2004年10月4日037号 イチロー

私のデスクのガラス板の下に、10年前(1994)のオリックス・ブルーウエーブの開幕前の全選手の
集合写真が置かれています。
その一番後方の左から3番目に入団から3年目の鈴木一朗選手が小さく写っています。

それから、たった10年! 大リーグのスーパースターになるとは誰が想像したでしょう…
実は、その片鱗を私は早くから見つめていたのです、エッヘン!

ドラフト4位で入団した1年目からウエスタンリーグ(二軍)での連続安打記録を作り、ジュニアオールスターで
最高殊勲選手に選ばれ、その賞金はそっくり施設に寄付しちゃうという、非凡さに…
このチームをずっと応援してきた私は大いに注目したのです。
しかし2年目には、まったく彼を目にしなくなり私の不満が絶頂に達した年でした。
その時の監督、土井正三氏に認めてもらえなかったようです。

私はもの心ついたころからの阪急ブレーブス・ファンだった事は【22号 】で述べました。
その阪急がオリックスに買収され、2年間はオリックス・ブレーブスだったのですが
元巨人軍の土井氏を監督を迎えるを機に、球団名も今のブルーウエーブに変更して
阪急ブレーブスの名は一掃されたのです。
阪急と巨人はまったく対照的なチームで阪急ファンの多くがアンチ巨人であり
その巨人管理野球を代表する土井氏の起用は、阪急ファンの気持ち逆なでし
多くにファンが去っていたのです。

しかし入団3年目に個性的な仰木彬氏が監督に就任し
登録名もイチローと命名され、その年にいきなり210安打(130試合)の日本記録で
”ごぞんじイチロー!”の大活躍が始まるのです。

そして阪急ファンとして消えかかった炎がイチローのおかげで再燃し、家族で球場に
足を運び、熱く応援してきたのですが…。
2002年大リーグへ!

この時、イチロー移籍金として大リーグから14億円の金額を受け取ったオリックスと
野茂を大リーグに放出した近鉄が、プロ野球は儲からないからとファン無視の合併をしました。

日本のプロ野球に愛想をつかした私ですが、選手やファンが燃えて、新しい動きが
出てきた事には、「まだまだすてたもんじゃない…」と云う気持ちも出てきました。
しかし合併チームを応援する事は、もうありません。

アメリカの大地で、前人未到の大記録に常に挑み続ける剣豪”イチロー”はまだ30歳(22日で31歳ですが)
もう目をはなせません。

2004年9月27日036号 銘菓 芋窪街道

昔ケーキ屋KENちゃんだった私は、今でもたくさんのケーキ屋さんを知っています。
東大和市(東京都)にある【茶屋エポック】もその一つです。
そのお店の代表的商品【銘菓・芋窪街道】は、実は私が企画・命名した商品なのです。

98年に店主の榎本氏がそれまで経営していた所沢(埼玉)のお店から現在の
住居を併用した店舗を新築し、その時の出店プロジェクトを担当したのが私だったのです。
な~んて書くとチョット大げさですが、私の趣味(YUKIに言わせると)とお客様(保険の)サービス
を兼ねてボランティアでお手伝いをしたのです。

本来なら、出店前に戦略をたてて、その戦略にあった立地条件を探すのですが…
予算の問題や、併用住宅で二人のお嬢さんの学校問題や奥様の意向や、いろいろあり
場所と予算が決まったら、そこからクチを出すことにしました。

決定した建設予定地に、私は一人クルマで見に行きました。
開通したばかりの多摩モノレールの始発駅【上北台駅】から徒歩5分で少し住宅街に
入った並木道にあります。
駅前といっても、出来たばかりのモノレールと空き地と広い空しか目に入りません。
それに、もう一つ私の目に焼きついたものがありました。
それはモノレールの線路が走る広い通りに付けられた道路標示の【芋窪街道】です。
その瞬間、アイデアが閃いた私は直ぐに、榎本氏に電話を入れました。

「スイートポテトを主力商品にしよう!
商品名は『銘菓・芋窪街道』出来れば地元のさつま芋が使えるか調べて欲しい、
それにもう一つマドレーヌを形やパッケージを工夫して『モノレーヌ』って云うのもどう思う?」
私は興奮気味に熱く話すのですが、榎本氏の反応は冷淡なものです…
「あのねー、あのへんじゃ芋窪って地名みんな嫌がっていてるみたいで、それを商品名にはねー。
モノレーヌって駄洒落ですよね、ちょっと今、忙しくて手が話せないもんで。」
電話はそっけなく切られてしまいました。
しかし、私の頭には『銘菓・芋窪街道』と『モノレーヌ』のイメージがどんどん湧いてきて
そのパッケージやロゴはもとより、新店舗のコンセプト、ブタのロゴマーク、開店チラシ、商品のしおりまで、
寝食を忘れ…いや食事は忘れないで仕事を忘れ…YUKIの冷たい視線を浴び…
イッキに書き上げてしまったのです。

開店してから6年…
今では榎本氏は地元ではちょっとした有名人。
商店会から役所まで幅広く顔を出して町おこしに積極的です。
榎本氏も私のダジャレ・センス?を引き継ぎ、地元の狭山茶を使ったパイ菓子を開発
その商品名を上北台駅から『神来たパイ』としたのですが、イマイチ伸び悩んでいます(笑)
それでも『銘菓・芋窪街道』はタウン誌はもとよりマスコミの取材も多く、定番商品として定着
したようです。

【茶屋エポック】のホームページを作ってあげる事になっているのですが…
やり始めると何でもとことんハマってしまう私にYUKIの目がまた光っています。
今は形が見えない保険という商品を売っている私にとって、洋菓子は形そのものであり
顧客の反応も素早い商品で実に楽しく、私のストレス解消にもなるのです。
しかしYUKIは私にストレスなんてあるわけはないと断言するのです。

2004年9月20日035号 エンジンが焼き切れた!

私の愛車はガーガーパタパタと情けないエンジン音たてながらヨタヨタと走ります。
道行く人達が不審な視線を私のクルマに向けています。
我が家まで、あと数キロの地点で、エンジンは力尽きて停止
その惰性で路肩にクルマをのせるのがやっとで、そこからもうビクともしません。

私はYUKIにケータイでJAFのロードサービスの電話番号を聞きます…
「JAFの会費なんてもうずっと払ってません!東京海上のロードサービスがあるんじゃないですか…」
仕事ではお客様にそんな話をしておきながら、
いざとなった時に「そういえば、そんなものがあったな」と思う自分に情けなさが倍増します。
そんな私を嘲笑うかのように雨が激しく降ってきました。
びしょ濡れになりながら住所を確認してロードサービスを待ちます。

私の愛車はトラックに牽引されディーラーに運ばれました。
夜の9時でしたがディーラーのスタッフ数名がクルマが運ばれて来るのを待っていました。
ツナギを着たメカニックがボンネットを開け顔をしかめて云いました「こりゃダメだな…」
もっと調べなくてはならないから、帰れというのです。
このディーラーは駅からかなり離れているのです。
しかもクルマには重いカバンやパソコンを積んでいます。
そも、そも、このような事態に陥ったのはディーラーに責任がある思っていたのですが
それまでおとなしくしていました。
しかし一言の侘びもなく、人里離れたディーラーからクルマで送る気配もなく、ただ帰れという態度に
私は「ここから、荷物を持って客に歩いて帰れと云うのか!」と少し言葉を荒げました。
それに敏感に反応した、営業マン風の人の良さそうな青年が私がお送りしますと結局
我が家まで送ってくれたのです。

車内でその青年に説教です。
そもそも今回の故障の原因です。
高速道路でスピードを上げると計器盤にエンジンオイルが不足した時のランプが点くのです。
オイルを実際に見ても不足していません、低速ななるとランプが消えます。
そんな状態なので、定期点検の際、そこをよく診てくれるように依頼したのですが、
特別異常は無いという事でした。
しかし、その数週間後、大阪に日帰りで行く事があり東名高速にのった時からランプが付くのです。
少し気になったのでディーラーに電話したら、長期のお盆休みが始まったばかりで通じません、
留守番電話が緊急の場合の”0120”を案内するのですが、なんとケータイからは繋がりません。
こうなったら気にしても始まりません、13時には大阪のお客様宅まで行かなければなりません。
行きも、帰りもオイル・ランプが点きぱなしの高速走行で帰ってきました。
それからエンジンからは時々不気味な音を発するのですが、それほど高速走行するわけでもなく、
数週間走っていたら、このような事態になったというわけです。

クルマを運転する青年に、そのような話をし…
また私は、このクルマが、そのディラーから買った4台目のクルマで十数年の付き合いが
あるのに、この対応はナンダ!…といった不満をぶつけている内に我が家に到着です。

翌日、電話をかけるといったいたディーラーから何時までたっても連絡がないので
痺れを切らして、こちらから電話です。
電話に出た技術者らしき男は、エンジンが完全に焼き切れておりダメだと云うのです。
私はダメなのはわかったから、どうすると言うのだ?と聞きかえします。
修理はエンジンの積み替えを含めて○○万円かかると言うのです。
私は○○万円かかるのは、わかったが、それをどうすると言うのだ?と聞き返します。
技術者らしき男は黙っています。
「あなたじゃ話にならない責任者を出せ!」と私が言うと店長と名乗る男が出てきました。
「昨日ご自宅まで遅らせていただいた店長のNです。」

結局、エンジンは新品を提供して工賃だけは負担して欲しいという、店長の提案を呑む事になり
その間、代車として店長が提供したのは…
試乗用に使っている最新の大型のRV社でカーナビからテレビまでついた高級車!
音響効果もバツグンでもうヒロコは代車のトリコになり…
管理費を滞納しているマンションの住人からは(新車を買ったのではと)冷たい視線を受け…
こんな時に限ってガソリン代が高騰して大型車とはと!YUKIから文句をいわれ…
そんな23日間の代車期間も終わり、明日新しいエンジンを積んだ愛車が戻ってきます。

4年で13万キロ走ったエンジンが新しくなり
YUKIはまだまだこのクルマで走り続けるぞ!と喜んでいます。

2004年9月13日034号 マリンポート・コーチヤ

土曜日、浦賀(横須賀市)のマリンポート・コーチヤにYUKIと一緒に行きました。
週末はボートと釣りが趣味のご主人と共に、海で過ごされるのがライフ・スタイルという
Yさんご夫妻の生命保険のご契約です。

今回もネットで4月始めからメル友感覚で楽しくやりとりをさせて頂いたお客様ですが、
例によって直接お逢いするのは初めてです。
メールのやり取りを何回かする事で、その方のイメージが出来上がり、大抵はハズレないのですが…
今回はハズレれました。
最後の最後まで、生命保険の細かい所まで確認されたYさんには繊細なイメージがあったのですが、
現れたYさんは真っ黒に日焼けしたショートパンツ姿(場所柄あたりまえなのですが…)
とても豪快でダイナミックで気さくな方だったのです。
そして、そして…そのご主人はと言うと、その何倍も豪快でダイナミックで精悍!
一度逢ったらもう二度と忘れられないほどのキャラクター、
海が好きで、「全財産を投げ売っている」と言うほど海の男なのです。

こちらも通信関係のサラリーマンと言うイメージからほど遠く、この裏切り?にも嬉しくなってきます。
メールでも、契約手続きは素早く済ませ、後はご夫妻所有のボートで「楽しくやりましょう」という
事になっているからです。

ボートには釣ったばかりのカツオが大きなアイスボックスに数匹入っています。
36フィートの自家用ボートは漁業探知機・GPS等の機器から内装にいたるまで
ご主人自身が手をかけたもので、その情熱が伝わってきます。

同じマリナーで仲間のOさんがカツオをカルパッチョにしてやってきました。
板前顔負けの包丁さばきです。
挨拶もソコソコに乾杯です!狭いボートのキッチンからYさんの手料理が素早く次々に出てきます。
Yさんは実はユキコさんなのですが、ウチのYUKIと違って料理のセンスと才能はバツグンです。
しばらくすると、Kさんがビールを持ってやってきました。
陽はすっかり落ちて海の向こうには千葉の灯りがキラキラと見えます。
大型の貨物船がまるで夜行列車のように灯りを連ねて遠くを通過します。
刺身類は苦手で、特にカツオがダメというYUKIがパクパク食べています。
話も大いに弾み、お酒も美味しいのですが、クルマの私は押さえなくてはなりません。
その分は例によってYUKIが飲んでくれています(トホホ)

あちこちのボートで、楽しく夜を過ごしているようです、
お酒が足りなくなると携帯でやり取りをして、実に楽しいコミニティが出来上がっているのです。
時間を忘れ、仕事を忘れ(…そういえば、この日は保険の話はほとんどしませんでした)
獲れたてのカツオを一匹お土産にもらい…
こんな幸せな仕事をしてバチが当たらなければと、またまた思ってしまった一日でありました。

2004年9月6日033号 マキ(姪)の結婚式

今日(9月5日)は姪っ子マキの結婚式・披露宴から帰って来たばかりです。
YUKIもヒロコも着慣れない着物を一日中着ていたので、帰るやいなやパジャマに着替え
一風呂浴びて、心地よい疲労感と今日の感動を、振りかえっているところです。

マキは私の妹の次女で24歳。
今年の春に福島県立医大に入学したばかりの大学1年生です。
帰国子女のマキは高校生の時に突然ブラジルにポルトガル語はまったくしゃべれなまま留学して
”すっかりブラジル人になって”帰国しました。
緒形貞子の国連難民弁務官にあこがれ入学した中央法科を3年で突如中退。
自分が本当になりたかったのは”国境なき医師団”だと悟ったと言うのです。
その為には、まず医者にならなければなりません、医大はお金も掛かるので公立が条件です。
なりたいからと言って、なれるものではないのに、その一歩を踏み出したのですから本気です。

そんなマキの結婚相手は外科医師で関東労災病院で修行中のコウジ君です。
シュバイツァー博士と阪神の掛布をこよなく尊敬し…
昨年、私の母が突然目が見えなくなった時には献身的な働きをしてくれ
ホームレスの患者が心配になったら自転車にのって近くの公園を探しまわる…
純粋な少年のような心をもった好青年です。
実家は大阪で開業医ですが、お母さんは全国放送のテレビ番組の街頭取材に偶然2回も続けて
取材されてしまったという…コテコテの大阪人キャラクターを持つ気さくな方、
弟さんは、ゾウリ虫の研究をしているという、これもユニークな学者さん。
その弟さんとヒロコが披露宴の司会者だったのです。

司会のヒロコが新郎新婦の入場にさいしアナウンスします。
「二人が大好きな映画音楽にのって新郎新婦の入場です、盛大な拍手でお出迎え下さい!」
厳かな二人の入場に流れてくる曲は、【男はつらいよ・フーテンの寅さん】…
会場はドッとどよめき、一気になごんだ雰囲気に。
明治記念館で120名の披露宴、それなりに風格をもって行われているのですが、
新郎新婦のユニークな生き方が反映して、とても国際的でアカデミックで豪快で…
まだまだ、この国も捨てたもんじゃないな…という気持ちになりました。

「もしコケたら何時でも交代してやるから…」と私が言って、マキの家族からヒンシュクをかった
ヒロコの司会も好評だったようで、私もヒロコも一あんしん。
あまりにも楽しい一日で、私が撮影したビデオ(1時間テープ)が5本。
編集するのが、大変ですが楽しみでもあります。

2004年8月30日032号 北海道にて 続き

さて、北海道の続きです。
いよいよ23日は、今回の旅の目的である余市にお住まいのHさん宅の訪問です。
余市は小樽からクルマで30分、少し早めに到着して、ニッカのウィスキー工場に…。
私には余市と聞いた瞬間にニッカが浮かぶほど、昔見たテレビCMの印象があるのです。
そこは思った以上に美しく、荘厳で、気品に溢れ、
工場を見てこころが打たれるという、初めての経験をいたしました。

午後1時、Hさん宅に訪問、ご夫妻で暖かく向かえて頂きました。
ネットで生命保険の相談をうけ、充分納得して頂くまで何度もメールを重ねるうちに
親しみが湧き、お逢い出来るのがとても楽しみになるのです。
二人のお嬢様の姿が見えないので伺ったら、もう幼稚園も小学校も始まってるという事。
そんな事にも北海道を実感してしまいます。

Hさんご夫妻は大学の音楽クラブで知り合い結婚、
ご主人は札幌の方で、東京での4年間の学生生活で北海道の良さを認識され、
東京出身の奥様も、すっかり北海道が気にいられているようです。

帰りに余市の駅前にある、創業70年の海鮮食品スーパーの2階で食べた
新鮮な貝が何種類も入った磯丼913円!ほっけ定食なんと378円!…
旨いの!安いの!もう涙が出てきます。
私もYUKIも、余市がとても気に入ってしまいました。

帰りに東京(経堂)から札幌に越されたお客様のFさんを尋ねたら
ご本人もちょうど帰宅されたばかりで、いろいろ話がはずみ
趣味の畑で獲れたという、トウモロコシ・トマト・ブラックベリー・枝豆・プラムがテーブルに!
どうしてこんなに旨いのかと、先ほどの海の幸に続いて、今度は山の幸で感激!
あげくのはてに、自家製じゃがいもがたっぷり入ったカレーライスまで頂き、
もう私の胃袋は、普段との落差でショック死するのではないかと思うほどでありました。

23日夜遅くチェックインした滝川のホテルを朝早くチェックアウトして…
レンタカーで一路、富良野へ。
ココで絶対に今回の北海道では行くまいと、こころに決めていたマクドナルドに!
YUKIは嬉そうにコーヒーをお替り、昨日と打ってかわって何時もの食生活の始まりです。

ラベンダーの盛りは少し過ぎたものの、美しい花畑がどこまでも続き、
青い空はどこまでも青く、緑の丘陵はパノラマのように広がり、
澄みきった空気はエアコンの何十倍の心地よさで肌に感じるのです。

支笏湖・積丹半島・小樽・余市・札幌・滝川・富良野・夕張と北海道を堪能
「北海道はのんびりしていいね…」なんていいながら
2泊3日でレンタカー走行800KM!
使った高速料金は初日にカーナビで誘導されてしまった千歳~小樽間の2050円のみ!
ハードでバトルでハッピーなYUKIとの北海道の旅は終ったのです。

2004年8月23日031号 北海道(小樽)にて

今(22日午後11時)小樽のビジネスホテルで書いています。
なぜ小樽にいるのか?…と云うと
明日23日に小樽の隣町余市にお住まいの、お客様宅にお伺いするからです。
仙台の時と同様、当然?YUKIも一緒です。

でも、今回はなんせ北海道!クルマでというわけにも行かず、それなりに費用がかかります。
それに”夏の北海道”です、いくらYUKIのケチケチ作戦でも限界があります。
したがって今回は二人の夏期休暇を兼ねて「少しは楽しもうよ!」という事になり
【2泊3日北海道の旅】で、今日がその第1日目と言うわけです。

でも、なんてったってYUKIです! スケージュールだって生やさしいものではありません!
今朝は4時起きです、羽田発JALの始発便に乗るためです。
ちなみに24日の帰りは最終便です、ようするに
どうせ2泊3日の旅行をするなら、目一杯北海道に滞在しようという魂胆です。
その為に羽田で私のクルマを預けて、千歳空港でレンタカーを3日間借りて
私は運転し続けなければならないのです。

温度16度・天気快晴…空気はあくまでも澄み切っています。
レンタカーにカーナビは今や常識のようですが、私は初体験です。
まずは行く先を支笏湖にセットして快調なドライブを満喫しました。
まーそれまでは、良かったのですが
支笏湖から、今度は積丹(しゃこたん)半島を回る計画をしていて
私がカーナビのセットを余市にした事から”何時もの悲劇”が始まったのです。

今回のドライブは地図を持たずに、カーナビまかせにしたのがまずかったのです。
私は支笏湖から積丹半島の入り口である余市まで、複雑な道をどう誘導してくれるか
楽しみにしていたのに、カーナビは今来た道をそっくり千歳に戻ったあげく
YUKIが嫌いな有料道路に誘導して行ったのです。

高速道路に乗ってからYUKIの目がすわっているのです・コワイ!
YUKIは私に不愉快そうに「幾らかかるの?」と聞きます、
私だって知るわけがありません、カーナビに聞いて欲しいです。
それでも、北海道の景色は高速道路でも違うと感激している私に、YUKIは
「高速道路って何で、同じような景色なんでしょうね?」とまたつぶやくのです。

「朝からまだ何も食べてなんだけど…」なんて、とても言える雰囲気ではありません。
まーそんな険悪な雰囲気の中でしたが…

午後2時にようやく食べた積丹半島での取れたて”うに・いくら丼”!
積丹半島の突端”神威岬”の遊歩道から見た断崖絶壁の海岸線の絶景!
そのレストハウスでのソフトクリームの旨さ!
その時、高校野球での北海道初優勝の瞬間で、店中が大騒ぎ!

北海道を満喫していく中で、またコレも何時ものようにYUKIのご機嫌も直って
第一日目は無事?終了!…
YUKIサマは例によって、すやすやと寝息をたててお休みされています。

2004年8月16日030号 私はサンマ?

その昔…私がケーキ屋KENちゃんだった頃、カレは今でいうパテシエでした。
その頃二人は30代、私は経営の責任者として、彼は製造の責任者として、よくケンカをしました。
時が変わり、私が保険屋KENちゃんになってからは…
私は保険屋さん、彼は横浜に5店舗の洋菓子店を持つ経営者として、ナカヨクしているのです。

彼の名前は島川正利…昔はちょっと有名なパテシエだったのです(笑)
今、ケーキ通なら誰でも知っているという、
自由が丘(東京)の【お菓子職人の殿堂・スイーツフォレスト】に8月いっぱい出店しています。
お店の名前は『ガトークラシック』…もし、ご興味があったら是非!ご来店下さい!
なぜ私が宣伝するのか?…というと実は私は彼の会社の経営アドバイザーだからです。
彼は正式に手当てを出すから”顧問”になってくれというのですが、
長い付き合いで彼の性格を知り尽くしている私は、ヘタに手当てなど貰ったらコキ使われる
ことを知っているので、無給のボランティアでいるのです。
(因みにヒロコは島川氏としっかり交渉して、彼のお店のホームページを作成から全てを
管理しているのです)

私と彼が話し出すともうエンドレスです。
新横浜の駅ビル店で合ったりすると駐車料金だけで4・5千円になる事がざらで、その分ぐらい
は頂くことにしています。
私もけっして無口な方ではありませんが  (そうそう前号の鎌倉のM氏のお母様がヒロコに私の事を
「ウチでも お父さんは”さんまさん”みたいにしゃべるの?」と聞かれたそうで、少しは反省)
彼も、しゃべりだしたら止まらないのです。

そんな中で【スイーツフォレスト】の出店や、池袋のサンシャインシティのナンジャタウン内の
【アイスクリームシティ】の出店の最終決断もしたわけで、私としても責任があります。

先日、生命保険のご相談を受けたNさんと池袋で午後1時前にお逢いしました。
Nさんとは保険の雑談で盛り上がってしまい具体的な話まで行きませんでした。
Nさんが3時から同じ池袋で1時間ちょっと用事があるので、
再び4時15分にサンシャインビルの入り口で待ち合わせる事にまりました。

その間、私は8月5日にオープンしたばかりのナンジャタウン店に行ってみる事にしました。
店内は夏休みの真っ只中でてんやわんや。
彼は私を見つけると、「ちょっと待ってくれ!」と遠くから目で合図したまま、出てこれません。
彼が出てきたからといっても、何時ものように話す時間がないので早々に退散です。
まともに逢っていたら、確実に9時頃までは話し込んでしまいます。

ところが、4時15分から再びお逢いしたNさんと、またまた生命保険の話でもり上がってしまい
結局9時頃まで、話こんでしまったのです。
「ホンマにワテは”さんま”かいな?」と思ってしまう、今日この頃であります。

【追伸】
YUKIには”さんま”の意味が判らないようで、みんなも判らないのでは?と心配しています。

2004年8月9日029号 花火大会のお誘い

鎌倉の”ご実家”で江ノ島の花火大会を見ながら、おいしい料理が頂けるという…
とてもリッチなお誘いが、お客様のM氏よりありました。
お誘いがあれば、なんでも喜んで参加するのが我が家のモットーです。

お客様のMさんですが…正確に言うと、私の”お客様に2度もなりそこねた人”なのです。
一度目は 数年前、Mさんの人生のパートナー”マーちゃん”の生命保険で、
二度目は 、お父さんの相続がらみの保険で、ご相談を受けたのですが
最終的に 両方とも他社での契約となったのです。
(少しカッコよく表現させて頂ければ他社商品にお墨付きを与えたと言いたいのですが・笑)
しかし保険マニア?のMさんとは 意気投合し、保険以外の話題にも時間を忘れて
いつも話し込んでしまう間柄になっていたのです。

つい先日もMさんとパートナーのマーちゃんから、蒲田の安くて美味しい寿司屋があるので
「一緒しませんか?」という嬉しいお誘いを受けて、大いに盛り上がったばかりでした。

日本橋箱崎にお住まいで広告会社を経営するMさん、
パートナーのマーちゃんは八丁堀育ちのチャキチャキの江戸っ子で劇場(国立)運営がお仕事の
とてもとてもチャーミングな才女です。
そして、鎌倉の高台にあるお住まいは、Mさんのご両親が3年前に建てられた、
トレンディ・ドラマの舞台になりそうな、いやそれ以上に洒落た鉄筋3階建・地下1階
エレベーター付き豪邸です。

ガラスをダイナミックに使用した開放的で明るい造り。
料理を作りながら歓談が出来るように 設計されたメイン・リヴィングは
来客をウエル・カムするM家のコンセプトが伝わってき ます。
大きな大きな窓ガラスの正面には江ノ島が絵葉書のように海に浮かんでいます。
テーブルには今日の料理のために庭で栽培 された自家製バジルがさりげなく飾られています。

”マルエツ”で半額で買ったモヤシの袋がさりげなく転がっている…我が家の雑然とした風景とは
涙が出るくらい差があるのです。

花火はここから見るのかと思っていたら、エレベーターで3階に案内されました。
そこは今日の花火大会の為に造られたのではないかと思うようなオープン・テラスです。
大きなテーブルにはお母様やMさんの友人手造りの豪華な料理や飲み物がところ狭しとならんでいます。
ウッディーな広いベランダに吹く夜風は、この夏の暑さがウソのような心地よさです。

7時15分から1時間の花火は、我々の為に打ち上げられたのではないかと思うような
完璧なロケーションと環境の中で、大満足の花火大会でありました。

美味しい手料理…とくに私が感激したのはお母様が春に鎌倉の山を散策しながら採取したという
”せり”のなんと懐かしいシャキシャキとした味わいでした。
「何もしないヒト」とお母様からカゲグチ?を言われたお父さんも、小まめに料理を運ばれ
アルバイトがあり遅れて来たヒロコを駅ま迎えにいって頂いたりのフル回転で、さぞやお疲れが
出たのではと恐縮してしまいます。
マーちゃんは、とても楽しいキャラクター(マーちゃんも私のコトをそう言っているようですが…)で
結構アルコールも進み、大いに場を盛り上げてくれます。
そしてMさんですが…もう気の毒なぐらい、小まめに動かれ、ゲストに神経を使われていたようで
今回はゆっくりお話が出来なかったのですが、Mさんの優しい側面を見る事が出来ました。

ヒロコのサルサを披露したり、他のゲストの方達とも大いに歓談し
ヒロコもYUKIも大いに飲んだようですが、私はシラフで美味しい料理に集中です。
私としてはクルマを置いて行きたかったのですが、帰りが楽だからという理由で何時ものコトですが
トホホの運転手です。
お土産に頂いた自家製バジルの香りが車内に漂い、
ほろ酔い気分のYUKIとヒロコの心地よい寝息を聞きながらハンドルを握る私は
心からMさんに感謝したのです。

2004年8月2日028号 ヒロコのサラダ

ヒロコがアボガドのサラダを作りました。

これは我が家にとって画期的な出来事なのです。
何が画期的かといえば、ヒロコが料理を作ることが画期的なのです。
YUKIは料理を作りますが、ほとんど食事に興味なない”宇宙人”ですから
どんな料理か?想像してください。
そんな厳しい環境の中で食べる事が”生きがい”の私は静に生息しているのです。

なぜ、ふだん料理を作らないヒロコが料理を作る気になったかといえば…
私が、とても安くて美味しいレタスを買ってきたからです。
八百屋のマイケルの話は先週書きましたが、彼のところで買う半額の野菜は
すでにカットされたサラダや果物が多くYUKIは気にいっているのですが…
こればっかり食べているとストレスが溜まってくるのです。
だからと言って高い野菜を買おうものならYUKIが許しません。

私は毎月、月末に幸手市(埼玉県)の法人のお得意様をクルマで訪問します。
その途中、信号待ちで毎回、目に止まる粗末な作りの八百屋さんがあるのです。
大根10円、キュウリ一・じゃがいも一山100円、レタス2つで100円、…
毎日行くマルエツの青果売り場で鍛えられている私は野菜の値段に敏感です。
私はこの土曜日、はじめてクルマを止めて、そこでレタスやじゃがいも・トマト等々
1000円足らずで山ほどの野菜を買ってきていたのです。
そして土曜日は久々の美味しい野菜に満足した我が家でした。

そして今日(日曜日)、ヒロコは英語の家庭教師の帰りに、アボガドをひとつだけ
130円で買ってきたのです。
そして、私とYUKIが毎晩恒例のマルエツから帰ってくると
すでにヒロコ特性のアボガド・サラダが出来上がっていました。

賽の目に細かくカットしたジャガイモをフライパンで炒め、玉ねぎと香辛料そして
アボガドで絡めたものを、レタスで巻いて食べるのです。
お盛事抜きに、なかなかイケテいます。

おいしいレタスとジャガイモがたくさんあったので作ろうと思ったと言うのです。
その事に私は感激しました。(いつもながら親バカですいません)
料理はローマでクラスメートが作っていたの覚えたようです。
ある材料を利用し手際よく料理を作る才能があったとは…

サラダが料理か、それが才能か、なんてレベルはどうでもいいのです、
我が家の閉ざされた食文化・食環境の中で一スジの光を私は見たのです!