2004年10月4日037号 イチロー

私のデスクのガラス板の下に、10年前(1994)のオリックス・ブルーウエーブの開幕前の全選手の 集合写真が置かれています。 その一番後方の左から3番目に入団から3年目の鈴木一朗選手が小さく写っています。

それから、たった10年! 大リーグのスーパースターになるとは誰が想像したでしょう… 実は、その片鱗を私は早くから見つめていたのです、エッヘン!

ドラフト4位で入団した1年目からウエスタンリーグ(二軍)での連続安打記録を作り、ジュニアオールスターで 最高殊勲選手に選ばれ、その賞金はそっくり施設に寄付しちゃうという、非凡さに… このチームをずっと応援してきた私は大いに注目したのです。 しかし2年目には、まったく彼を目にしなくなり私の不満が絶頂に達した年でした。 その時の監督、土井正三氏に認めてもらえなかったようです。

私はもの心ついたころからの阪急ブレーブス・ファンだった事は【22号 】で述べました。 その阪急がオリックスに買収され、2年間はオリックス・ブレーブスだったのですが 元巨人軍の土井氏を監督を迎えるを機に、球団名も今のブルーウエーブに変更して 阪急ブレーブスの名は一掃されたのです。 阪急と巨人はまったく対照的なチームで阪急ファンの多くがアンチ巨人であり その巨人管理野球を代表する土井氏の起用は、阪急ファンの気持ち逆なでし 多くにファンが去っていたのです。

しかし入団3年目に個性的な仰木彬氏が監督に就任し 登録名もイチローと命名され、その年にいきなり210安打(130試合)の日本記録で ”ごぞんじイチロー!”の大活躍が始まるのです。

そして阪急ファンとして消えかかった炎がイチローのおかげで再燃し、家族で球場に 足を運び、熱く応援してきたのですが…。 2002年大リーグへ!

この時、イチロー移籍金として大リーグから14億円の金額を受け取ったオリックスと 野茂を大リーグに放出した近鉄が、プロ野球は儲からないからとファン無視の合併をしました。

日本のプロ野球に愛想をつかした私ですが、選手やファンが燃えて、新しい動きが 出てきた事には、「まだまだすてたもんじゃない…」と云う気持ちも出てきました。 しかし合併チームを応援する事は、もうありません。

アメリカの大地で、前人未到の大記録に常に挑み続ける剣豪”イチロー”はまだ30歳(22日で31歳ですが) もう目をはなせません。

2004年6月21日022号 たそがれのプロ野球

私はモノスゴイ!【阪急ブレーブス】のファンでした…現在のオリックス・ブルーウエーブです。 どのぐらいモノスゴイかというと… 私の10代 前半、すなわち小学校から結婚するまで、私が通った学校や職場において、 私の名前や顔は忘れられても、『モノスゴイ阪急ファンがいた!』事は みんな覚えているのです。 すっかりボケてしまった私の母でさえ”私の阪急”だけは、しっかり覚えて?いるのです。

【阪急ブレーブス】の事をココで書き出したら、1年間は軽く連載出来 ちゃいます!… でも気がついたら誰も読んでいなかった、なんて事になりそうなので書きません。 私はそこから多くのことも学びました… そう !私の人生の前半は【阪急ブレーブス】から、そして後半は【モノスゴイYUKI】によって 人間形成が成されたのです!

1988年…その【阪急ブレーブス】がオリックスに身売りするというニュースが流れた時は ショックで、 食事が喉を通らなくなりました。 でもボクは”阪急”という会社のファンではなく”ブレーブス”というチームのファンだった事に気付くと 食欲が元に戻りモリモリ食べました。 それからは【ブレーブス!】【ブレーブス!】と言って、またモノスゴク応援しました。

しかし1991年…オリックスは【ブレーブス】を【ブルーウエーブ】に変更しました。 これによってブレーブスのマスコット・キャラクターだった”ブレービー”も居なくなりました。 ヒロコが誕生した時に真っ先に与えた人形は”ブレービー”でした。 その”ブレービー人形”を持って、どれほど試合を見た事でしょう、本物の”ブレービー”に逢いに 新幹線や車で西宮球場にも何度も足を運びました。

もう”阪急”とも”ブレーブス”とも呼べない、だからといって「ブルーウェーブ」とも呼びたくない。 「ブ」と呼ぶしかないのかと、ブーブー思いました。

それでもイチローというスーパースターも誕生し東京での試合はもちろん、グリーンスタジアム神戸にも ファミリーで応援に行きました。 しかしイチローも、長谷川も、田口もメジャーリーグへ去りました。

オリックスは、それまでの球団の歴史や文化を引き継ぐどころか、阪急色を消す事にエネルギーを 使っている事にも腹立たしく 、私の情熱も少しづつ冷めていきました。

【近鉄バッファローズ】との合併ニュースは先週、仙台のホテルで知りました。 来るときが来た…と思っただけで、YUKIと笑ってしまいました。 このニュースから一週間ほどたちますが、ファンの声はほとんど 無視されているようです。 合併は護送船団の球界の満場一致?で決められたようです。 ファンの声が聞こえない…というのはファンもその程度で「どうでも良い」という事なのでしょう。 ようするに、プロ野球なんて、どうでもよくなってしまったのでしょうか。

これだけ、多くの人に愛され、歴史をもったプロ野球を文化として育てる事を怠って 目先の利益や、小手先のファン・サービスでお茶を濁してきたツケが回って来たのです。 ディズニーランドが賑わっているのは、親もミッキーやドナルドが懐かしく楽しいからです。 メジャーリーグ はアメリカの文化として根付かせる努力をしてきたのです、 だから我々 ガイジン?から見ても楽しく、多くのプロ野球選手も メジャー・リーグに憧れるのです。

私は日本のプロ野球にもう多くは望みません。 ただ、これから始まる、たそがれゆくプロ野球をこの目でみていきたいと思います。 巨人軍 の一球団になるまで…。