2011年01月10日364号 唐津(佐賀県)の宿から

唐津(佐賀県)の宿から書いています(^_^;) 唐津についたのは午後10時で、明日お客様のお宅を訪問する事になています。 実はお客様のYさんは私たちが明日訪問する事をまったくご存知ありません(^_^;)

Yさまご夫妻は80歳代の古いお客様。 暮れにカレンダーをお届けに世田谷のご自宅に伺ったのですが、 家が真っ暗でお留守のようなので、カレンダーを郵便受けに入れておいたのですが、 年賀状を見てビックリ!ご夫妻の故郷である唐津に帰られたというのです。 世田谷のご自宅は長期の火災保険にも加入されており… わざわざ伺うというと気を使われると思うのでナイショで突然伺う事にしたのです(^_^;)

今回も妻の故郷である宮崎に行く用事があったので、 また公私混同のいつもの旅に出たというわけです(^_^;) 家を出たのは8日(土)のこれもいつものように早朝5時! この3連休の高速割引を利用して宮崎まで行こうという、これまたいつものパターン(^_^;)

大阪までのドライブはもう数え切れないほどやっているので、 マラソンの選手が走行距離とタイムを見ながらスタミナ配分をするように 今回はココまでこの時間でこれて好調とか、けっこう楽しみながら飽きずドライブを楽しんでいます。 新名神高速道路が開通し、我が家から400キロ地点が『養老サービスエリア』(岐阜県)だったのが 新名神だと『土山サービスエリア』(滋賀県)。 この『土山SA』がなんと雪景色でビックリ! ① ② ③ ④ ⑤ このあと従来の名神で走行すると500キロ地点の『大津サービスエリア』を455キロで 時間も30分短縮して通過するのです。

そして岡山で高速道路を降りて… 岡山城  ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨ ⑩  ⑪ 後楽園  ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨ ⑩ ⑪ ⑫ ⑬ ⑭ ⑮ ⑯ ⑰ ⑱ そこから福山市までいって昨年5月に泊まったビジネスホテルにチェックイン 近くの居酒屋でビールとチュウハイ4杯飲んでバタンキューで眠りました(^_^;) ① ② ③

9日(日) ホテルからクルマで30分ほどで行ける『鞆の浦』へ。 宮崎駿のポニョのモデルになった所とは知りませんでした(^_^;) ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨ ⑩ ⑪ ⑫ ⑬ ⑭ ⑮

そして昨年の11月に伯父の法事で行ったばかりの 角倉家のルーツ『上下』(広島県府中市)に!  ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ 今回の旅の目的の一つでもあるのですが、 これは書き出すと長くなりそうなので機会があった時にお話いたします(^_^;)

そして…唐津にいるというわけです(^_^;)

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2010年12月27日362号 年末恒例2010

毎週月曜日発行の【週間KEN】も今年の発行は今回で最後になります。 2004年から362回も書いていると、それなりにビジュアルな自分史やアーカイブスになっていくようです。

毎年恒例にやっている行事などは、昨年はどうだったか?5年前はどうっだたか? …なんて振り返るのも楽しみになってきます。 しかし、そうするには少々問題があります、そのような行事が同じ週に重なってしまったら どちららを【週間KEN】に掲載し残しておくか選ばなくてはなりません。

これが顕著に現われるのが恒例行事が集中する年末です(^_^;) ボランティアで実行委員をしていホテル・ニューオータニでのハート・コンサート。 妹宅での親族でのクリスマス会。 アカラックスでの忘年会…などがあるのです。

今年はソレに、保険の契約でのYUKIとの公私混同全国ドライブツアーも加わって 【週間KEN】では外せない4つのイベントが、週間KEN本年度最終号の対象となる一週間に集中! それを一挙公開!という事に致したしました(^_^;)

●12月22日 YUKIとの公私混同ドライブツアー【長野県松本編】

5年前に生命保険のメール相談でご契約頂いたFさんが、その1年後に妹のKさんにも保険を勧めて頂き その契約に長野県の木曽までお伺いしました。 その妹のKさんが結婚され、 ご主人のFさんがまだ生命保険に加入しておらず国内生保のA社を検討している… という情報をキャッチした義理のお兄さんのFさんが私を紹介して頂き、今回もご契約に至ったという次第です。 メールでの保険相談のお客様は徹底的に時間をかけ充分に納得してご契約を頂だいているので 私のファンになって頂けるようで、ほんとうにありがたい事だと思っています。m(_ _)m

我が家を早朝出発して、松本城を見物。 何の予備知識もなく、その場にある面白そうな所を時間や状況にあわせて楽しむのが、 いつものパターンというわけですが、松本城の凄さ!美しさ!にはドギモを抜かれました。 400年前のお城がそのままソックリ残っていて、ヨーロッパのお城を見ているような錯覚さえ覚えます。 ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨ ⑩ ⑪ ⑫ ⑬

午後1時にFさん宅で、契約手続きを済まして楽しく団欒、 ① ② この日はアカラックスの忘年会があるため、 寄り道をせずに一路アカラックスのある東京神田に向いました。 ① ② ③

●12月22日 アカラックスの忘年会

今年は不景気でアカラックスの忘年会もやらないのかな~ と思っていたら、その5日前の17日にアカラックスから忘年会のお知らせメールが入りました。 今年はヒッソリと常連で…という事のようですが参加予定者の中に私とYUKIの名前が入っています。

この日は数週間前から松本にクルマで行く事は決まっているのです。 松本のFさんに2時のアポイントを1時に変えて頂き、クルマ直行すれば少し遅れても 問題は無いわけですが、私はお酒を頂くわけにはいきません(^_^;) 普段もクルマで夕刻にアカラックスのお邪魔する事の多い私は アカラックスの冷蔵庫にノンアルコールビールを入れて冷やしているわけですが、 忘年会というのに、それを取り出して… 定刻より1時間30分遅れて宴たけなわの中で、再び乾杯をして頂きました(^_^;) ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨ ⑩ ⑪ ⑫

●12月26日 中尾家(妹宅)で恒例のクリスマス会。

今年はヒロコも甥のシュンスケも米国留学中で欠席ですが… 実はシュンスケは11月にフィアンセのナオコちゃんを入籍し(^_^;) 現在は大手損保(TN社じゃありませんが)に勤務中で中尾家の一員になったナオコちゃんはもちろん参加! この日の夜は年末恒例イベントのハート・コンサートの日、 役員の私は午後3時頃までにはホテルニューオータニに行かなければならないことなどもあって お昼のクリスマス会という事になりました。 まずは近くの介護施設にいる母を男性3人でピックアップに! ナオコちゃんにキレイにオメカシをしてもらい母も嬉しそう(^_^;) お昼の短かい時間でしたが今年も楽しいひとときを過ごすことが出来ました。 ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ 

●12月26日 第17回ハートコンサート

これが終ってやっと1年が終るという気分になれるビッグイベントです(^_^;) […]

2010年11月29日358号 晩秋4泊5日の旅

23日(火)勤労感謝の日の祭日が終るギリギリの23時45分 YUKIと私は東名川崎インターから西に向けてスタートしました。

今回の最終目的地は広島県の上下町、 私の生誕の地ですが、そこで伯父の十三回忌の法要が27日(土)にあるのですが…

どうせ行くなら途中関西のお客様にカレンダーを配りがてら、 のんびりと、いつもの公私混同で行こうというものす。 こんな事をココで書いてしまうと、「家(ウチ)には来なかったぞ!」と言われるかもしれませんが(^_^;) あくまで状況に合わせて、ムリをせずに行けるところだけ行ったという事でご了承くださいm(_ _)m

ようすにいつもの事ですが 休日1000円の高速割引をフルに活用し、カレンダーの郵送費も節約し、 ドライブを楽しみながら最終目的地の広島に行こうという我が家伝統のケチケチ旅行です(^_^:)

●24日(水) 厳密に言うと、この日が第一日目。 午前2時30分、我が家を出て約3時間、浜名湖サービスエリアで 夕食なのか朝食なのかわけのわからぬ食事を取る。 出かける前にエノちゃんの店で貰ったケーキを家に置いていくわけもいかないので持参。 ヘルシーな食事を取ったのに(^_^;) ① ② ③ 途中で仮眠を少々とって大津のサービスエリアで、どこを回るか作戦会議。 まずは午前中に突然伺っても問題なく合えそうな摂津のお米屋さんに。 そして摂津周辺の東淀川区や寝屋川など回るがほとんどが不在(^_^:) ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ この日の宿泊は大阪万博の会場となった千里のホテル阪急エクスポパーク…と ちょっと豪華なホテルで疲れを取るため早めのチェックイン。 この旅に合わせて購入したドコモの【モバイルWI-FI】がまったく機能せず最寄のドコモショップへ。 これは、我が家の旅には必携のノートパソコンと8月の購入しこれも必携の【iPad】などを どこでもインターネットと繋ぐ事が出来る私悲願のものなのですが、なんとか無事修理が完了。

●25日(木) 仕事の連絡や処理、疲労回復もふくめ午前中はホテルで過ごし、 ① ② ③ 午後は昨日行きそびれたところをドライブがてらポチポチと。 【iPad】がネットと繫がり、グーグルマップに現在地が表示されカーナビ同様の機能も果たせるのだが カーナビと違って精密な地図を自在に大きくしたり小さくしたり出来るので実の面白い(^_^:) ① 地番変更があったよでカーナビにセットされた古いデータでは判らなかった所の グーグルマップが性格にキャッチして誘導してくれました。 ① 我が家を出る時に処分できず、ず~と持ち続けていた”生ゴミ”も 途中の”道の駅”でやっと捨てる事が出来ました。ゴメンナサイ(^_^; ① ② 2泊目はビジネスホテル並の料金でちゃんとしたホテル! 我が家の定宿、ホテル・プラザ神戸、…でもだんだん寂しくなっていくようで寂しい(^_^:) ① ② ③ ④

●26日(金) この日も午前中はホテルの部屋で一応業務処理(^_^;) 朝食は抜きで、 11時30分からのホテルのランチの食べ放題1600円が割引1050円で食べられるので そっちをチョイス、もちろん量はセーブしてだけど、周囲のオバちゃんたちの食欲には圧倒される(^_^;) ① ② ③ ④ そして有料の中国道を少し使って佐用(兵庫県)で降り、そこから無料の鳥取道で鳥取市へ。 そこから津山市(岡山県)のビジネスホテルへ ① ② ③ ④ なんで津山なのかというと… 翌27日の午後2時から今回の旅の目的もある伯父の法事に照準あわせたため。 はじめて訪れた津山の街だがとても寂しい(^_^;) ① ② ③ ④ ⑤ ⑥

●27日(土) この旅の目的でもある広島県府中市上下町での伯父の法事が午後2時からあります。 津山から上下まで150キロほど3時間あれば充分に間に合いますので、 その前に津山城を見物、紅葉がとても綺麗で感激しました! ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨ ⑩ 久々の上下 ① ② ③ ④ ⑤  十三回忌の法要も無事終り […]

2009年11月16日304号 ディズニーランド

先週の10(火)11日(水)とディズニーランドに行ってきました(^_^;)

もちろん浦安にある東京ディズニーランドです。 我が家からクルマで50キロほどで一泊する必要はないのですが どうせ行くのなら充分に楽しもうということで、舞浜のホテル・オークラに1泊する事になりました。 …と言ってもソノ費用は私の母が持つそうです。 …と言っても母は要介護5の認知症でディズニーランドどころではありません。 母の面倒を見ている私の妹(長女)のユミコが母の年金から費用を捻出して楽しもうという企画です。 参加したのは他に茨城在住の妹(次女)のジュンコ、そしてもちろんYUKIとヒロコの総勢5名です。 スポンサーの母はその間、介護施設でゆっくり静養いただきます(^_^;)

そもそも、この企画は歴史があって母が元気な頃から母と妹2人で何度か楽しんでいたようで 私も1度だけ参加したことがあります。 ようするに”角倉家”は根っからのディズニーファンだったのです。

ソノ先頭には私が立っていたのかもしれません。 幼いの頃に見たバンビやピノキオや白雪姫の感激は今でも鮮明に残っています。 小学生の頃、ミッキーやドナルドの短編アニメの美しさと動きに目を輝かしたものです。 私が12歳の頃から10年間(1958年~1986年)日本テレビでプロレス中継と交互に放映していた 【ディズニーランド】は家族で楽しみに見たものです。 番組冒頭にウォルト・ディズニー本人が登場し 1955年オープンしたばかりの【冒険の国】【おとぎの国】【未来の国】から成り立つディズニーランドを紹介し、 ティンカーベルが舞い降り妖精の粉が降り掛け 「今回は○○の国からお送りします!」…というのに胸躍らされたものです。

7歳年下と10歳年下の二人の妹へのクリスマス・プレゼントはディズニーの絵本や 今でいうディズニー・グッズ。 ディズニーの映画に連れていった事も何度もあります。 そして「新婚旅行はディズニー・ランドに行く」と10代から決めていて(^_^;) 1981年YUKIとの新婚旅行はもちろんカリフォルニアのディズニー・ランドでした。 ① ② ③ 1984年、ヒロコが2歳の時にロス・オリンピック観戦とでディズニーランドへ。 ① ② 1988年大晦日はディズニー・ランドでカウント・ダウン1989年元旦を迎え… ① ② 帰国したら昭和から平成になっていました(^_^;)

もちろんヒロコにもディズニーの絵本全集を買い揃え、 その中からヒロコが選んだ絵本を就寝前に読み聞かせるのが私の日課でした。

1983年には東京ディズニーランドが誕生していたのですが ”アメリカにあるからディズニーランド”というコダワリがあったのですが… それも時間の問題でした(^_^;)

てなわけで… ヒロコはもちろん、かなりのオバサンである私の妹二人がディズニーファンであるのも、 責任の一画は私にある奇妙な5人の団体が成立しているのです(^_^;)

とは言っても私とYUKIがディズニーランドに行くのは十数年ぶりです。 どうせ行くなら、まだ行ったことがないディズニー・シーと思ったのですが、 ヒロコは友だちと、妹も二人で…昨年はそれぞれ1泊旅行で楽しんでいるのです。 昔は私がリードしていた”ディズニーの世界”も時代が変り、すっかりオノボリサン状態です(^_^;)

それにしても… どんどんパワーアップし拡大していくディズニーランドいやディズニーリゾートには圧倒されます。 全国の遊園地やテーマパークが衰退していく中でココだけが”ひとり勝ち”というのが良く判ります。

もう駐車場に入った瞬間から駐車場のお兄ちゃんの動作も顔もディズニーの世界です(^_^;) クルマから降りるファミリーの子どもはシンデレラの衣装、親はミッキーやグフィーの耳をつけて 足早にゲートに向かいます。 もちろん園内に入ればキャラクター(ぬいぐるみ)は勿論、アトラクションの案内役・店員・清掃係などなど すべてのスタッフが笑顔をたやさずお客をサポートするのはディズニーランドの特徴だと昔から思っていましたが… それが不自然でなく皆同じようなのが怖い気もします(^_^;)

しかし、これによって客も完全にディズニーの世界に没頭し催眠商法のようにディズニーグッヅが飛ぶように売れ それが子どもにも引き継がれ、りピートが繰り返されていくのです。

今は飯山(長野県)の里山での稲作に安らぎと憧れを感じるようになってしまった(^_^;)私には… 広大な敷地すべてが人工的に作られ完璧なまでにシステム化・マニュアル化された空間に 違和感を感じてはしまう年齢になってしまったのかもしれません。

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2009年02月16日265号 叔父の葬儀

『陽一郎にいちゃん』と呼んでいた私の叔父の陽一郎が11日に亡くなりました。 77歳の誕生日を迎えて4日後です。 誕生日まではとうてい持たないと言われていました。

ちょうど2ヶ月前の12月11日に那須塩原までお見舞いに行った時の模様は 週間KENで書きましたが、 実はこの時点で医師からは「生きているのが不思議」と言われていたのです。 それでも叔父は頑固なまでに入院を拒否して普通の生活を通そうとしました。 入院をしてからも意識は通常で医師や家族に退院をもとめ続けました。

もちろん叔父は病気の現況は判っていました。 叔父は頑強な人でしたが交通事故での輸血が元で肝炎になって 定期的な治療を続けていましたが、 肝臓癌になっていることを医師が気付いた時は手の施しようが無かったようです。 でも、そんなそぶりは最期まで見せまいと覚悟をしていたようです。

葬儀は親族のみというのも叔父の意思だったようです。 出席したのは喪主の佳子叔母と長女と次女のファミリー4名づつの9名、 それに陽一郎の妹(私の叔母)2名、 その叔母たちと一緒に叔父の見舞いに何度か行っている私の妹の由美子が 私の母(陽一郎の姉)の名代として…。 ま~叔父からみて完全な親族というのなら、甥の私は圏外になるわけですが(^_^;) 甥・姪の代表として私が辛うじて選ばれたようです。 したがって私はYUKIをおいてひとりで那須塩原の葬儀場に向かいました。 ① ②

どこでも遠慮なく写真を撮る私ですが、 「おにいちゃんの顔は撮らないでね、あまりにも変わり果ててるから…」 棺に花を添えるとき、小さな声で京子叔母から言われました。

実は亡くなる10日ほど前、 YUKIと一緒に那須の病院までお見舞いに行っているのです。 由美子からは意識はハッキリしていて見舞いにいったら喜ぶと言われていたのですが その時は、点滴をしたまま痩せ細った凄い形相で眠っていて、声もかけられず 写真も撮れず(点滴の写真を撮るのが精一杯)とても落ち込んで帰りました。 でも後で聞いたのですが、 そんな状態でも声をかければ目をさまし普通?に対応していたというのです。

棺の中の叔父の顔は、その時よりさらに痩せ細りミイラのようでしたが 病院で見た表情より、ずっと美しく私には見えました。

火葬場の待合室で ① ② 喪主の佳子叔母から会食(精進落とし)の前の”献杯”の音頭を頼まれました。

火葬場からに戻って会食は、とうぜん総勢13名の、ひっそりとしたものでした。 ① ② こんなところまで窮屈な式場の司会者はいらないのでと思いました(^_^;) ムードメイカーの私としては、ここは明るく”献杯”の音頭を取らせてもらおと思っていたのですが、 司会者が「皆様、テーブルにある杯を持って起立して、遺影に向かって下さい!」 私も含め13名が遺影に近づき、遺影に杯をむける体制になりました。 司会者はそこで…私がまず最初に声をかけ、後に続くよう言いました。 ようするに私は「献杯!」とヒトコト言ってオシマイになりました(^_^;)

叔父の棺に花を添えた時には誰もが涙しましたが ① ② 火葬場で遺骨を拾う時は不思議な事に誰も涙しませんでした。 ① そこに叔父の気配を感じなかったからではないでしょうか? 棺の中の叔父の表情が私には美しく思えたのは… 肉体に宿る命の炎を完全燃焼させたように見えたからです。 叔父は肉体という大きな重石から解き放され 自由に羽ばたき、大切な大切な家族を見守っているように思えました。

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2009年02月02日263号 母の近況

昨年の暮れから、 私の母はまた横浜市青葉区にある介護施設『青葉の丘』にいます。 ちょうど1年前にも4ヶ月ほどお世話になっていたところです。

母の面倒を見てくれている妹の由美子宅が家の改築するのと 二児を抱えて福島で医大生をやっている次女マキの期末テスト中の 家事・子育ての応援要請などもあったようで、 またしばらく母を『青葉の丘』に預けることになったのです。

したがって、しばらくは私とYUKIで『青葉の丘』に週2回~3回は 洗濯物の交換や母の様子をみにいくことになっています。

29日(金)『青葉の丘』での母の介護状況を医師・介護士・管理栄養士や リハビリ担当などから家族に報告を受ける日でした。 由美子も行けたらと電話すると、翌日からは福島に10日間ほど行く予定で ちょうどその日に母の様子を見にいこうと思っていたようで ヒロコも含め4人で行くことになりました。

午後2時までに必ず来て欲しいということでしたので その前に4人でファミレスで昼食をとることにしました。 ちゅどランチタイムで混んでいて喫煙席しかないとのことでしたが、 まだ時間もあるので待つことにしましたが空くのは喫煙席ばかりで 禁煙席の客は食事が終わった後もゆっくりとしていて30分以上まってもビクとも動きません。 こうなったら喫煙席でも…と言おうとしたらやっと席が空きました。 2時まではまだ50分あり、クルマで10分で行けるので40分あれば食事はできる と思っていたのですが、今度はオーダーした食事がやってきません。 待つこと30分! 10分間で食事を済ませ、飛び出そうとしたら レジの先客が会計に手間取って5分ほどかかってしまい… 結局5分の遅刻! 医師を初め6名のスタッフがジッと座ってまっている部屋に 4人で頭を下げて飛び込みました(^_^;) ①

それぞれの担当から母の現況報告を聞き こちらの要望なども聞いて頂き30分ほどで終了し母のところに。

由美子宅にいるときは入れ歯をはずす事はなかったのが 施設では危険防止や管理のため就寝中など入れ歯の出し入れをするため 母は入れ歯に違和感を持つようになったのか、自分からはずすようになってしまい 入れ歯なしの状態になってしまいました。 そのため、なんだか人相も情けなくなって おしゃべりのカツ舌もかなり衰え、かなり老け込んだようです(もともと老け込んでいますが(^_^;)

でも、持ち前の明るさは、まったく衰えず ① ② ③ ④ ⑤ 癒すつもりの私たちを大いに癒してもらいました。 ① ② ③ ④ ⑤ ⑥

帰り際、介護施設『青葉の丘』の職員から 「お願いがあるのですが…」と呼び止められました。 私の母をモデル・ケースに平成21年度の研究テーマとさせて頂けないかというものでした。 演題は『生活リズムを取り戻せ』 認知症と失明で要介護5の母は昼夜の区別がつかなくなり 施設でも苦労をしており、だったらプロジェクトを立ち上げようというのかもしれません(^_^;) どちらにしても母にとって悪いことではありません。 また母は要介護5といっても性格は穏やかで、声を荒げたりもせず、 いつも冗談をいったりで研究対象としては扱いやすい生態です。(^_^;) 職員は「個人名は極力伏せプライバシーは守らせて頂きますから」 と遠慮がちに言うのですが、私は… 「いやどんどん写真や名前を出して頂だいてけっこうですよ、 母もそんな事を気にする人じゃありませんし、そのほうが喜ぶかもしれません」と 言っておきました。 なんでもオープンでノってしまうのが角倉家の伝統ですから(^_^;)

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2008年12月15日256号 陽一郎にいちゃん

いつも陽一郎にいちゃんと呼んで、私が小学生の頃から親しくしてきた叔父がいます。 何で叔父なのに”兄ちゃん”かというと 私の母より10歳年下の長男で、甥っ子の私とは14歳しか違わず 叔父さんというには忍びなかったので(^_^;) いつも陽一郎にいちゃんと呼んでいたのです。

とは言っても小学生の私から見たら14歳年上は立派な大人である事はたしかです。 でも一応長男で(^_^;)7歳下と10歳下の妹がいる私にとっては 独身である時期には我が家に同居して寝食を共にした叔父とは 一緒に映画を見にいったり、男同士の楽しい思い出がたくさんあるのです。

英語が得意でカナダ航空に就職し、そこで職場結婚し子ども4人をもうけて 定年後は栃木県の黒磯に引越して、今は持病の療養生活を送っおられるます。

11月の終わりごろ、私の妹のユミコから 「12月11日に陽一郎叔父ちゃん(妹は叔父ちゃんと正確び呼びます)のお見舞いに 行こうと思っているのだけど空いてる?」と電話があったのです。 カレンダーを見ると12月はギッシリとスケジュールが詰まっているのですが 11日だけはポッカリ空いていたので、YUKIと一緒に参加する事にしました。

私の妹のユミコと2人の叔母(叔父の妹のミチコ叔母とキョウコ叔母)の3名は新幹線で、 私とYUKIはいつものようにクルマで東北自動車道で那須塩原駅前にある レストランに向かいました。

叔父は思ったより元気そうで、すぐに話しが盛りあがります。 ココに母がいたら4人の姉弟が揃うことになるのですが、 母は痴呆と失明で介護5の最高ランク(^_^;)ユミコの家と施設で交互に看てもらっている状況です。 でも母はとても元気で陽気な人で昔からの口癖だった「ワルイのはアタマとカオだけ!」を 地でいって身体そのものはまったく健康なようなのです(^_^;)

叔父はそんな10歳上の姉(私の母)を、とても大切に思いやって母のいるユミコ宅に電話をして ボケていても昔の話になると鮮明に覚えている母と、 昔話やその頃の唄を二人で合唱したりで… 横で聞いているユミコも感激するぐらい母も生き生きとしてくるのです。

叔父はそんな母と一番あいたかったようですが、母をココまで連れてくることも出来ず、 また叔父が母のところまで来れる健康状態でもないようです。 そんな叔父のためにユミコの長女でロイター通信のカメラマンをやっている ユリコが撮影製作した写真集をプレゼントをしました。 自分の身体も大変なのに、母のことを心から心配し、 母のことを話すと目頭を熱くして涙ぐむ叔父をみていると、  ① ② ③ 叔父の優しさにこちらまで涙が溢れます。

レストランでの歓談のあと ① ② ③ 叔父は点滴を受けるために国際医療福祉大学病院に行かねばならないので 皆でそこのティー・ルームでお茶を飲むことにしました。 ① ② そこでも大いにハナシが盛り上がり 叔父夫人のヨシコさんとも本当に久しぶりで、 楽しいひと時を過ごすことが出来、ここまっでやってきた甲斐があったと心からおもいました。

翌日の12日はアカラックスの今年最後のセミナーで 今回はライフネット生命の副社長をやっている野上さんが「5分に1回笑わせる!」と豪語する 二次会・三次会も含めて楽しみにしていたものです。 そろそろYUKIと出かけようと思った矢先、アカラックスの下川さんから電話がありました。 「昨日はお越しになると思っていたのですが、どうなされたのですか?」 「??」私は何のことだか判らなかったのですが、1日間違えてようです(^_^;) 「そんなことだと思って電話を差し上げてよかったですね、お出かけする前で…」

我が家のカレンダーにはアカラックス・セミナーの日にちが判ると真っ先に 書き込むようにしているのですが、その時点で間違えたようです。 でも間違っていたからこそ叔父とも久々に会えたわけだし… アカラックスや野上さんには大変失礼致しましたがm(_ _)m 楽天的な私はハッピーにそれで良かったと捉えています(^_^)

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2008年01月28日210号 母のこと

この週間KENにあまり登場することがなかった 私の母について書きたいと思います。

なにも隠していたわけではないのですが、書くチャンスがなっかたのです。 現在85歳で健在ですが… 4年半ほど前の夏の暑い日、突然目が見えなくなってしまいました。 それまでに痴呆が始まっていて、私の妹の家に同居していたのですが 昼間で明るいのに「暗くて何も見えないから電気をつけて」というのです。 結局、原因がよく判らないまま、その日から全盲になったのです。

でも幸い…と言おうか痴呆があるため”何かが見えている”ようで 自分が全盲になった事を認識しないでいるのです。 時々「暗くて見えない」というぐらいで本人はいたって陽気なのです。(^_^;)

まーこの”陽気さ”は角倉家の伝統のようで”救い”ではありますが…。 全盲になってから4年半、その前から入れると7年近く、 妹のユミコのマンションに母を預けぱなしにしている長男の私としては、ちょっと肩身が狭いのです。 ま~妹のユミコも角倉家の伝統を次いで陽気な方で、私としてもツイツイ頼ってしまうのです。

私より7歳下の妹ですがヒロコはそのユミコおばちゃんのことを ず~と私のお姉さんだと思っていたほど、私が云うのもなんですがシッカリしているのです。 あまりにもシッカリしていて「私なんかイモウト・コントロールで動いている」なんて冗談を言うほどです(^_^;) でも妹にも夫がいます、その夫すなわち義弟もとても陽気でとても良い人ですが、 全盲で痴呆の母と7年間も同居して貰っているのは…私としては大いに肩身が狭いのです。 2歳年下で大手商社に勤める義弟も今年60歳になります。

母はとても全盲で痴呆で要介護5の認定を受けていますが、 とても元気で陽気で食欲もあって、まだまだ長生きしそうです。

そこで26日の土曜日、私の家からクルマで15分ほどの介護施設にしばらく 母を預ける事にしたのです。 ユミコの次女が2人目の子供の出産を控えて、しばらく福島に行かなければならない事もあって 近くの介護施設なら私やYUKIも定期的に母を看に行くことが出来るからです。

母は痴呆もありますが、あるていどの状況判断も出来るようで油断はなりません。 でも陽気で楽天的に解釈する習性は変らないのが救いです。 ユミコの家の近くの介護施設でのシュート・ステイでも誰からも親しまれたようです。

当日、私とYUKIと妹のユミコそして土曜日で休日仕だったユミコの長女ユリコの4人が 付き添って、横浜市青葉区の介護施設に向かいました。

クルマの中でも、施設の手続き中も母は私たちをおおいに笑わせてくれます。 極めつけは、母にちょっと面接?をしたヘルパーとの会話です。

ヘルパー「角倉さん、お歳はお幾つですか?」 母    「……まー失礼ね、女性に歳を聞くなんて、あなたはお幾つなの?」 ヘルパー「エッ私の歳ですか、37歳です!」 母    「あら、それなら私の方が年上ね」

もう全員爆笑で終りました。(^_^;)

食事もなかなか豪華で、美味しそうに食べたようです。 ロイターに勤務しカメラマンでもあるユリコは大好きなおばあちゃんを撮り続けています。

これからはチョクチョク、私も母を看に行かねばなりませんが… それもまた楽しみでもあります。

2004年11月15日043号 上下町(広島県)

土日と広島県の上下(じょうげ)というところに行っていて今(15日01:30AM) クルマで我が家に着いたところです。 私が眠そうになると助手席のYUKIが私の頭をドツクだけという、いつもの 清く貧しく恐怖で楽しい?総走行距離1800キロのハードなドライブでありました。

今回は生命保険の仕事がらみでなく、まったくのプライベートのYUKIとの旅です。 実は私はこの広島の上下生まれなのです。 でも生後4ヶ月しかいませんでしたから、まったく記憶にありません。 上下は父の故郷でしたが、戦後まもなく家を処分して父の兄弟はすべて 上下を離れてしまいました。 しかし、その角倉家の蔵は上下町のシンボルとして残っているのです。

以前ヒロコと上下に来て、この建物の解説に【角倉財閥】と書かれているのを見て 嘆くやら怒るやら…「なんで、ウチの角倉家はこんな貧乏になったのか!?」と 私を責め立てるであります。 私も、その理由をしりたいぐらいですが、亡くなった父は4男だったからなのか、 頓着がなかったのか、蚊帳の外だったのか、貧乏をしながら、それなりにハッピーな生活し それなりにハッピーに亡くなり、… その長男の私も、貧乏とハッピーさだけを遺産?として引き継いだようです。

さてさて…なんで今、上下にいるかというと 伯父すなわち父の長兄の7回忌を上下の善昌寺というお寺で行なわれたのです。 私も今まで角倉家の法事で何度か尋ねていますが父の兄妹で残っているのは 私の叔母(父の妹)だけになってしまいました。

父は4男ですが、どういうわけか従兄弟の中では私が一番、長老?で すっかり世代交代した今回の法事は感慨深いものがありました。 父の兄弟達が亡くなり、私が歳を重ねていくにしたがって とても遠く感じていた上下が、だんだん身近に感じられ、なぜだかとても懐かしさが込み上げ いとおしく思うようになってきたのです。