2006年09月18日139号  私の所属支社

15日(金曜日)
東京海上日動火災保険の新橋支社の超保険の勉強会に参加しました。

なんだか、とても硬そうな書き出しになりましたが…
必然的に、このような硬くて長い表現になってしまうのです。

以前は”東京海上の支社”ですんだのが…
日動火災と合併して
損害保険は東京海上日動火災保険株式会社
生命保険は東京海上日動あんしん生命株式会社になり…

以前までは
損保も生保も同じ支社で、一人の担当社員が担当していたのですが
現在は
損保は東京海上日動火災保険の新橋支社の担当者が
生保は東京海上日動あんしん生命の東京中央・生保支社の担当者が
それぞれにいるのです。

私が20年前、初めて、この仕事をスタートした時の所属支社は
東京海上の三田支社でした。
支社の社員は支社長を含めて5名
代理店も社員も同じフロアで打ち合わせをしたり
食事をしたり、とても家族的で風通しの良い支社でした。

三田支社のテリトリーである港区は外資企業や外国人も多く住んでいるので
”英語で保険を売り込もう”なんて無謀なことを考えて
その名もMetropolitan Alien Project (メトロポリタン・エイリアン・プロジェクト) 略してMAP!
というプロジェクトを社員全員と代理店の有志が集まって立ち上げた事が思いだされます。

しかし…そのプロジェクトは半年も続かず頓挫しました。
日本語でも難しい保険の話を、日本人以上に細かくてうるさい”外人”に
付け焼刃で生半可以下?の英語力で売れるわけがないからです(^_^;)
でも社員と代理店が一丸となって勉強し、途中から飲み会になったり、とても楽しい思い出です。

その三田支社も
7年ほど前に、港区にあるも三つの支社(赤坂・新橋・三田)が統合されて
大型支社としての新橋支社が誕生しました。
その新橋支社は今では丸の内にあります。
なんで丸の内に新橋支社なのかはわかりませんが…
同じフロアに銀座支社や日本橋支社や大手町支社もあるのです。
そして、私のもう一つの所属支社、東京中央・生保支社も同じフロアにあるのです。

大きなフロアがいくつものブースに間仕切りされ、担当社員を呼び出す時は
狭い代理店用デスクに置かれた社内電話で呼び出すというシステムです。
細かい日常的な仕事は代理店のオン・ラインで処理をして
業務上で不明な事は、代理店用にいくつも用意されたヘルプ・デスクを利用するようになっています。

20年前と比べたら、扱う保険商品も格段に増え…
その内容も複雑になり、保険会社も効率性を追求していかなければならない、という事のようです。

でも、ひさびさに支社での勉強会があるというのです。
それも、扱うようになって4年が経つのに、まだまだ奥が深く
ヘルプ・デスクに聞いても、ただの一度として、まともな回答がすぐには返って来ない
いつもYUKIと文句を言い合い、ケンカをしながら、悪戦苦闘している【超保険】の勉強会だというのです。

でも、ほんとうにひさびさの勉強会は、聞きたいことや、言いたい事が山ほどあったのですが…
ほとんどが社員の一方的な説明に時間がツイヤされ、終わってしまいました。
その後に、本店新館のカフェテリアで、新任の支社長や社員との懇親も含めての打ち上げ会、
クルマで来たため、私は飲めなかったのですが、その分はYUKIが飲んでくれました(^_^;)
いつも電話でしか話さない今年入社の女性社員Bさんや
新婚でほんとうは名前が変わっているのに旧姓のままで仕事をしているMさんの
ロコハウス担当の二人の女性社員
そして生保のM君は金沢に転勤になりましたが
まだ健在?でいつも文句ばかり言って困らせている損保のM君とも、ひさびさに歓談することができました。

なんだ、かんだと言っても、大切なことは人とのつながりです。

保険営業においても、代理店と保険会社の関係においても…
だんだん、そのことが、おろそかになっていくような気がするのですが
東京海上イヤ東京海上日動は長い歴史の中で信用を築きあげてきた保険会社です。
その信用は、ひとつひとつの多くの代理店が、ひとりひとりの契約者との信頼関係の積み重ねて
きたものではないでしょうか?

外資や新参の保険会社は、そのような地盤がないから通販や保険料の安さを売り物に
するしかないともいえます。
それをマネして同じような商品で対向し、効率性を追求することはないと
私は思っています。
私が思っても、どうしようもありませんが(^_^;)
なんだかホッとした一日でありました。

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