2006年08月07日133号  今年も”キューバの夜”

昨年、キューバのサルサ・バンド【ロス・バンバン】のライブに感動した事を書きました。 早いものであれから1年、また同じ会場でのライブに家族3人で… 今年はヒロコがクルマを運転して晴海のライブ・ハウスへと向かいました。 ドイツでの運転いらいのヒロコにとっては長距離(毎朝駅までの往路は運転)ドライブですが そこそこ安定してきたようです。

キューバ・ファンで…サルサ・ファンで…ラム酒ファンで…ロス・バンバン・ファンで ついでに、サカモッチ・ファンで…おじゃる丸ファン…のヒロコからの両親への”ご招待”です(^_^) ヒロコはこの日を来るのを、指折り数えていました。 ところが、その数日前からキューバのカストロ議長の様態を危惧するニュースが流れていたので 「カストロが死んじゃったら公演は中止になるかもネ」…なんて、私が言ったものだから ヒロコは気が気でなかったようです。

ロス・バンバンのライブは午後7時からという事ですが… 会場には6時頃に入りました、昨年はライブ・ハウス初体験で戸惑いがありましたが 今回はもう馴れたもので、ドゥリンク・チケットをビールに代えて、 まだ空いているフロアで軽く踊ったり、前座バンドの演奏やサルサのパフォーマンスを楽しみました。

私は今から数える事、約40年前、拓殖大学、ラテン・アメリカ研究会に4年間席をおき ラテン文化やラテン音楽には造詣が深い(つもり)のです。 その研究会でもロス・バカブンドスというバンドを持っていましたが… その頃のレベルから見たら、もう雲泥の差です。 (その頃でもロス・バカブンドスは他のバンドと雲泥の差がつけられていましたが^_^;)

前座バンドのレベルもまちまちです。 日本人にしておくのがモッタイナイ?と思うほどの力量のあるアーティストもいれば なんでお前が!…と舞台からひきづり下ろしたくなるよいうなアーティストまでさまざまです。 そんなアーティストに限って盛り上がらない会場を、ムリヤリ盛り上げようとするので…悲しくなります。

その、ヒドイ前座が終わって… ロス・バンバンのライブですから、もう大変な盛り上がりで、一機にヒートアップです! (これは巧妙に仕組まれた”演出”だったのかもしれませんネ^_^;) 抜群の歌唱力とパワフルな演奏に、昨年は衝撃を受けてただただ圧倒されましたが 今回のライブもそれを裏切られる事はありませんでした。 そして今回、私がとても感動して見守っていたのが、舞台後方での高齢?の演奏者たちです。 舞台で目立つ事は無いものの、そのリズム感…曲にあわせ軽くステップする姿が カッコいいというか!セクシーというか!…けっして日本人には真似の出来ない味があるのです。

そして、私は一つ課題を自分に与えました。 私のサルサ・レッスンといえばクリスチーナですが(^_^;) 彼女のレッスンは、それはそれで楽しいのですが、ハード過ぎて最近では、ご無沙汰状態です。 でも、軽いステップでもサルサはかっこよく踊れるのです。 YUKIはサルサを習っていませんが、YUKIと二人でさりげなく軽くサルサが踊れたら、 このようなライブに来ても、より楽しいしカッコウいい!何て想像しちゃったのです。 多分、想像どうりにはならないでしょいうが YUKIも賛成してくれたので、来年!?に向けてチャレンジしようと思っています。

帰りのクルマの中で、ヒロコが 「カストロが死んじゃったらロス・バンバン…どうなるのかな?来年は来れないかもね」 と、心配そうに言いました。 YUKIは、それに大きくうなずき 「そうね、カストロがいなくなったらキューバのアメリカ化が進んで、ロス・バンバンのような 根っからのキューバ音楽は一機に衰退するかもね」と言いました。

私はそれに対しては反対の考えです。 やがてキューバも今のような共産主義体制は崩壊し、 アメリカがなんやかやと介入してくる事は間違いないでしょう。 そして、今のような、どこまでもノドカなキューバの風景は変わってくるかもしれません。 でも、昨年も書きましたがロス・バンバンが超過密スケジュールで世界中の公演を マシーンのようにこなしている事をしって、とても気の毒に思ってしまいました。 多分、彼らのギャラは僅かなものでキューバの外貨獲得に貢献しているのでしょう。

このような事は、体制の変化できっと変わってくるでしょう。 それによって、アーティスト達は自由に活動を初め今のようなバンド編成が […]

2006年07月24日131号  おじゃる丸の”川上さん”

もう、年齢については触れないようにしようと思っていたのですが(^_^;)

こんなメールがアカラックスの下川さんから届きました。

>本日のセミナーにお申込み頂いていますが、今回は >角倉さんの還暦のお祝いということで、参加費を無料に >させて頂く旨、お伝えするようにと今朝のミーティングで >言われました。 >ご都合がつくようでしたら、YUKI様もご一緒にご参加 >いただけるでしょうか。  >ひろこさんは日々激務のことと思いますが、当社での >三次会にご参加頂けるようでしたら、是非こちらへとお待ちしています。

2年前…すなわち私の58歳の寂しい誕生日の事をココで書いたのですが、 それを読んだアカラックス代表の坂本さんから誕生会をして頂き感動したのが つい昨日のような気がします、本当に年齢を重ねると月日が経つのはアッという間です。

今月の坂本さんのセミナーのテーマは【エンベデッド・バリュー】 皆様には何の事かわからないでしょうが、そういう私もよくわかりません(^_^;) ようするに保険会社の決算や情報開示で使われる”指標”の事で 私のような単なる保険代理店のオヤジにはツライ、テーマです。 そのためなのかセミナー参加者はいつもより少ないようです。

そんなテーマを、いつもより活き活きと楽しそうに講義をする坂本さんの姿に 「やっぱりアクチュアリーなんだなー」などと睡魔と闘いながら ボンヤリと感心しているうちに無事?セミナーは終了しました。

まず毎回恒例のセミナー後の二次会(呑み放題)で たらふく呑んで、食べて、いつものアカラックス・オフィスへ。

坂本さんがとっておきの超高級シャンパンを開けて乾杯です!! ありがとうございます!!

遅れてヒロコも仕事を終えてやってきました。 ヒロコは実はサカモッチいや坂本さんのファンなのです。

ヒロコはそこで我が家でウワサの”川上さん”を紹介されました。 ほんとうは”川上さん”ではなく保険情報のFさんなのです。 でも、NHKのアニメ【おじゃる丸】に出てくる”川上さん”にそっくりと 我が家で話題になった事があり、 ”坂本さん”と”おじゃる丸”のファンであるヒロコ(ようするに何でもファンになりなりやすい^_^;)が ぜひ見たいシツレイお逢いしたいと、つねづね言っていたのです。 でも、その強烈な個性にはサスガのヒロコもオサレ気味です。

そんな”川上さん”にYUKIは酔っ払って?グラスを倒し ズボンにかけてしまいました…決して失禁したのではありません(^_^;)

坂本さんからは私に誕生日プレゼントとして 名古屋名物の味噌かつ用の”たれ”を3本もいただきました。

なんで私に”矢場とん”のとんかつソースなのか?その意味は不明ですが(^_^;) 名古屋大学での保険学の講師として忙しいスケジュールの中で 私のために買ってきてくれたと思うと、何でも…イヤとんかつ味噌ソースが 金の延べ棒のように輝いてみえます。(ちょっとオオゲサですが^_^;)でも、ほんとうにココでのお酒は(本当は神聖なオフィスのようですが) いつもたのしく、私もいつも呑み過ぎてしまいます。 ”川上さん”もご機嫌でご帰還… 我が家の3人もアカラックスの皆様に感謝し、酩酊しながら家路に向かいました。 P.S. “川上さん”いやFさん、勝手に書いて写真まで掲載しちゃいました、ゴメンナサイ! でも御社オーナーSさんも相当ですから大丈夫です(何が大丈夫かわかりませんが) YUKIもかなり酔っていたようで、ズボンの件…心からお詫びしていますm(_ _)m

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2006年07月17日130号  新60代

ツイに7月12日で60歳になってしまいました(^_^;)

”60歳”というと私は’60年代の初めにヒットした【悲しき60歳】という曲を思い出してしまいます。 あの時代は曲名のアタマに”悲しき”とつけるのがはやりで 【悲しき16歳】【悲しき雨音】【悲しき街角】【悲しき少年兵】などなど、数え切れないほどのが ヒット曲が生まれています。 その頃まさに16歳だった私ですが【悲しき16歳】より【悲しき60歳】がお気に入りでした。 前都知事の青島幸男がトルコの曲に歌詞をつけたもので、その内容は… トルコのムスターファという貧乏な青年が恋した彼女は奴隷の身… 青年は彼女のために一生懸命頑張って大金持ちになるのですが、 気がつけば…60歳になっていた、とういう悲しい?コミック・ソングです。 10歳下の私の妹が幼稚園生で♪ヤ・ムスターファー・ヤ・ムスターファ♪と 舌足らずに歌っていたのが昨日のように思い出しますが、その妹も50歳になり、 私も気がつけば…60歳になってしまいました。

そして最近は、私の還暦が話題になると反射的におどけて ♪ヤ・ムスターファー・ヤ・ムスターファ♪を口ずさむため YUKIもヒロコも、すっかりこの曲を覚えてしまいました。 (YUKIは同世代でも宇宙人ですから当然この曲を知りません、新鮮なようです)

この曲がヒットした頃、私から見た60歳は大変な高齢者のイメージでしたし 社会的にも立派な?高齢者の時代だったようです。 したがって今の私の”60歳”と、【悲しき60歳】での”60歳”とは…実は 私の頭の中でまったく一致しないのです。 そう!何が言いたいか?というと…『まだまだ若い!』という事です(^_^)

幸か?不幸か?…私には定年がありません。(^_^;) YUKIからは「死ぬまで働け!」と終身刑が命じられています。 先日、還暦のお祝いを兼ねて…という大義名分でドイツ旅行をしましたが およそ”還暦祝い”とは思えない(予想通りの)ハードな旅でした。

そしてYUKIからこんな事を言われました。 「ホームページやネット上で還暦だ!還暦だ!と書かれるものだから メールでの保険相談が最近、減ったような気がするのですが…」と。

たしかにホームページへのアクセス数は好調ですが、 ひと時のようにメール相談の返事を書くため、 寝るヒマも無いという事はなく、すやすや寝てる私を見て… 家計への危機感を募らせているのです(^_^;)

メールでの相談者は30歳前半が多く、保険期間が長い生命保険の場合 自分達の契約を最後までフォローして貰えないと思われてしまうようです。 だから…できるだけ若い代理店や募集人から加入した方が良い、と思われる事があるのですが そんな時、私こう答えます。

「たしかに長期間のフォローを考えれば、少しでも若い担当者がいいでしょう、 しかし彼らが10年後、20年後にどの位、保険の仕事をやっているでしょうか? 10年後に関しては、若い担当者より、私の方がかなりの確立でフォロー出来ると思いますヨ」と…。

私が20年前に保険の仕事を始めた同期は10年で大多数が消えて、今では数%しか残っていません。 代理店として生き残るのは大変なのです(^_^)、 ココまで来たら、多くのお客様という財産を持っているのです。 金銭的財産はまったく無い私ですから、それを大切にしていくしかありません(^_^;)したがって… 何らかの形で、お客様のフォロー体制を作っていくと明言します。

最近…【保険の世界がよく見えるようになってきた】と感じるのです。 もちろん、私の錯覚か?ウヌボレ?はたまたガンコになったのか? さだかではありませんが、自分ではそう確信しているのです(^_^;) それは保険の仕事を20年経験した、というより人生を60年経験したからだと思うのです。

ケーキ屋KENちゃんから40歳で保険屋KENちゃんになった私です。 私より若くて保険業務に詳しくキャリアの長い専門家はヤマほどいるでしょう。 でも、フンベツのつく年齢から保険業界に入った私は 常に客観的な視点で保険に接して、いろいろな事を感じてきました。

保険、特に生命保険にかせられた社会的責任は大きくなっていきます。 少子高齢化、自己責任の時代に向けて自分の事は自分で手当てしなければならないからです。 […]

2006年06月26日127号  旅の最終日・機内にて

今、フランクフルトから上海への飛行機の中で書いています。 これをアップするのは上海空港からだと思います。 なにせエア・チャイナの安いチケットでの帰国ですので上海で一旦荷物受け取って の乗り換えで4時間以上滞在しなければなりません。

16日(金)に成田をたって26日(月)の19:15分に成田につく正味10日間の旅も もう少しで終ります。

思ったよりハードな、イヤ…思った通りの、いつものYUKIとの旅行のように 結局は我が家の伝統的?なハードでエネルギッシュんで刺激的な旅に なってしまいました。

日本を10日間も離れているのに 私のHPのヒット数はいつもより2割ほどアップしているようです。 これは【週間KEN・臨時増刊号ドイツ旅行版】が好評?のおかげです。 こうなるとコチラも力が入ります。(^_^)

思ったよりハードになったのは この記事を旅行中のクルマや列車の中で書いていこうと思ったいたのに そんな余裕などまったくなく、それが出来たのは”今の機内”が始めてです。 結局ホテルで深夜か早朝に 写真のアップと一緒にやらなければならなかったのです。

持参したノートPCとインターネットの接続も ホテルによってマチマチで、これもヒロコがいたからどうにか 10日間、毎日送信出来たのですが、時間とお金も少々かかったようようです。

ネットで気軽に報告と思っていたのですが 私の旅行中の平均睡眠時間は5時間を切ってしまいました。

でも、とても良い経験をしました。 ノートパソコンで多くの写真を載せて毎日、旅の実中継をし ホテルの予約をし、ネット情報もキャッチし メールのチェックと、仕事も少々?しながら 今までにない、ユニークな海外旅行をする事が出来たのです。

まだインターネットのインフラの遅れや パソコン機能の問題や、 それに私自身の知識不足と…いろいろありますが それらは、時間の経過とともに解決していくと思います。

これが私の還暦を祝う旅なんて… およそ思えませんが(^_^;)

『地球の歩き方』じゃなくてロコハウス版『地球の走り方』を シリーズ化したいね…なんてYUKIと笑いながら話していたところです。

P.S. 上海の空港でアップしようと思っていたのですが、やっぱり、うまくいかず… 結局、26日午後11時に我が家に着いてから、送る事になりました。

特別増刊号 ドイツの旅10日間 – 6月25日 最終日  【フランクフルト・上海経由で帰国】

いよいよ旅の最終日 フランクフトの朝がやってきました。

波乱の昨日は、フランクフルトの夜で我ら3人は精も根も尽き果てて 晩飯も食べず、シャワーも浴びず、倒れるように寝てしまいました。

ホテル・ロシアの窓から見る景色は、なんだか捕虜収容所のようですが 3人で90ユーロで、今回の旅行の中でも最も安く 冷蔵庫があって、冷たい水がとても美味しく、朝食もソコソコで 住めば都?で悪くはありません。 チェックアウトも12時までで 結局いつものネット関連や最終の旅ジタクでホテルを出たのは、その時間です。

フランクフルト空港発の午後19時のフライトまでは時間があります。 昨日は夜のフランクフルトでしたが、今日は昼のフランクフルトを探索です。 ヒロコは2年ほど前にフランクフルトは歩いていて、案内をしてくれるのですが 結構、方向音痴なところがあって、アチコッチ余分に歩かせてくれます。

旅ではほとんど買い物をしない私達ですが、最終日なので若干のお土産は 買っておこうという事で、ヒロコが知っている穴場のスーパーを案内してくれたのですが ココをはじめ、大きなお店や百貨店は日曜日でどこも休みです。 結局、駅のキヨスクのようなところと、私の嫌いな免税店で少々の買い物です。

フランクフルト写真ハイライト集 ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨ ⑩

フランクフルト航空には列車で早め到着 レンタカーを借りたハーツのカウンターに、 結局、カーナビは保険の対象外で、後で10万円ほどの請求が来るという事で まーこれは覚悟していた事でしかたありません。

駅や空港で時間があるのは、我が家ではめずらしい事です。 空港のカフェでたっぷり寛ぎ… フランクフルトを19時に出て上海の現地時間で10時間30分のフライトです。 機内で週間KENやこのコラムの原稿を書いてビールを飲んで一眠りです。

上海空港は曇っているのに蒸し暑く32度もあります。 ここで4時間以上の時間がありますが、飛行機の乗り換えがあります。 一旦荷物を受け取って、しかも出国手続きをして、その後にまた入国手続きを しなければなりません。 単なる乗換えなので、もっと簡単にやってくれるのかと思っていたのですが 同じ荷物を入国と出国で検査させられたり、何枚も書類を書かされたり やたら並ばされて、それだけで3時間はかかってしまいました。

上海空港でパソコンをネット接続して…と思っていたのですが カードは使えず現地通貨の元は持っていなかったのと、時間が足りないので、ネットはあきらめ… 日本円でもOKという、呼び込みをしている喫茶店のお姉さんの呼び込みに 誘われて、そこで一休みすることにしました。

メニューの種類が少なく、アイスコーヒーとマンゴのアイスクリームが同じ値段だったので マンゴアイスクリームを3つ頼みました。 すると、お店のお姉さんが、その場で電卓を叩いて3人で2900円をヨコセというのです。 高過ぎるとYUKIは出よと言ったのですが、疲れてもいて場所代だと思うことにしました。 でも、もってこられたマンゴ・アイスを見てビックリです、 これなら、この値段でも文句は言えませんが、アイスクリームは溶けていて美味しくありません。 ナタデココも生温く、なんだかお腹を壊しそうな不思議な食べ物でした。 お茶のペットボトルも砂糖が入っていてヒロコも私も飲めませんでした。

上海からは小型の旅客機で3時間弱で成田に到着。 お~いお茶濃い味を!、そして近所の【夢庵】で和食を!

16日の朝5時に我が家を出て、26日の午後11時に我が家に到着。。 長いよーで短かった… 苦しいようで楽しかった… 質素なようで豪華だった… もうこんな旅はこりごりのような、また今度も是非やってみたと思う…

そしてワールドカップの楽しさを肌で感じる事が出来た […]

特別増刊号 ドイツの旅10日間 – 6月24日 第9日目 【Gothaの悲劇?フランクフルトの夜】

Gothaの朝は優雅に明けました。 今までのどこのホテルより、おしゃれで清清しく、また朝食も豪華でゆったりと 朝の恒例になったインターネットもビュッフェで寛ぎながら いつまでもやっていたい雰囲気です。 YUKIはビュッフェに備え付けのシャンパンなぞ朝から飲みながらご機嫌です。 これで、今までのホテルより安いくいらだから、驚きです。 少しでも長くいたいホテルでした。

チェックアウトをすませ インターネットの残りをロビーで済ませ… 私が荷物をクルマの所に持っていった時、 事件はおきたのです!! 正確には事件は既におきていて、ソレを発見したのです。

クルマの助手席側の窓ガラスが割られ カーナビが盗まれていたのです!

警察を呼んで、ホテルのフロントで2時間ばかり時間を過ごします。 ハーツはクルマが動かせるなら、近くの営業所に持ってこいと言いますが 車内はガラスだらけで、まどガラスも無いクルマで、不案内な道のりを カーナビなしで、行く来にはなりません。

けっきょく、クルマをホテルの駐車場に置いて 我々は、もうレンタカーを使わず列車で行動する事にしました。 予定は大きく変わります…といっても、気まま旅ですので大した予定はありません。

カーナビが保険の対象外である事を、現地で借りる時に言われた気がするのですが クヨクヨ考えていても、どうしようもありません。 何があるか判らない、だから人生も旅も面白く刺激的で楽しいのです。 プラス思考でいくしかないのです。

まずはホテルから大きな荷物を引きずって駅まで行かなければなりません。 (YUKIはタクシーがとても嫌いな人なのです^_^;) 電車で、ほんとうは昨日の宿泊予定だった【アイゼナッハ】まで行って そこから特急に乗り換え、明日最終日の飛行機が出る、フランクフルトに 戻る事にしました。

ところが電車が遅れて、【アイゼナッハ】に着いた時には特急が出たあとでした。 だったら、次の特急までアイゼナッハ観光をしようという… どこまでもメゲナイ、旅行魂です(^_^;) 荷物をロッカーに預けようとしたら鍵が抜けなくなったり どうもこの日は波乱の日でもあります。

アイゼナッハ観光、列車 写真ハイライト集 ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨ ⑩ ⑪

16日の夜に飛行機で到着したフランクフルトは、翌朝からレンタカーを 借りてニュルンブルグに向ったため、ほとんど見ていません。

YUKIは最終日の明日は、早朝に出かければライン下りが出来るのでは!? と最後の最後まで執念を燃やしますが…飛行機に乗り遅れたら それこそ一大事で、ムリをせずフランクフトをエンジョイする事です。

フランクフルトの宿は『ホテル・ロシア』という 今朝のホテルとは、うってかわった何とも怪しげなホテル(本当に怪しいそう) 列車の旅になったので、駅から100m?の安い宿と YUKIがネットで探しだしたホテルで、なんだか歌舞伎町的な 雰囲気が漂っていて、宿泊客もロシア人やアラブ人家族が多く泊まっています。

フランクフルトの街はW杯まっさかりの土曜日の夜という事もあってお祭り騒ぎです。 ドイツ国旗を旗めかし、クラックションを鳴らしたクルマも数多く、大変な騒音です。

どこか必ず、ファン・フェスタ会場があるはずで、街に出る事にしました。 川の真ん中に大スクリーンを備えつけた会場はもう大変な人ゴミと喚声です。 試合はアルゼンチンとメキシコでしたが、ほとんどが試合はそおっちのけで 喚声をあげたり踊ったりで、何が何だか判らない状態です。

ヒロコもサルサを舞台?に上がって踊りだし、大いにフランクフトの夜を堪能しました。 午前1時過ぎ、まだまだ街は眠らないようですが… […]

特別増刊号 ドイツの旅10日間 – 6月23日 第8日目 【ベルリン観光からGothaへ】

ドイツといえばベルリンです。 今回の旅行の主目的地のニュルンブルグとは南北でかなり離れていますが でもドイツを10日間も旅行してベルリンを外すわけにはいきません。 ヒロコも2年ほど前にローマ短期留学の帰り、ドイツの何都市かを旅したのですが ベルリンには行っておらず、今回は是非行きたいとの要望もありました。

しかし、昨日はベルリンに滞在しながら500㌔近く離れたケルンと360㌔離れた ドルトムントの列車往復をしてきたのです。 わざわざレンタカーで東京まで行って、そこから京都と名古屋の日帰りツアーを してきたようなモノでした(^_^;)

ヒロコの仕事仲間のジョンはベルリンを見るなら最低4日は必要と言ってたそうです。 その彼とも、我々の短い滞在時間と彼の仕事の都合が合致ぜず逢う事は出来ませんでした。

私達がベルリンにかける時間はあまりありません。 本当は無いわけでは無いのですが… せっかくドイツまで来たのだからベルリンに3泊はもったないという考えになるようですが… どっちがもったいないかも判りません! あまり、こんな事を難しく考えてる時間もありません! ただただ貧乏人の性(サガ)に突き動かされて旅をする運命に私はあるのです(^_^;)

我々の旅が少々?ハードになる原因に一つにインターネットがあります。 朝に集中してその作業が、どうしても朝に集中してしまうからです。 したがってチェック・アウトがいつも11時ギリギリになってしまう事が多く 予定していた一日のスケジュールが押せ押せになってしまうのです。

でも、仕事を持った者が長期の旅をする時に パソコンは本当に便利なツールである事は今回の旅で実感しています。

ザルツブルグやプラハの暑さにビックリし、昨日はこの旅で初めて寒さにビックりしましたが この日は日差しは暑くても、ちょっと木陰に入ればエアコンかと思うような 涼しさがありとても快適です。

ベルリン中央駅の近くの駐車場にクルマをおいてまた どこまで歩くのか今日もまたハードな、いや楽しい行軍?が始まります。

しばらく歩くと何かの写真で見た、サッカー・シューズの大きなオブジェがありました。 このドイツの旅10日間のサイトの表紙に使用している写真は ネットからコピーしたもので(^_^;)…どこなのか?と思っていたのですが ありました! ベルリンの象徴、ブランンブルグ門のまんに前に設置されていたのです。 もちろんベルリンの壁も見てきました。

YUKIがバブルの頃に勤めていた【ブガッティ】のショールームがありました。 本来はイタリアの歴史的クラシックカーを現代に蘇らした超スーパーカーですが まだこうして売られているのには感動するものがありました。 それにしても、ドイツという国は古いモノも、新しいモノも とても綺麗でカッコーいい…というのが実感です。 そうそう食事も、安くて、美味しくて、そして美しい!

歩きに歩いて、帰りは電車に乗って2駅目のクルマが置いたあるベルリン中央駅へ。 この時点で時計は4時チョット前、 駐車場にも戻って5時丁度にベルリンを後にします。

ベルリン観光ハイライト写真集です。 ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨ ⑩

次にカーナビをセットしたのは…330㌔ほど離れた【Gotha】と言う街 持参した『地球の歩き方』にも載っていない小さな街のようです。 ほんとうはそこから30㌔ほど離れたバッハで有名な【アイゼナッハ】に泊まりたかったのですが トリプルの部屋の予約が取れず、やむなくそこにしたのです。

カーナビをセットすると目的地まで330㌔、所要時間2時間50分と出ました。 どこから、どう行くかまったく判りませんが、今はベルリンのど真ん中にいるのです。 でも結論から言うとピッタリ午後7時前に目的地に着いたのです(^_^;)

ベルリン市内の渋滞や、道を間違えたり、工事渋滞もあったにも関わらずです。 そう!アウトバーンです!平均で170㌔くらいで走りました。 最高で200㌔ちょい前くらまでは出しました。 […]

特別増刊号 ドイツの旅10日間 – 6月22日 第7日目 【ベルリンから列車往復/ケルン&ドルトムント】

まったく気まま旅を続けていますが、この計画性の無さは無謀さにつながります。 毎日の旅は刺激的でついつい夜おそくまで活動してし 次の目的地を決める思考能力が低下して、つい衝動的に決めてしまいます。

プラハからベルリンに行こうといのが衝動的なら… ベルリンでクルマを置いて列車でブラジル戦のある【ドルトムント】行って 雰囲気だけでもたのしもう(チケットは無いので)というのも衝動的… その前に【ケルン】に 行って大聖堂も見に行こう、なんて事まで衝動的に決めてしまったのです。

ベルリンからケルンまでの距離は470㌔。、 高速列車で4時間です。 ホテルを早朝に出れば、どうにかなったのかもしれませんが

昨晩は夜11時の遅いチェックインで例によってネットがつながりません。 小さな個人経営のホテルで何も聞けず、部屋には電話もなく… 朝食時に、やったホテルの主人からネット事情を聞くしかありません。

だいたいヒロコもYUKIも、起きてるのが遅いのです… (二人に言わせれば私が年寄りのせいで朝が早いというのですが) 朝食のビュッフェでヒロコが宿の主人から聞いたパスワードで メールのチエックとこのサイトのアップも… 部屋に戻ってヒロコもYUKIもPCでお仕事?

結局、ホテルを出るのが10時過ぎで、行き方や切符の買い方を聞きながら ベルリン中央駅から特急列車に乗ったが11時近くです。 それも、列車が途中で切り離され、慌てて前の車両に乗り換えたり ほんとうにケルンに行けるのか、最後まで不安がつきまといます。

ケルンに着いたのは3時過ぎ、ホテルを慌てて出た時から感じていたのですが… 今まで暑さとうって変わって寒いのです! 現地の人をよく見ると誰もが長袖でジャケットやコートを羽織って、います。 私達3人はお揃いの半そでの、ユニホームのみ(^_^;) それでも、元気よく大きく道を間違えながケルンの名所、大聖堂に向かいます。

大聖堂まで結構な距離を歩きましたが、大聖堂はケルンの中央駅のまん前に あるあずなのです、しかし間違えて別の小さな駅で降りてしまったのです。 まーそれは、それで、本来なら気ままな旅で楽しいのですが 問題は【ドルトムンド】です。

ドルトムンドはこの日、日本対ブラジルの試合が行なわれる場所です。 チケットは持っていませんが、現地の雰囲気を味わって そのファン・フェスタでの生中継の大スクリーンで盛り上がろうという計画です。 だから3人はサムライ・ブルーのユニホーム一枚着てホテルを飛び出したのです。

でも、よ~く考えてください。 (考えなくてはならなっかたは私達ですが^_^:)

わざわざベルリンまでクルマで行って、 そこからわざわざ500㌔くらい離れたケルンの行って、そこから120㌔の ドルトムントに行ってベルリンに帰るという計画です。

ドルトムントのキック・オフは夜の9時からです。 試合終了は夜の0時頃で、ベルリンに帰るのは翌日早朝になります。

わざわざベルリンに来ているのにベルリン観光も少しはしなければなりません。 しなければならない事はありませんが…やっぱりしなければなりません(^_^;)

ベルリンではヒロコの仕事仲間のジョンが住んでいるのでヒロコは電話しましたが、 我々のスケジュールに聞いて一言…「クレージー」と言ったそうです。

結局、ケルンに一時間ちょっと、ドルトムントは一時間弱 キック・オフ直前の9時前に列車に乗ってベルリンに戻る事になりました。

徹夜で応援という選択もあったのですが、もうドルトムントはお祭り騒ぎの 大変な人ごみでファン・フェスタのスクリーン前は、私達が行ったときには既に 満員で札止め、それにあまりもの寒さで、諦めることにしたのです。

今までのクルマの旅なら、どこかで試合を見ることが出来たのに 丁度、その時間に限って列車の中という間の悪さにはガックリです。

食事も朝のビュッフェでの軽い食事で夜の9時過ぎまで 何も食べておらず、私もだんだん不機嫌になってきます。

[…]

特別増刊号 ドイツの旅10日間 – 6月21日 第6日目 【プラハ観光そしてベルリンに】

ドイツ旅行10日間というタイトルで書いたいますが… ザルツブルグはオーストリア。 そしてプラハはチェコです。(昔のチェコスロバイキア)。 今回の旅は18日のW杯クロアチア戦の日、以外は 状況やコンディションにあわせてのきままな旅でこんな事になってしまいました。

カーナビもヨーローッパの国が全部カバーされており もちろん道路もすべてつながったいるので ついつい、「ここまで来たならプラハに行こう!」なんてノリになってしまいました(^_^:)

ホテルもやっぱりちょっと違います。 従業員はニコリともしませんがテキパキと仕事をこなします。 朝食ビュッフェも他のホテルと同じような品揃えですが ウィンナーソーセージが真っ赤で、昔よくお弁当に入っていた日本風のモノだったり 東欧の匂いを感じます(日本風ウインナーが東欧的というわけではありまんが)

思ったとおり、いやそれ以上のプラハはやっぱりスゴイ街です。 いけども、いけどもプラハです!(^_^;) どこも荘厳で美しく、そしてスケールが大きいのです。 ただし…私が思っていたプラハのイメージは 寒くて暗い、石畳が街灯や月光に光る艶かしい光景です。 でも太陽が照りつけ猛暑?のプラハも本当に来てよかったと思いました。

もちろんビールも涙が出るほどマイウー(旨い)です。 アイスクリームはとても贅沢に作られていて、期待以上でびっくりでした。

プラハ観光ハイライト写真集です。 ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨ ⑩

プラハ観光を堪能し、ここから370㌔先の ドイツの首都ベルリンに向かうことにしました。 途中事故渋滞に巻き込まれたのですが、みんながクルマから降りてがやがや しているのが面白く感じました。

ドイツ国境まではヒロコの運転でいきましたが 今日はYUKIはシラフで乗っていったようでやや緊張気味の様子でした。

途中、ドラブインで給油と夕食。 午後11時ベルリンのホテルには昨日同様ギリギリのチェックインになりました。

特別増刊号 ドイツの旅10日間 – 6月20日 第5日目 【ザルツブルグ観光そしてプラハに】ドイツじゃありませんが

今回の旅はインターネットをフル活動させるのが、ひとつのテーマだったのですが なかなか苦戦をしています(^_^;) 昨晩までネットにつながっていた私のパソコンが急につながらなくなったのです。 このコラムの第4日目も送信が出来ず、結局ヒロコのパソコンで送ることが出来ました。 問題はメールで、送信はともく受信のチェックが出来ないのは、ちょっと致命傷と 思ったのですが、何と今、プラハのホテルではつながり、 ほとんどジャンクメールですが 60通ばかりがズラズラと出てきてホッしたところです。

ホテルをチェック・アウトしてまず向ったのは、昨晩買いそびれた 水を買うためのスーパーです。 それに私の下着も数枚買いました。 昔から長期の旅行に行くときは古いボロボロの下着や靴下をもっていって 現地で新しいのを買って、古いのは捨ててくるという方法を取っているのです。

買い物を済ませ、モーツワルト生誕の地【ザルツブルグ観光】に出発です。 ザルツブルグはアルプスの麓でドイツよりは少しは涼しいのではと 思ったのですが大きな間違いでした。 日差しはあくまでも強く、湿度もドイツより高いように感じました。

ザルツブルグはこれまた筆舌につくせないほど素晴らしいところでした。 よって今日も昨日に習って、とりあえず写真ハイライトをお送りします。 ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨ ⑩

昼食はビールを呑んでしまいました(^_^;) この後も数時間は観光の予定で、あまりにも暑く、酔いは覚めるからです。 考えてみたら、マクドナルドにも、ドライブインにもビールが普通に置かれ 水がわりに呑まれている国なのですから… 今日の条件なら許してもらえるでしょう(^_^)

私が昼食でビールを呑んだから…というわけではありませんが、 ヒロコがこの日初めて海外での運転を経験しました。 (免許を取って一ヶ月未満でに日本での運転経験もしれているのですが)

向ったのはプラハです。 今回の旅で行こうかどうか、最後まで迷い昨日、みんなで決めた目的地です。 もちろんドイツではなくチェコの街そのものが文化遺産になったいる 私が一度は行ってみたいと思っていた街です。

ザルツブルグから340㌔ぐらいですが、ドイツのようにアウトバーンが あるわけでなく、クルマなら5時間ぐらいはかかるというのです。

現地に来てみて思ったより交通量の多いアウトバーンを 免許取りたてで 時速最低でも百㌔以上で車線を左右に変更させながら走るのは さすがのヒロコも怖いようです。 でもプラハまでの道のりなら、途中の運転なら丁度よいように思われます。 逆に私ひとりでチンタラ5時間もかけて走るのはちょっと辛いものがあります。

私が少々運転に疲れ、道路状況が適当と思われるところから いよいよヒロコの運転です。 左ハンドルも初めてですが、右ハンドルにも馴れていないわけで 同じようなものです(^_^:) 「こわい!こわい!」と叫びながら、けっこうなスピードでカーブの多い対向2車線を 飛ばすので、こっちの方が怖くなります。 YUKIはボクが飛ばすとよく注意するのに、どうしたことか? ヒロコには結構煽っているのです… でも、よく見たら後部座席でビールを呑んでいるのです(^_^:)

途中の景色も素晴らしく、ヒロコがほとんど運転し、 オーストリアからチェコの国境を超えパスポートにスタンプを 押されたのにはヒロコは感動していました。

途中のドライブインで夕食用のサンドウィッチを買いました。 ホテルのチェックインは11時頃になりそうで、 昨夜同様まともな食事にありつけそうもありません。 […]