2004年7月26日027号 八百屋のマイケル

マイケルと云っても、彼はれっきとした日本人のおじさんです。
八百屋と云っても、彼には本職がありスーパーの青果売場のパートです。
パートと云っても、彼は昔から青果売場にいて主のような存在です。

なんでマイケルかと云うと…ある時、彼が私達にマイケル・ジャクソンの大ファンだと言ったのです。
そのギャップ がオオウケし、それ以来、我が家ではマイケルで通っているのです。
むろん本人は マイケルと呼ばれていることは知りません。

私とYUKI(たまにヒロコも)は毎晩8時過ぎに近所のスーパー『マルエツ』にいくのが日課です。
この時間になると生鮮食品に半額シールが貼られるからです。
それ以外の物は買わない!…というのが我が家の掟です。
もうこんな生活が10年ほど続 いています。
そして、ほとんど毎日マイケルと顔を合わすのです。

マイケルはとても元気がいいのです、お客様には何時も声をかけています。
ひとけの引いた夜のスーパーで、小まめに動き回る小柄なマイケルは いつも目立っているのです。
店内放送からもマイケルの声が流れてきます…
「 ニッポンの夏。…何と言ってもスイカです!ただいま青果コーナーにてカット・スイカが半額~」
値下げした野菜 や果物を、彼独特の能書きを交えたマイケル節での店内放送には、
何時もYUKIと顔を合わせて笑ってしまうのです。

でもマイケルも、生活は苦しいようです。
毎日、半額の物しか買わない私達に親近感を持ってくれているようです。
そして何時も怒っているのです、 本業の社長の悪口、仕事での愚痴、社会の事…
でもマイケルが怒れば怒るほど何故か可笑しいのです。
奥さんや高校生のお嬢さんから 如何に虐げられているか…なんて話になると、
私は他人事とは思えず、涙を浮かべるほど同感し ながらも…笑ってしまうのです。

マイケルの唯一の趣味は競馬のようです…これだけは止められないようです。
でもその競馬ですら、いつも怒っているのです。

馬券売場でのマイケルの話です…小銭を含めて現金で馬券を買おうとしたら
売場の女性が「5円玉は使えません!」と指ではじき返したというのです。
これにマイケル はキレたのです、5円玉が使えないというのも納得出来なかったようです。
しかし、そばにいた初老の人の良さそうな警備員が、懸命に頭を下げて謝ったそうです。
警備員に謝られても…と マイケルは思ったようですが、
すぐ に納得しちゃうのがマイケルの良いとでもあり、弱いところなのです。

でも腹の虫は収まらず翌日、仕事中(配送の仕事)に何時も車中で聞いている
民放ラジオ局にケータイから怒りをぶつけた そうです。
そして、しばらくすると、自分の名前がラジオから聞こえてき たと言うのです。
番組でマイケルの”怒り”が採用され、しかも5000円が貰え て少しは腹の虫が収まったと喜んで、
原付バイク で会社から帰ろうとしたら、バイクが盗まれていたと いって…
猛烈に怒っているのです。

どこまでも不運なマイケルですが、私にとっては、とても心がなごむ…
愛すべき、八百屋のおじさんな のです。
今夜も半額の見切品を、いやいやマイケルに逢いに、YUKIとマルエツに行きます。

2004年7月19日026号 三日遅れの誕生会

【週間KEN】の先週号で私の寂しい誕生日を書いたら…
坂本嘉輝さんから、私のホームページの掲示板(ロコハウス・カフェ)に
書き込みがありました。

>Ken様、
>お誕生日おめでとうございます。
>しあさっての木曜日はアカラックスセミナーの日ですが、
>もしよろしければセミナーに参加していただいて、
>終了後3日遅れの誕生祝など、当社オフィス(の近く)で、というのはいかがですか。

坂本さんは『アクチ ュアリー』として保険業界では有名な人です。
彼との馴れそめを書きだすと、それだけで紙面が無くなってしまいます。
同じ保険業界に身を置く二人ですが、
保険を難しい数理の見地から追求し保険会社の経営サイドにもいた坂本さんは、
泥臭い保険の現場にいる私のような者からみれば正反対の対角線上にいるカタなのですが…
なぜかこの【週間KEN】の愛読者なのです。

で、この”お誘い”なのですが単純に喜ぶわけには、いきません。
ここがアクチャリーいや坂本さんの緻密なところです。
彼が経営するアカラックスのセミナーに参加したら、祝ってやるというのです。
すなわち参加しなければ「祝ってやらないヨ」というキョウハク的なお誘いなの です。
問題はセミナーの参加費5000円です、今回のテーマは【保険会社の本年度決算を見る】です。
ちょっと私にとっては硬すぎる内容ですが、YUKIに相談したらあっさりとOKのサインです。
「どんな形であろうと…KENの58歳の誕生日をわざわざ祝ってくださるなんて珍しい事ですから…」と。

喜んでお誘いを受けることを伝えると、坂本さんからこのような返事がありました。
>この際ですから、もしよかったらYUKIさんも御一緒にいかがですか。
>セミナーの参加費は特別におまけしますから。
さすが【週間KEN】の愛読者坂本さんです、YUKIの存在をしっかり認識して頂いているようです。
でもYUKIも単純にはノリません…
「”セミナーの参加費は特別におまけ”とはタダの事なのか、しっかり確認してください…」と私に言うのです。

そんなわけで15日、私とYUKIでまずセミナーに…5000円だけ払って参加しました。
受付でアカラックスの下川さんと高橋さん、二人の美女から「お誕生日おめでとうございます」と 祝福され、
会場では私が今もっともハマっているインターネットの超人気サイト【保険選びネット】の管理人で
税理士の山浦さんからも、お祝いのお言葉をいただいちゃって、
なんだか58歳の誕生日がエライコトになちゃったな~と、タダタダとまど い、恐縮し、テレるしかありません。

セミナーは無事終了! 何時もはスルドイ?質問やツッコミを入れる私ですが、
この手の数字ばかり出てくる話になると、おとなしくなってしまうのです。
難しい質問に嬉々として答える坂本さんの様子をボッと 眺めていると
「あーやっぱりこの人はプロのアクチュアリーなんだな~」と改めて 感心してしまうのです。
その、なんだか難しい質問をしていた山浦さんはさすが税理士です。
「今日は5万円払っても安いぐらいの面白いテーマだった」 との事でした。
保険の世界は奥が深いのです。

まずは坂本さんのオフィス(格調高い丸石ビル)でアカラックスのスタッフと山浦さんで乾杯です!
少し盛り上がったところで日経新聞の記者荻原さんも参加、彼とは初対面でしたが
私の友人で同じ日経記者のD氏をよく知っているという事で、すぐにお友達に…そして
河岸を変えて神田駅前の庶民的な中国料理店で老酒を飲みながら大いに生命保険談義に
盛り上がったのであります。

アカラックスの皆様・山浦さん・荻原さん、ほんとうにありがとうございました!
私にとって忘れられない、誕生日になりました。
【週間KEN】をやってよかった と、しみじみ思った一日でした。

2004年7月12日025号 今日は私の誕生日

7月12日…今日は私の誕生日です。
YUKIは「エッ!もう58歳ですか!困ちゃいますよ、死ぬまで働 いていただくとしても
もうそんなに長くないってことですよね~、これからは倍ぐらい稼いでもらわないと!」

まー今さら誕生日を祝ってもらうとは思ってもいませんが、
もうちょっと優しい言葉があってもいいと思うのですが コレです。
YUKIに言わせれば 、甘い事を言ってたらKENは、すぐに気が抜ける性格だから
「ビシビシイク !」と手厳しいのです。

確かに、住宅ローンはしっかり残り、退職金も年金もあてに出来ないわけで
私には『働き甲斐のある老後』しか選択の余地はないようです、トホホ。

それにしても58歳とは、我ながらイイ歳になったもんです。
若い時は誕生日といえば「もう何歳になった!」と足し算をしていくのですが、
ここまで来ちゃうと「あと何年!」と引き算になっていくようです。

昭和21年生まれは微妙な年代です。
いわゆるベビーブーマー、団塊の世代は、翌年の22年生まれから始まります。
私は中学の途中から、父の転勤で名古屋市立の 日本一のマンモス中学に転校しました。
私達の学年まではA組・B組といったクラス編成でしたが、
1年下 の学級からはアルファベット26文字では足りなくなってしまったのです。
生まれつきのんびり屋 で競争の嫌いな私は、こんな学年には絶対入りたくないと思いました。
したがって進学も就職もムリをせず、競争のないマイペースな人生を歩んで来たのです。

でも、この年齢になれば1年の差など、ふっとんでしまい、少子高齢化社会のトップバッターとして
その真っ只中にたたされていくようです。

もう58歳 ! まだ58歳!…どうとるかは気持ちの問題です。
この【週間KEN】が何年先まで連載できるかわかりませんが 、
今日ここで書いた58歳がYOUNGESTである事は間違いありません。
何年か 先に読み返したら「58歳か!若かったなー」と思うかもしれません。

政治家や経営者(そういえば私も一応そうなんですね)なら、一番ノッテル時かもしれません。
YUKIの戦略にハマルのもちょっと悔しい気持ちもありますが、まだまだこれからと
肥満の身体にムチ打って死ぬまで働く覚悟を、
改めて決意した、熱い暑い!誕生日です。

2004年7月5日024号 毎朝の光景

私は毎朝8時に家を出て600メートルほど離れた駐車場に車を取りに行きます。

我が家は駅から離れており、最寄の向ヶ丘遊園(小田急線)もバスを利用しなければならず
ココへ引っ越して以来 12年、私はYUKIやヒロコのアッシー君(ちょっと古い)でもあるのです。
6月からヒロコも我が家の困窮した経済を救うべく、学校から照会された外資系企業でアルバイトを
はじめたので、駅までは車で送るのが 私の日課になったのです。

そこで私は毎朝、2つの決まった光景を見ながら駐車場に向かいます。

ひとつは我が家のマンションを出てすぐに目に入る光景です。
目の前 に公立の中学校があります。
始めてこの光景を遠目で見た時は「なんと大胆な不良学生 !」と思いました。
正門の前で3人の男が…一人はウンコ座りをし、立ってる二人は片足を突き出し腕組み して
タバコをプカプカとふかしているのです。
近くまで行くと不良学生でなく…中学の教師であることが分かりました。

校門にはこんなステッカーが張ってありました。
【ノー・スモーキング・スクール宣言】(校内での喫煙は禁止されています)…
なるほど、校内では前面禁煙になったので、 彼らは規則を守るために学校を一歩出て
タバコを吸っているようです。

毎朝、 校門でタバコを吸う教師に、声を出して朝の挨拶をする生徒はほとんどいません。
ただ黙々と教師を無視するかのように生徒達は校門に吸い込まれていきます。

学校へ向かう中学生とすれ違いながら、坂を少し下ると…
信号のある広いバス通りにでます。
向こうからは中学生、こちら側には小学生が信号待ちをしています。
この信号は押しボタン式ですが、ボタンを押してから3分 近くも待たされる代物です。
その先、100Mくらい行ったところに横断歩道があります。
私は何時も、そこまで歩いて 、さっさと渡ることにしています。
信号の方を見ると子供たちはまだ、じっと信号が青に変わるのを待っているのです。
はじめにこの光景を見た時は、とても”真面目で良い子たち”と思い ました。
しかし、毎朝、毎朝、この光景を見ていると、彼らがロボットのように見えてきました。

教師も生徒も みんなルールをきっちりと守っているようです…
「でも、ちょっとコワイな」と思うのは私だけなのでしょうか。

2004年6月28日023号 お前は保険屋に向いてない!

北海道に住んでいる大学時代の親友Kから、車で外出中の私のケータイに電話が入りました。
「今、品川のPホテルにいるんだけど、時間があったら来いよ!」というのです。
夫人に付き合わされての急遽の上京で、夫人も大学時代の友人に逢いに行っており
Kはホテルに取り残されて時間を持て余しているようなのです。

Kとの出会いは、入学したての1年の時ですから40年近くも前です…
空手の推薦入学で北海道から出てきたばかりのバンカラを絵に書いたような風体でした。
そのKが私に「俺がおごるから、しるこ屋に付き合ってくれ!」と言ったのが始まりです。
キャンパスがある茗荷谷(文京区)には跡見や御茶ノ水といった女子大もあり、
駅前のお店は拓大生用と女子大生用とテリトリーがはっきり分かれていたのです。
もちろん『しるこ屋』は女子大のテリトリーです…そこへ一緒に乗り込んでくれ、というのです。
女子大生の冷ややかな視線を浴びながら、しるこを3杯たいらげたKの姿が懐かしく思い出されます。

そのKがまた「俺がおごるから、夕食に付き合ってくれ!」というのです。
品川Pは食べ放題のビュフェ・レストランが有名です。
ウェエーターはプラス1800円で飲み放題だというのですが、車で来てる手前飲むわけにいきません。
Kとは学生時代どれだけ酒を飲んで議論を交わしたか判らないほどの仲です。
久しぶりに会って話は弾むのですが、何か?足りません。
「ホテルに泊まれヨ」とKは言いだしました…「そんな金あるわけないだろ、厳しい生活をしてるんだから」
と言うとKはいきなり3万円を渡し、コレで明日チェックアウトしろと言うのです。
そんなにいらない、そっちで一緒にチェックアウトしてくれと、と私が言うとKは
「バカ!お前は俺の親友だぞ、 俺の嫁さんがどう思うか考えろ!」というのです。
「でも3万はいらない」という私に「競馬ですったと思えば安いもんだ!」と 彼の言葉に納得?する事にしました。
Kから私のコワイYUKIに電話を入れてもらい、晴れて!メニューを飲み方だいに切り替えたのであります。

二人が酩酊していった時にKは突然私に言いました。
「お前に保険屋は向いていない!」
「いや最近は保険屋が天職と思えるようになってきた」と言うわたしに…
「お前が何と言おうと絶対に保険屋に向いてない !」と頑固なのです。
その理由を聞くと「じゃー儲かってるのか?」と痛いところを突いてくるのです。
「まだ新聞配達をやっているのか?」と10年ほど前の話も持ち出してくるのです。
「そんなに儲からないけど、インターネットを使ってボクの営業スタイルも確立してきたし…
もう昔の保険屋の時代は終ったんだよ」
「何がインターネットだ、何がボクのスタイルだ、お前は才能があるんだから…」かなりの 悪酔いです。

ビュフェがクローズに近づいてきた頃に、帰ってきた夫人にKは聞きました。
「角倉は保険屋に向いてると思うか?」
夫人はきっぱりと答えました「ぜんぜん向いてないわよ、どうしたの?」

保険屋に向いてない私が喰えるようになれば、この国の保険(特に生命保険)も大きく変わるんだけど…
心の中でボヤキながらも、ひさびさの楽しい痛飲でありました。

翌朝のホテルロビーのカウンターでK夫妻と並んで堂々?とチェックアウトを済ませ
1万円数千円が私のヘソクリとなったわけですが…。
ここまで書いて「ヤバイ!」と思いました、K夫人がコレをよんだら!
でも、たしか二人共インターネット には興味が無いと言ってたから、多分大丈夫でしょう。
で・でもYUKIは!! ああ~私のヘソクリが…

2004年6月21日022号 たそがれのプロ野球

私はモノスゴイ!【阪急ブレーブス】のファンでした…現在のオリックス・ブルーウエーブです。
どのぐらいモノスゴイかというと…
私の10代 前半、すなわち小学校から結婚するまで、私が通った学校や職場において、
私の名前や顔は忘れられても、『モノスゴイ阪急ファンがいた!』事は みんな覚えているのです。
すっかりボケてしまった私の母でさえ”私の阪急”だけは、しっかり覚えて?いるのです。

【阪急ブレーブス】の事をココで書き出したら、1年間は軽く連載出来 ちゃいます!…
でも気がついたら誰も読んでいなかった、なんて事になりそうなので書きません。
私はそこから多くのことも学びました…
そう !私の人生の前半は【阪急ブレーブス】から、そして後半は【モノスゴイYUKI】によって
人間形成が成されたのです!

1988年…その【阪急ブレーブス】がオリックスに身売りするというニュースが流れた時は ショックで、
食事が喉を通らなくなりました。
でもボクは”阪急”という会社のファンではなく”ブレーブス”というチームのファンだった事に気付くと
食欲が元に戻りモリモリ食べました。
それからは【ブレーブス!】【ブレーブス!】と言って、またモノスゴク応援しました。

しかし1991年…オリックスは【ブレーブス】を【ブルーウエーブ】に変更しました。
これによってブレーブスのマスコット・キャラクターだった”ブレービー”も居なくなりました。
ヒロコが誕生した時に真っ先に与えた人形は”ブレービー”でした。
その”ブレービー人形”を持って、どれほど試合を見た事でしょう、本物の”ブレービー”に逢いに
新幹線や車で西宮球場にも何度も足を運びました。

もう”阪急”とも”ブレーブス”とも呼べない、だからといって「ブルーウェーブ」とも呼びたくない。
「ブ」と呼ぶしかないのかと、ブーブー思いました。

それでもイチローというスーパースターも誕生し東京での試合はもちろん、グリーンスタジアム神戸にも
ファミリーで応援に行きました。
しかしイチローも、長谷川も、田口もメジャーリーグへ去りました。

オリックスは、それまでの球団の歴史や文化を引き継ぐどころか、阪急色を消す事にエネルギーを
使っている事にも腹立たしく 、私の情熱も少しづつ冷めていきました。

【近鉄バッファローズ】との合併ニュースは先週、仙台のホテルで知りました。
来るときが来た…と思っただけで、YUKIと笑ってしまいました。
このニュースから一週間ほどたちますが、ファンの声はほとんど 無視されているようです。
合併は護送船団の球界の満場一致?で決められたようです。
ファンの声が聞こえない…というのはファンもその程度で「どうでも良い」という事なのでしょう。
ようするに、プロ野球なんて、どうでもよくなってしまったのでしょうか。

これだけ、多くの人に愛され、歴史をもったプロ野球を文化として育てる事を怠って
目先の利益や、小手先のファン・サービスでお茶を濁してきたツケが回って来たのです。
ディズニーランドが賑わっているのは、親もミッキーやドナルドが懐かしく楽しいからです。
メジャーリーグ はアメリカの文化として根付かせる努力をしてきたのです、
だから我々 ガイジン?から見ても楽しく、多くのプロ野球選手も メジャー・リーグに憧れるのです。

私は日本のプロ野球にもう多くは望みません。
ただ、これから始まる、たそがれゆくプロ野球をこの目でみていきたいと思います。
巨人軍 の一球団になるまで…。

2004年6月14日021号 仙台にて

今、仙台のホテル、ホリデー・インでこの文章を書いています。
仙台にお住まいのお客様のNさん宅に生命保険の事でお邪魔したのです。
2月からDr.KENの名前で相談員として参加している超人気サイト【保険選びネット】での
私の真摯な!?名答・迷答の数々に感銘 ?されファンになって頂いたというキトクな方で
メールでも数ヶ月、生命保険について大変楽しくやりとりをしていたのです。

YUKIが「仙台は行った事がない!」というので一緒です。
この【週間KEN】もご愛読?頂いているNさんにYUKIも一緒だとお伝えすると、
少し緊張されたようですが、私以外の人類には危害がない事をお伝えし納得頂きました。
本当は昨日の土曜日をNさんはご希望だったのですが、ホリデー・インのホリデー・プラン
と言うのがあり、日曜日の宿泊だと格安になるとYUKIが云うのです。
こういう時は【週間KEN】のご愛読者だと、とても話がしやすく、その旨をNさんにお伝えすると
充分納得して頂き、心よく本日に変更して下さったのです。

メールで楽しくやり取りさせていただくお客様に、はじめてお逢いするのは、とても嬉しい事です。
N婦人はとてもチャーミングで美しく、N氏はフレンドリーで暖かく、
2歳のお嬢さんはとてもはにかみやだけど、私たち珍獣をやさしく 迎え入れてくれました。

N氏は、これから新しい職場での再スタートという事で、私のプランには充分に納得頂きましたが、
収入がもう少し安定してから、ご加入された方がいいということで合意しました。
生命保険は生涯の【資産】となる買い物ですから、あせって安物買いをしてはつまりません。
生命保険について真剣に考える時代になってきた事は大変、喜ばしい事だと思います。
仕事を兼ねてYUKIと旅行が出来るのも悪くはないのですが…
なんといっても、食べる事に興味の無い、そしてお金の無い(YUKIだけがお金が無いわけではありませんが)
が口癖(でなく本当に無いと横で言っていますが)のYUKIと一緒の旅です。

昼はマクドナルドのハンバーガーで、ディナーは吉野家の【角煮きのこ丼】でした。
( 吉野家のカレー丼には怒った私ですが実は最近、角煮きのこ丼にはハマっているのです)、
でも仙台まで来てマックと吉野屋は無い ものだ、と私は思うのですが。
明朝のホテルの朝食パックが唯一の楽しみです。(トホホ)

2004年6月7日020号 私も年金未納ですが

茶番はあったもの予想通り年金法案は参議院でも与党の賛成多数で可決されました。
国民のコンセンサスも取らずに、なんでもなし崩しで強行採決する、今 の政権に私はウンザリして
いますが、それを選んだのも我々国民です。
野党もイマイチ迫力に欠けます…なんてたって年金未納では、与野党大連合をしているのですから。
未納から出たサビです。

さて、エラソウなことを言っている私も、実は年金未納者です。(誰も驚かないでしょうが)
でも「 知らなかった!」とか「うっかり忘れてた!」なんて言い訳はしません。
「払えなかった」正確にいうと「今も払えないまま…」なのです。
「保険を商売にしている人間がトンでもない、そんな代理店とは契約できない!」なんて言われたら
ますます、払えなくなるので、そこのところはご慈悲のほどをお願いします!。(泣)

年金は最低25年以上支払っていないと一銭ももらえません。
私の計算ですと、あと8年分を収めないと 17年間払った保険料は、まったくムダになるのです。
私の年齢からいって、よっぽど追い込みを駆けなければ、かなり厳しい状態というわけです。
でも、これは自己責任だとしっかり自覚しています。

私の学生時代の友人のサラーリーマンは後2年ぐらいで定年を向かえます。
話題は退職金が減っただの、年金がどうしただの話で、商売柄ヒトのシュミレーションはするですが…、
私個人としては 、うらやましいような、気の毒なような複雑な心境です。
私なんぞは、退職金も年金も無縁な話で、その代わり死ぬまで働かなくてはならないダケの話です。

でも、ココに年金問題解決のカギがあるような気がするのです。
長年サラリーマンを勤め上げ、やっと労働から解放され老後はのんびり好き勝手に暮らしたい…
という気持ちは、よ~く分かりますが死ぬまで平均20年間もあるのです。
このような人達が溢れかえる少子高齢化社会を公的年金だけで支えていくこと事態
常識的に 考えても困難なことではないでしょうか。

それを抜本的な見直しや、根本的なホンネの議論もせず、問題の先送りをしてどうしようというのでしょう。
これは【年金問題】だけでなく、これからの我が国の有り方 や生き方の問題だと思うのです。

貧しくしくても、楽しく仕事をしながら人生をエンジョイする方法なら…私には自信があるのですが(笑)

2004年5月31日019号 橋田信介さんを悼む

さて今回から、その時その時の私が思い浮かんだテーマを気ままに書こうと思います。
今までの週間KENの感想を伺うと、どうも意見が二つあるようなのです。
一つは「 ほんまにアホらしい!」…もう一つが「アホやけどオモロイ!」です。
急に関西弁になってしまいましたけど、アホらしさは共通しているようなのです(泣)
で…今回は 少しおもむきを変えて重いテーマで【イラクの人質問題 】をとりあげ、
その原稿をほとんど書き上げた時に…
もっと、もっと重いニュースが飛び込んで来ました。
イラクで戦場カメラマンの橋田信介さんと甥の小川功太郎さんが銃撃されたというニュースです。

実は、橋田信介さんの一人息子大介君と、我が家の一人娘ヒロコは保育園時代、6年間一緒のクラスだったのです。
保育園 の同窓は本人達以上に親同士が懐かしく、橋田家がバンコク(タイ)に引越してからも多くの
保育園仲間 がファミリーで橋田家を訪問したり、その消息は身近に感じていたのです。

最近ではテレビやマスコミでも、その活躍を目にする事が多くなりYUKIと「有名になってきたね」…と
話していた矢先の事件です。
ニュースを聞いた時に大変な衝撃を受けた事はたしかですが、不思議な事に悲しみよりも、
わけのわからぬ”怒り”が湧いてくるのです。

橋田氏は常に【戦争】に反対しながら、一人の人間として、優しい目線で悲惨な【戦場】を取り続けてきました。
国家が国益のために起こす【戦争】は,【戦場】 において常に個人が犠牲になるのです。
彼は【戦争】カメラマンではなく、あくまで【戦場】カメラマンだったのです。

日本がイラク戦争に”参戦”する事を決めた小泉さんは「危険なら行かない、安全なら行く」と言いました。
同世代の橋田さんは「安全なら行かない、危険なら行く」と 言いました。
そしてイラク へ行って橋田さんは死んでしまいました。

テレビのニュースで久しぶりに幸子夫人を見ました。
「幸子さんはとても個性的!」とウチの個性的YUKIが言うほどユニークで魅力的な人です。
彼女が毅然とした態度で微笑みを浮かべながら…でも目は潤んでいました、彼女らしいです。
ひ弱な印象だった大介君も見違えるように素敵な青年になっています。
二人は信介さん を誇りに、その意思を継いで、立派に生きてい くと思います。

私の手元に橋田さんが書いた一冊の本があります。
ロイター通信のカメラマンを している姪っ子のユリが「KENおじちゃん、この本面白いヨ!」と貸してくれた本です。
私が橋田さんを知っている事を話すと、ユリは興奮して「絶対に逢いたいから、紹介して!」といいました。
私も十数年逢っていないので、是非時間を作ってもらいヒロコもつれて逢いに行こうと思っていたのに…。

ユリから借りた本の題名は『イラクの中心でバカとさけぶ』です。
イラクの中心で…「戦争のバカヤロー!」と叫んで死んでいったような気がしてなりません。
橋田信介さんの、そして小川功太郎さんのご冥福を心よりお祈りします。

2004年5月24日018号 貧乏哲学

そしてヒロコは約5ヶ月のローマ留学を終えて意気揚々と帰ってきました!
最後の二週間はヨーロッパを 貧乏旅行で回ったようです。
お金が無かったので、限られた所にしか行けなかったようですが…
お金がいくらあったって、限られたところしか行けないのです。
その分、自分の頭と知恵でいろいろやりくりする事が大切なのです。
そのような環境をあたえる事が親の務めなのです!
だからお金が無いという事はとても良いことなのです!
妻を持ち”哲学者”になった私は長い貧乏生活で、ますます
哲学の道を極めていくのです。

なんや、かやと今回まで我が家の今日までの波乱万丈?な歩みをダイジェストで
ご紹介させて頂きました、コレで…

なんで、我が家がビンボーなのか?
なんで、ヒロコはローマにいったのか?
なんで、YUKIはヘンなのか?
そして、そしてKENがどれほど苦労をしているのか?

その、すべてが今までのコラムを読んでいただければ、ほとんど…
おわかり頂けなかったでしょうが、私のトホホの気持ちだけでも判っていただければ
これからも、生きる希望が湧いてきます。

さて、次号からは何を書くかまったく決めていませんが、その時、その時、思いつくテーマ
を書いて行きたいと思います!