力の限界も感じ漁師生活からリタイア。
田中の自宅がある港北ニュータウン(横浜市)のマンション群を訪ねたら
300世帯ほどある敷地内の駐車場管理の役員をやっていて、
彼に注意されると誰もが頭をペコペコさせ、田中にピッタリの仕事のように見えました(^_^;)

その田中が今、パートで働いているのが横浜駅前の都市銀行が入っているビルの
立体駐車場の管理人(^_^;)
その職場に先週の11日に初めて訪問しました。
あいかわらず、ふてぶてしい態度でゆっくりと身体を動かして
やっぱり駐車場のオヤジが似合っているのには笑ってしまいました。
     

そんな田中は今、夜も眠れないほど忙しいと嘆くのです。
田中が住むマンシュン群の駐車場管理の辣腕が変われ
ご夫人たちの人気も高く(本人曰くですが)管理組合の会長に押されてしまったようです。
毎日マンションの住民や関係業者からメールが4・5件はコンスタントに入ってきて
慣れないパソコンでひとつひとつ返事を書いていると朝になってしまうというのです。
確かに彼が職場に持ち込んでいるパソコンのメール送信時間を見ると
確かにそうなっていますが楽しそうです。(^_^;)

クシャミをすると腰を押さえイタイイタイというので「どうした!」と聞くと
先日、自転車に乗っていてクルマに跳ねられ飛ばされ軽い打撲したばかりだというのです(^_^;)
ラグビーと海で鍛えた頑丈な身体はまだまだ健在です。

田中が駐車場のクルマを出す為に席を立った時、彼がどんな本を読んでいるのか覗いてみました。
【大航海時代叢書・アズララ ギネー発見征服史】…とても難しいそうなタイトルでしたが(^_^;)
よく見ると翻訳の長南実氏は我々のスペイン語の先生のひとりだった方です。
そして何より田中の海への思いも永遠で奥も深いようです(^_^;)

2010年03月08日320号 鳥取で日曜礼拝

今、京都のホテルから書いています。
今朝10時から教会の日曜礼拝に行きました。
ヒロコが小学校低学年の頃に近くの教会に一緒にいって以来です。
教会の名前は鳥取希望教会、そう鳥取県鳥取市にある教会です(^_^;) 

その教会で、ご家族とお昼ご飯をご馳走にになり、   
結局晩ご飯もご馳走になって
生命保険の契約を3件も頂だいてきちゃったのです(^_^;)

4年前に奥様からのメール相談でご契約頂いたM牧師さんのお嬢様3人の
貯蓄を兼ねての”長割り終身”のご契約に、伺ってのです。
最初は長女のYASUKAさんが大学を卒業し社会人になので、という事でお話をさせて頂だいているうちに
どうせなら次女のYOUKOさんも三女のAKANEさんも、という事になったのです。

日曜日に来られるのなら10時から礼拝があるので、という事で、
小さい頃から教会に通い、青山学院でもキリスト教をチョット学んだ?YUKIも
是非参加したいという事で今回の運びとなったのです。

ヒロコやYUKIほどは教会馴れしていない私ですが…
アットホームな日曜礼拝に心から楽しまさせて頂きました。
YASUKAさんがピアノYOUKOさんオルガンを弾き  もちろんAKANEさんも
キーマン!?の奥様が進行を仕切り
もちろんM牧師のお話はユーモアをまじえとても心をうつものでした。     
ご夫妻のご両親も参加され3代みんなで仲良く教会を支えている姿が
礼拝者にも伝わっるのでしょう、小さな子供たちもたくさん集まって、   
とても和やかで家族的な安らぎが満ち溢れているのです。    

4年前、ご契約に伺った時まだ高校生だったYASUKAさんが
オヒトヨシのお母さんが”保険屋”に騙されているのではないかと、
私たちの様子を検分に来て「大丈夫じゃない」とお墨付きを頂だいたのですm(_ _)m
そんなシッカリ者のYASUKAさんは幼児教育の分野で活躍されるようで
次女のYOUKOさんも春から大学生で姉のYASUKAさんと同じ分野を目指し関西で一人暮らし、
三女のAKANEさんは二人の姉が居なくなってノビノビと出来ると喜んでている
とても仲が良いクリスチャン3姉妹で
鳥取希望教会の前途は希望に溢れ輝いているように見えてきました。(^_^;)

保険契約に伺って、こんなに温かくオモテナシをして頂けるとは
仕事冥利に尽きると、心から思っています。
ほんとうにありがとうございました。

P.S.
奥様が書かれている教会のブログに私たち事を書いて下さいました。
教会に来られる方の中には保険業の方もおられるというのに
とても具体的に書いて頂き、とても光栄でまた恐縮しています(^_^;)

2010年03月01日319号 Sr.ナガモリと浦和先生

Sr.ナガモリが3ヶ月近い南米ぶらり一人旅から帰国しました。

昨年11月末お客様とファミレスで打ち合わせ中、
私のケータイが鳴って【通知不可】との文字が出ました。
電話に出ると永森の声で、いきなり「ブログの写真が小さくなない!」と慌てた口調です。
私は「今どこにいるの?」と聞くと、彼は「ブエノスアイレス」と。
Sr.ナガモリのホンジュラス滞在に続く第二弾!南米ぶらり一人旅の始まりです。(^_^;)

その模様は彼のブログに
11月23日から2月18日まで一日も欠かさず大量の写真とともにブログがアップされていくわけですが
Sr.ナガモリのブログの仕掛け人&管理人である私は”ヘルプデスク”として忙しくなるのですが、
12月12日私が胆嚢炎の手術をする直前に電話があった時は事情を話し待ってもらいました(^_^;)

行くときも突然ですが、帰ってくるのも突然です。
もうソロソロ帰国の頃では、と思ってはいたのですが
2月19日味噌作りの2日目の帰りのクルマの中で私のケータイが鳴ったので
YUKIに出て貰うとYUKIは明るい声で
「あら!おかえりなさい!ブログ楽しく拝見してました!クルマを運転中で折り返し電話させます。」
もちろんソレだけでSr.ナガモリが帰国したと判ったのですが
今朝見た彼のブログは2月15日までで「アルゼンチン最後の夜」と書かれてはいましたが
これで帰国するとは書いていないのです。
(彼のブログは毎日書かれていますが何日分か纏めてアップする傾向がありますが)

ようするに行きも、帰りも、いきなり電話で知らされたわけですが(^_^;)
ソレこそがSr.ナガモリらしい旅なのかも知れません。
電話の内容は
「アルゼンチンの中務先輩から浦和先生に言付かったお土産を届けようと思って先生に
電話したら”Dr.KEN”も一緒に来れば、と御指名があったので…」というのです。

浦和先生は拓大ラテンアメリカ研究会の6年先輩で
我々の学生時代にスペイン語の教員として赴任され、その後に設立される外国学部の学部長として…
スペイン語学科の教授として活躍され2年前に退官されたのです。
我々にとっても懐かしい先生ですが浦和先生にとっても
初めての生徒で、私のような劣等生でも、よく覚えて下さっているのようです(^_^;)

それと浦和先生が毎日楽しみにされていたナガモリのブログの管理人が私である事もご存知で…
ついでに私のブログ【ゆったりECOな保険ライフ】もご覧頂いているようで
今回の名誉あるご指名を頂いたようなのです。(^_^;)

21日(日曜日)この日は年末恒例のハートコンサートの定例会があったのですが
それはヒロコに代表して貰って(^_^;)
浦和先生のご自宅の最寄り駅でもある待ち合わせ場所のJR高尾駅に向かいました。

先生は煙草の吸い過ぎが祟って肺気腫を患われ、2年前にお会いした時は大変そうに見えましたが
とてもお元気そうで  
歩く時は酸素ボンベをバギーのように引きずってですが、その足取りも軽く(^_^;)
お店での談話中はそんな気配をまったく感じないほど楽しくお話をする事が出来ました。
           

Sr.ナガモリとは大学1年生の頃から親しく、彼がスペイン語に強くのめり込んでいく過程を良く知っています。
私ときたら勉強もせず、ただラテン的気質だけで気楽に生きるところをは今と変らず(^_^;)
私が買ったトリオ・ロス・パンチョスの何枚ものLPについている歌詞を
彼は全部書き写し暗記し歌っていました。
映画館に弁当を持参し、スペイン映画【汚れなき悪戯】を何度も見るに付き合いましたが
私は何度目からは寝ていました(^_^;)
まだ第二外国語としてスペイン語がある時代で、また日常生活の中でスペイン語を耳にする事など
ほとんど出来ない時代でした。

でも、私たちの先輩である浦和先生をはじめとする多くの諸先輩はスペイン語を駆使して
多くの国々で活躍されているのです。
そして何より素晴らしいと思うのは、商社や大企業や外交の上から目線でなく…
その国を愛し日本を愛し現地に溶け込んで、学生時代からの熱き思いを純粋に貫き通していることです。
ほんとうの意味でのインターナショナルな人たちではないでしょうか?

それは簡単には表現出来ない”ラテン・アメリカの風土や気質”があるのかも知れません。
何はともあれ21世紀は”ラテン的生き方”です!(^_^;)

そんな思いでSr.ナガモリと浦和先生の熱い会話を無口で聞きていたこの日の私でした。

翌日、Sr.ナガモリのブログには当日の模様が写真入りでアップされました。
私のブログは保険関連なので週刊KENで載せたいテーマで、
先週は”味噌作りネタ”があったので一週間遅れになってしまったというわけです。
浦和先生にはすっかりご馳走になってしまい、
その御礼は、このコラムがアップしたらリンクしたメールで御礼をと、
いつものラテン的のんきさでいたら翌日、なんと先生の方から御礼の電話がありました!
「いやーホントに楽しかった!ありがとう!」…というもので言葉が詰まってしまいました。

昼間から生ビールで料理をご馳走して頂き、先生はウーロン茶(^_^;)
「先輩!押忍(オッス)ごっつあんでした」m(_ _)m

2010年02月22日317号 味噌作りの3日間

昨年、作った大豆で3日間の味噌作りを体験してきました。

第一日目 18日(木)
楽しみにしていた味噌作りの初日というのに雪が積もっていました(^_^;)
会場はもちろん大豆を栽培した津久井町(神奈川県)、ようするに山の上です。
このまま積雪が増えたらどうしようと思っていたら雪が止んでどうにか行けそうに
この日は午後1時30分の集合というのも幸いし問題なく現場に到着
一日目は大豆を煮る為のセッテングだけ(^_^;)
…と言っても大きな鍋や釜が12個、これをクルマから下ろし、きれいに洗
その鍋の中に、これもきれいに洗った大豆をセッテイングするだけでも重労働です。
それに水をいれ一晩おくわけですが、その間にいたずらされないようにカバーをして
3時間ほどで作業は終了しましたが、顔はススだらけ指先はすっかり冷えてしまいました(^_^:)
      

第二日目 19日(金)
集合時間は8時30分、雪はすっかり消えていますが我が家の駐車場の前の畑も寒そうです
でも、この日の作業は暖かそうです、なんと言っても大鍋で大豆を煮るのですから。
人の釜茹でが出来そうな大鍋?の中には25キロの大豆が入っていて
それを薪をくべながら、アクを取りながら、焦がさないように…”煙り”と”湯気”とに闘いながら
注意深く煮るのですから、慣れない私たちには大変な作業です。
          
でも、その甲斐あってよても美味しく煮えたようです、エッヘン(^_^;)

そして昼食!まともな朝食も取らずにやってきて労働の後の食事の美味しいこと!
とん汁の味噌も納豆豆腐ももちろんココで取れた大豆で作ったもの。
それに取り立て野菜のサラダも涙が出るほど旨かった(^_^;)   

午後は今年植える大豆の良い種を選別するための”選粒作業”
これも毎年行う重要な作業のようです。    

そして鍋に入って茹で上がった大豆を一晩冷やすために
昨日と同じように大鍋にカバーをして、この日の作業は終りました。

第三日 20日(土)
一晩冷ましたといえまだ温かい大豆を鍋からとりだし、  
ススだらけになった鍋を洗うのも大変な作業ですが宮ケ瀬湖の美しい景色が癒してくれます
茹で上がった大豆は”米麹”と”塩”と大豆の”煮汁”ブレンドされ、
それを巨大挽肉機のようなモノに入れて味噌の原型?が絞りだされ  
12キロづつ計量された丈夫なポリ袋がどんどん並んでいきます(^_^;)

この一袋が会員の一人分という事ですが…
私とYUKIは会員費1名分(年間8000円)で参加していますので一袋です(^_^;)
(もちろん、生の大豆も何キロか忘れましたが相当貰っています、ねんのため)

ここから各々が自分の分を用意したポリ・バケツに詰める作業をするわけですが
YUKIは、それは会場で用意されるものと思い込んでいたようで、しっかりと見る事に専念です(^_^;)  

何はともあれ、昨年の6月20日かの大豆の種撒きからはじまった一連の作業はこの日で終了。
大豆入カレーライスで楽しい昼食を!
来年度の参加者を募ったら、なんと全員が更新!もちろん私たちも(^_^;)
    

帰路、ポリバケツを購入して我が家で味噌を仕込み、半年ほど寝かすわけですが…  
ほとんどのメンバーは美味しくて年内に食べつくしてしまうそうでとても楽しみです。(^_^;)

2010年02月15日317号 満足な食事

ここのところ満足な食事というものにありついた事がありません。
ま~そのおかげで私の体重は14キロも減って標準体重になったわけですが、
その後の私も、いまだYUKIの厳しい監視下の元にしっかりと管理されているのです。

そんな私を、とても可哀想に思ってくれてる人が宮崎の義母です。
私にとってはとても頼もしい味方です、何てたってYUKIの実母なんですから(^_^;)
義母は88歳とは思えないほどの健啖家で、
私と食事をするのをいつも楽しみにしている人なのです。
ところが12月に上京した時はちょうど私の入院中と重なり
YUKIからは満足な食事も提供されず、とても惨めな思いをして宮崎に帰られたそうです。

そして、また12日(金)、2泊3日で義母が上京しました。
日本舞踊の師匠でもある義母が弟子(名取)の師範試験に付き添うためのもので、
藤間流家元の住居がある麻布にほど近い都ホテルに宿を取ったのです。

元気とはいえ88歳のしかも宮崎に住む義母ですから、飛行機やホテルの手配はYUKIがして、
羽田からホテルは私のクルマで、
そしてその日の夕食は都ホテルで(^_^;)       

次の13日(金)は、お弟子さんの師範試験の日、それが終るとお弟子さんは宮崎に帰るということでしたが、
義母はもう一泊して、私たち家族もホテルに宿泊させ、
前日に続きホテルでご馳走したいと、涙が出るほど嬉しいことを言って下さるのです。
ホテルに宿泊できるならアルコールも少々は楽しめるわけで、こんなラッキーな事はありません(^_^;)

ヒロコはあいにく、この日の夕食には間に合わないとの事でしたが…
普段から食べ放題、飲み放題のミダラな?生活をしているヒロコや
食べる事にいっさい興味の無いYUKIは、どうでもいいのです(^_^;)
ひさしぶりに美味しい食事とお酒が堪能できるという気持ちで私のアタマがいっぱいです。

午後4時頃、YUKIと私は都ホテルにチェック・イン。
家元での師範試験も終わって、
お弟子さんがホテルをチェック・アウトするところで、ロビーでしばらく雑談。

この日は、我が家ではよくあることですが朝食が遅くなって昼食は食べておらず、
時計をみたら5時30分。
ホテルのどこで食事をするか予約もとっていなかったのですが、
ちょうどすぐそばに中華のレストランがあり、ちょっと寄ってみると何だか急に食欲が(^_^;)
今なら7時までなら予約なしでOKということで店内に。 

YUKIの「コース料理など食べれない!」と言う、いつもの要望?にレストランも了承、
二人前コースを3人で、足りなければ単品で注文という少々情けないスタートでしたが(^_^;)
まずは乾杯の生ビールがシビレルほどに旨く  
カロリーオフの缶ビールにすっかり馴らされ私の喉を誘惑するのです。
生ビールにゴージャスで上品な中華によって!       
抑圧され続けていた私の欲望は解き放されたのです。(^_^;)

ビールのグラスが空になるとウエートレスが素早くやってきて「お持ちいたしましょうか」とやってきます。
私がちょっとYUKIの顔色を見ながらちょっとチュウチョする様子を示すと
義母が「遠慮なく飲んで下さい!」と嬉しい援軍(^_^;)
7時までという事でしたが予約の客が遅れるという事で
けっきょくビールは4杯、追加注文もして大満足の晩餐でした。

翌朝は昨晩の早い時間の晩餐で空腹のために目が覚めます。
ところがYUKIもヒロコも高いびきで熟睡中、
8時ちょっと前、ドアのノックで開けてみると義母が朝食に行こうとの誘いで
朝食のビュッフェで軽い?朝食を二人で堪能(^_^;)   
YUKIとヒロコも遅れて合流しましたが、  
義母がいなければ朝食はいつになったか判りません。

金・土と雨の東京でしたが日曜日は天気もよく、腹ごしらえにホテルの庭園を散策。
     ⑥ 
義母を羽田までおくり、ここで昼食を食べてお別れという事でしたが
そんな時間が無かったのが心残りでしたが…    

とても充実した、つかのまの満足な食生活でありましたが…
こんな食生活が毎日出来たら基のメタボに、いやそれ以上になるでしょう
その前に経済的に持ちません(^_^;)

”このような大感激で食事が出来る”という事はYUKIと義母のオカゲといえるわけで…
ステキな母娘にこの世で出会えた私は幸せ者ということのようです(^_^;)

2010年02月08日316号 我が家の宿泊客

私は仕事柄、よそのお家にお邪魔するのは日常茶飯事ですし…
私的なお付き合いでも、よそのお宅にお邪魔するのは大好きなのですが…
こちらにお邪魔されると困ってしまうのです。(^_^;)

なぜかというと…我が家は基本的にいつも散らかっているからです。(^_^;)

ここをロコハウスの事務所としていますので、
年に1・2回は客様が突然訪ねてこられることがあります。
そんな時はこちらがマンションの外まで出て、近くのファミレスまでクルマで出かけるという
非常手段を使うことになるのです。

そんな状況ですから、
我が家に宿泊客が来ることなどメッタにありません。
せいぜい宮崎の義母が上京する時ぐらいで、
それでも、そのたびに部屋をかたずけるのに大騒動です。

そんな我が家に突然の宿泊客が来ることになりました!
それもアメリカ人で、初対面のダニエルという男性です。
ヒロコが中学生の頃、イギリスの人気アイドル『テイク・ザット』のファン・サイトを通して
情報交換をしていたダニエルが、フェイスブック(ミクシーの国際版のようなもの)でヒロコをみつけたようです。

彼は6ヶ月かけてシンガポールからスタートのキママな旅をする予定で
飛行機が成田経由なので、成田空港で会わないか?という話から、
せっかくならストップ・オーバーしてトーキョー観光もすればとの展開になったのです。
そして最初の2泊はダニエルがネットで宿泊先を確保したのですが
最後の3泊目が適当なところが見つからず、急遽我が家に来ることになってしまったのです。(^_^;)

ヒロコは2日間ガイド役を務め、この日は鎌倉から夜8時頃の来宅予定でした。
最初は『日本のウサギ小屋の住宅事情を見せるのも意味がある!』なんて開き直っていたものの
やっぱりコレでは酷すぎると、
YUKIと一日ががりで大掃除?とダニエルの寝る場所の確保に奮闘しました(^_^;)

ダニエルはアメリカ人とは思えないような謙虚で物静かで紳士的な好青年で、
シアトルでオーガニックの数種のベリー畑をやっていて、
冬は長期間の旅をするそうです。

箸の使い方もとても自然で、我が家での緊急料理の”お鍋”も
とても美味しいと、喜んで食べてくれました。        

ダニエルの旅の話から初めて知ったのが【カウチ・サーフィン】というサイトです。
最初の2泊はここから見つけてというのです。

現在、世界235ヶ国、7万都市に170万人ほどのメンバーが登録(無料)していて
「ウチにタダで泊めてあげるけど、私もタダで泊めてね」というコミニティがあるのです。
ダニエルはシアトルの自宅にはそのようなメンバーを泊めてあげ、
彼が今回のように世界を旅する時は、ネットでそのような宿泊場所を探し出して
とても経済的で充実した旅をしているのです(^_^;)

インターネットで全て情報公開をするようになっているので…
危険性や大きなトラブルもほとんどなく、登録者数はどんどん増え続けているようです。

こんな我が家でも「登録しちゃおうか」と思っている今日この頃です(^_^;)

2010年02月01日315号 サカモッチの本とセミナー

サカモッチことアカラックスの坂本さんは
この週刊KENの愛読者でもありこのコラムのセミレギュラーでもあります。
しかし、ここ最近は私のブログの方ではちょくちょくネタにさせて頂だいているのですが
この週刊KENでは【サカモッチの退院】いらい久々の登場になるようです。(^_^;)

まず、サカモッチが『生命保険、入って得する人、損をする人』という本を出版しました。
この事については私のブログでもすでに触れていますが
なんと言ってもこの本の155ページ

…もう一人の登場人物は、KENさんという保険代理店の方です。
KENさんも生命保険の営業の世界ではかなり名の通った人です…

といった紹介で私が登場するのです(^_^;)
ここの部分が面白いとの評判もあるようですが
”生命保険の営業の世界ではかなり名の通った人”なんて言われたのは初めてです(^_^;)

この本が一冊売れると坂本さんに80円の印税が入るそうですが
何冊売れるのかとても興味深いものです。

そして28日(木)には
アカラックスのセミナーにYUKIと行きました。  
これもブログで紹介し宣伝もしたのですが、結果報告はこちらで済ます事にします。
なぜならば、このセミナーは、私が宣伝し期待したような内容で無かったからです(^_^;)

私が期待していたのは『生命保険の原価』で、一般に売られている生命保険の”原価”というものが
どのようになって構成され、保険料の何割ぐらいを占めるものなのか?
その原価は保険会社によって大きく変るものなのか?…という事だったのです。

ところが3時間近いセミナーは、
保険会社の決算書から分析した『保険会社の原価”率”』といったようなもので
一般的にいう『保険の原価』とはチョットというかカナリ違っていて
とても私のアタマではついていけそうもない専門的なハナシで睡魔と闘うのがやっとでありました。(^_^:)
ま~幸か不幸か、私のブログを見て今回のセミナーに参加した人はなく
アクチュアリーの専門的セミナーとして参加された方々は満足されたようです。

ま~その分はいつものように居酒屋での二次回   
アカラックス・オフィスでの三次会で       
いつものように楽しく盛り上がって憂さを晴らさせて頂きました(^_^;)

そうそう、セミナーでご一緒だったFPの内藤真弓さんが
保険関連の本としてはベストセラーとも言える【医療保険は入ってはいけない!】の
新版を発売されたという事で、プレゼントして頂きました。 
この本についてもまたコメントしてみたいと思っています。

2010年01月25日314号 横浜でコンアモール

コン・アモールという室内楽のクインテッドの演奏会に家族ででかけけました。
バイオリンの齋藤真理さんと家族で懇意にしていたのがきっかけで
毎年、会場を変えて横浜のいろいろなコンサート・ホールで行われるのも楽しみで、
今回はみなとみらいの『横浜美術館レクチャーホール』でした。

齋藤さんとはヒロコが幼い時の子ども中心のバーベキュー大会で知り合ったのがきっかけで、
その頃は、結成されてまもないコンアモールだったのです。
それが演奏会のトークで結成26年、最年長のチェロの服部さんも後期高齢者?で
ユーモアを交えながれですか引退を匂わすような話をされ、
ソレに続くメンバーは私より若いはずですが年齢や健康に関する話題で終始しました(^_^;)
でも司会役の齋藤さんが、「ありがたい事のお客様も同じように歳をとって頂だいて…」
というのに会場は大うけしてしまいました。      

私はクラシックに造詣は深くありませんが(^_^;)
コンアモールや、マリンバの荒瀬純子さん、ピアニストの小野田良子さん、
そして毎年12月のハート・コンサートと、長く続いている演奏会は、
やがて生活や身体の一部のようになっていくようです。

この演奏会は14:00開演だったので…
その前に、ひさしぶりに山下公園の前にあるホテル・ニューグラントの
イタリアン・レストラン【イル・ジャルディーノ】
ちょっと豪華なランチを食べる事にしました(^_^;)
先週、上田市〔長野県)で会ったT君が勤務していたホテルで
ここに彼の上司だったNさんがいるのですが、この日は午後5時からの出勤ということでした。
久々にゆったりと美味しい前菜スパゲティデザート・カプチーノとイタリア料理を堪能しました。
ちなみにヒロコだけは肉料理がついていました(^_^;)   

ホテルの駐車場にはちょっと長時間のスタンプを貰ったので(^_^;)
コン・アモールのコンサート会場があるみなと・みらいまでは散歩がてら歩いていく事にしました。
    
もちろん演奏会が終わってホテルの駐車場まで往復したわけで、
たくさん歩いて万歩計を楽しみに見ようとしたらクルマに置き忘れていました。
        
音楽と港横浜を堪能した1日でした。

2010年01月18日313号 やっぱり信州

土曜日、ユキと一緒に久々の生保契約で長野県上田市にクルマで出かけました。
昨年は米作りで5回、通った飯山市は我が家から約300キロ、
上田市はそれにくらべれば100キロほど手前ですから、ど~てこと無い距離です(^_^;)
それに飯山はもう豪雪に埋もれているようですが、上田は市街を走る限りはまったく問題がないようです。
それに天気は晴天!かっこうのドライブ日和で関越道から富士山が見えたのも感動でした。

上田市の出口になる『上田菅平インター』の少し手前にあるパーキング『佐久平オアシス』で小休止。
ここまで来て初めてクルマから降りて寒いのにビックリ!  
でも、そこから、少し離れたところに大きなエスカレーターのようなものが見え
スキー場のようなものが見えるので行ってみることに。
中々の絶景でしたが小一時間もいたら冷凍人間になりそうなり      
暖かいクルマにもどり目的の上田市へ。

今回のご契約者は現在23歳で翌日24歳になるT君。(^_^;)
スデに3年ほど前に貯蓄目的で35歳払済の長割り終身に加入している既契約者。
きっかけは彼が当時、勤務していた横浜の老舗ホテル『ニュー・グランド』の上司だったNさんが
T君を紹介して頂いたのがきっかけでした。
とても明るく前向きで印象深い好青年で…
都会に出てみて初めて故郷の良さを再認識して
今は実家のある上田市で昼は会社員、夜は居酒屋でアルバイトをし、
そして将来はお爺ちゃんがやっている農業も引継ぎたいと語る堅実で頼もしい青年でもあります。

アポイントは一応、T君の実家でという事になっていたのですが、雪がソコソコ残っていて
普通のクルマではムリかもしれない、その時は上田市のファミレスでもという事になっていたのです。
しかし早めに上田市に着いたので、カーナビで見れば4キロほどの自宅で
雪もほとんど残っていないので、近くまで行ってみようという事になりました。
しかし坂道を上るにつれ道には雪が残り凍結し、
そこからカーナビが誘導する狭い道には到底入ることは出来ず、
クルマを降りて周囲を歩いたのですが表札があるではなく、
結局断念して街中にある『ガスト』で会う事になりました。(^_^;)

T君の自宅付近?の風景はノドカで素晴らしく   ①   
デジカメの写真を見せたのですが、T君はどこか判らないというのです(^_^;)
3年前のホテル・マンだったT君とはちょっと見た目は違っていましたが
より活き活きとよりタクマシクなって大いに話が弾みました。    

午後2時半、まだまだ時間があります。
先日、茅野市に住んでいる私の大学時代の友人が地元の清酒を送ってくれました。
カーナビで見れば、ココからそれほど遠くはありません。
電話やメールでは連絡を取っていても40年以上は会っていないので
行ってみようと思いましたが、このクルマでは絶対無理とT君から言われてしまいました(^_^;)

ココから17キロほどのところ東御市に毎年桜が満開の頃に目黒で個展を開く羽田夫妻の
自宅兼工房があって、一度は訪問したいと思っていたのでソコに突撃訪問する事にしました(^_^;)
ココも途中は雪がほとんどなく快調なドライブでしたが
坂道を上るほど残雪で走行困難になり、クルマを途中に置いて徒歩で訪問。
「この季節に普通のクルマでココまで来る人はいない」と呆れられてしまいましたが
突然の訪問に歓迎して頂き楽しい時間を過ごすことが出来ました。
           ⑫ 

帰路も『佐久平オアシス』によって美しい夕日を!!  

雪を舐めてはいけませんね、そししても寒い!…やっぱり信州です(^_^;)

2010年01月11日312号 減らす時代?

昨年は体重を14キロも減らすことが出来ました。
それに関連して食べる量も、間食も、外食も、そしてアルコールも少し減って
食費も減ったと思います、たぶん(^_^;)
食費も体重も減って健康になれば、こんな良いことはありません(^_^;)
統計によると人間は好景気の時より不景気の時の方が長生きするそうです。

日本は二酸化炭素を2020年までに1990年比で25%減らそうという目標を持ちました。
これに対してはいろいろと物議もあるようですが…
たった4ヶ月で体重比20%削減を実現し私に言わせて頂ければ
10年もあれば、やる気にさえなれば充分に出来る数値です。
問題はやる気になるかダケです(^_^;)

「アレも喰いたい、コレも喰いたい」と…欲望のおもむくままに好きなモノを食べ続けていたら
”現代人”は遅かれ早かれ確実に健康被害をきたすのです。
なぜ”現代人”と前置きしたかといえば、昔の人は「アレも喰いたい、コレも喰いたい」と思っても
経済的にも物理的にも好きなものを自由に食べることが出来なかったからです。
しかし今は、日常生活の中に食べ物が溢れています、街を歩けば安価で美味しそうなファスト・フーズ店が
軒を並べ、コンビニで手軽に何でも手に入れることが出来ます。
スーパーの安売りでまとめ買いをしたスナック菓子やアイスクリームはいつでも食べる事が出来ます。
それでいて現代人は日常生活でエネルギーを消費する事はほとんどありません。
アメリカの貧困層に肥満が多いと言われますが日本も、そして私も同じパターンでした(^_^;)

ようするに…「アレも喰いたい、コレも喰いたい」と思わせる”罠”がそこらじゅうにあるのです。
そんなに人間は際限なく食べる事は出来ないのです。
大病をしてからの食事療法は大変かもしれませんが…
食事の量を主体的に減らし、納得出来る食材を吟味して”ゆっくりと味わいながら食する”…
というのは、これまで使っていなかった知的満足度をも満たすものです。
もちろん私は今、飯山(長野県)で自分の手で田植えをし稲刈りをした
無農薬の米を玄米で食べています(^_^;)

私は10年以上前から、これからの時代はデフレ基調でインフレを前提にしてはいけないと主張し
超長期に渡る生命保険も、その事を前提に提案してきました。
しかし今だに”デフレ克服””景気回復”と政権が変っても同じことが唱え続けられ、
その政策のため国の借金が840兆円!にふくらみ危険水域の1000兆円が目前に迫っているのです。

ようするに経済も地球環境も、食べ過ぎと同じで”減らす”ことも重要になってきたのです。

インフレの時代は、何でも”増やす”時代で借金をドンドンして経済が活性化します。
デフレの時代は、借金を減らし、ムダを減らし、お金をかけずにECOに生きる時代です。

もちろん、どちらの道を選び行動するかは自由で自己責任です。

怠け者の私は早くからデフレの道を選択しているだけですが…
やっと体重が減っただけで、借金もまだそれほで減っていません(^_^;)
そして…この連休はガラクタに溢れた我が家の”ゴミ?”を減らそうと格闘しているのです。