2011年12月12日 第412号  エノちゃん倶楽部

東大和市(東京都)のパティシエ、エノちゃんから 12月4日の日曜日の夜だけはどんな事があっても開けておいて欲しいと強く言われていました(^_^;)

そんな日に限って色々と用事が入るものです。(^_^;) この日の午前中には相模原での大豆の会の有志で、 先年も好評だった大根漬けをするというのでユキと参加、① ② 秋晴れの宮が瀬湖も楽しんで帰宅。① ② ユキは年末恒例のホテル・ニューオータニでのハートコンサートで出される食事の試食会に 役員である私の変わりに参加してもらう事にして、① ② 私はいつもクルマで行く東大和に電車に乗って向かいました。

会場は東大和の駅近くにある南街公民館という所で、午後6時にそこの日本間が予約されています。 ここに集まったのは東大和市市長の尾崎さん。 東大和商工会の重鎮で81歳の武藤さん。 東大和市議会議員の床鍋さん。 元東大和市議会議員の長瀬さん。 障害児施設の元理事長の小川さん。 裁判所の書記をしている芽門さん。 大手総合電機メーカーを定年になった侭田さん。 東大和で放射線量を計るボランティアをしている伊藤さん。 地元で趣味として農業をしている倉富さんと滝田さん それに自然農法を推進し東大和の農業の第一人者の内野さんも参加予定だったのですが 都合により不参加になりました。

ようするに私を除いて東大和市の錚々たるメンバーがエノちゃんの呼びかけで一同に集まったのです。 “このような集まり”をやったらどうか?…と提案したのは私だったのです。 でも…何をするのか?というと誰もよく判りません(^_^;)  当事者であるエノちゃんも、そして私も…

“このような集まり”とは… 年齢や性別に関係なく誰もが気軽に集まって食べたり飲んだりしながらコミニティーが深まるようなゆるい会の事。 このような会を定期的に行っていけば自然発生的に東大和についての知識も高まり エノちゃんのライフワークともなった東大和の町おこしに繋がっていくと私は思ったからです。

11月7日、エノちゃんのボランティア活動に理解を示している 侭田さん・床鍋さん・長瀬さんと私がエノちゃんの店で集まった時に、私がそのような話をしたら ① ② 行動力のある床鍋さんと長瀬さんが、すぐに場所と日時を決めてくれたのです。 そしてエノちゃんが声掛けして集まったのが今回のメンバーというわけです。

私が想定していた”年齢や性別に関係なく誰でも気軽に…”というイメージとは少々違うようですが、 考えてみたら、ここに集まったメンバーは 私もエノちゃんとの付き合いの中で以前から知っている人たちばかり。 市長の尾崎さんも、今年の地方選挙で市長になる前は“やすおさん”と言って私も親しくさせて頂いていたのです。

それぞれの自己紹介の時、私は 「エノちゃんとは長い付き合いになりますが、なんだか良く判らないまま今日も川崎からやってきました…」 と言ったところ誰もが笑いながら頷いているのが伝わってきました。 今回の集まりの仕掛け人でもある私ですから「なんだか判らない…」というのは適切では無いかも知れませんが 「なんだか判らないまま」参加している事はたしかなのです(^_^;)

でも「なんだか判らない…」のに、 日曜日の夜にこれだけのメンバーが集まるというのは「ソレナリにエノちゃんはスゴイな~」と思ったのです。 そして、この日も「なんだか判らない…」けど皆楽しく団らんして終わりました。(^_^;)

① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨ ⑩ ⑪ ⑫ ⑬ ⑭ ⑮

数日後、またエノちゃんから電話がありました。 商工会の重鎮、81歳の武藤さんが先日のメンバーを自宅に招待したいと言われているというのです。 一昨年金婚式のお祝いをして昨年愛妻を亡くされ一人暮らしの武藤さんですが そう言って戴けるのは、この上もない光栄のような気がして、 一週間後の11日(日)、今度はユキも一緒に行く事にしました(^_^;)

この日は、もちろん前回よりは少ないメンバーでしたが 武藤さん手作りのカニ玉や青椒肉絲料を堪能して ① ② ③ ④ ⑤ 前回よりも数倍もゴージャスな「なんだか判らない集会」を楽しく終える事が出来ました(^_^;)

① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧

この「なんだか判らない集会」をどうにか継続して、いろいろな人が参加出来るようにしていけば […]

2004年9月27日036号 銘菓 芋窪街道

昔ケーキ屋KENちゃんだった私は、今でもたくさんのケーキ屋さんを知っています。 東大和市(東京都)にある【茶屋エポック】もその一つです。 そのお店の代表的商品【銘菓・芋窪街道】は、実は私が企画・命名した商品なのです。

98年に店主の榎本氏がそれまで経営していた所沢(埼玉)のお店から現在の 住居を併用した店舗を新築し、その時の出店プロジェクトを担当したのが私だったのです。 な~んて書くとチョット大げさですが、私の趣味(YUKIに言わせると)とお客様(保険の)サービス を兼ねてボランティアでお手伝いをしたのです。

本来なら、出店前に戦略をたてて、その戦略にあった立地条件を探すのですが… 予算の問題や、併用住宅で二人のお嬢さんの学校問題や奥様の意向や、いろいろあり 場所と予算が決まったら、そこからクチを出すことにしました。

決定した建設予定地に、私は一人クルマで見に行きました。 開通したばかりの多摩モノレールの始発駅【上北台駅】から徒歩5分で少し住宅街に 入った並木道にあります。 駅前といっても、出来たばかりのモノレールと空き地と広い空しか目に入りません。 それに、もう一つ私の目に焼きついたものがありました。 それはモノレールの線路が走る広い通りに付けられた道路標示の【芋窪街道】です。 その瞬間、アイデアが閃いた私は直ぐに、榎本氏に電話を入れました。

「スイートポテトを主力商品にしよう! 商品名は『銘菓・芋窪街道』出来れば地元のさつま芋が使えるか調べて欲しい、 それにもう一つマドレーヌを形やパッケージを工夫して『モノレーヌ』って云うのもどう思う?」 私は興奮気味に熱く話すのですが、榎本氏の反応は冷淡なものです… 「あのねー、あのへんじゃ芋窪って地名みんな嫌がっていてるみたいで、それを商品名にはねー。 モノレーヌって駄洒落ですよね、ちょっと今、忙しくて手が話せないもんで。」 電話はそっけなく切られてしまいました。 しかし、私の頭には『銘菓・芋窪街道』と『モノレーヌ』のイメージがどんどん湧いてきて そのパッケージやロゴはもとより、新店舗のコンセプト、ブタのロゴマーク、開店チラシ、商品のしおりまで、 寝食を忘れ…いや食事は忘れないで仕事を忘れ…YUKIの冷たい視線を浴び… イッキに書き上げてしまったのです。

開店してから6年… 今では榎本氏は地元ではちょっとした有名人。 商店会から役所まで幅広く顔を出して町おこしに積極的です。 榎本氏も私のダジャレ・センス?を引き継ぎ、地元の狭山茶を使ったパイ菓子を開発 その商品名を上北台駅から『神来たパイ』としたのですが、イマイチ伸び悩んでいます(笑) それでも『銘菓・芋窪街道』はタウン誌はもとよりマスコミの取材も多く、定番商品として定着 したようです。

【茶屋エポック】のホームページを作ってあげる事になっているのですが… やり始めると何でもとことんハマってしまう私にYUKIの目がまた光っています。 今は形が見えない保険という商品を売っている私にとって、洋菓子は形そのものであり 顧客の反応も素早い商品で実に楽しく、私のストレス解消にもなるのです。 しかしYUKIは私にストレスなんてあるわけはないと断言するのです。