2006年12月25日153号 W夫妻との忘年会

毎週月曜日発行の週間KENの次号は1月1日ですから 今年の週間KENはこれが最後になる事にいま気づいてアセッています。 アセッたところで、どうにもならないのですが、本当に1年がたつのは早いものです。

まだ28日には、年末恒例のクラシック・コンサートがあります。 この日、アカラックス・セミナーでの保険仲間の忘年会とドッキングしてしまい、その幹事に この写真を添付して不参加のメールを送ったのですが、その幹事からこんな返事がありました。 「エッ!角倉さんが出演されるのですか?」 まっ・まさかです(^_^:)…私は単なる裏方のお手伝いでしかありません。

その裏方仲間?の若林夫妻が忘年会をやると言われるので、私達家族3人も参加しました。 場所は若林さんの地元・池袋の【田舎家】というお店です。 どのようなメンバーが集まるかは詳しく聞いていなかったのですが、あとは私の古くから友人で 28日のコンサートの発起人の渡辺ノブさんとその仕事仲間ら3人で計9人でした。 単純に言ってしまえば若林・渡辺・角倉の忘年会ということになったわけですが 若林さんもノブさんもお酒は飲まないヒトなのです。 じゃー何のタメの忘年会となるのですが…忘年会に理屈は要りません。 楽しく、美味しい食事が出来れば、それでハッピーですし、 まして我が家の3人は、けっしてお酒が飲めない方ではありませんから、なおさらハッピーです(^_^;)

食べるものには、というより何でもコダワリがあって詳しい若林さんがお勧めのお店だけあって 付け出しから刺身、鍋、ふぐの唐揚、そして…のっぺ汁、元祖!わっぱ飯と最後まで感激の連続です。

若林さんとノブさんはライオンズクラブの代表?同士の付き合いから始まったようですが、 そのライオンズクラブに若林さんを推薦したのが【田舎家】の主人という事で、 このお店とも長いお付き合いのようです。

私はライオンズクラブなどと言う高級クラブ?にはエンもユカリも無い貧乏経営者ですが(^_^;) ノブさんの関連で若林夫妻とは時々お逢いすることがあり、おのずと親しくお話するようになったのです。

忘年会の席で私は「若林さんって、ライオンズ・クラブ的じゃないよね」と言ったら ノブさんが「そりゃー失礼だよ」と言いました、私は誉めてるのですが…(^_^;)

若林さんは会社の経営者ですが、芸術家的な自由人としての雰囲気が滲みでている人なのです。 また常に、どこに行くにも奥様とご一緒で(そこのところはウチと似ていますが^_^;) とても仲むつまじいご夫妻(ココはちょっと違いますが^_^;)なのです。

ヒロコも何度か若林さんとご一緒する機会があり、ホームページやCG・ビデオ・オーディオなどの 造詣の深さにビックリし尊敬しているのです。 でも、それは専門ではありません、何でも徹底してやらなければ気がすまない性格のようで どれもプロ並みになっちゃうようです。 専門はビルなどの”防災管理”で、その知識や技術においても彼の右に出る人はそれほどいないようです。

でも若林さんは自分の会社を縮小し、生活のサイクルを大きく変えて… 週3日働いて、あとはボランティアや好きなことをして暮らすというのです。 今までだって、充分好きなことをしてきたように見受けられるのにウラヤマシイ限りです。

若林さんが以前こんなことを言ってくれました。 ”私(角倉)が保険契約の大小とはまったく関係なく全国どこでも出かけることをモットーに、 またそれを楽しみに仕事をしている” という事にとても感銘をうけたと…。

それと今回の行動が直接つながっているかどうかは解りませんが 仕事や生活や、もろもろの考え方に波長があうことはたしかです。

たらふく美味しい料理を食べ、大いに飲んで… 結局、ココの会計は若林さんのオゴリという事に”またまた”なってしまいました。 ”またまた”というのはニュー・オータニで打ち合わせの後、打ち合わせ?でケーキを食べたり 食事をする時も、奢って頂いているからです(^_^;) ロコハウスのお客様でも、今度こそはと思ったのですが…恐縮の限りでありますm(_ _)m

[…]

2006年12月18日152号 KENとYUKIのタレント業?

『日本の珍しい自動販売機の撮影をして欲しい…』 ヒロコが勤める映像製作会社にアメリカのテレビ局から依頼があったようです。 我が家からクルマで10分ほど行ったところの養鶏所の近くに タマゴとお米の自動販売機がそれぞれ並んでおかれており、我が家ではその話で盛り上がりました。

この仕事を担当したヒロコの同僚のクラウディアンナは「是非、それを撮影したい!」 という事になって、朝の8時にカメラマンやスタッフをつれてやってくるというのです。 なぜ、そんなに早いのかというと、この日は秋葉原の”おでん”の自動販売機とか 首都高速のサービスエリアにある”たこ焼き”や”フライド・ポテト”の自動販売機とかを 撮影をするスケジュールになっていて、ココからスタートをするというのです。

ヒロコはこの仕事に直接かかわっていないのですが、この場所を紹介した手前もあって 我が家3人も早朝クルマで”現場”に向いました。 我々より少し遅れてクラウディアンナのスタッフ達もやってきて撮影開始です。 ところがタマゴの自動販売機が全て”売り切れ”になっていて養鶏所に問い合わせたところ お歳暮需要にタマゴの生産が追いつかず、しばらくタマゴの自動販売は休止しているというのです。

しかたがないのでお米の自動販売機の撮影に入ったのですが、 クラウディアンナが私にいきなり2000円を渡して、その自動販売機でお米を買ってくれというのです。

それもただ買うのではありません、ズラッと並んだ色々なお米の自動販売機の右側から歩いて来て どのお米を買うか、しばらく迷ったあげく一番右側にある、一番安いお米を2000円入れて お釣りを取ってお米を取り出すところまでを撮影するというのです。

そんなハナシは、まったく聞いていません(^_^:) まったくの野次馬気分で顔も洗わずジャンパーをハオッただけの気ままなカッコウです。 初老のオヤジが早朝に自動販売機で米袋を買うのにドレス・アップの必要ないとは思いますが いくら私だってココロの準備というものがあります。 それなにクラウディアンナは何のためらいもなく、まるでつれてきたタレントに話すように 私に注文をつけるのです。

いよいよ撮影開始です。 自動販売機の前はバス通りになっていています。 通勤ラッシュのバスやクルマが撮影現場の前で渋滞し、 そこからの興味深くのぞき込まれているようで、どうにも落ち着きません。 でも、こうなると覚悟を決めてやるきゃありません。

自分で言うのもなんですが ”その気”にはなりやすく、ノセラレやすいタイプなので、結局お米を自動精米機にかけるところまで それも何度も取り直して1時間近い熱演をしてしまいました。

そしてYUKIまでも…自動販売機から温かい缶入りポタージュ・スープを取り出し それを飲むという撮影をさせられました。 YUKIはそもそも自動販売機で飲み物を買うという行為をした事の無い人ですから ”どうなるか”私もヒロコもとても緊張してみまることになりました。 YUKIは左利きで缶のフタを右手で回して開けるのがギコチなく笑ってしまいましたが 落ち着いた演技?でクラウディアンナからも誉められていました。

自動販売機から買った1750円の5キロのお米を二人のギャラ?として頂きました。 撮影の為、精米機に何度も入れられて米粒がとても小さくなっていて 我が家では、これからしばらく不思議なご飯を食べることになりそうです(^_^;)

2006年12月11日151号 芸術の師走?

「そういえば吉岡さんの個展いつまでだったっけ?」 私は昼食をとりながら、ふと思い出してYUKIに聞きました。 「エッちょっとまって…たいへん!今日の4時までですよ!」とYUKIは叫びます。

二人はあわてて、横浜の高島屋で行なわれている画家の吉岡耕二さんの個展会場に 向いました。

毎年、渋谷の東急文化村で開催される吉岡さんの個展に行くのが我が家の恒例に なっていたのですが、今年は我が家のW杯ドイツ旅行とぶつかって行けませんでした。 ところが12月に横浜高島屋でも個展を開催されるというので、楽しみにしていたのですが ヒロコの予定がつかないまま、われわれもすっかり忘れていたのです。

吉岡さんの油絵を20年ほど見続けていますが、もうすっかり彼の色彩の世界のトリコになっています。 絵の具を何層も重ねて浮き出される吉岡カラーともいえる”青”の深さには、 時間を忘れて絵の前にたたずんでしまいます。

新しいオフィスの白い大きな壁に吉岡さんの大きな油絵を飾る! これが私の夢ですが、新しいオフィスも吉岡さんの油絵も、いまだ実現はしていません。 ま~ヒロコも大の吉岡ファンですから、いつかは実現すると事でしょう。(^_^;)

もうひとつ毎年、行なわれているコンサートが今年ははじめて12月(9日)にありました。 昨年も週間KENで紹介したナオキ君のママのマリンバのコンサートです。

ナオキ君も…我が家が大晦日恒例でお邪魔するゼン君チのゼン君も…ヒロコの保育園の同級生です。 そのゼン君のママは、この週間KENの愛読者?で私のHPの掲示板にもコメントをいれてくれる 明るく元気な人ですが、9月にすい臓がんの手術をされたという事でとても心配をしていました。 でも、元気にコンサートに来られていて、ほんとうに嬉しくなりました。 もともとが少し太めだったので(^_^;)14㌔のダイエットに成功? 本人が”たかの友梨”で100万円使ったと言いふらすと誰もが信じてしまうそうです。(^_^)

コンサートの休憩時間、ワインのサービスがあり、そのテーブルの美女から声をかけられ よく見るとナオキ君の奥様のヒロミさんでした。 ヒロミさんはヒロコより1学年下ですが2児の母で、私は保険の関係で何度かお逢いしているのですが ヒロコもYUKIも保育園時代の友達もママ達もみんな初対面だったので盛り上がりました(^_^)

そうそうコンサートはもう何時もの事ですが”さすがプロ”と思わせる素晴らしいものであったことは 言うまでもありません。

そして日曜日(10日)これは28日の私がボランティアでお手伝いしている ホテル・ニューオータニでのクラシック・コンサートの最終打ち合わせにヒロコと出かけました。

普段は芸術とは縁の薄いワタシでありますが… なぜか12月のさなかに”芸術の秋”ならぬ”芸術の師走”をエンジョイさせて頂いています(^_^:)

2006年12月04日150号 3丁目の夕日

金曜日、テレビで『ALWAYS 3丁目の夕日』をやっと見ました。 ”やっと”というのは私の代理店仲間で同世代のS氏が、この映画が封切られた時に 我々夫婦に向って「是非この映画を、ご夫婦で見られる事を薦めます!」と 強く要請?されたのですが、はたせないでいたからです。

だいたいYUKIは日本映画というものにまったく興味を示さない、というより 日本映画の存在すら知らないではないかと思うほどの”宇宙人”です。 だから、その時も「ひとりで映画館でご覧になられては」と冷たくあしらわれ、 やっと先日、私ひとりでテレビを”ご覧に”になっちゃたしだいです。

映画は昭和33年の東京を舞台に二人の少年をじくにくりひろげられる人情ドラマです。 私はこの時代…渋谷区立渋谷小学校(今は都心過ぎて廃校)の6年生で時代的にピッタリとリンクするのです。 駄菓子屋で「クダサイナ!」と店主を呼び出す掛け声や、 水につけると”スカ”しか出ない5円クジなどリアルによみがえり笑ってしまいます。 映画の冒頭にラジオから流れる『おーい中村君』も草野球仲間に中村クンがいて みんなで節をつけて「お~い中村君♪」と読んでいましたが、コレッてイジメだったのでしょうか(^_^;) 草野球は日が暮れてボールが見えなくなるまでやっていましたから 夕焼けを見ると、その頃が思い出されます。

我が家にテレビがキタときも、電気洗濯機がキタときも、電気冷蔵庫がキタときも… そうそう映画でもあったように、それまで暗くてジメっとしていた氷の冷蔵庫から電気冷蔵庫に かわった時、冷蔵庫の中がまぶしいくらいの電光で総天然色のアメリカ映画のようだと 感激した事を思い出しました。

映画の中で町工場の鈴木モーターズにテレビがキタ日、その主(あるじ)は テレビを見にきた近所の人達に向って感無量に「戦争が終わって13年…」 と言って声をつまらせるシーンがあります。

そうだったのです、戦争が終わって、たった13年目の話です。 しかし、とうぜんの事かもしれませんが私にはまったく戦争の実感はありませんでした。 父親をはじめ大人達は、集まると戦争の話をし私も聞かされたものですが 昔話を聞いているようで「大人はどうして戦争の時の話ばかりするのだろう」と 不思議に思っていたぐらいでした。 でも今の私には13年前なんてツイ最近のようなものです。 実際いま48年前の昭和33年を懐かしんでいるのですから(^_^;)

フラフープも、オート三輪のミゼットも、力道山も、都電も、出てくるものスベテが懐かしいのですが… ”ひとつ”いや”全体として”私にはしっくりこないものがあります。 それはあまりにもレトロな新横浜のラーメン博物館のような画調です(^_^;)

映画としたら、そこまでデフォルメした方が味が出せるのでしょうが 私の幼い目からは、大村昆のテレビCMで売り出されたオート三輪のミゼットも、よく乗っていた都電も… 電気冷蔵庫のようにすべてが新鮮に輝いて見えていたのです。

東京タワーがあの位置で見えるのはどこだろう? 六本木か三田か麻布十番かいろいろ考えても、どこも合致しないようです。 ”六子”が東北本線で正月の帰省をするラストシーン。 車窓から東京タワーが見えるわけがない! 帰省列車がそんなに空いているわけがない!と心で文句をいいながらも、 目頭を熱くして最後まで見てしまいました(^_^;)

2006年11月27日149号 クラプトン~そして神戸

また、ヒロコのおごりでライブに行きました。 実は先月もヒロコに誘われたのですが私は遠慮?しました。 私の好みのジャンルで無いのと、いつもの事ですが、立ったままでの今風ライブだからです。 知らないアーティストの知らない曲に、ピョンピョンしながら2時間近く立ったまま見るのは ちょっとツライいや、モッタイナイので、YUKIと二人で行ってもらいました。 YUKIは楽しかったとイチオウは言ってましたが、疲れた様子でした(^_^;)

でも今回は違います、なんてたってエリック・クラプトンです!武道館です! 武道館がライブに良いとは思いませんが、座って見れそうです。 クラプトンだったら立ったままでピョンピョンしてもいいのですが… クラプトンだから、やっぱり武道館になってしまうのでしょう(^_^;) 席は2階の後から2番目、すなわち最も奥から2番目で9,450円、さすがクラプトンです! 武道館には大型スクリーンもなく、顔の表情は見えそうもありません。

でも、ライブが始まった瞬間、 マギレもないクラプトンのギターの音色に鳥肌がたち つづいて彼のしゃがれ声が流れた時には目頭が熱くなってきます。 こうなってくると顔などよく見えなくても、クラプトンと一体化して アツという真に2時間のライブは終わってしまいました。

ライブが終わって3人で外食をして我が家に着いたは午後11時過ぎ。 実は翌朝10時に神戸で生命保険のアポイントがあります。 なんやかやと準備をしているうちに時間が経過して 午前2時過ぎに我が家を出てクルマで神戸に向かいました。

関西方面のドライブは馴れたもので、まず浜名湖サービスエリアまで約250㌔を ノンストップで2時間で到着して、そこで休憩、 途中仮眠をしても8時間あれば十分のパターンです。

ところが私が100㌔をちょとオーバーしただけでもYUKIはスピードを出すなと やたらウルサイのです。 どうも今年2月のスピード違反以来とても神経質になってしまったようです。 深夜の東名でも工事や渋滞でゆっくり走るところもあるので、走れるところでは ある程度のスピードで走らなければ、とうてい食事休憩や仮眠をしながら 8時間で570㌔のドライブは厳しいのです。

また大きい声では言えませんが(^_^;) ある程度のスピードで大型トラックなどを次々抜きながら車線を変えてドライブするから 眠くもならないのです。 100㌔の制限時速で車線も変えず、追い越しもせずに、ジッと運転してると睡魔が襲ってきます。 普段なら浜名湖についてる2時間を過ぎた日本平で、どうしても睡魔に勝てず仮眠をし 気がつけば5時30分、神戸までは休まずに行くしかありません。

神戸のお客様は実は2回目のご契約で気心もしれていて楽しく簡単に終了。 この地域はなぜかお客様や知り合いが多くて、 カレンダーを持ってのご挨拶まわりを数件、夕方にホテルにチエック・インして ちょっと横になっていたら2時間ほど眠ってしまいました。

このホテルは今や神戸の定宿になった六甲アイランドにあるホテル・プラザ・神戸です。 なかなかの高級ホテルですが一泊二人で税込8600円。 パソコンを手放せない私には光ファイバーでのインターネット接続無料は魅力です。 また自動製氷機から自由に氷が持って来れるのも、ホテルの部屋でお酒を楽しむのがモットーの 私には欠かせない条件です。 ホテルのラウンジで神戸の夜景を見ながらの 食事も生ビール付きで1800円とお手頃で、なかなか良いものです(^_^;)

翌朝はゆっくりビュフェ・バイキングでたらふく食べて 12時にチエック・アウト 摂津市の法人のご契約者を訪問し、京都の大原三千院から滋賀県に抜けて 坂本(大津市)を経由して、いつものように深夜に無事、我が家に帰還しました。

[…]

2006年11月20日148号 イジメ報道

今回のイジメ報道の発端がどんな事件だったかよく判りませんが どのチャンネルも同じイジメ事件を大きく取り上げているのを見て、私はヒロコに言いました。 「こんな報道をしていたら、きっと連鎖が始まっていく…」と。 そして、私の予想は的中したようです。

私は預言者ではありません、過去に何度もこのような現象を見てきただけです。 マスコミはこの手のテーマが大好きなようです。 もっと報道すべきニュースがいくらでもあるのに、特集まで組まれます。 番組が取材がしやすく低予算で視聴率が稼げるのかもしれません。

イジメによる自殺者の写真や学校までが映し出され、友達や先生の悲痛な インタビューまで報道されます。 今イジメられているこども達はこのような番組を見て、 「私が自殺をしたら大きく報道され、イジメたり、それを見過してきた者たちに復讐が出来る」 と思ってもしまうかもしれないのです。

「学校は何をしていた!」「校長は!教師は!何をしていた!」と責められ それに、頭を下げる映像が映し出され、自殺する校長まで出てきます。 マスコミは「誰が悪い」と犯人探しをする始末ですが これも”イジメ”のように私には見えてしまいます。

イジメは絶対にあってはならない、許されない事かもしれませんが… この世からイジメを無くすことが出来るでしょうか? それより『古今東西、イジメはあって当然』と考えて、 その時の対処法を考えた方が合理的ではないでしょうか?

イジメがは”閉鎖された所”…例えば軍隊とか刑務所とかで起きやすいと言われています。 それが中学校で起きているという事は、学校も軍隊や刑務所のように閉鎖された場所 という事になるわけですが、実際にそうだとは私には思えません。 休もうと思ったら休めるでしょうし、転校だって自由だし、中学生ならどんなに長くても 3年辛抱すれば卒業してしまいます。 自殺を考えるまで悩んでいる事を親に真剣に伝えたら、展開だって変わるはずです。

そんな事もせず、イジメに耐え切らず自殺してしまうのは ひとことで言ってしまえば【想像力の欠如】ではないでしょうか? 「自殺したら自分をイジメた者の復讐になるだろう」というのも想像力かもしれませんが そのような小さく狭い想像力でなく、もっともっと大きな想像力です。

大きな想像力と夢や希望があれば、イジメにあったとしても乗り越えていけるはずです。

【想像力の欠如】はこども達だけの問題でないようです。 イジメ報道そのものに【想像力の欠如】を私は感じてしまいます。

損保の保険金未払問題は身近な事件ですが… 私がこの週間KENでも何度か書いてきましたが、保険会社に私が「なぜ?」「どうして?」と 聞き続けても、いつも返ってくる言葉は「そうなっています」「そういう決まりです」という 回答ばかりで、何の想像力も働かせない結果だと私は思っています。

こども達もおとな達も、あまりにも狭い世界にとらわれいる人が多いようです。 もっと大きな想像力を持って、たくましく生き抜こうではありませんか(^_^;)

私なんか昔からイジメられっ子で… 保険のネット上では、よってたかって袋だ叩きにあっても… YUKIに毎日?イジメられても… ハッピーに暮らしているのですから。(^_^)

2006年09月25日140号 私もブログを…

私もブログをスタートさせる事にしました。 【Dr.KENのゆったりECOな保険ライフ】というタイトルです。 そう、保険に関することを、わかり易い言葉で、短く簡潔に、週に3回くらいのペースで 書いていこうと思っています。

この【週間KEN】もブログにしたら…という意見も頂きます。 プライベートで好き勝手なことを書かせて頂いている【週間KEN】の方が ブログという媒体に合っているのかもしれません。 しかし、週一のこのペースで3年近くが経過して、私の生活のリズムにもなってきたので これは、これで、いいかな、と思っているのです。

さて…【Dr.KENのゆったりECOな保険ライフ】というブログを、 なぜスタートさせることになったのか? ということについて少々お話いたします。

ほんとうはブログでなくて、保険情報のメルマガを発行しようと思っていたのです。

その事は昨年暮れのココ(22日木)をはじめ何度か触れています。 よーするに、今年の私の課題はメルマガの発行とセミナーの定着化だったのです。 メルマガについては私なりに研究もしました。 セミナーはその中で案内していこうと思っていたので、メルマガがスタートしなければ セミナーもスタートさせることが出来ません。

ところが、今年になって、気になりだしたのが、ものすごい勢いで普及しはじめた”ブログ”です。 正直、私自身メルマガを最近は、あまり読まなくなったのです。 一般的には味気ない活字だらけのものが多く読みにくいということ。 また、毎日おしよせるジャンクメールの山にウンザリする中で、紛れこまれるメルマガは その時にメールを開封して読まない限り、後でわざわざ見ることがなくなって 結局は削除するようになってしまったのです。

そのてん、興味深いブログは好きな時間にじっくりと、まとめて読むことも出来ますし、 その人、その人の個性やセンスも出て、”お気に入り”にいれたブログは数件あります。 ようするに…「メルマガよりブログの方が楽しそうだな」と思ってしまったのです。

だだ、メルマガの方は自分なりに内容や校正のイメージも出来て週間はキツイので 隔週か10日に1回のペースで、それなりにしっかりしたものを出そうと思っていました。 でも、そこで問題が出てきました 私すなわちDr.KENが生命保険に関して”しっかりしたもの”を定期的に発行するなら 「それなりの”検閲?”が必要になるかもしれない…」いうような事を 生保担当のM君(7月に金沢に転勤)がちょっとだけ口にしたのです。 (昨年5月の私のHP閉鎖騒動で、熱モノに懲りて生スを吹いているようです^_^;)

メルマガで伝えていこうとしている事は生命保険だけではありません、損害保険もあります。 発行する度に、生損保それぞれで”検閲”されたのではタイヘンです。

私はますますメルマガからブログの方に興味が移っていったのです… ブログでやる以上は、ブログの特性を生かした、長く継続できるモノにしていきたい。 そういう企画をたてるのは決してキライな方ではない私ですが(^_^;) ブログに詳しい相談者が近くにいませんし、少々詳しいヒロコは多忙を極めており 冷たくあしらわれ時間ばかりが経過していくのです。

もう、こうなったら、いつもの手…「あんずるより生むがやすし!」です。

まず、どこのブログ・サービスを使うか?ですが…【はてなダイアリー】にしました。 参考にした保険関連のブログではどこも使われていませんでしたが【はてな】に賭けたのです(^_^;) 私が感動した梅田望雄著【ウェブ進化論】の中で”はてな”がとり上げられ好感を持ったからです。

次はタイトルです。 たくさんの候補があがりました。 【保険バカ日誌】【生命保険 ネットの歩き方】【ネットが保険を変える!】 【ねっとな保険屋さん】【のんびり保険屋人生】【ゆったりECOな保険屋人生】 そして最終的に【ゆったりECOな保険ライフ】になったのです。

最初はインターネットによる顧客本位の営業スタイルを主軸に保険のホンネに迫ろうというものでした。 でも、その先にある私の考えは…営利主義が加速される昨今に保険商品を問題提議し 保険本来がもっている特性を理解し、それを有効利用するというモノです。 すなわち、少子高齢化・自己責任・低成長・環境を大切にしなければならない、これからの時代は 保険えらびも”ゆったりECO”で行こう!と気持ちを込めたのです。

私はYUKIに【ゆったりECOな保険屋人生】はどうかな?…と聞いたら […]

2006年09月18日139号  私の所属支社

15日(金曜日) 東京海上日動火災保険の新橋支社の超保険の勉強会に参加しました。

なんだか、とても硬そうな書き出しになりましたが… 必然的に、このような硬くて長い表現になってしまうのです。

以前は”東京海上の支社”ですんだのが… 日動火災と合併して 損害保険は東京海上日動火災保険株式会社 生命保険は東京海上日動あんしん生命株式会社になり…

以前までは 損保も生保も同じ支社で、一人の担当社員が担当していたのですが 現在は 損保は東京海上日動火災保険の新橋支社の担当者が 生保は東京海上日動あんしん生命の東京中央・生保支社の担当者が それぞれにいるのです。

私が20年前、初めて、この仕事をスタートした時の所属支社は 東京海上の三田支社でした。 支社の社員は支社長を含めて5名 代理店も社員も同じフロアで打ち合わせをしたり 食事をしたり、とても家族的で風通しの良い支社でした。

三田支社のテリトリーである港区は外資企業や外国人も多く住んでいるので ”英語で保険を売り込もう”なんて無謀なことを考えて その名もMetropolitan Alien Project (メトロポリタン・エイリアン・プロジェクト) 略してMAP! というプロジェクトを社員全員と代理店の有志が集まって立ち上げた事が思いだされます。

しかし…そのプロジェクトは半年も続かず頓挫しました。 日本語でも難しい保険の話を、日本人以上に細かくてうるさい”外人”に 付け焼刃で生半可以下?の英語力で売れるわけがないからです(^_^;) でも社員と代理店が一丸となって勉強し、途中から飲み会になったり、とても楽しい思い出です。

その三田支社も 7年ほど前に、港区にあるも三つの支社(赤坂・新橋・三田)が統合されて 大型支社としての新橋支社が誕生しました。 その新橋支社は今では丸の内にあります。 なんで丸の内に新橋支社なのかはわかりませんが… 同じフロアに銀座支社や日本橋支社や大手町支社もあるのです。 そして、私のもう一つの所属支社、東京中央・生保支社も同じフロアにあるのです。

大きなフロアがいくつものブースに間仕切りされ、担当社員を呼び出す時は 狭い代理店用デスクに置かれた社内電話で呼び出すというシステムです。 細かい日常的な仕事は代理店のオン・ラインで処理をして 業務上で不明な事は、代理店用にいくつも用意されたヘルプ・デスクを利用するようになっています。

20年前と比べたら、扱う保険商品も格段に増え… その内容も複雑になり、保険会社も効率性を追求していかなければならない、という事のようです。

でも、ひさびさに支社での勉強会があるというのです。 それも、扱うようになって4年が経つのに、まだまだ奥が深く ヘルプ・デスクに聞いても、ただの一度として、まともな回答がすぐには返って来ない いつもYUKIと文句を言い合い、ケンカをしながら、悪戦苦闘している【超保険】の勉強会だというのです。

でも、ほんとうにひさびさの勉強会は、聞きたいことや、言いたい事が山ほどあったのですが… ほとんどが社員の一方的な説明に時間がツイヤされ、終わってしまいました。 その後に、本店新館のカフェテリアで、新任の支社長や社員との懇親も含めての打ち上げ会、 クルマで来たため、私は飲めなかったのですが、その分はYUKIが飲んでくれました(^_^;) いつも電話でしか話さない今年入社の女性社員Bさんや 新婚でほんとうは名前が変わっているのに旧姓のままで仕事をしているMさんの ロコハウス担当の二人の女性社員。 そして生保のM君は金沢に転勤になりましたが […]

2006年09月11日138号  短い日曜日

私は日曜日でも朝の7時過ぎには起きてしまいます。

トシのセイと言われそうですが、けっこう昔から早起きの方です。 夜は2時近くまでパソコンに向かいメールを書いたりで平均睡眠時間は5時間ぐらいです。 でも睡眠にも体力がいるようで、体力の衰えとともに睡眠時間は短くなるという説もあるようです。

若くて体力のあるヒロコは日曜日ともなると昼過ぎまで起きてきません。 体力があるとも思えないYUKIもよく眠るほうです。 ヒロコが起きてこないと、あんしんして昼ちかくまで寝ています。 朝7時から起きている私が朝食にありつけるのは昼過ぎです。 すなわち朝食抜きで、昼食になるわけです。 しかし起きたばかりのYUKIとヒロコは朝の気分で、昼食は朝食らしいトースト・メニューです。

ヒロコの貴重な休日は必然的に短くなります。 今日は、ヒロコの会社まで荷物を運ぶのと、私の背広をオーダーする予定です。

荷物は… 先週のバーベキュー会のためにヒロコの会社のボス、リチャードから借りた道具類です。 背広は… 宮崎の母(YUKIの実母)が私の還暦のお祝いとして送金があったのです。 いつもみすぼらしい背広を着ている私をみかねて、 ちょっとマシな背広を作りなさいと、いう意味もあるようです(^_^;) 義母は、そのままだとYUKIが生活費に回す恐れがあるので ヒロコには”監視する任務”が与えられたようなのです。

朝食をイヤ昼食を食べ終え、ヒロコの運転で、新宿にあるヒロコの会社に向かいました。 会社の近くの駐車場に荷物を降ろし会社までYUKIと3人で運ぼうとした時です、 ヒロコが…「会社のカギを忘れた!」というのです。 結局リチャードの家まで荷物を運ぶことになりました。 (リチャード個人の荷物なのですから、初めからそうすればと私は思いました^_^;)

次は背広です。 どうも私はこの手の買い物が苦手です。 サイズを測られるとYUKIとヒロコが、決まって私をワライモノにするからです。 今回も黙って、それに耐えながら、 生地やデザインの選択はヒロコにまかせ、無事オーダーを済ませました。

これだけで日曜日の陽は沈んでいます。 ヒロコのソニーのパソコンを我が家の近くのPCデポに修理に出し クルマをPCデポの駐車場に置いたまま、タイ・カレーの店【イムイェム】 に向かいます。

日曜日は休みだった【イムイェム】が、先月から日曜日も営業するようになったのです。 なぜかというと、お店の売り上げが激減してしまったのです。 原因は6月からの違法駐車取締りの改正です。 お店の前の東名高速に向う広い道路も、その対象になってしまい、 短時間駐車でもキップを切られようになってしまったからです。

ウイーク・デイのランチ・タイムが最も影響が大きく 8月は盆休みを除いて無休で、9月からは定休日を月曜日に変えてのです。 順調に売り上げを伸ばしてきたのに、経営者のテラさんは頭を抱えてしまったのです。 そこで、少しでも売り上げに貢献できたらと8月からはチョクチョクと 美味しいタイ・カレーとデザートを食べに通っているのです。

みなさまも是非、クルマをPCデポの駐車場の置いて 美味しいテラさんのタイ・カレーを食べに来てください!!

てな、わけでヒロコにとっては短い日曜日は終わったようです。 今は9.11午前1時、ヒロコは月曜日からの激務?に備えて早くも寝息をたてています。

私は毎日が日曜日…イヤそれはあくまでYUKIの口癖です。 定年のない私は月・月・火・水・木・金・金の過酷な人生を 最期まで歩んで行かなければならない宿命にあるのです…なんちゃって(^_^;)

[…]

2006年08月21日135号  ヨコハマにて

今、ヨコハマのホテルから書いています。

今まで、仙台にて…北海道にて…沖縄にて…松山にて…などなど 地方のホテルから週間KENを送信してきましたけど、今回はすぐ近くの横浜です。

今までは、共済組合とか…国民宿舎とか…ビジネスホテルとかでしたが 今回は、横浜の由緒正しき歴史を誇るホテル・ニュー・グランドです。

結婚式とか、同窓会とか、パティーがあったわけでもありません。 今日の夕刻にホテルにチェックインしてイタリア・レストランで食事をして 明日、チェックアウトしてヒロコはそこから出勤、私とYUKIは我が家に帰るだけです。 食事と宿泊の招待券があたったわけではありません。 そんな運はワールドカップのペア・チケットで使い果たしました。 言うまでもありませんが、お金が有り余っているわけではありません(^_^;)

実はこのホテル・ニュー・グランドにロコハウスのお客様が4人もいらっしゃるのです。 それを紹介して頂いたのはイタリアン・レストランに勤務されているNさん。 Nさんはもう超がつくほどの保険マニアでDr.KENのファンでもある、とてもありがたいお客様。 そして、この半年ぐらいで職場の仲間を3人も紹介して頂いたのです。

でもNさんを初め4名の契約はすべて、ご自宅に伺ってで彼らの職場には一度も行く事がなかった為 「近いうちにイタリア料理を食べにいくから…」が口癖のようになっていたのです。 でも、何と言っても格式ある名門ホテルのイタリアン・レストランで予約制、 ファミレスの『フラカッソ』みたいに気楽に行くわけにはいかないのです。 ローマに4ヶ月ほど短期留学していたヒロコは、「本格的イタリア料理なら私も是非いきたい!」 などと言い出して、じゃー私の誕生日に行こう何て言っていたのが急遽W杯ツアーのビッグ・イベント があったりして、のびのびになっていたのです。

イタリア料理を食べに行ってワインも飲めないのでは楽しくないから電車で行くか? それともヒロコが運転するか?(ノンベイのヒロコは拒絶)などと、議論の結果、だったら ホテルに宿泊すれば良いでなないかと… お金もないのに胆略的打算に落ち着くのが我が家のならわしです。

そこで、またYUKIの腕のみせどころ ネット上で得意のホテルの格安プランを検索 今日20日のホテル・ニュー・グランドをゲットしたのです。

20日にイタリアン・レストランの予約を入れると、さっそくNさんから電話が入ってきました。 私はその日は宿泊をすると伝えたらNさんは 「前もって教えてくれたら割引をしたのに…」と残念そうに言ってくれました。 「でもネットでけっこう安く手にいれたみたいだから…」との私の言葉に 「それなら、そっちの方が安いかもしれない」と言われてしまいました(^_^;)

20日は、ちょうどNさんは休日という事で合えませんでしたが… サービスは契約者の一人、Kさんにやって頂きました。 ネットで格安で手に入れた部屋はグレード・アップをしてもらい ワイン一本とケーキ(一応私の誕生日という事で^_^;)のサービスがあり いたれり、つくせりのサービスで恐縮するばかりです。

ワインをしたたかに飲んで、すぐ前の山下公園を散歩して 今、ホテルの部屋からとびきりの横浜の夜景を見ながらほろ酔い気分で書いています。 Nさん、Hさん、Tさん、そして今日サービスをして頂いたKさん、 ほんとうにありがとうございました!

本日のハイライト・シーン ①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩

[…]