2004年12月13日047号 船橋の一日

船橋(千葉県)のJR駅ビルのショッピングセンター(シャポー)に
洋菓子のガトークラシック(30号で紹介)船橋店がオープンしました。

行こう行こうと思いつつ、なかなかスケジュールが取れなかったのですが
生命保険のメール相談を3月頃から受けていたYさんのお誕生日が1月7日で
今月中に契約をされたいという事になり、ご住所を伺ったら船橋市だったのです。
これは好都合と12時半Yさん宅、3時ガトークラシック船橋店(この写真は当日、私が撮影)
となったのです。
当日、Yさん宅での事務手続きをスムーズにするためパソコン にYさんの生年月日と
名前を入れたらエラーが出て申込書のプリントアウトが出来ないのです。
これは生命保険の引受けに関して”待った”のサイン…すなわちYさんと同じ
生年月日と姓名(カタカナでのフルネーム)がブラックリストに登録されているのです。

でも、これはYさん当人で無い事は、私は100%の確信をもっていました。
まず、そのような人は、このような保険の入り方をしないと言うことです。
それに、数ヶ月も生命保険の事で具体的なメールのやり取りをしていれば、
その方の人柄や考え方、人生観までが伝わってくるからです。

初めてお逢いしたYさんは想像通りの明るくしかも几帳面な方で、
この件に関しても、それほど気分を害されず、1日誕生日をずらした申込書
(そうしないとプリントアウト出来ないため)にサインを頂き、日にちの箇所に
訂正印を頂きました。
不愉快な話を明るく聞き流して仮契約を頂いたYさん宅を後にして数時間後…
船橋駅ビルのガトークラシックにいる私のケータイに連絡が入りました。
「Yさんとは、まったく無関係である事がわかりましたので契約して下さい」と…。

さて、次はそのガトークラシックです。
オーナー・パティシエで友人でもある島川氏は、何でも思いついたら
サッサと実行しちゃうという、良くもあり、困った性格の持ち主なのです。
それに歯止めを掛けるという意味で、元ケーキ屋KENちゃんの私が
アドバイザーをしているのですが、なんせこちらもボランティアでやっているもので
少し目を離すと?いろいろな事をしでかしてくれるのです。

今回も2ヶ月位いご無沙汰して10月下旬に電話したら、船橋に店を出す、
それも工事に入っていて11月29日にオープンするというのです。

自由が丘のスイート・フォレストや池袋のナンジャタウンの出店は私が後押ししましたが…
期間限定のリスクの少ない出店で、お店の宣伝や従業員の刺戟にもなると思ったからです。
数千万を投資しての横浜から遠く離れた船橋の出店はわけが違います。
でも、もう開店しちゃったのですから、やるっきゃないわけです。

島川氏は何時もこの調子だから大変なのです。
ケーキ職人としては一流で何でも出来ちゃううえに、今までも厳しい厳しいと言いながらも、
何とか乗り切ってきたから本人もどうにかなると思っているようです(笑)
横浜の拠点から見た”地の利”を私はも一番問題視するわけですが
島川氏は「次は市川(同じく千葉県)に出そうと思っている」と、衝撃の告白!
ほんとうに元気が良いのです。
結局、この日は閉店近くまで、店舗内で立ったまま島川氏とあれやこれやと打ち合わせ、
長い船橋での一日が終わりました。

お店は思ったよりシャレた明るい雰囲気でなかなかです。
是非お近くにおこしの際はお立ち寄りください、もちろんYさんも寄って頂けるようです。

2004年12月 6日046号 悲願のカーナビ購入!

「カーナビが欲しい!」とYUKIにお願いし続けて3ヶ月、
やっと我が愛車に悲願のカーナビが搭載されました。

運転暦三十余年、それもほとんど毎日クルマに乗り続けた私には、
カーナビなんて無用の物と思っていました。
しかし8月に北海道のレンタカーでカーナビを初体験
その後,クルマの修理で一ヶ月使用した代車がカーナビ付きで
すっかりカーナビのトリコになってしまったのです。

安くなったとは言え十数万はするシロモノです。
我が家の厳しいサイフをツカサどるYUKI様がそう簡単にOKするわけがないのです。
そこで、なぜカーナビが必要で、それを購入する事によって、どのような経済効果が
我が家に反映されるかのプレゼンテーションしなければなりません。

12月は毎年カレンダー配りがあります、この機会を逸することは出来ません。
カーナビを購入する事で、どれほど効率良くお客様の所を廻る事が出来るか…
そこで生じた時間を営業活動に回す事が出来たら十数万の投資なんて安いもんだ、
という主張でいくことにしました。
私の東京海上の担当者M君も私の案に大いに共鳴して
「12月に角倉さんに頑張って頂くためにもカーナビを買ってやってください!」と
YUKIの恐ろしさも知らず直談判をしてくれたのです。

事実、年末のカレンダー配りは結構ハードなところがあります。
12月は直ぐに暗くなってしまいます、何度か訪問したお宅でも迷ってしまい
クルマを降りて寒い中カレンダーを手に探し回るは辛いものです。
また普段は我が家から放射線状に慣れた道を行くわけですが
カレンダー配りの時は、地域を限定し違った動きをするため地図が必要です。
この地図を見ることが、辛くなってきたのです。
暗い車内の照明で細かな地図を見ながら走行するは困難になる一方で
カレンダー配りの効率は歳と共に低下してしまったのです。

カーナビは快適です!初めての訪問での暗い夜道も、家の前までピッタリ誘導してくれます。
こんな便利なモノが十数万なら安いと私は思うのですが…問題は費用対効果です。
これでバリバリ動こうと思ったらYUKIはカーナビを買ってしまったからガソリン代は
節約しろと言うのです。
「それじゃカーナビを買った意味が無い!」と私が言うと
YUKIは「食事代をガソリン代に回せば、少しは痩せて一石二鳥になります」と。

空腹に絶えながらでも、稼がなければもっと恐ろしいことになるのは”確実”です。
今年も後、数十日!がんばるぞ!!

P.S.カレンダー配りの事を書きましたが…
「なんだ、ウチに来なかったヨ」なんて言われそうなのでその前にご案内!
枚数や時間に限界があり全ての契約者にお配りする事が出来ませんので
お申込み頂ければ、東京海上日動の12枚カレンダーを優先的にお届けもしくは郵送いたします。

2004年11月29日045号 ヒロコの英語劇

先週は私がケボ劇団のスター?であったことを書きました。
そして実は!大学時代にはスペイン語の語劇で主役もやっていたのです。
オジャンタイという芝居でオジャンタイの役を演じたのですが
私が主役をやるようじゃ、もう”おじゃんたい”と言われました。

それから40年近くが経過して、蛙の子は蛙です…
ヒロコの英語劇を二夜連続で赤坂区民ホールにYUKIと見に行きました。
ビデオ撮りの使命をヒロコから授かっていて、二夜連続といっても同じ芝居だったのですが
演劇を見る目は、そこらへんの親とはチョットは違う、いや違うつもりであります。

ヒロコもまもなくテンプル大学を卒業するようですが、実にエネルギッシュに大学生活を
エンジョイしてきたようです。
サルサ倶楽部を立ち上げ、自ら振り付けをしての公演は何度も見てきましたが
その情熱は大変なもので、親バカかもしれませんが中々なものだと思っています。
授業はもちろんバイトもやりながらで、それだけでも充分だと思うのですが、
コーラス倶楽部にも参加しているかとおもったら、文化祭では教師のボサノバの
ギター演奏に合わせて、それらしい雰囲気で唄っているのには呆れました。
そして演劇です、実は昨年、初めて出演して味をしめたようです。
『乞食と役者は一度やったらやめられない』と言われますが、それは私も実感です。
それにしても、今年は3つの芝居に出演し、そのうち2つが二人芝居ですから
セリフの量だけでも大変なものです。

サルサ公演の時のヒロコの集客力には驚かされるのですが、
英語劇を字幕ナシで見るのには、かなりの英語力が必要でサルサのようにはいかず、
会場は閑散としたものでしたが…親とはエライものです!
私とYUKIはイベント皆勤賞?でテンプル大学でもかなりの”顔”なのです。

英語劇は、みんなが笑ったら私もつられて笑うという情けない観劇ですが
それでもヒロコの演技には気になるところが山ほど見えてしまいます。
けっしてヘタな芝居ではないのです。
それどころか本人は得意満面でノリノリでパワフルで
”サルサ”を踊っているように楽しく演じているのです。
でも、私にはそれがどうにも鼻についてしかたがありませんでした。

初日の公演を終え、満足感にしたっているヒロコに、その事を告げると
かなりのショックで疲れがドッとでて落ちこんで寝てしまいました。
そして2日目の演技はかなり良くなっていました。

ヒロコが保育園時代の学芸会…
とてもシャイで大人しかったヒロコの声はまったく聞こえませんでした。
会場の友達から「ヒロコちゃん聞こえないヨ!」というヤジが飛んだビデオが残っています。
それが、何でこうなちゃたのかね…とYUKIと笑ってしまいました。

2004年11月22日044号 ケボの会

私は「ケボの会」設立以来のメンバーです。
どんな会かといえば、ボケの反対で…ボケないための会です。
会員の条件は●現在ボケていないこと●ボケないために努力すること…といたってシンプルです。
設立したのは私の友人のKさん!彼女の住む多摩市(東京都)を拠点として活動し、
設立当初は老齢化社会を先取りした希少価値もあったのでしょう
NHK総合テレビが生中継で紹介したのをはじめ、新聞や雑誌にも多く取り上げられ
私もチョコチョコと出演?させて頂きました。

ケボの会の活動で私が大きく係わったのは演劇活動です。
会員には元映画監督や現役の俳優さんもいて劇団を作ろうという事になったのです。
もちろん、ほとんどが高齢者でセリフを覚えるのだけでも大変という中で
私は【ケボ劇団】の若手肉体派?男優として活躍?していました。
毎年秋に公演があって8年ほど続いてのですが、メンバーが高齢になりすぎた?事もあって
劇団は休止状態、ケボの会の活動も少なくなっていきました。
何事にもやりだすと熱中する私は演劇にもかなりハマッテいたので
YUKIはほっとしているようですが…。

そんな中で前回の理事会でKさんが、誰でも気軽に参加できるイベントで
お金をかけずに、楽しく長続きするような企画を何かない?…というテーマになったのです。
そこで提案されたのが『おしゃべりの会』です。
これなら、お金をかけずに誰でも参加できそうだし、それにしようとその場で決定!
行動力があって迅速に処理するKさんは、
会場を予約してケボ会報にもその旨を伝える記事を掲載しました。

ところがイベント担当の仲間の一人が
「まだ具体的な事が決まらない内に…」との慎重論が出てきたりしたのですが
私が「そんなの司会者しだいでどうにでもなるし、気楽にやろうヨ」と言ったために
「だったら司会進行のすべてを任せるから…どうぞ!」
…という事になってしまったのです。(^_^;)

11月17日聖跡桜ヶ丘駅前のOPAでぶっつけ本番の運命の日?です。
何人集るかも、何のテーマで行くかも未定のまま、10人ほどの人達が集りました。
顔見知りの方もいて、自己紹介に加えて「貴方にとって憧れのスターは誰?」という
他愛の無い質問ですが、けっこう盛り上がって、楽しく過ごすことが出来ました。
次回から、テーマを絞った、おしゃべりや討論をしていければ、
結構面白くやっていける手ごたえを感じました。

設立当初は高齢者を支えボケないお手伝いをと思っていたのですが…
これからは自分がボケないために、この会を積極的に利用する事になっていきそうです。

2004年11月15日043号 上下町(広島県)

土日と広島県の上下(じょうげ)というところに行っていて今(15日01:30AM)
クルマで我が家に着いたところです。
私が眠そうになると助手席のYUKIが私の頭をドツクだけという、いつもの
清く貧しく恐怖で楽しい?総走行距離1800キロのハードなドライブでありました。

今回は生命保険の仕事がらみでなく、まったくのプライベートのYUKIとの旅です。
実は私はこの広島の上下生まれなのです。
でも生後4ヶ月しかいませんでしたから、まったく記憶にありません。
上下は父の故郷でしたが、戦後まもなく家を処分して父の兄弟はすべて
上下を離れてしまいました。
しかし、その角倉家の蔵は上下町のシンボルとして残っているのです。

以前ヒロコと上下に来て、この建物の解説に【角倉財閥】と書かれているのを見て
嘆くやら怒るやら…「なんで、ウチの角倉家はこんな貧乏になったのか!?」と
私を責め立てるであります。
私も、その理由をしりたいぐらいですが、亡くなった父は4男だったからなのか、
頓着がなかったのか、蚊帳の外だったのか、貧乏をしながら、それなりにハッピーな生活し
それなりにハッピーに亡くなり、…
その長男の私も、貧乏とハッピーさだけを遺産?として引き継いだようです。

さてさて…なんで今、上下にいるかというと
伯父すなわち父の長兄の7回忌を上下の善昌寺というお寺で行なわれたのです。
私も今まで角倉家の法事で何度か尋ねていますが父の兄妹で残っているのは
私の叔母(父の妹)だけになってしまいました。

父は4男ですが、どういうわけか従兄弟の中では私が一番、長老?で
すっかり世代交代した今回の法事は感慨深いものがありました。
父の兄弟達が亡くなり、私が歳を重ねていくにしたがって
とても遠く感じていた上下が、だんだん身近に感じられ、なぜだかとても懐かしさが込み上げ
いとおしく思うようになってきたのです。

2004年11月8日042号 (080) 5090-6529

私のケータイの番号が変わりました。
あと2年ほど待てば、どこの電話会社のケータイに変更しても同じ電話番号が
使えるようになるようですが、どうにもそれまでは待てなかったのです。

私は今まで10年ちかく【Tu-ka】を使ってきました。
保険代理店という職業柄24時間24時間ケータイを持ち歩き、その消耗も激しく
これで4台目の【Tu-ka】でした。
最近の【Tu-ka】のCMで…
ダウンタウンのマッちゃん(松本人志)がシタリ顔で、こんな事を言っています。
「ええやん、話せりゃ…デンワなんやから」
ケータイが多様化に付いていけない”大人”を対象にした戦略のようです。
私も女子校生ではありませんから、ケータイ機能のごく一部しか使用しておらず
マッちゃんの「ええやん、話せりゃ…」でいいと思うのですが…。
問題は”話せない”のです。

私がこの事に始めて気がついたのは8年ほど前、まだ1台目の【Tu-ka】の時でした。
伊豆山(熱海)の東京海上の研修所に十名ほどの代理店が集まりました。
私のケータイは何時ものように”圏外”で公衆電話を利用していたのですが、
ふっと見ると仲間の一人がケータイで連絡をしているではないですか。
私は不思議そうに尋ねると、不思議そうに何で通じないのか、逆に聞き返されてしまいした。
そして、恐ろしいことに、集った仲間で【Tu-ka】は私だけで”圏外”も私だけで
笑いモノになってしまったのです。

でもその時はケータイ電話の創生期!
マイナー志向の私は、コレから【Tu-ka】も頑張って全国どこでもツーカーと繋がる
ようになると淡い期待を持ちながら…Tu-ka一筋に今日まできたのです。
しかし、その後に新しい会社もどんどん登場、ケータイの情報端末としての機能も
多様化していく中【Tu-ka】はますますマイナーになってしまい
マッちゃんの、アノ開きなおった?CMです…
ハラが立つのは、逆にますます繋がらなくなって、電話中でもプッツン・プッツン切れるように
なってしまった事です。
私のケータイの固有の故障かと最初は思ったのですが
同じ【Tu-ka】を使っているヒロコも、同じ現象がおきていたのです。

11月からクルマの運転中のケータイ使用は罰金を取られるようになりました。
そのためハンドフリーでケータイ使用が出来る装置を購入しなければなりません。
でも、ここでまたマイナーで数少ないTu-ka対応の装置を選ぶのも抵抗あり
これを機会に【au】に換えようという事になったのです。

イヤー見違えるような違いです!
10年間、我が家でケータイがかかったら電波が安定したベランダに突進していたのに
今ではトイレからでもOKです。(失礼)

【au】の契約にさいして、電話番号が刻印されたケータイの箱を数台並べて
ここから、好きな番号を選んで欲しいと店員から言われました。
私は迷わず…「コレくれ ロコ肉」と言いました。
(080)5090-6529です。YUKIは「ロコ肉って何?気持ち悪い!」と言いました。
ヘンな電話番号ですが、よろしくお願いいたします。

2004年11月1日041号 余市のHさんのご実家

今日(31日)はYUKIと国分寺市(東京)のお客様のところにお邪魔しました。
この夏、余市(北海道)でご契約いただいたHさんのご実家です。

実はHさんのお父様が9月に59歳の若さで癌で亡くなられました。
生命保険での給付をした保険会社が、お母様の保険プランをいろいろ持ってきており
その事で相談したいとHさんから連絡を頂いたのです。
そして納骨のためHさんが実家に戻っておられる今日が訪問の日となったのです。

国分寺の閑静な住宅地、玄関には大きなウサギの傘たてがあり、少し雑然とした(シツレイ!)
ひろい玄関に入ると、その家庭の温かみがワッと伝わってきました。
保険屋を長くやっていると、その家庭の雰囲気が玄関に入った瞬間で感じ取れるのです。
Hさんは女性4人姉妹の長女で、4女は高校三年生でお父様も気がかりだったようです。
でも、お母様を初め妹さん達にも、とても気さくにフレンドリーに迎えて頂き
私も調子に乗って時間を忘れ楽しく(何時ものように)話しこんでしまいました。

生命保険に何も加入されていないお母様には
一時払でムリのない範囲での終身保険と入院保障を提案しました。
保険料を東京海上に預けて頂くという感覚で、生涯の死亡と入院を保障するものです。
私としては、お父様の保険金を支払ったA社が提案しているプランと、しっかり長短を
説明して…と思っていたのですが、あっさりと決めて頂きました。

A社のプランは、『これだけ保険金を支払ったのだから、これだけ入れ!』と云った感じで
とても契約者の立場に立ったものとは、私には思えませんでした。
私の提案した保険は、何時もの事ですが代理店手数料からすれば代理店にとって
旨みのある保険とはいえません、逆に云うと契約者には有利な保険です。

私が北海道に生命保険の契約に行った事を”保険屋仲間”に話すと、誰もが大きな契約と思うようです。
それが個人契約で手数料が極小の入院特約中心の保険だと知ると、もう”バカ”にされるだけです。
でも、自分の利益を考えていたら、お客様本位の設計など出来るわけがないのです。
そして、その保険が気に入っていただければ、たとえ北海道でも沖縄でもどこでも行く、と決めています。
それじゃ採算が合わないと、誰もが思うようです。

しかし、ありがたいことに今回のようにHさんの方から、声をかけて頂き
しかも私の方が拍子抜けするぐらいあっさりとご契約いただけました。
余市に行ってHさんとお逢いするまではHさんのご実家が東京という事も知りませんし、
なんの打算があったわけでもありません。
ただ正直な仕事をしたら、正直に答えて頂けてた事に、とても心から感謝し、うれしくなりました。

Hさんのお父様の仏壇にお線香をあげさせて頂きました。
私と一歳違い…骨太で体格が良く健康そうで優しさが伝わってくる素敵な方です。
とても他人事とは思えない気持ちで手を合わせました。

お母様は生命保険の告知書に身長と体重を書かなければなりません。
おどけるように体重をご自身で量られ…「7キロもやせた!」と喜んでおられました。
明るく、明るく、振舞われるお母様に…胸が熱くなりました。

2004年10月25日040号 ダイエー帝国の盛衰

私が子供の頃…「だいえい」と言えば、市川雷蔵や田宮二郎や勝新太郎の映画の”大映”でした。
私が大学に入学した頃…父が私に「これからは流通が面白い!ダイエーに注目しろ」といわれた時は
大映がスーパーを始めたと思ったくらいでした。
私が就職をする頃…ダイエーは人気の就職先になっており、私も狙っていたのですが…、
大学3年生の時に阪急ブレーブスの初優勝という私にとっては歴史的出来事がありました。
そのため、この年は阪急の試合のほとんどを応援に行き、授業やテストをまともに受けなかったために
就職願書に必要な卒業見込書を大学が書いてくれず、まともな就職活動が出来ませんでした。
それでコネのあった洋菓子会社に就職して、幸か不幸か、ケーキ屋KENちゃんになったのです。

父は海外旅行代理店の創業期から活躍した人で、私が小学校1年生の時(昭和28年)に
海外旅行の添乗をしており、おそらく我が国の添乗員第一号だと本人は言っていました。
その父が朝日海外旅行の役員をやっていた時に、ダイエーに買収されました。
旅行業界の発展を心より願っていた父はこれから面白い時代がくると張り切ったのですが
あっさりと首を切られ、かなりのショックを受けていたのが今でも、思い出されます。

それから、各分野でのダイエーの買収劇はとどまるところがありませんでした。
ケーキ屋KENちゃんの私は銀座のお店の店長を長くやっていましたが、その中で
数寄屋橋にあったお店が閉店した後は、ダイエーのステーキ・ハウス『フォルクス』になりました。
まーこれは、買収ではなくテナントの入替ですが、
私にはダイエー帝国の脅威のようなものを感じずにはおれませんでした。

私は今日までに、なんらかのカタチでダイエーとかかわり、しかも父と同じように
なんらかのカタチで犠牲になった、という人達に多く出会いました。
もちろん私がそのような人を探しているわけではなく偶然に出会うわけですから、
それだけ多くの人達に影響を及ぼしてきたということでよう。
そして、そこから見えてくるものは『力の論理』『スケール・メリット』であって、そこで働く人達の
自主性や取引先などステーク・ホルダーとの共栄という考えもなかったようです。
私もダイエーに就職していれば、早い時期に止めていたかクビになっていたでしょう。

進化論のダーウィンは「生き残ったのは、強い動物でなく、環境に対応してきた動物である」と言いました。
時代の変化に対応できず崩壊したダイエーは恐竜やマンモスのように見えます。

今、わが保険業界も、スケール・メリットを求めての統廃合が活発です。
しかし、それがお客様にとって、どれほどのメリットがあるのかがイマイチ見えてきません。
「体力を強化しなければ生き残れない」というのでしょうが、体力を強化しても時代に対応しなければ
生き残れないという事を…
私はダイエー栄枯盛衰の40年間を見て感じずにおれません。

2004年10月18日039号 朝の強制?散歩

日曜日の朝9時、ヒロコの命令?で二人で散歩することになりました。

事の始まりは、我が家のリビングで床に落ちたシャツを私が取ろうとした事からです。
肥満気味で屈んで取るのがおっくうになっている私は、
両足でシャツを挟み、そのまま足を跳ね上げて、シャツを取ろうとしたのですが…
まったくタイミングが合わず、見事に尻餅をついたのです。
その様子の一部始終をヒロコはしっかり見ていたのです。
なんなく出来きた事なのに、身体がついていかなくなった事に私はショックでしたが、
その醜態にはヒロコもショックだったようです。
「KEN!何か運動しなきゃダメだよ、」

遠くにあった駐車場が閉鎖し、幸か不幸か駐車場が近くなり、サルサ教室もご無沙汰ぎみで…
毎日クルマで移動する私の運動不足はかなりのレベルまで来ている事はたしかなのです。
ヒロコは「毎朝、散歩でもしたら!」と言いました…
私が渋っていたら「じゃあ、せめて日曜日だけでも、皆んなで散歩をしようよ」と言うのです。

何か目的がなければ長続きしそうもないので、私は提案しました…
「だったら日曜日は毎朝デニーズまで歩いて行って朝食を食べるってどうかな?」
(いつもクルマでいく所ですが、歩くとそこそこあります)
私はファミレスの朝食が好きなのです、ホテルのビュフェとまではいきませんが
朝の光をいっぱいに浴びながら、のんびりと飲むモーニング・コーヒーはなかなかいいものです。

我ながら良いアイデアと思ったのですが
YUKIは日曜日の朝ぐらいゆっくり寝ていたい(日曜の朝でなくても”ゆっくり”だと私は思うのですが)
という事で却下となってしまいました。
それこそ毎日多忙でヒロコの方が、日曜日の朝ぐらいゆっくり寝ていたいだろうに…
そこまで私の健康を気遣ってくれるのですから、
こうなったら【ただ散歩するでけ】でも、やるきゃありません。

午前9時に出発、クルマでは通ることが出来ない道を選んでのんびりと歩いたのですが
けっこう起伏があり、小一時間の良い運動になりました。
そして、そして、何といっても朝食が美味しいコト!(まー何時も美味しいのですが)
なかなかダイエットとまでいきそうもありませんし、どこまで継続できるかもわかりませんが
ムリをせずに少しはがんばってみようと思った一日でした。

2004年10月11日038号 雨オンナ VS. 晴れオンナ

一ヶ月前に34号で、週末は横須賀のハーバーの自家用ボートで過ごされる
Yさんご夫妻から、生命保険のご契約を頂いただいた上に、船内でご馳走にまでなった
話をいたしました。
もちろん、その時も大いに盛り上がったのでありますが、なんせコチラは仕事、
それにクルマで伺っているので、アルコールも控えなくてはなりませんでした。

で…「次回は、お嬢さんもご一緒で心おきなく飲みましょう!」との嬉しいお言葉を頂くき、
遠慮というものを知らない私達はもちろん「是非!是非!ヨロシク!」と喜びました。
その日にちが10月10日(日)と決まったのです。

問題は天気です。
一週間前の週間天気予報だと、台風が接近しており週末は大荒れだと言うのです。
海が好きで飲んべいでのヒロコは今回のお誘いを楽しみにしているのですが、
もの凄い【雨オンナ】なのです。

この天気予報を気にしてYさんから、メールが来ました。
台風だとボートは出せないしバーべキューもムリだけど、Y夫妻はどっちにしても
週末は船内で一杯やるので、どうしますか?と云うものです。
多忙なスケジュールを開けて、楽しみにしていたヒロコは
「日延べしたって、私が行くと雨になるんだから、行こうヨ!」と云うのです。
その旨をメールで伝えると
何と!頼もしい返事がYさんからありました。

>私は自他ともに認める最強の晴れ女です。
>今年はこんなに台風が頻発しているにもかかわらず、 8月には伊豆七島にクルージングに行き、
>9月には台風の合間をぬって西表島にも行きました。 タイミングもドンピシャでした。
>(偶然でしょうけど・・・私が計画した旅行で雨にたたられたことは今のところ一度もありません。)

さすが、晴れオンナのYさん!、週末は絶望的と思われた台風は日曜日に大暴れして通過してしまったのです。
しかし雨オンナのヒロコもしぶといもので、台風一過の好天気といかず
午後には小雨も降らすネバリ?を見せたのです。
何はともあれ、一日ずれていれば台風のまっただ中だったわけでラッキーでした。

メイン・メニューは釣ったばかりという、ブリの刺身とシャブシャブです!
Yさんのご主人曰く…「今朝、海を見たら”鳥山”がたっていたから急遽船を出して獲って来た」と云うのです。
”鳥山”とはブリやカツオの大型魚がイワシのような小魚を追う時に、小魚が群れをなして逃げ
そこに大型魚が突っ込む時に小魚が逃げて海面に上がってきて、それを海鳥が集って襲う現象だそうです。
すなわち、海面に海鳥が集っていたら、そこにブリやカツオの大型魚がいるという事です。

それを見て、すぐ船をだしてブリを何匹も獲ってくるYさんのご主人の凄さ、そして東京湾の豊かさに
またまた今回も感心してしまういました。

獲れたてのブリ!西表島の泡盛!…飲むべい雨オンナのヒロコも大感激!
たらふく食べて、飲んで…大満足です。
今晩はマリン・ポートからほど近い観音崎の京急ホテルの特別割引券を頂き、
そのゆったりしたホテルの一室で海の音を聞きながら私は書いています。
もちろんYUKIとヒロコはグーグーと気持ちよさそうに寝ています。