2010年11月29日358号 晩秋4泊5日の旅

23日(火)勤労感謝の日の祭日が終るギリギリの23時45分 YUKIと私は東名川崎インターから西に向けてスタートしました。

今回の最終目的地は広島県の上下町、 私の生誕の地ですが、そこで伯父の十三回忌の法要が27日(土)にあるのですが…

どうせ行くなら途中関西のお客様にカレンダーを配りがてら、 のんびりと、いつもの公私混同で行こうというものす。 こんな事をココで書いてしまうと、「家(ウチ)には来なかったぞ!」と言われるかもしれませんが(^_^;) あくまで状況に合わせて、ムリをせずに行けるところだけ行ったという事でご了承くださいm(_ _)m

ようすにいつもの事ですが 休日1000円の高速割引をフルに活用し、カレンダーの郵送費も節約し、 ドライブを楽しみながら最終目的地の広島に行こうという我が家伝統のケチケチ旅行です(^_^:)

●24日(水) 厳密に言うと、この日が第一日目。 午前2時30分、我が家を出て約3時間、浜名湖サービスエリアで 夕食なのか朝食なのかわけのわからぬ食事を取る。 出かける前にエノちゃんの店で貰ったケーキを家に置いていくわけもいかないので持参。 ヘルシーな食事を取ったのに(^_^;) ① ② ③ 途中で仮眠を少々とって大津のサービスエリアで、どこを回るか作戦会議。 まずは午前中に突然伺っても問題なく合えそうな摂津のお米屋さんに。 そして摂津周辺の東淀川区や寝屋川など回るがほとんどが不在(^_^:) ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ この日の宿泊は大阪万博の会場となった千里のホテル阪急エクスポパーク…と ちょっと豪華なホテルで疲れを取るため早めのチェックイン。 この旅に合わせて購入したドコモの【モバイルWI-FI】がまったく機能せず最寄のドコモショップへ。 これは、我が家の旅には必携のノートパソコンと8月の購入しこれも必携の【iPad】などを どこでもインターネットと繋ぐ事が出来る私悲願のものなのですが、なんとか無事修理が完了。

●25日(木) 仕事の連絡や処理、疲労回復もふくめ午前中はホテルで過ごし、 ① ② ③ 午後は昨日行きそびれたところをドライブがてらポチポチと。 【iPad】がネットと繫がり、グーグルマップに現在地が表示されカーナビ同様の機能も果たせるのだが カーナビと違って精密な地図を自在に大きくしたり小さくしたり出来るので実の面白い(^_^:) ① 地番変更があったよでカーナビにセットされた古いデータでは判らなかった所の グーグルマップが性格にキャッチして誘導してくれました。 ① 我が家を出る時に処分できず、ず~と持ち続けていた”生ゴミ”も 途中の”道の駅”でやっと捨てる事が出来ました。ゴメンナサイ(^_^; ① ② 2泊目はビジネスホテル並の料金でちゃんとしたホテル! 我が家の定宿、ホテル・プラザ神戸、…でもだんだん寂しくなっていくようで寂しい(^_^:) ① ② ③ ④

●26日(金) この日も午前中はホテルの部屋で一応業務処理(^_^;) 朝食は抜きで、 11時30分からのホテルのランチの食べ放題1600円が割引1050円で食べられるので そっちをチョイス、もちろん量はセーブしてだけど、周囲のオバちゃんたちの食欲には圧倒される(^_^;) ① ② ③ ④ そして有料の中国道を少し使って佐用(兵庫県)で降り、そこから無料の鳥取道で鳥取市へ。 そこから津山市(岡山県)のビジネスホテルへ ① ② ③ ④ なんで津山なのかというと… 翌27日の午後2時から今回の旅の目的もある伯父の法事に照準あわせたため。 はじめて訪れた津山の街だがとても寂しい(^_^;) ① ② ③ ④ ⑤ ⑥

●27日(土) この旅の目的でもある広島県府中市上下町での伯父の法事が午後2時からあります。 津山から上下まで150キロほど3時間あれば充分に間に合いますので、 その前に津山城を見物、紅葉がとても綺麗で感激しました! ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨ ⑩ 久々の上下 ① ② ③ ④ ⑤  十三回忌の法要も無事終り […]

2005年11月28日097号 1泊4日?2000キロ

先ほど(28日午前2時)に、またYUKIとのクルマによるハード・ツアーから帰ってきました。

もうチョット早い時間に帰ってこれないのか? いや、そんな事はYUKI様が決して許してくれません…それはETCがあるからです。 あの、有料道路の料金所をスーとパスして行くヤツです。 料金所をスーとパスするからと言っても、料金を払わなくて良いわけではありません。 後からチャンと請求が来るのですが、 色々な割引があってYUKIは何時もその計算をしているのです。 最も私たちにとって大きな割引は、深夜の3割引です。 これには色々なルールがあるのですが、先ほど帰宅の時に利用したのは 午前0時以降に料金所を出たなら3割引になるというものです。 ようするに私は… 午前0時前に東名川崎インターの料金所を出る事が出来ないサダメなのです(^_^;)

今回の旅は広島です。 26日土曜日午前10時に生保のメール相談のHさん宅に伺うのが主な目的です。 広島は川崎の我が家から約840キロ、往復1680キロです。 しかし今回、私が毎日つけている走行距離によると 25・26日が1062キロ、そして27日と28日未明までが920キロで約2000キロも走った事になったのです。

実は25日の金曜日は超多忙でナンヤカヤとクルマで駈けずり回った後 知り合いのコンサートを晴海の第一生命ホールで聞いて、その足で広島に向かったのです。

前日も数時間しか寝ておらず、今回眠気覚ましにレンタル・DVDをカーナビで見るという秘策?で 『ハリー・ポッター』3本持参! イッキに名神高速の養老サービス・エリア(岐阜県)まで行くが、そこでちょっと力尽きて仮眠を…。 でも、けっこう余裕を持って広島に着く事が出来てHさん宅に…。

何時もの事だけど、ネットのお客様の訪問はとても楽しい、メールで気心も知れているし、 また、初めてお目にかかれる感動もあって、私のテンションも一段と高くなってしまい いつも横からYUKIに睨まれたり、蹴飛ばされたり?されてしまうのです。 とっても可愛い2歳のMちゃんも最初は私を歓迎してくれたのですが、大好きなパパが 大きな声のヘンなオジサンに何時までも捕まっているので怖い目で睨まれてしまいました(^_^;) Mちゃんを入れてHさんご夫妻と私の写真をYUKIに撮ってもらい、この週刊KENに載せても 良いかと訊ねたら…「広島で先日あいりちゃんの怖い事件があったので…」と恐縮そうに言われました。 ほんとうに私もそうだと思ったのですが…YUKIは帰りのエレベータの中で、 「ほんとうにKENはデリカシーのカケラもないバカだ!」とさんざん言うのです。

せっかくココまで来たのだからと、広島在住の親戚や知人宅を4件ほど回ったのですが どこも留守で、ホテルにチェックインしようとした時、ケータイが鳴りました。 先ほど訊ねてお嬢さんしかいなっかた親戚の(角倉)博志クンからです。 家で広島名物のお好み焼きを作るから来いというのです。 広島まで来て、またYUKIとの悲惨な夕食を予想していましたから、断る理由などありません。 ホテルでシャワーだけ浴びて、また博志クン宅へ訪問です。 博志クンは外語大で中国語を学び、広島銀行に入社して上海や香港に駐在し、 現在は保険窓販の担当をやっているようで、その話もとお互い思っていたのですが…

奥様とお嬢さんが急の来客にも手際よく焼いて頂いた美味しいお好み焼きをパクパク食べて、 ワーワーしゃべっているうちにアッというまに時間が経過! またまたYUKIから、たしなめられてホテルへ戻りバタンキューで長い一日が終わりました。

翌朝、目が覚めたのが9時30分!あわてて10時のチェックアウトを済ませて ロビーに用意されているコーヒーとパンで朝食を。 ホテルのフロントで今お勧めの観光スポットはと聞いて教えてくれた『縮景園』、最高でした! 庭園そのもの素晴らしさはもちろん、紅葉・澄んだ冷たい空気・明るい日差し、 ほんとうに心が癒される思いがしました。 写真1 写真2 

広島と言えば【紅葉饅頭】という事が閃きました。(^_^) でも、どこのが美味しくて、どこで売っているかも、よくわかりません。 広島駅に行ってみれば売ってるだろうとクルマを駅に近くに止めようしたら クルマの目の前に、ちょっと寂れた…良く言えばレトロな感じの紅葉饅頭の店があります。 クルマを路上駐車して広い広島駅で【紅葉饅頭】を探すより、ちょっとマイナーな感じはしますが 目の前の自家製紅葉饅頭には引かれるものがあります。 そこの店主夫妻に聞くと、紅葉饅頭のメーカーは30ぐらいあるそうですが、この店はココで作って […]

2004年11月15日043号 上下町(広島県)

土日と広島県の上下(じょうげ)というところに行っていて今(15日01:30AM) クルマで我が家に着いたところです。 私が眠そうになると助手席のYUKIが私の頭をドツクだけという、いつもの 清く貧しく恐怖で楽しい?総走行距離1800キロのハードなドライブでありました。

今回は生命保険の仕事がらみでなく、まったくのプライベートのYUKIとの旅です。 実は私はこの広島の上下生まれなのです。 でも生後4ヶ月しかいませんでしたから、まったく記憶にありません。 上下は父の故郷でしたが、戦後まもなく家を処分して父の兄弟はすべて 上下を離れてしまいました。 しかし、その角倉家の蔵は上下町のシンボルとして残っているのです。

以前ヒロコと上下に来て、この建物の解説に【角倉財閥】と書かれているのを見て 嘆くやら怒るやら…「なんで、ウチの角倉家はこんな貧乏になったのか!?」と 私を責め立てるであります。 私も、その理由をしりたいぐらいですが、亡くなった父は4男だったからなのか、 頓着がなかったのか、蚊帳の外だったのか、貧乏をしながら、それなりにハッピーな生活し それなりにハッピーに亡くなり、… その長男の私も、貧乏とハッピーさだけを遺産?として引き継いだようです。

さてさて…なんで今、上下にいるかというと 伯父すなわち父の長兄の7回忌を上下の善昌寺というお寺で行なわれたのです。 私も今まで角倉家の法事で何度か尋ねていますが父の兄妹で残っているのは 私の叔母(父の妹)だけになってしまいました。

父は4男ですが、どういうわけか従兄弟の中では私が一番、長老?で すっかり世代交代した今回の法事は感慨深いものがありました。 父の兄弟達が亡くなり、私が歳を重ねていくにしたがって とても遠く感じていた上下が、だんだん身近に感じられ、なぜだかとても懐かしさが込み上げ いとおしく思うようになってきたのです。