2011年12月19日 第413号 『角倉氏を励ます会?』(^_^;)

東京海上の代理店研修時代の仲間、後藤眞里子さんから こんなメールがいきなり来ました。

>角倉 様 >坂本節子さんと。角倉氏励ます会結成致しました。 >12月・12日14日20日22日いずれか時間とれますか?

ただこれだけです(^_^;) 私も最初は何の事か判りませんでしたが、だんだん判ってきました。 後藤さんに電話して確認すると、思った通り私が出した“喪中ハガキ”がきっかけになったようです。 母が亡くなった事と、娘が結婚した事を一緒にして出したもので賛否両論の喪中ハガキです(^_^;)

母親を亡くしひとり娘を嫁がせてしまった私を皆さまから慰め頂けるというありがたい企画ようで ご招待頂けるものと思っていたらワリカンだそうです(^_^;) ま~これをダシにして懐かしい仲間が6名、25年ぶりに集まる事になったのです。

会場は坂本さんの料理が美味しい店が条件という事で… 後藤さんお気に入りの銀座八丁目の日航ホテルの地下にある 黒豚しゃぶしゃぶと有機野菜『羅豚』というお店に決まりました。

実はこの銀座日航ホテルの真裏にある並木通りの角に 私が新卒で就職し、約10年間勤務した銀座フランセの本店があったところで ココで店長として5年ほど勤務していた、とても懐かしい所なのです。 ① ② ③ その頃は高度成長の時代で並木通りには高級クラブや洋菓子店もひしめきあい、

大変な賑わいがありました。 今ではそのようなお店も激減し、高級ブランド店が並ぶ優雅な通りになりましたが 人もまばらで…なんだかメラコンリーな気分になってしまいました(^_^;)

そんな並木通りを散歩して定刻に日航ホテルの地下にある『羅豚』に行きました。 店員に尋ねる間もなく、すでにテーブルについている先客の姿を見つける事が出来ました。

25年前と変わらぬ若さと、テンションを保っている 私より少々年上の後藤さんと坂本さんの二人のお姐さまがたは… 昔よりパワーアップしているようなのです。(^_^;) ① ②

そして代理店研修生を束ねる“直営課”で事務や研修指導もしていた社員の永島さんが 6月でT社を早期退社したという事で特別参加! 永島さんも25年前とほとんど変わっておらず…女は恐ろしい(^_^;) ①

それに引きかえ、少し遅れてやってきた私と同期の高橋君は 銀座に自前のオフィスを持って地道にやっているのに、 なんだか元気がなくやってきて、ため息ばかりついているのです。 どうも糖尿病の気があるらしいのです(^_^;)

二人のお姐さまがたはイケ面のウェーターと話がもりあがり…① 永島さんも「あなたの似顔絵なら1分で書けるわ」と書いた絵にウェーター君も大感激。① ② ついでに我々4人も書いてもらいました(^_^;) ① ② ③ ④

店を出て二次会に、と思っていたのですが… ① ② ③ 後藤さんは「カラオケに行きたい!」との強引?な意思によりカラオケに。 そこに、仕事を終えて遅れてやってきた今は会社員の棚橋君が合流し全員集合!① ② 私が仲人をした棚ちゃんとも、しばらく会っていない内にオデコも広くなって(^_^;)

会も佳境に入ってきた時、セルフサービスのソフトドゥリンクを持ってきてくれた後藤さんが 酔っていたのか足を取られてトレーをひっくり返して永島さんに!(^_^;) ①

ま~こんな調子の会ではありましたが、 ① ② ③ ④ 次回はもう少し落ち着いて…やっぱりドンチャン騒ぎをしたいものです。 今度は『高橋君を励ます会』で(^_^;)

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2008年06月23日231号 セミナー4回!そして今週は!

先週は色々なセミナーに参加した一週間でした。

★★6月16日(月曜日)新宿★★ オーストラリアのパースでFPをしてるRyuponさんのセミナーにYUKIと行きました。 Ryuponさんは私がこのHPを立ち上げる前から、 小野瑛子さんのHPの掲示板で議論をしたりOFF会でお会いしたり懇意にしている人です。 小野さんが元気になられ「こんどRyuponのセミナーがあるから一緒に行こうよ」と誘われていたので YUKIと出かけました。 会場には私とYUKIと小野さんと、もう一人男性がいてスタートしました。 セミナーというよりRyuponさんを挟んで座談会をするようなアット・ホームな 雰囲気です。 途中で年配の男性が入ってきましたが結局その方は一言もしゃんべらずに終わってしまいました。 少ない会場で我われが調子に乗ってしゃべりすぎて不愉快な思いをされているのでは…と 心配しているとRyuponが言いました。 「紹介は遅れました、私の父です」 お父様に撮って頂いた写真です。(^_^;)

★★6月17日(火曜日)中野★★ 【日本の医療を守る市民の会】のセミナーにYUKIと行きました。 ライターの早川幸子さんと、FPの内藤真弓さんが立ち上げた会です。 内藤さんは【医療保険 は入ってはいけない】という本を書きました。 日本には立派な公的医療制度があるのだから医療保険はそれほど必要では無い というような内容でした。 これを読んだ私は”日本の公的医療制度”が未来永劫大丈夫という 保障など無いじゃないか!という感想を持ちました。 でも、このような会を立ち上げたのはエライと思いました。 そして何よりパワーが凄いのです! 会場は溢れんばかりでRyuponさんのセミナーと比べ物になりません(^_^;) 今回のセミナー講師・慶応大学の権丈教授のパワーもナカナカです(^_^;) 二次会もパワー全開です! 私の斜め前に座った好青年はナント内藤さんの3男!男4人兄弟と知ってビックリしました。 内藤さんのパワーは凄いと思いました(^_^;)

★★6月18日(水曜日)丸の内★★ 新橋支社(東京海上)の業務連絡会&懇親会にYUKIと行きました。 業務連絡会はいつものようにツマラナイものでしたが(^_^;) ほんとうに久しぶりの懇親会は、ほんとうに久しぶりに楽しいものでした。 懇親会の最後のシメの挨拶を代理店の長老カワイさんがする事になりました。 カワイさんは後期高齢者ですがとても元気で喧嘩ッパヤイことでも知られる元気な方で、 私も10年ほど前に喧嘩を売られたことがあります(^_^;) 静かにシメの挨拶が始まったのですが、だんだん話しに熱が込められ長くなるケハイです。 その内容は代理店であれば誰でも感じているであろう昨今の保険会社に対する 積もり積もった不満、イヤ保険の仕事を愛するがゆえの諫言です。 カワイさんの性格を知ってる人達は「あーあーついにはじまちゃったヨ」という感じでしたが(^_^;) どうにも終りそうもありません、私もこれは長くなりそうとデジカメのモードを動画に切り替えました。 その画面を切り取ったのがこの写真です、ちょっと重いですがクリックして下さい。 私は動画から静止画像を選び出す作業をしながら私は目頭が熱くなってきました。 カワイさんが言っている事は私も思っている事で、私もブログにも書いてきた事です。 喧嘩ッパヤイ、カワイさんが言葉を選びながら、穏やかに必死で自分の思いを伝えようとしていることが 画像からヒシヒシと伝わってくるのです。 カワイさんがとても可愛がっていた担当社員のKクンが、あまりにも長い挨拶にストップをかけにきました。 Kクンは3年前に新入社員で支社に配属され、この日に大阪転勤が決まったばかりです。 やっと挨拶が終った時、大きな拍手が社員を含め場内から沸き起こりました。 懇親会終了後もカワイさんと乾杯しました(^_^)

★★6月21日(土曜日)横浜みなと未来★★ 【第10回RINGの会・横浜オープンセミナー】に一人で出かけました。 昨年に続き2度目の参加ですが、保険業界の人達が、どこのヒモツキもなく自費で これだけの人達が全国から集まってセミナーを開くのには素晴らしい事です。 […]

2007年04月30日171号 K君の来店

今月の初め…東京海上の私の損保担当のK君が言いました。 (本当は苗字はMなのですが生保担当M君がいましたので名前のKで…) 「是非こんどロコハウスの事務所にお邪魔したいのですが」 K君は以前からそう言っていたのですが断り続けていました。

なぜ、断り続けるかというと、ご来店頂けるような状態で無いからです。

”ご来店”と言っても代理店ロコハウスは自宅のマンションの”一室”を使っているに過ぎないのです。 問題はその”一室”にあるのです。 実はそこはカビだらけの”開かずの部屋”と化していたのです。

十数年前、マンションの購入を決めた一つの要因は、 一階のエレベータ・ホールのスグ横の部屋が事務所として使えそうだったからです。 玄関に入って直ぐ左側が事務所で、プライベートな部分と分ける事もできます。 しかし住んでみて判ったのですが、この角部屋だけがとんでもなく”結露”がヒドイのです。 それでも窓を開けたり除湿機を入れたり、色々やってきたのですが、効果がなく… 最近では、その部屋は放置され、壁紙も古い書類も本も…何もかもカビだらけの 恐ろしい状態だったのです(^_^;)

では日常業務はどこでやっていたか?というとリビング・ルームです。 ここは日当たりがよく、冬も暖房はいらず、夏も数日しか冷房を使わず、とても快適なのです。 ここの大きなテーブルをはさんでYUKIと私は… そこで仕事をし、そこで食事をし、そこでケンカをし、そこでインターネットをし、 いつも向かい合って、ヒロコには呆れられながらも暮らしています(^_^;)

でも事務所を使わずリビング・ルームで仕事をしていると… リビング・ルームが事務所化し、そのことでコレがまたYUKIとのケンカになったりもします。

このような状況の中でK君に、「是非どうぞ!」なんて言えるわけがありません。 最初は表敬訪問のようなものと思って断り続けていたのですが… どうやら4月中に全代理店が訪問を受けなくてはならないようなのです。 しかたがないので「4月27日午後5時」と最も遅い日時を指定しました。

事務所をきれいにする良いチャンスと気持ちは切り替えているつもりでも… なかなか手をつける勇気もわかず日にちだけが経過し、 イヨイヨ来店の数日前になって、重い腰をあげる事になりました。

この日から丸2日間、私は筆舌に尽くしがたい(^_^;)大掃除をし、 どうにかこうにか復旧することは出来ました。 カビキラーの匂いが身体に沁みつき、 たくさん、たくさんカビを吸って肺気腫になるのではないかとYUKIに言ったら… 「楽しみにまっています」と言うのです。

当日!! 支社で『超保険』の”適正な募集”についてセミナーがあったので それが終わったらK君を私のクルマに乗せて我が家に、ではなかった ロコハウスに来てもらう事にしたのです。

私はハンドルを握りながら、うっ積している思いをK君に爆発させていました(^_^;)

K君が全代理店を訪問するというのもTN社の保険金不払い等の不祥事で 第三分野商品の3ヶ月間の業務停止のおり、代理店を”チエック”しよういう狙いのようです。 この日あった超保険のセミナーも、 私がブログでも問題視している【意向確認書】の事で、どうにも納得がいくものではありませんでした。 「意向確認書は何のため誰のためにやるのか?」…K君はボソボソともっともらしい回答をします。 「じゃー意向確認書は契約者にとって何かメリットがあるのか?」…K君は黙ったままです。 「マッタク!」… こんな会話をしているとアッというまに到着です(K君にはとても長い時間だったかもしれませんが)

早速、ロコハウスの新装?なった事務所にご案内し 第三分野の業務停止中のポスターが貼ってあるところを確認してもらいました。

またTN社送付の同様の小さなシールが保険料領収書の表紙に貼ってあるか… のチエックもありました。 YUKIは何処に貼るのかも判らず、リビングの電話の上の壁に貼っていました(^_^;)

でも、こんなモノを領収書の表紙に貼って何の意味があるのでしょう。 こんな事を各代理店を回ってチエックして何の意味があるのでしょう。 K君にたずねたのですがこれもまた明解な答えは返ってきませんでした。

[…]

2006年09月18日139号  私の所属支社

15日(金曜日) 東京海上日動火災保険の新橋支社の超保険の勉強会に参加しました。

なんだか、とても硬そうな書き出しになりましたが… 必然的に、このような硬くて長い表現になってしまうのです。

以前は”東京海上の支社”ですんだのが… 日動火災と合併して 損害保険は東京海上日動火災保険株式会社 生命保険は東京海上日動あんしん生命株式会社になり…

以前までは 損保も生保も同じ支社で、一人の担当社員が担当していたのですが 現在は 損保は東京海上日動火災保険の新橋支社の担当者が 生保は東京海上日動あんしん生命の東京中央・生保支社の担当者が それぞれにいるのです。

私が20年前、初めて、この仕事をスタートした時の所属支社は 東京海上の三田支社でした。 支社の社員は支社長を含めて5名 代理店も社員も同じフロアで打ち合わせをしたり 食事をしたり、とても家族的で風通しの良い支社でした。

三田支社のテリトリーである港区は外資企業や外国人も多く住んでいるので ”英語で保険を売り込もう”なんて無謀なことを考えて その名もMetropolitan Alien Project (メトロポリタン・エイリアン・プロジェクト) 略してMAP! というプロジェクトを社員全員と代理店の有志が集まって立ち上げた事が思いだされます。

しかし…そのプロジェクトは半年も続かず頓挫しました。 日本語でも難しい保険の話を、日本人以上に細かくてうるさい”外人”に 付け焼刃で生半可以下?の英語力で売れるわけがないからです(^_^;) でも社員と代理店が一丸となって勉強し、途中から飲み会になったり、とても楽しい思い出です。

その三田支社も 7年ほど前に、港区にあるも三つの支社(赤坂・新橋・三田)が統合されて 大型支社としての新橋支社が誕生しました。 その新橋支社は今では丸の内にあります。 なんで丸の内に新橋支社なのかはわかりませんが… 同じフロアに銀座支社や日本橋支社や大手町支社もあるのです。 そして、私のもう一つの所属支社、東京中央・生保支社も同じフロアにあるのです。

大きなフロアがいくつものブースに間仕切りされ、担当社員を呼び出す時は 狭い代理店用デスクに置かれた社内電話で呼び出すというシステムです。 細かい日常的な仕事は代理店のオン・ラインで処理をして 業務上で不明な事は、代理店用にいくつも用意されたヘルプ・デスクを利用するようになっています。

20年前と比べたら、扱う保険商品も格段に増え… その内容も複雑になり、保険会社も効率性を追求していかなければならない、という事のようです。

でも、ひさびさに支社での勉強会があるというのです。 それも、扱うようになって4年が経つのに、まだまだ奥が深く ヘルプ・デスクに聞いても、ただの一度として、まともな回答がすぐには返って来ない いつもYUKIと文句を言い合い、ケンカをしながら、悪戦苦闘している【超保険】の勉強会だというのです。

でも、ほんとうにひさびさの勉強会は、聞きたいことや、言いたい事が山ほどあったのですが… ほとんどが社員の一方的な説明に時間がツイヤされ、終わってしまいました。 その後に、本店新館のカフェテリアで、新任の支社長や社員との懇親も含めての打ち上げ会、 クルマで来たため、私は飲めなかったのですが、その分はYUKIが飲んでくれました(^_^;) いつも電話でしか話さない今年入社の女性社員Bさんや 新婚でほんとうは名前が変わっているのに旧姓のままで仕事をしているMさんの ロコハウス担当の二人の女性社員。 そして生保のM君は金沢に転勤になりましたが […]

2004年9月20日035号 エンジンが焼き切れた!

私の愛車はガーガーパタパタと情けないエンジン音たてながらヨタヨタと走ります。 道行く人達が不審な視線を私のクルマに向けています。 我が家まで、あと数キロの地点で、エンジンは力尽きて停止 その惰性で路肩にクルマをのせるのがやっとで、そこからもうビクともしません。

私はYUKIにケータイでJAFのロードサービスの電話番号を聞きます… 「JAFの会費なんてもうずっと払ってません!東京海上のロードサービスがあるんじゃないですか…」 仕事ではお客様にそんな話をしておきながら、 いざとなった時に「そういえば、そんなものがあったな」と思う自分に情けなさが倍増します。 そんな私を嘲笑うかのように雨が激しく降ってきました。 びしょ濡れになりながら住所を確認してロードサービスを待ちます。

私の愛車はトラックに牽引されディーラーに運ばれました。 夜の9時でしたがディーラーのスタッフ数名がクルマが運ばれて来るのを待っていました。 ツナギを着たメカニックがボンネットを開け顔をしかめて云いました「こりゃダメだな…」 もっと調べなくてはならないから、帰れというのです。 このディーラーは駅からかなり離れているのです。 しかもクルマには重いカバンやパソコンを積んでいます。 そも、そも、このような事態に陥ったのはディーラーに責任がある思っていたのですが それまでおとなしくしていました。 しかし一言の侘びもなく、人里離れたディーラーからクルマで送る気配もなく、ただ帰れという態度に 私は「ここから、荷物を持って客に歩いて帰れと云うのか!」と少し言葉を荒げました。 それに敏感に反応した、営業マン風の人の良さそうな青年が私がお送りしますと結局 我が家まで送ってくれたのです。

車内でその青年に説教です。 そもそも今回の故障の原因です。 高速道路でスピードを上げると計器盤にエンジンオイルが不足した時のランプが点くのです。 オイルを実際に見ても不足していません、低速ななるとランプが消えます。 そんな状態なので、定期点検の際、そこをよく診てくれるように依頼したのですが、 特別異常は無いという事でした。 しかし、その数週間後、大阪に日帰りで行く事があり東名高速にのった時からランプが付くのです。 少し気になったのでディーラーに電話したら、長期のお盆休みが始まったばかりで通じません、 留守番電話が緊急の場合の”0120”を案内するのですが、なんとケータイからは繋がりません。 こうなったら気にしても始まりません、13時には大阪のお客様宅まで行かなければなりません。 行きも、帰りもオイル・ランプが点きぱなしの高速走行で帰ってきました。 それからエンジンからは時々不気味な音を発するのですが、それほど高速走行するわけでもなく、 数週間走っていたら、このような事態になったというわけです。

クルマを運転する青年に、そのような話をし… また私は、このクルマが、そのディラーから買った4台目のクルマで十数年の付き合いが あるのに、この対応はナンダ!…といった不満をぶつけている内に我が家に到着です。

翌日、電話をかけるといったいたディーラーから何時までたっても連絡がないので 痺れを切らして、こちらから電話です。 電話に出た技術者らしき男は、エンジンが完全に焼き切れておりダメだと云うのです。 私はダメなのはわかったから、どうすると言うのだ?と聞きかえします。 修理はエンジンの積み替えを含めて○○万円かかると言うのです。 私は○○万円かかるのは、わかったが、それをどうすると言うのだ?と聞き返します。 技術者らしき男は黙っています。 「あなたじゃ話にならない責任者を出せ!」と私が言うと店長と名乗る男が出てきました。 「昨日ご自宅まで遅らせていただいた店長のNです。」

結局、エンジンは新品を提供して工賃だけは負担して欲しいという、店長の提案を呑む事になり その間、代車として店長が提供したのは… 試乗用に使っている最新の大型のRV社でカーナビからテレビまでついた高級車! 音響効果もバツグンでもうヒロコは代車のトリコになり… 管理費を滞納しているマンションの住人からは(新車を買ったのではと)冷たい視線を受け… こんな時に限ってガソリン代が高騰して大型車とはと!YUKIから文句をいわれ… そんな23日間の代車期間も終わり、明日新しいエンジンを積んだ愛車が戻ってきます。

4年で13万キロ走ったエンジンが新しくなり […]

2004年3月29日010号 あんしん生命スタート

このままでは本業までだめになる…というアセリもありました。 でも新聞配達を止めたら確実に、その分の収入は減ります、 その分が保険で稼げるなら新聞配達は初めからやりません。 そのジレンマの中での2年間の新聞配達だったのです。 そんな矢先の東京海上の意見広告です。 『あなたの保険は、あなたの人生にあっていますか」?』 『ヒトが10人いれば10通りの保険があっていい。』……今でも鮮明に覚えています。

実は私は代理店を始めたときから生命保険は扱っており、生命保険大学の生命保険士 なんていう、わけの分らない資格まで取ってはいたのです。 なぜ生保もやっていたかというと、独立したのがバブルの頃で 「東京海上には一時払養老保険はないの?」と聞かれることがよくあるもので そんなビジネスチャンスを逃がしては、とF生命の保険を扱うようにしていたのです。

私は大変勉強好きで…(小学校から大学まで、まったく勉強しなかった反動で) F生命の商品は徹底的に勉強しました。 そしてお客様から保険証券を預かり、それを分析しお客様に分りやすく説明をするサービス もしていたのですが、その保険に問題があっても、それに変る良い保険がなく共済を紹介 する程度のほとんど趣味の世界でした。 そして生命保険が分れば分るほど、顧客ニーズからかけ離れた、ワンパターン定型の 生保商品や販売方法・体質にはウンザリしていたのです。

新聞広告には、こう締めくくられていました。 「東京海上と代理店は、あなたの人生のパートナーとして、あらゆるリスクに備えた ライフ・プランを、ともに考えていきたいのです。」 もう!この言葉には武者震いがするほどの感動です!

さて、その意気込みで新聞配達も止めたのですから、生命保険を猛烈に売りまくったか? いやいや、なかなか…そうは行かないのが私のいいとこ、じゃなかったダメなところ でありまして、しばらくは身内からの借金で食いつなぐトホホ生活です。 なんせ、勉強好きで…またまた徹底的な商品研究が今回からはパソコン駆使で パワーアップ…堂々!?半年が費やされるのです。 そして「コレは本物だ!素晴らしい!絶対に売れるぞ!」 と私は立ち上がったのです!(これで何度目でしょうか…)

で、それから生命保険を猛烈に売りまくったか? いやいや、なんてたって私のことですボチボチです。 でもボチボチがボチボチ続くようになり、ボチボチと収入になりだしていったのです。