2005年10月10日090号 唐ゼミ公演【盲導犬】

今、私は一冊の本を一気に読み終えました。
タイトルは『教室を路地に』(横浜国大VS紅テント2739日)です。
60年代前衛演劇の旗手と言われ、現在も独自の活動している”唐十郎”が
国立大学の客員教授となって退官するまでの7年間を綴った本です。

その唐十郎作品をYUKIとヒロコと3人で新国立劇場(新宿)に見に行きました。
8月鎌倉Mさん宅での花火パーティーで逢った中野クンが演出をしているからです。
パンフレットを見て初めて知ったのですが、鎌倉のMさん宅に中野クンを連れてきたマーちゃんが
この公演のプロデューサーだったのです。
そのマーちゃんが【黒いチューリップ】と【盲導犬】 の二本立て公演で、どっちか一つ見るなら、
個人的にはブッちぎりで【盲導犬】がお勧めだというので、それを見る事にしたのです。

新国立劇場は初めてです、石造りの贅沢な空間はまさに”国立”という感じです。
そこでテント小屋での芝居活動で有名な唐十郎作品の公演をしようというのです。
入場すると、人形の赤ん坊を背負って女装した役者をはじめとして
おもいおもいの怪しげな姿をした役者達がうろちょろして唐十郎ワールドへと導いてくれます。
客席を見渡すと年齢層や客層もまちまちです。
劇場内は黒い布で被われ、前方が桟敷で後方はベンチ、テント小屋を意識しているのでしょう。
懐かしいシャンソンの名曲『巴里の空の下セーヌが流れる』の甘くけだるいピアフの歌声と
座席の案内をテキパキとやる劇団員の声が心地よく異空間でまざりあって
開演前から私の心も数十年前にタイムスリップしていくようです。

芝居の舞台は新宿のコインロッカーの前。
シンナーの袋を持ったフーテン少年と盲導犬「ファキイル」とはぐれた盲人が出会います。
小劇場の狭い空間の中で役者の個性とテンポの速いセリフに、まずは圧倒されるわけですが…
シンナーの”フクロ”からフクロの言葉遊び的セリフが続き、盲人はいきなりズボンを下ろして
フンドシ(どういうわけかパンツじゃない)の横から股間のフクロをポロリと見せてしまうのです。
私の隣には貞淑な妻と、嫁入り前の娘が座っているのです。
こんなモノを国立劇場で見せて良いのでしょうか(^_^;)
でも、最初にこんなものをいきなり見せられたら、もうその後は何が起こるのか緊張感の連続です。
(幸か不幸か…それ以上の事は起きないのですが、これも中野クンの演出なのでしょうか)

そのコインロッカーの330(ミサオ)番に今は亡き夫にかつての恋人の思い出を封印された
ヒロイン『銀杏』が現れます。
亡き夫の束縛を断ち切ろうとする『銀杏』の前に、死んだはずの夫が盲導犬学校の教師として登場…
ラストはロッカーが大音響とともに左右に引きさかれ、その奥から客席に向かって閃光が放たれます。
その光の前に「ファキイル」にのどを噛み切られ束縛から解放された?『銀杏』がたたずみ、
安らぎとも不敵とも取れる微笑みを客席に投げかけて終わるのです。
(テント小屋なら、テントがイッキに取り払われ狭い舞台小屋から外界へとときはなつのでしょう、多分。)

何の予備知識もなく見に行った私たちは、ただ「すごかったね」と言ったあとは言葉になりません。
Mさんも見えていました、マーちゃんにもお礼の挨拶をしました。
もちろんお客様を送り出している中野クンにも挨拶して新国立劇場を後にしました。

クルマの後部座席でヒロコは「スゴイ芝居を見ちゃって頭が痛くなっちゃた」と横になってしまいました。
そして「芝居には引き込まれたがセリフやストーリーがよく理解出来なかった」と、力なくいうのです。
たしかに数十年前のギャグやテレビ番組、そして石川セリの「八月の濡れた砂」が突然流れたり
若い世代には意味不明かもしれませんが、芝居そのものは私だって意味不明なのです。
ようするに、詳しいあらすじなどとうてい書けそうもない不条理な世界です。
私もヒロコも芝居にはちょと係わっていた事は以前に書きましたが、
そんな一般的な演劇とは一線を隔すのが、唐十郎の世界なのかもしれません。

私はもう少し、唐十郎や中野クンの事を知りたくなりました。
その事が書かれている本がある事がネットで判り大手町の紀伊国屋書店で購入したのです。
そこには唐十郎の時代を超越した魅力と、
40歳も違う学生達と「吸血鬼」のようにお互いに血を吸いあう関係の記録が書かれているのです。

その中で特に面白かったのは…
この本の著者である横浜国大の室井尚教授が唐十郎を客員教授としてスカウトするところです。、
その返事を唐十郎が自分の芝居の中にメッセージに込めて伝えるのです。
多くの観客が見ている芝居を、たった一人の室井教授の為に謎めいてセリフや入れて
演出まで変えて、伝えようするのです。
室井教授だってボッと見てたらメッセージを受け止められなかったかもしれません。
まして他の観客は、何が何だか確実に判らなくいでしょうが、その時の状況やアクシデントで
芝居をどんどん変えていくのが唐流のようです。

今回の中野演出の【盲導犬】はダブルキャストでの公演ですが、それぞれ演出は変えているようです。
それ以上に興味深いのは毎回公演ごとに同じ演出ではないというのです。
それは、もう一本の3時間大作【黒いチューリップ】も同じようです。
したがって、こんな芝居をヒロコのように理詰めで見ては疲れるだけなのです。
その時その時の公演の、命のキラメキをパワフルなファンタジーとしてメルヘンとして…
昇華させているのではないでしょうか?

鬼才・唐十郎の生き血を充分に吸った
中野クンや唐ゼミのこれからの活動が楽しみです。

Comments are closed.