2005年11月28日097号 1泊4日?2000キロ

先ほど(28日午前2時)に、またYUKIとのクルマによるハード・ツアーから帰ってきました。

もうチョット早い時間に帰ってこれないのか?
いや、そんな事はYUKI様が決して許してくれません…それはETCがあるからです。
あの、有料道路の料金所をスーとパスして行くヤツです。
料金所をスーとパスするからと言っても、料金を払わなくて良いわけではありません。
後からチャンと請求が来るのですが、
色々な割引があってYUKIは何時もその計算をしているのです。
最も私たちにとって大きな割引は、深夜の3割引です。
これには色々なルールがあるのですが、先ほど帰宅の時に利用したのは
午前0時以降に料金所を出たなら3割引になるというものです。
ようするに私は…
午前0時前に東名川崎インターの料金所を出る事が出来ないサダメなのです(^_^;)

今回の旅は広島です。
26日土曜日午前10時に生保のメール相談のHさん宅に伺うのが主な目的です。
広島は川崎の我が家から約840キロ、往復1680キロです。
しかし今回、私が毎日つけている走行距離によると
25・26日が1062キロ、そして27日と28日未明までが920キロで約2000キロも走った事になったのです。

実は25日の金曜日は超多忙でナンヤカヤとクルマで駈けずり回った後
知り合いのコンサートを晴海の第一生命ホールで聞いて、その足で広島に向かったのです。

前日も数時間しか寝ておらず、今回眠気覚ましにレンタル・DVDをカーナビで見るという秘策?で
『ハリー・ポッター』3本持参!
イッキに名神高速の養老サービス・エリア(岐阜県)まで行くが、そこでちょっと力尽きて仮眠を…。
でも、けっこう余裕を持って広島に着く事が出来てHさん宅に…。

何時もの事だけど、ネットのお客様の訪問はとても楽しい、メールで気心も知れているし、
また、初めてお目にかかれる感動もあって、私のテンションも一段と高くなってしまい
いつも横からYUKIに睨まれたり、蹴飛ばされたり?されてしまうのです。
とっても可愛い2歳のMちゃんも最初は私を歓迎してくれたのですが、大好きなパパが
大きな声のヘンなオジサンに何時までも捕まっているので怖い目で睨まれてしまいました(^_^;)
Mちゃんを入れてHさんご夫妻と私の写真をYUKIに撮ってもらい、この週刊KENに載せても
良いかと訊ねたら…「広島で先日あいりちゃんの怖い事件があったので…」と恐縮そうに言われました。
ほんとうに私もそうだと思ったのですが…YUKIは帰りのエレベータの中で、
「ほんとうにKENはデリカシーのカケラもないバカだ!」とさんざん言うのです。

せっかくココまで来たのだからと、広島在住の親戚や知人宅を4件ほど回ったのですが
どこも留守で、ホテルにチェックインしようとした時、ケータイが鳴りました。
先ほど訊ねてお嬢さんしかいなっかた親戚の(角倉)博志クンからです。
家で広島名物のお好み焼きを作るから来いというのです。
広島まで来て、またYUKIとの悲惨な夕食を予想していましたから、断る理由などありません。
ホテルでシャワーだけ浴びて、また博志クン宅へ訪問です。
博志クンは外語大で中国語を学び、広島銀行に入社して上海や香港に駐在し、
現在は保険窓販の担当をやっているようで、その話もとお互い思っていたのですが…

奥様とお嬢さんが急の来客にも手際よく焼いて頂いた美味しいお好み焼きをパクパク食べて、
ワーワーしゃべっているうちにアッというまに時間が経過
またまたYUKIから、たしなめられてホテルへ戻りバタンキューで長い一日が終わりました。

翌朝、目が覚めたのが9時30分!あわてて10時のチェックアウトを済ませて
ロビーに用意されているコーヒーとパンで朝食を。
ホテルのフロントで今お勧めの観光スポットはと聞いて教えてくれた『縮景園』、最高でした!
庭園そのもの素晴らしさはもちろん、紅葉・澄んだ冷たい空気・明るい日差し、
ほんとうに心が癒される思いがしました。 写真1 写真2 

広島と言えば【紅葉饅頭】という事が閃きました。(^_^)
でも、どこのが美味しくて、どこで売っているかも、よくわかりません。
広島駅に行ってみれば売ってるだろうとクルマを駅に近くに止めようしたら
クルマの目の前に、ちょっと寂れた…良く言えばレトロな感じの紅葉饅頭の店があります。
クルマを路上駐車して広い広島駅で【紅葉饅頭】を探すより、ちょっとマイナーな感じはしますが
目の前の自家製紅葉饅頭には引かれるものがあります。
そこの店主夫妻に聞くと、紅葉饅頭のメーカーは30ぐらいあるそうですが、この店はココで作って
ココだけしか売っていないそうです。
味の事は何も言わなかったですが、まーそうあたりはずれもないでしょうから1000円のを4箱
買ったら、ご主人は店から出て私たちのクルマを見送ってくれました。

それから神戸に向かいました。
前回の神戸ツアーでお世話になった方たちへお礼とカレンダーを届けるためです。
そして一路我が家へ、無事2000キロの旅は終わりました。
次はどこになるのか楽しみです。

2005年11月21日096号 Dr.KEN初セミナー顛末記

Dr.KENのセミナーをやりたい!
そんな気持ちは私がホームページをスタートした時からありました。
思いだけを何時まで抱えていても始まりません。
まずは日時や会場などを決めて、どんな形でもやって見る事だと決心したのです!

『会場』は私の友人Y氏が所有する麻布十番の小さなビルのレンタルスペース。
私を含めて10名も集まれば満員の小さな部屋ですが私のイメージにはピッタリです。
『日時』ですが、毎月あるアカラックスの坂本セミナーの翌日(これが今回は大正解)
という事で11月18日(金)午後2時から4時と決めました。
『参加費』は1000円(お茶付)! 坂本セミナーは5000円でお茶も付きません(^_^)
『セミナーのテーマ』は初回で、どのような人達が集まるかも未定なので
、参加者の要望を聞きながら対応しようという事で「Dr.KENの生命保険よもやま談義」です。

セミナーの開催掲示は
Dr.KENが活躍?している【保険選びネット】の生命保険セミナー告知板
それに、ロコハウスのHPの表紙の”今年はサンバ(3羽)”のイラストのすぐ上にリンクをはりました。
開催日の1ヵ月前でした。

小さな会場での茶話会のようなものですから…
カノ有名?なDr.KENのセミナーだったら数名は来て頂けるとタカをくくっていたのです。
しかし直前になっても、誰からの反応も音沙汰もまったくありません。(^_^:)

それに嘆いていると、ヒロコから「バカジャン!」とのひと言です。
今までメール相談があった人達のメールアドレスは残っているのだから、
その人達に直接ご案内を送るべきだとヒロコはいうのです。
私は素直に聞き入れて80名位のアドレスをBCCにまとめて送ったのが3日前です。

そしたら早速、数ヶ月ほど前までメール相談にお応えしてきたMさんから返事がありました。
喜んでメールを開けると、短い文章に
「お手数ですが、こちらのアドレスをリストから削除願います」
…もう何だか情けなくなって落ち込んでしまいました。

それから何通かの返事が入ってきて、今度は恐々と開けて見ます…
それらは嬉しい事に、激励や近況を伝えてくれるものでした。
遠方や日時の都合で今回は行くことが出来ないけど
チャンスがあれば是非参加したいというものです。
メールの相談者は全国です、明るい気持ちを取り返す事が出来ました。

私のDr.KENのセミナーの前日、アカラックスの坂本さんのセミナーの当日の朝…
友人の丸谷君(セピア色の友)からメールが入っていました。

「どうしても人数集まらなければ、明日午前中にでも携帯まで。なんとかできるかも知れない。丸谷」
涙が出るくらいありがたいメールですが、どうして彼が現況を知っているのでしょうか?
BCCで送った80名のメールリストに彼のアドレスを間違って入れて送ったのがわかったのですが、
これは怪我の功名です。
さすが時間に自由が利くテレビ局のプロデューサーと感謝しつつ
YUKIと恒例の坂本さんのアカラックス・セミナーに向かいました。

今月のアカラックス・セミナーのゲスト・スピーカーの水戸さんは、
私がゲスト・スピーカーをした9月のセミナーに初参加して、
私の生命保険に対する考えに心から賛同してくれたのは嬉しいのですが…
とても声が大きく、とても騒がしくうるさいヒトなのです(^_^;)…この私がそう思うのでから相当なものです。

セミナーの終りに坂本さんから明日、私のセミナーがある事を宣伝して頂きました。
まず水戸さんが「角倉さん水臭いですよ!ひと言私に声を掛けてくれれば、喜んで参加するのに!」と…。
でも彼が参加したら私なんか霞んでしまいそうです。
結局、翌日のセミナーには坂本さん・中田クン・水戸さんの3名、それにMクンの4名のプロの参加が決まり、
YUKIと私、それに一般参加者として丸谷君が1・2名でもつれて来てくれればピッタリ収まりそうです。

翌朝、丸谷君のケイタイに電話を入れると、とてもとても情けない声で…
「ゴメン!風邪でダウンしちゃって、行けそうもない」

結局は、何の事は無い前日の2次会・3次会と同じメンバーです。
これではあんまりなので、この会場のオーナーY氏に途中からでもいいからと一般人として
参加してくれと嘆願して…
記念すべき【第一回Dr.KENのセミナー】はスタートしたのです!
とはいってもこのメンバーですからセミナーというより、もう座談会です。
私のHP閉鎖問題からはじまって、約款の話、保険業界の話、明治安田生命問題と
話はどんどん展開し、気が付けば終了の4時を大きく回って、Y氏から私のケータイに
タイム・アップの電話が入り終了です。 写真1 写真2
1000円の会費を払ってでも参加してくれたプロ4名には本当に心から感謝です。

「途中参加してくれと言われたのでドアの前まで来たけど、
何だか大きな声で難しい話を凄い議論してるから、ボクなんか出る幕ないと遠慮しちゃったよ」
とY氏から言われてしまいました。
多分、水戸さんと私の声が大きかったのでしょう(^_^;)…でも今回はそれで正解だったようです。
昔から懇意にしているY氏も私の性格を良く知っているので、いろいろ今後のセミナーについて
アドバイスをしてくれました。

Y氏、風邪で来れなかった丸谷氏、セミナー参加の4氏…持つべきものは友!
との思いを強くするとともに、次回の第二回Dr.KENセミナー1月(下旬予定)は今回の
勉強を糧にして、セミナーらしいモノにしていこうと思っています。

どんな事があっても、私のセミナーはこれから全国行脚も含め、ライフワークとして
やっていく事が出来たらと思っているのです。
何か良いアイデアやアドバイス、やって欲しい企画など、どんどん教えてください。
そして、一人でも多くの方とお逢い出来る事を楽しみにしています。

2005年11月15日095号 11月11日の時効

昨年の11月11日の事です。
マンション前に停めていた愛車のサイドミラーに駐車違反のビニール札がロックされていました。
「こんなところで!」…というショックもありましたが、
私が、もっとショックだったのは、これで【違反点数】が5点になってしまったからです。
もうこのあとは、何かの交通違反を一回でもしてしまったら免許停止(30日)になってしまうからです。
ようするに、免停のリーチがかかちゃったのです。
でもこの日から1年間、まったく無違反だったら【違反点数】の持点5が全て消されるのです。(^_^)

こうなったら、何が何でも安全運転の無事故・無違反でいくしかありません。
でも、気のせいかも知れませんが、最近やたら交通取締が厳しくなった気がするのです。
こんな事をいうとYUKIは…
「KENがボケて注意散漫になっただけで、そんな言い訳は見苦しい!」と一刀両断にされます。
でも、私は運転免許を取って40年近くになりますが、
これほど短い期間に違反点数をたくさん頂いた?事はないのです。

ゴールド免許制度が出来てかなりになりますが、私には縁の無い制度です。
何も開き直ったり、まして自慢してるわけではありませんが
私は年間3万数千キロ、一月約3000キロ近く走っているのです。
私より何倍も多く走行している、個人タクシーをしている友人はゴールド免許を自慢していますが
タクシーの運転手が駐車違反で捕まる事はあまり考えられないのです。

私の違反の大部分は駐車違反です。
月3000キロ走ってますが、タクシーのように走るのが仕事ではないのです。
目的地に行ってのビジネスが目的で、その間どこかにクルマを駐車しなければなりません。
目的地に必ず駐車場があるとも限りません、無のが通常です。
そしてココだったらまず駐車違反は無いと思っているようなところでも
通報されたりして、キップを切られてしまうのです。

実は、違反点数が5点になったのはアッというまで1年にもならない期間だったのです。
実は、その1年前に7点で30日の免停免除の講習を受けていたのです(^_^;)
ようするに、この数年の間に12点の軽微な違反が集中してしまったのです。

もちろん、これら全てが駐車違反ではありません。
ある時はクルマの後部座席にある地図帳をとるためシートベルトを外していたら
信号の無い大きなT字路で、警察官がシートベルトの一斉取締りをやっているのです。
慌ててシートベルトを占めなおして、前のクルマが止められているのを幸いに
そこを素早く通り過ぎようとしたら、一時停止違反で捕まってしまったのです。
シートベルトなら減点1だったのに、一時停止違反で減点2を取られてしまいました。

また川崎の駅前の道路を間違えて一本手前の一方通行に入ってしまいました。
信号のところで目的の道路に出ようと右折したら,真後ろにパトカーがいて呼止められました。
右折禁止を曲がったというのです。
一通路は対向車が無いわけで、右折禁止は通常は考えられません。
そんな標識があったとは気が付かなかった私が悪いのでしょうが、
それをパトカーの真ん前でやってしまう自分の間の悪さに泣けてきました。
その後の助手席いたYUKIからの”ばじ雑言”にも、ただただ耐え忍ぶだけです。

YUKIは、それらは全て、私がボケてきたというのです。
私の取り締まりが厳しくなってきたという主張には耳も貸してもらえまん。
まーどっちにしても、
1年間も無違反でいる事は、大変であることをその時から実感していたのです。

ところが、先日の11月11日(金曜日)、無事この1年間、無違反で時効を迎えたのです!
人間なにごとも「成せば成る!」です(エッヘン)
最後の数ヶ月は結構神経を使いました。
少々駐車場が離れていても必ず入れるように心がけ、
どうしても路上駐車しなければならない時は、ケータイの番号を大きく書いた紙を
クルマのダッシュボートの前に置いて、なるべく短時間で引き上げるようにしたり、
11月11日が来るのを指折り数えていたのです。

無事11月11日を経過したのですが、ココに来てちょっと不安が残っています。
それはYUKIから言われた「ほんとうに11月11日なのですか?」という事です。
その時の違反キップが見つからず、私の記憶だけなのです。
また深夜の高速道路を頻繁に使う私ですが、そのスピード違反を自動的取締りをする
オービスの通知は3ヶ月ぐらいして来る事もあるというのです。

よーするに、交通安全には時効が無いという事、
そしていつまでも心を引き締めて安全運転に努めなければならない…という事なのでしょう(^_^;)

2005年11月07日094号 保育園の同窓会

保育園の同窓会…と言っても、私の保育園時代の同窓会ではありません。
もっとも、私の時代には保育園というものが、なかったと思います。(多分)
だいたい保育園生の同期が集まって数十年後に
「さくらんぼ組のN先生にはまいったよな」なんて話はあまり出来ないのです。
本人達にはほとんど記憶がないわけですから…
懐かしいのは親同士です。

11月3日(祭)にナオキ君のママのコンサートがありました。
ナオキ君は保育園時代から目立ったやんちゃでアイドル的存在でした。
その後は、バンドを作ったり、スキーで活躍したりして
早くも二児のパパになって今ではロコハウスのお得意様です。
ナオキ君の長男は保育園時代のナオキ君と、まったくソックリで混乱します(^_^)

ナオキ君のママの演奏は、もう昔からよく聴いていますが
その素晴らしさは折り紙付きで、いつも楽しみにしているのですが…もう一つの楽しみが
それに集まった保育園仲間のミニ同窓会となる帰りのレストランでの食事です。
でもこれには一つ問題があります、ナオキ君のママはコンサート関係者との
打ち上げがあるため、我々のミニ同窓会には参加出来ないことです。

で、今回は私たちが、その”打ち上げ”の方に急きょ、参加させて頂いたのです。
と言っても我々同窓会組は、私たち夫婦とゼン君のママ、それに
マコ(真)ちゃんと1年下のハルカ(空)ちゃん、ひとよんで【真空パック】姉妹と
そのママの合計6名です。

コンサート関係者も十名足らずで、予約していた小さなイタリアン・レストラン
の椅子が足りそうもありません。
そうなると、こちらとしては恐縮して遠慮がちになってしまうのですが…
テーブルをぎゅうぎゅうずめにして、乾杯のビールを飲めば
もう、そんな遠慮はどこかに飛んでしまい、楽しいひと時です。
(YUKIはビールを飲まなくても何時も飛んでると申しておりますが…)

少々残念だったのは、いつも彼女の演奏会で素晴らしいピアノ演奏をする北条直彦氏
一度でもお話が出来たらと思っていたのですが、それが出来なかった事です。
なんせ、私は隙間なく一列に並べられたテーブルの一番奥にいて身動きが出来ず、
同列の遠い位置に北条氏がいるのですから(^_^;)

イタリアン・レストランでの打ち上げは終わったのですが、
食べ盛り、飲み盛り?のマコちゃん・ハルカちゃん姉妹には、ものたりなりなかったのか
生田駅前(小田急線)の『居酒屋ふう』に行こうというのです。
そしてケータイでゼン君に来るようにメッセージを入れているのです。

この日、ヒロコは友人のホームパーティーに行っており、帰宅が遅くなります。
それならこっちで合流し、タクシーで帰ればという事になったのです。
すなわちコンサートに行った6人に、ゼン君とヒロコの2人がプラスされて
8人での3次会、いや同窓会です。

この店はゼン君のお気に入りだそうで、いろいろな飲み物や肴(さかな)を
私たちに説明して、手際よく注文をしてくれます。
マコちゃんともよく飲みに来て、もうすっかりお馴染みのようです。
ゼン君が「そうそう、ダイスケも呼ぼう!」と言う事になりました。
ダイスケ君のパパは昨年5月にイラクで亡くなった橋田信介氏です。
ダイスケ君もココがお気に入りでゼン君とよく来るそうですが
あいにくにも海外での社員研修中だったようです。

最後にヒロコも加わって同窓生4人と、その親4人の半々になるわけすが
こうなるともう、もうイニシャチブは完全に子供側です。
それにしても、この4人はよく飲み、よく食べます。
ヒロコも昼からビール、ワイン、日本酒、そしてウオッカまで飲んだので…
とケータイでは言っていたのに、この居酒屋にお気に入りのベルギービールが
ある事に感激してケロッとした顔でお変わりまでするのです。

でも、今や全員社会人、でもそれぞれが個性を持って逞しく育っているようで
とても楽しみです。
今回は3家族でしたが、もっともっと多くの家族が集まると、面白いと思います。

3次会には出席できなかった…ナオキ君のママ
今回のコンサートの裏方としても活躍されたパパ、
弟のモトキ君(保育園の同窓)、
そして何よりも2児のパパになったナオキ君ファミリーが加わっただけでも
かなりのモノになると思いますが(^_^;)

ナオキ君のパパもとても個性的で、
今回のコンサートでもホールのガラス張りの調整室?にいて、とてもサマになる人…
そしてこれが彼のホームページです。

P.S.
先週93号でお伝えした【ハッカー???坂本さん】が、その後4日間でカフェ(掲示板)を
復旧して頂きました。詳しくは【Dr.KENのホームページ奮戦記】に書きました。

2005年10月31日093号 ハッカー???坂本

ハッカー坂本…
それは、この週刊KENでも今やお馴染みになった
アクチュアリーでアカラックスの社長、坂本さんの事です。
実は今日(30日)我が家で命名したばりの彼の愛称です。

なぜハッカーかというと、坂本さんがパソコンで悪い事をしているという意味ではなく、
ハッカー並みの凄い知識を持っていることがわかったからです。

なぜ今日、命名したかというと…今日我が家の3人で、アカラックスのオフィスの伺って
私のこのホームページのロコハウス・カフェ(掲示板)の復旧のアドバイスを受けたからです。

なぜ、坂本さんのところの行ったかというと…
私の掲示板の今までの書き込みがすべて消えてしまって、その原因も判らず
バックアップも取っていなかったのです。
我が家のwebマスターのヒロコもお手上げ状態だったのですが、
坂本さんから、今までのかなりのカキコミをネット上から拾ったとのメールを貰ったのです。

日曜日の神田は静かで人気も少なく、アカラックスのオフィスの正面のパーキングメーター
の前にクルマを止める事が出来ました。
考えて見ればシラフで、しかも明るい昼間にこのオフィスを訪れるのは初めのようで(^_^;)
まず、歴史的価値もあるというオフィスのビルのエントランスで一枚!

日曜日は静かに仕事が出来るという事で坂本さんは、ほとんど出勤されているよです。
社長業は365日仕事!と私も含めて(^_^)大変なのです。
それとも家に居れない事情でもあるのかもしれません(冗談)

坂本さんの奥様からの差し入れという美味しい生チョコと紅茶を飲みながら
パソコンを開けて坂本さんからヒロコはいろいろ教わっているようです。
「いるようです」と言ったのは、パソコンが高度な扱いになると、ヒロコにまかせきりなるからです。
今日の訪問となったのもヒロコの都合がこの日しかなく、それに坂本さんがあわせてもらったしだいです。
したっがて私はただ側でボッと見ているだけです。
何だか専門用語?が出てきてヒロコはさかんにうなずき、感動しているのはわかるのですが
何の事だか私にはわかりません。
ただ、坂本さんがパソコンにとても詳しく、私の掲示板の危機を救ってくれそうな事だけは
横から見ているだけでも判りました。

なんで、そんなに詳しいかと訊ねたら、パソコンが無い時代から保険会社で
コンピューターを操作していたというのです。
そのころのコンピューターには画像が無かったというのはヒロコにも想像がつかないようです。
まーようするに、東大の数学科を出て保険会社で保険数理のアクチャリーとして活躍した人ですから
どうも私のような凡人とは頭の出来が違う事はたしかなようです。

もう坂本さんには恐縮するばかりですが、坂本さんもただ奉仕するばかりではありません。
ヒロコにも書類を出して”或るモノ”をさかんに勧誘していました。
”或るモノ”とはアカラックスが社運をかけて?発売した明楽寿(あからくす)共済です。
我が家では、ひそかに明楽寿”共済”ではなく明楽寿”交際”として交際費として落とす事を
考えているシロモノですが、なかなか興味深い共済(保険)である事はたしかです。
この事に関しては、いつかもっと詳しく書こうと思っています(^_^)

そんなパソコンに詳しい坂本さんなのに、アカラックスのホームページ
その片鱗を見せない、謙虚さが素朴でいいですね(^_^)

2005年10月24日092号 越前クラゲ

今年の3月の北陸ツアーで本場の【越前ガニ】をゲットした話をしましたが、
【越前クラゲ】が今、異常繁殖しているそうです。

冷やし中華にクラゲが入っているとゴージャスな気分になりますし、
中華料理のコースで最初にクラゲの前菜が出てくると、
「さー食うぞ!」とハッピーな気分になります。
しかし、クラゲを腹いっぱい食べてみたいと思った事は、
私の長い人生の中でも1度もありません。

日本海を見た事が無いと言っていたYUKIですが、今年は今までに…
2回の北陸ツアーで越前海岸や能登半島、そして鳥取のイカ釣り船の漁火、
舞鶴訪問では天橋立、若狭湾と日本海を堪能してきました。
その美しくてのどかな日本海が【越前クラゲ】で覆い尽くされて漁業が出来なくなっているというのです。
なんだか他人事とも思えず、このニュースに注目してしまいます。
これが【越前ガニ】に覆い尽くされているなら、その駆除?に協力するという名目で
現地に駆けつけるのですが、【越前クラゲ】だと「漁師さんが気の毒だなー」と思うだけで
終わってしまいます、ごめんなさい。

【越前クラゲ】の繁殖はしばらくは続くようで、日本海側から太平洋側にもひろがり
その数は5億匹にも及ぶと言われているようです。
地元では、その有効利用も色々考えてクラゲ入りのアイスクリームも開発されたそうですが
そんなものが少々売れたからと言って、5億匹の大型クラゲ対策にはなりそうもありません。
だからと言って巨大投資をして、たとえばコラーゲンの抽出工場を作っても
大量繁殖はこの年だけならビジネスとしては厳しいかもしれません。
これが【電気クラゲ】なら原発に変わる発電所を!…なんてアイデアが一瞬閃いたのですが(^_^;)…

そもそも、どうして【越前クラゲ】がこんなにも異常繁殖してしまったのでしょうか?
あるテレビ・ニュースで地元の漁師さんが
「クラゲが悪いのでなく、人間が悪いのだ…」と言っていたのが印象的でした。
魚が乱獲されて、プランクトンを食べる魚が減ったため、プランクトンがまず増殖して
それを食べるクラゲが地球温暖化と中国の工業排水との関連で異常繁殖したというものです。
ようするに、中国の乱獲と工業排水にも問題があるということでした。
しかし、最近のニュースではもっぱら地球温暖化だけが取り上げられているようです。
これは小泉さんの靖国問題で中国に遠慮しているのかもしれませんね。

大きさ1メートルもあるという巨大クラゲが環境破壊の中で5億匹!そして繁殖を続けていると聞くと
なんだかSF小説のようで、とても不気味に思えてきますが…
人間は環境破壊をしながら現在では、地球上に60億匹じゃなかった60億人もいるのです。
400万年の人類の歴史において、1万年前は1000万人、2000年前が3億人、200年前は9億人、
100年前は16億人、そしてこのたった100年で60億人ですから、クラゲ並の異常繁殖かもしれません。
5億匹のクラゲなんてペロッと食べてしまうことが出来るとんでもない生物です(^_^;)

私は時々、テレビの前でゴロッと横になってニュースを見ながら、うたた寝をするのですが…
私のそのすがたをYUKIは「トドみたい…」と言っていたのですが、
最近では「越前クラゲみたい…」と言われるようになりました。
なんだか【越前クラゲ】に愛着が出て来た、今日この頃です(^_^)

2005年10月17日091号 ココニイルコト

セピア色の友(61号)の丸さんと、彼が勤務するM放送の東京支社がある
パレスサイドビルのラウンジで一杯飲みながら食事をしました。
そのときに丸さんから「そんなに阪急ブレーブスファンだったのなら、これをあげるよ…」
と一枚のDVDを貰いました。

でもそれは、どうみても恋愛ドラマのようで、おまけに非売品という表示まであります。
そもそも我が家にはDVDプレーヤーがありません。
パソコンからなら見る事が出来るのでしょうが、その習慣が私になかったので
しばらく、そのままにしていました。
しかしインターネットから【レイン・メイカー】を見てしまって(88号)
パソコンで映画を見る事に、まったく抵抗がなくなった私は、
そのDVD【ココニイルコト】を見る事にしました。

あらすじは先週ご紹介した【盲導犬】と違って、とても判りやすいストーリーです。
東京の広告代理店で駆け出しのコピーライターをする相葉志乃が、ある日突然、社内でよばれ、
上司である部長の夫人(創業者の娘)から手切れ金?の50万円が渡されます。
「大人なら何も聞かないでね、でもあなた体温低そうね…」
相場志乃を演ずる真中瞳は久米宏のニュースステーションで一時期スポーツ・コーナーで
キャピキャピ美人キャスターとして出ていましたが、ココでは体温が低そうな女性を好演しています。

『願ったり信じたりしても無駄、そう思っていれば傷つかずにすむ』…
志乃は幼い時の体験からそう信じて自分を守ってきたのです。
大阪支社へ飛ばさた相葉志乃は、同じ日に中途入社してきた前野クンの口癖である、
「ま、ええんとちゃいますか…」にはげまされます。

【阪急ブレーブス】が登場するのは料亭のシーンです。
料亭に上司と志乃と前野クン、そしておもちゃ会社のコテコテ大阪人風の社長の4人が静かに座っています。
社長の隣で無愛想にしている志乃に上司はお酌をするよう目配せして
「この相葉は東京のクリエイティブから来たばかりでして…」と紹介します。
社長は「ちょうどよかった、こんどの我が社のクリスマス商戦のCMなんや、見てーな」と
一枚の紙切れを志乃に渡します。
はじめは遠慮する志乃ですが、是非意見を聞きたいといわれ、じっとコピーを見つめて、一言いいます。
「下品ですね」

上司は飲みかけのお酒をブツと吹きます。
「これあんたの会社から出たコピーやで…」
「でもクリスマスのおもちゃのコピーに”ナイスバディー・ドン・ドン”はないでしょう!冗談ですよね」
この酒席はどっちらけになりそうな時で、前野クンが社長に突然、質問をします。
「社長さん! 10月23日は何の日かご存知ですよね?」
「誰に向かって聞いとるんや!我が阪急ブレーブス最後の日やないか!」
コテコテ社長の目が今までとまったく違ったものになってきます。
「実はこの相葉も10月23日生まれでして…でも1975年生まれなんです」
「75年と言ったら赤ヘル軍団を破って初めて日本一になった年や!」

二人の阪急談義はどんどんはずんで行きます。
阪急ブレーブスを原体験している私にはセリフ内容の間違が少し気にはなりましたけど、
こんな楽しい会話をした経験は一度もありません、話す相手もいなかったのです。
私はスクリーンに飛び込み会話に飛び込みたい衝撃にかられます。(^_^)   (22号)(37号)
このシーンの全セリフは今では私は全部そらんじているほどです。

2時間の映画の中で阪急ブレーブスが出てくるのは、このシーンだけです。
でも、超少数派だった阪急ファンにとって、このシーンのインパクトは相当なものです。
丸さんが私にわざわざプレゼントしてくれた価値は充分に伝わります。

社長は大変なご機嫌になって、志乃にCMの作り直しも依頼します。
「借りとく」。  料亭からの帰り道、窮地を救われた志乃の言葉に前野クンは答えます。
「ま、ええんとちゃいますか…」

私がこのDVDを見て感動したのは、この阪急ブレーブスのエピソードも含めて
”大阪”をとても上手く伝えながら、抑えた演出の中で、微妙な距離感をおいた二人を
面白く、美しく、描いている、邦画ならではとおもう作品だからです。
したがって、この映画では阪神ファンではなく阪急ファンでなければ美しくないのです(^_^)

志乃がおもちゃ会社のCMコピーを完成させ、その雪景色のロケに行っている時に
前野クンは病院の屋上でひなたぼっこをしながら静かに息を引き取ります。
信じて傷つく事に恐れて育った志乃が、傷を隠しながら明るく生きた前野クンから、
信じる事の大切さを知るのです。

淀屋橋の朝のラッシュアワー、ビルの屋上に大きな広告塔があります。
そこに志乃のコピー【幸せだったら、幸せがみえなかったりする】
そして、美しい雪景色の中で赤い風船をもつ幸せそうな親子の写真です。
それを満足そうに見上げる志乃は自問します。「もう少し…ココニイテいいかな?」
そして、微笑みながら、すこし震える小さな声でささやきます  「ま、ええんと……ちゃいますか」
そしてエンディング・テーマがかかり字幕が流れます。
しかし、実はここから、もう一つ見せ場があるのです。

本編の中で、骨董屋のシーンがありました。
前野クンお気に入りのこの店に、300円のカエルの置物があります。
彼は来店するたびに、それが売れずに残っている事に”賭け”をしているのです。
カエルの置物が、そこにそのままあると「勝った!」と喜ぶのです。
そんな前野クンに志乃はあきれていたようです。

そして、エンディング・テーマの字幕だけの黒い画面…突然、また骨董屋のシーンです。
志乃が前野クンと同じように、振り向きざまにカエルの置物を確認し
「勝った!」とガッツポーズをして元気に店を出て行きます。
何時も居眠りをしている骨董品屋の主人(笑福亭鶴瓶)が…志乃が店を出る音がすると
眠ったままの格好で、カエルの置物の首に非売品の札をポンとかけるのです。
主人の心づかいでカエルは売れずにいたというわけです。
ちょっとゾクッとする良いシーンです。

私がこのDVDを丸さんから貰って非売品だと思ったのは、この写真が載っていたからで
ちゃんと定価3,800円がついた2001年度の作品だったのです。

気が付けば、とりとめもなく、けっこう書いてしまったようです。(^_^;)
ようするに、このハートウォーミングな作品にハマってしまったというわけです。
ほんとうは、阪急ブレーブスにからめて、阪神タイガーズと村上フアンド、そして大阪人気質に
ついてなど色々書こうと思っていたのですが…。
どうも、しゃべり出すと止まらなくなる私ですが、書き出しても止まらなくなるようで、反省。 m(_ _)m

2005年10月10日090号 唐ゼミ公演【盲導犬】

今、私は一冊の本を一気に読み終えました。
タイトルは『教室を路地に』(横浜国大VS紅テント2739日)です。
60年代前衛演劇の旗手と言われ、現在も独自の活動している”唐十郎”が
国立大学の客員教授となって退官するまでの7年間を綴った本です。

その唐十郎作品をYUKIとヒロコと3人で新国立劇場(新宿)に見に行きました。
8月鎌倉Mさん宅での花火パーティーで逢った中野クンが演出をしているからです。
パンフレットを見て初めて知ったのですが、鎌倉のMさん宅に中野クンを連れてきたマーちゃんが
この公演のプロデューサーだったのです。
そのマーちゃんが【黒いチューリップ】と【盲導犬】 の二本立て公演で、どっちか一つ見るなら、
個人的にはブッちぎりで【盲導犬】がお勧めだというので、それを見る事にしたのです。

新国立劇場は初めてです、石造りの贅沢な空間はまさに”国立”という感じです。
そこでテント小屋での芝居活動で有名な唐十郎作品の公演をしようというのです。
入場すると、人形の赤ん坊を背負って女装した役者をはじめとして
おもいおもいの怪しげな姿をした役者達がうろちょろして唐十郎ワールドへと導いてくれます。
客席を見渡すと年齢層や客層もまちまちです。
劇場内は黒い布で被われ、前方が桟敷で後方はベンチ、テント小屋を意識しているのでしょう。
懐かしいシャンソンの名曲『巴里の空の下セーヌが流れる』の甘くけだるいピアフの歌声と
座席の案内をテキパキとやる劇団員の声が心地よく異空間でまざりあって
開演前から私の心も数十年前にタイムスリップしていくようです。

芝居の舞台は新宿のコインロッカーの前。
シンナーの袋を持ったフーテン少年と盲導犬「ファキイル」とはぐれた盲人が出会います。
小劇場の狭い空間の中で役者の個性とテンポの速いセリフに、まずは圧倒されるわけですが…
シンナーの”フクロ”からフクロの言葉遊び的セリフが続き、盲人はいきなりズボンを下ろして
フンドシ(どういうわけかパンツじゃない)の横から股間のフクロをポロリと見せてしまうのです。
私の隣には貞淑な妻と、嫁入り前の娘が座っているのです。
こんなモノを国立劇場で見せて良いのでしょうか(^_^;)
でも、最初にこんなものをいきなり見せられたら、もうその後は何が起こるのか緊張感の連続です。
(幸か不幸か…それ以上の事は起きないのですが、これも中野クンの演出なのでしょうか)

そのコインロッカーの330(ミサオ)番に今は亡き夫にかつての恋人の思い出を封印された
ヒロイン『銀杏』が現れます。
亡き夫の束縛を断ち切ろうとする『銀杏』の前に、死んだはずの夫が盲導犬学校の教師として登場…
ラストはロッカーが大音響とともに左右に引きさかれ、その奥から客席に向かって閃光が放たれます。
その光の前に「ファキイル」にのどを噛み切られ束縛から解放された?『銀杏』がたたずみ、
安らぎとも不敵とも取れる微笑みを客席に投げかけて終わるのです。
(テント小屋なら、テントがイッキに取り払われ狭い舞台小屋から外界へとときはなつのでしょう、多分。)

何の予備知識もなく見に行った私たちは、ただ「すごかったね」と言ったあとは言葉になりません。
Mさんも見えていました、マーちゃんにもお礼の挨拶をしました。
もちろんお客様を送り出している中野クンにも挨拶して新国立劇場を後にしました。

クルマの後部座席でヒロコは「スゴイ芝居を見ちゃって頭が痛くなっちゃた」と横になってしまいました。
そして「芝居には引き込まれたがセリフやストーリーがよく理解出来なかった」と、力なくいうのです。
たしかに数十年前のギャグやテレビ番組、そして石川セリの「八月の濡れた砂」が突然流れたり
若い世代には意味不明かもしれませんが、芝居そのものは私だって意味不明なのです。
ようするに、詳しいあらすじなどとうてい書けそうもない不条理な世界です。
私もヒロコも芝居にはちょと係わっていた事は以前に書きましたが、
そんな一般的な演劇とは一線を隔すのが、唐十郎の世界なのかもしれません。

私はもう少し、唐十郎や中野クンの事を知りたくなりました。
その事が書かれている本がある事がネットで判り大手町の紀伊国屋書店で購入したのです。
そこには唐十郎の時代を超越した魅力と、
40歳も違う学生達と「吸血鬼」のようにお互いに血を吸いあう関係の記録が書かれているのです。

その中で特に面白かったのは…
この本の著者である横浜国大の室井尚教授が唐十郎を客員教授としてスカウトするところです。、
その返事を唐十郎が自分の芝居の中にメッセージに込めて伝えるのです。
多くの観客が見ている芝居を、たった一人の室井教授の為に謎めいてセリフや入れて
演出まで変えて、伝えようするのです。
室井教授だってボッと見てたらメッセージを受け止められなかったかもしれません。
まして他の観客は、何が何だか確実に判らなくいでしょうが、その時の状況やアクシデントで
芝居をどんどん変えていくのが唐流のようです。

今回の中野演出の【盲導犬】はダブルキャストでの公演ですが、それぞれ演出は変えているようです。
それ以上に興味深いのは毎回公演ごとに同じ演出ではないというのです。
それは、もう一本の3時間大作【黒いチューリップ】も同じようです。
したがって、こんな芝居をヒロコのように理詰めで見ては疲れるだけなのです。
その時その時の公演の、命のキラメキをパワフルなファンタジーとしてメルヘンとして…
昇華させているのではないでしょうか?

鬼才・唐十郎の生き血を充分に吸った
中野クンや唐ゼミのこれからの活動が楽しみです。

2005年10月03日089号 喫茶店 拾穂庵

「ところで弟のヒロシさんは今、何をされているのですか?」
「定年後、坂本で喫茶店をやってるワ…」

27日、いつものYUKIとのクルマでのツアーで伺った神戸(東灘区)のI様宅から、ほんの2キロほど…
古い古い、お付き合いのノリコさん宅が、あまりにも近いので突然、お邪魔をさせて頂いてのことです。

どのくらい古いお付き合いかというと…まず1枚の写真をご覧ください。
左側の一番小さな男の子が私で、乾杯のビールを持っているのがO先生、その後ろがO夫人。
そして、ノリコさん、ヒロシさん(O先生の隣中央)、タカシさんの3姉弟です。
因みに私の後ろが母、その隣が伯母、左端が祖母で、
伯父と父は写っていないので多分、写真の撮影と照明だったのでしょう。
五十数年前の正月に京都の角倉家で撮ったOファミリーとの写真です。

二枚目の写真は、その時に撮った角倉家全員の写真です。
私は広島の上下で誕生し、生後4ヶ月から幼稚園(栄観堂幼稚園)を卒業するまで
京都で伯父夫婦と祖母、それに私の家族(父母と私)の計6人が同居していた時期があったのです。
伯父夫婦には子供がなく、私もこの時は一人っ子(東京で妹二人が誕生)でしたから
大人ばかりの静かな環境の中で、私は物静かで寡黙で礼儀正しい凛々しい(りりしい)子として育ったのです。
(YUKIもヒロコもまったく信用しませんが)

ただし、このもの静かな家に時々、嵐がやってきます…それが賑やかなO先生ファミリーです。
開業医のO先生は病弱だった私(これもYUKIやヒロコは信用しないのですが)には、
すぐ注射をする、とっても怖い存在だったのです。
私の伯母とO夫人が女学校の親友同士という関係だったのです。

そんなわけで、私の幼少期の記憶としてのO先生ご夫妻は強烈なものでした。
十数年前の話ですが、ホノルルからほど遠いリゾート地のトイレで老夫婦とすれ違いました。
私はYUKIに「今のヒト、もう何十年もあっていないO夫妻のような気がするのがけど…」と言いました。
YUKIは「そんなこと私に言われてもわからないから、出るの待って直接聞けばいいじゃないですか」と
あたりまえの事を言われ、その老夫婦がトイレから出てくるのを待ちました。
私はこわごわと「大変失礼ですが、ひょっとしてO先生ではないですか?」と確認したところ
やっぱりご本人!
ハワイで、それもあまり日本人が行かない郊外のリゾートの人気のないトイレで
なんという奇遇とばかかり、感激したものでした。

そんな縁で、長女のノリコさん、長男のヒロシさん、医者を継いだ次男のタカシさんには
父が晩年の入院や療養では力になって頂きました。
ノリコさんのご主人のAさんにも大変お世話になっており、親戚同然のお付き合いをさせて頂いています。
こうして考えると”人の縁”とは不思議で大切なものと思わずにはいられません。

さてさて…いつものように前置きが長くなってしまいました(^_^)
その長男のヒロシさんも私より4歳ほど年上ですから会社もリタイアされたのではと思い
姉のノリコさんに冒頭のような質問をしたのですが、「坂本で喫茶店」という意外な答えです。

坂本は京都のO家の実家からクルマで抜け道を通れば30分ぐらい、
紅葉の名所としても有名な、比叡山のケーブル駅もある由緒ある門前町です。
そこに、やはり京都で開業医をされていたO先生のお父さん(ノリコさんの祖父)が
別荘として購入され、そのまま残っているのです。

そこで喫茶店をとなると、昔はケーキ屋KENちゃんといわれた私は俄然興味がそそられます。
帰りは比叡山延暦寺を見て、その喫茶店によってみようという事になったのです。

まさに、そこは雑誌【サライ】【自遊人】【大人のOFF】…の世界です。

ヒロシさんとお逢いするのは何十年ぶりですが、昔の面影は充分に残っています。
そして、なによりも活き活きと楽しそうに喫茶店を営んでおられるのです。

定年後のヒロシさんに「坂本の家で喫茶店をしたらと…」とのアイデアを最初に出したのは
奥様とお嬢様だったようです。
O家の長男として坂本の家に愛着がありながらも、古い家と広い庭園の維持管理に頭を痛めていた
ヒロシさんにとって『一石二鳥』いや健康を考えれば『三鳥』にもなる名案です。

そんなわけで、商売っけはほとんどありません。(^_^)
ヒトを雇ったら、それだけで赤字ですから、お店はヒロシさんだけ。
したがって、お店の電話番号はヒロシさんのケータイ。
大きな看板や宣伝をしているわけではないので、普段の日はお客様がゼロの日も。
でも、庭の手入れや草むしり、そして近所のお付き合いも増えて、それなりにお忙しいようです。
一番困るのは、お客様が同時にたくさん来られることで、そんな時はお客様に手伝ってもらうそうです。

でも、このゆったりした時間の流れこそが喫茶【拾穂庵】の一番の魅力である事は間違いありません。
これから紅葉の季節で観光客も増えると、ヒロシさんは頭を痛めて?いるようですが…
「ヒロコもつれて、是非また来よう!」と、YUKIとうなづきあったのでした。

【拾穂庵】のチラシです。

2005年09月26日088号 映画【レインメイカー】

映画【レインメイカー】について、今月の早い段階でテーマに入れようと思っていたのですが、
書けないまま9月も終わりに近づいてしまいました。

実は9月12日の85号は、本当はこの事をテーマにしようと、キーボードを叩いていたのですが
その起承部分としてTN社損害課の対応を書いてるうちに、だんだんアツくなってハラがたってきて
『おまえはバカか!』なぞという過激な題名になって、【レインメイカー】に触れずに終わってしまったのです。

で、先週の86号のテーマにも、少し関連があるので書こうと思っていたのですが、
セミナーに参加して下さった小野瑛子さんについて書いてるうちに、小野ファンとしてアツくなって
『小野瑛子健在なり!』という題名になってしまい、【レインメイカー】に触れずに終わってしまったのです。

どうして今月中に映画【レインメイカー】の紹介をしようと思ったかと言えば
今月中だったらインターネットを通して、この映画がタダで見る事が出来るからです。
この映画は何かといえば1997年のアメリカ映画でコッポラ監督、マット・デーモンが
正義感に燃える若き新米弁護士を演じる法廷ドラマです。
そしてテーマは『生命保険会社の保険金不払』についての裁判なのです。

この映画がインターネットでタダで見る事が出来ると紹介してくれたのは、
保険評論家の大地一成さんホームページです。
(ここにも私は征保大将軍の名前で9月3日にコメントをいれています)

私は【レインメイカー】という映画があった事も知りませんでしたし
インターネットから映画を見た事もありませんでしたが、興味があったのでチャレンジしました。
もし興味があればクリックしてください。
(最初に簡単な登録手続きが必要ですがお金はかかりません、そのかわりCMは多いです)

8年前に製作された映画【レインメイカー】のあらすじは…
低所得者を対象にした生命保険を発売して、契約者から保険金請求があった場合は、
まず保険金が支払われない理由の手紙を次々に郵送しておいて、小額の示談に追い込むという
マニュアルまで作って会社ぐるみで契約者を騙している生命保険会社の話。
低所得者は弁護士を使ってまで裁判をしないだろうと思っている保険会社に対して
正義感に燃える若き弁護士と白血病で保険金を貰えず死んだ若者と母親の執念が
その生命保険会社を破滅にまで追い込むという感動ドラマです。

なぜこの映画が8年も経過した今、話題になっているかといえば…
もちろん、生命保険に詳しい方なら承知の事でしょうがこのニュースです。
我が国を代表するような大手の生命保険会社の話です。

私が不思議でしょうがないのは、このような事があっても、契約者は怒らないし
マスコミの話題にも、あまりならないという事です。
それどころか、これは大地さんのHPでもカキコミさせて頂いたのですが…
今回の事件以降、私が参加している保険相談の掲示板で急増したのが
「実は数年前に書いた告知書に漏れがあったのですが、このままにしていたら保険会社から
保険金が貰えなくなるのでしょうか?」といったようなものです。

この事件は契約者の告知違反を盾にして、契約者に保険金支払を支払わなかった保険会社が
業務停止命令を受け、さらに内部調査が進められているというものです。
そのニュースに怒ることなく逆に「そんな事で保険金が支払われなくなるんだ、どうしよう!」
という、ヒトの良さはなんなのでしょうか?
また、さらに不思議でハラがたってくるのは…
その相談を受けた保険のプロと名乗る者達の多くが、
「そうです、こういった事が無いためにも、告知義務は大切ですから、全てを告知しましょう」
などというお座なりコメントを出すだけで、この事件には触れようとしない事です。

おとなしい契約者。
自社の生き残りしか考えない保険会社。
保険会社の方しか向いていない保険募集人。
なんだか、私ひとりが怒りまくっているようですが…
保険会社・代理店・お客様が情報を共有化していくことが
21世紀の社会的責任を果たせる生命保険の条件だと私は思っているのです。

まずは多くの人にこの映画を見て欲しいと思っています。
(ネット上でタダで見れるのは10月1日正午までです)

私同様いつも怒りまくっている、あのマルエツの八百屋のマイケルにもこの話をしました。
是非、その映画を見たいというので、無料映画サイトGYAOのURLをリンクしたメールを送りました。
数日後、マイケルにその感想を聞こうと思ったのですが…
マイケルはまずはスティーブン・セガールの【沈黙の標的】から始まって、
自分が見たドキュメントやドラマそして音楽番組まで興奮気味にイッキにまくしたてます。
早朝から本職の配送の仕事をし、夜は遅くまでマルエツでアルバイトをしているマイケル、
「もう寝る暇が無い!」と嬉しそうに怒っているのです。

それまでは、週刊KENを楽しみにしていて感想メールまで寄こしていたマイケルですが、
すっかり無料映画サイトGYAOにハマってしまい私のHPなど見る暇もなくなったようです。
そしてマルエツで彼は私を見つけると、アレを見たか?アレは見るべきだ!…と私に勧めるのです
私が最初にマイケルに薦めた【レインメイカー】のことはすっかり忘れているようです。(^_^;)

「マイケルに大変なもの紹介しちゃったね」とYUKIと反省をしています。