2007年06月11日177号 ケータイのバッテリーが!

YUKIとは別行動で
午前10時にアポイントをしている横浜のお客様Mさん宅に向いました。

道路が思った以上に渋滞して10分ほど遅れるとMさんに伝えようと、
ケータイを手にした私はバッテリーが充分でないことに気づきました。
バッテリーの残量を示す棒3本が2本になっているのです。
しかし2本あれば、セーブして使えばどうにかなると思っていたのですが…。

クルマは渋滞を潜りぬけ定刻にお客様宅に到着しインターフォンを鳴らそうとした、その直前です!
私の手にしたケータイが振動しました。
交通事故の過失割合でオオモメになっているND火災の損害課の担当者からです。

普通なら後で折り返しと言うのですが、こちらが連絡を待っていた重要な案件です。
Mさんのアポを10分遅らせる連絡を入れていたのと、バッテリー節約上からも早く片付けようと思い、
インターフォンを押さずに、そのまま玄関前で話すことにしました。
ところが込み入った話になってしまい、私の声も大きいもので(^_^;)
Mさんは玄関先で何やら重要な事をしゃっべている私を発見し
気を使って頂き目配せで応接室に案内してもらい…結局20分ほどしゃべってしまいました。
でも、気になるバッテリーはまだ2本残っていました。

Mさんは亡くなったご主人から化粧品会社を引き継いだ社長さんで、
私が保険の仕事をする前から懇意にしているとても気さくなお客様です。
そして今回は新しく購入した住宅の火災保険の件で伺ったのです。

新築の火災保険というのが色々と保険料の割引が出来るようになったのはいいのですが
それを証明する箇所を契約関連の雑多な書類から探しだすのが大変なのです。

けっきょく工務店に聞いてみるのが早いということになり
脱いだ上着の内ポケットからケータイを取り出して私はハツとしました。

バッテリーの残量が1本になっているのです。(^_^;)

よく見るとロコハウスから私のケータイに3回もの不在着信が入っていたのです。
YUKIはこの日はTN社の研修がありロコハウスが不在の時は
留守番メッセージが入ると私のケータイに転送されるようになっているのです。

それに私が出ない場合は15分おきに3回呼びだされるようにセットしてあります。
しかしケータイをマナー・モードにして脱いだ上着のポケットにいれていたため、
私はまったく気づかず
3回もバイブレーターが長時間作動しバッテリーが消耗してしまったようなのです(^_^;)

残り少ないバッテリーを気にしながら工務店に電話すると、担当者は不在で
このケータイに折り返し電話をさせるというのです。(^_^;)

しばらくして工務店の担当者からケータイに連絡が入り、ココにある書類では
判らないという事が判明し、Mさんと変わってほしいとうことになったのです。
ところが書類の話しはスグに終わったようなのですが、
Mさんと担当者が別件で何やら私の大切なケータイを使って
なんだ、かんだと長電話モードになっていくのです。

私は「あのーバッテリーが切れるかもしれません!」と横で遠慮ガチに叫ぶのですが
Mさんは、あまり気にしてくれません…
そのうちに私のケータイから「ピー」という音が流れました!
私は「もうケータイのバッテリーが切れますから!」と叫んでいるうちに…
「ピー・ピー・ピー」と連続音が鳴った後、完全に私のケータイは電池切れとなったのです。

「あら!切れちゃった!、ダメよ商売のケータイなんだから、ちゃんと充電しとかないと!」
…と私はMさんから叱られてしまいました(^_^;)

どうにか持たせようと思っていた私のケータイは午前中にして切れたのです。

Mさんは「お昼はご馳走するから」と…必要な書類が置いてあるMさんの会社が
ある品川まで私のクルマで行くことになりました。
Mさんを会社の前で降ろし何時ものパーキングにいれようとしたら満車です。
その近くのコインパークも空いてなくて結局、品川駅前の地下駐車場に入れることにしたのです。
いつもなら5分もあれば終わる作業が、かなりの時間が経過していてMさんに連絡をしたいのですが
ケータイが使えません(^_^;)
けっきょく多忙なMさんとの連絡がスムーズに取れず、一時間ほどロスをして
近くの喫茶店で昔懐かしいナポリタン・スパゲティをススリながら書類を確認することになったのです。

次にまだ、難題が待ち受けています。
丸の内にあるTN社の支社で研修を受けているYUKIに連絡を入れなければならないことです。
私も支社に用事があるので、行けるようだったらYUKIをピックアップして帰れるかもしれないので
どっちにしても連絡を入れるとYUKIに言っておいたのです。

Mさんとの件で時間が押してしまったので、
「今日は支社に行けないから一人で帰って」と伝えてかったのですが…

ケータイが無いとYUKIのケータイの番号が判らないのです。
ヒロコに聞こうと思っても、ヒロコのケータイ番号も判りません。
しょうがないから支社に電話しようと思ったのですが、支社の電話番号も忘れています。
支社の番号なら104で調べられると思ったのですが、こんどは公衆電話が見当たりません。
こんな事で品川あたりでウロチョロしているより、
丸の内の支社に行った方が早いと思い、けっきょく私は支社に行って
YUKIをピック・アップして一緒に帰る事になったのです(^_^;)

ケータイのバッテリー切れにはくれぐれも注意いたしましょう!

2007年06月04日176号 千の風になって

ゼン君のママが亡くなりました、58歳でした。
ゼン君はヒロコと保育園を6年間過ごしたクラス・メイト?ですが…
幼かった本人たちより、親同士の方がクラス・メイトのようになっているのです。

ゼン君のママは【週間KEN】の創刊以来の愛読者で毎週月曜日を楽しみにして頂だき
会うとココでの話題をテーマに盛り上がったものです。

ちょうど1年前、【週間KEN】でワールドカップのドイツに行くとはしゃいでいたら、
さっそくゼン君のママからメールを頂き、彼女も5月の連休を利用してブダペスト・ウィーン・チェコを
旅行してきたばかりとのことで、ドイツの道路事情も教えてもらいました。
そして『クロアチア戦しっかっり応援願います!』とはっぱをかけられました(^_^;)

そのブダベストで撮ったという彼女の写真がひまわりの花に 囲まれ飾られています

ゼン君のママは、ひまわりの花のように…明るくて、包容力のあるパワフルな人でした。
ゼン君のパパもとてもユニークで個性的な人ですが喪主の挨拶でこう語りました。
「H子はとても聡明でスケールの大きい人で、私や息子達はその手のひらに乗っていました…」

昨年の9月に自動車保険の事で彼女と電話で話していて、
その話しの中で「ちょっと留守にしていたので…」と言うので、
私はまた旅行でも行ったのかと訊ねると、とてもあかるく
「すい臓がんで入院してたの」と答えたのです。

我が家は毎年大晦日にゼン君宅を訪問するのが恒例なのは週間KENでも触れました。
ゼン君のパパが作ったおせち料理を食べに行くのです(^_^;)
昨年の大晦日にお会いしたのが、結局最後になってしまいました。
こんなに早く…とは思いませんでした、
いや、気にはなっていても、なんだか様子を伺うのも怖かったのもたしかです。
太陽のように明るくて元気な彼女の弱った姿を見るのも…。

でも、お通夜も、その次の日の葬儀も…とても彼女らしい素晴らしいものでした。
仏式でもキリスト式でもない宗教色を一切排除して祭壇に花を添えるだけ。
流れる音楽は彼女が好きだったという美空ひばりや井上陽水。
ひばりの陽気な『東京キッド』の曲が流れる中、私は献花のために祭壇に向いました。
ひまわりに囲まれた明るく微笑む彼女の写真は今にも、おどけながら歌い出しそう…もうたまりません。

お通夜にはびっくりするほど多くの人達が次から次にやってきて献花の列は絶えません。
そして誰もがみんな涙をためていて、彼女の人徳がひしひしと伝わってきます。

翌日、お通夜に行けなかったヒロコと3人で葬儀にも出席しました。
昨夜に引き続き、同じ保育園仲間のダイ君とダイ君のママも来ていました。
ダイ君のパパはイラクで殺害された報道カメラマン橋田信介さんです。
ママもそれ以来テレビでも知られるようになりました。
とてもおとなしくて優しいダイ君はIT関係の仕事をしていたのですが
やっぱり父親の意思を継ぐと決心して、先月からテレビ局で働いているそうです。
この数年間だけでも保育園仲間に思いもかけない事が襲ってくものだと語り合いました。

葬儀の最後に、彼女の棺をかこんで、みんなで『千の風になって』を歌いました。
学校の先生をやっているゼン君のパパの声も…
役者を目指していたゼン君の声も…
北大の学生でコーラスをやっているゼン君の弟のエイ君の声も…
ひとりひとりの声が鮮明に聞こえてきます。
そして、みんな大きな声で歌いだし、涙をいっぱい溜めながらの大合唱です。
橋田信介さんの殺害がテレビで報道された時、毅然とた態度で涙ひとつ見せなかった
ダイ君のママも、涙を流して歌っています。

亡くなった人が、残された人達に語りかけるこの歌は
死生観も宗教観も、ひっくり返すような素晴らしく衝撃的な歌です。
宗教色の無い葬儀で、そして何より…ゼン君のママにピッタリのこの歌が
「泣かないで下さい♪」なんて語りかけられたら、よけい泣けてきます。

ゼン君のママ、やすらかにお休み下さい…
イヤそうではないのですね。

眠ってなんかいないのですね。
千の風となって、あの大きな空を吹きわたっているのですね。

よりパワーアップして!(^_^)

2007年05月28日175号 ダイエット宣言!

ずいぶん昔からダイエットしなければ、しなければと思っていました。
でもダイエットのキッカケというものはナマケモノの私にはなかなかつきません。

そこで、今年の初めにこんなことを考えました。
この週間KENで毎週書いているネタがどうしても無くなった週に
【ダイエット宣言】を公表して、自らを縛ってダイエットに励もうと思っていたのです。

ところが、ここのテーマはなんでもアリですからテーマが尽きることはありません。
また、少々テーマに行き詰っても、「それじゃーダイエット宣言か!」と思うと、
急にテーマが浮かび上がってくるのです。(^_^;)

てな事で、今日まで来てしまったのですが…
今回、テーマが行き詰ったワケではありません、書くことはもう無尽蔵にあるのです(^_^)
そうなってしまうと、このまま永久に【ダイエット宣言】なんて出来そうもありません。
それに、これから暑い夏を迎えるわけですが、
私は毎年、夏ヤセではなく、夏ブトリをするタイプなのです。

実は金曜日に、私の同業者のN君にひさしぶりに電話したところ
夕刻にアカラックスに顔を出そうと思っているというので、
先週に引き続き、神田のアカラックスに酔ってイヤ寄ってみたのですが…
早くも酒盛りが始まっていました(^_^;)

そこで久しぶりに会ったN君のアゴのあたりがスッキリとしているので
「あれ!痩せたんじゃない?」と私が訊ねました、坂本さんは「エッそうかな」と言っていたのですが…

N君は「えー20キロ減量しました」というのです。
「えー20キロも!そんなにも減量したとは思えないけど何キロあったのが何キロになったの?」
「115キロが95キロに…」
「なるほどN君は大きいからネ」

でも、ヒトのことを感心してばかりはおられません。
私は身長165センチで体重が75キロあります。
身長から換算すると20キロばかりオーバーです。
20キロといえば、大きな米袋(10キロ)が2つ分です。
よくマルエツで10キロの米袋を買うのですがレジ袋が重さで細くなり手が痛くなったりして
駐車場までの短い距離を一袋持っていくだけでも大変です。
それが二袋分の20キロがお腹のまわりに常時乗っかっていると考えたら、
動作が緩慢になってグータラしてしまうのは当然かもしれません。
それに、決して若くはないのですから(^_^;)

N君と同じ20キロ減量が出来れば理想的ですが…
115キロから95キロと…
75キロから55キロでは、私の方がハンディがあります。
これをハンディというのが正しいかどうかわかりませんが(^_^;)
そこを配慮?して、私の場合はムリのないところで10キロ減量!

で、やっぱり期限を切らなければと思います。
期限は3ヶ月!週間KENの8月27日号で、その結果を発表します!
コワイお目付け役YUKI様のチエック付きです(^_^;)
(現在75キロの写真です)

2007年05月21日174号 アカラックスのお引越し

坂本さんの会社、アカラックスが引越ししました。

一ヶ月ほど前に、YUKIと”空也のもなか”を持って神田に あるアカラックスの事務所に行きました。
いつもの事ですが何か用事があるとかという事はなく、ただブラっといくのです。
ブラっと行くと、たいてい誰か訪問者がいたり、またいなかったりもするのですが、
なんだかワキアイアイの雰囲気になって、訪問者が持ってきたお酒や、置いていったお酒を飲んで
もっとワキアイアイの雰囲気になってしまうのです。(^_^)

この日は別の訪問者はいませんでしたが、YUKIの誕生日をちょっと過ぎていたのですが、
お祝いにワインで乾杯しようという事になって、またワキアイアイになってしまいました。

ココにやってくる時、アカラックスの事務所がある、
古式ゆかしいビルの、古式ゆかしいエレベターのボタンを私は押してながら
「アカラックスがここから引越ししちゃったら寂しいよね」…などと話していたのです。

ところが、ワキアイアイとしゃっべているうちに、総務担当の新越部長が
「実はまだ誰にも話していないのですが、この事務所が引越しすることになったのです」
…というのです(^_^;)
「エー!そんな事があったら寂しいねって話してたばかりで残念だなー、
で、どこに引越しするのですか?」
新越部長が「ここから、それほど離れていませんからご案内しますよ」…
という事で見にいくことになりました。

新越部長はエレベータを使わず階段を下りていきます。
とても健康的な人だなと思いながらついていくと2階にある広い部屋をあけて
「ジャジャーン、ここです!」…と嬉しそうに見せてくれました
私もYUKIもとても嬉しくなりました(^_^)
今までより50%ほど広くなり、ちょうど正面玄関の真上にあたり、この古式ゆかしいビルの
メインのオフィスといってよいようなリッチなポジションです。

まだ、その部屋は移転を決めたばかりで内装はこれからという状態で、
ゴールデン・ウイーク明けには引越しを完了していると、いうことでした。

アカラックスも一時はどうなるか…と、私が勝手に思っていただけですが(^_^;)
どうにか立ち直ったようでよかったな…と、勝手に思いました。(^_^;)

これで今まではチョットでも多くの人が集まってワキアイアイとやってしまうと、
事務所が大変な状態になっていたのが、余裕をもってワキアイアイと出来そうです。

そして先日、5階から2階の広いオフィスに移った新装アカラックスにYUKIと訪問したのです。
何か気の聞いたお祝いをとは思ったのですが、けっきょくいつものように宮崎の焼酎と、
それだけなら、あまりにもいつもの通りなので、お客様から頂だいトルコのお酒を持っていきました。
そのお酒はアルコール度が高くて凄そうなので酒豪のヒロコもYUKIも手を付けづに
放置されていたのですが、あそこに持っていけば誰かが酔った勢いで飲んじゃうだろと思ったからです。

新しいオフィスのドアを開けると、そこにはいつもワキアイアイとお酒を飲む丸テーブルが
余裕をもって応接室?の真ん中にドカっと置かれていました。
そこでは坂本さんと訪問者が仕事の打ち合わせ中といった感じでした。
オフィスと酒場イヤシツレイ応接室が 分断され職場環境もアップしたようです。

我々もいつものことですが…大きな丸テーブルに座り、一応自己紹介をさせて頂き
だんだん、これもいつものことですがワキアイアイの雰囲気になっていきました。

私が持ってきたトルコのお酒を見た新越部長が
「エッ!どうしてこのお酒がココにあるの?」というのです。
何も私がココから盗んだわけではないので理由を聞くと、
つい先日、このお酒を誰かが持ってきて、とても美味しいと盛り上がったばかりだというのです。

そこに、また新しく訪問者が一人やってきて、2人の訪問者も、そして私たちも
まだ飲んだ事がないという事でさっそく,そのトルコのお酒を開けて飲むことになり、
いつものようにワキアイアイとした気分はドンドンもりあがっていきました。
初対面のお一人は、坂本さんがコンサルティングをしている新設保険会社の準備会社顧問Tさん。
もう一人は六本木ミッド・タウンにオフィスがあるアメリカの再保険会社のHさんです。
ここに来たらもう誰だろうと保険談義に花が咲いてしまうのです(^_^)

そこに、ヒロコも会社の帰りにやってきました、まー私が帰りのクルマを運転さすために
呼んだのですが、サカモッチ(坂本さんのこと)のファンで、アカラックスの新オフィスにも
興味があったようなので喜んでやってきました。

そして、Tさんが「電車がなくなるのでこのへんで…」という時間になっていて
TさんとHさん、そして我が家の3人はアカラックスを後にしました。

もう何時もこの調子で、最後まで酔っ払いの相手をして下さる下川さんや新越さんには
悪いな~と思うのですが…。
このような居心地の良いオフィスになっちゃったら
ますます、訪問者が増えて仕事にならなくなるのではと、一応心配だけはしております。

そうそう、今日来ていたお二人。
私が来たために、仕事にならなかったのがはないか!?…とYUKIに言われてハッとしました。
坂本さんと3人で仕事の打ち合があったのではないかと(^_^;)

2007年05月14日173号 今さら、こんなモノを(^_^;)

先日、わたし宛に宅急便が届きました。
差出人はオリックス自動車・レンターカー営業本部・北海道営業部です。
そうです!…北海道新千歳空港の日本最大級レンター・カー営業所のたまたま第一号のお客様に
なってしまった事を先月の169号でお伝えしましたが、その時の記念品が届いたのです。

この時にリッパなのし袋の【目録】を渡されていて、実はその日に札幌のホテルで開けてみました。
そうしたら4つ折にした大きな和紙が白紙のまま入っていたのです。
いくらなんでも、そりゃないだろうと営業所に電話をしたところ
「旅の途中で記念品をお持たせしては、荷物になると思い目録にさせて頂きました。
また何をお渡しするか決まっておりませんので目録は白紙で御座いましたが
記念品は後日ご自宅にお届けされますので楽しみにお待ち頂ければと思います。」
…とナンだか白紙の目録は当然といった口調なのです。

”ただ一方的に貰う立場”ですからエラソウな事はいえません。
「ありがとうございます」と私はケータイを持ってアタマを下げました。
北海道ってほんとうにノドカでいいよね…YUKIと笑ってしまいました。

でも「楽しみにお待ち下さい!」と言われれば単純に楽しみにしちゃうタイプの私は
なかなか届かない記念品に夢を膨らましていたのです。
そして、ついに届けられた玉手箱のようなサイズの箱を開ける時がやってきたのです。

なんだか重くもなく、軽くもなく、微妙な重さの箱を開けて、出てきたのは
サインが入った野球ボールの展示台と、その球団関連の本が2冊入っているのです。
それが、どこの球団かはスグに判りましたが、
「今さら!…」と笑うしか無い、今の私にはまったく欲しくないものだったのです(^_^;)
これが10年ほど前なら大喜びしたのでしょうが…。

プロ野球・オリックス球団の外人監督のサインと、2007年のオフィシャルガイドブック、
それに、ご丁寧に球団公式グッズのカタログが入っていて値段も出ています。
サイン・ボールが800円、それを入れる展示台が700円、それにガイド・ブックが500円で
グッズ・カタログはタダでしょうから計2000円の誰でも手に入る商品です。

イヤ、繰り返しになりますがコチラは”ただ一方的に貰う立場”ですからエラソウな事はいえません。
2000円のものであろうと100円のものであろうと頂けるものは感謝しなければなりません。
しかし…(^_^;)

私は、誰もが知ってるほどの阪急ブレーブスの熱狂的なファンだったのです。
その阪急ブレーブスがオリックスに買収された大変なショックを受けましたが
阪急からオリックスに変わっただけで、選手も球場も、そしてブレーブスも変わらない事に
気を取り直して、熱烈ファンは継続しました。
それからしばらくしてチーム名がブレーブスからブルーウエーブスへ、
フランチャイズ球場も西宮球場からグリーン・スタジアム神戸へ移りましたが
イチローの大活躍や田口、長谷川と言った好きな選手もいて応援を続けていました。
しかし彼らもメジャーへと移り球場に足を運ぶ回数は激減しました。

しかし、3年前の6月にオリックス球団が近鉄バッファローズと合併すると聞いた瞬間
それまで蓄積されていた不満が爆発しキレてしまいました。
それ以降は一切応援を止めるというよりアンチ・オリックス球団になってしまったのです。
ここまでの流れは、その時の週間KENでも書いています。

でも最近ではアンチもなくなり、まったく興味が無くなってどんな選手がいるのか?
監督が誰かも知らない状態でいるのです。
今日(13日)の朝刊で、久々にオリックス・バッファローズのところを見たら
10連敗した後の3連敗して外人監督が記者に八つ当たりしたという記事でしたが
今晩もまた負けちゃったようですね(^_^;)

そんな球団のグッズを”今さら”もらっても(^_^;)
だからと言って”こんなモノを”欲しと思われる方いっらしゃいますでしょうか?
そんな言い方をしたら貰いにくいかもしれませんが…
もし引き取って頂けるという奇特な方がいらっしゃいましたら、喜んで差し上げます(^_^;)

2007年05月07日172号 オグラ夫妻を囲んで

大学時代の親友で、もう20年近く香港に在住しているオグラ夫妻を囲んで
久しぶりに仲間が集まろうという事になりました。

もともと我々が大学を卒業した年から、毎年1回、最初はガールフレンドを連れてきたり
のハイキングだったのが、結婚して子供が生まれる者も出てきてからは
家族ぐるみでの一泊旅行となって、しばらく続いていたのです。

ヒロコも小さい時から「オグラのおじちゃん・おばちゃん」が大好きで…
1年ほど前に初めての海外出張が香港だった時には、いろいろお世話になったようです。
平成3年には私のミニコミ誌にこんな記事も書いています
そのオグラ夫妻を囲んで集まろうというのですから、
我が家で最もスケジュールが過密なヒロコも最優先で参加すると楽しみにしていたのです。

日時は5月4日の6時頃と決まっていたのですが…
会場をドコにするのか、私が顔が広そうだという事で”幹事”になってしまいました。
候補の店が2件あったのですがゴールデン・ウイークの真っ只中でどちらも休業との事で、
結局ヒロコにネットで条件に適した店をえらんでもらいました。

当日、我が家を早めに出たのですが…
早くもオグラ夫妻とアダチが予約してある個室のテーブルに座っていました。
「アルゼンチン組は早くも、ご到着ですか」…私は笑いながら挨拶しました。
実はこの3人は2月に大学OB会の集まりでアルゼンチンに行っているのです。
そのアルゼンチン行きを香港にいるオグラが”決意”したのは
実は私のこの【週間KEN】の記事を読んで、迷っていたのが背中を押されたというのです。
書いた本人は結局行けなかったのですが…(^_^;)

やがてタナカ夫妻・アオキ夫妻そしてフルヤとやってきて…
驚いたことに、クラブのマドンナ的存在だったミドリが卒業以来38年!
フルヤが急遽声をかけたようで、幹事の私も知らないサプライズで盛り上がります。

もちろん奥方連中とは初対面ですが…
ミセス・オグラのキエちゃんは、もうムチャクチャ明るくて楽しい人でして(^_^;)
「ネーネー、ウチのオグラとスミクラ君がミドリさんに惚れちゃって頑張ってたら
先輩のKさんに持ってかれちゃったんだって、ほんとバカみたねハッハッハッ!」
隣にYUKIが座っているのに、なんてことを…(^_^;)

こうなったら私も負けていません!
「僕が銀座のフランセの店長をやっている時に、オグラが同じ職場にいたキエちゃんを”僕に”
紹介してくれて、何時デートに誘おうか?なんて思ってたんだけど、
その後もやたらと二人で店に来るのよ…ちょっと変だなとおもってたら
『結婚する事なりました』だって、オレは何だったのかってさすがの僕も考えたよね~」

「そうそうタナカの奥さんがこのチャーミングなアキコさん!
あの無骨なタナカが美女をつれて僕の店に来たのでビックリしたんだけど
「今日、お見合いをして、二人きりになったんだけど場が持てないからオマエのとこに来た」
って言うのよ、ホスト・クラブじゃないんだけどね、
でもアキコさんは『こんな友達がいるなら』って気持ちになったんだから、感謝してもらわなければ!
…ナニ恨んでるって(^_^;)」

少し遅れてアオキの長女のリカちゃんがやってきました。
リカちゃんは僕らの子供世代では年長組でオグラの長男のマサタカ君などと
アオキの実家で初節句を祝った写真( 昭和50年頃)が残っています。
そのリカちゃんも今や3児の母!
この我々の集まりには小さい時からズーと参加し楽しかった思い出がたくさんあるようです。
そうそうミドリは卒業する時にはK先輩と結婚していて妊娠中でした。
卒業から38年経過しているのですから、とうぜんの事ですが、それなりの年齢のお嬢さんが
いるわけで、時代の流れを感じずにはおれません(^_^;)

酸いも甘いも知り尽くし、気心の知れた仲間とこうして食べたり呑んだりするのは
本当にこころの底から楽しい気持ちになれるものです。
幹事として選んだお店も、
値段も雰囲気もリースナブルでヒロコが「今度は使おう!」などと言っています。

余った予算でお茶でも飲もうという事になったのですが…
アオキ・ファミリーはココでお別れ…リカちゃんの子供3人をアオキのお母さん
すなわちリカちゃんのおばあちゃんに見て貰っているのですから。
でもリカちゃんはココで若干の抵抗をみせます(^_^;)
そんなダダをこねる姿をみていると幼いリカちゃんを思い出します

ホテルのラウンジでの二次会もおおいにもりあがり
YUKIもヒロコも大満足して頂き、幹事としても、KENとしてもホッとしました(^_^;)

集合写真 スナップ① スナップ②

2007年04月30日171号 K君の来店

今月の初め…東京海上の私の損保担当のK君が言いました。
(本当は苗字はMなのですが生保担当M君がいましたので名前のKで…)
「是非こんどロコハウスの事務所にお邪魔したいのですが」
K君は以前からそう言っていたのですが断り続けていました。

なぜ、断り続けるかというと、ご来店頂けるような状態で無いからです。

”ご来店”と言っても代理店ロコハウスは自宅のマンションの”一室”を使っているに過ぎないのです。
問題はその”一室”にあるのです。
実はそこはカビだらけの”開かずの部屋”と化していたのです。

十数年前、マンションの購入を決めた一つの要因は、
一階のエレベータ・ホールのスグ横の部屋が事務所として使えそうだったからです。
玄関に入って直ぐ左側が事務所で、プライベートな部分と分ける事もできます。
しかし住んでみて判ったのですが、この角部屋だけがとんでもなく”結露”がヒドイのです。
それでも窓を開けたり除湿機を入れたり、色々やってきたのですが、効果がなく…
最近では、その部屋は放置され、壁紙も古い書類も本も…何もかもカビだらけの
恐ろしい状態だったのです(^_^;)

では日常業務はどこでやっていたか?というとリビング・ルームです。
ここは日当たりがよく、冬も暖房はいらず、夏も数日しか冷房を使わず、とても快適なのです。
ここの大きなテーブルをはさんでYUKIと私は…
そこで仕事をし、そこで食事をし、そこでケンカをし、そこでインターネットをし、
いつも向かい合って、ヒロコには呆れられながらも暮らしています(^_^;)

でも事務所を使わずリビング・ルームで仕事をしていると…
リビング・ルームが事務所化し、そのことでコレがまたYUKIとのケンカになったりもします。

このような状況の中でK君に、「是非どうぞ!」なんて言えるわけがありません。
最初は表敬訪問のようなものと思って断り続けていたのですが…
どうやら4月中に全代理店が訪問を受けなくてはならないようなのです。
しかたがないので「4月27日午後5時」と最も遅い日時を指定しました。

事務所をきれいにする良いチャンスと気持ちは切り替えているつもりでも…
なかなか手をつける勇気もわかず日にちだけが経過し、
イヨイヨ来店の数日前になって、重い腰をあげる事になりました。

この日から丸2日間、私は筆舌に尽くしがたい(^_^;)大掃除をし、
どうにかこうにか復旧することは出来ました。
カビキラーの匂いが身体に沁みつき、
たくさん、たくさんカビを吸って肺気腫になるのではないかとYUKIに言ったら…
「楽しみにまっています」と言うのです。

当日!!
支社で『超保険』の”適正な募集”についてセミナーがあったので
それが終わったらK君を私のクルマに乗せて我が家に、ではなかった
ロコハウスに来てもらう事にしたのです。

私はハンドルを握りながら、うっ積している思いをK君に爆発させていました(^_^;)

K君が全代理店を訪問するというのもTN社の保険金不払い等の不祥事で
第三分野商品の3ヶ月間の業務停止のおり、代理店を”チエック”しよういう狙いのようです。
この日あった超保険のセミナーも、
私がブログでも問題視している【意向確認書】の事で、どうにも納得がいくものではありませんでした。
「意向確認書は何のため誰のためにやるのか?」…K君はボソボソともっともらしい回答をします。
「じゃー意向確認書は契約者にとって何かメリットがあるのか?」…K君は黙ったままです。
「マッタク!」…
こんな会話をしているとアッというまに到着です(K君にはとても長い時間だったかもしれませんが)

早速、ロコハウスの新装?なった事務所にご案内し
第三分野の業務停止中のポスターが貼ってあるところを確認してもらいました。

またTN社送付の同様の小さなシールが保険料領収書の表紙に貼ってあるか…
のチエックもありました。
YUKIは何処に貼るのかも判らず、リビングの電話の上の壁に貼っていました(^_^;)

でも、こんなモノを領収書の表紙に貼って何の意味があるのでしょう。
こんな事を各代理店を回ってチエックして何の意味があるのでしょう。
K君にたずねたのですがこれもまた明解な答えは返ってきませんでした。

なんだか気がついてみれば、私はM君にいつもガミガミ言っているようです。
まして私の本拠地でYUKIと私に挟まれて、さぞツライ思いをしていた事でしょう。
コーヒーを飲みながら雑談を少々してK君は逃げるようにロコハウスを後にしました。
K君を駅まで送るクルマの中で私は言いました。
「けっして個人的に責めているのでは無いからね、みんな優秀な社員なのに
自分の頭で考えていかなければTN社だってダメになっちゃうと本当に心配しているのだから…」
K君は小田急線の向ヶ丘遊園駅へ消えていきました。

K君の前任、東大出のH君にも同じよう事を私はいつも言っていました
その後、彼は第三分野商品の開発部門に転勤していきました。
私の言葉を真剣に聞いていたのかH君からは何のオトサトも
若い彼らには口うるさい年寄りのタワゴトにしか思っていないのでしょうか。(^_^;)

ひとさわがせなドタバタ劇ではありますが…なにはともあれ
K君訪問のおかげで事務所がキレイになって、よみがえった事は
とても喜ばしいことでありました(^_^)

2007年04月23日170号 サルサ・ナイト

我が家がサルサ・ファミリーである事は知る人は知っています。
もちろん、知らない人は知らないので、その方が誤解がなくてよいと思います。

YUKIは基本的にサルサは習っていませんがサルサ関係のイベントには家族で参加します。
私は習っていますが、かなりイイカゲンです。
私の先生はクリスチーナというラテン的?ドイツ人でもうけっこう古い付き合いになります。
最近は年2回、クリスチーナが日本にいる時にレッスンするだけで何年たっても上達しません。
そうそう、今月初めにはクリスチーナの絵の個展が銀座であってYUKIと出かけました。
まークリスチーナはサルサの先生というか友達のような存在です。

ヒロコはクリスチーナのサルサでは満足できず
数年前からサルサの本場、キューバ人のジョエルから本格的なサルサを習っています。
そうそうジョエルは昨年暮れ恒例クラシック・コンサートでヒロコの撮影助手を勤めくれた
とてもキノイイ男です。

とてもキノイイ男ですが、サルサのレッスンとなると厳しいようです。
そのジョエル教室のパフォーマンスが今日(22日)日暮里のサルサ・クラブ・サルーでおこなわれました。

前日の土曜日、最終レッスンが夜遅くまでやられたようですが、
私が今まで見たことがないほどヒロコが落ち込んで帰宅してきました。
ジョエルにかなり厳しい事を言われたようなので
しゃべる言葉も微かに震え今にも泣きそうなフゼイです。
何があったかは判りませんが…
怖いもの知らずで、ハナッパシラが強いヒロコにはとても良いクスリです(^_^;)
どこで立ち直るかミモノと楽しみにしていたのですが…

朝はいつもの日曜日よりも早く、それもとても元気に明るく起きてきたのです。
多分、あまり眠れかったのだろうとけど、気持ちをレバー・チェンジして…
早くも立ち直ってしまって、私の楽しみは早くも打ち切られました(^_^;)

ヒロコから数時間遅れてYUKIと会場に向いました。
会場に行ってビックリしたのですが、知った顔がたくさんいるのです。
ヒロコのパフォーマンスではありません。
ヒロコがサルサを習っているジョエル教室のパフォーマンスで、その中の一人に過ぎないのです。

でも次から次に、やってくるのはヒロコの知人で、その挨拶に忙しいようです。
中には、ヒロコが小学校の低学年の時の同級生で同じマンションに住んでいた
ヨウコちゃんが、とても大きくなって(あたりまえですが)やってきました。
学生時代に一人でキューバに長期間行ったこともあるそうで
今はIBMでバリバリのキャリア・ウーマンをやっているようです。

ヒロコの職場からはCBS放送の日本からのレポーターも勤める
ルーシーがお嬢さんをつれて、やってきてくれました。
大学時代のサルサ・クラブの仲間もやって来ました。
ユウイチは今をときめく六本木ヒルズの最上階ゴールドマン・サックスで働いているそうです。
横浜市役所に就職したリサは、アフリカン・ダンスに傾倒し、
休みをとってはアフリカに行っているようです(^_^;)

まだまだココでは紹介しきれないほどのヒロコの知人がやってきて、
ヒロコのパフォーマンスでもないので、こちらが恥ずかしくなるような気分です。
でも、よ~く考えてみれば、ヒロコのパフォーマンスでもないのに両親がそろって出席して
お客様に挨拶して回っている方がヘンかも知れません(^_^;)

なにはともあれ、美味しいキューバのお酒と  楽しい雰囲気の中…
パフォーマンスが始まり
ジョエルとヒロコのダンスも中々のノリで会場も大いに盛り上がり
まずは大成功という感じで無事終了しました。

まー専門的に見れば”課題”も残ったようですが…
あのノリのヨサ!調子のヨサ!はダレから引き継いだのか?と、
ふと考えてしまいました(^_^;)

2007年04月16日169号 YUKIと雪の北海道より!

今、札幌に来ています!
もちろんYUKIと一緒です(^_^;)
もちろん、いつものようにメール相談でのご契約です。

今朝は我が家を早朝に出て、羽田近くのパーキングにクルマをおいて
朝6時30分発の飛行機に乗って一路北海道へ!
しかし、お客様に会うのは16日月曜日の夕刻です。
なにも、そんなに早く行くことはないと思われるでしょうが…
どうせ行くなら『行きは朝一番!』『帰りは最終!』でメイッパイたのしもう!
コレが我が家いやYUKIのオキテなのです。(^_^;)

朝8時に新千歳空港!! これは3年前の8月と同じパターンです。
しかし、今回は何と4月の半ばというのに雪が降って、しかも積もっているのです!

レンタカーを予約していた私は不安になりました。
「この雪道で運転出来るのか?」

前回は新千歳からまず支笏湖でしたが、今回は洞爺湖でも行ってみようかと思っていたのです。
まっコレもただ「思っていた」だけで、いつもの行き当たりバッタリの旅パターンですから
何も洞爺湖に行かなくてもいいのです。
と言うより…この雪じゃ洞爺湖行きはもとより、レンタ・カーを借りるのも遠慮したい気持ちです。

そうは言っても予約している以上は空港のレンタ・カーのカウンターには行かねばなりません。
そこで向こうから、この雪の事を言ってくるだろうと思っていました。
ところが雪のことなど、まったく気にする気配なく手続きはドンドンすすんでいくのです。
私はこわごわ「こんなに雪が降って大丈夫でしょうか?」と訊ねると、
「スタッドレス・タイアが装備されていますので、問題ございません」と普通に言うのです。
「あのー、洞爺湖なんか行くのは無理でしょうか?」
「今日は日曜日でこんな天気ですから道は空いてると思います」

空港からレンタ・カーの営業所に向うクルマの運転手も、
「洞爺湖ですか、今日はこんなに雪が降っているから、樹木が雪で覆われて
写真を撮るなら最高ですよ」と、車中からデジカメで雪景色を撮っている私に言うのです。

私もだんだん勇気が湧いてきて心の中で叫びました、「そうだ!洞爺湖に行こう!」

雪に埋もれたレンタ・カーの営業所に、YUKIと二人だけ乗せた送迎バスが到着したとき
異様な風景が迫って気ました。
その大きな新しい営業所はオープンしたばかりのようで、外には花束やタレ幕がたくさんぶら下がり
多くの従業員や関係者が営業所の前にズラッと勢ぞろいをしているのです。
送迎バスの乗客(すなわち私とYUKIだけ)が荷物を持って降りると
全員が「いらっしゃいませ!」と最敬礼をするのです。
中に誘導されると営業所内にもズラッと人がならんでいて、こちらでお手続きをしますので…
と応接室のようなところまで、どんどん案内されていくのです。

そして、なんと!私達がこの日本最大級のレンタカー店の第一号のお客様だというのです。
そこで記念品の目録(後で連絡するという事で実はまだ何かわからない)や
お菓子などを貰って、記念撮影までさせられて大騒ぎです(^_^;)
手続きを済ませると、今度は我々がクルマのところに向う通路までも整列が続き、
屋外でも雪が吹き込む中で数名が私達が出発するのをジッと待っているのです。
もうこっちも気の毒に思って、カーナビやクルマの説明などの頭に入りません。

ほんとうは雪景色や新装開店の様子も撮りたかったのですが、
そんな余裕などまったくありませんでした。
「こちらへどうぞ!」「こちらへどうぞ!」と、大勢のスタッフにあおられ誘導され(^_^;)
開店第一号の顧客、すなわち私達は雪の降り注ぐ中、洞爺湖に向ったのです。

ところが洞爺湖には雪がないのです(^_^;)
何事も思い通りにならないから面白いのです、
湖畔のレストランで食事客がザ・ウインザーホテルの話しをしていました。
そうだ洞爺湖にはあの有名なホテルがあるのだ、と早速行ってみました。
湖畔から10キロぐらいですが、そこは見事な雪景色の中のドライブ!
ザ・ウインザーホテルもキキシニ勝るゴージャスさで見るだけで帰ってきました。(^_^;)

上から見下ろす洞爺湖は神秘的でした。
定山渓温泉にも立ち寄り足湯を
夕刻、札幌エクセル・ホテル東急にチエック・インして、
夜にはロコハウスの大お得意様(本人がそういうので)で、現在札幌に単身在住中の
Jさんと団欒、たらふく食べ、たらふく呑んで、今ホテルから書いています(^_^;)
明朝は10時に札幌で保険代理店を営み【保険選びネット】で私同様に活躍していた
Fさんがこのホテルを訪ねてくる予定で楽しみです。

朝一番の飛行機にヒロコは「意味ワカンナイ!」…と言ってました。
レンタ・カーは料金が最も安いという事でYUKIが選びました。
そのおかげで、開店第一号のお客となり、何がもらえるか楽しみです。
ホテルもなかなかのモノです。

往復の飛行機代とホテル代がパックになって19,800円!
何時もの?充実の旅の一日目が終わり、YUKIはいつものように早くも寝息を立てています。
やっぱりYUKIはエライ!と思いました(^_^;)

2007年04月09日168号 YUKIの誕生日

4月8日はYUKIの誕生日です。
お釈迦様と同じ誕生日です。
何度目の誕生日かはとりあえずナイショにしておきます(^_^;)

土曜日の夜、時計の針が午前0時を回り8日になったばかりの頃…
「お誕生日おめでとう!」
と私はYUKIに言いました。

「忘れていたのにバカなこと言わないで下さい!」…と
YUKIは言うのです(^_^;)

幼い頃から家族の誕生日ごとに、クリスマスごとに、何かと…
大いに盛り上がってオメダタイまま、この歳になってしまった私と、
そのようなモノなどにウカレルこともなく地道に?この歳まで歩んだYUKIとは、
ウマレもソダチが違うようなのです。

私も今では、大いに盛り上がら無くても、少しは盛り上がっていいと思うようになりましたが
「お誕生日おめでとう!」と言って怒られることもないと思うのです。

でもYUKIの誕生日を私がまったく無視したまま…
7月を向え、私の誕生日のハナシでも自分から持ち上げようものなら、
「自分の誕生日だけは、しっかりおぼえてらっしゃるのね」
な~んてイヤミを言われちゃったりするかもしれないのです。

たしかに、このトシになって「おめでとう!」もないかも知れません。
もっともっと高齢になれば激励や感謝の意味も出てくるでしょうし
100歳にでもなれば「おめでとう!」と誰もが心から言えるのでしょうが。

「ちっともめでたくも無い!」と言われてしまえば、
「それも、そうだよなー」と私もくじけそうになってしまいますが
ここは明るく!(何でいつもそんなに明るいのか?とYUKIは言いますが)
受け止めて頂きたいとセツに思うしだいです(^_^)

YUKIにこっそりプレゼントをという手も、考えたこともあったのですが…
YUKIは物欲の無いひとでプレゼントをするのも、とても難しいのです。
食べることにも、まったく興味がないので、これまた難しいのです。

また我が家の家計はYUKIにスベテ握られています。
(これは正確ではありませんね、ヒロコは完全に独立ているようです)
正確には”私の家計”はスベテにYUKIに握られているのです。
したがって「YUKIのプレゼントを買うから、お金を下さい…」
なんてYUKIに言えるわけがないのです。

夜7時頃、出かけていたヒロコを駅でピックアップして
3人で地方選挙の投票場に向いました。

夕飯は…YUKIの誕生日に、食事の用意をさすのは気の毒だという事で
いつものタイ・カレーのお店、イム・イエムに行きました。
会計をしようと思ったらYUKIはサイフを忘れたというのです。
私もお金を持っていません(いつものことですが^_^;)
ヒロコが居なかったら無銭飲食になるところでしたが
ヒロコのオゴリで無事、お店を出ることが出来ますた。

そしてバスデー・ケーキの変わりに最中(もなか)を食べました。
165号で【空也のもなか】の事を書いたら、この週間KENを毎週愛読?して頂だいている
リーホーム21(埼玉県・幸手市)の総務のKさんが「地元の最中も美味しいですよ!」
と私とYUKIで集金に伺った時にお土産にと、わざわざ用意してくれていたのです。
こっちがお土産を持っていかなければならない立場なのに恐縮をしてしまいます。
でも何でも書いて見るものですね(^_^)
とてもソフトな餡で美味しく頂きました。

そして今年も4月8日は静に通り過ぎていきました。